昼下がりの白
「せんせー、サッカーしてたら擦りむいたー」
「そこにマキロンあるから使っていいよ」
「…いやいや、それ先生の仕事でしょ」
昼休みが終わる頃、部屋の中に声が増えた。
煩い。気持ち悪い。
何の許可も無しに私の中に入ってこないで。
枕に顔をうずめ、頭まで布団をかぶり、出来る限りの音を遮断した。校内にチャイムが響くと、手当てを受けていた生徒は慌てて出て行った。声が一つ消えた。すとん、と気持ちが楽になった。
シャッとカーテンが開く音がして、枕元でベッドが軋んだ。
「戸田。授業始まるよ」
「…行かない」
「また今日もここにいるつもり?後で困るのは戸田なんだよ」
「先生がいてくれればいい」
布団から顔を出して先生の顔色をうかがうと、眉を下げて小さく笑っていた。
あ、困らせた。
きゅうきゅうと胸が締め付けられ、布団を掴む手に汗が滲む。息がつまる。呼吸、しづらい。先生を困らせたい訳じゃないのに。
「先、生…」
「顔色悪い」
「……っ、…」
「ごめん、不安にさせた」
先生の骨ばった大きな手が、私の髪を撫でた。今度の先生は穏やかに笑っていた。
白い部屋。薬品のにおい。私は保健室が嫌いだ。ここにいると自分は弱いんだって、言われてるみたいで。でも実際はその通りで。周りから聞こえてくるノイズは、余計に私を弱くした。
先生は相変わらず、私の髪を撫でてれている。私も頑を張って呼吸を整える。髪を撫でる先生の手を握り、自分の指を絡める。伝わる温もりは確実に私の中に流れてきた。
「戸田」
「…何で苗字で呼ぶの?」
「………」
「嫌だよっ、」
「…裕月」
先生は指を絡めたまま、こつん、と額を合わせてきた。息のかかる距離で、先生は私を見ていた。
「これでも俺は裕月を心配して言ってるんだ」
「好きだから?」
「そうだよ。好きだからだよ」
「…………」
「愛してるから、心配するのは当たり前だろ」
「せんせ…」
先生は私の言葉を遮るようにキスをした。先生は全部が温かい。手も額も唇も、心も。チュッとリップ音をたてて離れていく熱。それを拒むように、私は先生のネクタイを掴んだ。先生は一瞬動きを止め、そしてゆっくりと私の指を解いていった。
「裕月はさ、これから広い世界に出て行くんだ。こんな所で可能性を潰しちゃいけない」
「………」
「こんな風に、いつも俺が傍にいる訳にはいかないんだ」
「じゃあ、いらない」
「いらないって…」
「私には先生がいればいい。先生の声だけが聞こえていればいい。私の世界は先生だけだよ」
そう言うと、先生は大きく目を見開いた。
そして「何それ、永久就職?」と、先ほどとは違って照れたように笑ってみせた。
私はそれでいいと思ってる。先生がいて、私を見て、私の名前を呼んでさえくれれば、私は私としてここに存在していられるんだから。
「本来ならここで俺は裕月を叱らなきゃいけないんだろうけど」
「叱らないの?」
「…ごめん。今すげー嬉しいんだ」
優しいその目に私を映してくれるのは先生だけ。私なんかの言葉で先生が喜んでくれるのなら、私という存在も、捨てたもんじゃないのかもしれない。
「裕月」
穏やかな声がまた私の名前を呼ぶ。
頬に触れた手のひら。
それは、誰より愛しいあなたの。