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五   復讐者

 金本が自室へと引き上げ、ひとりになった浅間は、妻の璋子にメールを送信した。

 内容はたあいもない。近況をたずね、母親の面倒を見てくれていることへの感謝のことばをつづった、いつもの文面だ。

 すると、璋子から、メールではなく、電話がかかってきた。

「いま、大丈夫ですか?」

 時刻は夜半の一時をまわったところだ。浅間が電話ではなくメールを送ったのは時間のせいもある。

「おう。いまあがったとこ。あとは寝るだけだよ。どうしたんだ」

 いつもならメールの返信ですますのに、と気にかけながら浅間はベッドに腰をおろした。

「たまにはお声を聞きたいと思いまして」

 匂いたつ色香のなかにも凛とした張りのある璋子の声が、浅間の耳朶に心地よい響きをもたらした。

「でもいつお電話していいかわかりませんし、あなたもお疲れでしょうし」

「そうか」

 電話越しの璋子の声には、どこかしら疲労の音韻があった。原因は考えるまでもない。

「母さんのぐあいはどうだ?」 璋子は、ああ、お義母さんですか、と間をおいてから、

「このあいだ……」

 浅間の母親のもうろくは、さらに悪化の一途をたどっているようだった。

 三日まえには、真夜中に大声で叫びながら家のなかを走りまわり、璋子がおさえようとしても、信じられないほどの力で撥ねのけ、リビングの椅子から椅子へ、椅子からテーブルへと猿より身軽に跳びまくった。

 あげく、ガラス戸に体当たりしてガラスを破り、全身血まみれの状態で町内を徘徊したそうである。

 そのときの母親は、足腰の萎えた還暦すぎの老婆とは思えぬ身軽さだったという。

 浅間もにわかに信じがたかった。浅間が最後に母親を見たとき、母親は、ほとんどかたつむりくらいの速さでしか歩けないくらい足が衰え、からだを動かすたびに、痛い、痛いとうめくありさまだったからだ。

「あれだな、大むかしに狐憑きとかいわれてたのは、あんがいこういうのが真相だったりしてな」

「じぶんのお母さんをそんなに悪しざまにいうものではありません」

 たしなめられて、浅間は素直に謝った。それから、

「すまないな。おまえには面倒ばかりかける」

 といったのは、本心からだった。璋子の声も柔らかくなった気がした。

「面倒なんかじゃありません。お義母さんはわたしにとってもお母さんですから……」

 そのことばが、浅間を気に病まさぬためのものであることくらいはわかる。

 わかるからこそ、よけいに胸が痛む。

 だが浅間は、そんな胸中はおくびにも出さなかった。気遣ってくれていることに気づけば、その気遣いを無碍にすることになる。

「せめておれもいっしょにいてやれればいいんだが」

「そんなこと言わないでください」

 璋子は即答した。

「あなたには、たいせつなお仕事があるでしょう。わたしだって馬鹿じゃありません、自衛官と結婚することがどういうことかくらいはわかっているつもりです。あなたがそんな弱気になってどうします」

「あ、うん、はい」

「お仕事なんですから、しかたないでしょう」

「ちょっとまて、どっかで聞いたことがあるぞ。女が仕事だからしょうがないよねって言うときは、すでにふたりのあいだに末期がきているとかなんとか」「そうですよ」

「えっ!」

「放っておいてもいつまでもまっていてくれるなんて考えてたら、わたし、どっか行ってしまいますよ」

 だから、と璋子は鳴禽めいきんが歌うようにいった。

「ちゃんと、しっかり捕まえておいてくださいね」

 いたずらっぽく笑う璋子に、浅間は苦笑するほかなかった。男とは、女に一生かなわぬ生き物であるらしい。

「香寿奈はどうよ。いまは……もう寝てるか」

「ええ。あの子もがんばってるんですよ。わたしがどうしても家を空けないといけないときには、かわりにあの子がお義母さんの介護をしてくれてるんです。ほんとう、あの子のおかげ」「へー。そりゃ、あいつにもなにかご褒美がいるな」

「そういえば、あなたの飛んでいるところを見てみたいなんて言ってましたけど」

「かわったやつだな。さすがおれの娘」

 浅間はちょっと考えてから、

「百里はむりかもしれんが、ことしの富士の総合火力演習の特等席をとってやるくらいならできるかもしれんな。ツテがないでもないし」

「それって、職権濫用じゃありません?」

「人聞きが悪いな。役得だよ。それに未成年者をひとりでこさせるわけにはいかないから、自動的におまえもご招待ってことになるな。母さんは、まあデイサービスかなんかに預けたり」

「香寿奈に話して、あの子が行きたいっていったら、考えますけど」

 璋子はことばを切り、おだやかに続けた。

「あの子、あなたがいないなら行きたくないって言いますよ、きっと」

「困ったちゃんだな」

 それから、心臓が四、五拍するくらいの沈黙の間があった。

 気まずい沈黙ではない。互いが互いをいたわろうとしているなごやかな沈黙だった。

「――待ってます」

 ふと、璋子がしとやかにいった。

「香寿奈と、お義母さんといっしょに。だから……」

「…………」

「きっと、無事に帰ってきてください」

「縁起でもねーこというんじゃねー」

「ごめんなさい」

 ふたりは声をおさえて笑った。

「あなたのお元気そうな声が聞けてよかったです。安心しました」

「ああ、おれもだよ。香寿奈にもよろしくな」

「ええ。こんな夜遅くにお電話してしまって、ごめんなさいね。じゃあ……おやすみなさい」

「ほーい、おやすみ」

 浅間は、璋子が電話を切ったのを確認してから通話を終了した。

 浅間は、家族がたいへんなときに帰ることができないわが身を呪いながら、気分を落ち着かすために、施設内の自販機でペットボトルのお茶を買い、テレビのある休憩室へ行った。

 休憩室にはだれもいなかった。かえって気が楽ではあった。

 テレビをつけたが、ろくな番組がなかった。しかたがないので、ニュースにチャンネルを合わせた。

「ことしの終戦記念日を前に、牟田口むたぐち首相は、靖国神社への参拝をおこなわないことをあらためて表明しました。きょう午後、終戦記念日に靖国神社へ参拝に行くかどうかを尋ねられた牟田口首相は、取材陣に対し、『就任当初から申し上げているように、わたしや内閣は八月十五日に靖国神社へ参拝はいたしません』と答えました」

 そこで画面が牟田口へのぶら下がり取材の映像に切り替わった。

 報道陣にかこまれた牟田口は、脂肪のたっぷりついた浅黒い顔に、権柄づくな表情を浮かべ、取材に応じていた。

 取材陣のひとりが質問する。

「靖国参拝をおこなわない理由はなんですか」

 牟田口は顔いろひとつ変えず、しれっと答えた。

「理由がなかったら参拝しなきゃいけないの? それに、八月十五日に総理大臣が靖国に行かなきゃいけないなんて、そんな法律でもあるの?」

 映像はそのままで、音声だけがニュースキャスターのものに入れ替わる。

「また牟田口首相は、靖国神社に合祀されているのは、アジアの国々に多大な被害と苦痛を与えた戦犯であり、そこへ日本の総理大臣が参拝に訪れることは、軍国主義の礼讃と戦争の美化につながるとコメントし、靖国神社への参拝を、あらためて否定しました」

 映像がかわり、平和研究家というあやしげな肩書きをもった、頭髪の薄い男へのインタビューが挿入される。

「靖国神社には、特攻などで死んでいった、あー、戦死者、戦争の犠牲者、などといっしょにですね、東條英機をはじめとしたA級戦犯も合祀されているんですね。これがよくない。中国、韓国の人たちの感情をわざと逆撫でしているようにしか思えない。これはすぐに分祀するべきですね。靖国に合祀するということにこだわって、ほかのアジアの国々に対する配慮がない。アジアのなかで孤立することは国益にも影響を及ぼしますし、それに、祀られている戦死した人だって、A級戦犯と同じところで眠らされるなんて、うれしいとは思わないんじゃないですかね」

 ふたたびニュースキャスターの音声が入る。

「牟田口首相が靖国参拝をおこなわないことを表明したことについて、中国の尚報道官は、『正しい歴史認識にもとづいた常識的判断であり、評価に値する』との声明を発表しました」

 浅間は無言で茶をあおった。

 いちどできあがった世界のかたちは、そう簡単にはかわらない。

 それこそ世界が破滅するほどの凶事でもなければ、社会の免疫ともいえる恒常性がすべての変化をこばむだろう。

 だから、と浅間はおもう。

 だから、いまはこのままでいいのだ。

 戦争のすべてを否定することを平和ボケというのなら、いまの日本が平和であるということの証左だ。

 危機感をもち、他国のうごきに神経をとがらせ、人生をも摩滅させていくのは、じぶんたちだけでいい。

(国民が安穏と眠っていられるために、おれたちがいる)

 のである。

 さて……。

「アメリカのヒットリア大統領は、日本時間の午後八時ごろ会見を開き、原子力空母<ハリー・S・トルーマン>沈没の原因は、巨大な生き物との接触によるものとの公式見解を発表しました」

 荒唐無稽なニュースが耳に飛び込んできて、浅間は緑茶を気管のほうへ流しそうになって、はげしくむせた。

 ひとしきり咳き込んで画面に目を投じると、野生動物研究の大家としてしられる大学教授のインタビュー映像が流れていた。

「空母を沈めることができるほどに大きい生物って、どういったものがかんがえられますかね」

 インタビュアーが質問すると、大学教授は首をひねり、

「ちょっと考えにくいですけどねえ。空母って何百メートルもあるんでしょう? それを沈めるってなるとねえ……。現在発見されている動物のなかで、脊椎動物でもっとも大きいのがシロナガスクジラ、これがだいたい三〇メートルくらいでして、無脊椎動物だとキタユウレイクラゲってのがいて、これがおおよそ五〇メートルくらいといわれていますが、どちらも空母を沈めるっていうのは難しいと思います。ほんとうに生物なら、まだわれわれが遭遇していない未知のものではないかと思います」

 必要だったのかどうかもわからないインタビューだ。

 米海軍の空母打撃群が演習している資料映像にかわって、キャスターがニュースを読む。

「ヒットリア大統領は、巨大生物への警戒のため、現場となった北大西洋にあらたに部隊を派遣することを決定したほか、NATO、北大西洋条約機構をはじめとした各国に支援を呼びかけています。また大統領の発表をうけ、国際自然保護団体グリーンピースが、生物の保護を求めてデモ活動をするなど、波紋が広がっています」

「本気にしてるのかよ……信じらんね」

 気分転換のつもりがむしろ逆効果だった。

 にわかに尿意を感じたので、テレビとペットボトルをそのままにしておいて、浅間はトイレに立った。

 夜でも煌々と灯る基地の照明に、昼と勘違いしたアブラゼミが鳴いているのがきこえた。

 用を足して休憩室に戻る途中、浅間は、廊下に孤影が落ちているのを見つけた。

 廊下のむこうに、異形の人物が佇立していた。

 糞雑衣ふんぞうえとよばれるぼろ布みたいな黒い装束を身にまとい、履いている足袋も、きっと白かったであろうに、泥と垢にまみれ、黒ずんでいる。

 馬手めてには鉢。

 弓手ゆんでにもったりんが澄んだ音色をかなでる。

 肩幅くらいもある菅笠すげかさを目深にかぶっているため、顔は確認できない。

 托鉢僧であった。

 しかし、汚ならしい僧である。

 最近の托鉢僧といえば、

「清潔そのもの」

 の格好で、ほんとうの僧侶でないのが日銭をかせぐ目的で乞食している贋物にせものばかりなので、その人物は、一種異様な怪異として、浅間の目にうつった。

(それよりも……)

 問題は、なぜ基地内に部外者がいるか、である。

 不審に思いつつ、浅間は托鉢僧に近づいた。雲水は浅間のほうをむいたまま、微動だにしない。

 鈴がまた歌う。

 外の蝉がいつのまにか鳴きやんでいることに、浅間はきづいていない。

「すいません、ここは関係者以外、立ち入り禁止なんですよ。出入口までご案内します」

 どうやってはいってきたのか、という疑問はさておき、浅間は公務員らしく無難なことばをえらびながら語りかけた。

 すると、

「これは、復讐だわえ」

「は?」

「罪なき人びとを燒き殺し、許されざる汚れた火をつくったものどもへ復讐をするために、あれは海の深きところよりやってきた。まさに惡鬼ぞな。鬼はときに人を生み、人はときに鬼を生む。あれほど邪惡な鬼はおらぬえ」

 その声は、男とも女ともつかぬ中性的な響きをしていた。しかも、若いのか年寄っているのか、歳のころの見当がつかない声色である。

 顔も笠で見えないので、年齢も性別すらも、まったく不詳の僧侶であった。

 浅間は、どことなく薄気味悪くなり、

(なんとか追い出せないものか)

 思案して、

「復習ったって、予習復習は学生の華ですよ。ささ、おとうさん、基地内に許可なく入ってきてもらっちゃ困りますんでね。迷われたんなら、出口までご一緒しますから」

 愛想笑いをうかべてうやうやしくいった。

「あの怪獣は鬼だわえ」

 正体不明の雲水はかまわずに続けた。菅笠からととのった顎がのぞいた。

「憎しみと怒りの怨念から生まれ魍魎もうりょう。生物にあらず、この世のものにあらず。あれは人殺しの武器では殺せぬ。そしてやつばらに報いを与えるであろ」

「へー、どんなですか?」

「死と破壊、そして、呪い」

 雲水の冷徹な、だが狂えるほどの激情をすさまじい自制心で抑えているような物言いに、浅間はややたじろいだ。

「空母を襲ったのは、ほんの手始めだわえ。あれは遠からずアメリカに上陸し、すべてを灰にせしめよう。その歩みをとめることなどできぬ。かれらの怨みは、それほど強い」

 浅間は、雲水の空気に呑まれ、そのことばを忖度そんたくし、頭をめぐらした。

「その怪獣ってのは……」


 なぜか、浅間は真剣に訊いた。

「アメリカの原子力空母を沈めたっていう、巨大生物ってやつ……?」

 僧は笠ごとゆっくりと深く頷いた。

「いまもアメリカの船と戰っているさなか。憎しみの業火は大海の水をもってしても消えることをしらぬ。アメリカは遠からず滅び去る。殘された時は少ないえ。やるべきことをせよ」

「やるべきこと……?」

 浅間の脳は混乱した。まず尋ねなければならないことがあった。

「その怪獣は……いったいなんなんですか。なぜアメリカを?」

「あれは」

 雲水のからだがこわばる。

「さきの大東亞戦争で散華した、數えきれぬ英靈たちの殘留思念の結晶じゃ。故國から遠く離れた南の海で、はるかなる空で、アメリカに無慘に殺された怨念が具象化しているのだわえ」

 異装の托鉢僧と浅間が、百里基地の通路で対峙していた。

「そして、あのとてつもない火に一瞬で命を奪われ、また苦しみぬいて死んでいった多くの人びとの魂までとりこんでいる。もはや人類のもつ武器ではあれを倒すことはかなわんわえ」

「英霊の……魂が……?」

「かの國を滅ぼしたのちは、あれは日本にもこよう。すべてを燒き盡くし、死の荒野にするであろ」

 不吉な予言だった。笠の下で、雲水はどんな表情をうかべているのか……。

「まってください。その怪獣ってのが、日本のために戦争で命を散らした英霊の、集合体っていうか、そういうのなら、なんで日本を攻めるんですか?」

 浅間がいうと、

「そちゃらが忘却のかなたに追いやってしまったからえ」

 白刃となった言葉が雲水につきつけられた。

「國のために、平和のために命を懸けた英靈の魂を貶め、はずかしめているからえ」

 そのとき、大地と空気を鳴動させる爆音が鳴り響き、意表をつかれた浅間はおもわずうしろを振り返った。

 施設内から見えるはずもないが、F-15Jイーグルがスクランブルしたらしい。よくあることだ。

 もういちど首を戻すと、そこに雲水の姿はなかった。

 廊下を見渡してもその姿はない。

 走って逃げたというよりも、煙のように消え失せたという感じであった。

 また、アブラゼミが時ならぬ夜の合唱をしはじめた。

 判然としないまま休憩室に引き返すと、つけっぱなしにしていたテレビから、かん高いメロディがながれた。

 ニュース速報だった。画面上に表示されたテロップを読んで、浅間は愕然とした。

「米政府は日本時間午前1時31分、北大西洋にて巨大生物と交戦状態に突入したと発表」

 いまもアメリカの船と戦っている……托鉢僧のことばが幻聴となって浅間の耳にこだました。

  ◇


 濃い青空と燦々たる陽光の下、F/A-18Eスーパーホーネット二十八機が、雁行する隼の一群を高位から捉える。

 第102戦闘攻撃飛行隊リーヴズアイズのリーダーが発破をかける。

「一機でも減らす。艦隊の仕事を増やすなよ!」

 リーヴズアイズの戦士たちが威勢よく了解の返事をする。

 第142戦闘攻撃飛行隊ウィズインテンプテーションズのリーダーも負けてはいない。

「空に生き、空に散ったリーヴズアイ12、テンプテーション7の歎きを晴らすぞ。しまっていけ!」

 ウィズインテンプテーションズのメンバーのみならず、リーヴズアイズのパイロットたちもが応と返す。

「ちょ、隊長。おれはまだ死んでないですよ!」

 隼に砲火をくらってダメージを負ったウィズインテンプテーションズ七番機が、よたよたと空母に帰艦しながら言った。ライノのパイロット二十八名がいっせいに「アーメン」と唱えて無事天国へ送られるよう祈った。

「死んでませんって!」

 そして、リーヴズアイズのリーダーの「ゴー!」のかけ声で、ふたたびスーパーホーネットが雪崩をうって隼の後上方よりダイブする。

 まばたきする間にも距離が縮まり、ついに彼我を隔てる空間が四〇〇メートルをきる。

 照準をさだめ、トリガーを引く、のをこらえて、スロットルを絞り、減速。

 目が血走るほどにおのが敵を凝視する。

 後方よりの接近を見すましたように、隼が右、ある機は左にロールし、急旋回で回避を開始した。

 予測していた挙動に、F/A-18Eパイロットたちは距離を維持しながらそれぞれの目標の行方を見る。

 飛行機は、急な旋回をすると速度が落ちる。

 軽快機敏な機動をしてみせる隼とて例外ではない。

 もともと速度に優れてはいない隼の気速はさらに落ち、ライノのパイロットから見れば、その機体がHUDからはみ出さんばかりに肉薄せしめていた。

 これでは外しようがない。

「ファック・ミー!」

 旋回中に射撃して敵に当たるまでの時間差を計算に入れ、こんどこそ機関砲のトリガーに指をかける。

 M61バルカンが二十ミリをぶっ放し、それはオレンジの光を空の青と海の青のなかに存在感を主張しながら、隼の機体へ吸い込まれる。

 正確なねらいをつけられた猛射撃の嵐に、一式戦闘機はなすすべもなく穴をうがたれ、黒煙と火をふかせて海へと墜落していった。

 同じことがほかの隼を襲った。

 二十八機のライノがたがわず二十八機の隼を機関砲で叩き墜とした。

 爆発して木っ端微塵になるもの、機体の長さの三倍以上の炎をひきずりながら高度をおとし、海に突っ込むもの。

 火も煙も出さずにきりもみに回転しながら、それでも旋回をつづけ、螺旋に回りながら海面に叩きつけられるもの。

 さまざまいたが、とにかく敵機を半数以上片付けたのだ。

 両飛行隊はみな意気軒昂となった。

 喜びもつかの間だ。数で勝っていたがゆえに撃墜をまぬかれた残機が、仲間が犠牲になった隙をついて、ライノ部隊の後方をとりはじめていた。

「やらすか!」

 スーパーホーネットは二発のターボファン・ジェットエンジンをうならせ、機体を急加速させた。

 轟音を置き土産に、一式戦闘機の群れから距離をとる。

 だいぶ数の少なくなってきた隼たちは、F/A-18Eが離れていくと、からまった麻の紐を器用にほどくように編隊を再度ととのえ、進路をもとにもどした。

「あくまでも本命はアイクってわけかよ。しゃらくせえ」

 みたび、ライノ部隊は隼編隊の後上方に占位した。

 さっきとおなじようにやれば、この部隊を全滅にできる。

 ミサイルがあれば。そう思ったパイロットはひとりやふたりではないはずだ。

 ミサイルさえあれば、こんな面倒な空戦をしかける必要もなく、反撃のうけるおそれもない遠くから一方的に撃墜できたろうに。

 リーヴズアイズのリーダー機が音頭をとり、突撃。

 正確に敵機の尻につけ、回避行動をうながし、速度が落ちたところを屠る。

 隼の翼がちぎれ、胴体がふっとび、機体がひしゃげ、爆発した。

「当空域の敵性航空機の全滅を確認。全機撃墜だ!」

 ホークアイの無線に、リーヴズアイズ、ウィズインテンプテーションズは沸いた。

「どんなもんだ!」

「日本語で、なんていうんだっけな、こういうの。そうだ、カタキウチってやつだ」

 かれらは艦隊へむかう隼のうしろから忍びよったので、機首が艦隊のほうにむいている。

 迫り来る巨大生物を受けとめるように横をむいて展開しているグレイの巡洋艦、駆逐艦の艦影が海のきらめきのなかにおぼろげながらも確認できた。

 それらイージス艦から、ひっきりなしに白煙と火炎を曳いてミサイルが打ち上げられている。

 ミサイル群は逆Uの字を描いて海面すれすれまで高度を落とし、そろって海の上を這うような超低空飛行を開始する。

 トマホークを筆頭とした巡航ミサイル、対艦ミサイルが途切れることなく発射される。

いまや海の上は膨大なミサイルスモークで霧がたちこめているようになり、上空からみれば、艦隊と巨大生物をつなぐ雲でできた橋が架けられているようでもあった。

 海面のすぐ下を巨大生物が航走する。

 真っ正面から断続的にミサイルが直撃し、爆発をおこすが、意にも介さず艦隊へ猛進してくる。

 そのとき……。

 またもやアンノウンから、天雷の轟きをともなう大音響が発せられた。

 大気を割り砕き、聞くものの鼓膜を貫通し脳を揺さぶる慟哭に、パイロット、艦隊クルーたちは顔をゆがめた。

「くそ、またかよ。なんなんだよこの声は!」

 自身の悪態さえ自分で聞こえない鳴響に、おもわずかたく目を閉じたものも少なくなかった。

 瞬間……聴覚の過負荷にたえきれず目をつぶったものは、ふしぎな感覚に陥った。

 リーヴズアイズのリーダーもそのひとりだった。

 暗闇に包まれた瞼の裏で、写真撮影のストロボのようにほんの一瞬だけ、ほとんどサブリミナルにちかいわずかなイメージの断片が閃いた。

 それは、いまのじぶんとおなじように戦闘機のコクピットに搭乗しているが、計器やキャノピーが相当な旧式のものだった。

 キャノピーは手で開閉できるようなただの風防で、半世紀以上むかしの機体のように思われた。

 右手はしっかり操縦桿を握っている。

 そして、レトロというか、アナログなOPL(電映照準器)の十字形の視界に広がるのは、古めかしい戦艦の巨大な偉容。

 その船体がどんどん大きくなっていく。

 機体のすぐ上下左右の空間では、戦艦からの熾烈な対空砲火が炸裂している。

 それでもかまわず機体は戦艦へ突撃。

 そして……。

 搭乗機は艦へ激突し、視界は暗転した。

 つぎの瞬間には、灰いろに閉ざされた空に、天を覆うほどに大きなキノコ雲が映された。

 世界の終末のような画像だった。

 はっと目を開けると、そこはさっきまで仲間とともに飛んでいた、北大西洋の海上だった。

 列機もいる。

 蒼茫たる海には、ミサイルを射ちまくる艦隊もいる。

 ミサイルの直撃を連続で喰らいつつも駛走をやめない、あの巨大物体も。

「なんだ、いまのはなんだったんだ。幻覚か?」

 リーダーに僚機からの動揺しきった声が届いた。

「どうした」

「わかりません。わかりませんが、なんか変な映像がフラッシュバックして……。ちくしょう、LSDをキメすぎたか」

 白昼夢か、幻影か。そのようなものを見たのは、リーダーだけではなく、むしろ何人もいた。

 複数人が見たとなると、戦闘により交感神経が興奮して集団ヒステリーにでも陥ったか、それとも……。

 軽いパニックになっているなか、高高度より戦域を見守っていたE-2Cホークアイから緊急入電があった。

「エクスシア1より全部隊へ。艦隊の東の方向、約三十三海里の空に未確認航空機の機影を確認。数……三〇! いえ、なおも増加中。現在機影の数、五〇オーバー!」

「なにっ」

 だれもがそう聞き返した。ホークアイとリンクしているF/A-18スーパーホーネットのレーダーには、いつのまにか敵機をあらわす光点が何十個も出現していた。


  ◇


 ロシア大統領との直通回線での会談を、ヒットリアは中途でなんの益もないとさとってうやむやに切り上げた。ため息とともに革ばりの椅子に腰を深くしずめる。

「クレムリンはいったいなにがしたいのでしょうか」

 サラザール首席補佐官も呆れた顔をしていた。

「さあな。ひとつ言えるのは、受話器から馥郁たるウォッカの芳香が漂ってきたということくらいだ」

 大統領執務室は、軍の諸将、秘書官、各分野の顧問のスタッフたちなどであふれんばかりだった。

 ひっきりなしに人が出入りし、運びこまれたテーブルの上にはラップトップをはじめとしたコンピューターがところ狭しと置かれ、ケーブルが大蛇のように絨毯を這いまわっている。

 大西洋軍、NATOの代表や代行、イギリス、フランス、中国の駐米大使も執務室内に集まっている。

 およそ国内にいるほとんどの要人が一堂に会するこの場は、状況さえちがえば高級スーツのカクテル・パーティーといった様相となっていた。

 大統領自身は、イギリス女王がテディ・ローズヴェルトに贈ったという巨大なデスクについている。

 約一時間前……。

 ペンタゴンからの連絡で、第8空母打撃群が例の巨大物体と交戦状態に入ったという情報を受けたヒットリアは、すぐさまこの執務室を総司令部とさだめた。

 弔い合戦の機会がはやくもめぐってきたと、多くの者がいきりたっていた。

 何十台もの電話が同時に鳴るなか、ある電話が受信を確認した。国防総省からの直通回線だ。チトー将軍がとった。

「そうか」

 チトー将軍は顔いろひとつ変えずに報告を聞いた。電話を置き、大統領のデスクの前に立つ。

「たったいま入ってきた情報です。邀撃したF/A-18スーパーホーネットが一機、撃墜されたとのことです」

 ヒットリアの渋面にさらなる深刻さがあらわれた。

「どうやって墜とされたんだ。ヘリならともかく、戦闘機はそう簡単にはつかまえられんぞ」

「それが、墜としたのは、くだんの巨大生物ではなく」

 チトーはあえて揺るがぬ冷静さを強調した。

「ハヤブサ、という第二次大戦時の旧日本軍戦闘機だそうです」

 ヒットリアは快晴の天頂のごとき青い目を所在なげに泳がした。

 顎をなで、どうリアクションすればよいかを黙考する。

 むりやりのように口を開く。

「戦況は?」

「芳しくありません」

 さすがのチトーも声が重い。

「その敵航空機とアンノウンとの関連性は?」

「現時点では不明です。ですが、敵性航空機は、ハヤブサ、ライデンなど、すべて戦時中の旧日本軍機で構成されているそうです」

 ヒットリアは眉間に深くしわを刻み、懊悩に苦しみ、デスクに肘の杖をついた右手で頭をかかえた。

 そして、室内のだれにも、目の前のチトーにさえ聞きとれなかった囁きを残した。

「そうか。日本が……」


  ◇


 ライノのパイロットたちは、錯綜する情報に翻弄され、赫怒の炎に身を焦がされていた。

 ホークアイが報告してきた三十三海里という距離は、約五〇キロメートルあまりだ。

 強力なレーダーによる電子の監視網をしくE-2Cホークアイが、そんな距離まで接近されるのにいまのいままで気がつかなかった、などということがあるはずがなかった。

「おいエクスシアイ。なんでそんなに敵機に近づかれてんだ。まったりポルノでも見てシコシコしてたのか」

 リーヴズアイズの飛行士の口調は燃えるような怒気をはらんでいた。

 ホークアイが敵機接近の探知に遅れてしまったがために、リーヴズアイズとウィズインテンプテーションズは兵装も不十分なままで空戦を余儀なくされ、結果、リーヴズアイズは仲間をひとりうしなったのだ。

 さらにそのうえ、五〇キロという、ミサイルの射程にすら入るほどちかい距離に侵入されるまで、敵機の存在に気づかなかったとなると、戦闘攻撃飛行隊のホークアイへの怒りもむりはなかった。

「ちがうんだ、リーヴズアイ9。われわれは全方位のレーダーからかたときも目を離してはいない。ほんとうにこいつらは、突然レーダー上に現れて……」

「たわけたことを! さっきの雷電だか隼だかいうやつはステルスのスの字もねえ旧式機だった。そんなやつらがわんさかやってきてぎりぎりまで近づかれるまでレーダーに反応しないなんて、そんなばかなことがあるかい」

「しかし、現に……」

「なんだよ。じゃあやっこさんは幽霊かなんかだって言うのか?」

「よせ」

 みかねたリーヴズアイズの一番機、リーダーが止めた。

「エクスシア1、未確認航空機の予想進路は?」

 早期警戒飛行隊エクスシアイの一番機、エクスシア1のレーダー官が職業軍人の声にもどって回答する。

「進行方向は正確に西。艦隊のほうへ一直線にむかっている」

「訊くまでもなかったか」

 リーヴズアイズのリーダーは、仲間に平常心と合衆国海軍パイロットとしての余裕を思い出させるため、わざと笑いながらいった。

「もういちど闘牛と面と向かってガンを叩きこむぞ。同高度正反航攻撃、用意」

 ライノたちはすぐさま旋回して、新たに出現した敵航空機へ足をむけた。

 レーダーをチェックする。

 敵性航空機を表す輝点は爆発的に出現してきている。

 なるほど、たしかに敵機は、レーダーの探索範囲の外から侵入してきているのではなく、レーダースクリーンに唐突に現れているようだ。

 その出現している座標は、あの巨大物体と寸分たがわず同じだ。

 艦隊まであと五〇キロにまで接近した、あのアンノウンと。

 みながみな、混乱した。

 陽光にきら、きら、と輝く点が青空に浮かんでいる。

 パイロットたちのHUDには、ホークアイが指定した目標の敵機がひと目でわかるようにロックされている。

 機影に目をこらす。

 敵編隊は、さきほど激戦を演じた雷電と隼の混合部隊であるようだった。

 プロペラ戦闘機部隊と真っ向から向かいあい、ただの点だったのが急速にそのシルエットを明確にしていく。

「いまだ!……」

 トリガーを引き、二〇ミリ機関砲を一心に撃ち込む。

 射弾が目標の敵機を貫き、爆発四散させていく。

 なお航過して、背面からの攻撃にとりかかる。

 みな、もう無我夢中である。

 敵の雷電と隼しか眼中と念頭にない状況である。

 そんななか、あるパイロットが、後上方から雷電の一機をロックして、射程に入ると同時にトリガーを引き絞った。

 だが、M61バルカン砲は、一秒の四分の一にもみたない刹那で砲撃をやめた。

 息をのみ、HUDに表示されているいろいろな情報に目をやる。

 ガンの残弾数がゼロをしめしていた。

「リーヴズアイ9、残弾ゼロ!」

 それを皮切りに、

「リーヴズアイ5、残弾ゼロ!」

「テンプテーション13もだ、残弾ゼロ!」

 何機もが機関砲の弾を撃ち尽くしていた。

「……リーヴズアイ1、残弾ゼロ」

 隼の背後から機関砲を撃ったリーヴズアイズのリーダーが、なんとかその敵機だけは撃墜せしめたものの、ホゾを噛む思いで報告した。

 ライノに搭載されている機関砲の装弾数は、四〇〇発。

 一秒に六十六連射するM61バルカン航空機関砲では六秒ちょっとしか連続発射できない。

 しかし、じっさいの空対空戦闘においては一秒か二秒しか射撃のチャンスはない。

 空戦は、勝つも負けるも一瞬できまる……フライトアカデミーでは耳にタコができるほど教官に聞かされた話だ。

 だから、六秒も連続発射できればそれでじゅうぶんなのだ。

 六秒も撃てるチャンスがあって敵を墜とせないなら、そのころにはこちらが墜とされているということなのだから。

 それがF/A-18スーパーホーネットの運用思想だった。ほかの現代戦闘機もさしてかわらない。

 ミサイルもなしにたった三〇機で、半世紀以上むかしの機種とはいえ、百を超す敵機とやりあうなど、そんな構想で設計などされていない。

 ホークアイが苦鳴をもらす。

「エクスシア1から全部隊へ。さらなる敵機の増援を確認」

「ファック!」

 何人もが叫んだ。

「数は?」

「二〇〇……三〇〇、まだ増える。敵機の数は五〇〇を超えている! 場所は……アンノウンと同座標!」

 リーヴズアイ・リーダーは顔を上げた。

 澄みわたった青空をしみのように覆いつくす暗雲が、いつのまにか飛行隊に迫ってきていた。

 暗雲のように見えたのは、突如として湧いて出た敵戦闘機の群れ。

 その大群が薄黒い霞となって押し寄せてきたのだ。

 見渡すかぎりの敵、敵、敵……。

 いかに最新鋭のジェット戦闘機でも、弾がないのでは戦いようがない。みるみる何百機という敵機が近づいてくる。

 ここでおしまいか……だれもがそう思ったとき。

 西の方角から、音速の四倍で飛来した槍衾が、敵機に命中。

 破砕して爆炎に包み、機体を粉々にして空に散らした。

AMRAAMアムラームだ!」

 ミサイルが殺到してきた方角……艦隊のほうから、待ちに待った援軍が来た。

 ナイトウィッシーズ所属のF/A-18Eスーパーホーネット十四機だ。

「待たせたなリーヴズアイズ、すまなかったなウィズインテンプテーションズ。泣いてると聞いて飛んできたぞ」

 臨時にリーダーをつとめるナイトウィッシーズ二番機の無線に、安堵のため息がそこかしこからもれた。

「遅いんだよ。もったいつけやがって」

 ウィズインテンプテーションズのだれかの強がりに、ナイトウィッシーズのひとりが笑う。

「ばかいえ。これでも血を吐くほど急いできたんだぜ」

 リーヴズアイズ・リーダーが時計をみた。

 すると驚いたことに、いちばん初めの雷電を掃討したときから、まだ十四、五分くらいしか経っていなかった。

 体感ではもう何十分、ともすれば一時間以上も戦っていたような気がするが、じっさいにはそれくらいしか経過していなかったのである。

 いかに空戦が時間の密度が高いものかを、いまさらながらに思い知らされた気分だった。

 ナイトウィッシーズのF/A-18E編隊のさらにうしろに、三機か四機のF/A-18Fも向かってきているのがみえた。

「アンベリアンドーンズ、参上だ。残りも随時、発艦してきている」

 アンベリアンドーンズ所属のF/A-18Fは、ほかの飛行隊が駆るF/A-18Eとちがい、複座型なので、一目みただけでそれとすぐわかる。

「ここはおれたちが引き受ける。おまえたちはベッドに帰りな!」

 ナイトウィッシーズが宣言し、戦意を新たにする。

「了解だ。リーヴズアイズ、帰艦する」

「感謝するぜナイトウィッシーズ、アンベリアンドーンズ。ウィズインテンプテーションズ、おうちに帰るぞ」

 ミサイルロックの邪魔にならないように迂回しながら、両飛行隊はアイクへの帰路へついた。

 眼下では、あいかわらず巡航ミサイルが絶え間なく撃たれ、飛翔していっている。

 ナイトウィッシーズとアンベリアンドーンズ、あわせて十八機はふたたび敵機の大群に照準をさだめた。

 搭載してきたAMRAAMは計二発。

 さっき一発ずつ撃ったので、あと十八発。

 AMRAAMは、発展型中距離空対空ミサイルで、その射程は七十五キロメートルもある。

 このミサイルなら、敵の射程圏外から安全に狙い撃ちすることができる。

 すでに敵機は射程内にはいっている。

 ホークアイからの電子的な指示で個別ロックを完了し、すぐさま発射する。

「ウィッシュ2、FOX3!」

「ドーン1、FOX3!」

 翼下のハードポイントから切り離された槍が、ロケットエンジンで加速し、白煙を残しながら飛んでいく。

 ナイトウィッシーズ十四機と、アンベリアンドーンズ四機から放たれた十八発のAMRAAMが、雲霞のような敵の群れに迷いもなく突っ込む。

 とうぜんのように命中し、雷電も隼も翼がもぎとられ、胴体を分断され、炎と黒い煙を吐いて海へと墜ちていった。

「つぎはサイドワインダーだ。各機、サイドワインダーを用意。射程の八キロに入ると同時に発射するぞ。突撃!」

 装備してきた短距離赤外線追尾ミサイル、サイドワインダーは四発。都合、七十二発のサイドワインダーをもっていることになる。


 一機が四機ずつ敵機をロックし、スロットルを開いて突進する。敵のプロペラ機の群れは黒いカーテンというか、ほとんど巨大な壁のように海上の空にそびえたっている。時速八〇〇キロ超でその壁に突っ込むのはそうとうな勇気がいった。


 漆黒の壁が迫りくる。すさまじい圧迫感に息がつまり、呼吸を忘れそうになる。


 だれもが、壁にぶつかる、と思ったところで、射程距離に入ったことを知らせる電子音がなり、F/A-18EとFから四発ずつのサイドワインダーが発射された。空中に解き放たれたサイドワインダーは、その名のとおり(サイドワインダーの名の由来はヨコバイガラガラヘビの英名から)わずかに蛇行しながら命じられた目標へ食らいつく。


 何百という戦闘機が群がってひとつの巨大な魔獣のようになった敵編隊に、赤とオレンジの炎が点々と灯った。全弾命中だ。七十五の敵機を墜としたのだ。

 だが飛蝗ひこうのように軍勢をなす雷電と隼はまったくその数を減らしていないように見える。むしろさっきより増えているのではないか。そんな錯覚さえパイロットたちはおぼえた。はたしてそれは錯覚ではなかった。


「こちらエクスシア2。敵機はさらに増加中。現在七〇〇を超えている!……」


 ナイトウィッシーズとアンベリアンドーンズのパイロットは歯噛みした。そしてこの敵プロペラ機と戦っていた前任者たちと同じ苛立ち、同じ恐怖感を胸に宿した。いったいこのプロペラ機どもはなんなのだ? どこから湧いてでてきているのだ?……


 とまれもうかれらにミサイルはない。後方からアンベリアンドーンズの残りの機が一機ずつ飛び立ってきてはいるが、焼け石に水だろう。


「くそ。おれたちゃけっきょく、ただのミサイルのトランスポーターかよ」


 ナイトウィッシーズの飛行士が吐き捨てたが、ウィッシュ2は、やむをえない、と無線を開いた。


「ウィッシュ2よりUSS<レイテ・ガルフ>へ。敵性航空機に対する攻撃支援を要請する」

「巨大アンノウンに手一杯のわれわれに対空支援要請するか」


 USS<レイテ・ガルフ>の艦長が食ってかかる。


「こういうときのためのイージス艦だろ」

「よかろう。鉄壁の盾イージス、その真髄を見せてくれる」

 USS<レイテ・ガルフ>の艦長が副長に命令する。


「対空戦闘だ。全艦、データをリンクし、敵航空勢力を最大効率で撃破せよ。中距離以上の目標にはESSM(発展型シースパロー艦対空ミサイル)、スタンダード艦隊防空ミサイル。近づかれたら速射砲で撃ち墜とせ。CIWSも起動用意だ。むろん、アンノウンへの対艦攻撃も同時並行だ!」

「了解。全艦データリンク。対空戦闘用意。アンノウンに引き続き攻撃を加えつつ、ESSM、スタンダード発射準備。五インチ砲、二十五ミリ機関砲、十二・七ミリ機関砲ならびにファランクスの起動を認証せよ」


 イージス巡洋艦USS<レイテ・ガルフ>艦長が吠える。


「右をねらえ。左をねらえ。わがアメリカに仇なす愚者を根絶やしにせよ! イージスシステム解放。攻撃開始!」


 イージスシステムは敵航空勢力やこちらに向かってくる対艦ミサイルなどを強力なレーダーで感知し、種別や彼我の距離によって最適な兵装を選択、そしてじっさいに火力を行使する。これらの過程はすべてコンピューターにより自動化されている。


 六隻のイージス駆逐艦と一隻のイージス巡洋艦が、巡航ミサイル発射と並行して、対空ミサイルを格納してあるVLSを開放。一セルに四発ずつ仕込まれている各種対空ミサイルを順次発射していく。


「わが艦、USS<レイテ・ガルフ>、ESSM発射を確認。イルミネーター起動、誘導を開始。スタンダードSAM発射。駆逐艦USS<オカーン>、USS<ポーター>、USS<バリー>、USS<ラブーン>、USS<ミッチャー>、USS<ベインブリッジ>もESSMならびにスタンダードの発射を確認」


 七隻のイージス艦からさきほどよりもまして大量のミサイルがつぎつぎ撃ち上げられていく。何十条もの鋼鉄の投槍が白煙の軌跡をのこして天空へ勇翔していくさまは、さながら神々のいくさのようでもあり、ある意味で壮麗とさえいってよかった。


 手持ちぶさたでぶらぶら遊弋していた二隻のミサイルフリゲート、USS<ハウズ>とUSS<カウフマン>が、防空網の一端をになうべく、三インチ六十二口径単装速射砲とCIWSの起動準備をしつつ艦隊の前線に陣取った。


 飛翔していった対空ミサイルの群れは、ロックした敵戦闘機に正確に命中し、鉄クズに変えていった。ミサイルに撃墜されて爆発し、無惨な破片だけが燃えながら海へと落下していく。最新兵器で血祭りにあげられる旧式機の残骸と黒煙で、空は惨憺たるありさまだ。まるで沖縄海戦の再現のようだった。


 ただちがうのは、あのときとは戦闘機の数がケタちがいに多いということだ。


「各艦のESSM、スタンダード、命中と目標の撃墜を確認」


 いちどに何十発もの対空ミサイルが敵編隊を迎え撃つが、雷電と隼の混合部隊は何百という数で押し寄せてきている。ESSMは発射したイージス艦がイルミネーターで最後まで誘導してやらなければならないし、スタンダードも同時に捕捉できる目標は十五コが限界だ。ミサイルによる処理能力の限界を超えている。

 それゆえ対空ミサイルの網の目をくぐり抜けた戦闘機もいた。


「敵機の群れ、三機に一機は対空ミサイル防衛圏を突破。対空機関砲、五インチ艦砲、CIWS、起動を確認」


 対空ミサイルに捕捉されずにさらなる接近をはたしたプロペラ機たちを個別にロックし、巡洋艦と駆逐艦の船首付近に備え付けられた主砲が砲身をめぐらせる。高性能レーダーに裏付けされたイージスシステムにより、自動的かつ高度に射撃管制された単装砲が対空目標を無言でねらう。


 爆発音とともに発射された砲弾は、初速八一〇メートル毎秒という高速で空を駆けめぐり、イージスシステム搭載艦に不用意に近づいた報いを与える。


 タイコンデロガ級巡洋艦とアーレイ・バーク級駆逐艦に搭載されている主砲は、ともにMk45という五インチ砲だ。五インチとは砲の内径、つまり砲弾の直径であり、五インチは一二七ミリである。そんな大砲がマッハ二以上の速さで発射されれば、その運動エネルギーは膨大なものとなる。


 艦隊まで二〇キロメートルあたりまできた隼に、イージス艦から撃たれた五インチ砲が直撃。砲弾は貫通し、隼の機体は紙でできていたように真っ二つに裂け、しばらくしてから、やっと自分が撃墜されたことに気づいたかのように爆発をおこした。


 五インチ砲の発射間隔は、だいたい三秒に一発。爆発音と硝煙を盛大にあげて砲弾を発射し、次弾を自動装填しながら次の目標に砲身をむけ、火砲を放つ。


 ESSMとスタンダードのミサイル防空網をすり抜けてきた隼、雷電が、艦隊より二〇キロ先で正確無比に狙撃され、叩き墜とされていく。


「こちらエクスシア3。レーダー反応は減っていくスピード以上に後続が増えている。現在、敵航空機の数は九〇〇オーバー!」


 対空ミサイルによる防衛のキャパシティを大幅に超越する数の来襲。より多くの敵機がミサイル防空網を突破してくる。各艦の五インチ砲がいそがしく撃ちまくり、ミサイルフリゲートも三インチ六十二口径単装速射砲をもって防空に加わるが、次弾装填して次の標的に照準をさだめているあいだにほかの敵機が殺到してくる。圧迫感と恐怖とで発狂してしまう乗組員が出ないのがふしぎなくらいだ。日頃の訓練によって高められた練度がかれらの冷静さをまもる錠前であり、鍵は艦隊指揮官である少将に預けられていた。


 各艦の五インチ砲による艦砲射撃が敵機を次々撃ち抜いていく。敵機の群れの大半がミサイルにより接近を阻まれているとはいえ、少なくない数が五インチ砲の射程である二十五キロ圏内に侵入してきている。


 数機が砲弾の雨をかいくぐり、さらに艦隊に肉薄する。巡洋艦や駆逐艦の艦橋から肉眼ではっきり視認できる距離だ。もう三キロもない。


 もっとも敵機に近かった駆逐艦USS<ミッチャー>の艦体に二基艦載されたCIWSが目を醒ます。

 円筒状のレーダードームが射程内に敵航空勢力を探知。レーダードームの下から伸びる六連装バルカン砲が、レーダーの探知した敵機を見さだめる。

 砲身が回転をはじめ、毎秒七十発にせまる超高速連射を空に見舞う。

 二十ミリ砲弾の一連射を浴びた雷電は、樽のような太い胴体を左右に引きちぎられ、白熱した炎をあげて爆発した。

 近接防御火器システム(CIWS)は、敵を探知するレーダードームと、探知した敵を攻撃するバルカン砲から構成される。対空ミサイルと艦砲の二重の防空網は強力だが、万一撃ち漏らしたら艦艇は命取りとなりかねない。CIWSはそういった敵機や対艦ミサイルの迎撃を請け負う、まさに最後の砦である。


 さらに、巡洋艦、駆逐艦それぞれ一隻につき二基装備されている二十五ミリ機関砲、四基ずつ搭載している十二・七ミリ機関砲もCIWSに追従して火を吹く。裸電球のように光る弾が一連の紐となって艦からいく筋も伸びる。それはまさしく弾幕の防壁。


 空母への帰途についていたリーヴズアイズ・リーダーは、艦隊を守るバリアのようなものが幻視できる気がした。遠距離ではESSMとスタンダードの対空ミサイルで、中距離では五インチ砲で、そして近距離ではCIWSをはじめとする弾幕で。その複合多層バリアが敵機の襲来を押し留めているのが見えた。


 イージス、あらゆる災厄を祓う不可侵の盾。その名に恥じない鉄壁の絶対防御の加護が、厳然として雷電と隼の前に立ちはだかっているのだ。


 その加護に、翳りが見えはじめた。


 USS<ポーター>の中距離防空をになう五インチ砲の射撃がとまった。それを皮切りに、ほかのイージス艦の主砲が発砲しなくなった。

 五インチ砲は二十発をワンセットにして装填されている。それを使いきってしまったのだ。銃でいえば、弾倉のなかの弾丸をすべて撃ちつくしてしまった状態である。甲板下で弾切れにそなえて待機していたオペレーターたちが大急ぎで砲弾の供給にとりかかる。それとまったく同じことが、CIWSにも起こった。

 ほんの一時的とはいえ、防空網に穴が開いた。そこを敵機編隊が最大速力で一気呵成に押しかける。ちょうど、城を守る城壁の一部が破られて、そこから敵兵がなだれ込んできている感じだ。


 その戦闘機の群れには、雷電や隼とシルエットを異にする機体があった。


 その戦闘機は、両翼に一発ずつプロペラエンジンを搭載した双発機で、機体表面はスプレー・ガンで塗装されたような濃緑色と若草いろのまだら迷彩をほどこされている。しかも、隼はもとより、雷電よりも優速で、列機を置き去りにして編隊前方に突出している。

 空母から発艦したアンベリアンドーンズのパイロットがその双発機をロックする。


 スーパーホーネットが短距離赤外線追尾式空対空ミサイル、サイドワインダーを発射したのとほぼ同時に、双発機が胴体にかかえていた、六角柱のコンテナを切り離し、投下した。


 双発機は回避もできずミサイルの餌食となって爆散した。だがそれが投下したコンテナは、母機の飛行の惰性で、徐々に高度を落としながらも空中で前進をつづける。

 その先にあるのは……双発機を墜としたライノのパイロットは狼狽した。


「USS<バリー>! CIWSでも対空機関砲でもなんでもいいからさっさと再起動しろ。爆弾らしきものが貴艦に接近している」

「こちらもレーダーではとらえている。だが弾薬の供給が……」


 慣性の力で自由落下していたコンテナは、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦USS<バリー>の三時方向、高度五十メートル、水平距離七十メートルほどのところで空中分解した。六角柱のコンテナが、なかにつまっていた小さな丸薬みたいなのを百個ちかくばら撒いた。


「ファランクス、発射準備完了!」


 だがばら撒かれた芥子粒は一個一個が小さすぎて、イージス艦搭載のCIWSのレーダーでは捕捉できない。

 黒い芥子粒が雨となってUSS<バリー>にふりそそいだ。


 駆逐艦の船体表面にふれた芥子粒ひとつひとつが炸薬を爆発させ、無数の線香花火のようなオレンジの火花を散らした。その火花が、USS<バリー>の全身を舐めまわした。


「なんだあれは! ディスペンサー兵器か?」


 USS<バリー>艦内はわやになっていた。


「損害を報告せよ」

「右舷に被弾。右側方、前方、後方のフェイズド・アレイ・レーダー、ダウン。Mk32短魚雷発射管、損壊」

「イルミネーター1、2ともに損壊。ESSMの誘導が不可能です!」

「ばかな。四つあるうちのフェイズド・アレイ・レーダーを三つもやられたのか! 丸裸同然じゃないか!」


 双発機がコンテナを投下しイージス駆逐艦を攻撃するさまを、遠目に見ていたリーヴズアイズ・リーダーは、奥歯を噛み砕かんほどに歯ぎしりしていた。


「タただん……ドラゴンスレイヤーか!」


 空母USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>の戦闘指揮所で、CAGも同じことをいった。


「なんだそれは。なんだあれは」


 少将の問いに、CAGが興奮に舌をもつれさせながらこたえた。


「あの双発機は、旧日本陸軍の二式複座戦闘機、またの名を屠龍という戦闘機です。運動性こそ単発機に劣り鈍重ですが、それをおぎなう高速性と武装搭載量をもち、三十七ミリ戦車砲などを搭載しています。しかし最大の特徴は、タ弾という空対空爆弾を使うことです。これは大戦中、日本本土空爆をおこなっていたわが国の爆撃機を邀撃するために考案されたもので、敵編隊上空で投下し、小爆弾を散布してダメージをあたえるという代物です」

「クラスター爆弾か」

「イエス・サー。事実、B-29を撃墜するなどの戦果もあげたようです。ですが……」


 CAGはスクリーンに映されたUSS<バリー>をみて眉間にしわをよせた。最新技術の粋をあつめたイージス駆逐艦が、薄く黒煙をあげ、ところどころから火災も起きている。


「まさかイージス艦あいてにつかうとは……」


 イージス艦は、レーダーやアンテナなどの電子精密機械がすべてむきだしの状態になっている。いわばコンピューターのかたまりだ。ひとむかし前の戦艦なら問題なかったような被弾でも、イージス搭載艦には致命弾になりかねない。屠龍の放つタ弾は、現代のイージス艦にはきわめて有効な兵器といえた。


 運よく被弾をまぬかれたUSS<バリー>のCIWSが、接近してきた後続の雷電や隼、屠龍をバルカン砲で撃ち墜とす。機体が粉砕され、燃える破片となって艦艇にふりそそぐ。


 CIWSは近接防御火器システムというだけあって、射程は二キロほどと短い。これほど近づかれれば、首尾よく敵機を撃墜できても、飛行の惰性で飛んできた破片で被弾してしまうということも当然ある。ある程度のダメージはもうしかたがない。そのまま接近を許すよりかはましだという、最後の手段である。


 CIWSに撃たれ、燃えながらプロペラだけが回転をつづける敵機のエンジンが、USS<バリー>の甲板に隕石のように落下した。まるで切断した首だけが飛んできたような光景だった。エンジンが落下した付近にあった五インチ砲が巻き込まれ、根元から折られた砲塔が風車のように回転しながら海へ放り出された。


 悪夢は終わらない。


「艦長! 麾下駆逐艦USS<ポーター>より入電。『われ、対空ミサイルおよび巡航ミサイル、弾数のこりわずか』」

「USS<ベインブリッジ>からもです。『わが艦、巡航ミサイル残弾ゼロ。対空ミサイルのこりわずか。近接防空網が押しきられる。なおも敵機の大量襲来を受く。化物、化物だ畜生!』」

 六隻の駆逐艦を指揮する巡洋艦USS<レイテ・ガルフ>に、各艦からの悲痛な叫びが届く。


 いままで盛大に連続発射していた、VLSからの対空ミサイルやトマホーク巡航ミサイルが、艦によっては打ち上げられなくなった。それは駆逐艦よりも多くのVLSをもつ巡洋艦USS<レイテ・ガルフ>とて例外ではなかった。


「わが艦の火力を報告せよ」


 巡洋艦艦長が命じ、乗組員がデータをあつめる。


「ESSM、のこり八発」

「スタンダード、残弾二十」

「トマホーク巡航ミサイル、のこり二発……いま発射したのがカンバンです!」


 無線が悲鳴をつたえる。


「USS<ラブーン>からUSS<レイテ・ガルフ>へ、わが艦の対空ミサイル、巡航ミサイル、ともに残弾ゼロ! 撤退命令を出してくれ!」

「こちらUSS<オカーン>。もうミサイルも砲熕兵器もない。これじゃただの鉄の棺桶だ。敵機が続々きている。目の前に敵機が、まるでゴグ、マゴグのように……」


 USS<オカーン>との通信が途絶した。屠龍が投下したタ弾が艦橋を襲い、アンテナもレーダーも使い物にならなくさせたのだ。


 旗艦を護衛する防空網が、その手足を一本、また一本ともぎとられていく。


「少将。これを」


 空母USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>の戦闘指揮所で、艦隊と航空部隊の情報を部下とともに整理していた少将に、レーダー解析をしていた士官が建白した。

 少将がそのレーダースクリーンを覗きこむと、士官はコンソールを操作し、


「これがさきほどナイトウィッシーズ一番機が撃墜した彩雲とやらの航路です。そして、これがアンノウン……巨大生物の現在たどっている航路と、予想される進路です」


 彩雲の航路をしめす線は、東の方向からまっすぐ艦隊へ伸びていた。そして、その線と寸分たがわず、いま艦隊に猛スピードで迫ってきている巨大生物の航路と延長線がピタリと重なった。


「どういうことだ」

「揣摩憶測は混乱のもとですので、あまり口にはしたくないのですが……」


 少将が促すと、士官は顔いろをうかがう様子でいった。


「あの彩雲は、アンノウンの斥候かなにかだったのではないだろうか、と……」


 艦橋に飛び交う無線通信のなかに、リーヴズアイズのリーダーの声が響く。


「ホークアイ、敵機の増援の出現位置は?」

「いままでとおなじだ。巨大アンノウンと同座標からいきなり現れている。まだ増えつづけているぞ」

「了解」

 一拍、間があった。

「こちらリーヴズアイズ・リーダー。これより反航してアンノウンに接近。“手品”のタネを目視確認する」


 艦載の航空団を指揮する通称CAGをつとめるフランコ大佐が雷光の速度で無線機をとる。


「リーヴズアイ1、そんな命令は出していない。貴機は残弾がゼロである。進路を維持し、帰艦せよ」


「レーダー上だけでは詳細がわからない。だれかが肉眼で見に行かなきゃならない。なら、たいていの旧日本軍機なら網羅しているおれが行くべきだ。ちがいますか」


 アメリカ人の消防官やレスキュー隊の現場での殉職率は世界でもトップクラスである。アメリカ人の男性は英雄願望がことさら強く、ときに命をもかえりみない無謀な突撃をかけてまでヒーローになろうとし、そして悲惨な末路をたどってしまうのだと統計は語る。軍人、それも海軍パイロットというエリート中のエリートならばその傾向はなおさら強い。


 少将もCAGも、そんなふうにヒーローになろうとして死地に飛びこんだ部下が二度と帰ってこないというにがい経験をもっているから、リーズアイズ・リーダーを制止しようとするのはとうぜんだった。だが、リーヴズアイズ・リーダーは聞く耳をもたなかった。男ならつねに納得のいくおこないをせよ、納得いかぬときは命を懸けてでも戦えと、尊敬する祖父にそう薫陶されてきた。


「危険を冒すものが勝利する。これよりアンノウンにむかう」


 決然といい放ったリーヴズアイズ・リーダーは、機体をバンクさせ、垂直左旋回でターンし、進路を百八十度転回した。


 海抜三〇メートル程度の低空飛行をしながら、リーヴズアイズ・リーダーはいっさんにアンノウン目指し、巡航速度よりも早めの亜音速で飛んだ。すぐに、海面直下を驀進する巨大物体を発見した。アクアマリンの海面が、ドーム状に盛り上がり、それがどんどん進んでいく。まるでカーペットの下にもぐり込んだ猫かなんかがそのまま潜行を続けているような感じだ。しかし、飛翔してきたトマホーク巡航ミサイルや、徹甲弾頭を装着したタクティカル・トマホークが激突、爆発して白い水しぶきの珠を散らしているのを見て、その生やさしい印象はすぐに払拭された。


 なおも進撃をやめぬドーム状の水塊の上部から、小さな水柱がいく本もはじけるように立つのが見えた。水柱の大きさは、それこそ水しぶきにまぎれるほどに小さきものだが、それはアンノウンのあまりの大きさに感覚が狂わされているからで、じっさいには水柱の高さは十メートルかそこらはあると思われた。海水に身を包んだ半球状の物体から数十本も白い水柱が生えるようすは、その一瞬だけを写真にすれば、海に浮遊する巨大なウニのようでもあった。


 水柱が立つのと同時に、なにか黒い点がそこから空へ向けて飛び立っているようだ。それが水塊から飛び出すときに、周囲の海水をおしのけ、水柱となって飛散させているらしかった。


 いったいなにが出てきているかとHUDをズームアップして映像を拡大し、思わずリーヴズアイズ・リーダーは、あっと声を上げた。


「どうした。なにかわかったかリーヴズアイ1」


 リーダーは無言だった。CAGの無線があったことにしばらく気づけないほど唖然としていた。


「サピエンチア、応答せよ」


 語気つよく、TACネームで呼ばれて、ようやくリーヴズアイズ・リーダーは正気を取り戻した。そして、いま目にしたことを歪曲なく報告する。


「リーヴズアイ1からUSS<ドワイト・D・アイゼンハワー>へ。元凶はあいつだ。現在交戦中の敵航空機は、アンノウンから放出されている!」


 無線を聴いていたアイクのクルー、多数のイージス艦、ミサイルフリゲートの乗組員たちは、みな一様に驚愕に身を貫かれ、呼吸が途絶した。リーヴズアイ・リーダーの無線を理解しはじめると、こんどは心臓を氷の指で握られるような恐怖感が襲ってきた。


 リーヴズアイ・リーダーは目を離せずにいた。あの猛進をつづける半球状の水塊の背中から、雷電、屠龍、もしくは隼が水柱とともに飛び出し、姿勢と高度とエンジン出力を瞬時に安定させて、列機とともに雁行をはじめるさまを。原理不明な発進方法だった。むしろワームホールかなにかの高次元通路を介して召喚されているといわれたほうが得心がいきそうな、異常な光景であった。


「ということは」


 少将が血の気のうせた顔いろでだれにともなくつぶやいた。


「最初に接近してきたサイウンも、われらのリーヴズアイ12を撃ち墜としたハヤブサも、いや、いちばんはじめのUSS<ハリー・S・トルーマン>のときにホークアイを墜としたのも、すべてやつの差し金か!」


 巨大物体の前部から、弾丸のようになにかが射出される。いくつもだ。空母から艦載機がカタパルトで発艦するのと似たようなようすだ。


 それもやはりプロペラ航空機だった。射出されたいきおいそのままにきりもみに回転しながら飛び、ある程度進んだところで、胴体にそってピッタリ折り畳まれていた主翼を、鷹のようにばっと開く。


 姿勢を安定させ、自力飛行を開始したレシプロ機は、胴体下に長さが機体の全長ちかくもある円筒形の凶器を抱えていた。


 リーヴズアイズ一番機パイロットは、その機影に、これまで以上に瞠目させられた。


「特殊攻撃機、晴嵐……そんなものまで出してくるか!」


 隠密性を自慢とする潜水艦に航空機を搭載して偵察などにつかうという構想はわりと古くからあった。だが第二次大戦中、日本は海底空母なる潜水艦をつくり、世界で唯一、ほんとうにその構想を現実のものにしてしまった。ドイツのUボートの技術を導入されて誕生した、伊号潜水艦である。


 そしてその伊号シリーズの極北こそ、当時世界最大をほこった伊号第四〇〇潜水艦であり、専用の搭載機、晴嵐せいらんであった。


 その特殊攻撃機が、半世紀以上の時をこえ、大西洋の海でアメリカに牙をむいた。時速五五〇キロの速さで低空を飛びながら、艦隊へ針路をさだめる。みれば晴嵐が何機も何機も射ち出されている。ざっと数えてみても二、三〇機はいそうだ。


「なんなんだ、こいつは……いったいどうなっているんだ」


 リーヴズアイズ・リーダーは戦慄した。

 イージスの役割をはたす巡洋艦と駆逐艦からの対空ミサイルはのこりすくなく、発射がまばらになってきている。そのわずかなミサイルでさえ高空を飛行する雷電、隼、屠龍にかまいきりで、海面の上を辷るように巡航する晴嵐の編隊には目もくれない。晴嵐は艦隊にそろりそろりと確実に接近をはたしている。


 リーヴズアイズ・リーダーは、懸命に晴嵐の緒元を思い出していた。晴嵐の武装は、たしか八〇〇キロ爆弾ひとつ、もしくは航空魚雷一本だったはずだ。


 魚雷。リーダーは晴嵐が腹にかかえている細長い筒状のものに目を見張った。あれは魚雷にちがいない。


「リーヴズアイズ・リーダーからUSS<ドワイト・D・アイゼンハワー>へ。雷装した敵機が低空飛行で接近中。攻撃機の数は約三十」


 一機でも撃ち墜としたい! もどかしさばかりがつのるが、こればかりはどうしようもない。ミサイルもバルカンもまったく使いきってしまったのだ。


 と、航行していた晴嵐が、胴体下面に懸吊していた航空魚雷を切り離した。それはブルーの海に着水し、海中にその身を沈めた。

 そして、それは海のなかでまっすぐ一直線に航走しはじめたのである。


 リーヴズアイズ・リーダーは夢中になって旗艦に伝えた。

「敵機の航空魚雷投下を目視にて確認。艦隊は至急、回避行動されたし」


 魚雷接近の報は、各艦のソナーからももたらされた。


「ソナーに感あり。側面1-2-5より三〇。速力四〇ノット」


 巡洋艦、駆逐艦、ミサイルフリゲートの艦内に警報がけたたましく鳴り響いた。


「転舵! 面舵一杯、九〇度。全速三分の二。敵魚雷に対し艦を並行にせよ」


 晴嵐の部隊は、ただばか正直に艦隊へねらって魚雷を投下したのではなかった。三十機は、等間隔に角度をつけ、三十本の魚雷を扇状に放ったのだ。一本をよけようと走れば、前方に放たれた魚雷にあたる。被弾する面積をすこしでもへらすために船首を魚雷のくる方向にむける。魚雷の弾幕をすり抜けるべく、艦隊の必死の操艦がはじまった。


 整然としていた艦隊が隊列を千々に乱れさせた。突然の雷撃をどうにかよけなければならないし、味方の艦船と衝突してもいけないしで、リーヴズアイズ・リーダーが空から見ていてはらはらするほどだった。


「こちらソナー、魚雷接近! 距離二・七浬!」


 五キロメートルまで迫った一本の魚雷に、駆逐艦USS<バリー>のソナーは悲鳴をあげた。


「機関全速! 短魚雷発射、敵魚雷をねらえ!」

「だめです、魚雷発射システムはさっきのディスペンサー兵器で損壊しています!」


 クルーが絶望に押し潰されそうになったそのとき、USS<バリー>の目の前、二・五キロの海面で爆発がおきた。衝撃と爆圧が艦を襲ったが、直撃にくらべれば百倍ましだ。


「敵魚雷の反応消滅!」


 なにがおこったのか、一瞬判然としかねたが、無線から救い主が声をかけてきてようやくわかった。


「あぶなかったな。われわれを忘れてもらっては困る」


 USS<バリー>の艦橋で、副長が感極まったようすでいった。


「<グリーンヴィル>!」


 海中で警戒行動をつづけていた原子力潜水艦USS<グリーンヴィル>が発射した魚雷が、USS<バリー>をねらっていた航空魚雷を正確に撃破したのだ。


「海の上はお祭り騒ぎだ。だれもかれもが好き勝手に逃げまどっている。敵の魚雷から味方を守るぞ。水雷長、発射準備は?」

「一番は再装填中。二番から四番まで注水完了。いつでもオーケーです」

「ようし。ソナー、上のようすはどうだ」

「お話にならんほどの激しさです。どれがどの艦かわからないほどですよ」

「船の音ならみんな味方だ。敵魚雷をみのがすな」

「アイ・サー!」


 直後のことだった。直進してきていた巨大物体が海面から消えた。極太の航跡だけがぶきみに残っている。


「潜った!」リーヴズアイズ・リーダーはそれをあまさず見ていた。「やつが潜航したぞ!」


 USS<グリーンヴィル>のソナーも異変に気づいた。


「艦長、こちらソナー。アンノウンが針路を変更。左舷上方。進路予測……わが艦に向かってきます!」

「取り舵一杯。アップトリム十度、深度一〇〇!」

「アンノウン急速接近。距離〇・五浬!」


 もう九〇〇メートルもない。ソナーはヘッドセットから恐ろしい音を聞いた。


「巨大な……心臓の音が!」


 USS<グリーンヴィル>を強い衝撃が襲った。なにかとてつもなく巨大で、力強いものに激突された感じだ。重力が変化し、隔壁が床になり、天井が床になった。原子力潜水艦の船体は、巨人にシェイクされるフラスコのように激しく揺さぶられた。次の瞬間、USS<グリーンヴィル>の乗組員は、狭い艦内のなかで、宇宙遊泳するようにからだが浮遊する感覚をあじわった。


 ミサイルフリゲートUSS<カウフマン>が、ジグザグ航行で魚雷をよけようとするUSS<ミッチャー>の後方五〇〇メートルを通って、艦隊の最前線へ出張った。ミサイルフリゲートも短魚雷発射管を装備している。


「敵の雷撃を魚雷で防御する。対空砲火そのまま、Mk46軽魚雷発射準備」


 と、前方の海で、逆さの竜巻のごとき怒濤が逆巻いた。海面を突き破って、漆黒の船体が空へと躍り出る。


「<グリーンヴィル>……!」


 ロサンゼルス級原子力潜水艦USS<グリーンヴィル>が、巨鯨のディスプレイのように宙を舞い、一〇〇メートルをこす巨体が完全に海中からその全身を現す。


 やがて原潜は重力の見えざる手にひかれ、放物線を描いて落下をはじめる。その終着点に、ミサイルフリゲートUSS<カウフマン>の艦影があった。


「機関全速! エンジンが焼ききれてもソナーがめくらになってもかまわん。このままつッ走れ!」


 高性能ガスタービンエンジン二基をあわせた四万一〇〇〇馬力が全力をふりしぼるが、抵抗のつよい海水はそう簡単に増速を許さなかった。


 USS<カウフマン>の船体に、十の字を形作るように、USS<グリーンヴィル>がのしかかる。落下のエネルギーと大質量の威力をくわえた原潜の頑強な船殻が、ミサイルフリゲートの艦橋を押し潰し、船体中央をへし折られ、反作用で<カウフマン>の船首と船尾が持ち上がる。


 わずかな間をおいて、USS<カウフマン>が大爆発をおこした。黄いろとオレンジの炎が荒れ狂い、空と海を焦がした。のしかかっていた<グリーンヴィル>が爆風で船体を前後に分断され、誘爆をおこしながら海へもどっていった。


 爆発で吹き飛ばされたミサイルフリゲートと原潜の破片が全方位に鉄と炎の散弾を降らせた。

 駆逐艦USS<ミッチャー>に破片が燃えながら襲いかかる。

「被弾、被弾! 後方レーダー沈黙。ミサイル発射筒、魚雷発射管損壊。艦載のヘリコプター大破。飛行甲板にも損傷多数!」

 ソナーからも逼迫した事態が伝えられる。


「艦長、右舷より魚雷接近! あとサンマルでわが艦に命中します!」

「直進だ。直進して回避せよ」


 <ミッチャー>艦長が下命するが、艦橋から艦の進行方向をみた副長が蒼惶とした。


「艦長……!」


 艦長が顔をむけると、自艦の前方、左舷側から、同型艦がいく手をさえぎるようにぬっと顔をあらわした。


「USS<ベインブリッジ>!」


 艦長は究極の選択を迫られた。このまま直進すれば僚艦に激突する。だが止まったり変針しようとすれば魚雷に喰われる。つまり、完全な手詰まり。


「魚雷命中まで、あとフタマル!」

「退艦だ。総員に退艦命令!」

「了解。総員、退艦。すみやかに退艦せよ」


 のこり二十秒ではどうあがいても逃げきれるものではない。万事休すか……。


 上空で敵情偵察していたリーヴズアイズ・リーダーは、全身に蟻が這いまわるような怖気を感じ、悪寒のしたほうを振り向いた。振り向かされた。


 晴嵐の投下する魚雷は、純粋酸素をつかう酸素魚雷だ。酸素を燃やしてスクリューを回す酸素魚雷は、二酸化炭素を排気するのだが、二酸化炭素は水に比較的よく溶解する性質をもつ。排気ガスが海に吸収されるため海面に気泡としてあらわれることがなく、ゆえに雷跡をのこさない。いわば、見えない魚雷である。

 リーヴズアイズ・リーダーの目にも、酸素魚雷の雷跡は映らず、ただの気のせいかと思った。だが、瑠璃いろの海のなかで、たしかになにかが光った気がして、そこを穴が開くほど注視した。


 また光った。ちょうど、海面ちかくを泳ぐイルカの背に陽光が反射して銀いろに光るような感じだ。


 リーヴズアイズ・リーダー、TACネーム<サピエンチア>は、ほとんど心眼で、その光るものの正体を魚雷だと見破った。その魚雷の進む延長線上に、駆逐艦USS<ミッチャー>が土手っ腹をさらしていた。しかもその前を、みずからも敵魚雷から逃げ回っていたUSS<ベインブリッジ>が、T字のごとく横切っていっており、<ミッチャー>が逃げ道を塞がれている状態にあった。


 サピエンチアは状況を理解すると、頭で考える前に行動に移していた。スロットル・レバーを叩くように前へ押し、機体を急加速させた。


 CAGや少将ほどの人間になると、レーダー上で動きを見ているだけで、そのパイロットがなにを考えているのかだいたいわかる。CAGは烈火のように怒り、顔を真っ赤にして無線機をとった。


「リーヴズアイ1、妙な考えはよせ。いますぐに帰艦せよ、いますぐにだ」

 リーヴズアイズ・リーダーは、冷静に、おそろしいほど落ち着いた声で応答した。

「USS<ミッチャー>には、士官、兵員あわせて三八〇人の同胞が乗っている。それがたった一本のくそ魚雷で、墓穴から這い出てきた戦争の亡霊が放った、たった一本の魚雷でみんな殺される。それをだまって見すごすなど、おれにはできません」


 サピエンチアは、機首を魚雷の進みゆく方向へむけた。フットレバーで方向舵を微調整しながら、ピッチをダウンさせ、ダイブ飛行する。


 航走する魚雷の直上にまで到達したリーヴズアイズ・リーダーは、機体を反転させ、ピッチアップした。背面飛行状態で機首をあげると、とうぜん真下にむかって急降下することになる。


 サピエンチアは、キャノピーごしにかぎりなく青い海が急激に近づいてくるのをみていた。サピエンチアはその海を、美しい、と思った。


 リーヴズアイズ・リーダーの駆るF/A-18スーパーホーネットは、ターコイズブルーに染められた海に吸いこまれるように突っ込んだ。直後、ダイブした機体に酸素魚雷が命中、爆発のなかに沈んだ。


 奔騰する白浪は、USS<ミッチャー>から、ほんの二〇〇メートルあまりのところで猛り狂った。まさに、すんでのところであった。

 身を挺して魚雷から同胞を守ったリーヴズアイズ・リーダー。命を救われたUSS<ミッチャー>の艦長以下、乗組員と、空母から見ていた少将、CAGは、その壮烈な海軍魂に、熱い涙を禁じえなかった。

 そして、次に沸いてきたのは、強烈な憎悪と憤怒、敵愾心であった。


 駆逐艦USS<ポーター>のVLSから、ミサイルが完全に発射されなくなった。


「ESSM、スタンダード、トマホーク、すべてのミサイル残弾ゼロ!」

「弾幕はどうなっている」

「ファランクス一番、二番ともに残弾僅少、Mk38二十五ミリ機関砲一番残弾ゼロ、二番残弾僅少、M2十二・七ミリ機関砲四番以外、残弾ゼロ!」

「もう丸腰みたいなもんだな」

「艦長、こちらソナー。本艦の左舷下方より接近する反応あり」

「魚雷か」

「いえ、魚雷の音じゃありません。とてつもなくでかい……距離二〇〇フィート! まもなく浮上します!」


 艦外で双眼鏡による洋上監視に従事していた兵員は、目の前の海面がいきなり盛り上がり、水平線と空を隠してしまったのに驚いて、目を離し、顔をあげた。波濤が艦に押し寄せてきて、白く砕ける。


 小高い山のように持ち上がった海面は、USS<ポーター>ごと兵員を押し潰さんばかりの圧迫感を放っていた。圧倒的な質量に、兵員は死を覚悟した。だが、怪物の正体を隠匿した水塊は、かれの乗る艦を一顧だにせずに、西へ、旗艦たる空母のいるほうへ進み始めた。


 兵員は、思わず安堵に胸を撫で下ろした。われしらずとめていた息を吐き出し、怪物の気まぐれと神に感謝した。


 刹那、眼前の海を割って、長大な尾が天高く振り上げられた。海水が時ならぬ雨となって駆逐艦と兵員に降りそそいだ。


 太陽が尾に隠され、濃い影が兵員を覆った。


 縦に幅広いその尾は、満身の力をこめて、垂直の破城槌となって降り下ろされた。兵員は叩きつぶされ、そのまま船底まで到達。ケブラー装甲に鎧われたUSS<ポーター>の船体を真っ二つに破断せしめた。


 空母USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>では、三千人以上の乗組員たちが泡をくい、あわてふためいていた。護衛の潜水艦が撃沈、ミサイルフリゲートや駆逐艦にも被害がでている。いわば、城壁を押し崩され、濠を埋められつつある状態だった。


「司令、敵航空機の一部が駆逐戦隊の防空網を突破。わが艦にきます!」

「シースパロー、RAM用意」


 ニミッツ級航空母艦は前線で戦うことなどかんがえられていないので、たいした火器はない。シースパロー個艦防空ミサイル発射装置二基に、RAM(近接防空ミサイル)発射装置二基しかもっていない。艦を守る駆逐戦隊はすべて前面に投入してしまっており、航空隊は弾切れになっているのが着艦しようとしている最中だ。


「敵機、来ます! 東の方向より五十機以上。速力、もっとも速いもので三七〇、遅いもので二七〇ノット。距離十六マイル!」

「射程に入ったやつからロックし、ミサイル発射せよ」


 スクリーン群の淡いブルーの光に茫洋と照らされる戦闘指揮所から、周囲三六〇度の海を見渡せる艦橋のほうへ移動した少将が令達した。

 スモークを曳いてシースパローが空を駆けていく。いちばん速い、三七〇ノットで飛行してきた雷電や屠龍といった戦闘機が花火となって散る。ロックの目からこぼれ、さらに接近した敵機には、RAMが食らいつく。RAMは射程が十キロほどしかないが、近接防空という役目にはじゅうぶんだ。


 そのはずだった。


 シースパロー発射装置は二基、RAMの発射装置も二基だ。いちどに対処できる敵の数はたかがしれている。

 二七〇ノットという、ほかの戦闘機より劣速であったがゆえに後塵を拝していた戦闘機隊が、仲間の散った黒煙をよそにUSS<ドワイト・D・アイゼンハワー>との距離を縮める。


 その戦闘機は、単発プロペラ機で、暗緑色の塗装に主翼と胴体後部の両側に真紅の日の丸が描かれているところはほかの機体とかわらない。じっさい、少将や、航海艦橋にいる空母艦長らは、それも雷電とかいう戦闘機なのだろうとしかおもっていなかった。


 だが、CAGはちがった。その広い主翼、寸詰まりな印象を見るものに与える胴体、彩雲とおなじく三座であるがゆえに前後にながいキャノピー、出たままの尾輪。CAGは、ジーザス、と畏怖の声を漏らしてからつぶやいた。


「天山……!」


 天山は、返答のかわりに、胴体下面にかかえていたプレゼントをアイクに放り投げた。


 それは黒光りする悪魔の使者、彼岸への水先案内人。 天山は、艦艇攻撃をおもな任務とした艦上雷撃機だ。その十八番は、八〇〇キロ爆弾である。


 涙滴型の八〇〇キロ爆弾が空母のアングルドデッキ中央に落下した。飛行甲板のアスファルトに弾頭が激突し、低い鐘のような音が響いた。その瞬間、甲板上でスーパーホーネットの着艦準備をしていた兵員たちは、爆弾の弾殻内に詰められていた大量の火薬が力を解放させ、火炎と爆風の姿をとってこの世に現れいでるのをみた。音よりはやい爆轟波が整備兵たちをかるがる吹き飛ばし、炎の柱は、空母の右舷に高層ビルのように建てられたアイランド(艦橋などをまとめた構造物)の高さになんなんとした。


「被害状況は」


 強化ガラスに稲妻のようなひびが走り、艦橋にも衝撃が地響きのように到達した。理不尽な反応だが、少将は反射的に片腕を掲げて防御姿勢をとった。


「飛行甲板に直撃弾! 滑走路損傷、カタパルト射出システムに障害発生、固定翼機の発艦が不可能です!」

「司令、着艦エリアにも被弾しました。アレスティングギア一番から四番まで使用不能。路面も穴だらけで、航空機の着艦ができません!」

「第三格納庫で火災発生。居住区にも被害が出ています。死傷者多数!」


 少将は、しばし呆然となった。ひび割れたガラスのむこうで、飛行甲板に穿孔された穴から炎の舌がチロチロと覗いており、曚曚もうもうたる黒煙が火の粉とともに天をつかむようにその手を伸ばしている。そして、旋回する天山を見ながら、うわごとのようにいった。


「このアイクが……アメリカ合衆国の威信をかけた原子力空母が、たった一機の旧式機の、たった一発の爆弾で、ただの役立たずに……」


 旋回して戻ってきた天山が、飛行甲板横に駐機してある航空機をねらい撃ちしはじめた。左主翼内に搭載した七・七ミリ機銃が弾丸を放ち、EA-6プラウラー電子戦機や、C-2グレイハウンド輸送機、対潜哨戒ヘリコプターなどを蜂の巣にした。七・七ミリの小口径弾では機体の破壊とまではいかないものの、キャノピーのアクリルガラスが砕かれ、輸送機のプロペラやヘリの回転翼がちぎれるなどの被害がでた。

 第7空母航空団の戦闘攻撃飛行隊は、まだリーヴズアイズ所属のF/A-18Eスーパーホーネットが五機ほど着艦していただけで、のこりの十機とウィズインテンプテーションの全機、ナイトウィッシーズの十四機、発艦をすませていたアンベリアンドーンズのF/A-18F数機が、帰る場所を失って空中で右往左往した。機体の燃料だけではどうがんばっても最寄りの基地に着陸することもできない。


 少将はそれでも艦隊司令官のつとめを果たさねばならない。


「ソナー、やつの居場所はわかるか」


 懸命に冷静さをたもとうとしている声が返ってきた。


「音紋を探知。二時の方向、速力一〇〇、距離十浬。わが艦に接近中!」


 少将や副官たちは、二時の方向の海を見た。直径二〇〇メートルをこえる半球の水をまとったそれが、目の前の海水をかき分けおしのけ、一目散にこちらにむかってきている。


 そしてついに、アンノウンがUSS<ドワイト・D・アイゼンハワー>の艦首の右舷側に衝突した。壮絶な衝撃に甲板上の艦載機が横滑りし、乗員や航空要員、少将らも進行方向へ引っ張られるように吹き飛ばされ、壁や機器にからだを叩きつけられた。


 空母の艦体が、左に傾斜しはじめた。十万トンにせまる巨体がひっくり返されようとしているのだ。


 もはや退避勧告も意味をなさなかった。いまやアイクは、真横に九十度に傾いていた。全長三三三メートルがうなり声のような軋み音をあげて海に側臥した。艦橋にいた少将らは、床となったガラス窓にひれ伏し、つぎに本能的に上へと登ろうとした。テーブルに手を伸ばし、つかもうとするが、本来の床がほぼ垂直になった現状ではむりな相談だ。


 アイクの艦幅は約七十七メートルほどある。真横に倒れたいまは、半分近くが喫水線の下にあり、アイランドから海面まではおよそ四十メートルの距離があった。少将や部下たちが踏ん張るガラス窓の下に、落下した艦載機や整備兵たちを呑んで獰猛にいきりたつ海が広がる。いわば、ビル十二、三階の高さでガラスの床に立たされているようなものだ。


 そして、少将の革靴が踏みしめるガラスは、さきの爆撃でひびがはいっていた。そのひびが、木が根を地中に張り巡らせるようすを早送りでみているかのごとく、成長し、枝分かれをくりかえしながら伸びていく。


 ひびが窓ぜんたいにいきわたったとき、ガラスはのしかかる人びとの重量に耐えきれなくなり、白旗をあげた。ガラスが割れ、少将たちは紺碧の海のなかへといざなわれた。


 落ちていく時間は、永遠のようにも、一瞬のようにも思えた。


 コンクリートの大地に落下したような衝撃が全身を襲い、水深数メートルまで一気に沈んだ。少将は塩水にしみるのをこらえて目を開き、周囲を見回した。足下があかるい。ならばそちらが海面だ。


 姿勢をととのえて、海と空のはざまに顔を出す。おもいきり息を吸おうとして、少将は耳をつんざく轟音のほうにふりむいた。死の円刃が金切り声をあげて狂乱していた。直径が、それこそそこらのビルの高さと同じくらいある巨大なスクリューが空中に露出して、少将たち海に投げ出されたものの目の前で回転していたのだ。原子炉の膨大なエネルギーを動力として、空母という人類史上最大のデカブツを時速六十キロのもの速さで走らせる力をもつスクリューが、目にもとまらぬ速度で回転をつづける。スクリューの真っ正面は、水が押されているのでスクリューから遠ざかるが、少し横にずれると、逆にスクリューに吸い込まれるような水流に呑まれることになる。少将と同じく海面に落とされ漂っていた黄色いジャンパーを着た整備兵が、その死の道に魅いられ、高速回転するスクリューに吸い寄せられる。スクリューに触れた瞬間、整備兵のからだはプロペラに切断されて挽き肉となり、血霧となって撒き散らされた。悲鳴をあげるひまもなかった。そうして多くの乗員がスクリューに巻き込まれ、細断された肉片を飛散させた。


 生温かい赤い霧が舞うなか、少将は必死にクロールで円刃から離れた。すぐ左横を泳いでいた士官のひとりの姿が突然暗くなったかと思うと、その頭上に、大人が膝をかかえたくらいもある巨岩が落ちてきた。彼は水飛沫のなかに消えた。見上げると、壁のようにそそり立って青空を覆う空母の飛行甲板から、剥離したアスファルト片がこぼれ落ちていた。


 艦内に積載されていた数百万ガロンのジェット燃料が引火し、八〇〇キロ爆弾で開けられた穴から閃光と爆炎が海面の乗員や航空要員を炙った。艦がさらに傾き、完全に転覆しようとしている。


 アングルドデッキが地獄の釜の蓋となって少将たちの上に覆い被さってきた。そして天地を逆さにされた空母は、飛行甲板で海を叩き、大波を引き起こした。なすすべなくただよう人間たちは、その波に揉まれ、海に食われた。


 波がくる前に胸廓いっぱいに息を吸いこんでいた少将は、空気で満たされた肺が浮きがわりになって、ふたたび海上にでた。転覆した空母が、艦首から沈みいくところだった。人間でいえば、頭から海に潜って、足がでているような状態だった。艦隊司令官を拝命し、長年生活してきた艦だった。艦というより、むしろ陸地の基地と同じ感覚だった。いくら叩いても崩れも揺るぎもしないと信じて疑わなかった原子力空母が、いま、大西洋の海に踊り食いされているかのように沈んでいっていた。艦尾まで呑みこまれ、なおも推進をやめようとしないスクリューが海面にふれ、派手な噴水のように海水をたかだかと巻き上げた。噴水もだんだん勢いを弱め、あとには気泡が湧きつづけるのみだった。


 と、沈んだ空母のかわりに、それに匹敵する巨大なものが海中から姿を現し、聳え立った。少将が周辺の海ごと影に呑まれ、その顔が恐怖と畏怖にゆがんだ。


「デーモン……!」


 すさまじい咆哮に少将の声が圧殺され、怒れる怒濤が襲いかかった。


 空を埋めつくしていたプロペラ機の群れも、いつのまにか消え失せていた。煙のように消えたのだった。


 あとに残るのは、傷つき、弾つき、目を潰されたイージス艦たち。そして、燃料を空費して空に所在なげに旋回飛行するスーパーホーネットたちだけだった。

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