三十九 蒼天切り裂く闇のつるぎ
「全フライト、速力五〇〇ノット(時速約九三〇キロメートル)をキープ」
「艦隊に攻撃中の敵は、三十六機までを確認。全チャンネルでの退去勧告にも応答なし。国連憲章第五十一条による個別的自衛権行使。交戦を許可する。目標は、エリアH1F7(ホテル・ワン・フォックストロット・セヴン)の敵性航空機」
「BVR(視程外)戦闘を開始。WVR(視程内)接触まで、三〇〇秒」
E-767早期警戒管制機のオペレーターたちの指示が飛び交う。
浅間は、スロットルレバーに手をおいたまま無線機のスイッチをあやつり、自身の編隊にのみ声がとどくように設定。
「ポリプテルス3、ポリプテルス1。エンゲイジ。ミッション・アンド・リジョイン(ポリプテルス三番機、こちらポリプテルス一番機。交戦態勢をとれ。編隊を解いて攻撃せよ。攻撃後は再編隊)。2、カヴァー・ミー(二番機、われを援護せよ)」
「3、アタッキング・プライマリー(了解。指令を実行します)」
浅間と占守が、長距離レーダーと中射程ミサイルによる視程外戦闘の態勢にはいり、
「2、ウィルコ(二番機了解。援護する)」
「パルマス。エンドリを守れよ」
「4、コピー(了解)!」
金本と早蕨が、それぞれの僚機の援護にまわる。
小鳥のさえずりのような電子音とともに、AN/APG-63レーダーがXバンドの十ギガヘルツ集中電波を発信。
機首レドーム内でアンテナ送受信板が油圧により可動。首をふることで、真正面だけでなく、高度一万五〇〇〇フィートから一〇〇〇フィート、左右角一二〇度の空間を捜索する。
計器板左上部をしめる垂直状況表示装置に反応あり。敵味方識別装置の質問信号に応答しないことをしめす長方形の記号が七つ。
「ポリプテルス1、アマテラス。コンタクト・イズ・ホスタイル」
レーダーで捕捉している目標が、味方や鳥などではなく、まぎれもなく敵機であることを空中管制機が確認。
標的捕捉。長距離索敵モードから、レーダーの能力を一機の敵に集中させる単一目標追跡モードに変更。ねらいを一機にしぼる。
縦に四、横に四の十六マスからなる垂直状況表示装置がしめすのは、自機前方を真上から見おろした空域のレーダー映像だ。つまり、いちばん下の中央が自機の位置で、画面の上へいくほど遠距離ということになる。
浅間のレーダー操作により、垂直状況表示装置の画面も、長距離索敵モード用表示から単一目標追跡モード用へ移行する。
捜索空間中に七つあった記号のうち、六つが消滅。
のこった中央やや上の一つは星形表示にかわり、浅間機に第一指定目標として設定されたことがしめされる。
星の下から線が一本のびているのは、標的の飛行方向をあらわしている。つまりほぼ正対だ。こちらは艦隊の正面めがけて飛んでいる。敵は艦隊の真後ろから投弾しようとしているのであろう。
制裁をくだすため、操縦桿の武装選択スイッチで、中射程ミサイルをよびだす。
計器板左下にある多目的カラーディスプレイの、おおまかに機体の胴と翼がえがかれた画面中央には、搭載されたミサイルの種類と状態にかんする情報がならんでいる。
八発のミサイルのうち、胴体下面の左後方にある<7M>の上に<RDY>表示があらわれる。
これで、浅間のF-15Jは、四番ステーションに懸架されたAIM-7Mスパローをいつでも発射できるようになった。
HUDも、スパローの単一目標追跡モード用に情報が付加されていた。
ロックオンした敵が、目標指示ボックスの四角形にかこまれる。
ボックスの中心に目標がいるのだが、雲の絨毯をはさんでいるし、それでなくとも七万二〇〇〇メートルもむこうだ。いくら目をこらしても、肉眼ではみえない。
HUD上に同時に出現した許容操舵誤差円は、ミサイル発射時の目標の方向と自機の飛行方向のずれが許容できる角度をしめしている。円の範囲内が、攻撃可能な角度というわけだ。
許容操舵誤差円の外縁にあるアングルオフ指示線という線は、目標の飛行方向を真上からみた状態をしめすものだ。
いまは真下に位置している。垂直状況表示装置の情報とおなじく、目標はこちらに真っ向からむかってきていた。
高度計のすぐ左に表示された縦方向の目盛りは、目標距離計である。
目盛りの右側には三つの横線があった。
いちばん下は最小射程距離で、ひとつ上が、高機動でにげる敵にたいする最大射程距離。
もっとも上にあるのが、ミサイルそのものの最大射程距離である。
ふつうは、最小射程距離と、機動飛行する敵への最大射程距離のあいだ、すなわち有効射程内にはいるまで目標にちかづいてから発射する。
だが、いまはなによりもはやくミサイルを発射して、敵に自衛隊が本気であることをしらしめねばならない。もうひとつの最大射程、ミサイル自体の最大射程距離で射つ必要があった。
距離計の目盛りの左側、目標の現在距離をしめす横線が、最上部からおりてくる。
目標距離の横線が、ミサイルの最大射程距離の横線とかさなった瞬間、
「ポリプテルス1、FOX1」
親指で操縦桿の発射ボタンをおしこむ。
胴体パイロンから火薬の力でいきおいよく下方に射ち出されたスパローが、一段めの加速用固体燃料に点火。
飛距離をのばす目的で空気のうすい高々度を経由するため、いったん上昇。
二段めの速力維持用の燃料にきりかえながら、白龍のごとく天空へほとばしっていく。
時間差をつけて、おなじ目標にもう一発。
排気煙をすいこまないように微妙によけつつ、ミサイル誘導に集中。
スパローの誘導のため、継続波という、セミアクティヴ・レーダー誘導ミサイルの誘導専用の電磁波を六万七〇〇〇メートルさきの敵に照射しつづける。
妨害電波も発信している。敵は完全にこちらの存在に気づいているはずだ。
垂直状況表示装置を一瞥。
画面上部にあらわれた、<T 23>の表示は、ミサイルの飛行時間タイマーだ。あと二十三秒で目標に到達する。
レーダー映像のなかの星印は、むかって右に急転換。こちらにたいして直角の角度になるよう旋回をはじめた。
ミサイル警報におどろき、パルス・ドップラー・レーダーからのがれんと回避機動にうつったのだ。
前後偏位をなくされると、F-15Jとて追跡できなくなる。
こちらも右に機体をかたむけ、ゆるやかに旋回。レーダーアンテナを目標のいる方向へ固定しつづける。
十五秒経過。高空を飛んでいたスパローが、そろそろ降下をはじめるころだろう。
敵に誘導波を集中しつつ、飛行時間タイマーの数字をにらむ。
やがてゼロになる。
時間差をおいたぶんだけおくれて、二発めのタイマーも消化される。
垂直状況表示装置を確認。
右ななめ上をむいている星印は、消えていない。
はずれだ。
浅間だけでなく、第一波のスパロー攻撃は、全機がねらいをはずした。
しかし、これで敵機のいくつかはミサイル回避のため爆撃を一時中止し、旋回を余儀なくされた。
ふたたび投弾態勢をととのえるまでのいくばくかは時間がかせげた。
重りである爆弾を投棄した機もあるかもしれない。そうなれば願ったり叶ったりだ。
浅間や占守ほか、スパローを発射していた機体は、飛行時間タイマーがゼロとなった直後には、すでにつぎの目標を設定。
敵機か否かAWACSに問い合わせたのち、間髪いれず三発め、四発めを発射。誘導を開始していた。
スパローが長大な弾道線をえがき、蒼天に何本もの排気煙のひっかき傷をつけていく。
距離、六万メートル。さっきよりはちかくなっているが、まだまだ機動目標にたいする最大射程には遠くおよばない。
第二波も、全弾命中せず。
敵に回避機動をとらせることには成功した。
だが、こちらはF-15J、F-2A、F-4EJ改をあわせて、十九機。
いちどに攻撃可能な機は、そのうち十一機だけだ。
戦闘機相手にスパローで同時に交戦できる目標数は一機だけなので、つまり十一機の敵にしか攻撃をしかけられない。
敵は三十六機いる。つねに二十五機以上が自由に対艦攻撃できる計算だ。
「ビキール、第一波で退避したターゲットどもがもどってきてんぞ」
単一目標追跡モードでミサイルを誘導しているせいで、第一指定目標に設定している敵機しかみえない浅間の護衛のため、複数の目標を同時に追跡、そのあいだもほかの目標を捜索できるレーダーモードで援護についていた金本が通知。
敵は爆装をすておらず、しつこくも再度攻撃をこころみるつもりだ。
ほかの編隊も状況は同様らしい。
「くそっ」
「AAM-4がほしい!」
「全フライト、ポリプテルス1。編隊を組み直す時間もおしい。僚機がスパローを発射。オフェンスはそのまま誘導せよ」
金本が発射したスパローを浅間が誘導し、早蕨が射ったスパローを占守がかわりに標的へみちびく。
ほか、アンヘル2の中射程ミサイルをアンヘル1が、クレニキクラ3のスパローをクレニキクラ1が、アシペンサー4のミサイルをアシペンサー3が、蒼海の同胞を殺戮せんとしている衆敵に指向する。
第三波がおわり、最後の斉射となる第四波のスパローが高々度の空に消えるころには、最初にミサイルをむけた敵機群が、またぞろ絶好の攻撃位置である艦隊後方に陣どりつつあった。
もう中射程ミサイルは一発もない。
「アマテラス、増援はまだか」
「三沢ベースのF(戦闘機)到着予想時刻まで、一七二〇秒。千歳ベースのFは二三八〇秒後を予定している」
とてもではないがまってはいられない。
「やむをえん。WVR戦闘にはいる。以後は二機編隊にわかれて行動せよ。僚機のいない機は三機編隊をくめ」
浅間の決断に、全員がまばたきよりもはやく然諾する。
レーダーを同時複数捜索追跡に設定し、機体を右に横転。高度をさげ、一面の雲海へとつっこむ。
視界が乳白色に支配される。まるで牛乳の海にもぐったかのようだ。
雲中で乱舞する無数の氷の粒が、浅間たちを手荒に歓迎する。風防を小石からこぶし大ほどの氷が叩いては砕け散っていく。
風防が青白くかがやきはじめ、さらにそのなかを蛍のような黄緑の長い光が放射状に這いずりまわる。
髪の毛をはじめ、全身の毛が逆立ちはじめる。
浅間のF-15Jイーグルは、全体が青い光につつまれていた。ついてきている仲間の機体も、おなじく光彩のかたまりとなっているだろう。
氷との摩擦により電位差が拡大。ついに絶縁限界を突破。
目の前が漂白されるほどの閃光。ヘルメットに密閉された耳の鼓膜さえ破りそうな轟音。
からだから静電気が一気にぬける。
機器に異常なし。
顔をあげる。
密雲をつらぬくと、瑠璃を溶かしたような太平洋がキャノピーいっぱいにひろがる。
地球上に存在するあらゆる物質を含有し、あまねく生命をうみだした渺茫たる青一色の平面世界。
そこに、人工物たることがあきらかな大質量が、身を寄せあって行進していた。
それは動く飛行場にして、傷だらけの方舟たち。
ひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦一番艦<ひゅうが>と二番艦<いせ>、艦隊の中心にいるもっとも巨大ないずも型ヘリコプター搭載護衛艦一番艦<いずも>が、全通飛行甲板にそれぞれ限界いっぱいの数の回転翼機を乗せ、白波を切る。
くりかえされる面舵と取り舵。
滑走路を切り取ってきたかのような甲板に、MCH-101掃海輸送ヘリ、SH-60K対潜哨戒ヘリといった海自のヘリコプターのほか、緑と土いろの迷彩に身をつつんだ陸自のCH-47チヌークやUH-60JAブラックホーク、翼の両端に角度変更可能な回転翼をそなえた空自のCV-22JAオスプレイなど、所属をこえた機体がしがみつく。
おおすみ型輸送艦二隻の全通甲板の後半分をしめるヘリコプター発着艦甲板には、それぞれ二機のCH-47。ほかの場所を陸自の車輛がうめつくしている。
掃海母艦<うらが>と音響測定艦<ひびき>、タンカーのような威容のましゅう型輸送艦<おうみ>が随伴し、練習艦<しまゆき>、<しらゆき>、<せとゆき>がまわりを囲む。
それら海上自衛隊の艦艇すべてから、火災によるものとおぼしき黒煙がたちのぼり、後方へたなびいている。
海面に白く引きずられた、複雑きわまる航跡が、乗員らの必死さを如実に物語っていた。
と、<ひゅうが>の右舷一五〇メートルのあたりに一本の水柱がたった。<いせ>と<いずも>のあいだや、<ひびき>の左ななめ前方にも、白い水しぶきが炸裂。
しんがりをつとめる練習艦<しらゆき>の、約二〇〇メートル後ろの海水が爆ぜる。
海自最大の<いずも>で全長二四八メートル、幅三十八メートルもあるが、空からねらう航空機からすれば、水面にたよりなくうかぶ落ち葉のようなものだ。
もと護衛艦のしまゆき型練習艦にいたっては、針のようにしかみえない。
時速数百キロメートルの高速で飛ぶ機体から、対空砲火による反撃に警戒しつつ爆弾を投下し、動く落ち葉や針に命中させるのは、ほとんど職人技といえるほどの技倆が要求される。
朝鮮人民空軍に職人がいるかどうかはわからないが、敵は攻撃回数の分母をふやすことで、分子の数を底上げしようとしている。
「命中率が一%なら百回攻撃すりゃあいいってか。かんがえたやつは、さっすがおれ、あったまいいー! とかいってそうだな。ビキールみたいに」
「ローウェイの人格なみにたちがわるい。しかし、たちがわるいということは、ある程度は有効な戦術ということだ。つっこむぞ」
「後ろはまかせろ!」
「応!」
浅間と金本を筆頭に、二機編隊、もしくは三機編隊に分散して敵機にいどむ。
高位からおりてきているぶん、空戦エネルギーの面でこちらに分がある。
敵のうち三機が、艦隊の後方数キロメートルに位置どり、ねらいをさだめたあと、加速。運動エネルギーをもたせてから投弾している。
無誘導爆弾は、投下したあとは自由落下するだけだ。弾着するころに目標がどれくらい移動しているか、先読みしておかなければならない。
接近してから投弾すれば命中率はたかまるが、ちかづきすぎると、艦隊の近接防空機関砲の弾幕にさらされる。
逆に、遠くから投下したなら、反撃をうける危険性はひくくなる。
しかし、弾着位置の予想はむずかしくなるし、落下時間が長くなればなるほど横風の影響もうけやすくなる。総じて、命中率はおちる。
つまり、無誘導爆弾をつかっている機は、高空からの急降下爆撃にかけるほかない。
のんきに艦隊後方に占位している三機は、目標に照準用レーザーを照射、反射光を爆弾に追わせることでレーザー誘導爆弾を誘導している機体にちがいない。
背面飛行状態で一万フィートほど高空を航過。
目標は、大型機であるF-15より、さらにひとまわりおおきい。
垂直尾翼や機首まわりといった外形に、英独伊が共同開発した欧州の万能機トーネードにも似たにおいを感じる。
中国が設計した長距離攻撃機、殲轟七型。またの名をJH-7“フラウンダー”ともいう双発ジェット攻撃機であることを確認。
AAM-3のシーカー冷却を開始しつつ、いったんやりすごす。
黒い影のようなものが、浅間と殲轟七型編隊のあいだを、こちらの進行方向へむかってかけぬけ追いこしていった。
顔をあげて目で追ったが、上下のいれかわった機内からは、きらめく海の青だけしかなかった。
垂直状況表示装置にも反応はない。
飛蚊症にでもかかったか。
雑念をおいはらい、垂直方向に下降しながら一八〇度の大旋回。天地逆さまだったのが、十秒かけて水平にもどる。
高度を微調整。
HUDを通した眼前にいるのは、爆弾投下ののち減速して、いずれかの艦にレーザーを照射しているらしい殲轟七型の後ろ姿。
後ろからみると、高翼配置で両端がさがった主翼がつくる「八」の字の機影が、世界最初の実用垂直離着陸機として有名なAV-8ハリアーにも似ていた。
それが三機、二、三〇〇メートルほど間隔をあけて、なかよく横にならんでいる。
いずれの機も、主翼にたくさんの爆弾が懸架されていた。
周囲の警戒は金本にまかせ、レーダーを単一目標追跡モードへ。
前方の敵機がおこす乱流でがたつく機体を制御しながら、左の一機にレーダー照射。ロックオン。
敵機の周囲に目標指示ボックスが表示される。
レーダーと連動されたシーカーが、目標の放射している赤外線と紫外線を検知。ねらうべき標的として認識。
敵はまだうごかない。いくら中国産といえども、レーダー警戒受信機くらいは装備しているはずだ。ロックオンに気づかないはずがない。
艦船からのレーダー照射と混同しているのか、誘導に全神経を集中させていて警報が耳にはいらないのか。あまりに不用心といわざるをえない。
「FOX2!」
一発だけ発射されたAAM-3が、二秒で標的に到達。
機翼にかかえていた爆弾も誘爆させ、真紅の大火球を空に飾る。
編隊機らしきのこり二機が、仲間の大爆発に仰天したように機体をかたむける。あわてて周囲を確認しているのだろう。
いまさら気づいてももうおそい。
残敵の殲轟七型のうち一機を捕捉。
優速のためちかづきすぎ、目標との距離がミサイルの最小射程を下回る。
HUD全体に「×」印が表示され、ミサイルがつかえないことを告知。
わかりきっていた浅間は、すぐさまレーダーを近距離モードのひとつ、スーパーサーチに変更。
機関砲を選択。
HUDの左下隅に、PGU-38型砲弾が五一二発装填されていることをしめす<GUN 512P>の表記が出現。使用火器が、ミサイルからM61バルカンに問題なくきりかわったことを報告。
機関砲弾の予想飛翔経路の線に敵機をかさね、
「FOX3!」
引き金に指をかける。
砲口から二十ミリ弾が高速発射。わずか〇・五秒ぶんの連射で、敵機は猛火につつまれた。
最後の一機が、補助翼と昇降舵をうごかして転回しようとする。数百キログラムの爆弾を何発も懸架している。お世辞にも機敏なうごきとはいえない。
余勢のまま急上昇。右にひねりこんで、敵機の左後上方からおそいかかる。
さながら、雲雀をねらう大鷹の気魄。
たちまちロックオンし、のがれようと敵を、浅間の二十ミリが確実につかまえた。
敵機の左翼付け根に直撃したPGU-38型砲弾が、翼を炸薬の力でむしりとる。
片翼となった敵機は、旋回しようとしていた方向にきりもみ回転。搭乗員が脱出する間もなく空中分解し、燃える部品の雨となって海にふりそそいだ。
レーザー誘導している母機を処理したことで、誘導爆弾は標的を見失い、ただの通常爆弾と化した。もはや脅威ではない。
前方を注視。天と海のはざまに、必死の遁走をつづける艦隊の姿をみとめた。
光が点滅しているのは、反射光を利用した暗号で艦どうしが交信しているのだろう。無線では傍受されるおそれがある。
意思統一を完了した艦隊が、いっせいに取り舵をきる。
軽空母のごときヘリコプター搭載護衛艦三隻と輸送艦二隻を中心に、補給艦、音響測定艦、掃海母艦、練習艦という、おおきさのまったくちがう艦が、陣形をみださず、統率されたうごきで左へ艦首をむける。
この場合、外側にいる艦は、内側よりも優速で曲がらなければならない。おなじ速度だとおくれてしまう。
そんな難度の高い操艦を、艦隊は当然のようにこなしていた。
門外漢の浅間ですら、おもわず見惚れてしまうほどの技術と練度である。
艦隊の右側にいくつもの水柱。獲物をのがした爆裂のしぶきが、残念そうに霧散していく。
練習艦<しらゆき>の艦橋の後部から、灼けた鉄いろの機銃弾が空へのびる。上空約五〇〇メートルのところで、爆発の紅い花が咲いた。
<しらゆき>が敵弾をCIWSで迎撃した直後、先頭の<しまゆき>から白煙をひいてミサイルが発射される。艦対空シースパローが、<いずも>へむけ急降下爆撃をこころみようとしていた強撃五型“ファンタン”を撃墜する。
あまり艦どうしがかたまりすぎると、いい的になる。
適度に間隔をあけ、かつ、たがいが助けあえる距離をたもつ。
こうして三日も敵の猛攻をしのいできたのかとおもうと、熱いものがこみあげてくる。かならず守り通さねばならない。
「2。タリー・バンディット。スリー・オクロック、ホット」
右をむくと、金本のいうとおり、一機の飛行機がこちらにちかづいてきていた。
胴や主翼の下から搭載物がこぼれ落ちている。
爆装を投棄し、自衛隊機の排除に乗り出してきたのだ。
彼我の距離は約十七キロメートル。高度差はこちらが五〇〇メートルちかく高位。
右に横転、旋回。機尾をとられることをさけつつ、AAM-3二発のシーカーを冷却。
右後方を確認。敵機はおおきく背中をみせておいすがろうとしていた。
長くとがった機首の左右に、空気取り入れ口。
半世紀まえに米国のノースロップ社が設計開発したF-5タイガーⅡに似ている。翼端に短射程の赤外線誘導式空対空ミサイルを装備している点も、F-5と同様だ。
中国がパキスタンと共同開発した多用途戦闘機、FC-1梟龍だ。北朝鮮からの採用希望を中国が渋っていたはずだが、いつ人民空軍に配備されたのか。いくら鉄のカーテンとはいえ、新兵器を制式採用した情報さえ他国に漏らさないなどということが可能なのか?
いまは空戦に集中すべきだ。疑念を保留。
梟龍は単発のうえ、エンジンそのものも非力だ。
F-15が、アフターバーナー時で推力一万八〇九キログラムのF100-IHI-220Eを二基搭載しているのにたいし、梟龍のRD-93エンジンは、アフターバーナー時でも八三〇〇キログラム。
梟龍のほうが自重が半分ほどしかないことを差し引いても、歴然たる性能差はうめられない。
敵が機首のKJL-10レーダーを起動。レーダー波を指向してくる。
浅間の機体が、照射されたレーダー波を高速解析。おなじ周波数の妨害電波を発信し、相殺。ロックオンをゆるさない。
電子機器さえもF-15のほうが格上だ。
機を右へ倒したまま、維持旋回を開始。やや下がりぎみにして、速力五〇〇ノットを維持しながら敵の尻を追う。
視界の端を、ふたたび黒い影がかすめていく。
目だけでたしかめるが、やはりなにもいない。
気にせず梟龍の追尾を続行。
レーダー警戒受信機の表示画面の外側に、KJL-10レーダーの反応がふたつ。
ともに十時方向だ。
ロックオンを電波妨害でかき消しつつ、気合いで旋回。
荷重で尻が座席にめりこむ。
HUDに表示された自機の荷重は、八・五。
ヘルメットと頭が八・五倍の重さになり、下へおさえつけられる。
むりにもちあげようとすると、首の骨が悲鳴をあげる。
ではどうするか。
根性で耐えるしかない。
手足の指先の毛細血管が圧力で破裂するいやな音とともに、敵の後ろにけんめいに手をのばす。
AAM-3は、全象限からの捕捉を可能とする高性能ミサイルだ。
舊世代の赤外線誘導式ミサイルは、シーカーの熱検知範囲が排気熱の波長域にしぼられていたため、排気口のある方向、すなわち敵機の後方からしかロックできなかった。
空気との摩擦熱や、太陽の反射熱をも感知できるAAM-3なら、後方からだけでなく、目標の全方向から捕捉できる。
しかし、飛行機もミサイルも前へむいて飛ぶ関係上、やはり敵機の後半球から射ったほうが、命中率はたかくなる。
旋回勝負のすえ、敵機が視界内にさがってきた。
HUDにて目標指示ボックスが梟龍を囲む。
シーカーが標的を追跡、認識する。
目標距離計の、最小射程の横線と、機動目標にたいする最大射程の横線のど真ん中に、目標との距離をしめす横線がくる。
目標指示ボックスの下にちいさな三角形の発射指示表示が点灯。
目標は完全に有効射程内。
発射ボタンを二回押す。
放たれた二本の槍は、梟龍が連続射出したフレアの弾幕に目もくれず飛翔。
一発めが排気口に指向性近接信管の散弾をあびせ、炎をふかせる。
衝撃で急激に機首がもちあがったところで、二発めが到達し、起爆。
集中された高熱の弾殻が、機の背中とキャノピーに無数の穴をうがつ。
感動も感慨もなく、意識はつぎの敵に移行。
左に横転しなおしている時間もないので、そのまま右へ旋回。
操縦桿をななめにひっぱり、右の方向舵ペダルも踏んで、ひねりこむような軌跡で、レーダー照射してきている敵と反航のかたちをとる。
いまだにこちらをロックオンできていないらしい敵機を、さきんじて捕捉。
その鼻面にM61バルカン砲弾をたたきこむ。
火だるまになった梟龍は、隕石のように炎を長くひきずりながら、惰性で滑空。太い黒煙の筋をのこし、浅間の左翼のすぐ下をつきぬけていった。
もう一機は、浅間とすれちがったのち、右ななめ上に宙返りして、攻勢にうつろうとする。
宙返りがおわろうとしたところで、機体からまばゆい火の玉が白煙をひいて何発も飛びでる。赤外線追尾ミサイルを警戒しているのだろう。
浅間は左の方向舵ペダルをふみこみ、機体を横滑りさせた。
F-15Jイーグルが、空中でドリフトしていた。
武装変更、機関砲を選択。
まだ宙返りがおわっていない敵機の背中に、HUDの砲弾飛翔予想経路の線をあわせる。
M61バルカンの二十ミリには、赤く光る曳光弾が五発に一発ふくまれている。
つまり、曳光弾と曳光弾のあいだには、四発の徹甲弾や炸裂弾がはさまっていることになる。
にもかかわらず、曳光弾の発する赤い線が、まるで一本の光線のごとくつながっているようにみえるほどの超連射。
梟龍はたちまち炎上。
コクピットからパイロットが脱出した直後、高G機動で緊張しきっていた機体が、もろくも真っ二つにへし折れ、撒き散らした燃料に引火。炎の外套をひろげて散っていった。
空中管制機に、最寄りの敵機はどこかたずねる。
ほかの編隊も奮闘しているようだ。相手に数で圧倒的に劣っているのを、機体性能とパイロットの技倆差で補完。戦力比では、むしろ凌駕しているといってよかった。
アシペンサー、ラングフィッシュのF-15J部隊が、浅間と金本にならい、援護機が後方警戒をになうことによって、僚機が前方の敵機に集中。安全を確保しながらも効率よく敵を駆逐する。
紺青と縹の洋上迷彩が美しいF-2たちも、操縦桿からの入力をコンピュータが解釈、動翼に最適に伝達する電気式操縦系統により、パイロットの意思どおりに寸分の誤差なく横転。軽量小型なぶん、イーグルよりもちいさな旋回で敵をおいつめ、編隊機との連携をも駆使して、つぎつぎ撃墜している。
F-4EJ改の三機も、退役していてしかるべき舊式の老体ながら、ほかの機種にはない特殊な空力特性を活かした空戦機動で敵機を幽霊のごとく翻弄し、AIM-9Lサイドワインダーで片っぱしから始末していた。
敵には護衛の戦闘機がいなかった。空自の戦闘機が増援に出張ってくるなど、想像だにしていなかったのだろう。
おかげで浅間たちは、せいぜい爆装を捨てたFC-1梟龍に注意する程度で、敵攻撃機の掃蕩に専念することができた。
「AWACS、こちら<いずも>。敵からの攻撃がへってきた。なんとかなりそうだ!」
吹雪二等海佐もよろこびの声をあげる。
「全フライト、こちらアマテラス。敵の脅威レベル低下。艦隊をまもりきれ」
「北の連中を半島まで追い返せ!」
アシペンサー二番機の気炎に、
「帰ってもらうだけではこちらの気がすまん。ぜんぶ叩き墜とす」
F-4を駆るクレニキクラの編隊長が応じる。
かれらは、有視界戦闘に突入して十分たらずで敵の数が半減するという、値千金のはたらきをみせていた。
唯一有利だった物量さえもうしなわれた朝鮮人民空軍の攻撃機は、もはや投弾態勢にはいることもできずにいた。
「このぶんだと、千歳や三沢の連中がくるまえにかたづいてしまうな」
ラングフィッシュ・フライト四番機の操縦士ネオケラが、三番機たるレピドシレンのミサイル発射と敵機撃墜を見届けつつ、軽口をたたく。
敵機は対艦攻撃どころではなく、自衛隊機からのがれるだけでせいいっぱいだ。
「こちら<いずも>。このまま切り抜けられそうだ。空自さんのおかげだ。ひきつづき支援をたのむ」
「ポリプテルス1、ラジャー。残敵掃蕩にうつる」
「感謝する!」
「<いずも>、ぶじに港についたら、カレーおごってくれ。第2護衛艦隊のカレーはとくにうまいってきいた」
アシペンサーの四番機に、
「すまない。金曜日ではないのでカレーはない。ランディング・ギアなら山ほどある」
「われわれにふさわしい晝メシだな。肉じゃがはあるか?」
「ああ。うちの自慢だ」
「そんなら、肉じゃがのカレー風味がいいな」
「それを世間一般ではカレーというのだが」
「セヴルーガ、おまえどんだけカレー食いたいんだ」
あきれた浅間がいうと、皆がどっと笑った。
そのときだった。
浅間の右ななめ前方、約五〇〇〇メートルほどのところを飛んでいたセヴルーガのF-15Jが、いきなりバランスを崩した。
「4、どうした。なにをしている!」
アシペンサー三番機のオシェトラが無線越しに問う。
みるみるうちに、セヴルーガの乗機は右にかたむき、オシェトラ機の援護位置からはずれていく。
「セヴルーガ、海につっこむぞ。応答しろ!」
「目が、目がみえないんだ!」
返答に、パイロット全員が驚愕させられた。
「セヴルーガ、機体を水平にたもて。スティックを左にたおせ」
「どうしてだ。なにもみえない。真っ暗だ。真っ暗だぞ、ちくしょう!」
ほとんど横倒しになったF-15Jのキャノピーが脱落。ロケット噴射で、セヴルーガを乗せた座席が宙空へと射出された。
パイロットをうしなった機体が、惰性でそのまま飛んでいく。
浅間が確認したかぎり、機体には弾痕もなく、煙もまったく出ておらず、キャノピーが吹っ飛んでいる以外の損傷はみられなかった。無傷である。
「ラングフィッシュ2だ。こちらも目がみえなくなった……」
目の前を殲轟七型が横切っていく。F-15Jを中心とした攻囲の網が、みだれつつあった。
「ラングフィッシュ2から、スコーク7700を受信」
アマテラス管制官の焦燥にみちた声。
ラングフィッシュ二番機パイロットも緊急脱出したのだ。
「いったいなにが起こってるんですかっ?」
早蕨がおびえるのを浅間は責められなかった。浅間にとっても、この状況は不気味以外のなにものでもなかった。
「さっきとおなじだ。なにかが、なにかがいる!」
スティングレイ2の動揺が電波に乗ってかけめぐる。
健康そのものだった戦闘機パイロットたちがいっせいに盲になるなどという、そんな偶然があるはずがない。
「なにがなんだかわからないが、おれたちは、いま、『敵』の『攻撃』をうけている!」
アシペンサー1パイロットのベルーガがさけぶ。
梟龍や殲轟七型や強擊五型より、すばしこくて厄介な能力をもったやつがいる。
首をめぐらせていた浅間の網膜に、黒い点が極微の時間だけ映った。
まばたきせずそちらに視線を固定する。
やはり気のせいではなかった。
「ポリプテルス1。タリホー。ナイナー・オクロック、ミディアム!」
浅間からみて左の中高度域の空で、不自然な形状の黒い飛行機が、泳ぐように旋回をくりかえしていた。
全体的に二等辺三角形をなした外形は上下に薄っぺらく、垂直尾翼は、F-22ラプターやF-35ライトニングⅡのように外側にかたむいている。
さながら、世界最初のステルス戦闘機F-117ナイトホークを、上からおしつぶしたような機体形状である。
なによりも異様だったのは、航空機にかならずあるべきコクピットが、まったく見当たらないことだった。
それは、蒼天切り裂く闇のつるぎ。
「暗劍……完成していたの……?」
占守が愕然としたつぶやきをもらし、早蕨がことばをうしない、金本は無言。浅間は唇をかみしめていた。
隆盛きわめる軍事大国、中国が生み出した無人戦闘機、暗劍。北大西洋条約機構(NATO)コードネーム、“マレボルギア”。
その実機が、航空自衛隊の眼前を飛んでいたのだ。
「無人機、それも“マレボルギア”を北朝鮮が導入しているだと!」
ベルーガも驚きの声をあげる。
いったん機影をみとめると、脳の認識機能が更新でもされるのか、ほかにも暗劍らしき影が空を舞っているのに浅間たちは気がついた。
「アマテラス、こちらポリプテルス1。ピクチャー・コールを申請。ベクター3-4-0から3-5-0」
浅間は一機の暗劍から目を離さない。
「ポリプテルス1、アマテラス。ベクター3-4-0から3-5-0に敵影をみとめず」
やはりだ。浅間の口中に苦い味がひろがる。
暗劍は、中国がアメリカ、フランスについで世界で三番めに実用化させた、大型ステルス無人機だ。
電磁波を発信源へ正反射しにくい形状に仕立てた機体表面に、導電性繊維が張り巡らされている。繊維中の炭素粉に発泡ウレタン、発泡ポリスチロールなどが、分極反応で誘電損失を誘引、電波をうけたときに発生する電流を吸収する。
さらに鉄やニッケル、フェライトなどの磁性電波吸収材を混ぜた塗料で塗装することで、レーダー波を吸収。
空気取り入れ口にとりつけられた炭素繊維製の網が、電波のエンジンブレード部への侵入を防ぐ。
徹底して電波を反射させないことで、一機で日本列島の半分もの空域を監視できるE-767早期警戒管制機の走査すらのがれているのだ。
機体を左へ旋回。電子的にみえない暗劍を追尾。
浅間の矛に気づいたか、暗劍が高速移動。宙返りをまじえて、十一時方向から、一気に四時の方向へ消えていく。
マスクの下で舌打ちし、首をまわすが、すでに敵機はべつの方向へ移ったあと。見失った。
上と下をふくめた、三六〇度すべてに頭をめぐらせ、機影をもとめる。
七〇〇フィート低空に、右から左へ流れていく、蚊のような黒点。
考えるよりもさきに左下へむけ横転、旋回する。降下しながらなので、位置エネルギーが運動エネルギーに変換。五二〇ノットまで増速し、敵機の後方にくらいつく。
すると、暗劍は、急上昇、のち、急降下。また急上昇したかとおもうと、そのまま宙返りをはじめて、浅間の背中を一瀉千里に飛び越していった。
浅間は、ただ、暗劍が抜けていった空をにらむことしかできなかった。
戦闘機が旋回をすれば、重力による荷重がかかる。
遠心力とよばれるものとおなじ力だ。
高速であればあるほど、旋回半径をちいさくしようとすればするほど、荷重はおおきくなる。
荷重は、地球上の重力加速度たる九・八メートル毎秒毎秒を一Gとしてあらわされる。
F-15の荷重制限は、なにも荷物を積んでいない状態で十三G。
現実には機体寿命の面から九Gに制限されているし、ミサイルや機外燃料タンクを搭載すればもっと下がるが、設計上は、十G以上の高機動を実現する性能をもっている。
いっぽうで、操縦士である生身の人間は、どんなに訓練を積んだとて、九Gまでしか物理的に耐えられない。
耐Gスーツは、一・五Gの余裕をうむので、十・五Gが限界となる。
しかも、その荷重下で意識を保っていられるのは、ほんの一瞬だ。
現代の戦闘機は、人間をはるかに超えた旋回性能をもつ。ほかならぬ人間が、戦闘機の性能に上限をつけている。
戦闘機の部品でもっとも脆弱なのは、電装系でもエンジンでもない。パイロット、つまり人間なのだ。
無人機には、その人間が乗っていない。パイロットの肉体強度など、考慮しなくてもよい。
旋回勝負では、F-15に殲轟七型が勝てないのと同様に、F-15は暗劍に勝つことはできない。
それでも浅間はあきらめない。
みたび暗劍をさがしだし、首尾よく後方につく。
浅間にまだ気づいていないのか、直線飛行をつづける無人戦闘機を仔細に観察。
排気口は、ひとつ。単発だ。
排気と乱気流で機体がゆれる。
うしろからみるかぎり、暗劍は、機外に兵装を搭載していない。
(顔なし、顔なし、のっぺらぼう。どんな武装をもっている?)
前を飛ぶ暗劍の腹から、半球状の透明な物体が顔を覗かせた。
覆面の警察車輛の回転灯か、あるいは全方位式の監視装置に似ている。
そう思った瞬間。
光を感じた。血で満たしたグラスを透かしたような、暗い、赤黒い光だった。
本能的に危険を感じ、とっさに目をそむけたが、おそかった。
右目の眼球の奥が、焼けるような熱をもっていた。
まぶたを開いてみる。
右の視野が、暗く沈んでいた。
太陽を長時間直視しつづけると、影のような残像が目に焼きつくが、あれをさらに重篤にしたものといえた。
「全機、レーザーだ」
脂汗をにじませつつ、浅間は呼びかける。
「敵無人機は、パイロットの目にむけレーザーを照射している。ぜったいに見るな。失明するぞ」
「ビキール、おまえ、やられたのか?」
金本の音声通信に、
「右目だけだ。乱流でがたついて、かえって助かった」
強がってみせたが、浅間の内心は、動揺。失明の恐怖と混乱が、無数の蟻となって、全身をぞわぞわと這いまわる感覚に襲われていた。
さらなるレーザーを浴びないよう、機体をゆるやかに旋回させる。金本もついてきた。
レーザーは、光をごくせまい範囲に収束して放射する。それゆえエネルギーも集中している。一ミリワット程度のレーザーですら、数秒のあいだ固視しただけで網膜を変質させる。
「赤いレーザーだった。おそらくは六三五ナノメートルから六九〇ナノメートル付近のレーザーを、一〇〇〇ミリワット以上の出力で照射している。直視すれば、一瞬で目がつぶされる」
いいながら、浅間は、目をなんどもかたく閉じては開くのをくりかえした。
ぽっかりと視野に穴が開いたような影は、まったく消えなかった。
左目だけをつぶってみる。右目は開けているのに、まるで両目を閉じているかのようだった。
すべてが薄闇に塗りつぶされていて、計器の針がうごいたときだけそれと認識できる程度で、止まっているものはみえず、こまかい数字も読みとれない。パイロットの目としてはつかいものにならなかった。
「ポリプテルス1、エマージェンシーを宣言するか?」
アマテラスの気づかいに、浅間は目を見開いた。
「ネガティヴ。まだ飛べる。目玉はもうひとつある」
とはいえ、視野が半分になるということは、いちどに見渡せる範囲が二分の一になるということだ。首を限界までまわしても、右後方は視界に入らない。
前方ななめ上に、味方のイーグルを追い越していく二等辺三角形。
暗劍は、イーグルの一時方向に占位。
「敵UAV視認。墜としてやる」
ベルーガが反応。右に機体をかたむけ、尻にむしゃぶりつく。
「ベルーガ、まて。そいつから離れろ!」
浅間がよびかけるが、絶好の攻撃位置を手にいれたベルーガはきく耳をもたない。
暗劍の胴体下面がひらき、レーザー砲塔が出現。
空気中の水分子を透過することで光線の通り道がみえるチンダル現象により、深紅の線が視認できるほどのワット級レーザーが、アシペンサー一番機のコクピットへのびる。
戦闘機乗りの基本として、ベルーガは敵機からかたときも目を離さなかったのだろう。
F-15Jは、なんの外傷もないにもかかわらず、きりもみに連続横転しはじめた。
「アシペンサー1、アシペンサー1! 目が、目が!……」
ベルーガ機は、スピンしながらみるみる高度を落としていく。
ベルーガは、脱出装置を作動させることもなく、急角度で海面へ吸いこまれていった。水柱が墓標のように突きたち、むなしく消えていく。
「アシペンサー1が墜落。ベイルアウトは確認できず」
報告とともに、浅間の顔に苦渋が刻まれる。
レーザーは大気中を光速、つまり秒速約三十万キロメートルですすむ。
地球上の尺度では、照射と命中は同時といってよい。機関砲弾とちがい、角速度のせいで外れるということがない。照射しながらの修正も可能だ。
おそらく、暗劍の胴体内にかくされた半球状のレーザー砲塔には、竹串よりも細いレーザーを十本ほど同時発振して照射直径を太くした照射機と、光学カメラが内蔵されているのだろう。
遠く離れたどこかから暗劍を遠隔操縦し、光学カメラからの映像をみながら、パイロットの目へレーザーを放射しているのだ。
敵機を撃墜するためではなく、パイロットを直接無力化する、空の暗殺者。
まさに、地獄第八層より出でし、悪の嚢。
戦闘機とよぶにも値しない無貌の機を、片目で追う。
暗劍のいる方向へレーダーをあてる。
まったく反応がないわけではないが、垂直状況表示装置にうつる機影は、不安定に明滅している。
急激な経済発展をとげた中国は、いかに予算が潤沢につかえるかがものをいう軍事技術の面においても、時計の針を加速させるがごとき長足の進歩をみせた。
これまでの中国の航空戦力といえば、ロシアのSu-33を無断で模造した殲撃十五型や、輸出用に性能を落とされたSu-27、初飛行した時点ですでに速度性能から航空電子機器まで舊式化していた殲撃十型など、ほかの主要先進国、とりわけ仮想敵であるアメリカや日本の戦闘機に比較すると、やや時代遅れの感が否めないものばかりであった。
ところが、中国は飽くなき野心を燃料に、高いステルス性と運動性能、全周囲探知能力や他機間情報共有能力、統合電子戦能力、超音速巡航能力をかねそなえた、第五世代の戦闘機の独自開発にまでこぎつけた。
殲撃二十型とよばれたその戦闘機は、エンジンの推力をはじめ、第五世代というには、とてもではないが力およばぬ機体であった。
そもそも、レーダー波を反射する戦犯たるカナード翼を装備している時点で、ステルス機としての要件など満たしていないことは明白だ。中国の技術力では、カナード翼なしに超音速戦闘機の機体を安定させることは困難だったのだ。
とはいえ、まがりなりにも、いちおうは、飛んだ。
いまだに搭載予定のエンジンの開発にめどがたたず、縮小模型の試験飛行に成功したにすぎない日本にくらべ、たとえ未熟であっても、国産のステルス戦闘機をさきんじて初飛行させたことは、次世代戦闘機開発競争の世界においては、中国を暫定的な勝者と評せざるをえないことも、また事実であった。
飛行機は、飛ばしてみなければなにもわからない。飛んではじめて血肉ある経験値を獲得できる。
殲撃二十型という未完成ステルス機を踏み台にして、中国は、日本がいまだ開発に手すらもつけていない、ステルス無人戦闘機という新兵器を実用化、量産化することに成功していたのである。
いままでの常識では、中国の工業製品や電子機器の製造技術、それらの集大成である兵器開発は、安価なかわりに、つねに二、三十年はおくれているという認識が定説だった。
日本にふるくからつたわるおとぎ話によれば、うさぎは、居眠りしている隙に、亀に先を越されたという。
かつて日本の独壇場だったパソコン、冷蔵庫、テレビといった家電製品の市場は、いまや中国や韓国の戦場であり、日本はのけものにされて久しい。
世界一の技術大国という過去の栄光のうえにあぐらをかき、高らかないびきとともに居眠りをしていた結果、国産競争力で追い抜かれてしまっただけでなく、兵器の開発においても、いつのまにか、他国の後塵を拝することになった。
その結果が、目の前を機敏に飛び回る暗劍であり、つぶされた浅間の右目であった。
暗劍が、また眼前に陣どってくる。
胴体の兵器倉からは、すでにレーザー砲塔がせりだしていた。
顔をそらし、機体も旋回。
暗劍は、浅間の鼻先にぴたりとくっついてきた。
「なんつうすばしっこさだ。ゴキブリがかわいく思えてくる。ローウェイなみだ」
「なら、ビキールを殺すつもりでやるしかねえな!」
レーザー光線が、キャノピーとHUDを貫通し、浅間の目をさがしながら舐める。
顔を微妙にそむけ、増槽をおとす。機体が軽くなったのを感じつつ、ミサイル発射準備。
めつぶしレーザーは脅威だが、網膜にたいし垂直に、つまり真正面に照射されなければ効果はない。
ミサイルのシーカーが、羽虫の飛ぶような電子音をあげ、標的の熱源を検知。
いくらステルス機とはいえ、排気口からの排熱はかくしきれない。真後ろからならなおさらだ。
HUDをみなくとも、高らかな電子音が、目標が有効射程内にいることを教えてくれる。
最後の一発だ。
「ポリプ1、FOX2!」
AAM-3が白煙の尾を曳き、暗劍へ矢のごとく跳飛する。
暗劍が敏速にのがれようとするが、ジェットエンジンとロケットモーターとでは瞬発力がちがう。
いかに無人機でも、最大マッハ三の高速度、六十Gもの超高G機動をしてみせるミサイルはかわせなかった。
榴弾破片効果をもたせた近接信管の爆裂をうけ、暗劍が右と左に切断。白熱した断面をみせながら墜ちていく。
浅間の胸には、空虚。
殺人をこのむわけではないが、たとえ撃墜したとしても、敵にとっては機体を失うだけだ。
育成に年単位の時間と、巨額の費用のかかるパイロットを損耗することはない。脱出したパイロットの救出すら、必要ない。
フレアを一発も射出しなかったのは、そもそも人間が乗っていない無人機ゆえ、フレア発射装置そのものが装備されていなかったからだろう。
ラジコンを墜としたようなものである。
暗劍はまだほかにもいる。蠅のように、しつこくまとわりついてくる。
「こちら<うらが>。ヘリ格納庫に被弾。浸水を確認、右舷スクリューも破損!」
掃海母艦<うらが>の悲痛な叫び。
浅間たちは、目をつぶしてくる無人機の対処に手一杯だ。
その間隙をつき、敵攻撃機部隊が、息を吹き返していた。
数機の殲轟七型が誘導する爆弾の群れが、陽光に黒光りしながら、十数キロメートルさきの艦隊へ滑翔していく。
艦隊からは、対空ミサイルはおろか、近接防空機関砲さえ応射されるけはいがない。
もう残弾がないのだ。
一発の爆弾が、ゆるやかな誘導曲線のすえ、おおすみ型輸送艦<くにさき>の後部甲板、縦列に駐機されていた二機のCH-47輸送ヘリコプターのあいだに着弾。
ヘリが魚のように跳ねるほどの爆発に、<くにさき>の巨体がうしろにかたむき、反作用で艦首がもちあがる。甲板上の軽装甲車やトラック、74式戦車が、傾斜に耐えきれず、おもちゃのように転がり落ちていく。
ただでさえおおすみ型は巨大なのに、動けなくなったらただの的だ。
二発めが甲板中央を直撃。爆風と衝撃波が艦橋をのみこみ、橙の炎が全通甲板を焼く。
「僚艦<くにさき>、撃沈!」
航行不能となった<くにさき>から、死をまぬかれた生存者たちが海へとおどりでる。
不吉な機影。
爆弾をつかいきった強撃五型“ファンタン”やFC-1梟龍が、海面に浮いている船体部品につかまる生存者たちへむけ、容赦ない機銃掃射をくわえる。
「やめろ! 民間人もいるんだぞ!」
早蕨の絶叫。助けにいきたいだろうが、暗劍にまとわりつかれている占守を援護しなければならない。
「パルマス、わたしはいい。はやくあの糞野郎どもを墜としに行って」
占守の指示にいちばんおどろいたのは、早蕨だった。
「4、ウィルコ!」
早蕨が艦隊の方角へ機首をむける。
それ左目でみとどけた浅間は、きもちを切り替える。
ミサイルは、もうない。
のこるは機関砲だが、照準するには、敵機を凝視しなければならない。
「ミサイルをのこしている機はよくきけ。シーカーの追跡能力とオーラルトーンを活用すれば、敵UAVをみることなくミサイルを発射できる」
浅間がいましがた編み出した手法を全機につたえる。
「マジかよ」
「心眼でたたかえってんですか?」
「了解。座頭市になった気分で……」
レピドシレン、オシェトラ、エチオがそれぞれ応ずる。
暗劍は、パイロットを盲目にすべく正面に占位しようとする。
そのため、ミサイルのロックはさほどむずかしくない。相手がみずからこちらの攻撃位置におさまってくれるからである。
顔をあさってのほうにむけ、電子音をたよりに捕捉。
AAM-3が、パイロットの目のかわりとなって標的を認識。
発射されたあとは、ミサイル自身が自律的に目標へ飛翔する。
イーグルたちが敵を見ずに撃墜しているあいだ、早蕨が人道にもとる敵機に天誅をくわえ、F-2やF-4が誘導母機となる攻撃機をしとめる。
暗劍は、剣呑なレーザーこそもっているが、機銃やミサイルなど、ほかの武装は搭載していない。
レーザーも、網膜に正面角度から入射しなければただの光だ。
艦隊をまもるべく奮戦する航空自衛隊に、敵編隊が気圧される。
つかの間、再生のときをえた敵攻撃機が、ふたたび沈黙させられていた。
浅間の目先を飛んでいた暗劍が、いきなり横転。
艦隊へ全速で翔飛する。
遠隔操縦の無人機ゆえの迷いない突撃に、早蕨も反応がおくれた。
暗劍は、黒い雷となって<ひゅうが>へ急降下。
甲板上のMCH-101輸送掃海ヘリコプターに直撃し、もろとも爆発。甲板に火炎の波が広がる。
敵は、無人機による特攻をはじめたのだ。
ステルス誘導弾と化した暗劍が、また一機、<いせ>に無言の殺意をなげかける。
「短SAM、CIWS、すべて残弾ゼロ!」
「こちら<しまゆき>。わが艦もミサイル、砲熕、残弾なし」
「<いずも>だ。SeaRAM残弾ゼロ、CIWS発射不能!」
「敵機、上空よりくる! 0-4-7!」
乗員らの怒号が無線でとびかうなか、暗黒の投剣が、基準排水量第二位のヘリ空母の前部甲板に突き刺さる。
衝撃の火花が、機内の燃料に引火。
甲板から火柱がたち、いちばんちかいところに駐機していたSH-60K哨戒ヘリコプターが爆風をうけ、横に転がる。回転翼がへし折れ、肩につけられた燃料タンクをつぶしながら、さらに回転。
転がったさきは、甲板の地平がとぎれていた。
断崖のごとき舷側から、哨戒ヘリコプターが落下。海のなかにひきずりこまれていく。
最後の一機の暗劍が、天をふたつに裂くように垂直上昇。高度をかせぐ。
いやな予感に震える。
浅間はまよわずスロットルレバーを倒し、増速。
アフターバーナー全開で、暗劍を追いかける。
「ビキール、どうした!」
「あのラジコン野郎、じぶんをバンカーバスターにする気だ。おれがやる。おまえは待機していろ!」
宇宙をめざすように一直線に上昇していく暗劍。
それを追う浅間のF-15Jも、おそるべき速度でかけ上がっていく。
高度計器の針はすさまじい勢いで回転し、HUDの高度表示も狂ったように値を増している。
無人機と有人機は、そのまま雲の天井に突入。
雲をぬけると、青い快晴の空が一面に広がる。
三万四〇〇〇フィートまで昇りつめたとき、暗劍が、またも唐突に反転し、急降下に転ずる。
雲海へ再突入。
地上の何倍もの重力に耐えつつ、浅間も白皚々(はくがいがい)たる雲へとつっこむ。
高度計の針は逆転。はじけとんでしまいそうなほどに回りつづける。
左目をいそがしくうごかし、HUDの無限焦点の情報を視野にいれる。
基準線はマイナス六十を示している。
六十度の角度で降下しているのだが、体感的にはほぼ垂直に感じられる。
さながら、宇宙から身ひとつで飛び降りる感覚。
機体がきしむが、加速をやめない。
ついに浅間のイーグルが、音の速さを超えた。
円錐状に衝撃波がひろがり、雲を円くうがち、吹き散らす。
高度三万をきった。
固定式照準をよびだし、さらに弾丸飛翔予想経路の線を表示させる。
暗劍の姿は、親指の爪ほど。もっとちかよらなければ。
超音速という高速飛行で、左しかない視野がさらに狭窄、暗劍とHUDしかみえなくなる。
暗劍の遠隔操縦士も突撃に集中しているのか、または空気抵抗をへらすためなのか、腹からレーザー砲塔をだしていない。
「ポリプテルス1、危険だ。上昇せよ」
アマテラス管制官の声も遠い。急激な気圧変化で、内耳と鼓膜が麻痺している。
きこえていても、したがうつもりはなかった。
暗劍を背景にして、広漠な大海原、そこに浮かぶ艦船群がみるみる迫ってくる。
黒き凶剣の切っ先は、基準排水量、満載排水量ともに海上自衛隊第一位のいずも型ヘリコプター護衛艦一番艦<いずも>の艦橋にむけられていた。
つかえない右目を閉じ、左目だけで十字線と敵機とをかさねあわせる。
一瞬、じぶん以外のあらゆる時間の流れが停止した。
「FOX3!……」
引き金を引いたのは、わずか〇・五秒。
ほとばしった四十発のうち、二十発以上が暗劍に命中。電波吸収技術にかためられた機体を、無意味な破片へと変える。
のこり二十発弱は、空気と重力により運動エネルギーを喪失、たんなる金属の粒となって海にふりそそいだ。
浅間はすぐさま減速操作を全開、同時に操縦桿を力のかぎり引いた。
みえない下り坂を疾走していた機体が、急激に機首をあげる。
AOA警報。迎え角が大きくなりすぎている。コンピュータが制御に介入。それを見越して、浅間は限界まで操縦桿を引き寄せる。
機首をあげても、慣性で機体はしばらく下降しつづける。
高度三〇〇〇フィート。もう海面に手がとどきそうなまでにちかづく。
浅間自身が神風特攻隊となって<いずも>に突撃するかとおもわれたとき。
<いずも>の艦橋から直立してのびるマストを、F-15Jの胴体下面がかすめていった。
音速付近での超旋回が、機体と浅間に壮絶な荷重を課す。
G制限を超えた警告が機内にひびく。
上半身から血液が抜かれ、視界が光を失っていく。
円弧のおわりぎわ、HUDに表示されている荷重の数字が<11.5>を記録した瞬間、浅間の意識は、テレビの電源を落とすように、そこでぷっつりと途絶えた。
意識を失っていたのは、どれくらいの時間だったのか。
目が醒めたとき、浅間が思ったのは、
(やばい。寝過ごした)
であった。
おくれて身体知覚が回復し、周囲の状況を脳が情報処理しはじめる。
固い射出座席にハーネスでからだを固定され、遮光バイザーごしに計器板とHUDがみえる。
パイロットの本能が、無数のアナログ計器が協同してあらわそうとしている自機の状況をすばやく読みとる。
真対気速度、五七一ノット、マッハ数は〇・九四。
海抜高度計の針が指ししめしている数字に、目をうたがう。
高度は十フィート。
事実なら、じぶんは一階建ての平屋の屋根くらいの高さを飛んでいることになる。
計器の故障かと、左のキャノピーから下を覗き、脊髄が凍る。
硫酸銅を溶かしたような青い水面が、足元にまで迫ってきていた。
感覚としては、ほとんど海にめりこんだ状態といってよかった。
「プルアップ。プルアップ。……」
機械の女性音声が上昇をうながし、金本や占守、早蕨、AWACSの管制官らが、高度を上げるよう怒鳴っているのが、いまになって耳に飛びこんできた。
このときの浅間は、じぶんが操縦桿やスロットル・レバーをにぎっている感覚がなかった。方向舵ペダルの上に置いている足にしても同様である。
長い時間にわたって腕枕をしていたり、正座をつづけていたときのように、四肢が一時的に鬱血。麻酔をかけられたような状態におちいっていたのだ。
両腕は肘のあたりから、両足も膝から下が切断され、義手と義足をはめこんでいるような違和感。
いうことをきかない右手首を操縦桿にひっかけるようにして、おちついて、ゆっくりと手前へよせる。
迎え角をふやしすぎると、揚力がなくなり、失速してしまう。慎重に上昇し、高度をかせいでいく。
うしろをふりかえると、エンジンの噴流で弾かれた海水がこまかい飛沫となり、それらが雲間から差しこんだ陽をはじいて虹いろの宝石のようにかがやいているのが左の目に映った。
二十度の角度で上昇をつづけ、機体が高度七〇〇〇フィートをこえるころには、手足に電気的なしびれとともに通常どおりの感覚がもどってきていた。
「ポリプテルス1、アマテラス。被害状況を報告せよ」
機体をかたむけて、艦隊をみおろす。
「<くにさき>は沈没。<うらが>にも損傷はあるが、自力での航行は可能なもよう。ほかはぶじだ」
「そうじゃない。おまえのほうだ」
あらためて計器に目をはしらせる。
「油圧、動翼、スピードブレーキに異常なし。飛行可能だ」
十Gを一瞬でも超過したので、いま乗っている機体はエックス線検査行き、人間でいう入院は確実だろう。整備隊員たちにもうしわけないというきもちが胸にきざす。
「よう相棒、まだ生きてるか?」
金本と、占守、早蕨が、浅間を頂点に編隊をくむ。
「生きているの定義にもよるが、いまのおれはかぎりなく死んでいる」
右目の失明に限界を超えた荷重。浅間の五体は摩耗しきっていた。
ほかの機はどうなっているだろうか気になり、無線機を調整していると、ヘルメットのなかに、日本語でも英語でもない言語がかすかに交錯する。声は、
「チョンギフェ、チョルトェヘラ」
といっているようにきこえた。響きからして朝鮮語だ。混線しきっているのか、敵機の通信をはからずも傍受してしまったようだ。しかし、意味がわからない。
「ローウェイ、『チョンギフェ、チョルトェヘラ』ってどういう意味だ?」
まったく期待せずに訊いてみると、
「全機撤退」
意外にも明瞭な答えが返ってきた。
ほぼ時をおなじくして、五機だけになっていた敵攻撃機たちが、そろって反転。
翼をひるがえし、艦隊とは逆の方向、南西へ引き返していった。
「おまえ、朝鮮語ができたのか?」
「紳士のたしなみだよ。いまの時代、日本語しかできないほうが少数派だ」
「マジか」
「ああ。絶滅危惧種だ。ピンタゾウガメなみだよ」
「絶滅ずみだろう、それは」
ともあれ、もう空には自衛隊以外の航空機の機影はない。
「三沢ベースからのFがそろそろくるはずだ。あとはかれらにまかせよう。RTB」
出撃時よりも数の減ったF-15Jたちが、編隊をまとめ、帰路につく。七機のF-2と、三機のF-4があとにつづく。
そこで浅間は、はたと気づいた。
暗劍のレーザーにより目をつぶされたのは、いずれもF-15Jパイロットばかりだ。思い返してみれば、敵無人機は、F-2やF-4には最初から見向きもしていなかったのではなかったか。
それがなにを意味するのか、いまの浅間には答えが見いだせなかった。
全艦ではないにしろ、艦隊を救うことができた。代償はすくなくないが、いまはそれでいい。
胸の奥ふかくで、ぬるりとした黒い蛇がとぐろを巻く。蛇は、浅間を嘲弄するように舌を小刻みに出し入れし、大きく裂けた口を開いて粘着質な笑みをうかべる。
「<いずも>、こちらポリプテルス1。三沢と千歳から応援がきている。航空優勢の維持はそちらに一任し、われわれは帰投する。救助活動にうつってくれ。ベイルアウトしたパイロットの救出もたのむ。あと、海に落ちた北朝鮮のパイロットも拾ってやってくれ。憎かろうが戦いが終わればおなじ人間だ」
「了解。全艦を代表し、礼をいう。ありがとう」
蛇に背をむけ、浅間はただ前だけを見据えた。蛇は、うろこをいやらしく光らせながら、巣穴へともどっていった。
◇
同刻、沖縄沖上空は、死と破壊が縦横にそのエネルギーを横溢させる空中墓場となっていた。
「シノドンティス4。スパイク、スリー・オクロック(三時の方向からレーダー照射をうけている)」
二十機以上いたF-15Jが、わずか五分たらずで、すでに十六機も墜とされていた。しかも、イーグル乗りたちは、敵の片影さえ目にしていなかった。
「だめだ。スパローでは勝てない。やつらは、アクティヴ・レーダー誘導式のミサイルを射ってきている。おそらくアムラームスキーだ」
シノドンティス2がさけんだ直後、はるかかなたから飛翔してきた大槍が、その機体を正確無比につらぬく。
「シノドンティス2の反応がロスト。全機、全力で回避行動をとれ。生半可な機動ではあのミサイルからは」
いいおわるまえに、ガーパイク1との通信が途絶。
シノドンティス4が、ガーパイク1のいた方向をみると、空中に無惨な黒煙のかたまりがいすわっていた。
「撤退だ。撤退しろガーパイク3!」
「だめだ、RWRロックゾーンに放射源! ミサイルだ!」
三秒後、ガーパイク3の声が雑音になった。
のこるは、シノドンティス4だけ。
「おちつけ。レーダー照射してきているのは、三時方向。三時に注意していれば……」
そのとき、レーダー警戒受信機にあらたな反応。
九時方向から、追跡状態のレーダーを浴びせてきている物体。
首を左へふりむかせ、顔から血の気が一気にひいた。
格子状の安定翼を展開した大型のミサイルが、まっすぐこちらに飛びかかってきていた。もう距離は、四キロメートルもない。
「どう、して」
酸素マスクのなかで絶望のつぶやきがもれる。
「おれは、三時の方向からレーダーを受けていたんだ。なのになぜ、九時からミサイルが飛んでくるんだ!」
ミサイルは搭載されたレーダーによりみずからをみちびき、シノドンティス4のコールサインがあてられたF-15Jに直撃。
パイロットの脱出すらゆるさず、機体を爆散させた。
沖縄の空から、戦闘機部隊が一機もいなくなった瞬間であった。
百キロメートルちかく離れた空には、同一機種で統一された戦闘機たちが、空戦を終え、編隊をととのえていた。
F-15よりひとまわりおおきい機体に、長い首。妖艶な曲線で構成された、官能美さえ感じる外形。
Su-35十二機が、鶴の翼の陣形で沖縄の空をいく。
いずれの機も、垂直尾翼には、両生類のような背鰭を生やし、おのれの尾をくわえる黒い犬の部隊章がえがかれていた。
「カマクナラ全機へ、カマクナラ一番機。作戦終了。帰投する」




