シンデレラの場合。
シンデレラは王子様と結婚し、幸せに暮らしましたとさ。
◇
突然成功し、有名になった女性をシンデレラガールと言うらしい。そういった意味では、私は間違いなくシンデレラガールだ。だって、手元の雑誌には私の全身写真と「シンデレラガール!!」というダサい煽り文句がばっちり載っている。
「ガールって歳でもないけどねぇ」
ぐいっとペットボトルの水を飲んで、ため息。
齢、三十一。この歳までグラビア稼業を続けるとは、私自身、思ってなかった。ぴちぴち二十代のころは鳴かず飛ばずだったのに、今更シンデレラガールなんて、苦笑しか出ない。
まぁ、通帳が潤うことは素直に嬉しいけどね。
「はい、休憩終わりで。次いきまーす」
カメラマンの男の子が、甘い声で指示を出す。私は立ち上がり、カメラへ向かった。
今身につけているのは、引きずるほど裾の長い白ワンピース。その裾が水に濡れることも厭わず、プールの水面に足を浸す。指示を受け、微かに斜め上に顎をあげる。そして見下すようにカメラ目線。笑顔を作る前に、シャッターのきられる音が続いた。
今回のコンセプトは、「堕ちそうな天使サマ」なんだって。だからこんな、ずるずるの白ワンピ。
シンデレラの次は天使サマだなんて、笑っちゃうよね。三十一歳だよ、私。さんじゅういっさい。
そんないい歳した私が、なんでこんな仕事をしているかっていうと、本当にただの偶然というか、流れに身を任せた結果というか。
本当はそんな態度で続けられる甘っちょろい仕事じゃない。自分が一番輝いているという自信を持った若い娘なんて、世の中掃いて捨てるほどいっぱいいて、事務所にどんどん入ってくる。下からの追い上げは結構キツイ。
しかし、私は事務所の社長さんに気に入られるという幸運を持っていた。別に、枕って意味じゃあない。
若いきゃいきゃいした会話より、ちょっと齧った程度の教養が好きだった社長さんは、大卒の私とのお酒がお気に召したらしい。まるで実の娘のように、私を可愛がってくれた。
そのまま社長さんに甘え、売れない仕事をずるずる続けてとうとう三十路を越えた。そしてこれで最後にするかーって決めて最近出した、慰め写真集が、出版不況の中、なんと馬鹿売れ。
二冊目を出したいと、恩のある社長さんに頼まれたら、私は頷くしかない。
そんなワケで、私は今、天使サマになっている。
「おっけー、ミユリさん。次、横になってください。耳栓あります?」
「ありまぁす」
事前にバッチリ付けているからノープロブレム。プールに身体を横たえる。寝転んで、耳に水が入るか入らないかというくらいの浅さだから、ワンピースの胸部分は濡れない。わざと手で掬った水を胸元に散らし、一部分だけ濡らした。足をもぞもぞさせると、裾が足に張り付いたり、水でふわりと広がったり。長い黒髪もゆらゆらと広がる。ウィッグだけど。
微かに口を開けて、カメラを睨むと、シャッターが切られた。
「いいですね!そのまま。綺麗ですよー! あ、睨んだまま、笑顔、お願いしまーす! 顎引いて」
バシャバシャと容赦無く、シャッターの雨。
睨んだまま笑顔なんて、天使サマも難儀なことだ。
撮影が終わって、カメラマンの男の子に「お疲れ様ぁ」って笑顔を向ける。天使サマタイムは終わり。彼の目に映るのは、もう既に、ただの疲れた顔の女だ。
裾の長いワンピースは水を吸うと、薄いわりに重い。裾、絞っちゃおうかなって一瞬思ったけど、服に無駄な皺を付けて怒られるのは勘弁だ。せめてと裾を摘まんで持ち上げるだけにとどめる。引きずったまま歩いたら転びそうだもの。
「お疲れ様でした! ……ミユリさん、ありがとうございました」
「はい?」
チャラい容姿の割に真面目だと評判のカメラマンだが、撮影終わりにお礼を言われたのは初めてだ。
何かしたかしら、私。殊更いい写真が撮れたとか?
口達者な彼にはこれまた珍しく、口ごもって、視線を泳がせた。しばし待って出てきた言葉は、噛みしめるような告白だった。
「実は僕、カメラマンの前はデザイナー目指してたんです。だから、今のミユリさんの写真、撮るのすごくやり甲斐感じてて! 楽しくて……ありがとうございます!」
この若い男の子は際どい肌見せ写真より、濡れた白ワンピと、それが透けて見える黒ビキニがお好みか。
それにしても、やり甲斐に、楽しさ。……この仕事してて、そんなもの、私、感じたことあるかね。
「良かった! 私も今、すごく楽しいの!」
両手を広げるような笑顔で彼に同意した。
美しい笑顔はシンデレラガールの商売道具。
二弾目の写真集はそこそこの売り上げでありますように。
◇
グラビアアイドルであるミユリが何故、元デザイナー志望の男の子を満足させる仕事をしているのか。それは例の馬鹿売れ写真集の影響である。
美容院で優雅に雑誌を広げた私は、とある特集記事に「おおう」と変な声を出してしまった。後ろで私の濡れた髪を解していた美容師がそれに反応し、「あ!」と高い声をあげる。
「その人、知ってます? 今話題のグラビアさんなんですよー! 女性誌に載ってるなんて珍しいでしょー?」
ええ、知っています。つーか本人です。……なぁんて流石に言えない。
初めて当たった新人美容師は、雑誌の中身と目の前の三十路女がイコールだなんて思いもしないようだ。まぁね、メイクも違うしね。光飛ばして、シワとかシミとか完全カバーされてるからね、このシンデレラガール。ちなみに設定年齢は二十六歳。
「私もこの前、友達が持ってるの見せてもらったんですけどぉ、全然エロくないんです! 色っぽいっていうか、嫌なエロって感じじゃなくて、すごく演出が綺麗なんですよー!」
買ってはくれなかったのかぁと内心ちょっとだけがっかりしたが、それは顔に出さず「ふぅん」と相槌をうつ。
ページをめくり、シンデレラガールを視界から追いやった。職業柄、自分の写真なんて見飽きてる。
しかしこの美容師はそれに気づかないようだ。髪を梳くことに集中して、口が動くままに喋り続けている。
「いま女の子にすっごく人気なんですよ! 女子中高生の中で特に話題なんですって〜。あ、もちろん十八禁じゃないんです。年齢制限あったかなぁ? 十五くらい?」
「世も末ねぇ」
グラビアアイドルが、若い女の子に人気なんて。
私のその呟きは、理解のないおばさんの苦笑と取られたようで、美容師は無邪気にからからと笑った。
そう、グラビアアイドルであるはずのミユリのラスト(予定だった)写真集は、なんとほとんど肌を露出していない。
社長さんの「せっかく最後だからいつもと違うことをしよう」という思いつきで作られた、女性向け写真集なのである。
設定としては、ミステリアスな女子高生がちょっとエロい格好をする、といった大雑把なもの。そのため撮影舞台は、ほとんど学校の教室や廊下のセットだ。
この歳で、セーラー服を着るとはなぁと呆れたのは、今でもはっきり覚えている。
ノーブラノーパン(に見えるように撮影された)ものであるが、際どく胸元や内腿を晒した写真はあっても、ポロリチラリは一切無し。
絡みも、顔を隠した女の子(もちろん同じく学生設定でセーラー服姿)と抱き合うか、写真の端にちらりと男の腕や足が見えるだけ……というお上品さ。
唯一服を身につけず撮った写真は、赤い西日の入る教室で、カーテンに隠れた裸体が透けて見える、というものだ。
つまり、変わり種ではあるが、演出重視の健全寄り。まるで普通のアイドルの写真集。
それがネットで話題となり、若い女性と一部の男性の人気を勝ち取って、売れに売れた。
それゆえの第二弾なので、次の写真集も演出重視、雰囲気重視なのである。
元デザイナー志望の男の子が喜ぶのも、天使サマが水に浸かるのも道理だ、というわけ。
本当にもう、世も末って感じよね。
◇
軽くなった髪をなびかせ、気分良く帰宅した。あまり髪を伸ばすのは好きじゃない。身軽に生きていたいよね、やっぱり。
しかし、そんな良い気分はすぐに終わった。アパートの階段を上っている途中で、ケータイが鳴った。画面に表示された名前を見て、舌を出す。
「はぁい、もしもし」と応えだが、相手はしばらく無言だった。感じ悪っ。いつものことだけど。
「なに、どうかしたの。おかーさん」
「写真集、見たわ」
「あ、買ってくれたの? どうだった?」
そんなに変なものじゃなかったでしょ? と笑ってみせる。しかし母親は吐き出すように「みっともない」と詰ってきた。
「あんた、いくつよ。いつまであんなことやるつもり? セーラー服なんて恥ずかしくないの!? あんな……あんな……」
身売りじゃない!! といつもの一言を泣き喚き、捨て台詞よろしく電話が切られた。
「枕はやってませんよぉー」
途切れた電話に、届かないとは知りつつ、言い訳した。
母は、私の仕事を見るたびに、毎回電話で泣き喚く。
グラビアなんて、わざわざそういうところを探さないと、一般の主婦の目には入らないだろうが、いちいち律儀に探しては、文句を言う。一体どんな情熱だ。
今回は女性誌に載ったせいだろう、電話が早かった。
「ミユリだよ、私。どーせ」
こんな電話一つに凹むほどの繊細さは、とうにどこかへ捨て去っている。
突然お腹がぐうとなり、コンビニに寄らなかったことを後悔した。
◇
三十一歳。そろそろ身の振り方を考えなきゃいけない歳だ。というか大分遅すぎるくらい。このままグラビアを続けられる歳じゃない。
否、続けるほどの情熱を持っていない。
私のところの事務所にはいないが、世の中、私より高齢のグラビアはいる。けれど、私はこの先もこの仕事を頑張る自分を想像できない。
「せんぱい」
控室で撮影待ちをしていると、後輩のひとりが「おはようございます」と扉をくぐってきた。唯一、私とウマの合うグラビア仲間だ。
「髪、ずいぶん切ったんですね」
「うん。でも大丈夫。エクステはぎりぎり付けられる長さ」
お似合いです、と呟いて、後輩は隣のイスに座った。
「今日、撮影だったの」
「はい」
後輩は顎をひいて頷いた。
この後輩は、アイドルに珍しくあまり愛想はよくない。
礼儀作法は徹底しているため、同業者との直接のやっかみやトラブルをことごとくすり抜けているので、ウマが合う、というより、誰も味方にも敵にもしないタイプかもしれない。
「せんぱい」
しかし、私はもしかしたら後輩の味方ポジションについているのでは、と思う事がある。
こうやって積極的に話しかけてくるとことか。
「今日の撮影も、天使ですか」
「そう、今日も、白ワンピ」
「でも前着ていたやつと、ちがいますね」
「だんだん布地が少なくなってく仕様」
「私は、普通にビキニです」
「あはは、そう。それがいいよ。健全だ」
「健全? グラビアで?」
ふふ、と後輩が笑った。今日は随分おしゃべりで、しかも笑顔まで見せるときた。
なんて珍しい、と私は一瞬目を見張った。
「ま、男側から見て、健全ってことで」
「男もいろいろ大変ですね」
その含むような言い方に、私は目線で言葉の続きを促した。
「先日、彼氏にグラビアやってることがばれまして」
「あら」
「振られました」
「あらら」
「ばれた理由が、彼氏が長年愛用してたエロ雑誌」
そこで私はたまらず吹きだした。ひきつけを起こしたように体をまるめる。
そんな私を見て、後輩はなんとも満足げだった。
「あはっ、は、それ、付き合う前に、気づけって話よね」
「極めつけが、振られた時のセリフです。『恋人に言えない仕事をやってるなんて人間、信用出来ないな』」
しばらくして笑いの波が治まってから、二人顔を見合わせた。
「男って難儀ねぇ」
「まったくです」
あーあ、と私は伸びをして、天井を見上げた。薄汚れたライトの明かりで、眼がちかちかする。
「じゃあ、次の人、また探すの?」
目を瞬きさせながら、後輩に問う。
あらためて隣を見ると、後輩は「そうですねぇ……」と首を傾げていた。
「男の人は、もういいです」
「まだ若いのに、そんなこと言っちゃって」
「若いからです」
ぽろりと零れるような一言。しかし、はっとして後輩は「すみません」と眉を下げた。
私は苦笑して、肩をすくめる。謝られても、ねぇ。
「まあ、別れたばっかじゃ、そう思うのも分るけどね。また新しい男と付き合っても、その先も仕事続けようと思ったらめんどくさいことになりそう」
「その先。結婚ですか」
「まあ、それもそうね」
「考えたことないです」
やけにきっぱりと告げられたその意思は、直感で嘘だと分かった。かすかに強張った声と表情がわかりやすい。
◇
結婚を考えたことのない女なんて、存在しないだろう。もちろん、女に限らず男だって。
ある程度の歳になったら、ふと考えるものだ。
するか、しないか。したいか、したくないか。
私がこの三十ちょっとの人生で、もっとも結婚を考えていたのは、なんと四歳か五歳か、それくらいの歳だった頃。
幼稚園にあがる前後だった私の将来の夢は「お嫁さん」小学校にあがってからは「アイドル」……なんともありきたりで可愛らしく、馬鹿な子どもだったと、我ながら感心する。
しかし当時は幼い思考でありながら本気だった。
お嫁さんが夢だった幼い私は、ブライダルの写真やCMを目にすると、叫び、喜んだ。まわりの大人にウエディングドレスについて執拗に聞きまくり、自分がそれを着るのだと公言して憚らなかった。あの歳でウエディングドレスをプリンセスドレスにするか、マーメイドドレスにするかで悩んでいた女の子は、さすがに私以外おるまい。
そんな恥ずかしくもあまじょっぱい過去の自分を思い出しているのは、先日の後輩との会話と、目の前のお見合い写真のせいである。
「こんなもの、急に送られても、対処に困るんだけど」
どさりと数冊、母親の前に重ねる。
こうして、親子ふたりで向かい合って座るなんて何ヶ月ぶりだろう。もしかしたら一年以上、間があったかもしれない。
……もっと穏健な顔をつきあわせたかった。
「いい人はいた? 皆、立派な方ばかりだけど」
「お母さん、私、お見合いする気ないから、こういうのやめて」
それなりに分厚い包みがポストに無理矢理突っ込んであったのを見た時は、何事かと目を剥いた。人様の写真、もう少し丁寧に扱えと思うし、せめて事前の連絡が欲しい。
連絡があれば、わざわざ私が実家まで足を運ぶ必要もなかったはずだ。
「そんなこと言って、これからどうするの」
母が、私の剣呑な視線をはじき返した。
「いつまでも続けられる仕事じゃないでしょう、あんなもの」
「近いうちに、やめようとは思ってるよ。でもだからってお見合いなんて」
「お見合い以外、道があると思ってるの?」
母の言葉は断罪だった。
ぐっと喉をつまらせ、じいっと母の瞳を見る。微かにも動かない瞳だ。
「お見合いは、しない。仕事を探す。他の」
私の言葉は命ごい。吐き出すように、母の提案を撥ねる。
「あんな仕事してて、次、雇ってくれるところがあると思うの?」
「探せば、高望みしなければ仕事なんてある。お母さんはこの仕事に偏見持ちすぎだよ。だいたい、そんなこと言ったらお見合いのほうが絶望的じゃない」
「あら、仕事なんてなかったことにすればいいじゃない」
静かに湯呑を手にとり、母はさらりとほほ笑んだ。
私も、母に倣って緑茶を一口、口にふくむ。喉をうるおし、唇を濡らして、微笑む。
笑顔はシンデレラガールの商売道具。
にっこり唇で笑って、カメラが目の前にあるかのように、視線は鋭く。見下すように。
「ふざけんな」
黙って震えて、首を落とされるなんて、まっぴらだ。
「そんなもの、私から言ってやる。私がミユリよ。お見合い、席に座ってもいいわ。全部全部、ぶち壊しにしてやる」
「なんてことを言うの」
「お母さんこそ何言ってるの。相手は男よ? こんな仕事、隠してもどうせばれるの」
がんと乱暴に湯呑をテーブルに置く。そこまでして、やっと母は眉をひそめた。
最初からそんな顔をしていれば良かったのだ。ミユリに憐れむ目をするなんてお門違い。
いつのように素直に「身売り」と吐き捨てているほうが母らしい。
「口をつつしみなさい。勝手なこと言って……」
「勝手はどっちよ」
母の苦言を遮り、睨みつける。
「もう私もいい歳なの。仕事だって結婚だって自分で決めるわ」
「いい歳だから言ってるんじゃない!」
ついに母は激昂した。先ほどまでの、落ち着いた妙齢の女性然とした姿は消えた。
「いい歳して遊んでばかり。結婚相手も子どももいない! それで今はいいかもしれないわ、いい歳なんて言ってもまだ若い。でも、想像して。私が死んで、一人になったらどうするの? 歳をとって、仕事がなくなったとき。夫も子どももいなければひとりで死ぬことになるのよ」
母の口調はジェットコースターの勢いで上り、そして落ちてしまった。
かすかに震えている。目を伏せ、じいと机をにらんでいる。ちらりとのぞく老いた耳が赤く染まっている。
俯くその様子に、助かったと思ってしまった。今の母の表情を見る自信は、私にはない。
私もつられるように、反抗心がしぼんでしまった。
「ごめんなさい」と言い訳のように呟いて、席を離れる。止められる声はなく、私は母から逃げだした。
◇
「せんぱい? こんにちは」
繁華街の脇にある五階建ての大型書店、その中の文庫本コーナーで思わぬ人に声をかけられた。完全オフの日に人に話しかけられるなんて思いもせず、私は手元の新書を取り落としそうになる。
そちらを向くと、あの後輩が静かに近づいてきた。
「こんにちは、奇遇ねぇ」
「ですね」と後輩がかすかに笑う。随分、機嫌が良さそうだ。
向こうもオフのようで、ジャケットにパンツというラフな格好。可愛らしい顔立ちのわりにユニセックスな服装が好みのようだ。
ひょいと私の手元を除いて、後輩は首をかしげた。
「難しそうな本、読むんですね」
「そうでもないわよ」
ふうん、と後輩が相槌をうち、周囲をぐるりと見渡す。その場に慣れない姿に「あんまり小説とか読まない?」と聞くと小さく頷いた。
「雑誌とか漫画ばかりです。今日も漫画の新刊を買いに」
漫画のタイトルを聞くと、私も集めていたものだったので、二人で漫画コーナーへ向かおうと、エスカレータに乗り込んだ。
事務所以外で仕事仲間と一緒にいることなんて、なかなか無い経験で、少しだけの沈黙に気まずさを覚える。しかし、ふとした瞬間目が合うと、いつものひょうひょうとした彼女の顔つきに緊張がとけた。
突然、あ、と後輩の口から息が漏れる。その視線の先を追って私も口をあけた。
ラックにかけられた雑誌の中に、私の例の写真集が紛れ込んでいる。
「なんで女性誌のなかに……」
「話題になったって聞きました。だからじゃないですか?」
これでは即座に母親が見つけるはずである。私は目をほそめ、苦笑いで唇を歪めた。
「私、あの中じゃ、カーテンの写真が好きです。白いドレス着てるみたいで」
後輩のその言葉にぎょっとした。
「え、見たの? やだ、恥ずかしいなぁ」
「はい」
「ああいう写真集、目通してるの?」
勉強熱心なことだと感心して尋ねたが、後輩は曖昧に首を動かしただけで、是とも否とも答えなかった。
後輩と別れ、帰宅してからも、どうも彼女の言葉が耳に残っていた。
本棚の脇に平積みにしてある薄い写真集を引っ張り出す。後ろからめくって、数ページ。
眩しい西日で赤く染まった教室。中央に、薄くかすかに透けた白いカーテンの向こう側に裸の私が立っている。
首をかしげて、そのページをめくった。次のページでは、窓から外されたカーテンを体に巻いている姿。やはりカーテンで胸から下を隠し、子どものように顔を外に出している。
「こっちか……?」
私はじぃと写真の自分を睨んだ。
◇
白いワンピースや水着姿でバシャバシャとシャッターを浴びながら、影で転職雑誌に目を通していると時間はあっという間に過ぎ去っていた。
結局転職先はまだ見つからず、母親とも断絶状態。
今までに増して宙ぶらりんな気分でいるうちに、ミユリの第二弾写真集は形になった。事務所に出版社の編集担当と見本誌を迎え、私とマネージャーの三人で打ち合わせをし、チェックを終える。
あとは発売まで待てば、ミユリの役目は終了だ。
そのことを事務所に来ていたあの後輩に漏らすと、彼女は眉を下げた。
「本当に辞めるんですか」
「うん、前から決めてたことだから。……社長にはまだはっきり言ってないんだけど……」
私の歯切れの悪さに、後輩もまた苦笑いを浮かべた。
お世話になった社長さんとも、可愛い後輩である彼女ともお別れだと思うと、今更ながら、かすかに後ろ髪をひかれる。
「辞める理由、なんて言うか聞いてもいいですか」
「そうねぇ……もう、歳だから。とか?」
前回辞めると言った際はそれで押し切ったが、あの社長を納得させるのは難しそうだ。
しかし、それ以外の理由がうまく頭に浮かばない。
「歳、ですか」
「まあ、そういうこと。結婚とかも、いい加減考えないと。親不孝ばっかしてられないわ」
「……次の写真集も、私、絶対買いますね」
「ありがとう」
前の写真集も、購入して見てくれていたのかと内心驚く。出来うるかぎりの感謝をこめて礼を述べた。
「私、せんぱいのワンピース姿、好きでした。楽しみです。あと、この前言ったカーテンの写真も」
私のワンピース姿は、ひとつ前の写真集までとはいかなくとも、多くの人の手に渡るのだろう。仕事にやりがいを感じると爽やかに言い切ったあのカメラマンにとっては自分の作品だ。もちろん見るだろう。そして、後輩もまた見てくれると言ってくれる。
そう思うと少し嬉しい。
「好きでした」
随分真剣な顔で繰り返すものだったので、私は吹き出して笑った。
あはは、と笑って、その合間に、息継ぎを挟むように「ありがとう」とまた小さな声で呟く。
「そんなに笑わなくても」
後輩がむっと拗ね、唇を尖らせたので、私は笑い声を収めた。こっそりと眉尻を拭う。
今ならきっと笑いすぎで涙が出たのだと、思ってくれるはずだ。
「ごめん、ごめん、ありがとね。なんか、はじめて、この仕事好きになったかも」
「じゃあ、まだ続けてくれますか?」
本気で言っているわけではないだろうその言葉を、私は否定した。
「願いが叶ったから、もう十分」
社長さんに告げる、辞める理由はこれでいこう。
薄々、気がついてはいた。
私が憧れていたものは結婚ではなく、シンデラガールではなく、シンデレラだったのだ。綺麗なドレスで着飾った、お姫様、そのもの。
ドレスはもう着た。だいぶ安っぽくて、露出の多いドレスだったけど。
その姿が好きだと言われた。第二弾の写真集が出るから、もっと多くの人が言ってくれるかもしれない。まぁ、一人いれば、それでも十分。
憧れがなくなった今、グラビアを続けながら新しい憧れを探すことも、グラビアの中で憧れを探すことも私にはきっと向いてない。
このまま続ければ、きっと今まで通り、怠惰に現状に甘えてしまう。
次は、シンデレラなんて目じゃないくらい素敵で――
そして、グラビアアイドルと同じくらい楽しいと思える、現実的な憧れに、やり甲斐を感じたい。
私は社長さんにアポイントのメールを送った。
次話は「赤ずきんの場合。」
よろしくお願いします。