3、おや? 主人公のオルレイウスは転生者のようだぞ。
オルレイウスはもの凄くいい夢を見ていた。
彼の父ニコラウスが詩う神々を賛美する頌歌や英雄たちが活躍する叙事詩の数々。
彼を猫可愛がりする母イルマの筋骨隆々の逞しい腕。
赤ん坊の時分は母に殺されるんじゃないかと彼はよく思っていたようだ。
小さな街の大きくはない邸宅。
広くはない庭を母に追い回されて、存分に駆け回る子供の彼はやっぱり裸だった。
年老いた従僕のガイウスはそれを眺めてよく天を仰いでいた。
そんな時のガイウスの口癖は「貞節と純潔の女神よ、お目こぼしを!」だった。
――そう、彼は生まれ変わったのだ。
どんな比喩でもなく間違いでもなく別世界へと転生した。
《天上》と《大地》、そして《深潭》からなるこの世界に。
経験によって培われるみっつの技術があるこの世界。
《魔法》、《祈り》、《技能》というみっつの概念がある異世界に。
ひとつめ、《魔法》は《夜の女神トリニティス》の領分にして、《魔力》を使用して未知から既知を産み出す技術だと言われる。
伝説によれば原初それは《魔法》という名ではなかった。
一般に言われる《原初魔法》――《無名》は神々が《魔力》を込めて小さな呟きを口にするだけで、天を焦がす火柱が上がり、島のごとき氷塊が出現したという。
やがて《神代戦争》――《神々の争い》が勃発した。
《無名》の威力は凄まじく、ふたつに別れた神々が率いる両陣営と《天上》と《大地》に深い傷を残した。
地の底にあって唯一被害を免れた《深潭》さえも死者で埋め尽くされ、溢れ返った死者が《大地》を闊歩する事態となる。
ここにおいて《すべての母》《最古の女神》《死者を慈愛で包む》――《冥府の女王ディース》は、《天上》に用意された玉座を下りた。
《技能神》《天上の主宰者》《盾と鎧の処女》《貞節の支援者》《機知神》――《純潔神アルヴァナ》へと《天上》を譲り、《冥府の女王ディース》は死んだ子供たちを慰め、死者たちを率いて《深潭》へと下ったのだ。
残された《天上》の神々は、母神の言葉通り《純潔神アルヴァナ》を玉座へと据えて、あまりに強大な《無名》に規制を加えることとした。
《狩り手の栄誉を称える》《万物を育み癒す》《理知神》――《陽神アプィレスス》が最初の詩を創ったことにより、神々は《無名》の力を制御することに成功した。
《陽神アプィレスス》を讃える言葉に《天上の詩い手》が加わるのはこれ以降のことだ。
《陽神アプィレスス》はこの栄誉を自らのものにすることを潔しとせずに自らの双子の姉神である、《狩り手を守護する》《万物に帳を下す》《未知神》――《夜の女神トリニティス》へと捧げた。
こうして《無名》は形式上喪われ、《魔法》が《夜の女神トリニティス》の管理下に入ったのである、と言われる。
だが、この《夜の女神トリニティス》が厄介この上ない存在だった、と伝えられている。
四柱の知識神のうち『《未知》を喜ぶ』この女神は単純な詩――《呪文》にすぐ飽きてしまうのだ、と。
具体的には既出の《呪文》は次第に僅かながら《魔法》の効力が薄れていく。
また、直接的な表現をこの女神は何よりも嫌うと言われている。
だからなのか炎熱系魔法も込められた《魔力》の量に関わらず、直接『火』などの言葉を使用した瞬間に効果が激減してしまう。
その為に人間の《魔法使い》に修辞技法は必須科目となり、長い歴史の間にあらゆる《魔法》の《呪文》はどんどん長大になり続けている。
ふたつめ、《祈り》は《魔法》とは少々事情が異なる。
《祈り》はそれぞれが崇める神に有声無声に関わらず祈りを捧げるだけでいい。
癒しを望むならば《陽神アプィレスス》に。
堅固な護りを望むならば《万物の守護者》である《純潔神アルヴァナ》に祈ればいい。
しかし、これが効果を顕すことは決してすべての信仰者に平等で頻繁とはいかない。
当然すべての神々はそれぞれにたくさんの信仰者を抱えている。
ゆえに《祈り》が必ず聞き届けられるとは限らない。
それでもなおただ神を崇め仰ぎ、奉り続ける者だけに神は祝福を下すと言われている。
特に比較的大規模な恩寵の成功率の高い人間は《高位神官》などと呼ばれる。
一般に《高位神官》や《高位司祭》、加えて《神官》とは異なるが《異教司祭》などは《魔力》を信仰へと導いているのだと考えられている。
彼ら《神官》と呼ばれる人々の信奉する神々は《陽神アプィレスス》、《夜の女神トリニティス》、《冥府の女王ディース》の三柱と、特に《純潔神アルヴァナ》に限られる。
もちろん、ほかの神々にも《神殿》があり《神官》がいる。
しかしながら、神の意向かそれぞれの宗派の偏向か、四柱以外の《司祭》や《神官》がそれぞれの《神殿》から出ることは少ない。
単純に聖職者に付随するイメージと四柱の神々の恩寵の相性が良く、それら四つ柱の《神官》の絶対数が多いという理由もあるようだ。
だから、単に《神官》と呼ぶ場合は、四柱のどれかの信仰者だと考えていいらしい。
〈神々に仕えるという神官の始まりはおおよそなんの変哲もない原野や山野に始まったに違いない。そもそも祈りという神聖にして侵すべからざる行為は彼らにとっては場所を選ぶものではないのだから。野生の獣たち、あるいは魔物でさえもそれを呆れながら見守ったことだろう。なんと、酔狂な獲物がいることか、と〉(ルエルヴァ年代記第二巻三章六)
ともあるように、彼らの《祈り》は全年代またあらゆる地域で神聖視されて来た。
しかし、それもまた理由なきものではない。
どんな時、たとえ戦闘中にも平常心で《祈り》を捧げることができなければ一人前の《神官》とは言えないらしい。
彼らが積む経験とは、敬虔に他ならず、換言すれば己が崇める神からの信頼というわけだ。
稀に複数の神から恩寵を下される《神官》もいるが、本当に稀有なことだ。
そのような者は神々に愛されている、と言ってもいいだろう。
他方、実在する神々の配慮や関心にも関わらず、平民で《神官》を志す人間の割合は少ないという。
お堅い、神によっては禁欲的、清貧であるべき《神官》よりももっと魅力的に見える職業がこの世界にはある。
一獲千金の《冒険者》。
そして何より彼ら《冒険者》に必要とされるものこそが《技能》の獲得だ。
みっつめ、《技能》。戦闘職とあらゆる種類の生産職に必須の技術であり、多数の求道者を悩ませてきたものでもある。
《技能》は血と肉と骨を労することによって獲得できる後天的な技術で、主に《ふつうの技能》、《よくみる技能》、《あんまりみない技能》、《ふつうじゃない技能》、《きしょうな技能》に大別される。
《技能》とは言っても実質は称号に近いもので、「お前は○○ということが出来ます=《技能》を持っています」というだけの話にすぎない。
そういう意味でも《魔法》や《祈り》と《技能》とは大きく異なっている。
《技能》には発動という過程が欠如している。
特定の《技能》を取得する直前と直後にも大きな差はないのだ。
それこそ「身につける」ことがそのまま《技能》になる。
加えて《技能》内での階級差というものはいわば広汎性の問題にすぎない。
つまり、《ふつうの技能》と《きしょうな技能》の差は、その《技能》を保持している人間が多いか少ないかだけの問題なのだ。
ただ、もちろん戦闘系・生産系に限らず、上位の《技能》と下位の《技能》を保持する両者には大きな差がある。
同系統の《上位技能》と《下位技能》にはそれこそ天と地ほどの開きがあるらしい。
《剣師》保持者とそのひとつ下の《技能》《剣の達人》の一般的な保持者の、剣士としての実力には大きな隔絶があるという。
個々の《技能》の名前とはその道における優劣を示す称号であるとも言える。
なぜ、そんなほぼ称号にすぎない《技能》に人が悩む必要があるのかといえば、《神殿》での《礼拝》やおのおのの《結社》での《儀式》で正確に経験値を《鑑定》できてしまうからだ。
だいたいの人間が最初に受ける《鑑定》は《洗礼》である。
この世界の最上神《純潔神アルヴァナ》の神殿はそこら中にある。
だから大概の人間はそこで《洗礼》を受けることになるのだが、《純潔神アルヴァナ》に加えてもう一柱の神がそこに関わって来る。
《旅人の護り手》《疾風の》《既知神》――《義侠の神ヴォルカリウス》だ。
神々の伝令であり、四柱の知識神のうちの《既知神》でもあるこの神は、基本的に一度この世界にあらわれたものについてはすべて知っている。
特に、《技能》の名をすべて記憶に留めている。
《礼拝》や《洗礼》の場合、聖油で身体を洗うことによって《技能》の有無がこの《義侠神ヴォルカリウス》の名のもとに知らされる。
《儀式》の場合、身体の一部、髪や爪なんかを《魔法使い》の窯に投げ入れると、《魔力》の状態と《技能》の有無が知らされる。
つまり、自分の努力の結果が見えてしまう。
頑張って修行をした結果、経験値がちっとも伸びていなかったなんてことも多々あるようだ。
それはこれまでの努力が否定されてしまうということ。それも神の名のもとに。
さらには《義侠神ヴォルカリウス》は別に人間たちを導くわけではない。
正しい道を探すのはどうやら彼にとっては人間の仕事、ということになっている。
ゆえに答えと結果の出ない道を断念して、次の答えのない道へと迷い込む者も多い。
《ヴォルカリウス》は才能の多寡までは教えてくれない。
ついでに言うと《旅人の護り手》なので、《義侠神ヴォルカリウス》はなんだかんだ《冒険者》には慕われている神だと言う。
そうだ、もうひとつ忘れてはならないものがある。
夢の中でオルレイウスはそう考える。
経験によらない能力が一種あった、と。
《神々の福音》と呼ばれるもの。
《神々の福音》とは、《天上》や《大地》、そして《深潭》に実在する神々から産まれながらに与えられる言わば先天的なユニーク・スキルだ。
その能力は多岐に渡るらしい。
しかし一時代に同じ《福音持ち》は現れないという。
また、この《福音持ち》が非常に稀少だ。
同時期に世界中で五人いれば多いぐらいだと言われる。
そして、彼はその《福音持ち》のひとりだ。
しかしながら、彼に《福音》を預けた神の名を彼自身知らない。
彼がニコラウスから聴いたどのような頌歌にも譚詩曲にも叙事詩にも登場しなかったのだ。
十三年前、自分が転生する時に出遭ったあの、神を名乗った者はいったい何者だったのか?
夢の中の彼の疑問に答える者は今のところいない。
突如、反響する音の爆裂が寝ぼけた彼の耳を襲う。
《スノウ・ハーピー》の鳴き声など目じゃない。
薄く目蓋を開くと、小さなオレンジ色の炎が踊っていた。
その向こう側に何人かの人間がいる。
ぐわんぐわんと揺れる意識の中、彼は目を凝らした。
《戦士》に、《魔法使い》に、《工兵》か?
どこかで見たことがあるような。
僅かに首を傾げると、さらにひとりの女性が眼に映る。
フラッシュバック。
振りかぶられる戦棍。
彼の目の奥で散る火花。
《騎士》あるいは《僧侶》の女性。
急に目が覚めた。
状況を確認する。
『お、お目覚めか?』
嘲るような《蛇》の声。
目覚めの気分は最悪だ。
しかし、同時にほっとしていた。
自分が彼らを護れたことに、オルレイウスは心の底から安堵していた。
ふいに《戦士》の男と目が合う。
そして、男は口を開いた。
「さて、お前は何者だ?」
と。