4、おや? オルレイウスは全裸だったせいで死刑になるようだぞ。
オルレイウスはまだ覚め切らない頭で改めて現在の状況を考える。
なんだか身体が重い。その上、力が入らない。
《スノウ・ハーピー》の渇きはじめた体液が全身にまとわりついている感覚。
その上から長衣がかけられているために、オルの身体はひどく弱っている。
重ねてぼんやりと、考えたことは。
どうして、自分は鎧の女に殴られたのだったろうか、ということ。
オルには未だ彼の犯した過失の重大性が理解できていなかった。
「答えて貰おう。お前は何者だ?」
繰り返される《戦士》からの問い。
「……単なるグリア人だ。改めて、あなたたちこそ何者なんだ?」
オルの反問に《戦士》はひとつ息を吐いた。
それが安堵によるものであることがオルにもわかった。
「我々のうち四人は《ルエルヴァ共和国》の冒険者ギルドに登録されているパーティー、《テオ・フラーテル》のメンバー。こちらの二人は客人だ」
女性二人を指し示す《戦士》の男の言葉。
オルは横になっている身を起こそうと身体をよじった。
「動くな! 涜神者っ!」
長い銀髪を揺らして鱗鎧をまとった女性が怒鳴る。
少し身を竦ませた。
そして、ようやく己の現状を悟りつつあった。
全裸だったオルの身体は今、上からかけられた長衣により隠されている。
加えて手首と足首に違和感があった。
「安心しな……いや、ご安心をお嬢さま。俺の《縛縄技能》はそこそこ高けえ」
壁際の《工兵》が妙な言葉づかいでそう言った。
なぜか顎をさすっている。
鼻息も荒く、鎧の女は《工兵》を一瞥すると、どっかりとその場に腰を下ろした。
その目はオルに据えられながら、手は転がっていた戦棍をしっかりと握る。
「そこのハギルの言うように、とりあえずお前を縛った。どういう《技能》持ちかは知らないが、下手なことは考えないほうがいい。うちの《魔法使い》がロープに魔法をかけている」
《戦士》がオルレイウスに警告していた。
この場の全員から警戒されていたこと、現在も警戒されていることを、オルは深く自覚した。
思い出されたのは「魔族」や「魔教徒」、そして「涜神者」という暴言。
確かに吹雪の夜に全裸で現れた人間を、ふつうの人とみなすことは難しいかもしれない。
雪原に裸で現れた自分も悪かったのだ、とオルレイウスは考えた。逆に言えば、オルの理解はそこで立ち止まってしまった。
ふいに、ハギルと呼ばれた《工兵》の隣に腰を下ろした《魔法使い》と目が合う。
「大した《魔法》ではないから安心せい。下手すりゃちょっとお前さんの両手首と両足首が吹っ飛ぶだけじゃ」
灰色の鬚を撫でつけながら《魔法使い》が言う。
しかし皮膚に触れる感触は明らかに《魔材》のそれではない。
「《ルエルヴァ共和国》には《魔力》の無い物にも魔法をかける技術がある?」
驚いたオルは思わずそう口にしていた。
その質問に、《魔法使い》の鬚を撫でる手が止まる。
彼の表情に特別変化はないようにオルには見えた。
『ウソだ』
《蛇》は静かにオルレイウスの耳元で囁く。
地面に横になったオルの耳たぶあたりに《蛇》はいた。
『なめられてるのさ、オル。所詮は無知な蛮人だと思われているのさ。さあ、ローブの下から這い出してひと暴れしようじゃないか?』
オルはその言葉を無視した。
オルの質問には答えずに《魔法使い》と《戦士》が会話を始める。
「ふむ。クァル。今の会話からもこやつは《魔族》ではない可能性が高い」
「その根拠は?」
「魔族ならばわしの言葉に大笑いして《呪文》のひとつも唱えたじゃろう」
鎧の女が抗議のまなざしで《魔法使い》を射る。
「レシル嬢。魔族は《魔法》に聡いと言われております。《魔力》の無いものから《魔法》を引き出すことができないことは《魔法》に浸っておる魔族には常識じゃろう」
「しかし、サルドーラム殿! 魔族しか知らない魔法があることも……」
「《魔法》は万能ではありませぬ」
鎧の女の異議の声をサルドーラムと呼ばれた《魔法使い》が静かに切って落とす。
彼女は押し黙った。
「では、ロス聞かせてくれ。こいつは本当に言葉通りに単なるグリア人だと思うか?」
「そりゃ、ねえさ。大将」
《工兵》のハギルが口を挟んだ。
「おい、ハギル。クァルは今わしに」
「ロス、いい。とりあえず言ってみろ。ハギル」
《魔法使い》のロスに睨まれながら、クァルと呼ばれた《戦士》に促されてハギルは喋りだす。
オルにも少しずつ彼らの関係性がつかめ始めていた。
無遠慮そうな小柄の《工兵》がハギル。
鬚の長いしかめ面の《魔法使い》がロス。サルドーラムというのは彼の姓か氏だろう。
そして、ハギルから大将と呼ばれ、ロスからクァルと呼ばれている《戦士》がパーティーリーダー。
レシルという鎧の女性とその横で座ったまま動かない《神官》の少女が、さきほどクァルが言っていた客人。
雰囲気的にふたりは明らかにほかの三人とは異質だ。
クァルはパーティーメンバーは四人だと言っていたから、もうひとりは今姿の見えない《弓兵》だろうか。
「ガキでもわかる、って。こいつは《ルエルヴァ語》を喋ってんだぜ? しかもうまい。グリア出身の《冒険者》なんざ腐るほど眺めてきたが、こいつぐらい流暢に喋るヤツは滅多にいねえ。ついでに、若え。見たとこ十代だ。単なるグリア人ってのはどう考えたっておかしいわ。グリア人なら貴族出だろうよ」
オルレイウスは内心舌を巻く思いだった。
正解、正解に近い。
「ふむ。どう思う。ロス?」
「ま、妥当な線じゃが、親が《共和国》でそれなりの冒険者でもやっとったのかもしれんし、富裕な商人だったのかもしれんじゃろ? わしは前者を推すがね」
「なぜ?」
「ふつう《魔法使い》や《魔法使い》とパーティーを組んだことのある者以外は、《魔法》に何ができて何ができないか把握すらしとらん。近しい者に《魔法》に親しんだ者、《魔法使い》か冒険者がおった証拠じゃろう」
正解、それもまた正解だ。
「しかし、涜神者です!」
戦棍を振りかざしながら立ち上がったレシルが叫んでいた。
さきほど殴られたオルの頭部が痛みに疼いた。
しかし、涜神者という言葉に、頭以上に胸が痛むような気持になる。
「落ち着いてくだされ、レシル嬢。涜神者ではあるが、こやつが何者であるかはっきりさせねば」
「この涜神者こそが、神託にあった者に違いありません!!」
「神託?」
疑問が口を突いて出ていた。
怒りに充血した目でレシルがオルを見る。
「そうだ! 恐れるがいい、涜神者め! 私こそが《デモニアクス》の名にかけてお前を討ち滅ぼす者だ!」
「《デモニアクス》? 《魔族戦争》の勇者の末裔?」
「うるさい! お前ごときが我が姓を口にするな!」
オルレイウスは無茶苦茶だと思ったが、流石にそれを口にしない程度の賢明さはあった。
《デモニアクス》
たしか《魔族戦争》の英雄。《魔族に勝利せし者》という賛美をそのまま名前とした勇者だったはず。
《魔族戦争》については、彼の「オルレイウスとしての」父、ニコラウスに聴かされた多くの詩にあった。
特に《ルエルヴァ叙事詩》は《魔族戦争》について詩われたものだったと記憶している。
「とにかく、デモニアクス殿、今少しお静かに。……こいつが魔族である可能性は? ロス」
「あるじゃろうな。狡知に長けた魔族ならば、わしらの推論を誘導しようとしてもおかしゅうない。じゃが、赤銅色の髪色こそ気にはなるがそれ以外はグリア人に見えなくもないしのう。一度気絶しておるから《幻惑》系統の魔法を使っていたとしても解けておるじゃろうて」
「気絶さえ偽装である可能性は? ハギル」
「まず無いぜ、大将。眼ん球の様子も見たしな。まあ、魔族なんつう化石級の創造物にゃあお目にかかったことねえから、ぜってえとは言い切れねえけどよ」
「ロス、その点は?」
「心配なかろう。わしが知る限り古文書の魔族の頁にそのような生態的特徴は記されておらぬ」
「そうか」
三人がレシルを見た。
「しかし、私とリシルが遣わされたのです! 敵は魔族に決まっています!」
「まあ、その辺の事情をこいつに聞かせてやる必要もないでしょう」
頬を紅潮させながら喚くレシルへ宥めるような微笑みを浮かべたクァルは、再びオルレイウスを見て表情を変えた。
「さて。お前は魔族ではなさそうだが単なるグリア人でもなさそうだ。出身国を言ってもらおうか?」
「出身は言えない。祖国を追放されたから」
「ああ、なるほど。逃亡者というわけか。それで冬の《ロクトノ平原》にそんな装備でいたのか?」
そんな装備。全裸に毛皮のローブだけというのはふつうに考えればおかしいのは当たり前か。
クァルの質問にオルは少し考えてから頷いた。
大まかに間違ってはいない。
「まだわからないことがある。どのようにあれだけの《スノウ・ハーピー》の大群を仕留めた? それとなぜ、吹雪の夜にその……裸で外に?」
「……簡潔に言うのは難しい。だけど、別に言うつもりもない」
「なぜ?」
「僕はただ単にやりたいことをやるために、必要な手段を取っただけだから」
その言葉に耳を澄ませてクァルはオルを観察している。
特にウソをついている様子はないし、喋る気もないのだろう、と。
「こいつの取り扱いについて我々の選択肢を教えてくれないか? ロス」
「死刑の執行です!!」
「デモニアクス殿、わかりましたから。ロス、頼む」
クァルというリーダーが冷静なことにオルは感謝の念を禁じえなかった。
しかし「死刑」とは大げさな、とこの時のオルレイウスにはまだ考える余裕があった。
促されたロスがゆっくりと喋りだす。
「そうさのう。まず、グリア人のそれも追放者とはいえ貴種の血族だと害することは憚れる。次にどこの国の出身かということでわしらの対応は大きく異なる。《グリア諸王国連合》内にはルエルヴァに親しい国も反抗的な国もあるしのう」
「ロっさんよぅ。戦利品扱いにはできねえのか? そうすりゃ、奴隷商に売って一儲けできるだろ?」
ハギルが口を挟んだ。
なぜ自分が戦利品扱いなのか、オルレイウスには理解できない。
少し考えるように間を置いてロスが口を開く。
「ギルドと民会の戦勝獲得品規定には人的資源は含まれぬ。紛争を避けるための措置じゃから、犯すわけにもいかんわい」
「まじかよ。じゃあ、こいつが狩った《スノウ・ハーピー》の羽とか、爪はどうなんだよ?」
「所有権はもちろん、こやつに帰する」
「まじかよ!」
ハギルが片手で頭を乱暴に掻き毟る。
《スノウ・ハーピー》の爪や羽は氷のような色合いだが融けないし劣化しない。
装飾品として大変人気のある《魔材》のひとつだった。
ハギルの様子に呆れたような顔をしてからクァルが改めてロスを見た。
「続きを頼む」
「まず穏当なのはルエルヴァまでの連行じゃな。じゃが遠い。《ロクトノ平原》の奥地まで来ていることじゃし、わしらの物資事情を鑑みるに補給がいるじゃろう」
連行? オルは疑問を差し挟めない。
彼らはなぜか、オルレイウスを敵対者と決めつけている。
情報が足りないのか。そう考えたオルはもう少し異議を唱えるのを堪えることにする。
「ハギル、ここから一番近い町、あるいは村は?」
クァルが苛立ちを隠さないハギルに再び水を向けた。
「……あん? ああ、その辺に寒村もあったと思う。けど、去年の夏はあんま収穫が良くなかったはずだぜ。ちっちぇえ村は渋るはずだ。そんなら、二日かけて国境越えて《ノクトゥム》の町まで行ったほうがいい」
「グリア人を捕えた状態でグリアの町に入るのは抵抗があるな」
クァルが今度はロスを見つめる。
「《ノクトゥム》は確か《グリア諸王国連合》下《ハグワティ伯領》の主要都市じゃったのう。《ハグワティ伯》は反ルエルヴァの《スエビ王国》の有力貴族じゃ。わしらが袋叩きに遭うのは目に見えとるな」
「ふむ。ハギル、ほかに行けそうな町はないか?」
「大将、無茶言うなよ! ルエルヴァとグリアの国境近くだぜ? 寒村めぐりでもするか?」
「ロス、次の案」
「となると……。そうじゃのう。ああ、そう言えばあれがあったわい。《ルエルヴァ国法》に則っての在野法廷」
在野法廷?
今度はどうもそう思ったのはオルだけではなかったらしい。
「ロっさん、なんだよそれ?」
「『ルエルヴァおよび共和国全域とその属領内において行われた重大な神と国法の権威への侵害に対する特別法廷』じゃ。これでもわしは下級法務官に選出されたこともあるのじゃ、ハギル。わかったらもう少しわしを敬って」
「だからさ、なんなんだよ? そりゃ?」
「……本来、罪の裁きや量刑の決定はそれぞれの《民会》での議事と投票・採決による。しかし、明らかな神と国法への背信行為はそれを必要としない上に、異邦人にもそれが適用される。誰も神には逆らいはしないからのう」
「なんだよ、神さんと国法へのなんちゃらっつうのは?」
「背信行為じゃ。幸い《ロクトノ平原》は属領に含まれる。この場合は、『八歳以上の男子および女子の、神と公衆に対する猥らな行為に対する罰則を定めた国法』がそれにあたるじゃろうて。つまり、人間八歳を越えたら裸で外をうろつくな、ということじゃ」
え? オルは耳を疑った。
「んな法律あんのかよ?」
「誰も犯しはせんからのう。ついでに言えば、こんな下らん背信行為、それより先に神罰が下るほうがふつうじゃ。ほれ、春になるとたまに裸の死体が街中で見つかるとかあるじゃろ? あれじゃ、あれ」
「あー、あれか。酔っぱらって追いはぎにでもあってんだと思ってたわ」
彼らの会話を耳にするうちに、オルレイウスもとうとう自分の置かれている状況を正確に理解し始めていた。
オルの全身を嫌な予感が包み込む。
クァルがロスに質問を投げる。
「私も在野法廷が開かれたなんて話はほとんど耳にしたことが無いが、在野法廷には条件が必要じゃなかったか?」
「被告の背信行為を証明する複数の証人。この場合はクァルとハギルとルドニス、そしてレシル嬢じゃ。加えて、開廷を宣し議事を進行する一名以上の法務従事者、もしくは過去に法務官任期を全うしたことのある者。わしじゃな。そして判決を下す神の代理人たる《高位司祭》相当の《神官》が少なくとも一名必要となる」
全員の目がうずくまったまま首だけで天井を仰いで動かない少女へと向かう。
オルの目には、彼女がどうも白目を剥いているように見える。
「条件を満たしているわけか?」
「さよう。《元老院》と《アルヴァナ大神殿》への報告義務は発生するし、のちのち《元老院》から《グリア諸王国連合》へ通告が行くじゃろうが、まあ、そのあたりはなんとでもなるじゃろう」
「この場合、量刑として適当だと思われるのは?」
「死刑じゃな」
間髪入れないロスの返答。
当然だ、と言わんばかりのレシルが勝ち誇った顔でオルレイウスを見ている。
『可哀そうなオル。出しゃばりのオルレイウス。助けたヤツらに捕まって。縛り首になりました』
《蛇》は相変わらず嘲るような調子で、オルレイウスの耳元で歌っていた。