2、クァルカス・カイト・レインフォート――ある《戦士》の憂鬱
「おい、ロっさん! さぼってんなよ! ちゃんと雪積め!」
《盗賊》のハギルの野次に、《魔法使い》のロスが恨めしそうな顔をする。
私とロスは今、ハギルの指図に従って洞穴の入口を雪で固めていた。
もうひとりのメンバーの《狩人》ルドニスは新しい獲物を狩りに行く為に弓に弦を張り直している。
「ひでぇ臭いだな、しかしよぉ!」
洞穴の内側で火の番をしているハギルが、臭気を放っているらしい燻製肉を火にくべた。
若干の臭気を含んだ煙がこちらへと流れてくる。
天井付近や奥の方のどこかに通風孔があるらしくささやかな風が通りぬけていた。
「こいつもダメだ!」
そう言って、燻製肉の臭いを嗅いでいたハギルが最後の一きれを小さな火に放った。
《スノウ・ハーピー》に携行食の全てが汚されてしまっていた。《ハルピュイアイ》は始末が悪い。
どのような理由でヤツらが、糧食を汚していくのかは謎だが。
その魔鳥たちは去ったが外にはまだ雪がちらついている。
できるだけ灯りは漏らさないほうがいい、そんなハギルの提案で私とロスは半地下の洞穴の入口を雪で固める作業に勤しんでいるわけだ。
基本的に旅の間は《盗賊》であるハギルの提言は重い。
が、今夜のハギルの言葉には毒がある。特にロスに対しては。
「んだよ、汚ねえヒゲ面こっち向けてねえで、やることやれよ」
「ハギル、いいか? わしはこれでも《冒険者民会》でもそれなりに敬われる立場にあるのだ。その気になればお前の暴言を次の民会で議題にのぼらせ……」
「ルディ、ロっさん朝飯いらねえって!」
「聴けっ、若造! ルドニス、わしは食べる!」
《狩人》ルドニスはいつものように無言のまま頷くと、半ば固められた洞穴の入口から私とロスの間をすり抜けて月が輝く雪野へと身を躍らせて消えた。
ルドニスを見送り洞穴の内側を振り返る。
高いとは言えない天井。
長身のルドニスが少し腰を屈めねばならない程度。しかし、奥行きはある。
奥行きのある洞穴の半ばほどに焚かれた小さな火。
ハギルを含めた三人の影と、焚火の向こう側に横たわった死体のようなもうひとつの影が壁面に頼りなく浮かんでいた。
「ルドニスが戻るまではこのぐらいでいいだろ? それに、火を使っているのに完全にふさぐわけにはいかない」
私の言葉にハギルは大儀そうに頷いた。
私は念のため天幕の残骸のボロ布で簡単に入口に帳を下ろす。
作業を終えて振り返ると、遠慮がちに火にあたる《神官》とぶすっとした顔の《騎士》を、舌うちしながらチラリと窺ったハギルが、腰をさすっているロスを睨みつけるところだった。
「ロっさんのせいで散々じゃねえか。なあ、大将」
「ハギル、もういいじゃ」
「いいや、言わせてもらうぜ、今度という今度は。……いいか? 俺は言ったよな、ロっさん。そしてお嬢さんがた。吹雪の夜には蝋燭灯すな、ってよ」
言いながらハギルは立ち上がってロスを睨み、続いて焚火にあたる二人の女性を見下ろした。
ハギルの怒りには正当性がある。
確かにハギルは口を酸っぱくして、そう何度も注意していたのだ。
だがそれを無視して《神官》のリシル・グレンバルト・デモニアクス・ミアドールと、《騎士》のレシル・モリーナ・シュバリエ・デモニアクス、女性二人は灯りを灯した。
二人の失策は、今回二人をパーティーに迎え入れながらしっかりと監督しなかったロスの責任だとも言えた。
しかし、ハギルの皮肉は慣れない者には鋭利すぎる。
《神官》のリシルの顔は炎に照らされているのに蒼褪めているし、《騎士》のレシルの顔は炎に照らされている以上に赤く怒気をはらんでいる。
「おい、ロっさん。俺たち全員おっ死ぬとこだったんだぜ! ままごとのせいで!」
二人の様子には一向構わず、大仰に両腕を広げるハギル。
洞穴の壁面に小柄なハギルの大きな影が踊る。
揺れる影がそのままその怒りの大きさを物語っているようだ。
ただでさえ几帳面な性格のハギルだが、仲間のミスには余計に過敏だ。こうなるとしつこい。
「ああ、わかっておるわい。……リシル嬢、レシル嬢。うちの若い者の非礼をお許しください。まあ、しかしこやつの言うことも一理ありましてな……」
老獪さを滲ませながら肩をすくめて火にあたりに行くロスを眺めながら、私は思わず額に手を当てた。
ハギルは自分の話を流されるのを最も嫌う。
これは長くなるかもしれない。
「おいロっさん、ちゃんと聞けよ! ここは《ロクトノ平原》だぞ! 《共和国》の北の属領の中でも辺境中の辺境、魔物の領域なんだぜ?!」
「だからわかっておるというに」
「おいおい、ロス・サルドーラムさんよ! わかってねえから言ってんだよ! ちっちゃな忠告も聞けないような常識知らずのお嬢ちゃんらのお守なんて俺は一言も聴いてねえぞ!」
ハギルの皮肉に弾かれたように《騎士》のレシル・モリーナ・シュバリエ・デモニアクスが立ち上がる。
その震える手には七枚の鉄の大きな羽を先端部に生やした戦棍が握られていた。
私は慌ててハギルを庇うように駆け寄った。
「ハギル! デモニアクス殿も抑えてください。内訌は冒険者の一番の敵です」
「しかし、レインフォート殿! この平民は騎士たる私を侮辱しました!」
戦棍を勢いよく突き出してハギルを指す《騎士》。
戦闘や旅の経験の不足はともかく彼女の練度は本物のそれ。
さきほどの《スノウ・ハーピー》との戦闘でも彼女は彼女の妹に傷ひとつ負わさせなかった。
つまりこの状況はいささか危険だ。
「私が代わって謝罪します。しかし、よろしいですか? もう一度言いますが身分の差は旅の間はお忘れください。このハギルは私の知る限り最も優秀な《工兵》です」
「大将! 《盗賊》だろ!」
「ハギル、お前は黙っとれ。嘴を突っ込まんでクァルに任しとけばいい」
やれやれ、とでもいうようにロスが怒れるハギルに油を注ぐ。
頭を抱えたくなる。
「おいおいおい、ロス・レギウス・サルドーラム!! 《魔法使い》さまよぉ!! 俺はアンタの点けた冴えない魔法のことも言ってんだぜ? あれのせいで魔鳥どもがわんさか集まってきやがったじゃねえか!!」
「お前っ……この若造! わしの魔法を捕まえて冴えないじゃと?!」
「おぅ、悪かった。訂正するわ。……しょっぼい魔法の間違いだったよ!」
「そこに直れ、ハギル! わしの魔法がぬるいかどうか、お前の身をもって味わうがいい!」
「やってみやがれ!!」
年甲斐もなく猛るロスをハギルが煽る。
レシルの足許で震え出すリシル。
「サルドーラム殿! そこの無礼な平民の命、私の戦棍が貰います!」
ハギルを相も変わらず戦棍で指し示しながらレシルが《騎士》の矜持を示そうとする。
とうとうリシルがぐずり出した。
いつもどおりのロスとハギルの小競り合いに異物が混じりこんで厄介なことになっている。
これはまずい。
「総員、静粛に!!」
私の大喝が洞穴を満たす。
うお、とハギルの口が動き、ロスがしかめた鬚面をさらに渋面へと変え、レシルは苦痛に顔をゆがめ、リシルは膝を抱えたまま天井を仰ぐ。
ひとつ深呼吸をした。
私自身も自分の声で頭が痛くなるがほかの四人はその比ではなかったようだ。
皆、武器を取り落して頭を押さえている。
座ったままのリシルでさえ泣き止んでいるように見える。
「まず、ロスとハギル。ふたりは私がいいと言うまで黙れ」
パーティーの頭目らしく、私は頭を抱えるふたりに命じた。
このパーティー《テオ・フラーテル》では、諍いが起こった場合の私の命令は絶対、ということになっている。
不文律というやつだ。
と言っても無口なルドニスが誰かと揉めることはまずないから、ハギルとロスに関する場合のみの暗黙の了解だ。
ハギルは側頭部を軽く叩きながら、無言で頷く。
ロスは眉間にしわを寄せて、ふん、と鼻を鳴らした。
そのまま二人は無言で睨み合いを続ける。
どちらも子供のまま身体だけデカくなったようなヤツらだ。
世話が焼ける。
「次にレシル・モリーナ・シュバリエ・デモニアクス殿。……聞こえますか?」
両手で頭を押さえているレシルは焦点の合ってなさそうな瞳で私の顔を見るとゆっくりと頷いた。
彼女はロスやハギルと違って私の大声にあまり耐性が無い。
しかし、どうやら聴力は戻って来ているようだ。
「私の仲間の無礼は改めて私が謝罪しましょう。しかしながら、ハギルの判断は我々の生命線です。また彼は、私とサルドーラム殿が認める熟達した《盗賊》です。そうだな? ロス・レギウス・サルドーラム殿?」
有無を言わせないように少しだけ声を張った私の脅迫にロスは渋い顔のまま頷いた。
ニヤつくハギルに一瞥をくれながらレシルに向き直る。
子供には怒鳴って言い聞かせればいいが、分別のある大人はなかなかそうはいかない。
レシル・モリーナ・シュバリエ・デモニアクスには、冒険者としての分別が足りていないようではあるが、矜持だけはこの中で最大だろう。
丁寧に説得する必要があった。
貴族の論理は街の内側では通っても一歩外に出れば意味など無い。
今回も、ハギルの提言を彼女が無視したのは、貧民区出身の平民に対する蔑みからだろう。
貴族でありながら《魔法》狂いのロスとも私とも、彼女は違うのだ。
「彼は口こそ悪いが一流の冒険者です。私もサルドーラム殿もその実力を信頼し、彼の判断と提言に命を預けているのです。ですから貴女にもハギルには仲間に対する最低限の敬意を払っていただきたい。ハギル!」
私が睨むと途端にふて腐れたような顔になるハギル。
甘く見ていた、と思い知らされる気分だ。
レシルの矜持の高さも甘く見ていたが、同時にハギルの傍若無人さも甘く見ていた。
ハギルは、ロスや私のような貴族的ではない貴族に慣れ切ってしまっている。
ロスはともかく、特に私などは自分でも「貴族だ」などとは思っていないのだから仕方がない部分はあるけれども。
「《テオ・フラーテル》のメンバーにはいいが、客人には丁寧な態度と言葉遣いで接しろ」
「だけどよ、大将!」
素早くハギルの顎を掴んだ。
「私はまだ舌を動かしていいとは言ってない。ハギル、客人には敬意を払え、ってのはお前の崇める《義侠神ヴォルカリウス》の教えじゃなかったか?」
「だけどよぉ、」
「返事は?」
そのままの格好で詰め寄ると、ハギルもまた渋々と言った具合で頷いた。
私は彼の顔を解放してレシルへ厳しい視線を向けた。
「デモニアクス殿もまた、私の仲間とその言葉を尊重して頂けますな?」
レシル・モリーナ・シュバリエ・デモニアクスも不満げに、それでもゆっくりと頷いた。
念のため《神官》のリシル・グレンバルト・デモニアクス・ミアドールにも同じことを約束してもらおうと考えて彼女に目を向ける。
膝を抱えたままの格好で動かないので、近寄って天井を仰いでいるその顔を覗き込む。
失神しているようだ。
……まあこの際、彼女のことはあとでも構わない。
いささか不安は残るが、本題はここからだ。
私は気がついていた。
そいつも私を見ていた。
洞穴のどんづまり。
焚火のさらに奥に天幕の残骸のロープで両手両足を縛って転がしておいた、もうひとりの厄介者。
全裸の男だ。
我々がこの半ば地中に埋もれた洞穴を見つけることができたのもハギルが彼の足跡だと思われる痕跡を辿ったからだ。
足跡だと思われる。
そう、素直に足跡とは言い難い。
雪原に尾を引く飛翔の形跡。
時折雪原に現れる雪野を凹ませるクレーター。どうやら着地跡のようだった。
その周囲に散らばった夥しい数の《スノウ・ハーピー》の亡骸。
今は彼の裸体を覆っている毛皮の長衣も、それと共に捨てられていた杖もハギルが拾って来た物だ。
それらの《ヴォルカリウスの瞳》での鑑定結果は『けもののかわ』と『きのぼう』という、なんとも言えないものだった。
使い込んだ《ヴォルカリウスの瞳》の精度はとてつもなく低くなる。
彼が我々と接触した際に唯一所持していた青銅の剣は洞穴の入口に立てかけられている。
それに対する鑑定結果は『せいどうのかたまり』。間違ってはいない。
しかし、こちらのやる気をとことん削いでくる。
ダメ元で気絶していた全裸の男も鑑定してみたのだが。
「さて、お前は何者だ?」
私の言葉に失神しているリシル以外の全員の瞳が彼を射る。
そう、鑑定結果『女性経験0回:童貞』の男を。