現実の戦国時代とかで女性当主が少ない理由について一考察
ヒロインをファンタジーとか歴史モノとかで活躍させたいなぁと思っているのだが、いろいろと難しい側面が出てきて、中々に筆が進まないので、なんでなんだろうかと理由を描いてみました。
男性と女性には、性差が存在する。これは、事実だったりする。家を維持するという観点と、血族を確保するという命題を達成する場合にこの性差は、致命的な条件を生じてしまう。男性の場合は、複数の女性と性的な関係を結ぶことで、同時期に子供を成すことができる。女性の場合は、男性と同様に複数の男性と性的な関係を結ぶことは可能であるが、同時期に成すことができる子供は、一人である。これは、性差であって、差別というわけではないと判断している。
また、女性が子供を成せる年齢に達する時期と、男性が子供を成せる年齢になる時期についても性差があり、生きている間に成せる子供の最大数についても性差が存在する。マリア・テレジアのような状況があったとしても、例外と言えるのではないかと判断している。さらに言えば、子供を身ごもってしまった場合、戦場にでることが可能かどうかと言えば、神功皇后のような伝説があったとしても、一つの例外として捉えるべきだと判断している。
女性を当主とする場合は、家を守るという論理条件からすると、リスクが高いものであったように思われる。特に、南北朝から戦国期にかけて、家を守るという点を命題とすると、どうしても必要な対応として判断する必要がある。
だからといって、女性の地位が低かったとするのは、早計である。当主夫人や次期当主の母としての地位は、かなりの影響力があったと判断できる。つまりは、当主の地位を確保することや、戦場に行く当主の後方支援や、当主の継承については、大きな発言権があったとしても不思議ではない。ただ、表に出難い事柄であり、記録に残りにくかったということも事実であったように判断できる。
今回のコラム?や、女性兵士についての一考察を描いてみたのは、個人的に強い女性が好きで描きたいのに、中々に難しい理由付けだったりします。確かに、気にせずに描くこともエンターティメントとしてありでしょうが、個人的には難しかったりします。
魔力や気、種族能力を使うことで、戦闘は、どうにかなるかなぁと思ってはみたものの、医学的な性差という壁があったりします。今回は、当主という立場と、性差について考察してみました。