94、おや? オルレイウスと探索の報酬のようだぞ。
「いいか、オル?」
《ダンの酒場》を出るなり、ハギルはオルレイウスの鼻先に人さし指を突き付けた。
「俺ぁ、これからてめえの仲間を捕まえに行く。だがな、そこの狂犬がこれから連れて来るヤツにまで噛みつくようじゃあ、先は暗え」
ハギルの親指の指し示した方向では、両手両足と頭を、リズとルドニスとアマリアにそれぞれ抱えられたルーシーが運び出されるところだった。
ルーシーの板金の胸甲には、きれいに並んだ左右の足跡が刻まれていて、彼女自身は白目を剥いている。
ルーシーがハギルに暴言を浴びせ挑発し続けた結果、「ドチビ」「ガキみてえなナリ」という言葉がハギルの癇に障ったらしい。
ハギルは彼女に背面方向両足蹴を見舞い、ルーシーは酒場を横断するはめになった。
オルは、なおも追撃を加えようとするハギルの腰にしがみ着きながら、彼の背丈については触れないことを心に誓った。
そのハギルが三本の指を立ててオルに示す。
「てめえも急ぎてえところだろうが、とりあえずこれだけ寄越せ。三日だ。その間に俺ぁ、もうちっとまともなヤツを見つけて来る」
オルが頷くとハギルも、よし、と頷き返し、次のように続けた。
「それまでに、そいつらがてめえの言うことを聞くように仕込め」
「三日で、ですか?」
「そうだ」
オルは無理だと思ったが、まだ少し苛立っている様子のハギルには、オルの言い分を聞く余裕はないようだった。
「聴け、兄弟。《冒険者》にゃあ辛抱と協力が不可欠だ。こいつらはどっちもなってねえ。このまんまじゃ、旅に出る前から終えだ」
「それは、わかりますが」
「そこんところは俺も多少なり責めを負わにゃあいけねえだろう。なんせ、俺がこいつらの前にてめえを連れて来たんだからな」
だが、とハギルは付言する。
「てめえが《妖獣種》の王の討伐者だっつって名乗りを上げてりゃあ、もうちょいましな依頼が受けれたはずだ。……忘れてねえだろうな?」
ハギルの言は間違いのないことだと言えるだろう。
オルがそうしていれば、彼はそもそも奴隷ではなかっただろうし、待遇ももう少し良かったはずだ。
今回の依頼だって断ることができたはずだし、《中級》どころか《上級》や《上位》ぐらいから《冒険者》として歩み始められたかもしれない。
自分のわがままだと、オルも自覚していた。
加えて、これが自分の現状なのだとも。
クァルカスの徒弟、そして、ハギルの人脈を使っても、まともに仲間が揃わない。
それでもオルは後悔を口にする気にはなれなかった。
沈黙するオルを見て、ハギルはにししと笑った。
「意地を通してみせろや。……あと、もろもろやるこたぁ、アマリアか、大将に聞け。……いいだろ、アマリア?」
ハギルの問いかけに、ルーシーの頭を支えていたアマリアが頷いた。
「もともと、この子たちが旅に出るまで補助をしようと、休暇を取」
「よろしく、頼む。……オル、躾けが済むまでそいつらから離れるなよ?」
「……なんとかします」
「じゃあ、三日後の昼に《ギルド》の前で落ち合うぞ」
そう言うとハギルはルドニスを手招きして、オルに背を向けるとルドニスともども雑踏の中へと溶け込んでいった――
「……ど、どこへ行くつもり?」
荷物の両手を持ったリズの問いに、荷物の頭を支えているアマリアが、なぜか驚いたというような表情を見せた。
《ダンの酒場》から一番近い船着場で舟を一艘借りて、ルーシーを運び込んでいるときだった。
甲冑姿のリズが舟に足を降ろした途端、舟が大きく傾き、喫水線が持ち上がった。
船着場では個人所有の舟ではなく、船頭つきの小舟が待機していて客を乗せる。
運賃は、同じ区内ならば距離に関わらず五ウォル――ディース黄銅貨一枚ほどがふつうらしい。
白目を剥いているリズを運ぶのも骨だったが、へたに起こしても面倒だろうというアマリアの提案によって舟を借りることになったのだ。
運賃をアマリアが出してくれたのはオルにとっては幸いだった。
ちなみに周囲からの視線が痛いほどなのは、気絶した女性を舟に載せているからだけではなく、おそらく甲冑姿のリズのせいでもあったろう。
船頭も彼らを胡散臭げな眼差しで見ていたが、今ではその視線はアマリアの胸あたりで落ち着いている。
「僕としては、一度、師の邸宅か《冒険者ギルド》の資料館へ足を運びたいところです」
「な、なんで?」
続けてリズから問われて、オルはなぜか驚き続けているアマリアを窺った。
「アマリアさんは、資料がほとんど残されていない、と言っていましたけれど、僕も実際にそれらを確認しておくべきでしょうし、師のクァルカスやそのまた師のロスなら十六年前を知っているはずでしょう?」
「ええ、……いえ、その前にオルレイウス? あなたは奴隷だというお話でしたね?」
リズを見て呆けていたアマリアは、気づいたとでもいうようにオルへと視線を戻す。
オルは少し不思議に思いながらも頷き返した。
「《アブノバ鉱山》への探索に出るとなれば、余裕を持って半年は見ておく必要があるでしょう。主家の勤めはいいの?」
「主人からは、師の指示に従う限り、奉公は気にしなくてもいいと言われていますから」
「ずいぶん、いいご主人ね。……《優良者》の徒弟とあれば、それも当然なのかしら?」
オルは主人の顔を思い浮かべて、首を少し横に振った。
「主人のことよりも、《アブノバ鉱山》とは、どのあたりに位置するものなのでしょうか?」
「ア、《アブノバ鉱山》は、《ロクトノ平原》の南西に位置するんだ。かつては、《魔族》の最前線を支える砦があったけれど、《魔族戦争》の終期に放棄されて、攻め壊されて、初代デモニアクスが探索に入るまではそのままだった」
オルの質問にどもりながら答えるリズに、アマリアがさらに驚愕に目を見開いた。
それに気づかないまま、リズは続ける。
「も、もともと、《魔族》にとっても有数の鉱脈だったみたいだけれど、デモニアクスが探索したところ鉱脈は尽きていなかったんだ。だから、《共和国》は水道を引いて掘削を続けることにしたんだ」
「水道を引いているのですか?」
「そ、そうなんだ!」
リズの籠った声がにわかに高くなる。
「鉱山の山頂付近に貯水池を作って、掘った坑道に流し入れるんだ! そうすると、大量の水流で山が崩れるだろう? そこから鉱石を採取するんだよ!」
「なるほど。坑道を維持したまま採掘するよりも、崩落の危険が少なそうですね?」
「きょ、《共和国》の知恵だよね! でも、《魔族》は採掘に奴隷だけじゃなくて、《魔法使い》も投入していたらしいんだ! スゴいよね、《共和国》の現状ではそんな人的余裕はとても無いよ!」
興奮したように喋り続けるリズに、開いた口が塞がらないでいたアマリアの唇がやっと動きを取り戻した。
「り、リズ? リザル・クローラル? あなた、ほんとうにリズ? 誰かほかの者がその甲冑を」
「お師匠、それは無いよ。僕が甲冑を脱ぐわけがないじゃない?」
「でも、リズ? あなたが私や子どもたち以外と、まともに話をしているところなんて」
「だって」
そう言うと、リザル・クローラルはオルを指し示す。
「この子、怖くないんだもん」
「怖くない……?」
なにを言っているんだろう、このポンコツ。
と、オルレイウスは思った。
「背も大きくないし、荒っぽくもないし、威厳や迫力もまったく無いし。……ちっとも《冒険者》らしくない」
今度はアマリアだけでなく、オルも開いた口が塞がらなかった。
むしろ、よく今まで《冒険者》をやってこれたものだと、感心したぐらいだ。
「お、オルくん。……あ、オルくんって呼んでもいいよね?」
「いいですけれど?」
リザルは兜の奥の眼を輝かす。
「お、オルくんは、あの《優良者》の徒弟なんだよね? あの、大きくてものスゴく強いクァルカス・カイト・レインフォートの? 仲間を誰も死なせたことのない、レインフォート卿の?」
「そうですけれど?」
握り拳をふたつ作り、リザルはオルの前世で言うところのガッツポーズをする。
やったよ、お爺さま。そう呟いた彼(?)は息せき切って、オルの手を握った。
「ぼ、僕のこと、守ってくれるよね?!」
オルは船上から空を仰いだ。
……お前の甲冑と盾は、なんのためにあるんだ。
オルはそう言いたかったが、言わなかった。
「……リズの言うことは、聞かなかったことにしてください」
「ちょ、ちょっと、お師匠?」
少ししてから、我に返ったアマリアがぽつりと話し始めた。
オルはそれに応じる。
「一般的に、《冒険者》が奴隷の場合、報酬は主家へ支払われます。……取り分など、そのあたりの話は済んでいますか?」
「そういえば」
「それに、依頼書の原本はおそらく主家にあるはずです」
「原本、ですか?」
「あなたの持っていたものには、報酬額の記載も、《冒険者ギルド》の印もありませんでしたから、写しでしょう」
どおりで、封もなにもされていなかったわけだ。
「かなり優しそうなご主人のようですし、心配することはないでしょうが、依頼を受けるには原本が必よ」
「アマリアさん、リザルさん。申し訳ありませんが第三区までお付き合い頂けますか?」
「ええ。問題ありませんけれど……?」
「さ、さんとかは、要らないよ?」
頷くふたり。
――しかし、とてつもなくイヤな予感が、オルの全身を包み込んでいた。
「遅かったですね、オルレイウス。あなた宛てに当家に届けられた依頼書については、すでに当代様から印を頂き、側用人が提出に向かいました」
「――はぁっ?!」
そう、声を上げたのはオルではなく、第三区のデモニアクス家まで付き添ってくれたアマリアだった。
さきほどまで、「デモニアクス家?! スゴいね、オルくん!」と興奮していたリザルは、沈黙していた。
ちなみにリザルの背中には、まだ白目を剥いたままのルーシーが背負われている。
家政婦長室に通されるまでは、アマリアもリザルもなにも警戒していなかっただけに、驚きはひとしおのようだった。
あまりにアマリアが驚くものだから、家政婦長のロジーナ・ゲイナモルトは眉をひそめる。
「ラングバル様、と仰いましたか? なにか問題がおありですか?」
「お待ちください、ゲイナモルトさん。……本人の承諾もなく、依頼書を提出してしまったのですか?」
「ええ、それが当代の要望でしたから」
それが当然だと言わんばかりのロジーナ。
そして、彼女はオルを見る。
「さて、オルレイウス。では、あなたがさきほど質問した金銭の話に移りましょう。……まず、あなたが依頼によって当家を離れている期間を、二か月と仮定します。あなたの日当がディース黄銅貨一枚。あなたが探索に出ている間の賃金はもちろんのこと支給致しません。それは同時に、当家から日当黄銅貨一枚ぶんの働き手が二か月間失われる、つまり黄銅貨六十枚ぶんの労働が失われることでもあります。損害と言い換えてもいいでしょう。あなたが与える損害ぶん、報酬から天引きさせて頂きます」
「待って、待ってください、ゲイナモルトさん!」
今や呆気にとられたという表情を見せるアマリア。
「なんでしょうか、ラングバル様? これは当家の」
「まず、日当が黄銅貨一枚? 五ウォル? 安すぎませんか?」
「オルレイウスの働きぶりを見れば、ご理解頂けますでしょう」
そう、オルの給金はいろいろとやらかしたせいでだんだんと低下していた。
オルとしてはぐぅの音も出なかったが、アマリアは、あり得ない、と呟いている。
「それに、働けないぶんの日当を天引きなんて……」
「これは当代にお許しを得て、私が決定致しました」
「あなたは、この子に恨みでも?」
ロジーナのこめかみに青筋が立った。
オルとしては、もうレシルとロジーナだからしょうがないと思っている。
だが、アマリアは追及をやめなかった。
「なによりも、二か月? それは、なんですか?」
「オルレイウスが探索に費やす、最長の期間ですが?」
「最長? ……まさかとは思いますが、ゲイナモルトさん? 依頼書の提出時に、期間誓約書も提出してはいないでしょう?」
ロージナ家政婦長は怪訝そうに眉をひそめ、首を傾げた。
「提出しない理由がございますでしょうか?」
「……は……」
天井を仰いだアマリアはそのまま仰向けに倒れる。
それを後ろに控えていたリズが肩で支えた。
まったく気にも留めていない様子でロジーナは話を進行する。
「成功報酬は《ルエルヴァ共和国》が運営する鉱山ということもあり、トリン大金貨四枚とアピー小金貨一枚となっています。つまり、おおよそ八千五百ウォル――あなたの、年収の約五年ぶんとなるでしょうか? おそらく、《冒険者ギルド》が手数料を引いていてもそれだけの支払いです」
なるほど、とオルは考える。
それを、オルのパーティーメンバー――最大数で七名――で割るから、最低でもオルの取り分は、千二百ウォルほどになるはずだ。
いや、そこから黄銅貨六十枚――三百ウォル――を天引きされるのだから、九百ウォルか、とオルは即座に算盤を弾いた。
「そこから当家は、報酬全体の一割を徴収します」
「え?」
「アピー小金貨一枚と、ヘイズ銀貨三枚、そして、マティル青銅貨二枚――しめて八百五十ウォルです」
つまり、オルの取り分は……。
「ちなみに、失敗した場合は手付金のみの支払いと明記されておりました。手付金は二割――小金貨三枚と銀貨二枚ですが、その場合も、当家はやはりあなたの欠勤ぶんと手付金の一割を徴収致します」
赤字だ。つまり、失敗した場合、オルの借金はさらに膨れ上がる。
――成功は絶対条件。
成功したとしても、オルの手許に残る額面は五十ウォル――マティル青銅貨二枚ほど。
さらには、その期間はたった二か月。
《ロクトノ平原》からこの《ルエルヴァ》に来るまで、馬車でひと月近くかからなかっただろうか?
いったい、どこに、アークリーとコルネリアとアウルスを捜索する暇があるだろう――
オルは口から魂が抜けるような気がした。
「なぜ、二か月なのでしょうか……?」
「オルレイウス、あなたは一度目の査定でふたつも飛び級をしたと聞きました」
「ええ、しかし、それは」
「期待以上です。優秀な《冒険者》の倍以上の速度だと聞き及びます」
別段、表情を変えずにロジーナは言う。
「また、《アブノバ鉱山》の探索に要する期間は、通常四月あまりだと聞いております。倍する速度で進級したあなたならば、半分の時間で探索を終えられると、私は確信しております」
――なにを言っているのだろう、ロジーナは。
オルの頭は真っ白だった。
「……ところで、オルレイウス」
椅子の上で伸ばされた背筋をさらに正して、ロジーナ・ゲイナモルトは少し迷うような素振りで口を開いた。
「先日の、小包は……やはり、あなた宛の物だったのですか?」
「……はい……」
「そうですか……」
刹那、ロジーナの頬に珍しく興奮したような赤味が差したことに、放心しているオルレイウスは気がつかなかった。




