落ちこぼれと寿司
行き詰った。自分の人生に。
目の前にあるのは真っ白い原稿、世迷言と綺麗事を並べた落書きだらけのスケッチブック。乱雑に描いた絵たちが並ぶ。
……良い絵が描けない。良い話が何一つ頭に浮かんでこない。……どうしよう。どうすれば……いや。もうどうしようもない。
最近、世の中は不況だ。仕事がなくなっている。特に、創作業界はキツイ事になってきている。
俺は絵本作家だ。ペンネームは『大空飛勇』。自分でつけた名前だ。由来は『大空に勇気を持って飛ぼう』っていう、何ともまぁ恥ずかしい願望から来ている。
それを実行出来ているのか? 今の俺に自問自答したところ、答えは「ノー」だ。
今の俺には仕事という仕事がない。『絵本を描く』事が仕事の俺に、なかなか仕事が舞い込んで来ないのだ。
正直に現状を言うと、俺は売れていない。売れない絵本をつらつらと作り出している『虚像の創造者』な訳だ。
……皮肉なもんだ。子供に夢を与えなきゃいけない作家が、『夢』を作り出せないってんだから。
重いため息が口から零れる。世の中全てが絶望的に見えた。創造することも、生きることも。
……俺は今三十路前だ。正確にいうと、二十九歳。四年前、とある絵本大賞に自作の絵本を送って、それが見事に大賞を受賞。それ以来俺は絵本作家としてこの世界で生きていたわけだが。
もう、おしまいだ。何もかも。
描くもの全てが歪んで、滲んで。夢を欠片も感じられない世界を生み出し、消し去る作業の繰り返し。
大賞を取ってから、俺の作品は落ちぶれていくばかりだった。描いて出版社に持っていっても馬鹿にされる。
『こんな作品じゃ、子供は夢を持てないよ』
悔しかった。だけど、描いても描いても現状は変わらない。
つまり簡単な話をすると。
俺の創作人生も終わりを告げたということ。
諦め半分で創作を続ける……そんな中、追い詰められた俺に最後のチャンスが訪れた。
とある出版社が俺に声掛けをしてくれた。絵本を描いてほしいと頼んでくれたのだ。俺が何度も何度も持ち込みをした努力がここで実ったのだ。仕事が消えた俺には幸運の極みだった。
俺はその依頼をすぐに引き受けた。そして心に誓った。これがラストチャンス。もしこれでも世の中に認められなかったら、作家は辞めて別の職に手をつける。創作からは一切手を引く。そう決意して依頼に全力を注いだ。……しかし。
結果は、過去の作品と変わらなかった。実力は上がらないまま、締め切りだけが来週へ迫っている。
創作をしない人生など、味のしない食事と一緒だ。ただ一人で空しく食べる、味気のない食事。……食事、か。
そういえば、近所に安い回転寿司屋が出来たな。この前新聞にチラシが入ってた。それを思い出して俺は力無く笑う。
……最後の晩餐だ。もうこの世界など、どうでもいい。自分など、どうにでもなれ。どうせ俺の作品は、この世界には認められないんだ。
俺は外に出られる格好に着替えると、顔を洗って財布を手に取る。……所持金千円也。世の中は世知がらい。
寿司を食って死のうか。簡単に死を語ってはいけないが、そうも言ってられない気分だ。最後の晩餐にしよう。最後ぐらい良い物を食いたい。
そんな思いを胸に、俺は外へ繰り出した。
「いらっしゃいませー」
可愛らしい女性が対応してくれた。ここは有名回転寿司のチェーン店。一皿均一百五円也。金のない俺にとって財布に優しい店だ。
夕食にはまだ何時間か早い時間のようで、客足はまばら。カウンター席が嫌いな俺は奥の方のテーブル席に通してもらった。
座ってすぐに茶を用意し、レールの上を流れる寿司たちを静かに眺める。赤い身を光らせるマグロ、脂の多いサーモン。醤油をつけて口に放り込む。わさびがつーんと、鼻を刺激する。
俺の視界に入る、くるくる回る寿司たち。鮮やかな彩で、つややかな体を持っている。レールの上を流れるこいつらは『脱線』ということを知らない。人間、人生を生きていると一度は道を外れてしまいそうになるものだ。小さい事から大きい事まで。身近にある全てに、人間を脱線させる要素を秘めているのだ。しかし皿の上で回る彼らは必要とされない限り、敷かれたレールの上を繰り返し回る。道を踏み外しやしない。……何て事だ。人間より上等な人生を歩んでやがる。必要とされ、過ちを犯さない。道が常に示されてるから、踏み外すことがない。
『示された人生』、か。……俺は? じゃあ何だ。俺の人生は何だ。道を踏み外している俺の人生は寿司以下って訳か? ……俺の人生って何なんだ……?
……昔から、話を考えたり、絵を描いたりするのが好きだった。そんな俺は物心ついた時から絵本作家を志していた。俺にはそれしか道がない。他にやれる事なんかないし。それが俺に用意された完全無欠のシナリオだと信じて。……だけど。
所詮はその程度の夢だった。ただ、自分が得意だったというだけだった。そこに慢心していただけなんだ。自分が、自分だけが描きたいと望むだけ。本当にただの自己満足なんだ。気付いた事実に絶望を感じる。でも、それが俺の選んだ道。
……家を飛び出して八年になる。家にはほとんど戻ってない。俺より何十倍も良く出来ている兄貴は嫁さんと子供と一緒に帰郷するそうだが、俺は家を飛び出す時、親父と大喧嘩をした。夢を追うなんて馬鹿げている。諦めて堅実な道を歩め、と。だけど俺はその意見を跳ね飛ばして、お袋の制止を振り払って家を飛び出した。だから、もう親と合わせる顔がない。
上京してからも成功したのは一瞬だけ。成功を『完全な実力』と誤信し、調子に乗った罰を今、俺は受けている。親父は絶対、こんな俺を認めてはくれない。自分だけで立派に生きていけるくらい、世の中に認められなければならない。しかしそれは、叶わない夢なのだと、悲しみに暮れ始めた。そんな俺の唯一の抵抗は、目の前の現実から目を逸らすだけだった。
はっきり言ってしまえば、現実から逃げている。……否定はしない。否定など、出来る訳がない。それが事実だからだ。
目の前には、祝い事でもほとんど食べない寿司。それを最後の晩餐に選んだ。ここ何年振りかの豪華な夕食。こんな時に食べるなんてな。自然と嘲笑を浮かぶ。
寿司の皿を取り、再び醤油をつけ、口に入れる。
……うん、うまい。やっぱり寿司はいつ食べてもうまい。何年ぶりに食べただろうな、寿司なんて。
寿司はうまい。なのに、何か足りない。何が足りない? わさび? しょうが? ……違う。
味だ。おいしいのは分かる。だけど、……今の俺には味が上手く感じられない。うまいのに、上手く味わえない。何でだろう。
あぁ、これ……俺の人生と似てる。ちゃんと存在しているのに、その存在をきちんと感じられていない。なんていうか……『希薄』なんだ。俺の人生もそう。一応ここに在る。だけど、『在る』だけなんだ。何の意味もない命。まぁ何て、味気無い人生だろう。
意味のある人生を探すために家を飛び出したのに、何だよこの有様は。夢も失くし、生きる意味も失い……。悲しかったが笑みを浮かべる。けれど、無理やり笑う自分がひどく滑稽に思えてならない。
もそもそと寿司を食ってのんびりしてると、店内が混んできた。……夕飯時になってきたからな。俺の座ってるテーブル席の近くにも、一組の家族がやって来た。仲睦まじい親子が。
「パパ! お寿司いっぱい回ってるね!」
少女が元気よく父親に話しかける。父親も笑顔で、「そうだね」と返した。
仲睦まじい親子は談笑しながら席に座って、仲良く晩餐を始めた。
親子は三人家族。父親、母親、少女。……愛娘なんだろうな。父親の顔が妙にデレデレしている。母親も優しい微笑みを浮かべている。娘はたくさんの愛に包まれて育っているのだろう。幸せそうな家族だ。
さび抜きの寿司の乗ったお皿を手に取り、つたない箸使いで寿司を頬張る少女。とても良い笑顔だ。
その笑顔を見てふと、疑問が思い浮かんだ。自分にも、良い笑顔で寿司を食べていた時期があっただろうか。幼い頃、家族で行った回転寿司。あの時の俺は好きなものばっかり食べて、……笑顔を浮かべていた。そうだよ。俺は昔から寿司が好きだったから、幼き日の俺も、あの少女と一緒で笑顔を浮かべて寿司を食べられた。
あの少女が食べる寿司はとてもおいしそうに見える。父親も母親も、良い笑顔だ。温かさに包まれている。
今の俺はどんな顔だ? ふと窓を見る。窓にうっすらと、自分の顔が映る。
何てまぁ……、酷い顔なんだ。絶望しきって、すごく暗い顔をしている。目なんかすでに死んでいる。まだ目の前にある寿司ネタの方が生き生きしてるぞ。
……なるほど。つまり今の俺の顔は寿司以下って訳だ。自分で例えて笑えてくる。窓ガラスに映った俺が、苦笑いする。
手に取った寿司の皿。ネタはマグロ。ぱくりと頬張る。……おいしい。
即座に窓ガラスを見る。むぐむぐと寿司を食べる俺の顔が映る。……全然笑ってない。無表情だ。……いや、もっとひどい顔をしている。
さっき寿司を頬張っていた少女を見る。周りに座る家族連れを見る。……皆笑顔だ。
俺だけ取り残されている。まるでこのテーブル席だけ切り取られてしまったみたいに。……何故、こんなに差があるんだ。子供にはあって、今の俺にないもの……。
……あ、そうか。分かった。
『夢』、だ。
小さな子供には皆、いろいろな夢がある。空を飛びたい、雲に乗りたい、ヒーローになりたい……。そんな、キラキラ輝く夢を心で大きく膨らませながら、今を懸命に生きているんだ。
未来に、希望を持って。
今の俺は何だ? 大人になってから、挫折してばかりだ。諦めて、何もかもおしまいだって、そんな顔をしてる。
おい、俺の職業は何だった?
……絵本作家だろ。子供に夢を与えんのが、俺の仕事だろ……?! そんな俺が夢を捨てて、挙げ句の果てに命まで捨てようとして……!
何て事だ。何て愚かなんだ、俺は……!
俺は席を立ち、急ぎ足でレジに向かう。背中越しにあの家族の温かな談笑が聞こえた。
「ねぇパパ、ママ、お寿司おいしいね」
つたない日本語を一生懸命繋げながら、少女は両親に話しかける。そんな娘を、父母は温かな眼差しで見つめていた。
俺の親父もお袋も、俺が小さかった時、あんな感じだったのかな。
親子の微笑ましい姿が目に焼き付けられる。……忘れない。俺に生きる希望を与えてくれたあの名も知れぬ家族を。おいしい寿司を。
……値段が安くて助かった。今の所持金でギリギリ払える額だった。
店の外に出てから、俺は住んでいるアパートへ走る。
視えたんだ。
寿司を食ってる子供を見て、家族を見て、視えなかったものが視えた。
俺のやらなければならない事が。俺の使命が。
今すぐやらなきゃ。時間が迫ってる……!
寿司で子供が笑顔になれるんだ。だったら、俺が子供を笑顔にする手段は『絵本』だ。
絵本でだって、子供を笑顔に出来る。幸せを届けられる……!
道路脇で輝く蛍光灯が、やけに明るく輝いて見えた。それはまるで、闇に射した一筋の光のように。
……あれから、一ヶ月が経った。
俺の足は書店へ向く。……今日は、俺の絵本の発売日だ。サンプルは出版社からもらってたけど、やっぱり自分で手に入れたい。
……寿司を食べたあの日の夜、一気に構想を練って作り上げた、俺の話。
優しく優しく、温かさを心掛けて描いた絵。
表紙には、女の子が寿司をおいしそうに頬張っている絵を描いた。
締め切りの日、この作品を出版社に提出したら、担当編集者は絶賛してくれた。社長も読んでくれて、すぐに書籍化が決定した。
『良い話だね』
一番嬉しい感想の言葉を、俺にかけてくれた。
……そりゃそうだ。子供に夢を与えんだぞ? 良い話にしなくちゃ作った話が、登場人物が可哀相だ。
この話を読んで、子供たちが幸せになれるように。大きな夢を持てるように。一本を踏み出す勇気を持てるように。
そう想って描いたんだ。
そして、これからもそう想いながら絵本を描く。
遠回りを繰り返して、ようやく見つけた。俺の生きる意味。
……俺の両親も認めてくれるかな。俺の絵本、読んでくれるかな……。
子供たちに夢を与える。
これが、俺の人生だ!
『 大飛 飛勇著、 「お寿司を食べよう!」 』
柔らかなタッチで心温まるおはなしを描いた大空飛勇は再び、この著作で子供たちに愛された。そして、彼から生み出される作品はこれからも、子供たちを含めた様々な人に愛され続ける。
大空飛勇は以下の言葉を繰り返している。
『子供たちに夢を与えるのが、僕の仕事です』
彼の信念が曲がる事は、決してないだろう。
追記、
大空飛勇は昔、自身の描く作品に絶望して自殺を考えたらしい。しかし、最後の晩餐として行った回転寿司屋で人生の事を考え、自殺を思い留まったようだ。
身近なものからでもきっかけを与えてもらえる。それを彼に教えたのは寿司と温かな家族。そして私に教えてくれたのは、正しく彼だった。なので、私も今ここで感謝の言葉を捧げたい。
今を生きるきっかけをくれた全てに、ありがとう。
(とある新聞記者のインタビュー記事より抜粋)
『大空飛勇』という名前は、この作品の登場人物からとったものです。とても気に入っています。
この作品は三年前、高校一年生の冬頃に書いた作品です。寿司がテーマの小説でした。なので内容も寿司に沿っています。寿司から始まる人生論、いかがでしたでしょうか。感想、評価待っています。
皆様に希望が生まれますよう。