四 大怪獣、現る
大西洋、ニューヨークより東南東はるか二四〇〇キロ沖……。
渺茫たる青き海は、原子力空母USS<ハリー・S・トルーマン>沈没を受け、いまや海上封鎖にもひとしい厳戒態勢がとられていた。軍艦がひしめき、吹き渡る潮風にすら硬度を感じるほど緊張感に満ちている。
船団の中央にあってもっとも巨大な威容をほこるはこれまさしくニミッツ級原子力航空母艦2番艦、USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>なり。先に沈没、いや、政府の発表によれば巨大生物によって沈められたという、ニミッツ級航空母艦8番艦USS<ハリー・S・トルーマン>の、いわば兄にあたる。
USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>、アイクと愛称されるこの空母が旗艦を務めるのは、東大西洋を管轄下におく第8空母打撃群だ。ふつう、アメリカの空母打撃群は、空母を中心に巡洋艦一隻、駆逐艦二隻、原潜一隻、支援艦一隻という構成なのだが、本打撃群はそれに加え、第28駆逐戦隊をも追従させている。
アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦USS<ベインブリッジ>は、ミサイルの格納庫と発射装置を兼務するVLSを、九六セル保有する。その蜂の巣のなかでは、アスロック対潜ミサイルやトマホークといった対艦、対潜兵器のほか、対空ミサイルのシースパロー、短SAM、最大十五コの目標をいちどに捕捉可能なスタンダード艦隊防空ミサイルが眠りについている。
同行するUSS<バリー>、USS<ラブーン>、USS<ミッチャー>、USS<オカーン>、USS<ポーター>も、おなじくアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦だが、これらのVLSセル数は九〇セルである。そのかわり、ハープーン艦対艦ミサイル四連装発射筒をふたつずつ構えている。
駆逐艦を束ねるタイコンデロガ級巡洋艦USS<レイテ・ガルフ>は、VLSを一二二セルも持ち、さらにハープーン艦対艦ミサイル四連装発射筒ふたつもあわせもつ。むろん、これら巡洋艦と駆逐艦がすべてイージスシステムを搭載していることは、もはや言を要さないだろう。
さらに艦隊の護衛と哨戒をになうのが、二隻のオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート、USS<ハウズ>とUSS<カウフマン>だ。両方とも、ハープーンを装填した単装ミサイル発射装置をひとつ、防空用の速射砲やCIWSなどをもっているが、イージス艦をはじめとする米海軍海上戦闘艦隊に比べると、やはりその火力は見劣りすることはいなめない。しかしそのぶんコストも安く、いろいろな意味で小回りがきくので、現在でも相当数が現役で海を守っている。USS<ハウズ>もUSS<カウフマン>もそのクチだ。
これらの駆逐戦隊に守られながら、食糧や燃料を積載した高速戦闘支援艦もついてきている。
そして海中ではロサンゼルス級原子力潜水艦USS<グリーンヴィル>が、不用意に接近する艦船、もしくは巨大生物を見つけてくれようと睨みをきかしている。空母を守るように航行する十隻の艦船と原潜の織りなす防衛網はまさに鉄壁の布陣である。
東部標準時間でちょうど正午になったころだ。艦隊の目となるべく哨戒飛行をしていたE-2Cホークアイから入電があった。
「エクスシア3からUSS<ドワイト・D・アイゼンハワー>へ。東の方向より低空で接近する小型の航空機の機影を確認」
「エクスシア2、確認」
「エクスシア1、同じく機影を確認」
「データをリンクさせろ」
航空部隊を指揮するCAGが指示し、USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>のレーダースクリーンにも光点が表示される。数はひとつだ。空母のレーダー官が解析する。
「距離、本艦より約五四海里。現在三〇〇ノットの速さで本艦隊へ向け接近中」
五四海里は約百キロメートル、三〇〇ノットはだいたい時速五五五キロメートルだ。このまま接近してくれば、おおよそ十分少々でランデブーする計算になる。
しかもレーダーによればかなりの低空で飛んでいる。イージス艦のレーダー捕捉可能下限高度のさらに下だ。<ドワイト・D・アイゼンハワー>艦載の第124早期警戒飛行隊、通称エクスシアイが哨戒していなければ、水平線から出てくる距離、つまり三十キロまで接近されて肉眼で発見するまで気づかなかったかもしれない。
少将が尋ねる。「フライトスケジュールに該当機は?」
即座に担当の航空局に問い合わせた士官が首を振った。「ありません、少将」
着々と光点がレーダースクリーンの中心へと進んでくる。少将がインカムを装着した。航空無線で警告するのだ。
「未確認機に告ぐ。貴機は現在、アメリカ合衆国海軍の制限空域に侵入している。確認信号を発信し、ただちに針路を東に変更し退去せよ」
数秒、待った。レーダー官が言った。「アンノウンの針路、速度、ともに変化なし」
少将が艦載航空団の指揮をとるCAGに命令する。
「ライノを出撃させろ」
ライノとは、F/A-18E・Fスーパーホーネットの海軍内での愛称である。
「了解。ナイトウィッシーズ一番機、二番機、緊急発進。接近中の未確認機をインターセプトせよ」
待っていたかのようにスーパーホーネット戦闘攻撃機が二機、矢継ぎ早に空母のカタパルトから射出されるように発艦していった。
「見えたぞ」
F/A-18E二機の姿がアクアブルーの空に吸い込まれて見えなくなってすぐ、パイロットが言った。
「未確認機は、単発プロペラ機。三座。超低空飛行でなおも艦隊へ向かっている」
「機種はなんだ」
CAGが訊くと、
「これより降下して視認確認する」
そのあいだに少将がレーダー官に問う。「現在距離は?」
レーダー官は即答した。「三十海里です」
「こちらウィッシュ1。機種の確認を試みたが、かなり古い機体のようです。思い当たる航空機がありません」
F/A-18Eのパイロットから報告が入った。CAGが薬指にリングの輝く左手で頭をかかえた。少将が身を乗り出す。
「機体の外見的特徴は?」
パイロットが返答する。
「ボディは細長く、ほとんどエンジンカウリングの直径をそのまま後ろへ流したような直線的形状。全体的にモスグリーンの塗装、両主翼ならびに胴体後部の両側面に、赤い円が大きくペイントされています」
「日の丸か?……」
少将は重ねた。
「機体番号は確認できるか」
「垂直尾翼にそれらしきものが」
パイロットが読み上げる。
「C6N1」
少将の眉間に縦皺が足された。
「航空機のシリアルナンバーの形式ではないな。念のため問い合わせろ」
「了解」
「C6N1……」
CAGが呟いた。
「心当たりでも?」
「いえ……どこかで見聞きしたような気が……」
直後、
「いえ、待ってください少将、垂直尾翼の反対側には違うナンバーがあります」
パイロットが慌てたように言ってきた。
「反対側?」
「C6N1は左側です。右側には別の番号が」
「なんだ?」
「読みます。――302 17」
少将が士官を見やり、それも照合するようにと命ずる。
「ナイトウィッシーズ、パイロットとコンタクトはとれるか」
「やってみます」
並行に飛行して、キャノピー越しに、手信号などで直接、相手のパイロットに指示を出そうというのだ。しかし、
「だめです、高度が低すぎる。アンノウンの高度、十フィート以下」
十フィート、つまり高度三メートルという、海面すれすれを飛んでいる相手に、並行して近づいて飛ぶなど、まともな神経をしていたらできるわけがない。
「こうなったら……」
ナイトウィッシーズの一番機が闘志を覗かせる。
「おいカレッジ、なにする気だ?」
ナイトウィッシーズ二番機がTACネームで呼びかける。なにもわからない空母のクルーの問いをCAGが代弁する。
「ウィッシュ1、どうした。ウィッシュ2、ウィッシュ1はなにをやってる」
やや沈黙あって、
「こちらウィッシュ2。ウィッシュ1が背面飛行でアンノウンの直上に占位している……」
みな度肝を抜かれた。ひっくり返って真上から相手飛行機のキャノピーを覗こうというのだ。当の本人は恬淡と言った。
「こちらウィッシュ1。現在、所属不明機の直上に占位。キャノピーがノックできればいいんだが」
相手に聞こえるわけもないのだが、カレッジの「おーい、聞こえるかー」という南部訛りの陽気な声が無線を通じてコントロール・ルームじゅうに響き渡った。
「しかしこいつら、ずいぶん年代物の飛行装具を着用しているな」
冗談めかして言うウィッシュ1をよそに、少将がインカムのマイク部分をつまみ、再び所属不明機へ呼びかける。
「これが最後通告である。ただちに当海域から離脱せよ。命令に従わない場合は、こちらも非常手段に出る」
五秒か六秒、あった。
「こちらウィッシュ2。所属不明機、針路、速度、ともに変化を認められず。なおも艦隊へ接近中」
「了解した。カレッジ、もういいぞ、いいかげん離れろ」
「了解……」
ウィッシュ1パイロット、TACネーム<カレッジ>が気の抜けたような返答をよこした。
「どうした」
カレッジは息を吐いてからCAGに答える。
「やつら、真上に戦闘機がまっ逆さまになって覆い被さってきても、こっちを見ようともしない……本当に人間か……まるで亡霊のようだ……」
無線のスピーカーから流れるその声は、たしかに震えていた。
やがて、機体番号を照合した士官が、得心がいかぬというような、不快そうな表情を見せた。首をひねり、報告していいものかどうか判然としないようなふうなまま、言いにくそうに少将に伝える。
「照合きました。とはいっても、正確な記録ではないのですが……」
「どういうことだ」
「航空局や軍の資料がデータベース化される以前のものなんです」
「なに?」
そして、士官が重い口を開く。
「機体番号302 17は、一九四五年三月一九日、マツヤマ上空でわが航空部隊と交戦。撃墜されたという記録が残っています」
少将、艦長、CAG、そのほかその場にいたすべての士官が顔を見合せた。ぽかんと口を開けている者も二、三人どころではない。妙な空気と沈黙が積もった。少将がかろうじて言葉を紡いだ。
「一九四五年、三月、三月だと……? 一九四五年の? 一九四五? 一九四五年……三月? 大戦終結目前じゃないか。六〇年以上も前だぞ。それにその日は、たしかに日本軍との大規模な空中戦があったと記憶しているが……」
「C6N1!」
CAGが天啓を受けたかのようにさけんだ。「C6N1は、それですよ!」
少将にも、艦長にも、だれにもわからない。CAGが説明した。
「C6N1は、旧日本海軍が運用していた艦上偵察機『彩雲』、当時のわれわれ連合国でのコードネームMYRTのメーカー呼称番号(正確には略符号という。彼の覚え違いか?)です。高々度での高速性能に特化し、当時のいかなるアメリカ軍戦闘機でも彩雲には追いつけなかったといわれています。まちがいありません」
少将がCAGを凝視した。本気で言ってるのか?
少将の当然の疑念を察し、CAGが補足する。
「ナイトウィッシーズのパイロットの証言した外見とも合致します。彩雲は、空気抵抗を極力減らすため、胴体の直径がエンジンカウリングとほぼひとしく、きわめて細長くコンパクトに仕上げられています。おまけに三人乗り。まちがいなく彩雲です」
「なるほど」
少将はあまり取り合わずに思考した。すると、新たな懸念が生じた。
嘘か誠か、半世紀以上前に退役したはずのレシプロ戦闘機が飛来しているらしい。アメリカ国内でも、戦史だけでなく航空史に巨歩をとどめる傑作戦闘機ゼロ・ファイターを筆頭とした、第二次世界大戦時の日本軍戦闘機の熱狂的なファンは数えきれないほど存在する。それらの大半は精巧なミニチュアスケールの模型を製作し、ディスプレイして在りし日の勇姿に思いを馳せる程度のものである。ところが、それが資産家だったりした場合は、縮小模型ではおさまらない。ありあまるカネにものをいわせ、実物大の模型を作ったり、時には本物のエンジンなども搭載させて、あとは燃料とパイロットが用意できれば実際に空が飛べるという、模型というよりほぼ完璧なコピーを作らせてしまうケースさえある。そして、その飛行機で気ままに、ほんとうに遊覧飛行して楽しむのである。今現在、艦隊に不用意に近づいてきている所属不明機も、そういったたぐいの道楽飛行ではないだろうか。
ありえなくはなかった。使っても使いきれぬ余剰資産に溺れるほどに漬けられた人間は、乗り物にしろなんにしろ、やがて流行の最先端や表面上の便利さよりも、むしろ時代おくれのものをあえて選んで、余興の風情というやつを楽しみだす。そしてそういう人間に共通しているのは、じぶんは法を超越した存在だと思い込んでいることだ。札びらでこの世のすべてがじぶんの思い通りになると錯覚しはじめる。だから、航空局に機体も登録せず、飛行計画書も提出しないでフライトし、あまつさえこのような情勢下で合衆国海軍の誇る現代の無敵艦隊に近寄るなどという愚行が犯せるのだ。わざわざ撃墜された機体のナンバーまで描いて。少なくとも亡霊がさまよいでてきているというよりは現実味のある話だ。
撃ち墜としてやろうか? ふとそんな思いが頭をよぎる。が、すぐに振り払われる。
高名な資産家のなかには、選挙活動において重要な役割を担っているものが少なくない。莫大な費用がかかる選挙において懇意の候補者をサポートし、その人脈と金脈は集票にも大きく影響する。この所属不明機がセレブの道楽飛行であるならば、搭乗しているのはそういう資産家である可能性もある。そして、その資産家が、現大統領ないし有力者のたいせつな個人献金主である可能性もまたゼロではない。そんな後援者を失えば、政府にとって、多大な損害になりかねない。それに加えて、もしそんな人物を撃墜したということが世間に知られれば、身勝手なマスコミの格好の攻撃材料にされるのは目に見えている。つい先日も、イラクに派兵されたアメリカ軍がヘリから民間人を多数射殺した映像がネット上で流出、政府と軍が非難の矢面に立たされるという事態になったばかりだ。安全保障のため、非常のさいには、独断で強硬手段をとることもできる裁量と権限が少将に一任されているものの、時期が時期だけに、撃墜して大統領の立場が悪くなることはさけたい。
とはいえ、このまま放置して好きにさせておくわけには当然いかない。不審な機体を艦隊へ近づけていい理由がない。それに、もし、この所属不明機が艦隊近辺をうろついているところへ、USS<ハリー・S・トルーマン>を沈没させた巨大物体が出現したら、艦隊行動の支障になることはまちがいない。えてしてバッドタイミングというのは重なるものだ。神よ、どうしろと?
「武装を確認させろ」
少将がCAGに命じ、CAGがF/A-18Eパイロットに伝える。
「ナイトウィッシーズ、所属不明機は機体に武装しているか」
「こちらウィッシュ2。キャノピーの後部座席より、大口径機関砲の砲身らしきものが斜め上方に向け伸びている。どうぞ」
「弾倉は確認できるか」
「弾倉、確認できます。しかし、実際に発砲可能であるかは不明」
その時だった。
「なっ、くそ、マジかよ!」
次の瞬間、ウィッシュ1が絶叫するように悪態をついた。悲鳴のようなその声には、動揺と驚愕があった。
「どうしたウィッシュ1、応答せよ。なにがあった」
ウィッシュ1パイロットはもう一度、「糞野郎!」と叫んでから、CAGに応答した。
「こちらウィッシュ1。所属不明機から攻撃を受けた! あの機関砲は本物だ!」
「こちらウィッシュ2。所属不明機はなおもこちらへ向け発砲中! 攻撃を受けている。攻撃許可を!」
「ブレイク、ブレイク! 奴の前方に出ろ。後ろを狙う機関砲なら前方には撃てん!」
ウィッシュ1とウィッシュ2の間で緊迫したやりとりが交わされる。ウィッシュ1が激昂する。
「畜生! 第一撃で左水平尾翼と左垂直尾翼がまとめて吹っ飛んだ。かすっただけなのになんて威力だ。こちらウィッシュ1、早く攻撃許可をくれ!」
「少将」
CAGが振り返り、少将に命令を求めた。決断を求められた少将は、しかし、むしろ迷いを振り切った表情を見せた。
「こちらに攻撃してきたのなら答えは明白だ。目標を『所属不明機』から変更! 『敵』だ!」
「はっ!」
「責任はわたしがとる。敵機を撃墜せよ!」
「了解! ウィッシュ1、ウィッシュ2、攻撃許可が下りた。敵機を撃墜せよ!」
戦闘攻撃機二機のパイロットが「了解!」と返した。
「あの世に招待してやる。テンパランス、おれがループで敵機のケツにつく。援護をたのむ!」
「まかせろ。気をつけろよカレッジ」
士官のひとりが「少将」と声をかけた。
「所属不明機、ならびにナイトウィッシーズ二機を視認」
とうとう水平線から出てきたのだ。戦闘指揮所のモニターのひとつに、所属不明機がむかってくる方角の海が映される。そして、最大望遠でかなたの青藍に目を凝らす。
オリンポスのように高く聳え立つ入道雲を背景にした蒼穹と、コバルトを溶かしたような海洋のはざまに、暗い緑色の鳥がとんでいる。主翼は大きくはなく、機首でプロペラが高速回転している。
「どうだ?」
少将の問いにCAGのフランコ大佐がモニターを凝視し、頷いた。「大径プロペラに、あの面積を低く抑えた層流翼の主翼。やはり、彩雲に間違いありません」
ウィッシュ1のどなり声が無線に響いた。
「アイクまで距離がない。速攻で片付けるぞ」
ウィッシュ1の機体が機首を跳ね上げ、ジェットコースターのループのように縦に大きく輪を描き、距離を稼いで所属不明機・彩雲の八キロ後方に占位する。これくらい離れれば、機関砲もあたらない。
「ようし。こちらウィッシュ1。サイドワインダー、照準ロック完了した」
CAGが断ずる。
「攻撃せよ」
「了解。ウィッシュ1、FOX2!」
レーダースクリーンに少将以下、士官たちが注目する。ウィッシュ1を示す光点からサイドワインダー……赤外線追尾方式の短距離空対空ミサイルが放たれ、彩雲へ猛スピードで食らいつく。
ミサイルの光点と彩雲の光点が重なり、両者ともレーダースクリーン上から消滅した。
「こちらウィッシュ1。ミサイル命中、目標を撃墜した。繰り返す、目標を撃墜した!」
パイロットからの無線に、航海艦橋、戦闘艦橋の両方で歓喜の雄叫びが沸き上がった。少将も安堵に顔を綻ばせた。
「よくやったナイトウィッシーズ。帰投せよ」
ひとしきり狂喜の渦が巻いた直後のことだった。
「USS<グリーンヴィル>より緊急入電。深度二万フィートから急速に浮上する反応を感知! 類別不能!」
艦内に電撃が走った。乗組員全員がおのが身体にアドレナリンの分泌されるのを自覚し、艦橋の室内温度がにわかに上昇したかのように感じられた。
「距離は?」
ロサンゼルス級原子力潜水艦USS<グリーンヴィル>との現在位置から割り出す。
「十二時の方向、一三〇海里!」
「大統領と大西洋司令部に連絡しろ」
「了解」
「全艦につなげ」
「はっ」
艦隊司令官たる少将が無線機を握る。
「全艦に令達する。本艦隊、東一三〇海里地点に未確認物体を探知、深度二万から急速に浮上中。おそらく奴だ」
少将の言葉に、空母の乗組員や航空要員はもとより、何隻もの巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、支援艦、総勢一万にちかいすべてのクルーが身を引き締める。
「われわれはなんとしても奴を撃破し、<コロンビア>や<ハリー・S・トルーマン>に乗っていた仲間たちの無念を晴らさねばならぬ。鎮魂の燈明はわれわれの手で灯さねばならぬ。そして、アメリカ合衆国の自由と未来を脅かす敵を正しい力をもって打ち砕き、必ず勝利しなければならぬ。この戦いはただ海軍の一部隊の作戦なのではなく、アメリカ合衆国の正義と威信がかかっている。試練の時だ。その試練に打ち勝たねばならぬという使命が、諸君の双肩にかかっている。全力で迎え撃つ。吉報を持って帰るぞ」
正体不明の敵の出現という、たとえ軍人でもともすればパニックに陥りかねない状況で、部下たちの士気を鼓舞しながらも過度の緊張を払拭し冷静にさせる少将の語りかけに、一万の部隊の精神がひとつにまとまる。
「目標、現在深度一〇〇。まもなく海上に出ます!」
艦隊から真東に一三〇海里、つまり約二四〇キロの洋上。至宝ラピスラズリのごとき清純な輝きを宿す紺碧の海面に、白い濁りがにわかに混じる。濁りは広範囲に拡大した。海底から立ち昇ってきた無数の気泡が太陽光を乱反射させながら弾けているのだ。まるで地獄の底で罪人を沈めて茹でる硫黄の釜のように。
そして、気泡の乱舞するさなか、その中心に黒点が浮かぶ。黒点は徐々に巨大になっていく。影。海の中から島のように巨大ななにかが浮上してくる影だ。影はどんどん大きくなっていく。影の直径が二〇〇メートルにも達したとき、海面が歪むように持ち上がる。
海面から大質量が顔を一部だけ覗かせる。大量の海水が巨体を包みこむようにその姿を隠し、外見上は、直径二〇〇メートル、高さ三〇メートルほどのドーム状の水塊としか見えない。だがその水のすぐ下には暗黒に塗り潰された圧倒的巨躯が蠢動しているのが透けて見えるようだった。
ドーム状に海水をまとったそれは、まるで見えているかのようにまっすぐ西へ、艦隊の方向へ動き始めた。
「目標、海上に現出。移動を開始。針路2-3-8、速力約一〇〇ノット!」
「こちらへ来るか……。ともあれ海上に出てくれるのは助かるな」
少将がにやりと笑いを浮かべた。
艦隊指揮下の潜水艦は当然魚雷が射てるし、ミサイル駆逐艦も対潜兵器は搭載している。しかし、短魚雷の射程はせいぜい八キロ、VLSから発射されるアスロック対潜ミサイルでも二十二キロ程度しかない。
だが海上の相手なら長射程を誇る対艦ミサイルが使える。二四〇キロならトマホークはもちろんのこと、ハープーンも完全射程内に収まっている。さらに、艦載機に対艦ミサイルを搭載させれば手の数が飛躍的に増加する。攻撃の手段と選択肢が増えるのに悪いことはない。
少将の指揮が閃く。
「パーフェクト・ストーム作戦開始。全艦、対艦戦闘用意。駆逐戦隊は転送した座標にてそれぞれ待機、E-2Cホークアイからのデータをもとに目標をロックせよ。艦隊と航空部隊で一斉攻撃を敢行する。USS<グリーンヴィル>は警戒行動を続行。ペロン大佐」
「はっ」
空母艦長が少将の命を受け、艦の乗組員に命令を伝達する。
「総員戦闘配置。取り舵いっぱい、九十度。速力維持。海上警戒を厳にせよ」
「フランコ大佐」
次に艦載航空団指揮官(CAG)に命じる。
「サー、イエス・サー」
「ライノによる対艦攻撃を実行する。戦闘攻撃飛行隊二個部隊に、対艦ミサイルを搭載、ただちに出撃させよ」
「了解。第102戦闘攻撃飛行隊リーヴズアイズ、および第142戦闘攻撃飛行隊ウィズインテンプテーションズに発進命令。接近中の水上の目標に対し対艦攻撃を決行する。ハープーン空対艦ミサイルを搭載し、ただちに発進せよ。各機、発艦後はホークアイの誘導にしたがい所定のルートを航過、命令までポイントにて待機せよ」
少将が空母艦内のスピーカーに通じるマイクを手にとる。
「われらが空の戦士、死の天使たちよ!」
少将のとどろくような大音声に、ハンガーで航空機の整備や発進準備をしている航空要員たちが、いっせいに高い天井ちかくのスピーカーを見上げる。
「悪魔の手にかかった第3空母航空団、総勢二四八〇名の無念を晴らすのは何者ぞ。エアフォースか、ジャーヘッドか?」
「否! 断じて否! あいつを殺るのはおれたちだ。第7空母航空団、総勢二四八〇名のおれたちだ! おれたちひとりが仲間ひとりの無念を請け負い、命の対価を仲間に代わって奴に請求する! きょう、おれたちは天翔ける死の天使となり、数多のミサイルと那由多のバルカンをもって、死せる第3空母航空団の鎮魂歌を歌う!」
かれらが恐れるものなどなにもない。死なぬ、負けぬと確信しているのだから恐れる必要などありえない。
原子力搭載航空母艦USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>の周囲を数海里ほどの間隔をあけて固めていた護衛艦隊、駆逐戦隊が最大戦速で進み始め、戦力を展開する。
空母は戦略的に強い。強いが、その強さは艦載している大量の戦闘攻撃機に依存しているのであり、空母単体での戦闘力は最低限の自衛用火器しかなく脆弱である。しかも図体がでかいので、いたずらに最前線にでしゃばると被弾のリスクだけが高くなって非常に邪魔なのである。
したがって今回の作戦では、護衛の巡洋艦、駆逐艦をも前面に押し出して戦力を集中投入し、空母は後方で航空機のプラットホームとしての機能に専念させることにした。防空の要たるイージス艦までも攻勢に回した、超攻撃型陣形である。
駆逐艦が東へ進んでいく後方で、<ドワイト・D・アイゼンハワー>の飛行甲板では、発進命令の下ったライノことF/A-18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機の周囲で整備兵たちが鞅掌を極めていた。発艦のための機体チェックと同時進行で兵装を整える。翼下のハードポイントにハープーン空対艦ミサイルを、計四本装填し、念のためサイドワインダーも二発取りつける。最終チェックが完了した機体から随時発艦させる。発進位置についたスーパーホーネットのすぐうしろの路面からブラストデフレクター(防風盾)が起き上がり、フルスロットルで排気するジェットエンジンの噴流を受け止める。スチームカタパルトにより、艦載戦闘機はわずか九〇メートルの発艦用滑走路の上で瞬時に時速二五〇キロにまで加速する。そのさいパイロットには約一トンの荷重がかかり、身体全体がシートに押しつけられる。
離艦したF/A-18Eは一度右方向へ旋回しながら高度を上げていく。
雲浮かぶ蒼空のむこうから、彩雲を撃墜したナイトウィッシーズの二機が帰還してきた。背景の白雲が、虹のように七色に輝いていた。見ているあいだに夕映えの赤、雨上がりの雲からもれる朝日の光条のようなオレンジ、透き通るレモンイエロー、宝石みたいなエメラルドグリーン、神います至高のセレスト・ブルー、朝露に濡れるオーキッドの花を透かした菫いろ、といった光が、色の境界なしにうつろい、まじりあう。彩雲とよばれる気象現象だ。それは瑞兆か、はたまた撃墜された艦上偵察機の怨念か。
とまれ二機は空母の後方に旋回、着艦態勢にはいる。まずウィッシュ2が進入コースに乗る。ニミッツ級空母の飛行甲板は、着艦エリアが船の中心線に対し左斜め向きの角度に設けられている。こういうのをアングルドデッキという。こうして着艦エリアと発艦エリアとをわけることで、着艦作業と発艦作業を同時におこなえるのである。
ウィッシュ2が失速ぎりぎりの時速二〇〇キロ程度まで減速し、機体を完璧に安定させるべく微妙なバランスをとりながら甲板を目指す。ふつう、航空機が飛行場に着陸するときは、機首を上げて、先に後ろ側のタイヤを地面につけるものだが、空母でそんなソフトランディングはできない。<ドワイト・D・アイゼンハワー>の全長は約三三三メートルであり、これは東京タワーをそのまま横倒しにしたのとほぼひとしい巨大さをほこる。事実、移動可能な兵器としては人類史上最大級である。しかし、着艦しようとしている航空機から見れば、その大きさは木の葉のように小さく頼りない。波に揺られる空母の狭く短い甲板上に着艦するとなると、針の穴を通す技術が要求される。着艦後は数十メートルで機体を停止させなければならないので、機首を下げぎみで、主脚から接地させる。このとき、主脚には約八〇トン、パイロットには一・五トンの衝撃が加わる。ほとんど「落ちる」ようなものである。みごと甲板上に「落ちる」ことができたら、甲板に張ってあるアレスティングワイヤー(制動索)に機体下面の着艦フックをひっかけてむりやり停止させる。ワイヤーをとらえそこねたら? すぐにエンジン出力を最大にし、ふたたび発艦してやりなおさなければならない。すこしでも加速が遅れると、気速が足りずに海へ墜落してしまう。
ウィッシュ2は問題なく着艦した。つぎはウィッシュ1だ。
ただでさえ恐ろしく難度の高い、空母への着艦。しかもウィッシュ1は、彩雲の攻撃により、左水平尾翼と左垂直尾翼を失っている。ただ飛ぶのだけでも危ういのに、その不安定な機体で着艦しないといけないのだ。みな、それぞれの仕事に追われながらそれを見守った。
波に揉まれる狭い甲板の限られたエリアに正確に機体をコントロールし、「落とす」。機体はいつも以上にゆらゆらと揺れる。
気まぐれな海風がいたずらに横槍を入れ、一瞬、機体が右に大きく傾いた。甲板後端に主翼があたる――だれもがそう思ったとき、すんでのところでウィッシュ1が体勢を立て直し、主脚を甲板にどしんと着けた。荒々しく脚を甲板に叩きつけ、ワイヤーをフックがつかむ。着艦成功だ。何十人もの整備兵、乗組員、仲間の航空要員が拳を突き上げて歓声をあげた。キャノピーが開き、ウィッシュ1パイロットが闘った男の表情で降りてくる。駆け寄った整備兵たちに、親指を立てた。
CAGも安堵に胸を撫で下ろしたが、まだ戦いは終わっていない。無線のマイクに口を近づける。
「ウィッシュ1、ウィッシュ2、ごくろう。ナイトウィッシーズは発進にそなえ、命令まで待機せよ」
無事の着艦の興奮も醒めやらぬまま、作戦機がカタパルトで次々発艦されていく。
ライノがスリングショットの弾丸のように射出されていくそばで、整備兵たちはつぎの機体の発艦準備に取りかかる。その動きは台本が仕込まれているかのように無駄がなく、タイムロスを極限まで削っている。
そして、第102戦闘攻撃飛行隊リーヴズアイズ所属のF/A-18E十五機と、第142戦闘攻撃飛行隊ウィズインテンプテーションズ所属の同じくF/A-18E十五機、あわせて三十機が発艦完了し、大空へ飛び立っていった。CAGが腕時計を確認する。
「四十分五十五秒……上出来だ」
少将が威厳ある声で乗組員に命令する。
「目標の現在位置、戦闘攻撃飛行隊および各艦の位置と攻撃準備態勢の確認」
士官たちがそれぞれに無線連絡をとり、情報を受け取り拾い上げる。E-2Cホークアイに繋がっている無線を担当していた士官が少将を振り返り、
「目標、依然として浮上航行中。針路、速度、変化なし。現在、本艦との距離六五海里」
約一二〇キロといったところだ。巨大物体は一〇〇ノット、すなわち時速一八〇キロメートルという恐るべき速力で航走している。抵抗の大きい水中でこれほどの速度を出せるなど、驚天動地としかいいようがない。大統領はテレビでUSS<ハリー・S・トルーマン>沈没の原因は巨大生物によるものといっていたが、はたしてこんな生物がいるだろうか。だが戦士たちは疑問などいだかない。相手がUMAだろうが新兵器だろうが、叩いて潰して沈めるだけだ。
「リーヴズアイズ、ウィズインテンプテーションズ、ポイントに到達」
「巡洋艦USS<レイテ・ガルフ>より報告。駆逐艦USS<オカーン>、USS<ポーター>、USS<ベインブリッジ>、USS<バリー>、USS<ラブーン>、USS<ミッチャー>、ならびにミサイルフリゲートUSS<ハウズ>、USS<カウフマン>、配置完了。対艦ミサイル照準よし。攻撃準備完了」
巨大物体は、わき目もふらずまっすぐ艦隊へ向かってくる。攻撃方法としてはまず、水上艦船部隊は、直進してくる目標の真正面に布陣、その鼻っ面に対艦ミサイルを叩き込む。
いっぽう、艦隊からみて左側、目標にとっては右側の上空に戦闘攻撃飛行隊を配置。艦隊と同時に対艦ミサイルを斉射し、敵の横腹にぶち込む。いわば対艦ミサイルの十字斉射だ。そのミサイルの嵐をまともに受けたなら、敵の正体がなんであれ、抗うひまもあらばこそ、粉微塵になってしまうに相違ない。
そして、闘気に上体を膨らませた少将が厳命する。
「攻撃、開始!」
「了解、リーヴズアイズ、ウィズインテンプテーションズ、攻撃開始。対艦ミサイル投下」
「全艦、攻撃開始!」
火蓋は切って落とされた。イージス巡洋艦USS<レイテ・ガルフ>のVLS四セルが開放され、火山噴火のごとき焔をあげて四発のトマホーク巡航ミサイルが発射。真上に上がったトマホークはすぐに頭を沈め、海面ぎりぎりまで高度を下げ、主翼を展開して突進を始める。イージス駆逐艦USS<ベインブリッジ>もVLSを開き、徹甲弾頭をそなえたタクティカル・トマホークを四発射ち上げる。駆逐艦USS<オカーン>やUSS<ポーター>、USS<バリー>にUSS<ラブーン>、USS<ミッチャー>の五隻は、VLSから四発のトマホークを発射するのと同時に、一隻につきふたつ搭載されているハープーン四連装発射筒もフル稼働させ、ハープーン艦対艦ミサイルを射ち出す。二隻のミサイルフリゲート艦も単装ミサイル発射装置に装填されたハープーンに点火。一発ずつの剣呑な銛が、白煙の尾を曳いて流星のごとく海上を駆ける。
艦隊から放たれた都合七〇発のミサイルが、海面すれすれに飛びながら、地球の外周に沿って目標へ推進していく。
ほぼ同時に三〇機のスーパーホーネットもそれぞれ二発ずつAGM84空中発射型ハープーンを発射。機体から投下されたハープーンは、ジェットエンジンに点火して一度海へダイブするように下降した。そのまま海に突っ込むかというところで体勢を水平に戻し、ブルーの水面に触れるか触れないかという超低空飛翔で目標の右舷を狙う。
二八発の巡航ミサイルと四二発の艦対艦ミサイル、そして六〇発の空対艦ミサイルの十字斉射。その十字の交差するところに、急速駛走する巨大物体がある。
最初に当たったのは、戦闘攻撃飛行隊から発射されたハープーンで、コンマ一秒後に、艦隊が発射した、速度でトマホークに勝るハープーン艦対艦ミサイルが着弾。続いて畳み掛けるようにトマホークが突っ込んでいく。そのさまは、幾星霜を閲した長命なシロナガスクジラに無謀にも徒党を組んで挑む貧弱なイワシの群れのようであった。轟音が大西洋の海を掻き乱し、白く輝く水飛沫を上げ、爆炎が物体を包んだ。
「リーヴズアイズ、部隊のハープーン全弾命中を確認」
「ウィズインテンプテーションズ、対艦ミサイル全弾命中」
「巡洋艦USS<レイテ・ガルフ>より報告。USS<レイテ・ガルフ>および麾下駆逐艦ならびにミサイルフリゲート、トマホークおよびハープーン全弾命中を確認」
攻撃管制の報告が次々入ってくる。
「命中! 全弾命中!」
「BRAAAAAVOOOOO!」
艦隊の乗組員、航空要員すべてが、狂喜の雄叫びをあげた。
一発でも命中すれば、現代の艦船なら轟沈をまぬかれえない対艦ミサイル。それを一三〇発もいちどにくらったのだ。決着など火を見るよりあきらかだ。
勝利を確信し、空母艦橋もなごやかな雰囲気に包まれていた。仲間の仇を討ったという達成感に、任務を完遂した満足感もある。弛緩した表情のなかで、アメリカ海軍軍人らしい緊張感をたもっていたのは、少将ただひとり。
過剰火力の煙幕が擬似的な入道雲となって海から上がった。唐突に、地獄の門が開かれるように煙が引き裂かれ、ドーム型の水の塊が姿を現す。巨大物体はなおも直進をつづける。
「こちらエクスシア1。高速移動体を探知。目標の進行速度、変化なし。目標は健在。繰り返す。目標は健在」
「なん……だと……」
「やつは化け物か……!」
警戒機からの報告に艦隊クルーがざわめく。みな少なからぬ落胆と失望を抱かされた。強力な破壊力をもつ対艦ミサイルと巡航ミサイル、あわせて一三〇発の直撃を受けても、なんの効果もみとめられない……敵はいったいなんなのか……もしかしたら自分たち人類では倒せない類いのものなのでは……。
「第二波攻撃を続行」
少将の声に、再び総員が命令を実行しようとあわただしく動き始める。
イージス艦たちがまだ使用していないVLSのハッチを開ける。ミサイル巡洋艦USS<レイテ・ガルフ>とミサイル駆逐艦USS<ベインブリッジ>のVLSは四セル開き、その他の五隻の駆逐艦は十二セルずつ開けていく。この五隻の駆逐艦は、第一撃でVLSからの巡航ミサイルとハープーン四連装発射筒を併用した艦だが、キャニスター(発射機)に新しいハープーンを再装填している暇はないので、次はトマホーク巡航ミサイルのみの攻撃だ。よってVLSを持たないミサイルフリゲートは後方支援を余儀なくされた。
スーパーホーネット三〇機もただちに配置につき、ホークアイの電子的支援のもと、再び目標をロックする。第二波攻撃準備完了だ。
「攻撃!」
艦隊のVLSがいっせいに鬨の声をあげ、トマホークを次々射ち上げる。鋼鉄の猛獣は、プログラムされた目標へ向かい、狙いをさだめて疾走する。
F/A-18Eの編隊も、翼下から残りのハープーンを二発とも全機発射した。猛然と航走を続ける巨大物体の速度と、自身の飛翔速度から割り出した正確な命中座標をプログラムされた空対艦ミサイルが、青き海洋に白煙の引っ掻き傷をいく筋も描きながら突撃していく。
さきほどより艦隊に近づいているぶん、ずっと短時間で着弾。爆発して炸薬のエネルギーを解放し、目標にぶつけていく。
高性能かつ高威力のミサイルの暴風、十字斉射の中心点に再び閉じ込められた物体は、しかし、いささかも速度を緩めることなくなおも猛進してくる。
「トマホークならびにハープーン、全弾命中するも効果なし」
「ファック、ファック、ファック!」
青空を汚す爆煙と、前方の海水を掻き分け押しのけ、物体は進む。
と、奇妙な音が響き渡りはじめた――。
凄まじい音量だが、もうミサイルは全部着弾して爆発しおわっている。ミサイルの爆発音ではない。耳元で何本もの音響魚雷がつぎつぎ起爆するかのような轟音の奔流。まるで、無惨に殺戮された罪なき人々が黄泉の国から蘇り、自分たちを虫けら同然に殺した奴らに復讐を果たしに戻ってきたかのごとき、恐ろしい怨嗟の声……狂えるほどの憎悪と憤怒に満ちた叫び声のような音が海を支配した。耳をつんざくその響きは、不可解なことに、大気中だけにとどまらず、艦隊や戦闘攻撃機の無線にまで干渉し、聞いた者の鼓膜から脳髄までを貫いた。少将もCAGも各艦の艦長もパイロットたちも、スピーカーやヘッドセットが音割れするほどの爆音に肝を潰され、音源を捜索する。
通信士のひとりが上半身をねじるようにして少将に振り向き、なにごとかを伝える。大声を張り上げているのだろうが、大気を鳴動させる音響にかき消され、まったく聞こえない。
「なに? なんだ? なにごとだ?」
叫びながら少将は通信士の口元に耳を近づけた。
「原子力潜水艦USS<グリーンヴィル>より入電。この音は目標から発せられている模様!」
音波が音波を塗りつぶす大音声のさなか、半球状に盛り上がった水塊の背面から、いくつもの小さな物体が飛び出した。その小物体は数を増やし、羽化したかげろうか蚊柱のように群れ、巨大物体の周囲を薄黒い紗幕となって覆った。
ライヴハウスのばかでかいスピーカーの前に立たされたような音撃がおさまった。そのとき――
「ウオッ!」
「ファック!」
「マイ……ガッ!」
レーダー管制と飛行隊の指揮をとっていたE-2Cホークアイの部隊、エクスシアイの三機のレーダー観測官が、ほぼ同時に口走った。空母USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>の通信士が血相を変えて少将に振り返り、
「エクスシア1、2、3から入電。目標付近に多数の飛行体を感知」
「なんだと」
レーダーには、巨大物体を中心にして、ひと目では数えられないほどの光点がいつのまにか出現していた。レーダースクリーン上では、それはキノコが大量の胞子を飛散させているようにもみえる。しかも、その数は、レーダー波を当てるたび増加している。
「なんだこれは、どこから現れた? なぜここまで接近されるまでだれも気がつかなかった?」
「不明です、まるでまるで幽霊のように現れて……」
「エクスシアイ、機影の数を確認せよ」
「数は現在五〇……一〇〇……くそっ、まだ増えやがる! 未確認機、一五〇を突破、なおも増えつづけている。なに? 移動? 機影は目標と同じ針路をとって移動を開始。速力、二七〇ノットから三七〇ノット!」
「リーヴズアイズならびにウィズインテンプテーションズ、反航して未確認機を邀撃せよ! すぐに増援を送る、それまでもってくれ」
CAGの指示で、対艦ミサイルを射ちつくして空母へ帰投していたF/A-18E三〇機が急遽、バンクして百八十度針路を変更し、突如現れた機影群へと向かう。
「ホークアイ、未確認機まで誘導を願う」
「了解した。未確認機は高度一万フィート(約三〇〇〇メートル)から一万五〇〇〇フィート(約四五〇〇メートル)の間に散開、最も速力の高いものは三七〇ノットで艦隊へ接近中。脅威度の高いものから優先して個別に攻撃の指示を出す」
巨大物体を監視する空母のレーダー担当が報告する。「目標との距離、現在、五三海里!」
一〇〇キロメートルをついに切った。歩いていくぶんには遠い距離だが、現代戦場では一〇〇キロメートルなど目と鼻の先だ。
しかも謎の航空勢力まで相手にしなければならないらしい。すべてが秒単位の戦いを強いられる。
「巡洋艦ならびに駆逐艦隊に打電。水上目標に引き続き巡航ミサイル攻撃を加えつつ、並行して対空戦闘用意!」
「ナイトウィッシーズ、アンベリアンドーンズ、緊急発進。空対空戦闘、コードを認証せよ。発艦後はエクスシアイの指示にしたがえ。なお機体損傷のためウィッシュ1は待機」
ナイトウィッシーズのF/A-18E十四機と、アンベリアンドーンズのF/A-18F十五機が発進態勢に入る。最速で発艦させても、何機空に飛び立たせてやれるか……そんな不安を糊塗するように、整備兵たちは機体のチェックと武装の搭載、発進準備に没頭した。
空ではウィズインテンプテーションズとリーヴズアイズが所属不明機との会敵を果たそうとしていた。先の対艦ミサイルの大盤振る舞いで洋上に煙が霧のように立ち込め、視度はきわめて悪いが、ホークアイによるレーダー誘導のおかげで、たとえ敵が見えなくとも照準ロックできる。パイロットのヘルメットと連動したHUDには、FLIR(前方監視赤外線装置)を通した無彩色の敵の姿が映し出されている。
「なんて数だ。……」
隊のパイロットのだれかが呟いた。彼らのHUD越しの視界には、灰色の空を背景に、恒星のごとく光を放つ点が、それこそ天の川のように大軍を形成し、跳梁しているのが映っている。その空を埋めつくす光点こそが、赤外線を放出している飛行物体、つまり所属不明機だ。
ウィズインテンプテーションズのリーダー機が、自身の率いる飛行隊のパイロットに呼び掛けた。
「全機サイドワインダー発射用意。各自、レーダーをチェックし、ホークアイに指示された目標をロックせよ。ぜったいに艦隊に近づけるわけにはいかない、射程ぎりぎりの八キロに入ると同時に発射しろ」
F/A-18E各機はホークアイからの指示により、一機につきふたつずつ、それぞれがちがう目標に照準を定めていた。高高度から電子の目で広域を見つめるE-2Cホークアイが戦況を把握し、どの機体がどの目標を狙えばいいか的確にレーダー管制しているので、同じ敵を狙ってしまったり、「おれはあっちの敵をやるから、おまえはあそこのあいつを――」「え? どれ?」などとまごつく必要はない。ホークアイがいるからこそ、このような未知の敵と遭遇する非常事態になっても、みな安心して航行と攻撃に専念できる。
操縦桿のボタンを押して兵装を変更する。これでF/A-18スーパーホーネットは短距離空対空ミサイル、サイドワインダーを発射可能になった。持っているサイドワインダーは各機二発。六〇の敵を同時に攻撃する。
戦闘機は通常は、おおよそ時速六〇〇キロで巡航している。一秒飛ぶだけでも二、三〇〇メートルもあっという間に過ぎ去っていってしまうのだ。さらに臨戦態勢に入って突入して速度を上げると、八キロという距離など、まばたきするひますら与えられない。そのうえ相手もこちらに向かって飛んでくる。すれ違う時の相対速度は時速一五〇〇キロにまで達するだろう。一瞬の状況判断が生死を分ける。できればもっと離れた距離から狙えるミサイルがあればよかったが、発艦するときは水上目標を攻撃する任務を帯びて対艦ミサイルを装備していたので、いまもっている空対空ミサイルはサイドワインダーしかないのだ。
「リーヴズアイズ、突撃!」
「ウィズインテンプテーションズ、突撃!」
それぞれのリーダーの号令とともに、三〇機のジェット戦闘機はスロットルを開け、目標群へ爆走を開始した。HUD表示の敵との距離の数字が急激に小さくなっていく。そして、サイドワインダーの射程内に入ったことを知らせる電子音が鳴った。
「FOX2!」
二個飛行隊のスーパーホーネット三〇機から、細い槍のようなサイドワインダーが二発ずつ切り離され、ブースターに点火、蒼天を疾走する。
F/A-18Eたちは発射後すぐに急上昇に転じ、高度を高くとる。未確認飛行物体の数は現在二〇〇弱。一機二発ずつで六〇発のサイドワインダーが全弾命中して撃墜できたとしても半数にも届かない。リーヴズアイズとウィズインテンプテーションズの火急の任務は、速力が高く真っ先に艦隊に接近しそうな奴を叩いて阻止し、時間を稼ぎ、可能なら敵飛行物体の正体を突き止めることにこそある。
エンジンをふかして上昇しつつ、レーダーを覗きこんでサイドワインダーの行方を見守る。サイドワインダーは固体ロケット燃料の薄い航跡を曳き、わずかに尻を振って蛇行しながらロックした目標へ飛翔していく。
煙幕のとばりの向こうで橙いろの花火が点々と小さく散った。
「こちらエクスシア2、サイドワインダー全弾命中、未確認飛行物体六〇の撃墜を確認。リーヴズアイズならびにウィズインテンプテーションズ、残存する未確認機を掃討せよ」
高度五五〇〇メートルあたりに達したライノたちの機体が陽光を反射し鋭く光る。リーヴズアイズのリーダーが言った。
「こちらリーヴズアイ1、まもなく未確認飛行物体群とコンタクト。目視による確認をおこなう」
目で見える距離まで近づけば、反撃を受けるリスクも高くなる。その危険を冒してでも、敵の正体をこの目で確かめておかねばならなかった。
それは海風だったのか、あるいは目には見えないなにものかが息を吹きかけたのか。突風が視程を著しく奪っていた煙をことごとく晴らした。F/A-18E飛行隊と未確認飛行物体の群れが、澄明な視度のもと、おたがい見合う形となった。
「リーヴズアイ1、未確認機を視認確認」リーダー機パイロットが目を凝らした。全身の血管が膨れ、血液が逆方向へ走り出すのを感じた。「これは……」おもわず声を漏らした。その呟きには、畏怖が滲んでいた。
未確認機は、プロペラ機だった。機首にひとつプロペラがついた単発機で、全体の塗装はダークグリーン、両翼に赤い単色の円が燃えるように輝いていた。胴体の形状は紡錘形でずんぐりむっくりとしており、えらく後方にコクピットがあるような印象を受ける。そのプロペラ機が、一五〇を越す編隊を組み、スーパーホーネット部隊の下五〇メートルを艦隊向けて飛行していた。
リーダーは、その機体形状をみて、パニック状態に陥りそうになった。彼はその航空機を知っていた。
「雷電だ!」叫ぶように、言った。「未確認機を目視にて確認。雷電と判明!」
彼の祖父は、大戦当時パイロットをやっていて、真珠湾にて日本軍機に襲撃を受けながらも命からがら助かり、その後は太平洋の上空でF6Fヘルキャットを駆り日本軍機と死闘を演じた猛者だった。祖父は子と孫に折々、そのときの武勇伝を語って聞かせた。けさ食べたものさえ覚えられないほど耄碌しても、日本軍機の特徴と空戦のようすだけは事細かいところまで記憶していた。その影響で彼は日本軍の戦闘機に知らず知らず精通し、やがては祖父とおなじ戦闘機パイロットを志すきっかけにもなったのだった。かれがパイロットになったのは、祖父と日本軍機の闘いがあったからこそといえた。
その骨の髄まで染み込んだ記憶と知識を信じるなら、眼下をすれ違う航空機は、旧日本軍が主力戦闘機のひとつとして運用し、当時の連合軍にジャックのコードネームで呼ばれた雷電に相違なかった。
「ライデンだと」少将が反駁した。「たしかか」
「間違いありません」上ずった声で返答した。「外見の特徴は完全に合致しています」
「ライデンは」少将がCAGに訊いた。「サイウンのお仲間か?」
CAGが頷いた。「彩雲も雷電も、第二次大戦中の日本海軍の戦闘機です」
「どういうことだ」少将はわずかに逡遵した。しかしいまやるべきことがあった。「残存機の掃討が先決だ。イージス艦はどうなっている」
「USS<レイテ・ガルフ>、対空勢力をレーダーに捕捉。ESSM発射開始を確認。イルミネーター起動、誘導開始」
タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦USS<レイテ・ガルフ>のVLSの一列が波打つように開かれた。巡航ミサイルや対艦ミサイルは、VLS一セルに一発格納されているが、直径の小さい対空ミサイルなら、ひとつのセルをさらに小分けにして複数のミサイルを装填しておくことができる。対空勢力を強力なレーダーに捉え、脅威度を判定し、それが高いものから自動的に攻撃を加えて防空をはたすイージスシステムが覚醒する。開放されたVLSは一セルが四つに区切られ、そこにはESSM(艦対空ミサイル発展型シースパロー)が破壊の出番を待っていた。
炎と煙と爆音を行進曲に、一セルから四発ずつESSMが順次発射されていった。
レーダー波を目標に照射して、反射してきたデータをミサイルに送信して誘導するイルミネーターに正確にコントロールされ、対空ミサイルが戦空を駆けていった。
リーヴズアイズとウィズインテンプテーションズは、<レイテ・ガルフ>がロックしていない雷電に挑んだ。「全機、機関砲をスタンバイ」管制機のホークアイが飛行隊に令達した。さきほどのサイドワインダー発射のときと同様に個別に目標をあてがった。
「敵編隊後上方より接近し、射程に入りしだい二秒だけ機関砲を発射。攻撃後はそのまま離脱せよ」
ウィズインテンプテーションズのリーダーがいった。「むかしながらの空戦の時間だ。おれたちがただハイテクに頼りきるだけのカマ野郎じゃねえってことを証明するぞ。やってやろうぜ」
F/A-18スーパーホーネットが搭載しているM61バルカン砲は、二〇ミリ砲弾を毎分四〇〇〇発、秒間にして、一秒で六六発も撃つという驚異の発射速度をもつ。あたりどころにもよるが、たいていの航空機なら五発も命中すれば翼をもがれたカラス同然となる威力を誇っている。二秒も撃てばじゅうぶん以上だった。
リーヴズアイズ・リーダーが機体をバンクさせ、味方をひっぱるようにUターンして敵機の後上方につける。
レーダーをみた。雷電の編隊は寸毫も乱れず艦隊方面へ直行していた。さきほどサイドワインダーでミサイル攻撃を受け味方が何十機も墜とされたというのに、まるで知らん顔で直進を続けている。
「不気味だな。なに考えてやがる」
飛行隊のだれかがつぶやいた。
「ESSM接近。着弾まで五秒」
四……三……二……一……。蒼穹の彼方から超音速で飛来した発展型シースパローが、航行する雷電に真っ向から直撃する。命中した瞬間、機体は橙いろの炎をあげて火の玉になり、数十もの部品に分解され、煙の尾を長く長く曳きながら海へと墜ちていった。
月と狩猟の女神アルテミスが放った矢のごとく、正確無比な照準で狙い撃たれた対空ミサイルが、雷電部隊に次々突き刺さり、空の藻屑に変えていく。
猛撃をうけ、雷電の群れが、左右に裂けるようにいっせいに散開しはじめた。
ある雷電は、左に大きく傾き、高度を下げて重力による加速を得ながら左に旋回した。だがESSMは、突然のその雷電の動きにも瞬時に反応し、舵を切ってコースを修正、たがわず土手っ腹に命中させた。炎に包まれた雷電は、きりもみに回転しながらまっ逆さまに海面に没した。 ほかの雷電も、降下して速力を稼ぎつつ急激に旋回してミサイルから逃れようとするも、防空をこそ本領とするイージスの目からは取りこぼされず、最大五〇Gの急旋回も可能とするESSMの好餌となった。逃げ回る雷電は、猛追撃する発展型シースパローの速度と旋回力の前には止まっている蛾も同然だった。
イージス艦からのミサイルの嵐が収束した。巨大物体相手の攻撃もしなければならない。さしものイージス艦隊も全機撃ち墜とすには手が足りない。
「敵機、残り三〇!」
「オーケー、今度はこっちの番だ」リーヴズアイズのリーダーがいった。「いくぞリーヴズアイズ、いくぞウィズインテンプテーションズ。狂った戦争の亡霊どもを、麗しの故郷の地獄の底へ送り返してやれ!」
豪とメンバーが鬨の声で返答し、エンジンの出力を上げる。
遷音速域までいっきに加速して、三〇機のスーパーホーネットが、三〇機の雷電へと突進。HUDに投影された照準内に目標の雷電をおさめる。そして、射程に捉えた瞬間、操縦捍のトリガーを引き絞る。六連装砲身が回転し、M61バルカン砲が火を噴く。秒間六六発の、鉄の驟雨。逃げ惑う雷電はつぎつぎと二〇ミリ機関砲の餌食となっていった。ほとんど発砲したのと同時に機体がバラバラに砕け、火炎の尾を曳いて陰惨な雪となって大西洋に降り注いだ。
「ははっ、こいつはいいぜ。ターキー(七面鳥)みたいにノロマなやつばっかだ!」
「逃げられるもんなら逃げてみやがれ。絶好のスコア稼ぎだ!」
闘争の興奮にみちた無線のやりとりが交わされる。
三〇機のスーパーホーネットがいっせいにトリガーを引いたのち、空に飛行している雷電の姿はどこにもなかった。すべてが空の藻屑と消えた。
「エクスシア3からリーヴズアイズならびにウィズインテンプテーションズへ。敵航空機撃墜を確認。引き続き進路を維持し、残りも掃討せよ」
「テンプテーション1了解。数は?」
「五〇だ。平均速力二七〇ノット(時速五〇〇キロ)で艦隊へむけ接近中。貴隊とは三〇秒後に接触する」
「こちらリーヴズアイ1。敵性航空機を視認した。たしかにさっきのとはちがうな……」
豆粒ほどにしか見えぬ未確認飛行物体の編隊を映した、FLIRから得られた画像を液晶ディスプレイ上で拡大。HUDやレーダーなどの航法機器にも気を配りつつ注視する。赤外線分布を可視化したものなので、目標の機体はカラーではなく、モノクロに浮かぶ白い光のシルエットでしかないが、リーヴズアイズ・リーダーには機種の判別くらいであればじゅうぶんだ。ライノのパイロットたちは、雷電につづく正体不明機の姿をひと目、肉眼で確認しようと、ヘッド・アップ・ディスプレイ越しの青空に目をむけた。
真正面からむかってくる、五〇の戦闘機群。やはり単発のプロペラ機だが、雷電よりはスマートなプロポーションである。尾輪が出ており、プロペラの直径は、やや小さめのようである。
「リーダー、あの機体は?」
リーヴズアイズのパイロットが無線で問う。リーダーが答えを導く。
「あれは、おそらく『隼』だ。気をつけろ。雷電より劣速だが運動性と加速力はあなどれん。射撃精度も高く、当時は『天空の狙撃者』ともいわれたそうだ」
「当時は、でしょう。ライノの前ではあんなの、いにしえのポンコツマシンですよ」
二九機のライノのパイロットが豪快に笑った。リーヴズアイズのリーダーだけが笑わなかった。
無線を空母の戦闘艦橋で聴いていたCAGがつぶやく。
「一式戦闘機・隼? まさか……」
少将が不審そうな顔をした。
「ハヤブサとやらがなんだ?」
「は。一式戦闘機、通称隼は、旧日本陸軍の軽戦闘機です。さきほどの彩雲と雷電は海軍……編成がかなりチャンポンです」
「つまり?」
そう訊かれたCAGも、解答を見つけだせないようだった。
「ようし野郎ども。こんども機関砲で木っ端微塵にしてやるぞ。ホークアイ、目標の誘導を頼む」
ウィズインテンプテーションズのリーダーが威勢よく通信した。さっきの雷電総滅劇で、気分が高揚しているようだ。
「了解。個別に目標をロックする。送信した情報を確認せよ。まもなく射程にはいる」
戦闘飛行隊が了解の返答をし、HUDの照準を指定された目標に合わせながら飛翔する。互いにむかいあって接敵するその光景は、まさに空中の闘牛のようだった。
F/A-18スーパーホーネットの、ライノという愛称は、そのシルエットがサイに似ていることに由来する。さればこれは闘牛ならぬ闘犀か。
サイは凶暴な猛獣だ。目について動くものとあらばかまわず突進する。その勇ましき攻撃性は、とりもなおさず荒々しきF/A-18スーパーホーネット乗りにこそふさわしい。
敵を見つけた勇猛なるサイの軍勢が、限界まで引かれた矢弓となって、身のほど知らずのよそ者に裁きの鉄槌を下さんと疾駆する。
HUDに表示される自機と目標との距離が縮まっていく。「よーし、おとなしくしてろよおれのターキーちゃん。季節はずれのクリスマスとしゃれこもうじゃねえか」無線が全機と空母に開かれていることを自覚しているのかいないのか、だれかがそんなことをつぶやいた。
そしてついに両者の距離が八〇〇メートルをきった。
「発射!」
火の神バルカンの名を冠する航空機関砲がうなり、直径二〇ミリの機関砲弾を、秒速一〇六〇メートルの速さで放ち、回転する六つの砲身から秒間六六発で連射する。
破壊の火線が、一直線に隼へと殺到する。
雷電のときと同じく、なんら抵抗できずに機関砲弾に喰われると、だれもが信じて疑わなかった。
だが、最初の一発めが隼のエンジンに食らいつこうとした、その時だった。隼が機体をほとんど九〇度に横倒しにして急旋回してライノの機関砲を回避した。火線は隼の腹をかすめて、空のブルーのなかへ吸い込まれていった。何機かは回避が間に合わず、機体に風穴を開けられ、炎を血飛沫のように噴かせながら空中分解したが、それもほんの数機にとどまった。隼の大部分が、F/A-18Eのバルカン砲をひらりとかわしてみせた。それはまさしく、荒ぶる闘牛を紙一重でいなすマタドールのようであった。
「よけやがった!……」
「どういう機動性だ。あれを回避するか」
隼の群れとすれ違いながら、スーパーホーネットのパイロットたちに、少なからぬ動揺が波紋のように広がった。後方を確認。一時散らばった隼たちは、意思統一されているようにふたたび編隊を組んでなに食わぬ顔で飛行している。
「ターンして後上方からもういちどガンをしかける。いいか、落ち着け。おれたちはなんぞや」
「われら第102戦闘攻撃飛行隊リーヴズアイズなり。誇りあるアメリカ合衆国海軍のF/A-18スーパーホーネットにまたがり、空に巣食う敵をファックするものなり!」
「やるぞウィズインテンプテーションズ。敵の尻っぺたから目を離すな」
「とうぜんだ。こんどは当てる。おれたちはなんだ。撃って当てなきゃ家の外に出る資格もねえただの近親相姦野郎だ!」
「当てなきゃおれたちゃマザーファッカー! もひとつ外してアンクルファッカー! ユダ公のケツでも舐めてろファックユー、ビッチ!」
機上の戦士たちがおのおのを鼓舞し、戦意燃ゆる炎の坩堝に燃料を再充填する。それは高速増殖炉のように臨界点をやすやす突破せしめる瞋恚の炎。
三〇機の戦闘攻撃機が上昇して高度をとり、みな同時に反転。
逆さになった天地を戻して、渡り鳥のように雁行する隼の編隊を追いかける。
敵編隊の後方、四〇〇メートルほど上につける。
隼を見下ろす。隼たちのむこうには、太陽の恵みをあますところなく受けて輝く海。その海面を、白い筋で切り裂きながら進む鉄のほうき星が見えた。
隼とライノの進行方向のまったく逆へ曳かれる何十条もの白煙。艦隊から巨大生物へ放たれた巡航ミサイルが、眼下を航過し、天と海の接する水平線のむこうへ勇翔していく。それを目で追ったひとりのパイロットは、巡航ミサイルの収束して着弾、爆裂するのが思ったより早いので肝を潰した。もうかなり艦隊に近づいてきている。
「オーケー、野郎ども、突撃するぞ。目を見開いてついてこい!」
「ラージャ、ラージャ!」
ウィズインテンプテーションズがリーダーの号令下、雪崩のように隼編隊へ突っ込む。
「リーヴズアイズ、こんどは距離五〇〇まで接敵。確実に仕留める」
「了解」
リーヴズアイズもウィズインテンプテーションズにつづく。
音速の一歩手前まで加速、なだらかにダイブ降下しつつ隼の背後に迫る。
時速五〇〇キロメートルにも満たない低速で巡航している四十数機の隼は、暢気に遊覧飛行しているようにも見える。遷音速で接近するライノの機影になど気がついていないという感じだ。
HUDを睨むパイロットの目には、急激に大きくなってくる隼の後姿が映っている。
照準におさめたまま距離を詰める。斜め下方にダイブしながらの突撃なので、発射から命中までのわずかなタイムラグを計算し、ターゲットのやや前方の空間をねらう。
有効射程の八〇〇メートルよりさらに接敵。じゅうぶんにひきつける。
と、隼たち全機が、右、左とランダムに機体をバンクさせ、鋭く旋回し回避行動をとった。
「逃がすか!」
ウィズインテンプテーションズのF/A-18Eが機関砲のトリガーを絞る。橙いろの半徹甲焼夷榴弾の連なりは、空気を切る急角度でブレイクする隼を捉えきれず、口惜しそうに重力にひかれ、落ちていった。
「くそがっ」
オレンジのバルカン砲弾が蒼天を入り乱れる。
「無駄弾を撃つな、残弾数を考えろ」
リーヴズアイズのリーダーの警告も奏効しない。プロペラ機ごときに攻撃を当てられないことで頭に血がのぼり、冷静な判断も何もなくなっているのだ。
あるパイロットが機体を正確に操縦しながらしっかりと照準に敵機を入れ、トリガーに指をかけようとした瞬間、ターゲットの隼が左下方にひねりこむように死線からはずれ、視界から消え失せたのを見て、「動くんじゃねえこのアンクルファッカー!」と叫ぶ。またあるパイロットは、急旋回する隼の尻を追いかけてたが、旋回半径の小ささで負け、ふりほどかれてしまった。
敵の隼の速度は、直進のときよりさらに劣速となり、時速四〇〇キロメートル台にまで落ちている。速度こそ遅いが、小型軽量であるがゆえの運動性能と小さい旋回半径で、ライノは予想外に翻弄された。
「くそ。こいつらターキーなんかじゃねえ。ケワタガモ(北極海に住まうという水鳥。けはいに敏感で、狩猟は困難を極めると聞こゆ)だ!」
隼の軽快さに、リーヴズアイズの十二番機がいった。
「リーヴズアイ12、後方に注意」
どなるような声が無線を通じてホークアイから届けられた。
リーズアイ12は首をひねって真後ろを見た。
いつのまにか隼が一機、ほんの六、七〇メートルの後方に占位していた。敵陣のど真ん中に突っ込んで格闘戦などしていたからだ。
あ、と声を上げたのと同時に、隼の機首から発砲焔がまたたいた。
機首に装備された二門の十二・七ミリ機関砲が、真っ正面で無防備な姿をさらしているF/A-18Eスーパーホーネットを捉えた。
炸裂弾、徹甲曳光弾、焼夷弾の順番で高速発射される隼の十二・七ミリ機関砲は、口径が小さいため単純な運動エネルギーこそ小さく有効射程も短いが、当たりさえすれば、その威力は二〇ミリ機関砲弾にも匹敵する。
リーヴズアイ12がとっさにブレイクするまでに、数十発が機体を襲った。機体が穴だらけにされるいやな音をからだで感じながら、リーヴズアイズ十二番機はスロットルレバーをたたくように入れて急加速し、回避をはかった。急激な機動もまじえながらだったが、射程の外へ逃れるまで、隼の射撃はやまなかった。徹甲曳光弾がキャノピーの右を、髪一本ぶんあるかないかの空間をかすめていくのを見て、リーヴズアイ12は総毛立った。
すぐ上方でも、ウィズインテンプテーションズのF/A-18Eが同じように後ろをとられ、十二・七ミリを撃ちまくられていた。弾道は安定しており、プロペラ同調装置により、機関砲弾が前方で回転するプロペラにあたることはない。正確なねらいで、弾をライノに撃ち込んでいく。
「天空の……狙撃者……」
われしらず、声に出していた。
「リーヴズアイ12、損傷を確認せよ」
ホークアイからの無線に、パイロットは青い顔をしながら、
「右翼損傷、フラップ作動不能。油圧系統がやられた。機内に火災を確認。自動消化装置作動。燃料タンクに損傷なし。ああ、くそっ。右エンジンに被弾。推力低下」
「了解。リーヴズアイ12、USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>へ帰艦せよ」
なにっ、と噛みついた。
「半世紀以上むかしの骨董品相手に負けられるか。おれはまだ飛べる!」
「USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>からリーヴズアイ12へ。帰艦を命ずる」
航空団指揮官であるCAGも下命した。さらに、
「リーヴズアイ12、リーダーからも命令する。帰艦しろ。着艦もできないほど損傷してからでは遅い」
リーヴズアイズ十二番機は悔しさに声を震わせて、「了解」と返答した。
鳥類の隼は、自然界の動物のなかでもっとも速い飛行速度をほこる。その獲物は、小さい鳥である。隼は、超高速で急降下し、飛んでいる獲物の鳥に一撃を喰わせ、捕獲する。
その名のごとく、一機の隼が、被弾して帰投していたリーヴズアイズ十二番機の真上からまっ逆さまに降下してきて、通りすぎるときに十二・七ミリを叩き込んでいった。ライノのキャノピーの強化ガラスが白く濁った。
ひびで白濁した強化ガラスの内側が、目に刺さるような鮮紅色に染まった。機体は空中でバランスを崩し、横転を繰り返しながら高度を下げていった。海面に没するまで、ベイルアウト(緊急脱出)が作動することはなかった。
「リーヴズアイ12がやられた! 畜生!」
空母USS<ドワイト・D・アイゼンハワー>のCDC(戦闘指揮所)もどよめいた。数こそ劣るものの、それを上回る圧倒的性能差をもつ合衆国海軍の戦闘機が墜とされた。その信じがたい事実はクルーたちに動揺をもたらし、疫病のように広がっていった。
「ばかな。おれたちは、おれたちはこんな旧式のおもちゃ相手になにやってるんだ。ガキの使いじゃねえんだぞ!」
仲間を惨殺された憤怒が、パイロットたちを支配した。少将やCAGがまずいと思ったとき、リーヴズアイズのリーダーがいった。
「聞け! このままドッグファイトしてても埒があかん。いったん離脱して、距離をとるぞ。もういちど、一撃離脱戦法でいく」
リーダーの冷静な指示に、リーヴズアイズだけでなく、ウィズインテンプテーションズのメンバーまで了解と返事した。そのなかのひとりは、ウィズインテンプテーションズのリーダーだった。
リーヴズアイズの隊長機を先頭に数マイルレベルで隼の編隊から離れる。旋回性能が高くとも、しょせんはプロペラ機。もし追ってきても純粋な速力でならジェット戦闘機の敵ではない。 みなそう考えて加速し、じゅうぶんに距離を空けてから後方を確認する。おおかたの予想に反して、送り狼は来ていなかった。隼は再び編隊を組み直し、艦隊の方向へ針路をむけ、巡航しはじめていた。
F/A-18E二八機がひとつの生き物のように統率された動きでUターンし、一式戦闘機・隼の群れの後上方に占位する。
「いくぞ。反撃の時間だ」