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二十五 盲目の暗殺者

 無数の砲弾が飛び交い、高度二万フィートの空に、直径数キロの蜘蛛の巣を形成する。

 からまれば生きては帰れぬ、死の火網。

 そのなかを、オオムラサキの部隊章をもつポリプテルス・フライトのF-15Jイーグル四機が上下左右に飛びまわる。

 四人とも、秒間一八八〇発の砲撃からのがれるのにせいいっぱいだ。

「いったん距離をとるぞ。ブレイク!」

 操縦桿をいっぱいにひき、スロットル・レバーをアフターバーナーなしの最大出力、いわゆるミリタリー推力まで押しこむ。

 垂直方向に宙返り。

 頂点で背面飛行になったまま、爆撃機編隊から遠ざかる。

 弾幕の密度も急激にうすくなっていく。

 レーダーを見る。

 列機たちもついてきている。

 さいわいにも被弾はいずれの機もないようだ。

「ポリプテルス・フライト、こちらギムナルクス。敵機群はTu-4の護衛にもどった。送り狼はなしだ」

「ひと息つきたいところだが、そうもいかないのが問題だな」

 さかさまになっていた機体の上下をもどす。

 肩や腰のハーネスのくい込みが弱まり、重力のかかりかたが正常にもどる。

 首をまわし敵大編隊をふりかえる。

 単発小型のミグは空のいろに塗りつぶされてみえないが、かたまって飛ぶTu-4の巨体は白銀の輝きとして視認できた。

 真下は津軽海峡。海をこえ、北東へ足をのばせばもうそこは千歳基地だ。

 爆撃機は二十機も墜とした。あとは五機だけ。

 逆にいえば、大量の爆弾をかかえた戦略爆撃機が五機いるということだ。

 五機もいれば、基地を千歳市ごと焦土にするくらいはできる。

 あと五機。その五機が遠い。

 こちらの武器は四機ともサイドワインダーが二発ずつと、格闘戦用のバルカン砲だけ。

 どちらも命中させるにはできるだけ接近しなければならない。

 それを雲霞うんかのごときミグ編隊がはばむ。

「まさに物量戦だな。戦争とは数ってのを地でいく戦術だ」

 長嘆する金本に浅間もうなずく。

「“ファゴット”や“フレスコ”とイーグルの性能差は、完全武装した兵士と素手の素人ほどもある。タイマンなら、百回やったら百回とも勝つと断言できる。だが、いくら精強な兵士も、二十人の素人に囲まれれば死ぬしかない」

 いかに本命が爆撃機とはいえ、戦闘機が障害となるなら排除する必要がある。

「護衛戦闘機を全滅させようにも、弾がないっすよ」

「護衛機は、ボーイングスキーを中心に十二、三キロ前後に散開、円陣をくんで周回しながら編隊ごと移動しています。こちらの射程に入らせないつもりです」

 早蕨に占守も悔恨をにじませた。

 Tu-4を攻撃しようとちかづけば、ちょうど童謡の『かごめかごめ』のように爆撃機を中心において旋回している護衛戦闘機のうち、こちらを向いている機が迎え撃つ。

 さらに接近すれば、円陣のなかにとりこまれて、背後につかれる。

 あとはなます斬りにされるというわけだ。

「かといってこのままお見送りというわけにもいかん。さっさと片づけなければ千歳基地に到達する」

 低温低圧の大気のなか、灰色の大鷲たちが編隊を組んで飛行する。

「やつら北朝鮮空軍のパイロットは、志願して空爆にきたわけではない」

 浅間が無線で語りかける。皆が傾聴する。

「上からの命令でいやおうなしに前線へ投じられている。すでに勝ち戦さとさだまっているなかでの空爆と護衛。成功して当然とおもわれている作戦だから、うまく完遂したところでたいした褒賞はないだろう。日本を守るために命を投げ出せるおれたちとは覚悟がちがう。そこにつけいる隙ができる」

 一回呼吸するくらいの間。

「そういうことか」

 浅間の真意を理解したらしく、金本が不敵に笑った。

「あいかわらずカウンセリングが必要なほど性根のくさったやりかただ。だが北の連中はそれだけのことをおれらにやった。やつらに、おれたちとの違いを教えてやろう」

燕雀えんじゃくいずくんぞ鴿鵠こうこくの志を知らんやということわざの燕雀どころか、すきこのんでバードストライクする鳩より脳の容積がちいさいローウェイに言われたくはないが、そのとおりだ。北の覚悟をみせてもらおう」

 闘志に上半身をふくれあがらせる。

「いくぞポリプテルス。空自の存在意義を示せ。髀肉ひにくをかこつのも、きょうでしまいだ。やられても心配するな。死んだら燃料を気にせずずっと飛んでいられる」

「ラジャー」

 さけぶような三人の声が返ってくる。その混声に、浅間のほうが逆に力づけられる。

「いくぞ。ねらうは敵爆撃機。邪魔するものはたたき落とせ。血路をひらく。レディ、ナウ!」

 号令一下、F-15Jイーグル四機が日の丸をいただく翼をひるがえし、エンジンから轟音と高熱の排気を噴出。

 難攻不落の布陣をしく大編隊へ突撃する。

「なにを考えているんだポリプテルスのやつらは。むざむざ死ににいくようなものだぞ」

 わが目を疑っているであろうギムナルクス管制官の聳動しょうどうがつたわる。

 先陣をきったのは浅間だった。

 死角のない円陣を構成するミグの一角が反応。

 固守せんと機関砲を全開にし、弾幕を張りはじめる。

 そのうちの一機を捕捉。

「ターゲット・ロックオン。ポリプ1、FOX3」

 コールサインをいうが早いか、操縦桿のトリガーに指をかける。

 回転鋸を駆動させたような連続的な音と衝撃。

 それとともに、F-15Jの右翼付け根から、ミグやボーイングスキーの機関砲とはくらべものにならない連射速度で砲弾が放たれた。

 あまりの超連射に、まるで砲弾がひとつづきの光線のようになる。

 鋭峰をくじかれ逆寄せをうけたその旧式戦闘機は、一秒後には左右の翼がへし折られ、大口を開けた機首がコクピットごと吹き飛んでいた。

 F-15Jが固定武装として内装している機関砲は、M61A1バルカン。

 口径二十ミリメートルの砲身を六本ひとまとめにして、回転式で射撃するガトリング砲である。

 二十ミリ弾の威力はおおきい。

 もし生身の人間がうけたら、一発で原型をとどめぬ挽き肉と化す。

 それをイーグルは毎分四〇〇〇発、もしくは六〇〇〇発という驚異の発射率で連射する。

 おそるべき、鉄火の嵐。

 浅間がトリガーをひいたのは一秒だけだ。

 それでじゅうぶんだった。

 浅間に撃たれたミグは、なにが起きたかわからないというふうにしばらく滑翔していたが、直後、思い出したかのように爆発。

 油っこい炎と黒煙を空中にのこして四散した。

 もう葉書よりおおきい破片はひとつもない。

 容赦ない強攻に、護衛戦闘機らがたじろいだ。

 弾薬を爆撃機にではなく、じぶんたち戦闘機につかうとは想像していなかったので、泡をくったのだ。

 浅間はつぎの獲物をもとめて視線をおどらせた。

 MiG-15と、その相似形のMiG-17が遊撃にでる。

 HUDごしのMiG-15のほうに緑の四角形がかさなり、味方がロックしたことをしらせる。

「死ね、このオカマ野郎。FOX2!」

 金本がサイドワインダーを発射。

 赤外線で目標を判別するミサイルは、飢えた毒蛇となって“ファゴット”にくらいつく。

 ミサイルが機体につきささるように着弾。

 弾頭の爆発が、両翼に支柱を介してぶらさげていた増槽の燃料に引火し、ミグは巨大な火の玉となってどこかへ飛び去っていった。

 ほぼ同時に、浅間はMiG-17のほうをロック。機関砲で応射していた。

 いくらMiG-17がMiG-15の性能向上型とはいえ、F-15からすれば些細なちがいにすぎない。どちらも雑魚だ。

 レーダーと高度なコンピュータによる精確な弾道計算が、最適な射撃を支援する。

「FOX3」

 節約のため毎分四〇〇〇発におさえた二十ミリ砲弾が撃ち込まれる。

「半世紀前に生まれ直してこい!」

 それぞれ朝鮮戦争とベトナム戦争で活躍した赤い戦闘機が、瞬時にほふられていく。

 占守と早蕨の二機編隊も突入、円陣を食い破るべくミグを血祭りにあげる。

 四機ともむだ弾など一発たりとも撃たない。

 バルカン砲が火をふいたときは、護衛のミグのいずれかが墜ちるときだ。

「いま気がついたが」

 激戦のさなか、金本が声をかけてきた。

「さっきの“フレスコ”で五機撃墜だから、ビキールはエースパイロットだな」

 航空自衛隊初の撃墜王の称号。

 しかしその栄誉も浅間にはむなしい。

「できればエースになるよりも、平穏に定年退職したかったがな」

 苦笑。四人は死地にあって笑っていた。

 浅間たちの猛攻はやむことがない。

 邀撃してくるミグを最優先して撃墜する。

 もはや秒単位で護衛戦闘機が墜ちているありさまだった。

 五感がとぎすまされる。

 本能の告げるまま、ひねりこむように機体をおどらせる。刹那、寸前まで浅間がいた空間に砲撃。

 機体を復帰させて、いま撃ってきたミグをHUDの照準にいれる。

 真紅の直線がミグをつらぬく。

 爆発し、そのミグは機体の三倍以上の長さの炎をひきながらまっ逆さまに墜ちていった。

「どうなっているんだ、これは」

 無線のむこうで、ギムナルクス管制官らが驚天動地の声を発する。

「レーダーの故障か? 敵機の反応がどんどん消えていく」

 警戒群の隊員らが驚倒しているのが聞こえる。

「まさか、あいつらなのか? ポリプテルスのやつらが墜としていっているのか?」

 管制官の声には、畏怖の波長がにじんでいた。

 何機めかのミグに、照準のためのレーダー波を照射したときだった。

 浅間にねらわれたMiG-17が鋭角に旋回。

 アフターバーナーを全開にして、爆撃機の護衛そっちのけでイーグルからのがれていった。

 それをきっかけに、ミグたちがポリプテルス・フライトへの攻撃をつぎつぎに中断。編隊から距離をとった。

「これだ。この瞬間をまっていた」

 弾幕が消失。

 いまや浅間らをねらう砲撃は、Tu-4が自身にちかづけさせないための防御砲火くらいしかない。ないも同然である。

 ミグたちは遠巻きにするばかりで、すでに爆撃機をまもろうとするものはいなくなっていた。

 F-15Jのバルカンがいかに強力とはいえ、装弾数にはかぎりがある。

 携行弾数は五百十二発。

 毎分四〇〇〇発の発射率で撃ったとしても、十秒もしないうちに弾ぎれとなる。

 事実、浅間のイーグルも、バルカンの残弾はあと三秒ぶんあまりしかない。

 これ以上ミグに邪魔をされれば、ミサイルもバルカンも撃ちつくして、爆撃機を撃墜することは不可能となる。

 だが、その心配はない。

 浅間がレーダー波をむける。

 それだけで、ミグたちはあわてふためいて回避。

 先刻までのいきおいはどこへやら、護衛戦闘機は全員がイーグルへの攻撃に二の足をふんでいた。

 たしかにあと一機か二機が犠牲となる覚悟で特攻すれば、浅間の弾薬を消耗させ、護衛の任務をまっとうすることができる。

 ただし、そのとき、確実にそのパイロットは死んでいる。

 犠牲になるとわかっていてだれが突撃したがるだろう。まして勝ち戦さのつもりである。死んでしまっては美酒に酔えない。

 敵前逃亡で罰せられるとしても、それはいまではない。

 いまは目の前にある死こそおそろしかろう。

 あまつさえここは故国でもなんでもない、見知らぬ土地だ。故郷以外の場所で果てることは、やはりそのときになるとためらいを生む。

 戦争がいかに兵器と兵器の戦いとなろうと、戦場で兵器をあやつるのは人間だ。

 浅間は、その人間の微妙な心理に攻撃をしかけたのだ。

 ――死ぬ覚悟があるならかかってこい。おなじ覚悟をきめた者として戦ってやる。覚悟がないならそこでだまってみていろ。

 冷徹に胸中でつぶやき、浅間たちは機首をむける。

 密集編隊で飛ぶTu-4“ブル”戦略爆撃機、通称ボーイングスキーの五機へと。

 浅間は金本をつれて急降下。

 ボーイングスキーより高度をさげてから機首をあげる。

 爆撃機の後下方からななめに上昇しつつ攻撃するのだ。

 敵からすれば、ふところにもぐりこまれて、足元から腹を槍で突き上げられるような気分だろう。

 明けたばかりの蒼穹を背景に、Tu-4の威容が目にはいる。

 長い胴体。

 そこから直角に生えた著大な直線翼。

 空に浮かぶ巨大な十字架にもみえた。

 十字架の腹へむけ、捕捉。

 自機と敵機との距離と相対速度を計算、バルカン砲弾の到達時間と、そこから導きだされる敵機の未来位置を補正算出。

 巨体がHUDと風防ガラスからはみでるくらいにちかづく。

 HUDに投影される情報がロック完了をしらせる。

「FOX3」

 一閃。

 毎分四〇〇〇発に調節した二十ミリメートル弾が、束となって発射される。

 火線はたがわずTu-4の胴体下に命中。

 徹甲弾が隔壁を豆腐のようにつらぬき、まざっていた閃光弾や炸裂弾が機内を蹂躙する。

 射撃をおえた浅間はそのまま上昇、Tu-4の右翼のうしろ、人間でいう脇のあたりをくぐって上空へぬけた。

 一瞬後、背後から夕陽のような赤光。

「よし、爆発した」

 うしろを飛ぶ金本が平坦な声で報告した。

 浅間の機関砲に爆弾倉の爆弾が被弾し、自爆をまねいたのだ。爆撃機は二重の意味で爆弾をかかえている。

「エンドリも一機やったようだ」

 後部機銃を器用にかわして近づいた占守のバルカン砲が、Tu-4を蜂の巣にし、同様に爆発させた。

 下半身が吹き飛び、上半身だけとなったボーイングスキーが、火炎の尾をひきながら津軽の海へ墜ちていく。

「ポリプテルス4、FOX2!」

 赤外線誘導式ミサイル発射のコールサインにレーダーをみれば、早蕨が爆撃機にむけサイドワインダーをはなっていた。

 定石どおり敵機の真後ろをとってからの攻撃。

 短い槍は白煙をひくほうき星となって推進し、音をおきざりにして目標を猛追する。

 自動車とおなじ原理のレシプロエンジンの爆撃機と、超音速で飛びまわる戦闘機を撃墜するためにつくられたミサイルとでは、勝負にならなかった。

 サイドワインダーはTu-4の左翼付け根に直撃。空飛ぶ要塞の側方で爆発をみまう。

 爆撃機は重い。

 その重量級の機体を飛ばすための揚力を生む主翼には、つねにそうとうな負担がかかっている。

 サイドワインダーをくらって生じた亀裂は、すぐさま拡大。

 設計強度の限界を突破し、瞬時に白旗をあげた。

 長大な翼が根本から折れる。

 機体は均衡をうしない、飛行不能となって墜落していった。

「撃墜確認。やるじゃない」

 占守の賛辞に、早蕨が照れる。

 ボーイングスキーを撃墜した早蕨が左へ旋回し、諸元をととのえようとする。レーダーでその動きを追っていた浅間が気づく。

「パルマス、おれの合図で一秒だけバルカンを撃て」

「え? でもまだロックが……」

 言っているあいだにも各機の位置関係は刻々と変化していく。

「かまわん。いくぞ。スリー、トゥー、ワン、ファイア・ナウ!」

「FOX3!」

 判然としないながらも、早蕨のイーグルが機関砲を発射。

 超連射が蒼空を駆けていく。

 弾丸は、いまだ飛行をつづけているTu-4のうち一機の進行方向をさえぎるように飛び、機首をかすめて晴空にすいこまれていった。

 ロックもしていないのだから命中するわけがない。三人が怪訝におもった直後だった。

 そのTu-4がいきなり機体をかたむけて旋回しつつ、爆弾倉の扉をひらき、投弾を開始した。

 下はまだ海で、千歳まではまだまだ遠い。

 爆撃機の投乗員がいまの射撃に動揺し、被弾して胴体内の爆弾に誘爆するのをおそれて、爆弾を捨てたのだ。

「よくやったなパルマス。一機ミッション・キルだ」

 反転したTu-4はそのまま遁走しはじめた。早蕨が追撃しようとする。

「逃がすか!」

「まて」

 浅間が無線で制止。

「空爆の阻止が最優先だ。爆装を投棄した爆撃機はなんの脅威でもない。そんなもんにかまうな。燃料と弾がむだだ」

 浅間の正しさに感服したようすで、早蕨が占守の援護位置にもどった。

「敵爆撃機、のこりあと一機!」

 ギムナルクスが叫ぶ。

「ビキール、ここはおまえでないと!」

 金本が吠えた。Tu-4の防御機銃をひきつけている。

「ウィルコ。ポリプテルス1、FOX3」

 のこりの弾数すべてを、たった一機になっても進航しつづける爆撃機にブチ込む。

 高速回転する六砲身が撃ちだす砲弾が、銀いろの巨翼へすいこまれる。

 左翼がかかえる二発のプロペラエンジンが粉々にくだかれ、被弾した部分から白い霧がふきだした。

 ガソリンだ。

 霧状になって半分気化しながらもれだしたガソリンに、機関砲の閃光弾の炎が引火。

 火炎は爆発的に成長し、漏出元の翼内燃料タンクへと到達。

 その火災が、胴体の爆弾倉にまで手をのばす。

 破壊と殺戮のために搭載してきた爆弾が、爆撃機自身におそいかかる。

 憤怒の炎はTu-4の巨体を猛烈に蚕食さんしょく

 機体のあちこちで爆発がおき、爆風で砕けて、それぞれの部位ごとに空中分解していった。

「やった! 爆撃機をぜんぶ墜とした!」

「支援機が逃げはじめたぞ」

 敵大編隊は、空爆という至上目的をはたすはずの爆撃機がいなくなったことで混乱。

 最初に遁走したTu-4のあとを追うように、われさきに退避していった。

 そのときである。

「ポリプテルス・フライト、こちらギムナルクス。遠距離にレーダー・コンタクト。当空域に高速で侵入する機影を発見した」

 レーダーサイトが新たな敵を感知したというのだ。

「もうひと仕事ってわけか。公務員にサービス残業はナンセンスだとおもうが」

「まだまだ働きたりないって言いたいのかねえ」

 浅間と金本が茶をにごそうとしても、機影は消えてくれない。

「速度……速い! 超音速爆撃機だ」

 レーダーをみる。

 本土のほうから、アンノウンと表示されたシンボルが三つ、猛烈な速力で北上してきている。

「どうして北が超音速爆撃機なんかを?」

「考えるのはあとだ。ギムナルクス、誘導をたのむ」

「ポリプテルス1、ギムナルクス。ラジャー。インターセプト・オーダー」

 ギムナルクスが敵超音速爆撃機のレーダー情報を解析。

「ポリプテルス1、ターゲット・ポジション1-9-5。レンジ125。トラッキング0-1-5。フライトレベル360。マック・ワン・ポイント・スリー」

 敵は南南西の方向からまっすぐ千歳市の方角へ、高度を一万八百メートルにとりマッハ一・三の速度で接近中。

 現在位置は秋田県上空で、北海道の南端と青森の北端のあいだの海上を遊弋ゆうよくする浅間らとの距離は、二〇〇キロメートルほどといったところだ。

「いまの速力を維持すれば、十五分かそこらで千歳につく」

 金本がざっと計算する。

「ああ。ただし、敵がスタンドオフ兵器をもっていた場合、射程内に入った時点で詰みだ。さらに時間制限が厳しくなる」

 言いながら操縦桿をひき、およそ二十度の角度で上昇。

 抜けるような青い大空が視界全体に広がる。

 重力と機体重量に打ち克つ大推力で、雲際をめざしてかけ上がる。

 この上昇率なら、燃料の冗費をおさえつつ、会敵するまでにじゅうぶんな高度をかせいでおける。

 やがて、四万フィート、つまり一万二〇〇〇メートルの超高々度へのぼりつめる。

 雲すらも存在できない天空世界。

 空は青というよりも暗い藍いろと紫へ遷移。

 水平線は真横の線ではなく、自機を中心にゆるく湾曲している。

 くるりと一回転し、方位1-9-5、南南西の空をにらむ。

 絵の具で塗ったような青空しかない。

「ギムナルクス、ディス・イズ・ポリプテルス1。ボギー・ドープ」

 目標はどこだ。

「ターゲット、デッド・アヘッド。レンジ25。ハウ・アバウト・コンタクト?」

 浅間らは超音速爆撃機の予想進路上に占位し、同一の進行方向に機首をならべている。

 できるだけ早期に邀撃せんと焦ってもいた。

 空中に仁王立ちするような趣でまちかまえる。

 真正面、四十キロメートルの距離なら、あとすこし待てば視認可能になるはずだ。

 レーダーにも三角形のシンボルが三つ浮かび、こちらへむかってきている。

 それぞれの三角形の頂点からのびる線は、長さにより速力をあらわしている。

 その線がながい。さすがに超音速爆撃機だ。

 前方のはるかなる水平線で、なにかが光った気がした。

「ターゲット、デッド・アヘッド15。ヘッディング1-9-5」

 敵は方位1-9-5からきている。

 浅間らも方位1-9-5をむいている。

「プリーズ・コーション・ポリプテルス1!」

 のこった武装はサイドワインダーが二発だけ。

 ミサイルをロックしようとした瞬間、三機の敵爆撃機が、雷光の速度で千メートル下を突っ切っていった。

 ボーイングスキーより巨大ながら、ロケットのように鋭い外形と強い後退角の翼が、きりのようにとぎすまされた印象をあたえる。

 胴体後部、垂直尾翼をはさむようにして、二基の大型ジェットエンジンが設置されていた。

「ライト・スライスターン。ナウ!」

 あわてた浅間の合図で、四機が右斜め下に降下しつつ進行方向を百八十度、転換。

 増速しつつ超音速爆撃機の追撃にはいる。

 申し合わせたように、四機ともが胴体にかかえていた増槽を落とした。

 爆弾にも見える大容量燃料タンクが空におどる。

 F-15Jが胴体下に装着する機外燃料タンクは、搭載したまま空戦機動が可能なハイGタンクだ。

 それでも重りと空気抵抗になることはまちがいない。

 すこしでも速く飛ぶために投棄したのだ。

 忠実な部下をしたがえつつ、浅間の胸には、最大級の晦渋。

 サイドワインダーの最大射程は十一キロ程度だ。

 相手が超音速、こちらが遷音速という高速で反航していれば、十一キロなどという距離は一・五秒もしないうちにゼロになり、すれちがってしまう。

 いくらF-15の目がいいとはいっても、そんな一瞬でロックすることは不可能だ。

 冷静にかんがえればすぐわかることなのに、どうして反航でむかえ撃とうとしてしまったのか。

 高空では人間の頭は回転がにぶるとはいうが、よりにもよってこの場面で起きるとは。

 くやんでもしかたない。

 すでにただの点となりつつあるほど遠ざかっている爆撃機に、焦点をあわせる。

 脳裡には、すれちがった瞬間に目に入ったその爆撃機の全体像が、写真のように浮かびあがる。

「まさか、Tu-22“ブラインダー”とはな」

 追っかけつつ機種名を全員につたえる。

「しかも、見たか、やつの爆装」

 金本の声にも、尋常ならざる感情の揺れがあった。

「一瞬しか見えなかったが、胴体下面にでかいミサイルが半分埋め込まれてた。ありゃあ、Kh-22“キッチン”ミサイルだ」

 超音速爆撃機が空対地ミサイルをかかえて突撃する。

 自由落下爆弾をもったレシプロ爆撃機がおしよせてくるより、はるかに悪い状況である。

 Kh-22“キッチン”は、ソ連製の爆撃機専用大型ミサイルだ。

 もとは米空母を撃沈するために開発されただけあって、すさまじい破壊力をもつ。

 大型なため、搭載数はTu-22“ブラインダー”一機につき一発ずつ。

 それが三機もいる。

「ビキールの当たらなくてもいい予言が当たったな。あんなもん撃ち込まれたら、千歳基地がステーキになっちまうぞ」

「“キッチン”の射程に入られたら終わりだ。ギムナルクス」

「ラジャー。こちらで“キッチン”の性能と“ブラインダー”の現在高度、速度から、射程を算出する」

 空対地ミサイルは、発射母機が高く、速く飛んでいるほど、射程がのびる。

「出た。射程をおよそ二〇〇キロメートルと推定。防衛ラインをそちらのレーダーに転送する」

 乗機のレーダー・ディスプレイに変化。

 津軽海峡を中心に、上に北海道の尻ともいえる松前半島と亀田半島、下に青森の頭である下北半島と津軽半島を表示しているディスプレイに、光る線がひかれる。

 線は、青森北部のふたつの半島のうち、上からみて左側の津軽半島の先端をかすめ、右側の下北半島の真ん中あたりを横断している。

 千歳基地から半径二〇〇キロがこの線ということだ。

 この線を越えられたら、千歳基地がミサイルの射程にはいる。

 そのまえに“ブラインダー”を墜とさなければならない。

 その“ブラインダー”は、すでに線を突き破らんとする距離にきている。

 一刻の猶予もない。

「毒を食らわば皿までだ。ポリプテルス、やるぞ」

「音速を超えてもいいのか?」

 金本が確認してきた。

 物体が音速を超えると、衝撃波が発生する。

 衝撃波は距離によって減衰してソニックブームとなるが、それでも莫大なエネルギーをもっている。

 過去には、上空五〇〇〇メートルで音の壁を突破したさいのソニックブームが地上を襲い、建物の窓ガラスがのきなみ砕け散ったという事例もある。

 コンコルドがあっという間に退役してしまったのは、発生する衝撃波のせいで洋上でしか超音速飛行が認められず、つかいものにならなかったことが大きい。

 陸地の上で音速を超えるなど、もってのほかだ。

 Tu-22たちとの距離がさらに離される。

「すでに敵が超音速を出している。それに、高度四万フィートには、速度違反の切符をきる警官もいないしな」

 浅間の決断に金本が豪快に笑い、承知した。

 浅間を筆頭に、ポリプテルス・フライトが音速の壁へ戦いをいどむ。

 パイロットがするのはたったひとつ。

 スロットル・レバーを最大推力の位置まで倒す。これだけだ。

 通常の最大位置であるミリタリー推力をこえる、マックスパワー位置。

 スロットル・レバーをそこに押し込んだ瞬間、機体の振動がふえ、計器の燃料流量計が暴れはじめる。

 戦闘機のエンジンたるターボファン・エンジンは、吸い込んだ空気のなかの酸素と、燃料との混合気体を燃焼させて推力としている。

 酸素をすべて燃焼させると機関部があまりに高温になりすぎて壊れるので、ふつうは四分の一しかつかわずに排気してしまう。

 つまりエンジンの排気には四分の三ほどの酸素がのこっていることになる。

 酸素をたっぷりふくんだその高温高圧の排気に、ふたたび燃料を噴射。

 二基のエンジン排気口から炎がふく。

 輪状の衝撃波をともなった二条の火焔に押され、機体が急加速する。

 オーグメンター、通称アフターバーナーに点火した四機のイーグルが猛加速。

 座席に背中がおしつけられる。

 頸椎に負担がかかる。

 計器に目をやれば、圧力の変化についていけず、昇降計と高度計の針が迷うようにいったりきたりをくりかえしている。

 いくばくもしないうちに、二回の衝撃音。

 それを境に、すべての音が消えた。

 いまやコクピットのなかはなんの音もしない。

 もともと密閉型のヘルメットを装着しているのであまり音は聞こえないのだが、いつもよりさらに静かな気がする。

 聞こえるのは、機内のエアコンの音と、スキューバダイビングしているときのような自分の呼吸音だけ。

 浅間らは、いままさに、音より速く飛んでいるのだ。

 機体はきわめて安定している。

 氷上をすべっているかのようだ。

 後ろをふりかえれば、紺碧の空に、展示飛行でつかうスモークを焚いているような濃い飛行機雲が二条、エンジンから生まれては後方へ白くのびていっている。

 速度計には、マッハ一・五と出ている。

 速度の出しすぎをしらせる警告灯が点滅しているが無視する。

「まだ追いつけない」

「もっと加速だ」

 警報を無視して加速をつづける。

 速度計の内側にあるマッハ計がマッハ一・八を指そうとしている。

 機体が軋む。これ以上の速度を出したらばらばらになってしまうと悲鳴をあげていた。

 F-15はアメリカで開発された戦闘機だが、空自のつかうF-15Jの機体は、日本の工場で日本人が製造したものだ。

 日本の工業力を信じるしかない。

 超音速飛行を開始して一分もせずに、Tu-22の後ろ姿がちかづいてきた。

 レーダーを照射して正確な距離をはかる。

 すでに十キロをきっている。

 サイドワインダーの射程内だ。

 だが、射てない。

 サイドワインダーの最大射程はたしかに十一キロであるが、空対空ミサイルの射程とは、追尾していくことのできる総距離だ。

 発射機から十一キロ圏内ならどこにでもとどく、という意味ではない。

 これほどの高速でのがれる敵に命中させるには、四キロメートルほどまで接近しなければ、サイドワインダーの牙がとどかないのだ。

 ぎりぎりまで近づく。

 敵もアフターバーナーを使っている。

 後部に乗せた特徴的な二発のエンジンから噴出する炎で、こちらの機首が溶けてしまうのではないかという錯覚におちいる。

「ポリプテルス、射程圏内までもう時間がない!」

 ギムナルクスの悲鳴。

 浅間は敵愾心のかたまりのようになって、遮二無二“ブラインダー”に食らいついていった。衝突も辞さない覚悟である。

 Tu-22との距離が四キロメートルをきった。

 火器管制システムがオーラルトーンを高らかに歌う。

 いまなら確実に命中させることができると浅間に進言している。

「ポリプテルス1、FOX2。FOX2」

 浅間が兵装発射ボタンを押した信号が、両翼下の二番ステーションと八番ステーションのSUU-59Aパイロンに装着されたLAU-114Aミサイルランチャーを介して、AIM-9Lサイドワインダーに伝達。

 温存しておいた二発の短距離ミサイルが射出。

 F-15JよりもTu-22よりも速く飛ぶ。

 象限のうちもっとも温度の高いエンジンの排気口をめざす。

 Tu-22が火の玉を散布した。

 赤外線誘導ミサイルを欺瞞するフレアだ。

 一発のサイドワインダーがTu-22からそれた。人間でいえばまばゆい強光に照らされて前が見えなくなった状態だ。

 だが、一発のミサイルにフレアをつかいすぎだ。

 フレアを消費しきったTu-22は、ふたたび丸裸にもどった。

 そこへもう一発のサイドワインダーが直撃した。

 空対空ミサイルの爆発で“ブラインダー”の右エンジンがもげる。

 垂直尾翼もへし折れ、横方向の安定をうしなう。

 超音速飛行中にそれは致命的だった。

 Tu-22の鋭く巨大な機体がぶれる。

 進行方向に対して右をむきかける。

 横に機体がむいたTu-22が、機械の怒号と絶叫をあげた。

 機首部分と胴体とのさかい目あたりから分断して真っ二つになり、細かな破片と部品が後方へひきちぎられる。

 残骸へと変身途中のTu-22が眼前にせまる。

 すばやく操縦桿をひいて、上向きに回避。

 超音速爆撃機が、壁におもいきり投げつけられた模型のように粉々になりながら去っていった。

 まさに、空気がみえない壁となって、Tu-22のまえに立ちはだかったのだ。

 マッハ一・三もの高速となると、空気抵抗もすさまじいものとなる。

 空気の抵抗こそが、人類が音速を超えるうえでの最大の障害だったのだ。

 それは現代でもかわっていない。

 機首で空気を切り裂いているうちはまだしも、機体を横方向にぶれさせてまともに胴体に空気抵抗をうけると、どんな飛行機であっても破壊されるしかない。

 “ブラインダー”を一機撃墜し、浅間は完全に残弾ゼロとなった。

「ローウェイ!」

「応。もうやってる!」

 金本のF-15JがTu-22のうち一機に肉薄。六時方向に占位。

 金本はミグ編隊にサイドワインダーをつかい果たしてしまっついたため、武装は機関砲だけだ。

 さいわい、金本の腕ならそれでも心配ない。

 数百メートルまで接近。

 超音速の世界ではあまりに危険な近さだ。

 くしゃみひとつする時間があれば衝突して、成層圏よりも上の世界へ飛ぶことになる。

 虎穴に入り捕捉したポリプテルス二番機が、右翼付け根前縁の砲口から火をふいた。

 放たれた弾丸はレーザーのように直進。

 正面のTu-22の後部をつらぬき、破砕して、無意味な金属片へと変化させる。

 燃料に引火して大爆発。

 全長四十メートル超の宇宙ロケットのような機体が、まるごと火球と化した。

 直前にポリプテルス2は上昇して回避。

 爆風と破片が触れることも許さず追い越した。

 あと一機の様子に視線を移動。

 驀進ばくしんするTu-22の後方に、高度をつけて占守と早蕨が占位していた。

「エンドリ、ぼくがサイドワインダーを射ってフレアを使わせる。そのあとを頼みます!」

「女に華をもたせるとは、将来はいい男になるわね。ラジャー」

 宣言どおり、ポリプテルス四番機が虎の子のサイドワインダーを発射。

 呼応するようにTu-22がフレアを撒き散らす。

 赤外線誘導ミサイルの代名詞でもあるサイドワインダーは、たしかにフレアで欺瞞することができる。

 だが、スパローと同様、サイドワインダーも改良に改良がかさねられている。

 空自が運用するAIM-9Lは、ミサイルの目であるシーカーをより敏感にして、プログラムされた目標の放射する赤外線と、それ以外の赤外線とを区別する能力が高められている。

 このシーカーをだまくらかすには、より高温で、より広帯域な赤外線をだすフレアを、より大面積に散布しなければならない。

 よってフレアの放出量も大量に必要となる。

 撒き散らされたフレアが光の紗幕となってTu-22の姿を覆いかくす。

 これくらいでないと、AIM-9Lの目をあざむくことはできない。

 早蕨の射ったサイドワインダーが目標をみうしない、迷走。いずくかへ飛んでいく。

 もうあのTu-22にはフレアの残量がない。

「敵爆撃機、防衛ラインまで、あと30セカンド!」

 もうすぐ、凶悪な対地ミサイルの射程に入る。

 刹那、占守が駆るポリプテルス3が、最後のサイドワインダーを発射した。

 これで仕留めきれなければ、もうなすすべはない。

 たとえ一発だけとはいえ、Kh-22“キッチン”なら千歳基地に甚大な被害をもたらす。

 あとは戦力を逸失した北海道を占領して、北朝鮮の勝ちだ。日本は終わる。

 浅間らの願いとともに、短射程ミサイルがTu-22へとむかう。

 Tu-22の機体後部から、火の玉が散発的に放射された。

「まだフレアがあったのか!」

 焦燥がつのって臨界点を突破しそうになったが、やはり一発めのサイドワインダーのために、大部分のフレアを使ってしまっていたようだ。

 散布されたフレアは、数えるほどしかなかった。

 急速燃焼するちいさな火球は、橙いろの光を蛍のようにはかなく放ちながら、青空に溶けていった。

 追いつめられた超音速爆撃機の、最後の悪あがきにもみえた。

 そんなものに目がくらむAIM-9Lではなかった。

 フレアを無視し、そのまま直進。

 “ブラインダー”の尻にめり込むように命中した。

 背負った二基のエンジンが爆発し、衝撃で爆撃機がきりもみ回転しはじめた。

 回転はゆるむどころかますます高速化していく。

 風圧で主翼がふたつとも破断。

 ますますロケットじみた外見になったTu-22が、制御不能となって墜ちていった。

 空から敵性反応が消えた。

「レーダー・クリア。当該空域にストレンジャーなし。敵爆撃機を全機撃墜した!」

 無線に歓声が巻き起こった。

「やりやがった。ポリプテルスのやつら、マジでやりやがったぞ!」

「信じらんねえ。八十機いたんだぞ。それをたったの四機で蹴散らした。人間業じゃねえ!」

「ポリプテルス、なんてやつらだ」

 歓呼はあふれ、怒濤となって回線を沸かせた。

 第42警戒群、コールサイン<ギムナルクス>からの喜びの声で、浅間はわれに返った。

「どうしよう」

 おもわずつぶやいた。

「勝ってしまった……」

 ポリプテルス・フライトは四人ともが沈黙してしまった。

 自分たちは最初から死ぬつもりで出撃してきたのだ。

 全力で基地をまもるつもりではあったが、まさかそれが完遂され、しかも生き残ってしまうとは、想定していなかった。

 いまさら、どんな顔をして基地にもどればいいかわからない。

 思案にふける浅間に、みじかい電子音。つづいて、

「ビンゴ!」

 と機械的な女性の声。

 戦闘機の音声ガイダンスだ。燃料がもうないとわめいている。

 激烈な空戦をこなして、さらに超音速で徒競走などすれば、当然の結果だろう。

 ひとまずアフターバーナーを切って操縦桿をひき、さらなる上空をめざす。

 これほどの高速飛行状態では、空気抵抗がつよすぎて、エアブレーキがつかえない。

 重力の力をかりて、機体を減速させる。

 上昇限度ぎりぎりの高度一万七〇〇〇メートルまであがる。

 空は深海にもぐったときのように深い濃紺に染まる。

 夜明けとともに消えたはずの星々が浅間らをむかえる。

 太陽が強烈にかがやいているのに、空が暗い。

 下をみれば、大地は平らではなく、水蒸気と大気につつまれた青い球体となっていて、天に座する神々の視点を味わえる。

 コクピット内は与圧されているが、もしこの高度に生身の人間をつれてきたら、気圧の低下により、体内の血液の沸点が三十七度くらいまで落ちてしまう。

 つまり、体温で血液が沸騰しはじめてしまうのだ。

 気温はマイナス六十度以下、酸素もないにひとしい。

 あらゆる生命の生存を拒否する別世界。

 その半分宇宙空間のような超高空を飛びながら、浅間はこのままべつの星にでも逃げてしまいたいと考えていた。

 死ぬと心にきめて出ていったくせに、なにごともなかったかのように帰るなど、格好悪いにもほどがある。

「なんか、あれっすね。気まずいっすね」

 早蕨が口火をきった。金本もうめいて、

「あまり格好がよろしくないのは確かだな」

 と言った。

 勝ったにもかかわらず、四人の気は鉛のように重い。

 しかし戦闘機のコンピュータは、燃料の残量がないと叫びつづけている。

 ほかの三機もすでに燃料ぎれ寸前だろう。

 はやいところ着陸しなければならない。

 燃料がなくなって墜落などしたら、よけいに格好悪くなる。

 と、浅間は自身の内心にくすりと笑い、ついで大きくため息をついた。

 空戦中は、どうせ死ぬならいかにして生きながらえて敵機を一機でも多く墜とすか、それだけをかんがえていた。

 いまは、生き残ったことに後悔し、体裁などというつまらないものを気にしている。

 人間の精神とは、かくもこのような現金なものか。はるけき天空で、さとりに近い境地に達していた。

 速度は音速をようやく下回った。

 慎重に降下しはじめる。

 空気が薄いから舵の効きがわるい。操縦桿もラダーペダルもすかすかだ。

 急角度で降下すれば、また音速を超えてしまう。

 じゅうぶんに留意しつつ、高度をさげていく。

 高度一万二〇〇〇メートルあたりで、通常の操縦感覚にもどる。

 地上が近づくにつれ、またまた複雑な思いがよみがえってくる。

 燃料がないからはやく帰還したいというきもちと、なるべく遠回りして帰る時間を伸ばしたいという、矛盾する感情が相半ばする。

 帰ればどのような処分がまっているのだろう。

 謹慎か。ウィングマークの剥奪か。不名誉除隊か。

 始末書ですむ問題でないことは確かである。

「すまんな、みんな。おれのわがままに付き合わせたせいでこんなことになった。おまえたちに責任がおよばんように努力はするが……もしものときは許してくれ」

 浅間がもらすと、金本が聞こえよがしにため息をした。

 しようがないやつ、と呆れている波長で満ちていた。

「おれはおれの意思で出撃したんだ。おまえだけのせいにされてたまるか」

 無線ごしの金本の断言に、うその響きはなかった。

「実戦でドッグファイトと、超音速爆撃機の要撃。いい経験になりました。わたしはそれでじゅうぶんです」

 占守が風鈴のような声で告げる。

「パイロットの資格が剥奪されても、日本を守るっていう大仕事にちょっとでも役に立てたんなら、ぼくはそれでいいっす」

 どんな処分も甘んじて受ける、と早蕨が息を巻く。

 たがいの顔がみえない戦闘機のコクピットという空間が、いまはありがたかった。

 いまのじぶんの顔を、部下らには見せたくない。

 女性の機内音声はいっこうに黙らない。

 燃料の消費はまってくれない。

 朝霞に陸地がみえてくる。

 管制との無線交信は編隊長がひきうけるのが義務なので、観念して千歳基地の管制塔と無線をつなぐ。

「コントロール、こちらポリプテルス1。“哨戒飛行”終了。着陸の許可をねがう」

 管制はレーダーですでに浅間らがもどってきているのを感知しているはずだ。

「ポリプテルス1、こちらコントロール。ポリプテルス・フライトの着陸を許可する。機器のチェックを実施し、ランウェイ36Rへアプローチを開始せよ」

 わりとあっさりと許可がおりた。管制官の無感情な声が胃に痛い。

 視界に北海道南部の海岸線がひろがり、そのむこうの千歳新空港と千歳基地の四本の滑走路が望見できた。

 基地はもちろん無傷だ。

 浅間たちが守りきったのだ。

 燦々たる朝陽を浴びる飛行場をみていると、感慨ぶかいものを感じる。反面、暗憺たるきもちは依然としてぬぐいされない。

 まず占守と早蕨をさきに着陸させる。

 二機が並走しながら、海側から滑走路にちかづく。

 背中のエアブレーキを立て、ウィリー走行で減速。

 ぶじ着陸した二機は、誘導路を通って、格納庫まえまで自走していった。

 つづいて浅間と金本が、同じように並んで着陸態勢にはいる。

 ギアダウン、ロック。フラップの動作も正常。

 金本とともにフォーメーション・アプローチ。

 速度を失速ぎりぎりまで落として、滑走路に対しまっすぐに接近する。

 海風はおだやかで、浅間らの着陸を見守ってくれているかのようだった。

 と、そこで飛行場の異変に気づいた。

 格納庫まえのエプロンを中心に、黒山の人だかりができている。

 あれほどの数は、整備員だけではあるまい。

 千歳にいるパイロットや隊員らがほとんどすべて集結しているようだ。

 ――戦犯をお出迎え、か。機を降りたら即刻逮捕もありうるな。

 まあいい。英雄になりたくて出撃したのではない。

 けれども、きょうの空爆をはばんだことで、少しは時間が稼げたはずだ。

 その時間のなかで、自衛隊の全員が選択すればいい。

 自分たちがいま、なにをすべきなのか。

 その選択をするための礎となれたなら、いままで生きてきたことに意味もできようというものだ。

 浅間は諦念のふりをして、みずからにそう言い聞かせていた。

 機体を地面におろしていく。

 下は見えないので、接地は完全に勘だ。

 主脚のタイヤと路面との距離が、空気分子一個ぶんくらいになるまで下げて、推力を弱める。

 失速。いままで機体をささえてきた空気が、ただの空気となる。

 軽やかな揺れとともに、主脚が接地。

 機首をあげたまま、空気抵抗を利用して減速をつづける。

 時速百キロまで落ちたところで、前脚を路面につける。

 地に降りた二機は、整備員の誘導でエプロンまで走行した。

 エンジンを切る。やかましい機内音声も沈黙する。

 キャノピーがあげられ、昇降用の鉄梯子がかけられる。

 緊張が頂点に達する。

 どんなふうにして降りようか。

 日本人らしくあいまいに笑いながら降りるか。

 それともいっそ開き直るか。

 考えあぐねつつ、からだを拘束するハーネスを外し、Gスーツや酸素マスクのホース、無線のコードを機体から抜く。

 レッグスペースから右足を抜き、左足を抜いて立ち上がる。

 肉体的な疲労だけでなく、べつの疲労が動作のひとつひとつをのろくさせる。

 くらくらする頭をヘルメットごとかかえ、浅間は梯子を降りた。

 皆に背をむけた状態でゆっくり降りる。

 最後の一段のつぎに、ブーツが梯子ではなく、地面を踏みしめる。

 固いコンクリートのエプロン。

 もう二度と踏めぬと思っていた地面。

 正常な一Gの重力が、いまさらのように両肩にのしかかってきた。

 覚悟をきめてふりむく。

 浅間はわが目を疑った。

 広大なエプロンに、なおあふれかえらんばかりに蝟集いしゅうしている人びと。

 濃緑の制服を着こんだ整備員に、飛行服すがたのパイロットたち。

 基地の内勤とおぼしき隊員たち。

 浅間の前に集まった彼ら彼女らが、すばやい動作でいっせいに右手をかかげる。

 敬礼。

 総勢数百名もの自衛隊員らが、浅間たち四人に敬礼をささげていた。

 予測していなかった展開に、浅間の脳は情報を処理しきれないでいる。

 理解不能すぎて、どうしたらいいのかわからない。

 先に着陸していた占守と早蕨や、相棒の金本も、反応につまっている。

 直立不動のまま敬礼する人波の一角が裂かれていく。

 人だかりのなかから現れたのは、純白の制服に身をかためた初老の男。

 千歳基地司令、東雲空将補だった。

 目を伏せる。恐ろしくて目が合わせられない。

 事態は理解できないが、浅間は編隊長として、東雲に部下への恩赦を嘆願しなければならない。

「東雲空将補、今回の出撃はわたしの独断です。すべての責任はわたしに」

 浅間は最後まで言えなかった。

 東雲が、手で制していた。

「なにも言わなくていい」

 低く、かつよく響く、遠雷のような声だった。

 不自然な沈黙。

 浅間は顔をあげ、東雲の顔を見た。

 基地司令は、老眼に涙を湛えていた。

「おまえたちのおかげだ。おれの目も覚めた」

 あっけにとられていると、

「第42警戒群のレーダーや通信を、われわれもモニターしていた。おまえたちの闘いももちろん見させてもらった」

 東雲が父親のような表情で浅間たちを見た。

「おまえたちが命を賭して闘ってくれたおかげで、われわれは生きている。この場にいる全員にとって、おまえたちは恩人だ」

 老将は笑いを見せた。

「おまえたちは行動で示した。自衛隊の存在意義を。いかにも、国と国民を守るのがおれたちの役目。それは承知していたが、法律の壁がある。それで悩んでいた。だが、おまえたちを見ていて、おれの迷いもとれた。現場のパイロットが処罰覚悟で挺身しているのに、おれはここでなにをしているのかとな」

 東雲が漢から空将補の顔にもどる。

「おまえたちの活躍で、空爆が阻止されただけではなく、東北地方における敵の航空戦力の弱体化にも成功した。とはいえ、時間がたてばそれも回復する。この機をのがす手はない」

 エプロンにつどう何百という隊員らにも、闘志がみなぎる。

「これを好機ととらえ、臨時の作戦司令部を設立、反撃の準備を神速ですすめている。各基地との通信も回復しつつある。情報整理がおわりしだい、部隊を再編成し、反攻作戦を開始する。われわれは、われわれこそが、日本を守る。日本をとりもどす!」

 よく通る声が飛行場に響きわたる。

「なお、おまえたちの処遇であるが」

 きた、と浅間は思わず身構えた。

「許可なく出撃し、交戦。火器を使用したことはさすがに看過できない。浅間一尉、金本二尉、占守二尉、早蕨二尉は、独断専行と命令無視により、それぞれ一階級の降格とする」

 痺れた頭のなかで、浅間はむしろ、その言葉のほうが現実としてうけいれられた。

 それでも自衛隊としてはきわめて寛大な処分といえよう。

 東雲が制服ごとうしろを向く。

「ただし、基地および都市を防衛した功績により、四人とも一階級昇進とする」

 背をむけたまま投げかけられた言葉に、浅間らは顔を見合わせた。

 結果的に処罰なしということになる。

「さらに、隊員の人心にあたえたおまえたちの影響は甚大である。よって以降の作戦には、おまえたちポリプテルス・フライトは優先的に参加することを義務づける。いいな」

 一方的な宣告をのこして、東雲は基地施設へと戻っていった。

 数百名もの隊員たちが、ポリプテルスの四人をみつめる。

 いや、ポリプテルスのリーダーである浅間を見つめている。

 強行出撃を先導し、八十機の大編隊を撃退した立役者が浅間であると知っているのだ。

 皆の顔には、なにかを期待する表情。

 急展開につぐ急展開でついていけていない浅間に、軽い衝撃。

 見ると、金本がにやにや笑いながら肘でつついてきていた。

 浅間がにらむと、隊員らのほうにむけ、顎をしゃくる。

 迷いながらも、浅間は右手で拳をつくった。

 天へと突き上げる。

 万雷のごとき大歓声が、天地を貫いた。

 浅間に応えるように、すべての人間があらんかぎりの力で叫び、基地全体が揺らぐような音圧へと昇華させた。

 それが、ポリプテルス・フライトの勇敢な行動を讃えんと、浅間らに津波となって押し寄せてきた。

 興奮しきっているのか、笑いながら乱闘をはじめる連中がいる。

 浅間らにむかって万歳をさけぶやつまでいる。勘弁してほしい。

 飛行場はもう混乱状態だ。まるで祭りとかわらない。

 ポリプテルスの四人だけが、いまだに信じられないという佇まいで、騒ぎの中心に立たされていた。

 金本、占守、早蕨をふりかえる。

 三人とも、あいまいな、複雑な笑みでうなずいた。

 昇ってまだ間もない朝陽が、千歳と、浅間たち、戦闘機を黄金色に染めている。太陽がかれらを祝福しているかのようだった。

 新たな夜明けだ、と浅間は思った。

 日本の反撃が、ここから始まるのである。



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