港街ナケシ 上
島を出て、クロムたちがナケシの港に着いた頃には、既に空では月がぼんやりと光っていた。
ナケシの街は、この辺りでは一、二を争う大きな街で、そこらじゅうの店先や宿屋などに数々の灯りが灯されていて夜でもかなり明るくなっている。
それは、クロムにはまるで昼間の様に感じられた。
さすがに夜も遅くなったので、二人は宿屋に泊まることにした。
安くても旨い食事の後、「んじゃ明日」とだけバルに言われ、個室のドアが閉じられる。
宿屋の部屋は小さく、ベッドや机、椅子といった家具もごく質素なものだったが、クロムは久々にのびのびとした気分で休むことが出来た。 船の中で捕まったまま眠ったり、逃げ隠れしながら毛布にくるまったりするのは、出来れば今後もやりたくない。
旅に出て一番の快眠から目を覚まして朝食と身支度を済ませ、バルと宿屋を出る。
すっきりと晴れた空の下、港街は朝から活気に満ちていて、クロムにはそこに居るだけで元気をもらっている様に感じられた。
「おいクロム、今さっき立て替えた宿代、早く返せよ」
宿を出てすぐ、バルから催促が来た。そういえば舟でも、行動は一緒でも金は別だと言っていた。
「ああ、ちょっと待っ……」
しかし、クロムは大切なことを一つ、忘れていた。
(あれ……?
そう言えばおれ、お金なんか持ってたっけ……?)
結局、その日クロムは配達の手伝いをすることになった。
“先立つものは金”と言う言葉が、身に染みて分かった気がした。
「うはあ、やっと休憩か……疲れた……」
大陸有数との呼び声高い港街はさすがに広く、午前中街のあちこちに貨物を運んで回ったクロムは軽くくたびれていた。
これで昼飯でも食えと貰った前金を手に、クロムは酒場に向かった。酒を飲むのではなく、食事と情報収集の為だ。
この地方では酒場は飯屋でもあり、人と情報が行き交う場でもあるのだ。
テーブルについて料理を注文した後、何か面白い話でも無いかと喧騒に耳を傾ける。クロムは、大陸の事情や街などは殆ど知らないので、次の目的地を決めたりする為にも、情報が欲しかった。
突然、一枚のチップがクロムの足元に転がってきた。
チップは賭けに使われるもので、真面目に働いていたクロムには複雑な思いがあったが、とりあえず追いかけてきた男に返す。
「どうぞ……って、バル!」
「どうも……?ああ、お前か」
「お前か、じゃないよ!人が頑張っているときに何やってんだ!」
「まあ落ち着けよ。今ツイてるから、その金をオレに渡せば数倍にしてから宿代だけ引いて返すぜ」
「ボロ負けしてしまえ!!」
さっさと昼飯をかき込み、店を出た。
(人が働いている時に……)
やり場のない怒りが込み上げてくる。
午後の仕事はやはり体力を使ったが、怒りを発散するつもりで頑張っていたクロムにはさしたるものではなかった。
おかげで予定よりも大分早く終わり、雇い主にもとても喜ばれた。ついでに、報酬に色もつけてもらえた。
仕事は終わったが、宿に帰るにはまだまだ早い時間だったので、少し街を見て回ることにした。
肉屋に魚屋といった食料品を扱う店に、染料屋や服屋などの店もあれば、武器屋に道具屋と、旅人向けの店まで、店の種類は様々だ。
布屋を見つけた時、クロムは頭に巻き布をして仕事に励む作業員の人たちを思い出した。
男らしさが出ていて格好良かったのを覚えている。
クロムは店に入り、緑色のバンダナを買って帰った。
少し強くなった気がして、何となく嬉しかった。
(おかしい……)
夜に差し掛かった街を歩いていて、クロムには一つ気がかりなことがあった。
バルが見当たらないのだ。
酒場に宿屋、賭場なんかでも探したり聞いたりしたのだが、満足な情報は得られなかった。
「帽子に頬傷の兄ちゃん?見ねぇな。ま、野郎なんだろ?放っておいて大丈夫だろ」 また空振りだ。このおっさんの言う通り、今日は放っといた方が良いかもしれない。
その日は宿屋に帰って眠った。
翌朝になって、昼近くになってもバルはさっぱり現れない。
もしかしたら逃げたのかもしれない。
聞き込みをしながら、そう思えてきた頃だ。
「その男なら知ってますよ……間違いない。何なら、会わせましょうか」
大通りから少し入って、路地が狭くなってきたところで、そんな返事が帰ってきた。
相手は体格は普通だが、どこか怪しい雰囲気のおっさんだった。
しかし、ありがたい申し出だったので喜んで応じた。
通りを出て、さらに路地裏深くに入っていく。連なる建物の陰になっているのか、昼間だというのに薄暗い。
こんなところでバルは何をやっているんだろうか。
先導のおっさんに軽い気持ちで聞いてみたら、
「彼は捕まっています。ああ、衛兵にではなく、人買いに、ですよ」
と、さらっと大変なことを返されて驚いた。
それが本当なら早く助けるか何かしないといけない。おっさん、そういうことはさらっと言うなよ。
「まあ良いじゃないですか、これから会えるんですから。もっとも、売れてから先のことは私の知ったことではありませんが」
クロムが何かおかしいと感じたのは、おっさんがそう言って、懐から短い棍を出した時だった。
人買いのおっさんが、棍を振るう。
しかし、クロムは気付くまでは遅かったが、気付いてからの行動は早かった。
素早く間合いを離して棍をかわすと、迷わず逃げ出した。
入り組んだ路地を、右に左に無茶苦茶に走り、頃合いを見て振り返る。
追っ手は以外にも素早く、距離はあったが、撒くには少し難しかった。
せめて大通りに出れば逃げやすくなるかもしれないと思い、角を曲がる。
だが、クロムのこの目論見は失敗した。角を曲がった先は行き止まりになっていたのだ。
(げ……どうする!?)
引き返す余裕は無く、ここでやり過ごす必要があった。 三方の塀は、越えるには高すぎたし、登るには足掛かりが少なすぎた。
(と、なると……後は隠れるしかないか?)
丁度、人間が一人ぐらいなら何とか入れそうな木箱と、生ゴミを棄てるらしい大きなバケツがあった。
一瞬見て、さすがにゴミバケツは嫌だな、と思ったので木箱に隠れることにした。
中身が詰まってないことを祈りながら、ふたを開けて確認をする暇もなく中へ飛び込んだ。
人買いが角を曲がり、行き止まりに入った。 追っていた少年の姿はなかったが、人買いはここに少年が来ているはずだと考えていた。 追っている僅かな時間で分かったが、あの少年は馬鹿正直に目の前の全ての角を曲がっていた。
これまでに十字路や丁字路は通らなかったので、とても分かり安かった。
この考えでいくと、少年はここにぶち当たる。
「さてさて・・・」
塀を越えたか、そこのバケツでゴミのふりをしているのか。
(あるいはあの木箱ですかね。いや、そこまで安直な選択肢はさすがに・・・)
ないだろう。
と、思った時のことだった。
木箱が派手な音をたてて内側から破られ、追っていた少年が地面に投げ出されたのは。