ある風刺詩人の見解
〈――《全裸》とは、すなわち、全身全霊なり。
心身合一の帰結にして、我が神兵の、至上の装い。
さあ、進むがいい、我が血を受けしものどもよ。
爛れる灼熱を、凍てつく凍土を、果て無く並ぶ剣の海を、その身に刻んで越えるがいい。
無防備をこそ最硬の鎧へ変じ。
拳をこそ最上の槍とせよ。
己が、肚の雄叫びとともに邁進せよ。
そなたらに暑気に萎える脚はない。
寒さに縮む腕はない。
刃に血を流すとも、爪牙に肉を刻まれるとも、心の赴くままにゆけ。
惰弱の糸に肌を許すことなどなきように。
怯懦を心に鎧うことすらなきように。
己が身ひとつ、心ひとつで、踏み越えよ。
いさおしを盾のゆえと言わせるな。
首級を鎧のゆえと囀らせるな。
すべて、それらは貴様ゆえの、戦果なのだ! ――
――巨神狂詩曲より抜粋――〉
〈その放漫にして、なぜか胸をうつ音律と肩を並べる、不可思議なこの詩。《神代戦争》を題にとった詩曲は数あれど、この詩ほど異彩を放つものはない。なぜならば、神々の敵を賞揚する内容もさることながら、詩人が神罰によってその命を散らしているからだ。……かの詩人に、わずかばかりの理性があれば、当然知れた帰結だろうに!〉
――散文詩人 ラトメテュスのグリエルムス――