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二十三 されど我らは鷲と踊る

 ブリーフィング・ルームは、千歳基地の飛行隊だけでなく、三沢、小松、松島、築城、百里のパイロットたちが勢ぞろいしていた。

 百名以上もいるために室に全員が入りきらず、廊下にまではみ出しているありさまだ。

 浅間は一等空尉という階級からほかの隊員に椅子を譲られた。金本や占守しゅむしゅ早蕨さわらびは室の後方の立ち聞き組に加わる。

 かれらは固唾をのんで説明に聞き入った。

「十分ほどまえ、大湊おおみなと分屯基地の第42警戒群より入電があった。現在、北朝鮮空軍と思われる大規模爆撃機編隊が、ここ、千歳へむかっている。敵は空自の残存戦力があつまっている千歳基地を空爆し、この侵略戦争に終止符をうつ心算だ」

 千歳基地の司令をつとめる東雲空将補のことばに、ブリーフィング・ルームに詰めているパイロットらは色めきたった。

「敵の到達予想時刻は?」

「第一陣の到達は、約六十分後と見込んでいる」

「要撃は!」

 F-2パイロットのひとりが、椅子が飛んでしまいそうなほどの勢いで立ち上がった。

「命令がない」

 司令はパイロットと目を合わせなかった。

「命令がなければ、たとえ一機たりとも戦闘機を出すことはできない。それがシビリアンコントロールだ」

「シビリアンコントロールなんかくそ食らえだ。やつらはケツをまくって逃げやがった!」

 パイロットは顔面に朱をひろげて吐き捨てた。

 だれも言葉にこそ出さなかったが、それに同調する空気が室内にただよった。

 首都空爆のさなか逐電ちくてんした内閣総理大臣をはじめとした首脳部がつぎに姿をあらわしたのは、中国の北京首都国際空港だった。

 牟田口むたぐち総理らは着陸した飛行機のタラップを駆けおりるやいなや、その場で全員が土下座をし、

「わたしたちを中国人にしてください」

 と唱和したのだ。

 その光景はニュース映像として全世界に配信された。

 もちろん千歳基地のテレビでも見ることができた。

 総理以下、毎日のようにテレビや新聞で見かける大臣や党の幹部らが、横一列にならんで飛行場の地面に額をこすりつけている映像を見せられた自衛隊員たちからは、ため息がもれ、怒号があがり、情けなさのあまり嗚咽さえこぼれる始末であった。

 持ち重りのするガラスの灰皿を液晶に投擲して、テレビを破壊する慮外者もいた。いまいきりたっているF-2パイロットである。

「あんなネズミのクソにたかるウジ虫以下のクソ野郎の命令なんざ、こっちから願い下げだ。それに、内閣がごっそりいなくなっちまったんだから、命令だの許可だの言ってたってしょうがないだろうが!」

 空将補という目もくらむような階級の上官にたいする口の利きかたではない。

 司令もかれの怒りが理解できるからか、とくに修正はせずに、

「たとえどんな人間でも、選挙によってえらばれたのだから、われわれは牟田口総理を最高指揮官と仰がなければならない。その総理や指揮権の代行者もいない状況で自衛隊が動いてもよいかといえば、そんな法律は一文もない」

 と冷淡に返した。浅間には司令がつとめて無感情をよそおっているように感じられた。

「法律がない?」

「想定されていなかったからな、総理が内閣ごと国をほっぽって、よその国に行くなどとは。あるはずがない、だから想定もしなくてよい、そんなときのための法律もつくらなくてもいい。いつもの日本の悪癖だ」

 何人かが歯をくいしばってうめく。

 法律はいつも後手後手だ。だれかが犠牲になってから見直され、改正される。

 だが今回は、改正してどうこうできる問題ではない。

「つけくわえると、首脳部がいないということは、政府そのものが消失しているということだ。これは敵国との交渉をおこなう機関が存在しないことを意味する」

 東雲の四角い顔に、本物の悔しさがにじむ。

「つまり日本は北朝鮮に対し、報復の宣言どころか、降伏の申し入れすらできない状態なんだ」

 ひとり立っているF-2パイロットをはじめ、ブリーフィングルームの全員の顔が青ざめた。

「戦争……とはなんであるか信濃?」

 たちつくしているF-2パイロットがわれに返る。

「常識的見地から定義するなら、外交の一手段であります」

「そうだ。話し合いで解決できぬ問題を古式にのっとり武力で決着をつけるのが戦争だ。そして戦争をとおして妥協点をみつけ、交渉のテーブルにもどる頃合いをはかる。戦争とはそれだ。戦うことそのものが目的ではない。戦闘は軍隊の仕事だが、戦争は政治家の仕事だ。始めるのも終わらせるのも政治家の仕事だ」

 東雲は万年の星霜に耐えた巨岩のように語った。

「問題はその終わらせかたにある。勝ち負けは相対的な問題でしかない。ときには降伏も戦略手段となる。そのときの最善の条件で降伏にこぎつけることができれば、それは負けではない。降伏は無条件降伏だけではない。降伏も外交であり交渉なのだ」

 基地司令の顔が苦渋にゆがむ。

「その交渉をする者が不在なら、どんなに理不尽なものであっても、相手の要求をすべて呑まなければならない」

 民事裁判でも、被告が欠席したばあい、被告は原告の主張を百%受け入れる、という意思表示をしたと見なされる。

「降伏の申し入れもできないとなると」

 司令の横に立つ長良二佐が語をつぐ。

「このまま日本本土を焼きつくし、日本人をひとり残らず根絶やしにするまで攻撃が続くかもしれない」

 ナチスドイツの終焉のときと同様に、ほんとうの意味での無条件降伏とみなされるかもしれない。

 そうなれば男は皆殺し、女は子供もふくめて性奴隷にされても文句はいえない。

 降伏できないとは、そういうことである。

「ならなおのこと、いま反撃しないと、日本が取り返しのつかないことになります!」

「軍隊は……もうあえて軍隊というが、軍隊はシビリアンコントロールのもとに置かれ、これに反することはないというのが世界の常識だ。文民からの命令もなしに軍隊が勝手に動いてみろ、日本は文民統制すら守れないと世界中から非難をうける。北朝鮮の侵略行為は許されざる犯罪だが、日本もまた、各国からの支持を受けることができなくなる」

「北海道に逃げてきたのは、部隊を再編成して反撃の態勢をととのえるためじゃなかったんですか? おれは有事のときに逃げるために戦闘機パイロットになったんじゃない。日本が守りたいから自衛隊に入ったんです。なのにこうして死ぬのを待つだけしか能がないだと。そんな軍隊は最初からなくてもいいっ!」

 信濃の怒声が室内とパイロットたちの胸のうらに反響した。

 鬱屈を吐き出した信濃は息を切らし、肩を激しく上下させている。

 手をうしろに組んだ東雲が長い息を吐いた。

「おまえの言いたいことはわかるよ。このままでいいって思ってるやつなんざここには一人としていやしねえ。だがな……」

 東雲の深い老眼が信濃を射抜く。

「おれたちが独断で動くってのがどういうことか、わかった上で言ってんだろうな? 自衛隊という事実上の軍隊がシビリアンコントロールから外れることの意味を」

 真に迫る圧力が信濃に放射され、言葉を詰まらせる。戦士は老将の宣告に必死に耐えていた。

 東雲司令の表情が憂愁の色を帯びる。

「軍部の独走が太平洋戦争の悲劇を招いた。われわれは二度とあのようなあやまちを犯すわけにはいかん。なにがあろうと、日本は戦争をしてはならんのだ!……」

「なに眠いこといってんですか。おれがよその国の人間なら、てめえの国の国民がぶっ殺されまくってんのに助けようともしない腰抜けをこそ軽蔑します!」

 そうだそうだ、とパイロットたちが野次を飛ばす。

 司令や飛行教導隊らが制止しようとするが、逸る血気は抑えられない。

 室内は吹き荒れる暴風のような大論争となった。

 怒号と罵声のなか、浅間は無言で席をたち、ブリーフィングルームの出入り口に向かった。

 金本、占守しゅむしゅ早蕨さわらびがつづく。

「浅間、どこへいく」

 アグレッサーの長良二佐が呼びかける声でルーム内が静かになる。

「どうせ飛べないんでしょう」

 全員の注目をあつめるなか、浅間は肩を大仰にすくめ、おどけてみせた。

「飛べやしないのにブリーフィングすることなんてありませんし、それに百里くんだりからエコノミークラスも真っ青なコクピットに押し込められて飛んできたもんですから、腰が痛くって」

 腰に両手をあて、背を弓なりにそらせる。あくびまで出た。

「そゆわけで、おれは寝さしてもらいます。法律がどうのとか小難しい話はそっちでご勝手にどうぞ。そんじゃ、失礼」

 手をひらひらとふって退出した。あっけにとられ、だれも何も言えない。

「うちのリーダーがああ言ってるんで、部下としてはまことに不本意ながらもしたがわなければならんのです。いやぁけしからん。まったくけしからん」

 金本が丸刈り頭を芝居くさい動作で振りながら退室し、

「浅間一尉の言うとおり、出撃できないのであればブリーフィングに参加する意味がありません。これ以上は時間の空費と判断し、また訓練の予定等もないため自由時間とさせていただきます。失礼します」

 占守が律儀に敬礼して室を出た。

 最後になった早蕨が同僚たちに向き直る。

 先の三人に倣ってなにかを言おうと口をひらいた瞬間、扉の隙間から占守の手が伸びて早蕨の右耳をつまんだ。

「そんなところを見習わなくていいから、はやくきなさい」

 飛行隊内の腕相撲において並みいる男たちをことごとくくだす占守に耳を引っ張られ、絹を裂くような悲鳴をあげながら早蕨は扉のむこうへ吸い込まれた。

 四人が去ったブリーフィングルームは、妙にしらけてしまっていて、

「なんぞあいつら。敵がすぐ目の前にきとるっちゅうに」

「ハナっから日本を守るっていう意識がないんやないか?」

「ポリプテルス・フライトの連中は問題児ばかりと聞いてたが、ほんとに知恵遅れだったみたいだな。天皇を救ったらしいが、見損なったぜ」

 浅間らに対する雑言が、かわりに呟かれるのだった。

 長良二佐だけは、ポリプテルス・フライトの四人が辞去していった扉を、言葉もなく見つめていた。


  ◇


 先頭を大股で歩いていた浅間が、ブリーフィング・ルームからじゅうぶんに離れたところで、唐突に立ち止まった。

 金本、占守、早蕨、と順に名を呼ぶ。

「いくぞ」

 たったのひとことである。

 それだけでよかった。

 編隊長の意を察した三人は、目礼で了解と返事をした。

 通路のむこうから怒声まじりの喧騒が乱反射してくる。

 ブリーフィング・ルームではいまだに侃々諤々(かんかんがくがく)たることかなえが沸くがごとしの討論をしているらしい。

「あれを聞いて安心した。戦意はある。あとは最後の踏ん切りだけだ」

 浅間はおだやかな表情をしていた。

「ならおれたちがその背を押すだけだ」

「押す? 引きずるのまちがいだろ」

 金本が不敵な笑みを浮かべる。この相棒とこうして肉声で喋るのもこれが最後かもしれない。

「行こう。鷲が待ってる」

 四人は格納庫へと急いだ。

 扉をあけ、外にでる。


 空と景色が深い蒼に輝いている。夜明けは近い。

 格納庫まえのエプロンに列線をえがいて駐機されている戦闘機は、膨大な数だった。

 空自の主力、F-15Jイーグルだけでも八十機近い。

 さらにF-4EJ改ファントムやF-2も数個飛行隊ぶんが翼を休めている。

 それらの機体のまわりを整備員たちがいそがしく行き交い、各機を整備してまわる。いつ命令がでてもいいように。

 見渡すかぎり戦闘機の群れのなかからじぶんたちが乗ってきた機体をさがすのは、さほど時間はかからなかった。

 まるで機体のほうから呼びかけてきているかのように、浅間の目は、しぜんと第307飛行隊のF-15Jへと行きついた。

 二枚ある垂直尾翼に、隊のエンブレムたるオオムラサキが美麗な翅を羽ばたかせている。

 固いコンクリートの床を踏みしめながら、機体へと足をすすめる。

 浅間たちの機体の周辺で作業していた整備員が気づき、いぶかしみながらも近づいてくる。

 たがいに敬礼をかわす。

 男は千歳基地の第2航空団に所属する飛行隊の整備隊長で、比良坂一尉と名乗った。浅間と階級はおなじだが、歳は七、八ほど上のようである。

「率直に言う。北朝鮮の爆撃機がこちらに向かっている。到達まであと一時間もない」

 浅間が告げると、整備員たちが濃緑色の帽子の下で目を見開いた。

 各機体の整備に従事していた整備員らも浅間のことばに耳目をうばわれ、手を止めて聞き入る。

「出撃できますか」

 金本が簡潔に訊ねた。

 比良坂の涼しげな目に動揺が走った。うしろに控える整備員らも顔を見合わせる。

「まさか、出撃命令が?」

 戦闘機はパイロットだけでは飛ばせない。整備員らの協力なしにはミサイルひとつ搭載できない。

「いいや、出ていない」

 浅間は正直にいった。

「このままなにもせずに待っていても連中の空爆を受けるだけだ。白旗をあげてもやつらは自衛隊を生かしておいたりはすまい。もはや政府もいない。どうせ死ぬなら空で戦って死にたい」

 比良坂は無言だった。

 整備員らが当惑の表情を浮かべる。

「しかし、命令が出ていませんし……」

「すでに日本は敗れたといううわさが流れています。北がここを攻めてくるのも、北海道以外の本土をすべて制圧しおわったからでは。いまさら戦うことにどれほどの意味が……」

「投降すれば殺されはしないとおもうのですが。それに、その、たったの四機では……」

「まだ終わってはいない」

 浅間は本心から口にした。

「たしかに勝てん戦いかもしれん。だが、北に屈して、日本人がこれまで同様の暮らしを守っていけるとおもうか? おれはこの目でみた。やつらは無差別爆撃で東京を焼き払った。数えきれない人が死んだ。なぜやつらは通告もなく民間人の上に爆弾をばらまいた? なぜあんなむごい作戦ができた? われわれの報復などないとおもっているからだ。なにをやっても日本が反撃しないと確信しているからだ。牛や豚や魚を殺すのとすこしも変わらん。やらなければならないのはそれにたいする戦いだ。日本はけっして侵略や虐殺をうけいれる国ではない。日本人は追いつめられれば服従より道連れの死を選ぶ。そういう意識を敵にもたせることができれば、おれたちが死んでもそれは無意味な戦いではない。戦後の講和のなかにおれたちは生きつづける」

 いいながら浅間はふしぎだった。

 いままでは漠然と日本のために、と考えていただけで、こんなにはっきりと理由づけしたことはなかった。

 信頼する三人の部下に命を預けられて、思考の靄が取り払われたからだろうか。

「投降しても北がわれわれを生かしておく理由がない。降伏勧告もなくここを空爆しようとしているのがその証拠だ。やつらは問答無用の殲滅戦を仕掛けてきている」

 見るべきものが見え、やるべきことが明瞭になっていた。

「意義ある戦争などないのかもしれない。だが襲いかかってくる敵に敢然とたちむかうことに意義はないのだろうか。自衛隊は読んで字のごとく守るための組織だ。ならこの戦いこそが自衛隊にとって意義のある戦争だ。たとえ死んだとしても、あの世で昂然とこうべをあげていられる。すでに死んでしまった、いや、おれたちが救えなかった国民に、胸を張っていえる。おれたちは最後まであきらめなかった、仇を討つために勇敢に戦って死んだと」

 自然に口が動く。ことばが滔々とあふれだす。

「たんに基地を守るだけの戦いならおれも首を横にふる。だが日本にとってすこしでもプラスになるならこの身を捧げてもいい」

 浅間は比良坂をまっすぐに見つめた。

「とはいえおれひとりではなにもできない。あなたがたの協力が必要だ。命令は出ていないし、おれに命令を出せる権限はない。だからお願いするしかない。頼む。おれたちを空に上げてくれ」

 それは痛切な懇願だった。

「むろん強制はしない。上に追及されたら、浅間に強要されたと言ったらいい。おれたちが死んでもあんたらの責任にはならない。このとおりだ」

 浅間は頭を下げた。金本たちもそれに倣う。

 かわたれ時の薄闇のなか、重い沈黙が降り積もる。

「命令がないのでは出撃などできない。わたしたちも機を飛ばすことはできない」

 静寂を破ったのは、比良坂整備隊長だった。

「抵抗もできずに死ぬしかないというのなら、それがわれわれの、日本のさだめなのかもしれん。さだめを受け入れるのが潔いともいえるだろう」

 比良坂の声は長年の酒か煙草で好き放題に荒らされていた。

「なら、わたしはそんなさだめを拒否する。なにもせずに死ぬのが潔いというなら、最後の最後まで、みっともなくてもあがいてみせる。あがききってみせる」

 浅間は頭を跳ねあげた。

 比良坂の目から動揺のいろが消えていた。

「整備補給群の燃料小隊に伝えろ。イーグル四機に燃料注入。そこのおまえとおまえ、装備隊から人を借りて電子機器の点検を手伝え。時間がないぞ。早急に準備完了させろ」

 整備員らが茫然と比良坂をみやり、ついで雷に打たれたように敬礼して所定の持ち場へ駆け出していく。

「兵装の種類は?」

 澄明ちょうめいな比良坂に、浅間はかえって虚を衝かれて、

「空対空戦闘のため、四機とも長い槍と短い槍をフル装備、センターラインに増槽を一本で頼む」

 と反射的に答えた。

 比良坂が敬礼する。

「了解。AIM-7Fスパローを四発、AIM-9Lサイドワインダーを四発、センターラインに六一〇ガロン・ドロップタンク一本。ただちに装備にとりかかる」

 比良坂を筆頭に、整備員たちが水を得た魚のごとくはつらつと動きだす。

 飛行隊の整備小隊に所属する列線整備員だけでなく、武装や電子機器などを管理、整備する装備隊や、燃料車を運用する補給隊といった、整備補給群までもが総動員される。

 おおぜいの整備員が機体に群がり、たがいに指示を叫び交わし、必要な道具をどなる。

 精悍なジェット戦闘機を大空に飛び立たせるべく一心不乱に走り、発進のための準備にとりかかる。さながらインディ500のピットクルーのようだった。

「ありがとう、比良坂一尉」

 ただただそう言うほかはなかった。

 てきぱきと指示を出していた比良坂が晴れ晴れとした顔を振り向かせる。

「戦闘機も、地上でぶっ壊されるなんて本望じゃないだろう。一機百億だ。血税で買ったのに飛びもせずに爆撃の的に提供したら、国民に怒られる」

 手早く四機の機付長きづきちょうをきめて、役割分担をさせる。

 だれもかれもが勤勉にはたらく。迷いがあればこうは動けない。

「上に追及された場合は、なんて言ってたけどな、浅間一尉。そのときになったら、わたしらを責める連中なんて、この基地もろとも吹っ飛んじまってるよ」

「それ言えてます」

 早蕨が相づちを打つ。次の瞬間には、占守に足を踏まれて飛び上がっていた。

 比良坂が微笑した。

「あんたらになら賭けてもいいかもしれん。もし駄目だったとしても恨む気は起きん」

 整備隊長はそういって戦闘機の最終チェックのため走っていった。


  ◇


 準備が完了するまでのつかの間、浅間たち四人は無造作に置かれた荷物に腰かけ、気を落ちつかせた。

 東の空はピンクから紫へ徐々に変わり、満天だった星々は姿をかくして、夜明けの星が輝いているのみだった。

 どこからかヒグラシが日の出を礼賛するように鳴き始めていた。

 わらしが枝にくくりつけた鈴を鳴らしあって遊んでいるかのような、その澄んだ輪唱に、聞きなれない鳴き声が混じっているのに浅間は気づいた。

 息継ぎの隙のない連続的な発声は、ニイニイゼミに似ているが、それにくらべると楽器のベースのように低音が効いている。

「ありゃ、エゾゼミだな」

 内心を見透かしたように、金本がいった。

「よくしってるな。ミンミンゼミとかアブラゼミなら知ってるが、エゾゼミなんか聞いたこともなかった」

「ガキのころは、虫とり網片手に野山を駆けめぐってたからな。セミの鳴き声をたよりに、一日じゅう雑木林を見上げてた」

 金本の細い目は、ここではなく、遠い記憶の原風景を映しているようだった。

「夏ってのは思い出の多い季節だよな。夏になったら、ラジオ体操に行って、朝飯くって、日が暮れるまでセミを採って、汗まみれで家に帰って、風呂あがりに扇風機に当たりながらスイカにしゃぶりついて、花火を見て……」

 独白がこぼれていく。

「いまごろなら、もうすぐお盆だな。毎年、実家の縁側で、新聞紙を丸めたやつに火をつけて、迎え火と送り火をやってた。ふしぎなことにな、迎え火のときは、煙が家のなかに入ってきて、送り火のときは反対に家の外に流れていった。しかもそんとき、真夏のいちばん暑い時期なのに、なぜか吐く息が白くなるほど涼しくなるんだ。当時はふしぎともなんとも思わなかった。盆を実家ですごすのも、迎え火と送り火するときは寒くなるのも、ぜんぶあたりまえだったからな」

 なかばひとりごとのように語る金本の横顔を、浅間はふしぎな気持ちで見つめた。

 相棒のことはなんでも知っていたつもりだったが、知らないことはまだまだあるのだとしみじみ思った。

「そう、あたりまえだった。さすがにこの年になってセミ採りはしないが、いつもと変わらない夏を過ごすもんだと思ってた」

 浅間もそうだった。

 ことしも暑さに文句をいいながら消化する夏がきて、なにごともなく過ぎていくのだろうと、それが未来永劫つづくものだと盲信していた。

「ガキのころの夏の思い出は、いい思い出だったか?」

 浅間が訊くと、

「ああ。おれの宝物だよ」

 金本は迷わずに答えた。

「おれたちの子供らが大人になったとき、そう言えるようにしないとな」

「ああ。そうだな。まったくそのとおりだ」

 ふと金本のむこうに目をやると、早蕨が占守になにかしらことばをかけていた。

 風が吹いて聞き取れなかったが、肩をすくめる占守の美貌に心底あきれた表情があったのを鑑みると、つまらない冗談でもいったのだろう。

 浅間にはふたりがとても親密な間柄にみえた。おなじ飛行隊の仲間以上のなにかがあるのかもしれない。

「さて、最後にもういちど訊いておくが」

 浅間の確認に三人が注意をむける。

「これから行くのはまず間違いなく勝ち目のない戦いだ。黄泉の川を渡りにいくようなもんだと思っていい。金本」

 相棒の顔をみすえる。

「いつもながらむさ苦しい顔だな。その面を拝めるのもこれで最後かとおもうとさびしい」

「おまえの顔をみるたび、おれは造化の神への怒りを禁じえない。どうして神は、人の相棒にこれほどの試練を与えるのかとな」

 即座に返す金本。占守と早蕨が笑う。

 死ぬかもしれない、いや、確実な死が待っている。そんなフライトの直前にもかかわらず平常心をうしなわない仲間たちを、浅間はこころから頼もしく思った。

 だからこそ忸怩たる思いがあった。

「金本、おまえほどよくできた二番機はいない。そのおまえを死なせるような戦いに道連れにすることしかできないじぶんが腹立たしい」

 真剣な問題であった。

「それでも、おまえはついてきてくれるか?」

「くどい」

 金本は一蹴した。

「編隊長なら疑問形じゃなく命令形でいえ。おれは二番機なんだから、おまえはただ、ついてこいって言やあいいんだよ」

 浅間は苦笑した。愚問ということに気づいたのだ。

「占守はどうだ。死んでもおれらは英雄あつかいはされまい。逆賊あつかいかもな。それでも気は変わらないか?」

 超然と前を見据える相棒の横顔越しに第7航空団唯一の女性パイロットに問いかける。

「変わってほしいんですか?」

 占守はうしろ髪をまとめながら答えた。

「いままでリーダーの編隊にいて間違ったためしはありません。わたしはわたしの意思で、リーダーの命令にしたがいます。逆賊とよばれても、リーダーさえ真実を承知していてくれればそれでじゅうぶんです」

 烏の濡れ羽色の髪と、日々紫外線を浴びるパイロットという職業についているのに日焼けを許さぬ白皙はくせきの頬が、北の大地特有の壮麗な朝陽に照らされ、神秘的な美しさを演出していた。

 こんな女を戦場にかりたてるとは、じぶんはきっと地獄に堕ちるにちがいない。

 去来する複雑な想念をふりはらうように最後のひとりを見る。

「早蕨、おまえはまだ若い。おれたちよりも多くの可能性がある。降りるならいまだぞ」

 早蕨はとんでもないという顔をして、

「ここで日本が負けちゃったら、可能性もなにもないっすよ。じぶんは最後までついていきます」

 そう息巻いた。

「それに、リーダーのいうとおりっす。戦争には負けるかもしれないけど、ぼくらが一矢むくいることによって、その講和の条件をすこしでも和らげられるかもしれない。そのためだと思えば怖くもなんともないっす」

 純真な笑顔に、浅間は罪悪感をおぼえていた。

 早蕨だけではない、金本も占守も、日本と日本人のために戦うという浅間を信じて疑っていない。

 ――だが、ほんとうにそうなのか? おれは大義名分をかかげて、家族を救いだすためだけに、部下を駆り立てているのではないか?

 駆けめぐる自問自答に、答えはなかった。

 答えから目を逸らしているのかもしれない。

 直視すれば、きっとじぶんが許せなくなる。そんな気がした。

 やがて列線整備員が戦闘機を親指でさしながら駆け寄ってきた。

 迷っているときではない。

 ヘルメットをもって立ち上がる。三人がそれに続く。

「さあ、さっさと終わらせて、いつものくそ暑い夏を堪能しよう」

 内心の乱れをごまかすように軽口をたたく。いまは、やらなければならないことがある。

「あたりまえを取り戻しに行くぞ」

「了解。ビキール」

 金本がはやくもTACネームで浅間に敬礼した。気持ちはすでに空の上にある。

 わかれてそれぞれの機体に歩み寄る。

 宇宙ロケットのように大きく尖った機首。

 日の丸をあしらったグレイの巨翼。

 長い四角形をした可動式の空気吸入口。

 透き通るような紫の蝶が舞う二枚の垂直尾翼。

 すべてが巨大だった。大きさでいえば旧時代の爆撃機にも匹敵しよう。

 完璧に整備されたその制空戦闘機、F-15Jイーグルが浅間を見下ろす。

 整備員立ち会いのもと、機体を一周する要領で各部を調べていく。

 ゆるんでいるボルトはないか。

 ノックしてみて、変な音はしないか。

 エンジンノズルのアイリスの張りは正常か。

 パイロット自身が五感を研ぎ澄ませて点検する。

 整備員を信用していないのではない。

 不具合があって墜落したばあい死んだりするのはほかならぬパイロットなので、じぶんが乗る機体はじぶんで調べるのが世界の常識だ。信用と甘えはちがう。

 異常な箇所はない。

 いちおう規定どおり整備ログに氏名を記入しておく。こんな非常時でも書類をだいじにするのは、日本人の悲しい性かもしれない。

 コクピットにのぼるための梯子に手をかけるまえに、浅間は足元に視線を落とした。

 地面を踏むのもこれが最後か。

 その場で足踏みし、コンクリートと、その下に眠る地球の感触をたしかめる。

 もう未練はない。

 空の上で死ねるなど、公務員としてはもったいないほどの贅沢であろう。

 清々しいきもちで梯子をのぼり、コクピットに入りこむ。

「いつもよりきれいだな。棺桶にはもったいない。すまないな。いや、ありがとう」

 浅間が洩らすと、整備員らがそろって恐縮した。

「ご武運をお祈りしております。どうかご無事で」

 強化アクリルの大型キャノピーを二枚貝の殻のように下ろしていた整備員が浅間に声をかけた。

「せっかく最高の整備をしてくれたから、できれば原型をとどめて持って帰りたいが、保証はできない。あとの連中の機体をよろしくな」

 まだ若い整備員は浅間の決意に涙を流した。

 キャノピーが閉じる。

 整備員たちが安全な距離まで下がったのを確認して、エンジン始動。

 圧縮空気が流れる音。

 主エンジンを動かすための小型ジェットエンジンが起動し、油圧と電気系統がよみがえる。

 電子機器が生き返り、自己診断のための警報や音声でコクピット内がさわがしくなる。

 ころあいを見計らって操作して、小型ジェットエンジンの力を主エンジンへ送る。

 二基のF100エンジンが、轟音にもひとしい目覚めの咆哮をあげた。

 エンジンの回転数と、慣性航法装置のジャイロが安定したのを確認。機付長に親指をたてて伝える。

 機付長の誘導にしたがって列線をぬけ、滑走路へ入るための誘導路へむかう。

「こちらコントロール。タキシング中のF-15に告ぐ。官姓名と意図をあきらかにせよ」

 英語の音声無線が響いた。管制塔からだ。

「聞かれれば答えよう。こちらは第7航空団第307飛行隊ポリプテルス・フライトのフライト・リーダー、浅間一成一尉だ。ちょいと空のお散歩に出かける」

 浅間はいけしゃあしゃあといった。

「ふざけていないで機体をエプロンにもどせ。離陸許可はでていない」

「コントロール。現在ランウェイにアプローチしている航空機はあるか?」

 おもいがけない質問だったのだろう、管制官は一瞬ことばに詰まって、

「いや、いないが……」

 日本語で素直に答えた。直後、しまった、というような声をだしたが、

「そりゃそうだろうな。しかしそれを聞いて安心した」

 もはや手遅れであった。

 浅間の機体と金本の機体が横に並ぶようにして、滑走路に進入。

 離陸まえの最終チェック、通称ラストチャンスにて、列線整備員とともに待ち構えていた武器小隊の武器弾薬員が作業を開始する。

 翼下のランチャーに二発ずつ、計四発装備しているサイドワインダーと、追加燃料タンクを取り囲むように胴体ステーションに四発抱えているスパロー、あわせて八発のミサイルにそれぞれぶらさがっているオレンジいろの短冊を引き抜く。

 ミサイルの安全ピンを抜いたのだ。これではじめて戦闘機はミサイルが発射できるようになる。

 同時進行で機関砲の安全装置も解除する。

 コクピットの兵装ディスプレイにも、ミサイルと機関砲が使用可能になった旨が表示される。

 キャノピーごしに親指をたてて整備員にアーミング作業の完了を伝達。

 整備員らも親指をたて、駆け足で下がっていく。

「メカニックもグルか? なんでもいいから離陸を中止しろ。えらい目にあうぞ」

 無線のむこうで管制官が叫ぶ。そんなに大声をださなくてもちゃんと聞こえているというのに。

「じゃあおれが無事に帰ってきて、えらい目にあえるよう祈っといてくれ。動翼、機器に異常なし。ポリプテルス1、離陸する」

「ポリプテルス2、離陸する」

 浅間たちがコクピットに乗りこんでからすでに三十分ちかくが経過している。ぐずぐずしているひまはない。

 スロットルレバーを最大推力まで押して、アフターバーナーに点火。

 ブレーキを解除した瞬間、待っていたといわんばかりにすさまじい勢いで加速。わずか五〇〇メートルほどで機体が宙に浮いた。

 アフターバーナーを切って、上昇しつつ海の方向へむかう。

 続いて占守と早蕨のイーグルもフォーメーションを組んで同時に離陸。浅間たちのあとを追う。

 空中で合流し、編隊飛行にうつる。

 浅間を先頭に、金本が右翼やや後方、占守が左翼がわ後方につく。早蕨は、占守のさらに左翼後方に占位する。

 左手の指をまっすぐにのばしてそろえたときの爪の位置そのままのかたちで巡航。

 編隊飛行の基本型たるフィンガーチップ編隊で、針路を南南西にむける。

 高度二万八〇〇〇フィートからの眺めは、絶景だった。

 地上にいるときは、じぶんの下に地面があるが、戦闘機の操縦中は上も横も、下すらも、すべてが空となる。

 とくに、北海道の大地は緑の平原がどこまでも続いていて、それが黄金の朝陽を浴び、平和であり牧歌的な、一幅の絵画となっていた。

「のどかっすねえ」

 早蕨の無線がヘルメットに届いた。

「戦争中だなんて、まるでうそみたいっす」

 全員が同感した。天も地も太陽も、日本の受難など知らぬという顔をしている。それゆえ美しい。

「だれかが死んでも、いつもどおり日は昇り、沈む。人間が戦争をやってても、空の青さは変わらない」

 浅間はつぶやいた。

「日本という国が消滅しちまっても、地球が悲しんでくれるなんてことはないだろう。国際社会も、日本がなくなれば代わりの国が日本の椅子にすわるだけだ。世界中のだれも気にしない」

 操縦桿をにぎりしめる。

「だからこそ、死に物狂いで戦わなければならないんだ」

 大地がとぎれ津軽海峡にさしかかったところで、無線をつなぐ。

「こちらポリプテルス1。第42警戒群、応答ねがう」

 浅間がよびかけたのは、大湊おおみなと分屯基地で防空レーダーを運用している部隊だ。北朝鮮の爆撃機が千歳に接近していることをしらせた警戒部隊である。

 第42警戒群は、青森の北部、下北半島の内側にある大湊湾、さらには陸奥湾をのぞむ釜臥山かまふせやまの頂上にレーダーサイトを設置している。それで北上してくる爆撃機を感知しえたのだ。

「こちら北部航空方面隊、北部航空警戒管制団、第42警戒群。貴機の所属をあきらかにせよ」

 返答は早かった。電子妨害はされていないようだ。

「こちらは第7航空団第307飛行隊、ポリプテルス・フライト、フライト・リーダー。ビキールとよんでくれ」

 浅間はそのまましゃべった。

「敵爆撃機編隊の要撃にきた。支援をたのみたい」

 F-15も強力なレーダーを積んでいるが、戦闘機である以上、探知距離や範囲に限界がある。レーダーは機首にあるので後ろはとくに見えない。

 空戦をするとなれば、空域全体を監視できるE-2CやAWACS、または地上レーダー施設との連携が不可欠となる。

「命令が出たのか? しかし、IFFの故障か? レーダーには四機しか映っていないが」

 声の背後でざわめきが聞こえる。当然の反応だろう。

「故障でもなんでもない。実際、上がっているのはおれたち四機だけだ」

 浅間がしごく自明であるようにいうと相手は絶句した。

「おれたちが殺られたとなれば、千歳基地に一時撤退しているやつらが決起する。そうでなくとも北朝鮮のやつらに思い知らせてやれる。日本人は従容と死を受け入れたりはしない。死がまぬかれないなら死を覚悟で戦うとな」

 そこでひと呼吸おいて、

「言っておくが、この三機はおれの供回りだ。ひとりじゃ寂しいんでむりやり引き連れてきた。こいつらを責めないでやってくれ」

 わざとふざけたふうにいった。

 レーダーサイトの管制官とおぼしき相手はなかなかことばを紡がなかった。

「しかし、そんな無謀な……」

 なんとかいえたようだが歯切れは悪い。いくら事態が急を要するとはいえ、命令もなく勝手に出撃してくるなど完全に想定の外だったのだろう。

 浅間は重々に承知していたので、

「まったくだな。戦術的にも戦略的にも外道だ。浅慮だとじぶんでもおもう」

 そういってから、

「だがここはおれの国だ。たとえ死んでも空の一部となって日本を見守ってやれる。おれはこの国の美しい風景や空や海のために戦いへむかう」

 相手が息を呑むような声をあげた。

「空や海のため……」

 浅間のことばを鸚鵡おうむのように反駁する。

「戦闘機に乗って死ねるなら、パイロット冥利につきる。おれはそれでいい」

 機体を制御しながら語りかける。

「だが、できるなら基地に到達する爆撃機を一機でも減らしたい。それにはあんたたちが不可欠だ。おれたちのためじゃない、千歳基地にいる仲間と、仲間がこのさき救えるはずの国民のために力を貸してくれ。むりにとは言わない。悪者はおれひとりでいい」

 前方の朝靄のむこうに、陸地の影がみえはじめた。青森だ。

「了解した、ポリプテルス1」

 たっぷり数十秒はあっただろうか。第42警戒群の管制官が返答した。

「空自におまえたちのようなやつらがいることを誇りに思う。全力で支援させてもらう。わが方のコールサインは<ギムナルクス>だ。ポリプテルス、よろしく頼む」

 浅間はじぶんの顔に微笑が浮かぶのを感じた。すぐに気を引き締めたが、ほかの三人も似たようなものだったろう。

「こちらこそだ。ありがとう、ギムナルクス」

 そうと決まれば話は早い。

 ギムナルクスとポリプテルス四機のレーダーをリンクさせる。

 これで四機のF-15Jは、自機に搭載している捜索レーダーだけでなく、ギムナルクスが捉えているレーダー情報をも共有できるようになった。暗闇を懐中電灯だけで進んでいたのが、部屋全体に照明を灯された様相である。

「ポリプテルス1、こちらギムナルクス。敵爆撃機編隊は貴機からみて方位1-9-5、レンジ五〇マイル、フライトレベル三〇〇、二五〇ノットでなおも進行中。爆撃機のほかにも多数の護衛戦闘機が随伴しているもよう。編隊の総数は、約八十機」

「八十だと」

 金本がおどろく。

 金本だけでなく、皆が彼我戦力差の開きにいきなり絶望的な雰囲気に陥りそうになる。

 これは黄泉の川どころか湊川みなとがわに連れてきてしまったかもしれない。

 だが編隊長としては編隊の士気を下げるわけにはいかない。

「楽な戦さだな」

 浅間はあえて平静をよそおっていった。

「なに?」

「撃ちゃ当たるってことだ」

 一瞬の沈黙。

 やがて金本、占守、早蕨が、あきれたような笑いを洩らした。

「ばかばかしいにもほどがあるが、おまえがいればなんとかなりそうな気がしてきた。背中はまかせろ、相棒」

 浅間も笑いをこぼした。

「ギムナルクス、こちらポリプテルス1。機種の編成はわかるか」

「ポリプテルス1、こちらギムナルクス。Tu-4“ブル”とおもわれる機影が二十五機。ほかは見たこともないものばかりだ。機影の大きさから、護衛の戦闘機と推測する」

「いよいよ見飽きたボーイングスキーはともかく、戦闘機のほうは気になるな」

「“フランカー”はいないのか?」

 金本が懸念を口にした。浅間も案じていたことだった。

「こちらのレーダーでは確認できていない」

「カマクナラ中隊、でしたっけ? あいつらがいないならまだ望みはありますね」

 早蕨が楽観する。必要以上に気をゆるめすぎてもいけない。

「よろこぶのは帰ってからにしろ。まだ始まってもいない」

 浅間は断じた。

「“フランカー”は強敵だがよけいなことを考えすぎるな。嫌だ嫌だと思っているとかえって引き寄せる」

「ビキール、おまえ意外と迷信深いのな」

 金本にレーダーサイトの管制官までがちいさく笑った。気のせいだろう。

「ポリプテルス・フライト、こちらギムナルクス。敵機が射程内に近づいた。交戦準備」

 四人はふたたび緊張を取り戻した。

「全機、マスターアーム・オン。BVR戦闘。スパロー・スタンバイ」

 浅間が命令をくだし、三機ともがしたがう。

 HUDヘッド・アップ・ディスプレイを通して見えるのは、まだ眠たげな西の空だけで、敵機の姿はない。

 まだ敵編隊の先遣は八〇キロメートルちかくむこうだ。肉眼では見えない。

 そんな視程外の距離から攻撃できるのがF-15とスパローの強みだ。

「ギムナルクス、ターゲットの指示をたのむ」

「了解した。個別に指示をだす。各機のレーダー・ディスプレイに転送するからそれをロックしてくれ」

 コクピット正面の計器板左側、変形四角形の画面がF-15Jのレーダー・ディスプレイだ。

 おびただしい光点のなか、浅間がねらうべき目標に相対速度や高度などの諸元が表示される。

 自機の火器管制レーダーでも完全に捕捉。誘導のためのレーダー波を照射する。

「ポリプテルス2、ターゲットをロック」

 金本につづいて占守と早蕨も照準をあわせた旨を報告してくる。

 浅間はわずかに体が震えるのを感じた。それは武者震いか、敵とはいえ人の命をうばうことに対する恐怖か、どちらにも由来しないまったくべつのものなのか。

 迷いを振り捨てる。いまはいましかない。

 航空自衛隊が創設されて半世紀余。いまだだれも発したことのないことばを浅間は叫んだ。

「ポリプテルス・フライト、交戦を許可する。ポリプテルス1、交戦エンゲージ!」


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