23、おや? オルレイウスはパンツを穿くようだぞ。
まず、頭痛。
次に、吐き気。
さらには、全身が重く、血管に溶かした鉛でも流し込まれたかのような。
硬い床の感触を後頭部と背中に感じつつ、オルレイウスはまぶたを開いて揺れる世界を直視する。
妙齢のいかにもお堅い、エプロンを外したロングスカートの濃緑のメイド服に身を包んだ女が立ったままオルの姿を見下ろしていた。
「オルレイウス、困りますね……」
「……また、倒れていましたか?」
「ええ、それはもう盛大に。当代が購入した初めての奴隷、しかもかの《優良者》クァルカス・カイト・レインフォート様の徒弟ともあろう者がそのようなことではいかがなものでしょうか?」
寝ているのに身体が回っているような感覚。
まるでアトラクションのコーヒーカップを全力で回し続けたあとみたいだ、とオルは思った。
「あなたはなぜ、毎回そう頻繁に倒れるのですか? なにやらとても強い怪物をレインフォート様と共に倒したと私は聴いておりましたが?」
「……デモニアクス家とわが師の名を汚さぬように努力します」
「自助努力は当然です。それ以上のことを私は望みます」
「え?」
「聞けば、オルレイウス、あなたは早くも冒険者ギルドに登録したそうですね?」
「……ええ」
「では、デモニアクス家の初代当主様が《冒険者》の成立に骨を折られたことは存じていますね?」
「……なんとなくは」
「ならば、デモニアクスゆかりの者として果たすべき義務は承知していますね?」
「……わかりません」
デモニアクス家の家政婦長、ロジーナ・ゲイナモルトはふしゅー、と鼻から太い息を噴いた。
「《最上位冒険者》に名を刻むことです」
「……でも、ロジーナ家政婦長? 僕はまだ《見習い》で」
「あなたはいつ、《最上位冒険者》になるつもりですか?」
「ですから、僕はまだ冒険者としての門戸を叩いたばかりで」
「では、《見習い》の上の《初級》にはいつ昇級するのですか?」
「……ロスの話では、ひと月ごとに査定があって、規定の難度の依頼数をこなしていれば」
「では、あなたは最短半年で《最上位冒険者》になれるわけですね?」
「え? いや……ええっ?」
面食らうオルをしり目にロジーナは宣言する。
「まずは次の査定とやらで確実に《初級》に昇級なさい。でなければ、当代にお願い申し上げ直々に折檻して頂きます」
当代、つまりデモニアクス家の現当主。それはレシル・モリーナ・シュバリエ・デモニアクスのことを指す。
オルの意識が遠のいた。
……さて、現在のオルレイウスの状況について解説が必要と思われる。
《エンヘン・ディナ》の《魔材》の所有権を放棄したオルは、ふつうにレシルの奴隷になっていた。
それだけならば、オルレイウスとてこんなに苦労はしていない。
問題はその際にレシルが出した条件だった。
「服を着ろ」
レシルはルエルヴァ市内の第三区とやらにある豪邸の前でオルにそう告げた。
その言葉を言われたのは《テオ・フラーテル》の皆と別れたあと。
その場にはオルとレシルと、久々に実家に寄るというリシルしかいなかった。
「お姉さま? それはどのような」
「リシルは少し黙っていなさい」
姉妹の間にそんな会話が交わされている間、オルは眼前の光景に仰天していた。
城柵のように巡らされた細く背の高い鉄柵。その柵門の両側は赤いレンガを積み重ねて建てられた門柱。
柵の向こう側、広い芝生を横切る石畳の通路の先に見えるのは、故国の城よりも低いが幅のあるほぼ直方体の三階建ての洋館。
窓の数が部屋の数だと仮定すれば三十部屋は固い。さらには奥行きがある。
前世にもこれほどの豪邸はそうなかったんじゃないだろうか? と。
「聴いているのか?! 奴隷!」
「あ、ああ。……服を着ろ、という話でしたね? 僕は既にこの一張羅を身につけていますが?」
「お前、その下には何を着ている?」
「……特に、なにも」
レシルの白い肌がみるみる真っ赤に茹で上がっていく。真っ赤というよりは、もう赤黒い。
オルも察した、これは羞恥などではなく憤怒が理由だ、と。
「……いいか? 変質者……お前のような者を当家の奴隷とすることは、私の矜持に関わることだ……」
「…………僕だって、イヤだ……」
「ああんっ?!」
「……なんでもありません。ご、ご主人様」
「いいか。……しかしながらレインフォート殿の要請だ。デモニアクス家当主として契約は守らねばならない。加えて、お前は《優良者》レインフォート殿の徒弟になったのだろうが? ……ならばそれなりの格好をせねば、レインフォート殿の恥となると骨に刻み込め!」
「しかし」
「口ごたえは許さん!!」
レシルの憤怒を目の当たりにしておろおろしていたリシルが、意を決したような顔で敢然と口を開いた。
「お姉さま! オルレイウスにもどうやら事情」
「リシル? 何です?」
「が…………なんでもありませんわ」
リシルの勇気はしょぼかった。
「……まずは下着、続いてシャツ、ズボンに靴下、もちろん靴も! ベストと……タイも身につけろ! そうでなければ、貴様にこの屋敷の門はくぐらせない!」
「ばかな……っ!」
オルは絶句した。
いったい、今いくつ装備を重ねろと言った? 七つ? 今はひとつだけでも、こんな感じなのに?!
「なにを馬鹿なことがあるものか! 当たり前だ!!」
「……っ!」
オルは衝撃を受けていた。
常識外れだと思っていたレシルから、諭されてしまった。……そう、間違いなく非常識なのはオルの格好と《福音》だったのだ。
「ま、待ってください。……そんなにも身に着けたら僕、死んでしまう……」
「お前、なにを言っている?」
きょとん顔。レシルにきょとん顔されたことにオルはさらに衝撃を受けた。
実際そうだ。自分はいったいなにを言っているんだ? オルとてそう考えざるをえない。
いや、違う。この《福音》のことをレシルに説明すれば、きっとわかってくれる。
オルは気を取り直して、口を開いた。
「実は、僕は《福音持ち》なのです。……その《福音》が」
「おい、ふざけるな!」
「ふ、ふざけてなんかいません! 聴いてください。僕が与えられた《福音》は服を身に重ねるたびに弱くなり、衰弱してしまうという」
「いい加減にしろ! お前のような破廉恥漢が《福音持ち》であるわけがないし、そんな《福音》があってたまるか!」
オルは再度絶句した。
同時に思ったことは、ただでさえ会話ができないレシルに《天真爛漫》の実在を証明することは不可能に近い、ということ。
「お、お姉さま? ……よろしいでしょうか?」
「リシル。耳に障るような話を聞かせて悪かったわ。……とりあえず、あなたは先に屋敷に」
「オルレイウスが言っていることはほんとうのことだと思いますわ……」
「は?」
今度はレシルが絶句する番だった。
リシルは続ける。
「考えてもみてください。なぜ、オルレイウスは最初の晩、あのような格好だったのでしょう? それなのに彼は二百体もの《スノウ・ハーピー》を撃破しましたわ。さらには、お姉さまも言ってらしたように思いますけど、お姉さまがオルレイウスを闇討……手合わせされたときにはそれほどの実力ではなかったと仰せでしたわ」
「待ちなさい、リシル? ……今、私がこの涜神者を闇討ちした、と言いかけませんでしたか?」
「とにかく! よろしいかしら、お姉さま。……オルレイウスは《妖鳥王》を討ったときも……そのぅ……なんというか……」
「全裸?」
「そのような装いだったと聞いております! ですから、オルレイウスの言うことには整合性があると……」
赤面しながら尻すぼみになっていくリシルの言葉。
しかしながら、レシルという超大型台風の風向きがどうも変わったらしい。
「……ふぅむ。リシルが言うことには確かに一理があるように……」
「レシル、僕は」
「ご主人様だ! 糞野郎!」
「ご、ご主人様。……僕はこの《福音》のせいで赤ん坊のときに一度死にかけています。成長してからは、ローブを着ても死ぬほどではありませんが、七つもの衣服を重ねればきっと死んでしまいます」
その言葉に考え込むレシル。
「……はなはだ不本意ではあるが、お前の死はレインフォート殿の評価の低下に直結する恐れがある。……それさえなければ、変質者の一人や二人、死んでしまえばいいとさえ考えているのだが……」
なるほど。オルはまたひとつ理解していた。
レシルの頭の中に基本的人権という観念は存在しない、と。
加えて、彼女はリシルの言葉と、オルの師匠になった《優良者》クァルカスを非常に尊重しているのだ、と。
長考していたレシルがやっと口を開いた。
「パンツだ」
「え?」
「最低でもパンツを穿け」
「いえ、しかし……」
「でなければ、《エンヘン・ディナ》の《魔材》の所有権を主張して、私から己が身を買い戻して消えろ」
それは、できない。
オルにとって《妖鳥王》《エンヘン・ディナ》は好敵手であり、決闘の勝利者だ。
敗北者であるオルが彼の遺体を自由にすることなど、あってはならない。
「……選べ。パンツを穿いて我が家の門をくぐるか、《妖鳥王》の討伐者として名乗り上げて去るか……ふたつにひとつだ」
「……………………」
――そして、オルレイウスはパンツを穿くことにした。




