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七   破局のシンビオシス

 世界中でいっせいに、兵器、人員、およそアメリカ軍に属するすべての物質が、それまで住処としていた国の基地、港湾から母国めざして出発をはじめた。EU諸国は基地用地だけ残して飛び立つ米航空軍を忸怩たる思いで見つづけ、アフガニスタンやイラクの民は快哉をさけんだ。


 ことの是非はともあれ、いったん大統領から命令がくだったならそれをすみやかに実行に移すのが忠義のあかしとばかり、現場の部隊の行動の早さには目をみはるものがあった。地球のすみずみに展開していた在外米軍の兵卒ひとりひとりにいたるまでもが、神速といってもよい速さでわれがちに帰還の準備をととのえ、完了しだいその地を発った。一陣の嵐が軍基地をさらっていったがごとく、ほとんど造次顛沛ぞうじてんぱいに撤収していったのだった。


 その嵐はいっさいの例外をみとめず、わが国にも到来した。

 神奈川県のキャンプ座間には在日米陸軍の司令部があり、二千の兵力をおいていたが、これはすべて、空を飛ぶのがふしぎなくらいな超巨大輸送機C-5ギャラクシーに積みこまれ、同地を去っていった。


 横須賀海軍施設に司令部をおく在日米海軍も、さきを争うように撤退をすすめていた。横須賀は米海軍最大規模をほこる第7艦隊の母港である。同艦隊の旗艦と司令部をかねる揚陸指揮艦USS<ブルーリッジ>を筆頭に、ニミッツ級原子力空母USS<ジョージ・ワシントン>を中核とする第5空母打撃群が錨をあげる。厚木海軍飛行場に駐屯していた二十八機のF/A-18Eスーパーホーネットや六機のEA-6プラウラー電子戦機、試験的に配備されていた十二機のX-47ペガサス艦上ステルス無人戦闘機など、百機ちかい艦載機からなる第5空母航空団が文字通り飛んできて、帰港準備にはいったUSS<ジョージ・ワシントン>に着艦した。第7艦隊水上戦部隊の二隻のタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦と、七隻のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦も、航空機を満載した<ジョージ・ワシントン>にともなった。佐世保からも、原子力空母にせまる巨体をもつ強襲揚陸艦USS<エセックス>をはじめ、何隻ものドック型揚陸艦や掃海艇などありとあらゆる艦艇が一隻のこさず出港。一刻もはやく母国へ帰参をはたすべく、海を埋めつくすほどの蜿蜿長蛇えんえんちょうだの列をつくり、水天髣髴すいてんほうふつのかなたへとむかった。横須賀と佐世保、あわせて七十隻の軍艦、第7艦隊だけで二万という途方もない兵力の出立。撤収する艦船部隊の規模、それを動かす人間の数からいって、いわば洋上都市がまるごと移動していくかのような迫力にみなぎっていた。これだけの艦艇がいちどに出帆せしめるのは、それこそ街がそっくりひとつかふたつ離去するのにひとしいものがあったのだ。地元の住民らにあっては、米海軍の性急なのと、日本に対する頓着のようなもののなさというか、米軍はぜったいに出ていかないだろう、しかたなく付き合っていくしかないと清濁あわせ呑むような気でこれまで思っていたのに、やけにあっさりと引き揚げていくのに、ただただ目を白黒させるほかになかった。


 しかし撤収のはやさでは在日米空軍もおさおさ劣らなかった。在日米空軍の司令部がある横田飛行場の航空団はもちろん、「北の槍」の異称をとる三沢基地所属の数十機超のF-16部隊もつぎつぎ離陸していった。そのほか、全国の基地の地上スタッフ、通信施設や貯油施設、補給補助施設などに勤務する米軍籍の人間たちも、早早に輸送機などで帰国の途についた。


 日本でもっとも多くの在日米軍基地をかかえる沖縄こそ、米軍撤退の光景がもっとも顕著であった。沖縄の嘉手納飛行場は在日米空軍最大の基地で、あの小さい沖縄本島にあって四千メートルちかい滑走路が二本あり、その総面積たるや、日本最大の空港たる羽田の二倍もある。ここに配備されていた、アメリカ空軍最大の戦闘航空団、第18航空団所属のF-15CとF-15Dあわせて二十四機、“空飛ぶタンカー”KC-135空中給油機、背中に搭載した円盤型レーダードームが特徴的なE-3早期警戒管制機(AWACS)が轟音を別れの挨拶として空へ旅立っていった。スクランブル発進にも匹敵するはやさの離陸だった。

 沖縄の代表的な在日米軍基地のひとつ、普天間には、第1海兵航空団司令部飛行隊がいて、おもにヘリコプターを運用していたのだが、これらも撤収とあいなった。タンデムローター式(機体の前後に回転翼を搭載しているタイプ)の大型輸送ヘリ、V-107シー・ナイトや、貨物や人員の輸送もできる中型の汎用ヘリコプターのUH-1Nツインヒューイ、攻撃ヘリであるAH-1Wスーパーコブラといった各種ヘリコプターが普天間飛行場をあとにした。同隊と所属をおなじくする垂直離着陸機AV-8ハリアーやF/A-18レガシーホーネットも随行した。


 とうぜんその光景はニュースで全国放送された。


「ごらんください! ヒットリア大統領の撤収命令をうけて、ここ、普天間基地のヘリコプターが、つぎつぎ離陸していきます。こちらの空、カメラさん上空を撮せますか」


 カメラがパンし、天空にレンズをむける。雲ひとつない日本晴れの青空を、黒く埋めつくさんばかりに大軍団を編成したヘリコプターが航過していっている。機数は何十機いるのだろうか、数えることを拒絶されているかのようだ。それだけの数のローターを回転させるターボシャフト・エンジンの爆音があたりに鳴り響き、リポーターの声も埋没してしまいそうだった。おそらく彼は自分の声さえ聞こえてはいないだろう。


 擬似的につんぼになりながらも、リポーターは空を覆う鉄の群れに手を伸ばして指し示しながら大声を張り上げる。


「すごい数のヘリコプターがわたしの頭上を飛んでいます! 数が多すぎて、渡り鳥の群れのような感じです。あっ、いま、戦闘機も何機か飛んでいきましたね。いまの、この空だけで、航空機の博覧会が開けそうな、そんな状況となっています。ヒットリア大統領は、この沖縄とおなじように、全世界のアメリカ軍を全面撤収する方針をあきらかにしており、日本においては、四十八時間以内に、すべての在日米軍を撤収させると通告しています。が、ここまでの規模のものは、沖縄ならではといったところではないでしょうか。普天間からは以上です」


 また、アメリカ国外遠征専門の軍である海兵隊も、撤収対象からはずれなかった。在日海兵隊は、実戦部隊の第3海兵遠征軍と、基地の運用を主任務とする在日米海兵隊基地部隊のふたつが存在するが、両方ともが即日、日本から根こそぎ出国した。


 こうして、一三〇をこえる在日米軍基地から、日本に母港をもつ第7艦隊もふくめて五万人いた在日米軍兵力すべてが撤退。基地の国内外移転で何十年ももめていたのがうそのように、在日アメリカ軍はその姿を消したのである。


 ある全国ネットのテレビ局が、沖縄の年老いた男性にインタビューをとった。男性は、自宅の二階で取材をうけていた。遠く潮騒のきこえるバルコニーからは、緑の深い林が間近に鬱蒼と繁っているのを望める。


「そこからむこうがもう基地の用地ですよ。勝手に入ったら、撃たれることもあります」日に焼けた老人は安楽椅子に深く腰かけながら、青々と繁茂する林を構成する木々と、男性宅の庭とが面するあたりを指さした。錆びついた立ち入り禁止の標識はあるが、フェンスのたぐいなどは見受けられない。


「わかりやすい境界線があったほうがまだかえって安全。そういうのがないと、草刈りなんかしてて知らないうちに基地内に侵入しちゃって、銃をむけられることがある」男性はどこか諦観のただよう笑みを浮かべながらいった。


 男性の日常生活を映しながらナレーションがながれる。


「この男性は、戦後まもなく、当時の日本を占領していたアメリカ軍によって、強引に所有地を接収され、基地用地とされてしまった。太平洋戦争が終結した昭和二〇年の夏、命からがら生き残った沖縄県民を、アメリカ軍は県内各地に建てた強制収容所に収容した。男性も、そんな収容所にいれられたひとりだった。収容された県民は、その年の末からおよそ二年間かけ、すこしずつ収容所から解放された。しかし、故郷にもどった県民たちが見たものは、信じがたい光景だった。じぶんたちの家や田畑は一掃され、米軍基地へと変貌しており、有刺鉄線と高い鉄条網がかれらの立ち入りを拒んでいたという」


 老体へのインタビューに移行する。


「やっと戦争が終わってね、戦犯みたいなあつかいをうけて、やっと帰してもらったとおもったら、それですよ。みんな唖然としてましたよ。ぼくもふくめてね。でも基地になっちゃったものはしょうがないって、みんなじぶんでじぶんにいい聞かせてね、別の土地に移ったんですよ」


 ふたたびナレーションが挿入される。


「当時、付近には旧日本軍の飛行場があったが、アメリカ軍はこれを接収しただけでなく、飛行場のおよそ四十倍もの土地をまるまる取りあげ、現在の嘉手納基地を建設した。住むところを奪われた県民たちは、山あいなどの劣悪な場所に移り住むことを余儀なくされた。こうした、土地を奪われた地主、立ち退きを強要された住民は、あわせて五万二〇〇〇戸以上にのぼったという。それに対する県民への補償はいっさいなされなかった。ハーグ陸戦法規などの国際法によれば、たとえ戦争中であっても私有財産を没収することはかたく禁じられており、やむをえず収用するばあいは補償などの代価を支払うことが義務づけられている。終戦後も県民を収容所にとじこめ、そのあいだに土地を奪ってなんら補償しないというアメリカ軍の行為は、まぎれもない国際法違反だった」


 男性へのインタビューにもどる。


「もういちどゼロからがんばろうってね、空襲や艦砲なんかでぼろぼろに荒れた土地を、みんなで協力して耕して、畑にしとったんですよ。いまは日本がアメリカに占領されてるから基地になってるけれども、いつかじぶんらのものとして、もどってくるって信じてね。そこへいきなりアメリカの兵隊が来てね、ここはアメリカの土地になったから出ていけって言われてね。いえここはわたしらが開墾した土地で、ここに住んでるんですっていっても、ぜんぜんだめ。決まったことだの一点張り。小銃なんかをちらつかせてね、そういうんですよ。あいては兵隊ですからね、逆らったりしたら殺されるんじゃないかとおもいましてね。いつ出ていかんといかんのですかってきいたら、あしただって。あしたの何時までに荷物をまとめて出ていけって……」


 ナレーションがいきさつを補完する。


「戦後復興がすすむ一九五一年、日本は連合国とのあいだにサンフランシスコ平和条約をむすぶ。沖縄県民はこれによってじぶんたちの土地が返還されると喜びに沸いたが、まっていたのはつらい現実だった。サンフランシスコ平和条約は、むしろアメリカの沖縄統治継続を裏打ちするもので、これにより、沖縄は以前よりさらに土地が占領されることとなった。土地の接収はとどまることをしらず、ときには実力行使にでることもあったという」


「わたしらは住む家をとられて、泣く泣くほかの土地に移って、戦争で荒れに荒れた、ほんとうの不毛の大地を耕してね。血のにじむような努力をして、なんとかやっていけるところまで直した。そこへ(そういって男性はライフルを構えるしぐさをした)来たんですから。もうほんとう、軍隊みたいなのがぐるりとわたしらの集落を囲んでね。脅すんですよ、時間までに出ていけと。それで一晩中かんがえましてね。いくらアメリカ軍でも寸鉄もたない一般市民をむりに排除して土地を奪うなんてことはしないだろうと。だからつぎの日、みんな家の玄関のまえに正座してね、兵隊を待ち受けたわけですよ。そしたらね、ブルドーザーやショベルカーで来た兵隊がね、うちに来て、わたしがいるのもかまわず家を押し潰してね、ぜんぶめちゃくちゃにしてひっくり返して。もうすこしで巻き添えになるところでしたよ。ほかの家もそうでした。乳飲み子がいても病人がいてもおかまいなし。アメリカ兵が、まだ首のすわってないような小さい赤ちゃんの首根っこを掴んで、トラックに放り込んで、さっさと家を取り壊したりしてましたよ。いまでもあの赤ちゃんの泣き声と、母親の叫び声は忘れられません」


 沖縄の強烈な太陽を浴びて燃えるようにきらめくハイビスカスの花をなめて、純白によこたわる砂浜と、かぎりない生命をはぐくむ青い海が画面に映される。


「やがて戦争終結から二十七年のときがたった、一九七二年。沖縄が、ついに日本に返還される。アメリカ領ではなく、日本の領土として正式に返還されたとあって、こんどこそアメリカから土地をとりもどせる。基地を追い出せると、沖縄県民のあいだに希望の光が射し込んだ。しかし沖縄には、いまだに広大な在日米軍基地が居座りつづけ、さらに増設までされているのが現状だ。男性は、日本政府に裏切られたというきもちでいっぱいだと話す」


「沖縄にばっかり負担をおしつけてね、それでじぶんらはアメリカに恩を売ってるんですよ。条約の有効期限がきれるたんびに新しい条約とか法律をつくってね。沖縄が日本に返還されたあとも、かわらずアメリカが沖縄を基地として使っていいですよっていうね。戦争が終わってずいぶんたちますけど、沖縄は、いまだに占領されてるんじゃないかなっていうのが、正直なところです」


「なぜアメリカは、これほどまでに沖縄に基地をおくことにこだわるのか。日米安全保障条約にもとづく日本の防衛のために、沖縄の在日米軍基地が必要だからだろうか。軍事評論家の友鶴謙介氏によれば、アメリカの世界戦略が大きく関わっているという」


 画面がかわり、額の頭髪前線が決死の撤退戦を繰り広げている中年のインタビューがインサートされる。


「沖縄には大規模な米軍が駐留していますが、そのなかのメインは海兵隊なんですね。海兵隊っていうのがどういう軍隊かっていうと、他国、よその国に出掛けていって攻めいる、よその国に戦力をすみやかに展開する、これに特化しているというものなんです。つまり防衛じゃなくて相手国を攻撃するための軍、なわけですね。これで沖縄の米軍が日本の防衛を目的としてはいないということがわかります。また一九八二年に、当時のアメリカの国防長官が、『沖縄の海兵隊の作戦担当区域は西太平洋およびインド洋であり、日本の防衛任務は管轄外』と、はっきり明言しているんですね。ロシア、中国、朝鮮半島、東南アジアへの牽制と、有事のさいに部隊を送り込むのに、場所的に沖縄は最適のところにある。太平洋での覇権掌握のために沖縄はアメリカにとって不可欠なわけです。だから、沖縄に米軍基地が必要なんじゃない。米軍にとって沖縄が必要ということなんです」


 資料映像として、ヘリコプターの発着訓練をおこなう普天間基地の風景に場面転換する。


「大国の思惑に翻弄されつづけてきた沖縄。基地や駐留している兵士による問題もあとを絶たない。その最たるものが、騒音だ」


 以前に撮影された、C-130ハーキュリーズという勇壮な名に恥じない体躯をもつ輸送機が民家の屋根すれすれの低空を飛び、大きな腹を見せながらカメラの頭上の空を覆い隠し、滑走路に着陸にむかう映像が流される。重厚な巨体を宙に浮かすための四発のターボプロップ・エンジンが発する轟音は、地響きをもたらす濤聲とうせいとなって集音マイクに降り注いだ。


「基地周辺では、訓練飛行のため、ほとんど一日中、軍用機が離着陸をくりかえしている。その騒音のすさまじさは、民間の空港の比ではない。防音工事などによりある程度は緩和されているが、沖縄の米軍基地は都市部の中心にあり、滑走路からわずか数百メートルしかないところに民家があるという状況では焼け石に水だ。やや古いデータになるが、医師などを中心にした、軍用機の騒音が健康に与える影響を四年に渡って調べてきたある委員会が一九九九年に発表した報告書によると、基地周辺の騒音が幼児の心身の成長に悪影響を与えていること、騒音と早産や流産に因果関係があること、騒音で聴力が低下した人がいることなどが医学的に立証された」


 画面がかわり、沖縄地検の庁舎をあおぐ。


「在日米兵による犯罪も深刻だ。九五年にはアメリカ兵三人が、当時小学生だった女の子を拉致し、性的暴行をくわえる事件がおきた。県警が容疑者のアメリカ兵の身柄を引き渡すよう要求したところ、アメリカ側は日米地位協定によりこれを拒否。このとき県民は不満と怒りを爆発させ、翌年には十万人規模の県民大会が開かれ、日米地位協定の改定を訴えた。厳然と立ちはだかる日米地位協定の壁。日米地位協定第十七条には、駐留している米兵が日本国内で犯罪をおこなった場合、公務中であればアメリカ側に、公務外の事件は日本側に第一次裁判権を有する、と規定されている。ここで問題となるのは、どこまでが公務と認められるのかということだ。これは米軍側が公務中であるとの証明書が出されるか出されないかにより判断され、証明書さえ発行されれば、たとえ公務外だったとしても公務中となってしまう。事実、アメリカ兵が交通事故を起こしたとき、公務中でなくとも米軍がすぐさま証明書を発給し身柄を引き取っていくなどの無法も横行している。さらに、第一次裁判権は、有している側が自主的に放棄すれば、裁判権は第二次裁判権をもつ側に移行する、となっている。日本が第一次裁判権をもつ事件であっても、アメリカに配慮し、とくに国民の関心をあつめるような重大な事件でないかぎり、裁判権を放棄することが常態化してしまっているという。一九七〇年十二月から翌七一年十一月までのあいだでは、第一次裁判権のある犯罪件数に対し、裁判権を放棄した件数の割合は、おなじくアメリカと同盟をむすんでいるイギリスでは九・一パーセント。日本ではなんと七十五・二パーセントにものぼる。こうした不平等さにくわえ、アメリカ兵による凶悪事件そのものの多さが、住民の不安に拍車をかけている」


 嘉手納飛行場とおぼしき広大な基地が映る。


「米軍基地は沖縄の中心部にあるため、地域振興が阻害されているという声もある。基地さえなければ、跡地に公共施設や大型商業施設、住宅をつくり、より発展をとげられるが、それができないため、やむなく膨大な費用のかかる埋め立て工事などで土地を確保しなければならない。沖縄県民は戦後半世紀、ずっとこの苦痛に耐えてきたのだ」


 映像が、ヒットリア米大統領の会見のものになる。


「そこへ大きな転機が訪れた。アメリカのヒットリア大統領が、日本をふくめた、世界中の米軍基地の一斉撤収を決定したのだ」


 演説するヒットリア。その画面下に字幕が表示される。


「アメリカは正義の力をもって、われわれの生命を脅かす悪魔を倒すために、いまこそ一致団結しなければならない」

「U・S・A! U・S・A! U・S・A!」


 人人の歓声がフェードアウトし、音声がナレーションにもどる。


「沖縄からも、この四十八時間で、ほとんどすべての米軍が撤収を完了した。土地をアメリカに奪われた男性は、この日が来ることを待ち望んでいたという」


 老年の男性のインタビューへと帰結する。


「やっと……やっと願いが叶ったっていうのかな。長かったですよ。でも率直にいって嬉しいです。怪獣に感謝したいくらい。先祖代々まもってきた土地をね、わたしたちの世代でとられて、申しわけがたたないと思っていたんだけどね。思いが通じたのかなと」


 男性は遠くを、はるか遠くを見るような目をした。


「わたしらの戦後っちゅうのが、いまやっと終わったという感じです。そのあいだにわたしの仲間はもうみーんな死んでしまいました。一目でいいから、米軍のいなくなった基地を見せてあげたかったです」


 そして、男性のしわだらけの顔が心持ち、けわしくなった。


「けっきょく、ヤマトンチューは戦中も戦後もウチナーンチュを利用するだけ利用して、捨て石にした。アメリカが引き揚げたのも天の配剤で、政府がなにかしてくれたわけじゃない。だからこのことについて、わたしたち沖縄県民は政府に感謝なんてできません」


 映像がスタジオに返り、司会者やコメンテーターが真面目そうな顔をして議論をしはじめた。


 というのを、百里基地の休憩室で浅間、金本、早蕨の三人が眺めていた。三人とも飛行服に着替え終わっている。


「どーなるんすかね、これから」


 早蕨が心配そうな表情でつぶやく。椅子ではなくテーブルに腰かけていた浅間が笑う。


「お、早蕨くんがガラにもなく識者みたいな顔してらっしゃいますよ金本くん」

「背伸びしたい年ごろなのだよ浅間くん。察してあげたまえ」


 茶化すふたりに早蕨がふくれっ面になる。「まじめに言ってるのに」

「じゃー教えてやろう。まずわかりきってることは」浅間が首だけ早蕨に向けながら説明する。「アメリカの後ろ楯がなくなった以上、日本の軍事力はガタ落ち。少なくともまわりの国はみんなそう思うだろう。これまで以上にロシアや中国の領空、領海侵犯が激増する。ロシアが北方領土どころか北海道にまでちょっかい出してきて、日本近海は中国の潜水艦と巡視船と工作船がウヨウヨ。ある日尖閣諸島に漁船に偽装した中国船が難破を装って上陸し、それを救助する目的で中国の軍艦がくる。“救助”したあとも駐留をつづけ、いつのまにか軍事施設をおったてて、ここはわれわれの領土だと既成事実をつくる。かくして日本は蹂躙されるのであった。とっぺんぱらりのぷぅ」


「ぜんぜんよくないじゃないですか!」


「まあ落ちつけ。いますぐにってなわけじゃない。冷戦期なんか年間のスクランブル回数が千回近かった時代もあったんだ。第二次冷戦て考えればいいさ」


 現代の空自のスクランブル発進回数は、全国の基地をあわせて年間三〇〇回くらいである。一日一回はどこかの基地から自衛隊機がスクランブルしているという計算であり、それだけ領空侵犯しそうなあやしい不明機がいるということだ。また、年間三〇〇回のうち、原因の八割は中露のどちらかである。


「あと、あれじゃないか? 沖縄が死ぬ」


 金本がいい、浅間が相づちを打つ。


「それはいえる。あそこは米軍基地があるからどーにかこーにかやってられるようなもんだ」


 早蕨が疑問をいだく。


「どうしてですか? 米軍撤退は沖縄県民の悲願というか、総意だったんでしょ? さっきのおじいさんだってそう言ってたし……」

「まあ、いかなるものも善い面、悪い面の両方があるってことだよ。沖縄の在日米軍基地だってな、そう簡単には二元論で語れねーんだよ」


 そういって浅間は沖縄の在日米軍基地の是非について語りはじめた。


「まず、基地反対派に、基地があるから経済がうるおう。基地で働く人だっているし、それのおかげで消費と税収があるっていうと、まずまちがいなくこう反論してくる。『沖縄経済は軍基地で成り立っているってよくいわれるけど、そんなことない。沖縄県の軍関係の収入は、県全体の五パーセントしかない』」


 数字はうそをつかない。うそをつくのは数字をつかう人間のほうである。とくに百分率は分母の条件がかわればまったくちがう数字に変貌をとげる。


 この五パーセントという数字には、軍用地の使用料、軍関係の雇用の給与、軍関係の消費、がふくまれている。こうみると、たしかに基地関係のすべてのカネが五パーセントのなかに入っているようにみえる。


 この五パーセントのなかには基地による騒音対策などの公共工事や国からの補助金がふくまれていない。また在日米軍人のすむ住宅の建設、維持費も考慮されていない。家というのは建てればすむというものでもない。キッチンにトイレ、冷蔵庫やエアコンもいるし、洗濯機やテレビ、洗濯機、アメリカ人だから食器洗浄機もいるだろう。これらの家具家電は一世帯ごとに必要だから、まとめるとかなりな金額にのぼるのは容易に想像できる。これらのユーザーは米兵だが、メーカーに発注するのは住宅販売会社の日本人であり、受注するメーカーもまた日本人である。つまり日本人から日本人への売り買いにあたるため、五パーセントのなかの軍関係消費にははいらない。軍関係収入に区分されるのは、たとえばコンビニで商品を買うとか、飲食代であるとか、米兵が直接支払うぶんしかない。そりゃ数字が小さくてとうぜんである。


 家を建てるときはたいていローンを組む。そのカネを融資するのは地元の銀行である。貸す相手がいなければ銀行はやっていかれない。しかも相手は米国軍人という、信用のうえでは最上級の顧客である。それに住宅のデベロッパとか、工務店とか、メンテナンス業者とか、電気、ガス、水道とか、家があるというのはそれだけで多くの支出と収入があり、資本を生み、ひいては雇用も維持できるのである。


 基地用地の使用料もばかにできない。たしかに接収の事実はあったようだが、現在では基地内に私有地をふくむ場合はそれに応じた使用料がアメリカから支払われている。最大の米軍基地である嘉手納基地は、その土地のじつに九割が私有地であり、年間二五〇億ちかい賃借料が払われている。嘉手納だけでそれである。沖縄全体の基地使用料は、年間八五〇億ともいわれている。ちなみに沖縄に存在する企業の所得上位一〇〇位を合計しても八三〇億程度である。沖縄の上位の会社が一〇〇社あつまっても、基地使用料にさえ届かない。沖縄の経済が基地に依存しているのがわかる。


 またここ数年、中国などの外国資本が活発に在日米軍基地の不動産を買収している。土地の所有者になれば、日本政府から安定的に軍用地借料がえられるからだ。外資がこぞって保有に乗り出してくるほど、基地用地の地代というのは潤沢な資産なのである。


「でも、その使用料の原資は、日本の思いやり予算なんでしょう? じゃあけっきょく、米軍は関係ないんじゃあ……」

「基地がなくなったら思いやり予算も出なくなるだろう。カネ出すための建前がなくなるんだから」


 浅間は高機能携帯電話のフラッシュニュースのひとつを早蕨にみせた。「無駄口の牟田口がまた言ってたぜ」


 そこにはこうあった。「会見にて牟田口首相、『基地がなくなったんだから沖縄にはもう補助金出さなくていいよね』」


 浅間は苦笑していた。


「この補助金てのは……」

 公共事業には国からの補助金がつきものだが、沖縄は他県にくらべ、工費にしめる補助金の割合が高く設定されている。道路では他県はだいたい七〇パーセントが相場だが沖縄では九五パーセントである。漁港整備なんかでも、他県は六五パーセント前後、沖縄は九〇パーセント。学校建設整備なら他県の五〇パーセントに対して沖縄は八五パーセント、などなど……。この高率補助金はおよそ全産業の分野に渡っている。

 この高率補助金制度は沖縄振興措置法にもとづくものであるが、はやい話が「基地があるからさ、補助金を弾むよ。それで勘弁して」というものである。


 高率補助金があるからこそ、それを受けられる前提で沖縄の公共事業は成立している。ほかの県からすればこの制度はどう考えても不公平なのだが、基地がたくさんあるから許しているのである。基地がなくなれば、高率にする理由が消滅し、財政緊縮が叫ばれるこのご時世、まちがいなく不公平だと全国から剔抉てっけつされるだろう。


 ただでさえ失業者の多い沖縄で補助金が削減されれば、公共事業は減り、さらに失業者がふえるのは必定。


「でも、基地をなくせば跡地に商業施設をつくれるし、より経済発展できるのに、基地がそれを邪魔してるって話もありますよね。商業施設がつくられれば、基地依存の経済から脱却できるんじゃ……」

「基地がなくなるということは米兵もいなくなるってことだ。補助金もなにもなくなって財布を軽くされたなかで商業施設だけ建てて、経済をまわしていけるだけのカネが米兵ぬきの沖縄県民にあるのかどうか」


 いっぽうで、在日米軍基地は県民にとってなくてはならない就職先である。基地が県民からほんとうに忌み嫌われているのなら「連中の軍門に下ってたまるか」的な感情もあるはずだが、現実には職場としての沖縄の米軍基地の募集倍率は平均で二十倍をこえ、基地に就職するための専門の学校さえあったりする。単なる仕事先としても魅力があるし、それに、基地に勤めればおのずとアメリカ兵と触れあう機会も多くなる。ネイティヴの英語を身につける絶好のチャンスでもあり、国際交流の好機でもあるといえよう。米軍基地が多いだけにこうした部分で他県を出し抜ける可能性があり、国際化が重要視されるなか、うまく使えば沖縄の前途は洋洋たるものとなるだろう。基地がなくなれば、軍基地に雇用されている一万人ちかい沖縄人の仕事とともに、その夢ははかなく潰える。


 そして、現実に、米軍基地はなくなってしまった……。


「米兵による犯罪や、日米地位協定なんかの問題はどうなんですか?」

「たしかに基地周辺でアメリカ兵が犯罪をやらかすことはある」これには金本が応じた。「じゃあ訊くけどな。日本人は犯罪しないのか?」


 早蕨の呼吸が途絶し、返答に窮する。


「沖縄にすむ沖縄人はいっさい、罪を犯さないのか? たしかにアメリカ兵がレイプ事件を起こした事実はあるし、それは許されないことだ。だが、日本人はまったくレイプをしないのか? 外国人による犯罪が問題だってんなら、中国人や韓国人、ブラジル人やイラン人、ペルー人、日本で犯罪を起こす外国人はアメリカ兵だけじゃない。全体の犯罪件数に対する外国人犯罪の割合は東京や大阪のほうが多いんじゃないか? まあ人口比もあるから一概には言えないが」


 金本は一重の目で早蕨を見据えつつ、ことばを継ぐ。


「なにも米兵の犯罪はぜんぶ許せっていってるわけじゃあない。だけど逆に米兵の犯罪をことさらに槍玉にあげるってものフェアじゃないよねって話だ」

「フェアじゃないっていうなら」早蕨が紅顔の少年そのもののようにいった。「地位協定なんて、アメリカ側が有利じゃないですか。日本国内で罪を犯した兵士を日本の法律で裁けないなんて」

「じゃあ日本の法律で裁判ができるように改定するべきって?」


 うなづく早蕨を、金本はできの悪い生徒をみる教師のような優しい笑顔で迎える。


「日本側は不平等だっていうけど、案外そうでもない。たとえば、自衛隊がイラクに派遣されたときな。イラクみたいな中東の国々はイスラム国家だから法律も基本的にイスラム法なんだ。イスラムは厳しいぞ。レイプはやったほうもやられたほうも死刑。同性愛も死刑。でだ、もしかりに、イラクに派遣された自衛隊員がその地で犯罪をやらかした場合、イラクのイスラム法ではなく日本国内の法律を適用して裁判しますよと、日本がイラクに約束させてるわけだ。イラク側も、それでもいいですよと了承して、それでやっとこさ派遣となったんだ。じゃないと、まあ、たとえばホモの自衛隊員がいた場合、最悪入国した瞬間に死刑になりかねないからな。これは極端としても、習慣、文化の相違による誤解から、こっちではなんでもないことが向こうでは犯罪にあたることは珍しくない。受け入れ国の法律に任せれば日本の自衛隊員が無用のトラブルに巻き込まれかねない。だから裁判権の所有を日本側にあるように認めさせた。ついでにいうと、二〇〇四年のイラク派遣のときには、もし自衛隊が誤射ッたり流れ弾が現地の民間人にあたって殺傷しちまっても罪には問われないようになってた。あらびっくり、日米地位協定において日本が不平等だといっている裁判権の帰属と同じか、いやそれ以上に日本に優遇たることを求めてやしないか?」


 浅間がひきとる。


「補足すると、日米地位協定ってのは、日米安保のなかに組み込まれている協定だ。もともと日米安保ってのは、ざっくばらんに要約すると『アメリカは日本を防衛する義務があるが、アメリカが攻撃されたとき、日本がアメリカを防衛する義務はない』っていうもんだ。だって日本が助けに行ったら集団的自衛権の発動になっちまうからな。それでもいいよってのが日米安保。地位協定はこれを前提に策定されているからな、ちっとくらいいい目を見させてくれたっていいじゃんかよーっていう訴えだな。アメリカの議会でも日米安保はアメリカ側に不平等だっていう声もある」


「えっ?」


「アメリカは日本を守らなきゃならないが、日本はアメリカを守らなくてもいいってところさ。なんでよその国のために血を流さにゃいかんのじゃーってな。ちなみにNATO加盟国は、同盟国が攻撃を受けた場合は協力して集団的自衛権を行使する義務を負ってる。こちらは困ったときはお互い様的な条約だが、日米安保はそこだけみれば日本有利につくられてるからな」


 テーブルの上でだらしなく後ろに回した腕に体重を預け、脚を組んで総括する。


「裁判権について不公平なのを是正しろっていうことはつまり、おれたちが中東に派遣されたときはイスラムの法律に裁かれにゃならんってことにもなる。日本にいるアメリカ兵には日本の法律を適用する、よその国に派遣した自衛隊員にも日本の法律を適用させるっつーのは、二枚舌にもほどがある。そのときこそ日本の世界的信用は地に墜ちるだろうな。在日米軍に日本が与えているいわゆる特権てのを、日本も派遣先の国々に求めてるんだから」


 すっかり自信をなくしたようすの早蕨を見下ろし、吹き出してみせる。


「まあ世の中、白と黒だけじゃーわけらんねってことよ。空戦にも絶対の正解はないだろ」

 慰めになっているかどうかは疑問の余地がある。大いに。


 そのとき金本が室の入り口に細い目をやり、おかえり、と笑った。


 浅間と早蕨もそちらを向くと、ポリプテルス隊のもうひとりのメンバーの占守が、ばつの悪そうに頭をかきながら入ってくるところだった。不機嫌に伏せられた長いまつ毛が、白磁の頬に影を落としていた。


「やっぱだめだったか」


 浅間の笑いながらの問いに、占守が美貌を曇らせる。


「きょうの飛行訓練は中止だそうです。各自日報は通常どおり提出するようにと」


「飛ばねーんじゃ書くことねーよな、なーんにも」


 浅間と金本が意地悪げに笑いあう。


 予定ならすでにおのおの戦闘機に搭乗し、いまごろは空の上にいるはずの四人が地上で雑談などしているのは、つまりこういうことだった。事件はきょうの早朝に起こったのである。


 百里基地には、その敷地内に飛び地のように基地反対派の所有地があり、用地買収もできないままいまにいたっている。反対派の土地が邪魔しているがゆえに、百里基地の誘導路はそこを迂回するように「く」の字型に折れ曲がっているなどかなり支障をきたしているのだが、飛び地とはいえ私有地でもあるし、所有者である反対派に「売らない」といわれればそれまでなのでどうしようもない。しかも私有地だから自分たちの好きにしても文句はないだろうと、その飛び地に「自衛隊は違憲の軍隊」「自衛隊は人殺しの訓練をしている」「日本の軍国主義がアジアの緊張をまねく」などとこれ見よがしに書かれた巨大看板が立てられていたりする。それだけならまだよかった。看板は動かないからだ。


 だがこの日、百里基地に点在する飛び地のすべてに所有者の反対派の人間やかれらの仲間が結集し、朝から大量の風船を膨らませては、つぎつぎ空に放って自衛隊機の発進を阻止しているのだった。そのためにヘリウムのボンベまで用意する周到さに基地関係者は唖然としたが、なにしろ色とりどりの風船がさながら空の精霊流しのように舞い上がって視界を妨げているものだから、航空機の離陸は不可能となった。反対派の言い分としては、ただ風船を飛ばしているだけ、ここは自分たちの土地なのだから自分たちがなにしようが自由だ文句をいわれる筋合いはないというものだったが、とどのつまり、空自への妨害が目的であることは自明であった。おそらくは終戦記念日が近づいているところへ在日米軍撤退という歴史的転換劇をうけ、このさい自衛隊もまとめて消滅しろと、直截にこそいわないまでも言外に主張しているようである。


 何百という風船が空に旅立っていくのをみた浅間は、「軍国主義反対とかいいながら風船爆弾のまねごとかよ。やってる発想の次元がおなじじゃねーか」と笑い、金本は「風船おじさん元気かな」とつぶやいた。


 占守はなんの感慨もいだかなかったようだが、早蕨はぷりぷり怒った。


「なんでああいうことするんすかね。自衛隊反対ってんなら、いったいだれがこの国を守るっていうんすか」

「誠心誠意の外交やって敵をつくらなかったら軍事力はいらない、軍事力があるから戦争が起こるんだって考えなんだろ」

「なんすかそれ。軍事力があるから戦争が起こるんじゃなくて、戦争があるからいっぱしの軍事力を持たなきゃいけないんじゃないですか。んな、警察がいるから犯罪が起こる、警察がいなければ犯罪は犯罪として認知されないから犯罪率はゼロになるっていう理屈とおんなしっすよ。胃袋がなければお腹が空かないとか、そういうのと同レベルのお話っすよ。ああいう連中にかぎって、いざ鎌倉のときに助けてくれおまえら自衛官なんだからおれら助けて当然だろって言ってくるんすよ。そりゃあまあそれが仕事なんすけどね。なんなんですかほんとに。それに、誠心誠意の外交ったって、日本ほど誠意のない外交をやってる国なんてないっすよ。筋の通ったことをちゃんと主張するべきところを、エヘラエヘラ笑ってごまかすような国をどこが信用してくれるんですか。まったく」


「なに、あんな連中がいるのも、ひとえに日本が平和だからさ。たとえかろうじて、ぎりぎり、見せかけの平和にすぎないのだとしてもな。考えてもみろ、イスラエルやパキスタンやアフリカで、自国の軍隊なんかいらねーってデモするやつがあるか? おれらが蛇蠍のごとく忌み嫌われているってことは、軍事力の必要性を感じないくらい平和だってことよ。おれたちなんて一生出番なしの穀潰しですめばそれにこしたことはないんだよ」


 そういったことがあり、風船がきれるか人間のほうが飽きるかして離陸ができるようになるかもしれないので、占守が率先して基地司令に残って訓練の決行の有無をあおぎ、男三人は休憩室で待機していたのだった。


「飛行教導隊だっていつまでも百里にいるわけじゃねーからいまのうちにやり合いたかったんだがなー。飛べねーとなると暇だよ……」


 浅間、金本が声をあわせる。


「な!」


 占守がふたりにつられたのか、かすかな笑みを浮かべた。「そうだろうと思って」占守は左手に下げていたビニール袋から、魅惑的な宝物を取り出した。「司令部の帰りしなにもらってきました。SDFヌードル」


 浅間は急いでテーブルから下りた。そして三人は合掌して占守をありがたそうに礼拝した……。


 占守がもってきたのはカップヌードルだった。だが、市販されているものと異なり、パッケージには日本列島をバックにSDFと大きく印刷されている。これは自衛隊むけに特別に製造されているカップヌードルで、SDFとはSelf Defense Force、つまり自衛隊のことである。おやつとして隊員のあいだでは絶大な人気をほこる逸品だ。


「しょうゆ味とシーフード、ふたつずつ持ってきましたけど、隊長はどれにします?」

「おまえらで好きなん選べ。おれはあまったのでいい」


 で、けっきょく占守と早蕨がしょうゆ、浅間と金本がシーフードとなった。


 熱湯を注いで麺が目を覚まし花を開かせるのをまつ。熱湯さえあればいつでもどこでも腹を満たせるという点が、自衛隊にカップヌードルが人気のある理由だ。


 黄金いろにひかる麺をすすりながら、テレビを見る。休憩室は飲食禁止なのだが、「あした墜落して死ぬかもしんねーんだからめしくらい好きに食わせろ」という浅間の主張により、四人そろって休憩室で食べていたのだった。


「ヌードルもってきたわたしが悪かったのかな……?」


 つぶやく占守に、金本が嘯いた。「いいやおまえはなにも悪くない。いざとなればぜーんぶ、あいつのせいにしちまやいい」


「せめて本人に聞こえねーように言えよおまえは」


 塩分を効かせたふかい琥珀いろのスープを冷ましながら飲み、早蕨が一と息つく。テレビのニュースはまだ沖縄の基地にかんする話題をつづけていた。


「さっきの話を蒸し返すようっすけど」早蕨が果敢に先輩ふたりにいどむ。「それでも沖縄から基地がなくなるってのは、マイナスの面もあるでしょうけど、プラスの面もきっとあると思うんすよ」

「ほう」

「どんな?」


 浅間と金本はふたりでひとりのように早蕨に返事をした。占守はだまって音もたてずにヌードルを食している。


「基地一本だのみの経済を改革して、新しい道を見いだせるはずです。それに、すくなくとも騒音はなくなるんじゃないかと」


「沖縄って、言っちゃわるいけど観光以外にろくな産業がないよな。それでいて大都市なみの人口密度がある。基地の補助金で食っていけているとしか思えんがな」


 と答えたのは金本。


「そりゃたしかに騒音はなくなるだろうな。でもなあ、沖縄だけでなく、厚木とか三沢とか、基地周辺の家は家賃が安かったり二重窓が標準装備されていたり、騒音で窓が開けられないからってエアコンが何台も設置されていてお値段据え置きだったりと、なにかしら利益はあんだよ。で、まあ基地から米軍はいなくなったが、さて、きのうまでアスファルトとコンクリートでがちがちに固めてた基地をどう再利用するか。ぜんぶぶっ壊して更地にしてなんか建てるか? そんな途方もないカネいったいどこにあるんだ?」


 跡地の有効な利用法のめどもないまま米軍が消えた。管理しようもない土地はすぐに荒れ、ホームレスやらヤクザやらチャイニーズマフィアやらが住み着き、犯罪の温床になり、基地よりたちの悪い恐ろしい町ができあがるだろう。利用価値もない空き地が増えれば不動産価格は暴落し、担保としての価値もなくなり、不良債権だけがふくれあがる。


「ほら、あれだよ。米軍基地はミトコンドリアみたいなもんなんだよ。ミトコンドリアも最初はただ細胞に寄生するやっかい者だったけれどもな、いまじゃミトコンドリアなしには生物はエネルギーを生産できなくなっちまった」


 金本に連なるように浅間がつづけた。


「基地がなくなって、たしかに騒音はなくなり、静かになった。だがな、それは経済が破綻しモノを売る店もモノを買う客もいない、車の往来も子供の黄いろい声も聞こえない、静かでおだやかな死の世界のしじまだろうぜ」


 うーんと唸る早蕨を横目で見て、ラーメンを食べ終わった占守があきれる。


「わたしが来るまでなにをしてたかと思えば……またそうやって早蕨くんをいじめてたんですか?」


「いじめとは失礼な。つーか占守。おれいちおうはおまえより階級うえなんだからちっとは敬意を払え。なんか最近おれのあつかいが妙にぞんざいになってきてんぞ」


「浅間、それを占守にいうのは筋違いだ」


 金本が神妙な顔つきで浅間に宣告した。


「占守二尉はおまえを正当に評価しているだけだ」

「なお問題だろ。いやまて、金本、おまえも二尉だろ。考えてみればおれずっとおまえに『おまえ』呼ばわりされてるんだけど。いまさら気づいたおれ自身にショックだわ」

「じぶんでも無意識下におまえ呼ばわりが分相応って思ってんだろ。あわれよのう」

「なん……だと……」


 浅間も金本も酒がなくとも笑い上戸である。浅間がみずから脱線した話を回帰させる。


「いやなに、期待のルーキー早蕨クンとわれわれふたりが楽しい楽しい政治談義に花を咲かせていたんだよ」

「気をつけなさい早蕨くん。このふたりは隙あらば新人を右のほうへ右のほうへと洗脳したがるから」

「聞けや」


 軍隊は徹底した階級社会であり、自衛隊も例外ではない。けれども浅間は、ともに空を飛ぶ隊のメンバーを部下としてではなく仲間として思っていた。だから新人の早蕨はともかく、浅間とつきあいの長い金本と占守がおよそ上官に対するものとは思えない口のききかたをするのは、むしろ浅間がそうするように誘導してきた部分がかなり大きかった。


「浅間の名誉のためじゃないが、どっちかっつうと早蕨のほうが右っぽかったよな」

「ああ、こいつは愛国者の素質があるな。チャップリンいわく、愛国心が戦争をおこすらしいが、郷土愛をもつことはたいせつだ」


 そこで金本が早蕨にからだをむけ、さとすような口調でいった。


「でもおぼえておけよ、新人。飛行機が両翼あってはじめて飛べるように、人間だって右と左、どちらかの翼だけじゃ生きていけないもんさ」

「なにきれいにまとめようとしてんだよ」


 ふたりがいうのに、占守は肩をすくめながら、くすりと笑った。精強な男たちのなかにあって、それは夏菊の花びらが薫風にそよぐようだった。


「そもそもは、あの怪獣とかいうやつですよ」

 当の早蕨が話題を切り換えた。


「いったいなんなんすかね。あれが原因で米軍が撤退したようなもんですし」


 おそらくはそれが、いま世界中の人間たちの関心をもっともあつめている事柄であった。一回目の<ハリー・S・トルーマン>沈没は「巨大生物との接触による事故」とのあつかいだったが、二回目の<ドワイト・D・アイゼンハワー>と駆逐戦隊のたどった悲劇は、米政府ははっきりと「交戦状態にはいった」のち、「全滅」と発表しているのである。いくら未知の生物だからといって、そんな化け物が存在しうるだろうか。一部の有識者のあいだでは、生物ではなく潜水可能な新兵器ではないかという憶測もながれ、米軍の在外基地撤収もあわせ、情勢をいちだんと混沌とさせていた。また、海への恐怖感から、外洋をめぐる豪華客船の予約があいついでキャンセルされるなど、すでに経済に打撃が出始めている。


 浅間は、あの夜に逢着した奇妙な老人を思い出していた。怨念。残留思念の集合体。武器では殺せぬ。老人と、その預言めいたことばは、とりとめもなく、ただの気狂いの世迷いごとのように思える。浅間はあのあと、すぐに警備詰所に赴き、帳簿を見せてもらったが、つねから出入りしている業者の名以外のサインはなく、また警備員たちにこれこれこのような人が通らなかったかと訊いても、そのような老人を見たおぼえはないとのことだった。いま考えれば、頭に鉄かぶと、足には脚絆を巻きつけた酔狂な出で立ちは、戦時中ならともかく、いまの世では衆目をあつめないわけがない。そんな怪しい人間が基地内に入ってこれるとはとうてい思えない。冷静に思い返せば、浅間が目を開けたまま夢を見ていたと仮定したほうが合理的な邂逅であった。


 しかし……その存在とそれが発したことばとは、なにかいいしれぬ不安を与えていた。まるで澄明な水に落とした一滴の血が煙みたく広がりながら沈澱し、上澄みだけを見ればつねとかわりないが石を投げ込めばたちまち舞い上がって水を汚すように。ヘビに直接襲われた人間は日本にはあまりいないはずだが、それでも人はヘビを恐れる。論理的理由はないがとにかくおそろしい。それに類似した、気味のわるい感覚だった。


 ナメクジウオというきわめて原始的な動物がいる。ナメクジウオはナメクジでも魚でもない。からだには脊椎ににた脊索という、中枢神経を束ねたものが通っている。この脊索が進化をして脊椎になったのが、人間をはじめとする脊椎動物のルーツであるといわれている。ナメクジウオは古代の脊椎動物の雛型を現代まで留める生き証人である。


 地球上に現れた初期の脊索動物は、ピカイアという、いまのナメクジウオに酷似した特徴をもつ泳ぐナメクジみたいなものだった。このとるにたらない、原始的な背骨をもつナメクジもどきが、人類をふくむ脊椎動物すべての直接の祖先である。このピカイアはその頼りない外見そのままに、肉食動物たちの格好の餌食となった。ピカイアに触れるものはおしなべて捕食者であり、ピカイアに近づくものはことごとく敵であった。その魔の手からのがれるため、ピカイアはふれられると強烈な刺激を脳で感じるようにみずからを改造し、からだが反射的に逃走行為に移行するように対策した。これが、動物の感じる「痛み」の原型だった。また、視界に映る影が一定以上の速度で大きくなるのを認めると、やはり反射的に逃げたいという欲求を感じるようにおのれにプログラムすることで、敵の接近を感知したときすみやかに逃避できるようになった。これが「恐怖」のルーツである。


 この祖先が感じていた痛みと恐怖は、いまの現生動物たちにも脈々とうけつがれている。もちろん、人間にも。


 痛みは遺伝上の祖先たちの遺産だ。だから個体の受けた刺激による痛みだけではなく、何億年ものあいだ世代交代をくりかえしてきたわれわれの祖先たちが感じていた痛みまでもトレースしてしまうことがある。


 事故などで腕や足を失った人が、すでにない足の裏をかゆく感じることがある。入浴したさいに、うしなわれた腕が熱い湯を浴びていると認識することがある。


 足がかゆさを感じているのではない。足のあった祖先たちの感覚を受継しているのだ。腕が熱湯の刺激を受けているのではない。腕があった祖先たちがかわりに熱いといっているのだ。脊椎の前身たる脊索をもっていたピカイアから連綿とつむがれた生命の記憶が惹起されているのだ。


 ヘレン・ケラーは先天の盲人で生まれてこのかた色を見たことがないが、彼女は赤い布に触れたとき「暖かい」といい、青い布を触ったときは「寒々とした」感じがした、と述べている。それは彼女という個体が色を見たのではない。……


 浅間にとって、老人の、ともすればただのざれごとと片付ければよいような話は、まさにそういった感覚をもって浅間に迫った。亡者のように現れ消えた老人が不安をもたらすのではない。脊髄に刻み込まれた、自身の体験に由来しない、実体なきがゆえにのがれることのできない幻痛が、浅間の胸にこごっているのだった。


「核実験でついに神様がブチ切れたのさ。もしくはなんかの動物が放射能で突然変異してばかでかくなったとかな」


 浅間が思惟しているそばで金本がいい、早蕨が手を振る。


「まさかぁ、そんなだったらいまごろチェルノブイリやマーシャル諸島は怪獣王国っすよ」

「わからんぞー、ムルロア環礁からばかでかい蛾が飛んできたり、故郷を核でふっ飛ばされた目つきの悪いいかつい鳥が復讐にきたりしてな」

「もしくは湖の底からカタツムリのお化けが出たりするんすかね?」笑いをわずかにしぼり、早蕨の声に神妙さが微量にまじる。「それに、巨体生物といっしょに現れた戦闘機の群れってのも気になるし」


 洋上に出現した所属不明機の大軍勢こそ、空母をしずめたアンノウンは新兵器ではという主張をする人間たちの論拠だった。しかもその不明機が旧日本軍機であったことから、日本が関係しているのではという嫌疑さえ、世界からかけられているのであった。その嫌疑をいだく最右翼は巨体生物による被害者であるアメリカだった。世界中でもっともはやく米軍の引き揚げが優先しておこなわれたことが、アメリカの日本に対する不信の強さを物語っていた。どう考えても日本の、いや人類の兵器などではないことは現実的観点からみてあきらかなのだが、畢竟ひっきょう、被害者というものはありもしない誇大妄想にとらわれるものなのかもしれない。あるいは、イージス艦の機密データ流出、米大統領専用機の来日のさいのフライトプランを管制官がブログに掲載するなどの相次ぐ不祥事でたまりにたまった日本への不満が爆発したのかもしれぬ。とまれ米軍の引き揚げはすなわち、日米安保の破棄をも視野にいれていることはだれの目にも明白であった。


「なあ、占守はどうおもう?」

「さあ。どうでしょうね」


 占守は悉皆しっかい興味がないらしく、生返事だけを早蕨によこした。


「さて、片付けますか」


 金本が宣言しながらスープも飲み干したカップ麺の空き容器をもって立ち上がり、浅間もわれに返った。「国を守るならまず分別から!」と書かれたごみ箱に捨て、浅間は隊長として令達した。


「各自、『ふ号作戦』が解決するまで自室待機。以上、解散」


 三人はめいめい部屋に帰っていった。浅間がテレビのスイッチを切ろうとリモコンを手に取るあいだに、キャスターはこんなニュースを伝えていた。


「きょう未明、広島県江田島付近で国籍不明の漁船が航行しているのが見つかり、海上自衛隊の特別警備隊などによって拿捕されました。漁船は船の名前や国籍をあらわすものがなく、出動した特別警備隊の停船命令にも応じず逃走し、さらに特別警備隊の船に発砲してきたため、強制的に取り押さえられました。乗っていた船員は、もっていた銃器で全員がその場で自殺しました。立ち入り調査の結果、漁船は漁業用の道具類がほとんどなく、エンジンやレーダーが軍隊仕様のものに変えられていることなどから、偽装した工作船であることが疑われています。また船の中から大量の自動小銃やロケット砲などもみつかり、これらの武器を国内に運び込む目的があったと見て、慎重に捜査を進めているとのことです。関係者によりますと、こうして実際に武器密輸が発覚するのはほんの氷山の一角で、じっさいには多くの武器が国内に入ってきている可能性があり、引き続き危機感をもって取り締まりにあたっていきたいと話していました」

  ◇


 夜のふけた大西洋の闇の海を、一隻の大きな艦艇が進んでいた。ワスプ級強襲揚陸艦USS<キアサージ>である。揚陸艦は上陸作戦のさいに地上部隊を支援するために、おもにヘリコプターや、戦車を海から陸へ運ぶホバークラフトを運用することを目的に建造された艦で、全通甲板といって艦体の上部がすべて飛行甲板となった艦容が特徴である。このワスプ級もそれで、原子力空母ほどではないにしろ、四万トンの排水量と二五七メートルという威容、艦橋構造物が飛行甲板の右舷に立つシルエットの相似から、ひとまわり小さくなった空母というような印象をうける。作戦時にはハリアーなども艦載できるが、いま甲板で休んでいる機体は海難救助用ヘリコプターのみが三十機である。つまりこのUSS<キアサージ>は撃沈されたアイクや第28駆逐戦隊から放り出されて海上を漂流している乗員を捜索、救出する任務に就いている艦のひとつだった。


 昼間の現場海域は酸鼻極まる地獄絵図だった。比重の小さい破片が海を埋めつくすように浮き、そのうえ漏出した大量の重油で海は真っ黒に染まり、それが陽光をうけてぎらぎらと虹いろに光っているのだった。破片と重油にまぎれて、腕や脚、ちぎれた腸、ずたずたの死体、焼け焦げているうえに水を吸って唇からなにから膨れ上がり、この世のものとはおもえない容貌に変じた死体などが漂っていた。救助にあたった隊員がもっともこたえたのは、破片にしがみついて息絶えている要救助者の姿だった。もうすこしはやく発見できていれば助けられたのではないかと、黒い重油にまみれた同胞の亡骸をみて自責の念にかられた。そんな無惨な光景が水平線の向こうまでつづいているのだ。まさに鬼哭啾啾きこくしゅうしゅうといったありさまだった。


 日が沈み、救出活動はまたあしたとなり、いまは明朝からの捜索開始ポイントにむかっているところだ。海流に流されていることを考慮して、戦闘のあった海域から西へ、アメリカ大陸寄りへと移動する。夜の闇が海を覆い、波の音だけがさざめいて、星のひしめく満天の空に響いている。気がつけば海はうめき声をあげる死者で溢れ、艦にしがみついて引きずりこむのではないかと悪夢にうなされる乗員も多数いた。それでも寝られるときに寝ておかなければならなかった。任務中は眠れない。


 艦橋にて操艦している面面も、沈鬱な泥のようないろの顔をしていた。あしたもまた死者たちを回収しなければならない。だが、まだ生存者がいるかもしれない。生きて、助けを待っているかもしれない。それだけがUSS<キアサージ>の千人をこす乗員のからだを動かす原動力だった。


 真夜中をすぎたころだった。静謐な光で海と揚陸艦を照らしていた月が、ふいにどこからか流れてきた雲に隠れた。


「おい! あんなところに島があったか?」


 海上を監視していた見張り番の乗員が相棒にいった。艦の進行方向に、それこそ海水のかわりに重油をみたしたような漆黒の海と、絶望いろに塗り潰された空のなかにあってなお黒い、見上げるほどの大きな山のようなものがそびえ立っていた。


 相棒はすぐに艦橋に通信した。


「十二時の方向に障害物を発見。回避行動されたし」


 艦橋もにわかに騒騒しくなっていた。監視員が前方をさえぎる島を発見するのとほぼ同時に、レーダーにその影が現れたからだ。


「副長、状況を報告」


 衝突警報のけたたましいサイレンが鳴り響くなか、艦長室から飛んできたガルシア艦長が命令すると、ヘッドフォンを首にかけた副長がからだを向けた。


「わが艦の進行方向に障害物です。距離半海里」


「なぜ事前に発見できなかった」

「監視員からも報告がありましたが、レーダー、目視、そのいずれもが、ついいましがた障害物を探知せしめたばかりです。海図にも」副長はマップ・テーブルにいま艦がいる海域の海図を広げた。「この付近に島などは描かれておりません」


 艦長はいまやるべきことを考えた。

「転舵! 取り舵いっぱい、方位2-8-5」


 乗員がそのとおりにしようとした瞬間だった。スピーカーから恐怖にかられた声が劫風となって吹き荒れた。


「島が……島じゃない! 助け……!」


 監視員からの通信はそこで途切れた。回線がダウンしたのではなく、音声が音波ごとかき消されたからだった。


 そばでジェット戦闘機が離陸するよりもすさまじい大音量が夜天を支配した。そして、USS<キアサージ>の前でたたずんでいた島が、突如動きだし、のびあがって揚陸艦の全通甲板に覆い被さった。甲板上のヘリは叩き潰され、艦橋構造物がへし折られ、揚陸艦としては世界最大のワスプ級の艦体は呑まれるように暗黒の海へと沈んでいった。亡霊たちが仲間ほしさに海の底へ道連れにしようとしたかのようだった。艦が闇に満たされた海から姿を消した。すべてはあっという間のできごとだった。だが、ひとつだけたしかなことがいえた。


 その“島”は、最大の揚陸艦であるワスプ級強襲揚陸艦USS<キアサージ>よりもさらに、さらに大きかったのである。

  ◇


 ペンシルヴェニア通り一六〇〇番地、つまりホワイトハウスの正面ゲート前は、深夜にもかかわらず蝟集した一般市民とそれをおしとどめようとする警官隊とで騒然となっていた。議会の議決もなく全世界の米軍を撤収させる大統領の強硬さに反撥する集団と、巨大生物保護を訴える動物愛護団体が中心となっているようだ。「動物も地球市民の一員」というプラカードを掲げた白人の男が、わたしはベジタリアンとプリントされたTシャツをそびやかせて、近衛兵よろしくゲート前を行きつ戻りつしている。ほかにも民衆は口々に主張を叫び、警官隊がいなければそのままホワイトハウスになだれこみそうな勢いだった。


 ホワイトハウスの中では文官、武官、そのほかの閣僚、その手足となって指示をこなすスタッフたちがいまも寝食をけずって働いていた。


「大統領、すこしおやすみになられては」


 チトー将軍が声をかけると、目の下にくまをつくったヒットリアは手を振って拒否した。


「すでにわが軍に一万をこえる死者がでている。かれらと、かれらの遺族の無念をおもえば、わたしひとりが惰眠をむさぼるなど許されない」


 いちどいいだしたらてこでも動かない。チトーはヒットリアの性分をしっていたので、それ以上は口を挟まなかった。


 ヒットリアは、閣内のだれの目からみても、精神的に追いつめられていた。なにをまちがえたのか。その慚愧の念が大統領を苦しめていた。どうすればこのような甚大な被害を出さずにおけたのか、そしてこのあと、おなじあやまちを繰り返さぬためにはどのような命令を出せばよいのか……一国の元首の重責が、その双肩にのしかかっていた。


「それで、揚陸艦のゆくえは」


 ヒットリアが尋ねると、チトーはあくまでも大統領の部下として答えた。


「不明です。三十分まえにUSS<キアサージ>からの通信がとだえて以降、無線で呼びかけつづけていますが、いまだに応答がありません。状況確認のため、ラングレーから空軍機が飛び立ちました」


 ヒットリアは、ミイラ取りがミイラになったか、といいかけて、それを喉の奥へ押し込んだ。そんなことをいってほんとうになってしまったらどうするのだ。


「最後に通信のあった場所は」

「ここです」


 チトーが丸めてあった地図をひろげ、海域を指さした。


「ニューヨークからみれば、東南東に約七五〇マイル(一二〇〇キロメートル)の沖合いです」


 ヒットリアは通信途絶地点を押さえるチトーの人差し指をじっと無言で見つめていたが、やがてぽつりとこぼした。


「近づいているな……」

 チトーもにわかに倉皇として地図を再確認し、表情を険しくした。


 USS<ハリー・S・トルーマン>が沈没した“ファースト・コンタクト”が、アフリカ大陸と南米大陸のあいだ。つぎにアイクが敗れたのが、ニューヨーク沖、東南東に約二四〇〇キロ。そして、今回は、その距離が一二〇〇キロにまで縮んでいる。


 三点を結ぶと、巨大生物は北米大陸を……このアメリカをめざしているようにもみえた。


「しかし……まさか……」


 苦鳴にもにたチトーのうなりに、ヒットリアは厳しい眼差しをむける。


「われわれは、つねに最悪の事態を想定せねばならん。チトー将軍、たとえ杞憂に終わってもいい。陸上部隊の準備、近接航空支援をはじめとした支援態勢を手配してくれ」


 うけたまわりました、とチトーがいいかけたとき、執務室の外で騒がしい物音がした。女性秘書官の、困ります、という声も聞こえる。執務室に入りきらない機材をほかの部屋にいれ、それらとケーブルで接続するため執務室のドアは開放したままになっている。

 臨時の司令部である執務室にむりやり入ってこようとするなど、どこの不届き者だろう。外でがなりたてている市民たちの一味がひそかに侵入して、大統領に直談判にでもきたのか。


 やがてその不届き者が執務室に入ってきた。濃紺の軍服を完璧に着用した白皙長身の美青年だった。毅然としながらも矯慢さを感じさせない立ち振舞いからは、ただ軍服をまとっただけの素人にはありえない、本物の軍人、真の戦士だけがもちえるオーラが見えるようだった。

 室を大股で突っ切る青年のうしろで、彼を止められなかった秘書官が必死に頭をさげて不始末を 詫びている。ヒットリアは鷹揚に手を掲げて不問に付す旨をつたえた。

 シークレット・サービスが制止しようとしたが、ヒットリアの「かまわん」というひとことで後ろに下がった。


 デスクにかけるヒットリアの前まできた青年は、大統領の目を見て、振り絞るような声でいった。


「とうさん!」


 ヒットリアは渋面のまま、まったく笑みを浮かべず、自身と同じ黄金の髪と晴天の青空をとじこめたような瞳をもつ青年を見上げた。


「ネロ。なんの用だ」

 だがおよそ息子のいいそうなことは見当がついていた。ネロの端正な顔に激情の嵐が吹き荒れている理由、わざわざ所属のラングレー基地からホワイトハウスに直接乗り込んでくるようなバカをやらかす理由などひとつしか思いあたらない。


「なぜぼくを前線から転任させようとするんです。知っているんですよ、さきほどラングレーから捜索のためにスクランブルがありました。やつは、確実にここへきているんです、ここへ!」


 デスクを指示指で叩くネロには、憤懣やるかたないようすがあらわれていた。巨大生物の動向について同じ推測をするあたりは、さすがに血をわけた親子らしいというべきか。


「このままやつが接近すれば、東海岸は戦場となります。まさに東海岸が前線なんです。それなのになぜいま、ぼくを、ぼくが率いるアンサン隊をラングレーから遠ざけようとするんですか!」

「おちつけ」


 ヒットリアはネロをなだめにかかった。そうとうな数の人間が好奇の視線をふたりに浴びせていた。


「われわれの脅威はやつだけではない。アメリカが東海岸に戦力を傾注しているあいだに、よその国から攻撃を受けるかもしれん。それらの仮想敵にそなえるのもりっぱな仕事だ」


 大統領はさとすようにいったが、ネロの憤怒が減じることはいささかもなかった。

「詭弁がじょうずになりましたね、とうさん。なんといわれようと、ぼくはラングレーからは離れません。あらゆる戦力が必要なときです」


 ヒットリアはふかく息を吐きながら椅子の背もたれにからだを預けた。

「ネロ。ここはホワイトハウスだ。この公の場ではわたしはおまえの父親ではなく、三億の国民のあすを預かる合衆国大統領であり、全軍を指揮する司令官なのだ。公私を混同するな」

「どっちが」ネロの追及は休まらない。「どっちが公私混同しているんです。とうさんのことだ、どうせぼくを安全な任地にまわそうとして……」

「ネロ!」


 ヒットリアの雷のような声で、一瞬、場は静まりかえった。ヒットリアは口調を落ち着かせてひとことひとこと、ゆっくりといった。

「おまえはまだ若い。最前線で派手に戦い武功をあげたいと思うきもちはわかる。だがこの非常時におまえの希望だけを聞いてやることなどできん。おまえはよけいなことなど考えず、命令にしたがっていればよい」


 ネロの両の握り拳はわなわなと震えていた。

「空軍と海軍のちがいこそあれ、やつに殺されたのはまぎれもないぼくらの仲間です。それがいままた祖国に害をなそうとしているかもしれないのに、尻尾を巻いて逃げるなど、ぼくにはできない!」


 そのあまりに潔癖で凄烈なネロの目にたえられず、ヒットリアは視線を外した。なぜたえられなかったのか、理由を考えなかった。考えるのがおそろしかった。

「帰れ」

 やっとそれだけいえた。

「わたしは公務中だ。子供の駄駄につきあっているひまはない」

 ネロはさらになにかいいたそうにしていたが、振り切るようにして踵をかえし、入り口のところでもういちど父親を睨んで、それから肩で風を切って出ていった。ハリケーンのようだった。


 不自然な静謐に包まれていたのが、音量の絞りをもどすようにもとの喧騒に入れ替わった。


「アンサン隊は」ヒットリアは統合参謀本部議長たるチトーに命じた。「西海岸の空軍基地に配備しろ。ネヴァダでもかまわん」

「了解しました、ミスター・プレジデント」

 ヒットリアの顔は憔悴しきっていた。

「あれで飛行隊隊長なんだからな。わが倅ながらよくまあ勤まるものだ」

 チトーはあくまで真面目な表情をくずさなかった。「若いのに優秀なご子息ではありませんか」


 ヒットリアは微笑したが、すぐに消えた。その青い瞳はさきほどまでチトーと話し合っていた地図を見据えていた。それは必ずしも地図そのものを見ているのではなく、地図を媒介として大西洋を鳥瞰し、そこにいるはずの“奴”を見ているのだった。


「来るなら……来い」

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