4話 腐っている
空が白み始めた。
夜が完全に明けてしまえば、死者の亡霊は生者の気を忌避し眠りにつく。
影響力が著しく低下するのを、そう表現する。
休憩を幾度となく挟んだ自宅警備の仕事も一段落着くというものだ。
イメージを言い現すならば、それは半透明のクラゲを思わせる質感の人型。
それだけ希薄になりつつある。
水面月で二体纏めて切り捨て、霧散させる。
霞を切ったかのような手応えの無さ。
それとは裏腹の魂にのし掛かる負荷。
モヤモヤした不快感と言うのが適当か。
霊を切るというのは研ぎ澄ませた自らの魂で行うものであり、武器は補助――思いこみを助長する道具に過ぎない。
それにしても、水面月は中々に便利だ。
時折身体の一部と錯覚してしまうほどの一体感。
刀身の薄べったい見た目にそぐわず、物理的にも霊的にも強度が高い。
そしてやはり、と言うべきか。
次々と切り捨てる亡霊は、先日の人為的と思われる影とは違う。
封印と過剰反応した様から考えれば、何らかの手段で負荷を掛けようとしたのか。
しかし、世代交代で更新する封印の要は経年劣化もせず、常に柔軟性を保っている。
負荷を逃がすため、ワザと妖気を漏らしてしまうことが原因で、封印の要であるここに亡霊が寄ってくるのだが。
それを放置すれば、いずれは集合した魂が霊脈を汚してしまう。
周囲の封印後に植林されたらしい木々も影響を受け、枯れ果ててしまうだろう。
そうなれば、何のためにココを守っているのか。
霊脈に根付いた鬼。
永い時を経れば、街に集った人々の霊気に影響を受け、浄化されるはずなのだが。
「後何年なのやら」
最後と思しき人型を軽く突きながら、苦笑混じりの呟き。
出来るならば、自分が死ぬ前に終わって欲しいものだ。
跡継ぎを用意できるとは限らない。
あくまで勘だが、そう遠くないうちに終わるような気もする。
けれど裏腹に、一生終わって欲しくないとも思っている。
このために生きている。
だから、他にどうすればいいのか分からない。
視線を人里に向ける。
この辺りは少し高い位置で、街を見下ろす格好になる。
視界の端に朝日が顔を出した。眩しさに目を背ける。
何となく、居たたまれない気分になった。
家に、戻ろう。
自分は自宅警備員なのだから。
縁が丘は三方を山に囲まれた住宅街で、開けた北東を行くと都市部だ。そこまで電車で十数分程度だし、利便性はそこそこ。
俺の通う、市立縁が丘高校は最寄りのローカル駅、縁が丘から徒歩十分の位置にある。偏差値は平均を少々上回る程度。
それでも入るのに若干苦労したが。
学力的にも相応の範囲、家から自転車で十五分程度と便利だったのでここにしたが、俺の友人連中は偏差値の低い所か高い所という両極端だったわけだ。
「というわけで、高校に以前からの友達が居ないのも仕方のないことなんだ」
そしてちゃぶ台をどんと叩けば、司は微笑を返して来る。
言い訳するなよ、所詮貴様はコミュニケーション能力不全のヒトリ・ボッチ君だ――。
目がそう如実に語っていた。
自覚していても、やはりその目線を受けるとつらい物がある。
どうして中学の友人と同じ高校に入らなかったのか。
そんな質問してまで俺を貶めたいのか。
――あれ、別に暴言でも何でもなくね?
自意識過剰だった気もした。
「名門の連中は、ゴールデンウィークに行事で勉強合宿するらしいしな」
先日電話がかかってきて、よくよく聞いてみるとそうらしい。
うん、それじゃ予定が合わないのも仕方ない。
関係が切れてしまったのかと一時期嘆きもしたが、それならば涙を呑んで淋しい休日を過ごそう。
今度埋め合わせすると、言質を取った。
社交辞令ではなかったと信じたい。
「ふーん」
ちゃぶ台のクッキーを囓りながら、どこか胡乱な眼差しを送ってくる司。
どことなく機嫌が悪そうだ。
「……じゃあ、お馬鹿高校の友達は?」
「知るか、あんな連中」
ねぇ、高校に友達居ないの?
ねぇ、居ないの?
そう半笑いで言ってくる奴らなんて。
ああ、携帯電話越しにも関わらず、奴らの笑い顔が浮かぶようだ。
そもそも奴らのせいだ。
俺が司以外友達の居ない人間なのではと思ってしまったのは。
「実は、友人連中が君一人ハブって楽しく遊んでいたとしたら――」
「ああぁぁぁ!」
なんて恐ろしい事言いやがるんだ。
想像しちまったじゃねぇか!
一瞬有り得そうだと納得しそうになったが、そんな事は無いはずだ。
多分、恐らく、きっと、めいびー。
「半端に希望を抱くなよ、信治ボーイ」
「俺はお前ほど暗黒面に浸っていないんだよ」
学生だ。
日々勉強中だ。
そう、『職業に就かず、教育、職業訓練も受けていない』というニートの定義は当てはまらん。
落ち着こう――。
クッキーに手を伸ばす。
「予定がないから安心しろ――。そう言っておいて、友達とまだ関係が切れていないなんて言って僕を裏切ろうとするなんて……」
よよよ……。
目頭を押さえ、正座を崩してへたり込む司。
つーか、お前だって中学の時には他に少なからず友達いただろ。
それはどうしたよ。
「そんなもん、受験シーズンが開ける頃にはサクラチルさ!」
咲く頃に散るとはこれいかに。
しかし腕組んでふんぞり返って言う台詞じゃねーな。
「それはさておき――酷いわ! 私とは遊びだったって言うの!?」
友達とは遊ぶものだろう。
後、今の流れは強引過ぎだ。
「酷いわ。貴方が私の下僕だって、信じていたのに……」
「まて、神崎さん」
いつ俺の背後にとか言わないが、その台詞は止めい。
「下僕はお気に召さんか、犬」
餌付けしてやってるのに――。
確かに俺と司が会話の合間に食っているのは、台の上で皿に盛ってある神崎さんお手製のナッツ入りチョコクッキーだが。
それに犬と呼ばれて平然としていられるほど、人間の尊厳も捨てちゃ居ない。
「お前の好きなラノベは、そんなヒロインではなかったか?」
そう首を傾げられても、現実と空想をゴッチャにするつもりは御座いません。
あんなん現実にいたら鬱陶しいわ。
「べ、別にあんたの為に作ったんじゃないんだからね!」
「あっそ」
食えりゃいいよ。
理由はどうあれ。
しかし良い声出てますね、神崎さん。
「お、俺だってな、いらねぇよ! お前の作ったもんなんて!」
司はそう言ってから、クッキーに手を伸ばしてボリボリ。
「でりーしゃす」
「演技持続しねーなおい」
「ああいう意地の張り合いって、正直見苦しいよね」
そりゃ、客観視できているからこその台詞だな。
「客観的に見れば、お前ら二人も相当見苦しいがな」
どういう意味ですか、それ。
「人間関係なんて、傍目にしてみれば大抵そうだと言う事だ」
傍から見れば……ねぇ。
「縁が丘。ここがどういう由来の土地だか、詳しい説明してなかったな」
「鬼によって霊脈が汚染された、くらいなら知ってる」
「まあ、軽い補足だ。昔、元々痩せた土地だったらしいが、特に実りが悪い時期があってな。それを何とかしようと、儀式だか何だか色々やったらしいんだ」
「……霊脈の活性?」
「そう。大地の気の流れ――霊脈を活性化させると副産物として、そこに魂が引き寄せられる」
「それくらい知ってる。魂も要は気の塊だから、流れに引きずられる」
「そう。魂が集う――すなわち魂を持った生物たちが集まり、生命の循環サイクルが活性する。うまくすりゃ、土地が肥える切欠くらいにはならぁな」
「でもここは――」
「違いは気の波長ってやつ。知っての通り、生者と死者なんて基本噛み合わねぇもんさ。霊脈が妙ちくりんなテンションだと、逆に生者がよりつかねぇ。俗に言う霊的スポットなんて、正にその例だ」
「……ダジャレ?」
「霊と例をかけた意図はございませんっと。それで、だ。ここは土地一帯で霊脈の活性が大きくマイナスに作用した」
「それが、鬼のせい」
「その通り。そりゃもう酷い有様だったらしいぜ。土地が枯れて、作物もみんな腐っちまったんだと」
「ふちがおか――」
「気付いたか?」
腐地が丘。
「ここは、今も封印されたはずの鬼が霊脈を汚し、お山に死者を引き寄せているんだ。そういう土地だ」
続く