6、おや? リシル・グレンバルト・デモニアクス・ミアドールの精神力は弱いというよりも鋼のようだぞ。
延々と続く広大な雪原。
オルレイウスの目に映るものは、広い雪原に比べていかにも頼りない針葉樹の小さな林や、大気の層を透かして霞みにそびえる遠い山々の連なり程度で、あとは白銀の世界ばかりだ。
雪、雪、また雪。
晴れた空に輝く太陽の照り返しにオルは目を細める。
昨夜の吹雪によってすべてが覆われてしまったのか、オルの目には平坦で真っ白な雪の床しか見えない。
「そろそろ《オバル街道》に出るぜ! 《ロクトノ平原》ともおさらばだ!」
オルにはわからないものが見えているらしく一行の十歩ほど前を雪を割って歩くハギルが意気揚々とそう言った。
《オバル街道》は南は《ルエルヴァ共和国》首都ルエルヴァから始まり、《ロクトノ平原》および《グリア諸王国連合》領域を突っ切り、北の《以遠海》まで続く大小の都市をつなぐ街道である。
《以遠海》という名は主に《ルエルヴァ共和国》とその属領、そして《グリア諸王国連合》においての親《共和国》国家からの呼称であり、一般的なグリア人は《ギレヌミア海》と呼ぶ。
《オバル街道》の上を運ばれるものは北方からは鉱石や鉱物、海塩などが主流であり、南からは貴金属、宝石、酒類や砂糖などの嗜好品が多いと言われる。
《グリア諸王国連合》領域全体、そしてその北、海に面する《ギレヌミア諸族》の勢力範囲に渡って《義侠神ヴォルカリウス》の人気は高く、商取引は国家と政体の垣根を越えて盛んだという。
冒険者の北方への商隊警護の仕事なども《オバル街道》を中心になされることが多い。
口数の多いハギルが先頭を行きながら、オルにそう説明した。
《ラマルティトス大陸》の地理についてはオルレイウスも大まかに把握していた。
しかし、南に《ラマルティトス大陸》の四分の一ほどを占める大国《ルエルヴァ共和国》があること、その北、大陸中央から北西にかけて小国群《グリア諸王国連合》があること、さらに真北から北東にかけて《ギレヌミア諸族》が、漠然と東方には《アラシュヴァーナ帝国》という人族の国々と勢力がある、という程度の知識だった。
オルの父であり教師でもあったニコラウスは詩で様々なことを語ることを好み、例外は日常会話と《魔法》についてのみだった。
母のイルマにいたっては、肉体でのコミュニケーションを何よりも好んだため、そんなふたりの間に育ったオルにはこの世界に対する体系的な知識が足りなかった。
故国を出てから《ラマルティトス大陸》北方をさまよった一年間に、人族以外にも様々な種類の勢力があったことを実地に体験するまでは、それら種族はこの世界でも物語の中の住人だと思っていたぐらいだ。
オルは先を行きつつとめどなく語るハギルの背中を感心する思いで眺めていた。
無駄口とも思える会話を続けながら、その足取りと警戒作業には淀みが無い。
無口な《狩人》のルドニスとともに十二分に斥候の役割を果たしている。
「ハギル。今日も野営になりそうか?」
「ああ! まっすぐ《ノクトゥム》を目指してるからなあ! 進路上に村は無え! ただ、ちっちぇえ森には届くだろうぜ!」
「野営予定地は森か?」
「イエス、大将!」
先頭を行くハギルと後方から二番目を歩くクァルカスのやり取りだ。
ハギルは微妙に声を張っている。
「ロス、オルレイウス、デモニアクス殿、ミアドール殿は森に入ったら野草と枯れ葉の採取を。できれば食べれるものも頼む」
クァルカスは荷物のほとんどをその背中に負って歩きながら、一行にそう命じた。
傷んだふたつの天幕を含めだいぶ荷物を放棄したとはいえ《スノウ・ハーピー》の《魔材》が大量に加わったため前よりも一行の荷物は増えているはず。
しかしながらクァルカスの足腰は余程頑健にできているのだろう、疲れた様子はまったく無かった。
オルには唯一の前衛タンク役に等しいクァルカスが自ら物資を運ぶことは不合理に思えたが、力仕事ができる人間がパーティー内にいないためこれが日常なのだ、とロスが解説した。
斥候役のハギルとルドニスが優秀なため、不意の戦闘においてクァルカスが出遅れることは無いという。
ちなみに、そのロスは現在最後尾の警戒を行っている。
現在、パーティーは一列縦隊で進行している。
ハギル、ルドニス、オル、レシル、リシルの五人が踏み固めた雪道を大荷物を背負ったクァルカスが歩き、しんがりをロスが務めるという順番。
時折、ルドニスが最後尾へと下がることもあった。
ルドニスが遊撃手さながらに動き回っている理由は、まだ魔物の領域を抜けてはいないからだろう。
雪中を少数で旅をするしかない人間たちに油断は禁物と言えた。
急にオルの足があまり雪に沈まなくなった。
《オバル街道》に入ったのだろうか。
「大将! 《街道》の上を行くぜ!」
「ああ」
クァルカスからの返事を受けたハギルがオルを軽く振り返る。
《義侠神ヴォルカリウス》や《夜の女神トリニティス》が歩くこともある《オバル街道》に出てしまえばモンスターといえど簡単に牙を剥いてこないのだ、とウソかほんとかわからない噂を説明してくれた。
「少年。短い道行だが、よろしくな!」
「ええ、ハギル」
前からかかったハギルの気安い言葉とは対照的な殺気をオルは背中にひしひしと感じていた。
すぐ後ろを歩いているレシルの視線。
その影に隠れるようにリシルが歩いていることだろうと予想する。
――そう、オルレイウスは現在、《テオ・フラーテル》の三人めの客人となっていた。
昨夜のハギルとオルの取引の最中、最初に口を挟んだのはレシルだった。
オルに向かい彼女は「私と妹の前で二度と猥褻な言動をするな」という文言を契約に盛り込め、と要求した。
オルは快諾した。どうせ彼女らとは二度と会うこともない、そう考えたからだ。
だが、焚火から離れていたクァルカスが戻って来るなり「《ノクトゥム》までの警護任務」を依頼してきた。
これに真っ向から反対したのもレシルだった。
彼女曰く「このような破廉恥漢とは、一緒に歩くことも汚らわしい」と。
オルレイウスはいたく傷ついた。
なぜそこまで言われなければならないのかと考えた。
自問自答を繰り返している間にクァルカスはさらにもう一つ条件を提示した。
「オルレイウスは生涯ここにいるメンバーには危害を加えてはならない。また、ここにいるメンバーが助けを求めた場合はそれを感知しうる限りいかなる時も助けねばならない」と。
奇妙な提案だと思った。
確かに取引の成立後に取引相手に襲われて有り金を奪われるなどという話は聞いたことがあるし実際にそれに近い憂き目にあったこともオルにはあった。
それゆえ《義侠神ヴォルカリウス》の名のもとに取引をする場合は相互の身の安全を保障する文言を入れることが一般的ではある。
しかしながら、「生涯」や「感知しうる限り」「助けねばならない」などという文言は大げさに思えた。
それでもオルはその条件を飲んだ。
数か月も独りで野中をさまよった人恋しさも手伝ったのかもしれない。
オルレイウスが同行することに最後まで抵抗していたレシルもとうとう諦めた。
だが、昨日の深夜。
さっそくレシルの戦棍に頭を砕かれそうになった。
《蛇》の発した警告になんとか身を躱したオルではあったが、もう少し深い眠りについていたら《冥府の女王》に迎えられるところだったと慄いた。
そう、オルレイウスはそこで初めて気がついたのだ。
自分の身の保全を約束することを忘れていたことを。
昨夜以来、オルには一時として心が休まる瞬間が訪れない――
「なあ、少年。どうして故郷から追放なんかされたんだ?」
不意のハギルの問いかけにオルは少しだけ躊躇った。
殺気を放ち続けるレシルと、オルとの間にあからさまに壁を置こうとするリシルに比べ、《テオ・フラーテル》のメンバーは親切だった。
特にハギルなどは、「てめえも苦労してんだな、少年。だけどな、俺もてめえぐらいの齢のころはキツかったが、今じゃいっぱしの《冒険者》だ。てめえも大丈夫さ」と言ってオルを励ましもした。
どうやら、死にかけたオルに深く同情を示してくれているらしい。
彼らの同情に応えるためにもウソはよくないとオルは考えた。
正直に答えよう、と。
「簡潔に言えば、全裸で戦ったから」
オルは事実を口にしたに過ぎない。
しかし、ハギルには共感できなかったようだ。
「……そ、そうか」
その言葉とともにハギルは黙り、レシルから贈られてくる殺気が険しさを増した。
〓〓〓
その夜の野営は昼間と比べてオルレイウスにとって非常に味気なかった。
太くて巨大な樹木がまばらに立ち並ぶ森の中、樹幹の間にぽっかり空いた広場のような空間で、倒れた朽木の丸太に座りながらオルは焚火を見つめる。
親しみやすいハギルはずっとクァルカスとロスとルドニスを相手に焚火から離れて今後の旅の予定を喋り、取り残されたオルはレシルの凶暴な視線にさらされ続けた。
オルはようやく自らの過ちを理解し始めていた。
『全裸』という状態は《グリア諸王国連合》、《ルエルヴァ共和国》問わず禁忌なのだ、と。
それも当然のことだと言えた。
《ラマティルトス大陸》全土で広く信仰されている《至上神アルヴァナ》は、《純潔神》つまり貞操の女神であると同時に《盾と鎧の処女》という尊名も持つ。
加えて《技能神》というこれまた《女神アルヴァナ》の代名詞たる言葉の《技能》には機織りなどのこの世界の家庭に入る婦女子必須の生産系《技能》が含まれる。
つまり、《技能神》《盾と鎧の処女》《純潔神アルヴァナ》は、そのまま鎧という防衛装備と服飾の女神でもある。
全裸などというものは《女神アルヴァナ》を崇拝する者にとっては言語道断なのだ。
加えて、この世界の人間の素の防衛力は総じて強くない。
オルの前世の世界の人間たちとは比べるまでもないほど強いがそれでも彼がこれまで戦ってきた魔獣や魔物とは特に、獣人やドワーフなどに比べても各段に弱い。エルフに比べれば若干肉体強度は高そうではあるが、その身軽さや《魔力》との親和性には遠く及ばない。
平民が一財を投じて防備を整えてほかの種族や魔獣とやっと互角。この世界で広く親しまれている綿の服などで戦闘に参加すれば確実に致命傷を負う。
だからこそ防衛の《至上神アルヴァナ》や治癒を司る《陽神アプィレスス》などが広く信仰の対象となるのだろう、とオルは推論する。
《義侠神ヴォルカリウス》が人気の《グリア諸王国連合》よりも文明的であると言われ、《純潔神アルヴァナ》の一大信仰国家である《ルエルヴァ共和国》のほうが『全裸』に対する忌避感が強いと予測することは容易だったはずだ。
開けっ広げに見えるハギルですら『全裸』という言葉を口にした途端に無口になった。
レシルに至っては眼力だけでオルを殺すつもりであるらしい。
故国がある《グリア諸王国連合》で追放だったものが、より《純潔神アルヴァナ》への信仰が強い《ルエルヴァ共和国》において、それより軽い刑罰で済むはずがない。
少しでも考えを巡らせれば十分に予測できたことだった。
オルには確かに後悔は無い。
全裸で、つまり全力で戦わねば、《テオ・フラーテル》の一行を助ける時も、故国を追放されることになった一年前のあの時も、多くの犠牲者が出たことだろう。
だが、同時に戦闘以外の時間で不要な心配をかけることはないとも考えた。
オルは自覚し始めていた。
一年ほど前に故国を追われた日から特殊な生活環境に身を置き過ぎたのだ、と。
それ以前に、幸福にすぎる幼少期を過ごして来たことにあまりに無自覚だったことが現在負債となっているのだ、と。
もしも、父母がニコラウスとイルマでは無かったら。
伯父がマルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアでは無かったら。
オルはまともな教育さえ受けられずに捨てられていただろう。
下手をすれば殺されていたかもしれない。
オルレイウスは父母と伯父への感謝を新たにした。
そして同時に、この世界における『常識』を取得しなければならないと、危機感を募らせた。
そのためには現状はそれほど悪くないのではないだろうか、とも自問する。
なにせオルが今同道している《テオ・フラーテル》は大陸最大の国家でもある《ルエルヴァ共和国》の冒険者ギルドに登録されているのだ。
グリア地域でも《共和国》の文化的侵略が進んでいる、とよく伯父が嘆いていたことを思い出す。
古い信仰は廃れていくものだ、と国王でもあったマルクスは言っていた。
《グリア諸王国連合》でもより北西にあった故郷ではそれほど大きな影響を感じなかったが、《共和国》の影響はその領域を越えて広がっているはず。
その、大陸でもっとも先進的と自任する《共和国》の首都ルエルヴァからやってきたというメンバーと行動を共にできるチャンスは得難いもののはずだ。
幸い《テオ・フラーテル》のメンバーはオルに好意的であり、無口なルドニス以外なら尋ねればいろいろなことを教えてくれるだろう。
ポジティブに行こうとオルレイウスは考える。
そうでなくとも昨日の童貞暴露の一件がオルを責め苛んでいるのだから。
何かを考えていなければやっていられない。
「いくつか質問をしてもよろしいですか?」
オルは鹿の炙り肉を口へと迎えようとしたままの格好で停止する。
木の棒に串刺しにされた炙り肉からは肉汁が滴っていた。
焚火の向こう側から、別の丸太に座ったリシルが話しかけていた。
周囲を見回してそこでようやくレシルがいないことに気がついた。
ついでに言えば《テオ・フラーテル》のメンバーは食事を終えて、既に寝床を造るための広場の雪かきに取り掛かっていた。
どれだけ食事をしながらひとりの考えに没頭していたのだろう。
「お姉さまなら夜の訓練の時間だと思います。……わたくしも《デモニアクス》の家にいた時はそんな目をしていたのでしょう」
リシルはオルの目がレシルを探しているのだと思ったようだ。
今日は昨夜と違って月が出ていた。
その淡い月光にリシルの銀色の髪が輝いて見えた。
「ご質問にお答えする前に、僕からもひとつ伺っても?」
「ええ、どうぞ」
朗らかに笑うリシルに少しだけ腰が引けるように感じた。
「デモニアクス様とあなた様はご姉妹なのに姓が異なるのですか?」
はたとリシルの微笑に陰りがさした。
少々、ぶしつけだっただろうか。オルは反省する。
「わたくしもお答えする前に、ひとつお願いをしてもよろしいですか?」
「ええ、僕に叶えられることならば」
リシルはひとつ安心したような溜息をついて改めて微笑んだ。
「では、お姉さまはともかく、わたくしに様などとつけるのはお止しくださいませんか?」
「しかし、僕は罪人ですよ?」
「いえ。あなたは罪人ではありません。それともわたくしの判決は不服ですか?」
力なく首を横に振った。
「レインフォート様が《冒険者》に身分の上下は関わりが無いと仰せでした。ですのでわたくしとあなたもそれに従いましょう」
「わかりました。ミアドール殿」
「その呼び方は平等ではありませんわ。だってわたくしはあなたの姓を知りませんもの」
「……わかりました。リシル殿」
リシルはようやく納得したように微笑みながら頷いた。
「それではオルレイウス。あなたの問いにお答えいたしましょう。わたくしはデモニアクス家からミアドール家へと養子に出されました。お姉さまとわたくしの姓が違うのはそのためです。次はわたくしの番ですわね?」
オルは少しだけ驚き、苦笑しながら頷いた。
オルにはリシルが会話を楽しんでいるように見えた。
同年代の異性と話すことが珍しいのか。それとも何かほかの理由があるのかまでは窺い知れない。
「あなたはなぜあのような場所にいらっしゃったの?」
「それはクァルカスに既に説明したように、故国を追放されたからです」
「いいえ。そのようなことを尋ねたいのではないのです。……なんと言葉にすればよいのかしら」
リシルは少しだけ眉間にシワを寄せて考えるそぶりをする。その視線はオルの顔にまっすぐに注がれている。
まつ毛まで銀色。小柄で幼い身体の線はひどく細くて頼りなく見える。おそらく十五には届いていないだろう。
オルが昨夜意識を取り戻した時もなぜか失神していたようだし、彼の『童貞』という性質を口にする際も泣いていた。
泣きたかったのはオルのほうではあったけれども。
とにかく、オルレイウスは、在野法廷で彼の命を救った可憐なリシルという少女に彼女の姉とは真逆に好感を持ち始めていた。
その淡い思いを恋だと言うのは少々穿った意見かもしれないが。
何度か口を開けたり閉じたりしてから、リシルはゆっくりと口を開いた。
「今朝、《スノウ・ハーピー》の羽や爪を拾ってらしたハギルさんの歓声はわたくしの耳にも届いていました」
オルレイウスも頷いた。そして思い出す。
今朝は全員で、オルが斬った《スノウ・ハーピー》の《魔材》の回収に当たったのだ。
ハギルは犬みたいに雪原を駆けまわりながら「マジかよ! 多すぎるだろっ!!」と叫び声をあげていた。
ハギルのオルに対する舌の回転が滑らかになったのは明らかにそれからだった。
思いのほかいい報酬だったことに対する、ハギルなりのサービスのようなものだろうか。
「レインフォート様もサルドーラム様もとても驚いておられたように思います。わたくしも驚きましたわ。おおよそ二百体もの《スノウ・ハーピー》の死体には」
そう、視界不良の吹雪の夜。ふいに始まってしまった戦闘。
《テオ・フラーテル》の誰もが《スノウ・ハーピー》の群れの全容を捉えてはいなかった。
ただひとり《福音》を発動したオルレイウスだけが彼らの状況を見ることができた。彼らの窮地を認識していた。
「改めてお礼を申し上げますわ、オルレイウス。あなたがあの場にいなければ、わたくしの灯した《祈りの炎》のために、わたくしどもは全滅しておりました」
「いえ、お礼には……ん?」
「どうかされまして?」
「リシルがあんな無謀なことを? 吹雪の夜に《ロクトノ平原》で灯りを灯すなんて?」
オルの口調がにわかにぞんざいになったのは仕方がない。
《福音》を発動したオルとて必ず生き残れる保証があったわけではなかったのだ。
しかも、そのあと彼は捕らえられ、あまつさえ彼女の姉には何度か殺されかけているし、これからも殺されかけることは目に見えている。
リシルは軽く腰を曲げた状態で顔を上げて固まっていた。
彼女の灰銀の瞳だけがすいすい泳いでいる。
オルのリシル株は降下している。彼女の瞳が宙を一往復するごとに急落している。
ふと、リシルの瞳が天を見上げて静止する。
ゆっくりと彼女は両手を胸の前で組み合わせるとそのままひとつ、次のように唱えた。
「《天上》にまします神々よ。どうか昨夜の過ちをお許しください」
静かな声に応えるように彼女の身体がふわりと柔らかな光に包まれた。
《祈り》の光。
え、ウソ。とオルレイウスは思った。
この女、自分の失敗を無しにするためだけに祈りやがった、と。
さらには彼女に神々の恩寵は下された。
奇跡の無駄遣い。オルの頭をよぎった言葉はそれだった。
「さて……」
《祈り》のほのかな光が消えるとともに彼女はオルに向かって微笑む。
「話を続けましょうか?」
オルはぽかんと口を開いたまま、その笑顔を眺めた。