2話 敵っぽいの
さて放課後だ。
一日を終えた開放感が教室に満ちて、皆が騒ぎ出す。
やれ部活だ、やれバイトだ、やれ寄り道だ、やれ暇だ――。
教室を出る者は弾んだ足取り。
残っている者は人数の多寡あれど、二人以上集まって思い思いに駄弁っている。
俺は一人だ。
最前列、真ん中の席で一人。
最初の一週間で特定の友人を作れなかった俺は、この通り気軽に語らう友人もいない。
バイトする気力もない。
ちなみに、先日の席替えで好きな席を相談して決めろとか教師に言われ、余ったのがここだ。
意外と注目されないという説もあるが、居心地が良いとは言いにくい。
学校に残しても問題ない教材を選別し、課題のある教科のみ選んで鞄へ残す。
後方のロッカーへ教材をしまい込み、下校モード。
喧噪の空気が俺にはちょいとうざい。
ホームルームの途中でも構わず、他の連中みたいに下校の準備済ませりゃよかった。
でも、タイミングを逃すと注目を浴びるようでやりにくいんだよな。
いっそのこと、アウトローを気取ってイビルアイを持たぬ者にはわかるまい……とかシニカルぶったりできりゃ楽なんだが、常識を捨て去る勇気と言う名の思考放棄パワーは無い。
けったいな言動で孤立するアニメや漫画のキャラクターは度胸あるよ。
こんな時だけ尊敬する。
同じようなボッチ組の女子が一人いるが、そいつは教材全部置きっぱで鞄を薄くしてさっさと帰っている。
今度話しかけてみようかねぇ。
まあ、多分出来ずに終わるが。
うわ!
皆が同調したかのように、三日後からのゴールデンウィークの予定とか語らってやがる。
……いいさいいさ。
高校は違えど、中学時代の友人だっている。
それに――。
「うん、百均行こう」
呟いて、早足で駐輪場へ向かう。
百均行って、それからあいつの家へ。
陽気の中自転車を飛ばし、百均の店内を一回り。
レジで払った金額は合計百六十六円。
半額のおかきを一袋と、他にもちょいと余計な出費が発生したけど、まあいいだろう。
そう、男心をくすぐるお宝に罪は無いさ。
「――というわけで、見ろよこれ」
司の家、居間で神崎さんと司に、ブリスターパックのそれを取り出し掲げた。
「……ナイフ?」
「単なるナイフじゃない。七徳ナイフだ!」
単なるステンレスのナイフではなく、その他に缶切りやらニッパーやらの多機能。
称えたい。ああ百均マジパねぇっす!
「……正直ナイフとか引くわ」
一拍置いてから口を開いたのは司だった。
「え?」
「ああ、ナイフは無いな」
そして二人揃って、俺から間合いを取る振りをする。
え、ちょっと待って!
「……警察のお世話になりたくなければ、それをパッケージから開放してはならない」
封印するんだ――。
上目遣いに言いながら、神崎さんは俺の両肩に手を置いた。
……そして、そこでフッと先ほどまでの昂揚が消え失せた。
そうだね。
ナイフなんて持ってたら、危険人物扱いされるご時世だったね。
「……俺、何やってたんだろ」
「正義の心を取り戻したね」
「テンションが下がっただけだろう。冷静になって考えれば、日常生活でナイフを使う機会など滅多にない」
神崎さんの仰る通りで。
でも、多機能とかナイフとか、俺のツボを突きまくりだったんだよ。
「こないだも、使いもしないLEDライト片手に目を輝かせてたよね」
懲りないねぇ――。
肩を揺らす司。
「悪いかコラ」
掌に収まる大きさであんなに明るいんだ。食指が動くのは仕方ない。
「その理屈はおかしい」
第一、LEDライトなら君の携帯にもあるはずだよ――。
司はツッコミにそう付け加えた。
「携帯……だと……?」
盲点だった。
そういや、カメラのフラッシュをライトとして使用できる機種だった。
「気付けよ」
こちらを指差し、司は吹き出した。
「……なら、携帯の充電機能付きLEDライトに意味はあるのでしょうか!?」
手回し充電のヤツとか、めっちゃ心惹かれるのに!
「まあ、緊急事態用とかは……意味、あるんじゃない?」
どれだけの人が緊急時、手元に置いておけるか知らないけど――。
「……なんか、冷めたわ。色々と」
「悟りを開いたか」
「遊び人がいよいよ賢者だね」
元が遊び人じゃ、碌でもない知識しかなさそうだな。
悪どい方向に悟りを開いてそうだ。
司の言葉に、俺は借金してまでパチンコする類の人種を連想していた。
「それは依存症……! ギャンブル依存症……! 酔って……溺れているんだ……! 勝利に……! 積み重ねていても……目を向けない……! 見ちゃいないんだ……敗北をっ……!」
神崎さん、溜めを作れば似ると思うなよ?
後、心読まないで。
「――お前が言うなって感じだね、ホント」
夜半、家を出ながら司は自嘲に口元を歪めた。
刃物を携えた今の自分は、思いっきり危険人物だ。
信治を笑えない。
ゆっくりと鞘から抜いた『水面月』。
刀身が顕わになる。
刃物には苦手意識があり、抜刀の瞬間に未だ緊張を伴う司だ。
どこぞの漫画のように居合いを必殺技にするには、数年をかるく要するだろう。
つまり鞘は不要なのではないか。天啓のような閃きに従い、黒く塗られた鞘を放り投げる。
セルフ小次郎破れたり。
刀身が月光にも酷似した淡い輝きを放っている、ような錯覚がフラッシュバックする。
薄っぺらい虚構の輝きは、頼もしさと温かみを湛えている。
それすらも本来は人類の五感に基づく認識ではない。
霊に通じたものが知る、それっぽい錯覚だ。
柄を右手に緩く握り、切っ先は眼前へ、射貫くような思惟を掲げる。
司の内から迸る敵意に敵意に何かが響くような、手応え――あるいは不思議な確信を覚える。
「よしっ」
今日も好調、迎撃に支障なし。
そして魂の感覚――即ち霊視に基づく認識への集中を高める。
そうすると、五感にちらつく違和が増大していく。
感じる、生者とは噛み合わない、不快な存在がやって来る。
霊脈に流される霊魂達、封印から数百年を経てなお妖気を吐き出す鬼に惹かれ、流れに淀みを生み出そうとする。
つまり、終着点は司の家。
この土地のようにそこそこ規模の大きい流れなら、その中で亡者達は引き合って群をなすことがままある。
司の視界、遠くにちらつく幻影。
それは濁った靄のようで、そしてどこか軟体じみた印象が付随した。
奇怪さを一言で表すならば、さながら百鬼夜行とでも言おうか。
群れなす霊に無意識の怯えを抱いた誰かが、そういった物を創り出したのだろう。
そして封印が、その奥の鬼がかすかに揺らめくのを感じる。
純粋な魂の存在は、大概が欲望やらの負の念で引き合う。
けれど完全には重ならず弾き合い、摩耗した果てに合一する。
「人の魂もそうやって一つになれば、今頃は世界平和だね」
生者の魂は引き合う事はあれど、そう簡単に重ならない。
死者の魂よりも複雑で、変化に富んでいるからだ。
仮にそうなっても、どっちかと言えばディストピア系の平和だけど――。
司は嘆息混じりに呟き、ゆっくりと進む。
霊達の魂が響き合うのを感じる。
司の敵意に、負の念が揺れている。
霊を家に入れてはいけないし、留まらせるのは論外。
鬼と霊の妖気が霊脈に満ちれば流れは乱れ、果てに数百年単位の汚染を引き起こす。
結果、伝承の如く土地に死が溢れかえるだろう。
水面月は無機物なれども、そこには精錬された強い魂を宿す。
その魂と司は、不思議なまでに引き合った。
他の呪具とは薄皮一枚隔てた違和感が付きまとうというのに。
そして右手で横に薙ぐ一閃。
自らの魂を以て霊を切り裂く意志を、刃に重ねて――。
「いいね」
稀にある、司の中で何かが噛み合ったかのような手応え。
思わずにやついた笑みを浮かべてしまう。
司の頭を過ぎる結果、それは刃の間合いを超越した広範囲の斬撃。
周囲の気が共鳴し、発生する流れに霊達は存在を掻き乱され、いとも容易く霧散する。
水面月、虚空を隔てた水面に月の像が映るように――。
今切り裂いたのは、司の二、三メートル先か。
修練を積めば、更に遠くを侵す思惟を放てるだろう。
それも、司の魂が霊を容易に蹴散らす程強いという前提があってこそだが。
一歩踏み込み、更に攻撃的に研ぎ澄ませた念を以てもう一振り。
亡者の群れは為す術無く瓦解していく。
群れの共鳴が弱まることによる結果だ。
今日も問題なく自宅を守り抜けそうだ――。
と、そう思った矢先の事だ。
群れの中に一つ、紛れるようなそんな意志が窺える何かがいた。
イメージは、誰かが暗幕を被って幽霊の真似でもしているかのような、縦に長い不格好で黒一色の何か。
そのような違和感、暗い森の開けた空間に満ちる月明かりで、黒が微かに映る幻覚。
だが、どこかぼやけて曖昧だ。
自分より少し大きいくらいか。
ゆっくりと近づいてくる。
先までに切り捨てた霊達よりも、強い存在だという確信。
それほどに妖気が高まっていながら、魂の揺らめきを小さい。
そう微かで、あるいは見過ごした恐れもあった。
もしかすれば、素通ししてしまったかも知れない。
自然発生か人為的か。
しかしどうあれ、この存在にさほど脅威は感じない。
早い内に始末するのが吉だろう。それでも、念を入れることにする。
腰から紐で吊していた栄養ドリンクの瓶。ちぎり取り開封し、投擲。
地に落ちる瓶は割れることもなく、内容物をそこらへ散らした。
瓶の中身は通販でケース買いした、霊験あらたかと評判の霊水。
単なる山の湧き水だが、ボトリングされたそれは山の気を多く残している。
呪言と共に自分の血を一滴混ぜたそれは、即席のお清めだ。
形式を無視しているため、効果は薄い。
それでも、浴びせた水は妖気と強く反応、伴う蒸発のイメージ。
そして、影の表面が波打った確信。
これ、被せ物か――。
そう、水の気による影響が浸透していない。
「鬼は隠ぬとも言うし……。恥ずかしがりか、大穴で闇属性を強調したいだけのお年頃なのか」
呟いてから気付く。
ある意味鬼だ。
内に隠している、何らかの意図。儚く、しかしどこかおぞましい。
その不吉を感じるとほぼ同時、反射的な跳躍。
小刻みに数歩で間合いを詰め、両手に握り直した小太刀を袈裟に振り下ろす。
斬撃に伴う司の攻撃的な意志に、容易く影は切り裂かれて、しかし中心の核とも言える何かは既に無い。
逃げた、いや違う。
司を通り抜けた。
その先には鬼の封印を支える我が家、近づいて――。
土地に刻まれた封印との過剰反応。
反発による消滅。
おぞましさを覚えたのは、自分が封印と繋がっているからか。
封印から、微かに漏れ出る妖気。
大丈夫、許容範囲内だ。蟻の穴から堤が崩れるような事はない。
しかし酷く呆気ない。
覆う影も気がつけば夜に溶けるかのように消えている。
それが、不自然に感じられた。そう、呆気ない。
「ちょっと待て」
これはあれか。
陰謀の予兆とでも言うのか。
あれは人為的な、俗に式神というヤツか。
自分でも突飛と思える閃き。
しかし不安は消えない。あふれ出た妖気のせいで心がかき乱されているのか。
けれど実際、後にあのような事態をとなるとは夢にも思わなかった、などとなっては洒落にならん。
見回りだ、ついでに結界の強化も――。
司は道具を取りに、家へ駆けだした。
家へ向き直る際に視界の端で不吉そうな黒猫を捕らえ、司の心にはより不安感が募っていた。
黒は夜の色。
人は夜を恐れ、夜色の黒へ畏敬の念を抱く。
だから、黒には人に影響を与えうる力を持つ。
所詮は連想ゲーム――。
そんな理屈で言い知れぬ不安を理解の範疇へと取り込もうとしても、胸内の焦燥は拭えなかった。
駆ける後ろ姿。
黒猫は木陰から、それを覗いていた。
対象は緊張状態であると類推可。
そして踵を返し、麓へと駆けていく。
黒猫――ニムとの魂同調、部分的な記憶の推定補完を終え、昴は自己へと回帰した。
閉じていた瞳を開けば感覚が戻る。
腕に抱えるニムの重み、頭頂部に触れられているこそばゆさもまた同時に。
昴の頭に手を置いていた真も目を開く。
魂を共鳴させ『接続』の仲介を受け持っていた真にも、補完内容はおおよそ伝わっているだろう。
薬物等で調整を加えた使い魔ですらない、ただの黒猫。
だからこそ、露見しにくい。
しかしそのため、昴と相性の良いニムであっても、魂に焼き付いた記憶の読み取り――俗に言うサイコメトリーの一種で昴に伝わる内容は断片的な物だ。
そこから推測した結果をイメージしたのが先の光景。
何らかの外的補助を用いねば、おいそれと為し得ない法外の技と聞く。
昴にしてみれば、対象の主観を分析するという技能は使いどころに困る位にしか思えないが。
ニムにカメラでも持たせた方がまだマシだったと思うところもあるが、そこまで露骨な発覚は防ぎたかったし、資金も余裕があるわけではない。
とにかく、囮であり試金石であった式神の意図に相手は気付いてしまったらしいという事は察する事が出来た。
「警戒されてる。やりにくく、なるかも……」
昴は呟いた。
やり方を間違えたかも知れない。この方法を提案したのは昴ということもあり、申し訳なく思う。
「思ったよりもめんどくさくなりそうだな」
真はため息と共に、気にしてないと言外に伝えようとしているのか、昴の頭を優しく撫でた。
続く、やもしれん
作中の呪いなどは作者の適当な脳内設定による物で、実在の物とは一切関係無いことを伝えておきます。