十九 穢された大陸
前回までのあらすじ
大西洋を航行中の米原子力空母が沈没した。奇跡的に救出された乗組員は重度に被爆しており、彼は巨大生物の襲撃によって艦が撃沈されたとの旨の証言を残し、息を引き取った。
果たして巨大生物は米本土に上陸。核物質を含んだ炎で都市を焼き尽くす。この未曾有の軍事的脅威に対抗すべく、米大統領は全世界の米軍基地から戦力を撤収、総力で本土での決戦に臨むと表明した。撤収、それは日本の米軍基地も例外ではなかった……。
空洞化する防衛戦力、混乱する世界情勢。その間隙をつくように、北朝鮮が日本に宣戦布告。米軍のいない日本は瞬く間に侵略され、自衛隊を指揮する内閣総理大臣、以下閣僚や官僚は国民を見殺しにして、各々諸外国に逃亡、亡命してしまう。世界は、そして日本の命運は……?
北米防空司令部(NORAD)の広大な作戦室は、静謐な深淵と化していた。
百台ちかいレーダー・コンソールがならび、駆動音をたてている。それをあやつる何十人もの要員が配置され、行き交っている。
地球上の空におけるあらゆる動静を監視し、人工衛星から一般の旅客機にいたるまで、あまねく飛行物体の一挙一動を把握。軍事用衛星ネットワークによりもたらされる膨大な情報が、正面の超大型スクリーンをはじめとした各種モニターに映し出されている。
かわらず構内はあわただしい動きと喧騒に満ちている。
にもかかわらず、作戦室どころか、NORADそのものが、まるで葬儀の夜のごとく暗く落ち込んでいるようであった。
事実、そうなのだ。
きょう一日だけで、いったいどれだけのアメリカ国民が死んだのか。民間人、軍人をあわせると、死者行方不明者は十万単位で数えられていた。その数は今後さらに増えるだろう。
わけても、重い喪失感がヒットリアの双肩にのしかかっていた。
NORADの廊下を、たったひとり、あてどもなくさまよう彼の姿をみても、合衆国大統領ジョージ・ヒットリアその人であるとはだれもわからないかもしれない。それほどヒットリアのようすは一変していた。
金糸を編んだようだった金髪は脂っ気をなくし、頬はこけ、目が異様に大きくなっていた。その青い目も、光がなく、現実を映していない。目の下は涙の跡で赤く腫れ上がっている。血色も悪く、肌はほとんど緑がかった色をしていた。
若さと力強さにあふれ、燃えるような使命感と信念、さらにはルックスのうえでも有権者から絶大な支持をあつめたヒットリア。
いまのかれは別人だった。人間というより、もはやミイラのような容貌だった。
ヒットリアの足は自動的に歩を進めていた。目的地があるわけではない。むしろいまは軍の最高指揮官として、作戦室に常駐していなければならない。声明内容の裁可や部隊移動の許可など、大統領がくださなくてはならない決定は無数にある。
それでもヒットリアは彷徨する。なにも考えることができないまま。
うつつと内面世界のはざまをたゆたう脳裡に、息子とすごした数限りない思い出がかけめぐる。
男ふたりで遠出して見た、グランドキャニオンの壮麗無比な夕焼けに釘付けになっているネロ。
フロリダの射場でスペースシャトルの打ち上げを見学したとき、全身に火薬がつまっているかのように大はしゃぎして喜んだネロ。
長じて空軍をめざし、念願かなってウィングマークを授与された、自信にあふれる美青年となったネロ。
息子の笑顔に亀裂が入り、粉々に砕け散った。
流して流して流しつくしたはずの涙がまた溢れてくる。寂寥感に胸が押し潰される。
広大かつ複雑なNORAD内の通路をふらつき、だれかとすれちがうたびになにかを問われるが、耳に入らない。
廊下のカーペットの色、通路の構造、じぶんの現在位置。すべてが無意味だった。
どうしてこうなったのか。そればかりが頭のなかを巡っていたのだ。
ヒットリアは大統領として命令した。怪獣の撃滅作戦には参加せずに哨戒任務にあたれと。わざわざ部隊の配置転換の命令書まで発行させたのだ。
だが、かれの息子、ネロ・ヒットリアは、その命令を拒絶した。
部下たちを引き連れ、戦場にむかった。
結果として、ヒットリアはひとり息子をうしなうことになってしまった。
最高指揮官の命令に違反したのだから、名目上はすべての責任をネロ・ヒットリアにかぶせることは可能だろう。
だが、いくら責任を追及しても、息子を亡くしたという事実は消えはしない。成人してひさしいとはいえ、子供の死、その悲壮はすべて親が背負わなければならないのだ。
大統領としてでも政治家としてでもなく、私人として、ひとりの父親として、ヒットリアは打ちひしがれていた。
なぜ息子が死ななければならなかったのか。
息子の性格を鑑みれば、意にそぐわぬ命令にしたがわず出撃することくらい、簡単に予想できたはずだ。だから監視までつけさせていたというのに、どうして息子は不帰の客とならねばならなかったのか。
しかも息子の遺体はない。怪獣の超々高熱の熱線により、搭乗していた戦闘機の機体ごと蒸発してしまったからだ。
ヒットリアは、最愛の息子と別れを惜しむことすらできないのだ。
行き着いたさきのやや開けた部屋は、休憩室であるらしかった。各社の自販機がならび、長椅子も用意されている。
職員たちの憩いの場所は、状況が状況だけにいまは無人だ。
そこが行き止まりということすらも理解できずに歩きつづけたヒットリアは、ウォータークーラーの角に足を引っかけ、ぶざまに転倒した。
起きあがる気力すらもない。埃に顔を汚して、なお倒れこんだままだった。
じぶんが倒れたということにすらヒットリアは気づかなかった。すべてに無関心だったのだ。
もっと気をつけていれば、もっとじぶんが賢明であれば、息子は死なずにすんだのだろうか。
じぶんが無能でおろかであったがために、息子は死んでしまったのだろうか。
いつまでそうしていたのだろう。時間の感覚をなくしたヒットリアにとって、何分なのか何時間なのかも不明瞭だ。もうどうでもよかった。
「大統領、こちらにおいででしたか」
聞きなれた声にも、ヒットリアは反応しない。音波に鼓膜が刺激されても、脳が認識しなかった。
声の主はヒットリアに歩みより、伏したままの大統領を抱き起こした。
天井の蛍光灯の光が目にしみた。
「大統領……」抱き起こした人物は重ねた。「皆が待っております。戻りましょう」
明順応していくと顔の輪郭がはっきりとわかりはじめた。チトー将軍だ。
ヒットリアがだれに言うでもなくさまよい歩いていたとて、スタッフが合衆国大統領を完全にひとりにするわけがない。
NORADにはいたるところに監視カメラが設置されているし、シークレット・サービスたちは影から大統領のようすを見守っていた。
だれもいない休憩室に転がっていても、チトーがその行方を知るくらい、テレビの予約録画よりも簡単なことだったにちがいない。
長年の盟友の、老いよりも強靭さが先にたつ顔が、ヒットリアをまっすぐに見据えていた。
視線に耐えられず、ヒットリアは目をそらした。
「すべてわたしのせいだ」
行き場のない感情の奔流が、意志とはうらはらに吐露される。
「わたしが力およばなかったために、数えきれない無辜の民が死に、優秀な兵士たちを死なせ、ネロも失うことになった」
将軍に抱かれたまま、ヒットリアは泣きじゃくるように吐き出した。
「すべてわたしの責任だ。たしかにあの怪獣があれほど強大だとはだれも予想できなかっただろう。だが民を導き軍を率いる者とは、想定外のことをも想定せねばならない。わたしにはそれができなかった。もっとすぐれた指導者の下にいたなら、あるいは彼らも死なずにすんだかもしれない。わたしが大統領だったがために、彼らが死んでいったのかもしれない」
懊悩は、溢れてとまらない。
「大統領になってアメリカをよりよい国家にしたいと、心から願っていた。いまもそう願っている。国の役に立ちたかった。全アメリカ国民が誇りをもてる、そんな歴史を作りたかった。だからわたしは大統領の座をめざした」
固くにぎった拳がふるえる。ふと、その力が抜ける。
「わたしにとってそれは、分不相応な願いだったのだろうか?」
じっと耳を傾けていたチトーが、口を開く。
「あなたは国民の民意によってえらばれた、正当な国家元首です」
ひとことひとことを、噛みしめるように話す。
「現代では英雄と語り継がれている人物も、最初から英雄だったわけではありません。ナポレオンはたまたま革命さわぎのなかで宝くじをあてただけ。独立をめざしたジェームス・ワシントンにいたっては、祖国から反逆者と謗りをうけました。ですがふたりとも民衆を強く鼓舞し、指導者として、英雄とよばれるまでになったのです」
「なにがいいたい」
ヒットリアは顔をそむけたまま反駁した。チトーが間を置いて、語りかける。
「そのときにふさわしい者がちょうどよく居合わせることなど、まずありません。たまたまその場に居合わせた者がふさわしい者になるしかないのです」
ヒットリアは電撃を浴びたようにチトーの顔にふりかえった。チトーの深いしわが刻まれた顔は無表情で、むしろ渋面でさえあったが、その瞳の奥に、やわらかい光が宿っているように見えた。
「ですから今は、あなたで我慢です」
およそ冗談というものを極度に苦手とするチトーにとって、せいいっぱいの諧謔のつもりだったのだろう。齢六〇を超える百戦錬磨の老将が懸命に冗談をひねりだしたと考えると、ヒットリアは吹き出しそうになった。
ヒットリアははっとした。いま、笑みを浮かべようとしたのだ。まだじぶんには、笑うだけの余力が残されているのだ。
「ここで大統領の座を放棄することこそ、神の国へ旅立っていった同胞への最大の裏切りです。さあ、立ってくださいヒットリア」
チトーはあくまで真摯に言った。
「いまあなたが大統領としての責務を果たさなければ、世界中の親が、愛する子供を失うことになるのですぞ」
老将がヒットリアを見下ろす。その表情には、職業軍人としての誇りと、高潔な使命感とがあった。
かれはまだ、あきらめていないのだ。
部下があきらめていないのに、最高指揮官があきらめるわけにはいかない。
「わたしを見捨てないのか? こんな愚かなわたしを?」
「決して」
将軍が立ち上がり、大統領に手を差しのべる。
ヒットリアはその手をにぎった。チトーも強くにぎり返した。
引っ張られるように立ち上がる。
じぶんの足で立つヒットリアを見て、チトーがうなずく。
ヒットリアもまた、うなずき返す。
大統領が歩き出した。先刻の彷徨のときとは足取りがちがう。一歩一歩を踏みしめ、弾丸のように通路を進む。
そのうしろを、チトー将軍がつき従う。
「マンハッタンにて調査していた生物学者が到着しています。あの怪獣にかんする一定の分析を終えたとのこと」
「聞こう。あてになる分析であることを祈ろうじゃないか」
「まったくです。かなりの変人と聞いていますが」
「まともな人間では、あの怪獣の調査などできまい」
状況そのものが好転したわけではない。困難の数は海の砂よりも多い。
だが、なにが立ちはだかろうと、最後まで闘わなければならないのだ。われらがアメリカの市民たちに、じぶんのような痛惜を与えるわけにはいかぬ。
ふたりは一路、作戦室をめざした。
◇
以前ディスカバリー・チャンネルでここNORADの特集が組まれたさい、『まるでディセプティコンの秘密基地のよう』と表現されたものものしい連絡通路をぬけ、二重の防弾ガラスの自動扉から作戦室に入る。
全軍の司令室となっている作戦室では、最先端の電子機器に席巻されたなかで、通信士たちがヘッドフォンをかぶり、制御卓をいそがしく操作していた。いっぽうの壁にはガラスでできたマップ・テーブルがあり、そこには怪獣の現在位置が表示されている。
マヘンドラ国防長官は、マップ・テーブルに輝点として表示された戦況を仁王立ちして追っていた。その横顔には、忸怩たる思いも、被害が拡大していることへの憤懣も見られない。冷徹な表情は、荒涼とした永久凍土をおもわせた。
ヒットリアは、一瞥しただけで、どことなく、マヘンドラがNORADのスタッフに対し、大統領が不適任であるということを印象づけようとしていることに気づいた。いまだけではない。マヘンドラはこの怪獣騒動がおこった端緒から、ヒットリアの名を有名無実のものにしようと画策してきたのだ。
さて、それは現実に効果をあげつつあった。マヘンドラ国防長官の野心はヒットリアもうすうす勘づいている。
要職を歴任し、議員でもないのにこれほどの権力を着々と手にしているところをみれば、彼がさらなる目標をめざしていることはあきらかだ。
マヘンドラは大怪獣の襲来というとびきりの危機を利用してヒットリアを蹴落とし、二十一世紀のエドガー・フーヴァーとなるつもりなのだ。
「なぜ、あんな男を重用なさるのです。寝首を掻こうと虎視眈々とねらっている男ですぞ」
チトーがヒットリアにだけ聞こえるようにささやいた。
「あれの人脈は惜しい。むこうが野心をもっているならそれをうまく利用させてもらうだけさ。すくなくともあれの損にならんかぎりは役に立ってくれるだろう」
そうは言ったが、ヒットリアは自信を失いはじめていた。
マヘンドラは奸物だが、状況分析と冷酷さには一目おくところがある。
人格的には唾棄すべき人間だ。しかし、このような危機的状況においては、氷の意志をもてる策謀家こそ指導者として適任なのではないか。
ヒットリアは小さくかぶりをふった。作戦室を見下ろせる階上から、手すりに手をあずけ、口を開く。
「状況を」
「目標は現在、ヤングスタウンに到達。なおも西へむかい侵攻中」
ニューヨークに上陸した怪獣は、米軍による一大防衛戦を完勝に近いかたちで突破したのち、正確に真西に針路をとって進撃していた。
ヤングスタウンはペンシルバニア州を越えてオハイオ州に入ったところにある都市だ。五大湖のひとつ、エリー湖のすぐ南にある。
「偵察機を目標へ接近。最大望遠で映像をメイン・モニターに回します」
無人機を操作していたオペレーターがレーダーを見ながら操縦桿を動かす。
作戦室正面にあるいちばん大きな画面に映像が入力される。
闇のなか、さらに暗い暗黒のかたまりがうごめいている。
解像度と明度をあげると、おぼろにシルエットが判然とした。
闇夜に覆われた街を、異形の巨竜が進んでいく。四本のたくましい脚が家々や道路を踏みつぶし、立ちはだかるビルを装甲された腕で薙ぎ払う。
ときおり起こる爆発の炎が夜空を赤く染め上げ、怪獣の巨体をまがまがしく浮かび上がらせた。
四足獣と人間、古代の恐竜を足して三で割ったような魔獣がそこにいた。
ヒットリアは、いまさらながら現在時刻が真夜中であることを知った。朝からこの地下要塞にこもりきりだったので、時間が完全にわからなくなっていたのだ。
モニターに釘付けになっていると、背中に水を浴びせられた。
画面のなかの怪獣が立ち止まり、こちらを向いたのだ。
怪獣の爬虫類に似た顔が、はっきりと無人機を、カメラを通した作戦室の面々を見据えていた。悲鳴をあげた者も一人や二人ではなかった。
怪獣の胸部から、なにかが飛び出した。
それは空中を自力で飛翔し、辷るようにして接近してくる。
暗夜を凝縮させたように黒いそれは、漆黒の翼をひろげ、飛燕のごとく無人機へ迫る。
両翼にかかえたプロペラのエンジンから流れる青い排気炎が二条の鬼火を描き、どことなく不気味で、幽玄なまでに美しかった。
双発機の機首に閃光がまたたき、鋭い光が画面へむかい殺到してきた。
曳光弾だと思いあたった直後、モニターが暗転。荒い砂の粒子に覆い尽くされた。
「いまの機体はなんだ?」
チトーがだれにともなく質した。
「おそらくですが、あれはJ1N“月光”と思われます。大戦中に日本軍が運用していた夜間戦闘機」
映像を巻き戻して確認していた士官のひとりが答える。
「夜戦用戦闘機は、夜行性というわけですな。いやぁ、じつに興味深い」
聞きなれぬ声にヒットリアとチトーが同時に振り向く。
関係者以外は神さえ入れないはずの扉をぬけてきた声の主は、白衣を着た男だった。
人間はだれか初対面の他人を見たとき、ありとあらゆる記憶のなかから最も近似した印象を導きだす。
ヒットリアがその男を見たときの第一印象は、マッド・サイエンティストだった。
「どうもはじめまして大統領。お目にかかれてまことに幸甚至極、いや、テレビで見るより八の十の六〇乗倍かっこいい。超クール!」
にやにや笑いを隠そうともしない白衣の男はヒットリアの胡乱な表情も気にせず手をとり、握手してぶんぶんと上下させた。あまりの遠慮のなさに、シークレット・サービスでさえ制止するのを一瞬忘れた。
ヒットリアが責めるような視線に男は、
「これはこれは失敬、わたしとしたことが。なにせ大統領と生でお会いできるなんて夢のようで。興奮がおさまりません。LSDが要るかな?」
一歩あとじさって、とうもろこしの髭のようなもじゃもじゃ頭を罰の悪そうにぼりぼり掻いた。
「あ、でもいちおう、大統領選のときは、ヒットリア候補に入れさせていただきましたよ。ネット投票で。外に出ずに選挙ができるなんて、いい時代になったもんですなぁ」
肌が白を通り越して蒼白い男はひとりでまくしたて、肥えた腹をゆすった。
年格好は、三十にも四十にも五十にも見えるが、無邪気な笑顔は子供のようだ。
みなが不審に思っていると、いましがた白衣の男が入ってきたガラス扉から、サラザール首席補佐官が息を切らして飛び込んできた。
首席補佐官は大統領らに侘びながら、男を紹介した。
「分子生物学の第一人者、アーサー・パパキリアコプーロス博士です。救助団に同行してもらい、ニューヨークで怪獣の破壊痕を調査していました」
「アーサーと呼んでください。名字のほうがお好み? けっこう。でもパパキリアコプーロスと発音するのはめんどくさいでしょうから、パパでもいいですよ。パパ、パパ。さあどうぞ」
アーサー博士は世界一おもしろいジョークを言ったかのように笑いながらかたわらのサラザールの肩をたたいた。サラザールが恨みがましい目をしていても気にしない。
「ひとりで勝手に歩くなと言ったのがきこえなかったのですか、アーサー博士。へたをすれば射殺されていても文句は言えないのですぞ」
事実、シークレット・サービスたちは懐に手を入れている。
「まあまあ、固いことは言いっこなしですよ。いまこそ科学が政治に必要とされている。科学がリアルタイムで国の役に立てるなんて、科学万能の現代でもなかなかないことです。足が早くなるのも必然的な論理的帰結というやつで」
博士ひとりが、緊張とは無縁に笑っていた。
ヒットリアが渋い表情のまま咳払いをした。
「はじめましてアーサー・パパキリアコプーロス博士。ジョージ・ヒットリアだ。歓迎のパーティーをしてあげたいのはやまやまだが、きみもわかっているとおりの事態だ。きみがここにきたということは、あの怪獣に関してなにかわかったことが?」
アーサー博士が親指を立ててうなずいた。
「実地調査は研究者の華ですからね、よろこんでやらせていただきました。ニューヨークなんてビルばかりでつまらない街だと思ってましたが、いまでは一転、新発見と情報のポロロッカですよ」
博士は妙にエネルギッシュな動きで作戦室へ下り、たまたま近くにいた士官に声をかけて、
「すまないけど、このカードに入ってる画像をモニターに映るようにしてくれないかな? 雑用をおしつけるようですまない。あ、チップはないんでホワイトハウスのツケで」
ストレージ機器のようなものを手渡した。
士官は表情を変えずに顎を引いて了承した。
ややあって、スクリーンのひとつに幾何学的な図形が躍りだし、画面が切り替わって、膨大な数のファイルが表示された。
「われわれ研究チームは、あのモンスターと軍隊がドンパチやりあった痕をあらゆる側面から観測しました」
博士が指示し、ファイルのひとつが開封される。
「おさらいするとあのモンスターの体高は一五〇メートル、頭部から尻尾の先までの全長は二六三メートルとなっています」
作戦室じゅうの人員の目が画像に広げられた画像に集中する。
コンピュータ・グラフィックスで描画された、大怪獣の全体像だった。
「まずこの大きさですが、どうしてこれほどの巨体が成立しうるのか、ぶっちゃけ物理的にも構造学的にも不可解です」
「どういうことだ?」
「怪獣映画には、身長五〇メートルで体重何万トンとかいう、けたはずれな巨体をもつ生物がよく出てきます。が、現実にそんな巨大生物をもってきても、自重で崩壊してしまいます」
博士はどこからか引っ張ってきたホワイトボードにマジックで図形を書きはじめた。ヘロイン中毒者のように線ががたがただ。外宇宙の邪神が使う呪いの言語かなにかにしか見えない。
「たとえばこの正方形ですが」
あれが正方形かとヒットリアとチトーは顔を見合わせた。
「二次元の物体は、それぞれの辺を二倍にすれば、面積は二倍になります」
白板の正方形の横に、ひとまわり大きな四角形が書かれた。
「なんだ? 算数の授業でも始める気か?」
マヘンドラ国防長官の横槍を無視して博士が続ける。
「しかし三次元上の立体では、各辺を二倍にすると、体積は八倍、つまり三乗になります。体積とはすなわち体重になります」
描かれた大小の立方体は、小さいほうに一立方メートル、大きいほうには八立方メートルと殴り書きしてあった。ヒットリアにもわかりはじめた。
「筋力は筋肉の断面積に比例する。だが、単純にからだの大きさが二倍になれば体重は累乗倍に増加する。そのためある一定以上の大きさを超えると、体重の増加に骨格の強度や筋力の増大が追いつかなくなる。そういうわけか?」
博士が首肯した。
「たとえば昆虫のような外骨格動物は、外骨格の重量ゆえにさほど巨大化することができません。ウェータというカマドウマの仲間が、いまのところ昆虫としては世界最大ですが、せいぜい大人の掌にあまる程度です。このあたりが外骨格動物の限界なのでしょう。これも外骨格の重量に筋力が耐えられなくなるからです。タカアシガニなんかは脚を広げれば三メートルくらいにはなりますが、重力の影響を受けにくい水中に住んでいるからこそ可能な体です。地上にあがれば、タカアシガニは立つことさえできません」
「外骨格動物より巨大化にむいた内骨格動物ですら、地上棲のものはアフリカゾウの体高四・五メートル、体重十一トンが最大だ。これ以上は重力にはばまれて大きくなれないというのが、生物学的な結論だな」
「しかし、古代にはもっと巨大な生物がいたのでは? 昆虫にしろ動物にしろ、いまよりはるかに大きかったと聞く」
チトーが質した。
「もしかして、メガニウラとか、ウルトラサウルスとかのことを言ってます?」
博士はいたずら好きな子供みたいな笑みをたたえた。
「あの時代は、いまとは大気の組成が違ってましたからね。具体的には、酸素の濃度がかなり高かったといわれています。酸素濃度が高ければ、一回の呼吸でより多くの酸素をからだにとりいれることができます。それで巨体を維持できるというわけです。そんなわけで、ジュラシックパークみたいに遺伝子工学で現代に恐竜をよみがえらせたとしても、酸素がたりなくて、成長する前に死んでしまうでしょうな」
ヒットリアは椅子に腰を深く沈めた。
「しかし、現にやつはその巨体を成立させていますし、高速で泳ぎ、さらに陸上でも遜色ない活動をみせています。地球に生命が誕生して三十五億年。あのモンスターは、その歴史のいずれの系譜にも属さない、まったくの異物です」
「ではエネルギー源はなんなんだ?」
そう詰問した直後、ヒットリアの表情に思考の閃光が走り、自身で解答を導きだす。
「だから原潜や原子力空母の核燃料を……」
ヒットリアは、大西洋での二回にわたる海戦で、怪獣が原子炉搭載艦を優先的に狙っていたことを思い出していた。
「可能性としては、ゼロではないでしょうね。それがほんとうなら、あのモンスターは核物質を食料としていることになります。取り込んだウラン燃料棒の主成分であるウランを体内で核分裂させ、その熱を直接エネルギーとするか、あるいは発電した電力で生命活動をおこなっている。核分裂のエネルギーは武器としても使われます。それで熱線を発射してるんではないかと」
白衣のポケットからとりだしたレーザーポインターで指し示す。赤い点がモニターの怪獣の体をぐるぐると回った。
「つまり、あのモンスターは、言ってみれば生きた原子力発電所みたいなものです」
「われわれと同じ世界の生物と考えることが、そもそもの間違いか」
「そんなばかな。核燃料を食べる動物だと? 常識で物をいいたまえ」
マヘンドラの非難に、アーサーは粘着質な笑みのままげじげじ眉毛を躍動させた。
「わかりませんよ。世の中には人間の常識にとらわれない生命がいくらでもいます」
小学生がそのまま大人になったようなはしゃぎかたで解説する。
「たとえばセキユバエの幼虫は石油のプールで育ちますし、海底の熱水噴出口には、摂氏三〇〇度の熱水にさらされながらわれわれにとっては猛毒の硫化水素を呼吸する動物がいます。イエローストーン国立公園では、温度九〇度、pH1の強酸性の湖で生きるバクテリアもいます。生命は、生きるためならなんでも利用します。核燃料もいちおう地球由来の物質ですし、それを有効に使える生物がいても、驚きはしますがわたしはそこまで意外とはおもいません」
博士が士官につぎの画像に移るように頼む。
「その仮説を裏付けたり裏付けなかったりする証拠がおひとつ。この写真は……」
一枚の写真が映写された。
巨大な陥没地の中心に、白衣姿の博士が降りたっている。穴の面積は、野球のダイヤモンドほどはあるだろうか。深さにいたっては人間ふたりぶんくらいはある。
写真のなかの博士は、「こーんなにおおきいんだよ!」とでも言っているかのように、両手をいっぱいに広げている。
「ニューヨーク近郊、戦場となった都市にあった、モンスターの足跡です。大きさもさることながら、ほら、すんごく深いでしょ。わたしなんか、降りたときにはすっころぶは、ひとりじゃあがれないはでたいへんでした。舗装されたアスファルトをこれだけ沈めるんですから、きっとそうとうな質量なんでしょう。重巡洋艦なみかも」
「この足跡がなんなんだ」
ヒットリアが怪訝そうに訊いた。
「この足跡を、化学的、生物学的に調査してみました。生物的汚染はありませんでしたがね、放射線の反応が検出されました。それも、そうとう重度です」
一同がどよめいた。アーサーは気にせず続けた。
「放射線がでているということは、放射線を出す物質がそこにあるというわけです。よもやニューヨークの地下十メートル内に使用済み核燃料を遺棄しているんならいざしらず、足跡に放射性物質の反応がでる生物なんて聞いたことがありませんし、考えたくもありません。まあ早い話が、アスファルトが放射化したんでしょうな。それで放射線を出すようになったんではないかと。ちなみに、放射線を測定してみたら、場所によりかなりのムラはありましたが、いちばん高いところで、おおよそ一時間あたり一〇〇ミリシーベルトほどありました」
ヒットリアやチトー以下、閣僚たちは、一〇〇ミリシーベルト毎時というのが多いのか少ないのか、どれほどのものなのか見当がつかず、反応に困った。
ようすを察した博士が補足した。
「だいたい普通に暮らしてて自然に受ける放射線の一年間の総量が二・四ミリシーベルトで、CTの撮影一回で多くても二〇ミリシーベルト。一時間で一〇〇っていうのは、原発のような放射線業務従事者が一回の緊急作業でやむをえずさらされてもよい限度ギリギリってとこですかね。多いか少ないかっていったら、文句なしに多いです。一般市民はまず立ち入り禁止にしといたほうが賢明でしょうね」
「馬鹿な!」
マヘンドラが声を張り上げた。
「アスファルトから放射線だと? ありえるはずがない。よしんばそうだとして、そんなに大量に放射能が出るわけないじゃないか。だとしたら、あの足跡に入ってるきみは、とっくに被曝しているはずじゃないか」
「してますよ」
博士はきょとんとした顔で、さも当然のように言った。全員が一瞬凍りついた。マヘンドラでさえ二の句を継げないでいる。博士はおどけたように、
「放射化なんて信じがたいのはわたしも同じですけどね、国防長官。科学的事実をお伝えするために、国家予算の穀潰しと名高いぼくらがわざわざ呼ばれたわけでして。その仕事にご不満があるようでしたら、どうぞほかをあたってくださいな」
ほかにいればの話ですが。そうつけくわえた。
マヘンドラはアーサー博士を指さしてどなった。
「この男を隔離しろ! 被爆が伝染るぞ!」
警備兵らは命令を実行に移すべきかどうか迷った。当の博士は両手を腰にあててかぶりをふった。
「あのねえ国防長官。日焼けして黒くなった皮膚をこすりつけて、それで日焼けが伝染するなんてことありますか? あんたが言ってるのは、そういうことです」
マヘンドラは歯をぎりぎりと噛みしめたあと、ゆっくりと訊いた。
「すると、じゃあなにか、きみは、放射性物質の有無を調べる前に、汚染の危険性を考慮せず足跡に降りたのか」
研究者にあるまじき軽率な行動だ、と続けようとしたマヘンドラに、アーサー博士はしれっと答える。
「もちろんしましたよ。でも足跡の道路が放射化している以上、街に入った瞬間、すでに被爆ならしていたでしょうからね。いまさら気にしてもしょうがないし、それならもうこのまんまでもいいか、と。なあに、研究者の体なんて実験台みたいなもんです。どうせこの先、子供を作る予定もありませんしね。あ、しまった! ぼくにはガールフレンドさえいないぞ!」
けらけら笑う博士に、みな半ば唖然とした。
「ああでもご心配なく。被曝は伝染なんてしませんし、シャワーも浴びてきましたし、わたし程度の汚染ならみなさんの体を放射化なんてしませんから」
「防護服は着なかったのか?」
チトーの問いにも、
「防護服ごときでは放射線はふせげませんよ。放射線を遮断したいならそれこそ宇宙服でも持ってこないと。防護服なんてのは、放射性物質が付着したときにさっさと服ごと捨てて、除染を少々楽にするくらいの役にしかたちません。あんなのただの雨がっぱですよ」
笑って手をひらひらさせた。
ひとりヒットリアが真剣な顔を博士へ向けた。
「アスファルトが放射化したといったが、ただのアスファルトが、怪獣が踏んだという理由だけで放射性物質に変質したということか?」
アーサーは、ええ、まあ、そうなりますねえ、とうなずいた。
ヒットリアは重ねた。
「あの怪獣に襲撃された原子力空母から奇跡的に救出された海軍パイロットも、全身が放射化し、苦しみぬいて死んだ」
「ええ、知ってます。おそらく――」
博士は自身のごわごわの頭をレーザーポインターでこんこんと叩いた。
「あのモンスター自体が、非常に強い放射能をもっているのでしょう。いわゆる誘導放射能というやつです」
ヒットリアの表情はいやでも険しくなった。
「つまり、あの怪獣に触れたものはそれだけで被曝し、奴が通った街はそれ自体が放射性物質と化し、汚染されるということか?」
飄々としていた博士の表情に硬度が添加された。
「現状から考察すれば、そのとおりです、大統領。奴は巨体で物理的に都市を破壊するだけじゃない、ただそこに存在するだけで、土地と水を汚染します。街は人の住めぬ死都と化し、大規模耕作地へ侵攻すれば作物の育たぬ地獄の大地となります。今回の惨禍を生き延びれた人間も、恒久的な飢饉と放射性物質の混じった毒水に見舞われ、生存はきわめて困難なものとなるでしょう。しかし真に恐ろしいのは」
博士がそこで言葉をとめ、ヒットリアを見据えた。大統領は続きを促した。
「次世代の子供たちへの影響です。人体への放射線被害は累積されます。一度浴びて、時間が経過したら治癒するなんてことはありません。放射性物質や放射線を無害化する化学反応は存在しないからです。個人差が大きく、人体実験のデータなんてないんで一概には断言できかねますが、奇形や遺伝的欠陥を抱えて生まれてくる子供が増加する可能性は、大きい、と言わざるをえません。いわゆる遺伝病や、染色体の異常、とくに脳へ及ぼす影響は大きいです。発達障害、精神疾患、無脳症。正常な五体満足の人間が珍重されることになるでしょう」
その場に居合わせたものは、みな、通夜に来たかのように沈痛な面持ちになった。
「くわえて、あの核爆発級の主砲もある……もはやあの怪獣の存在そのものが核爆弾だ」
チトーのつぶやきに、博士が眼鏡をなおしながら頷く。副大統領が頭をかかえる。
「このアメリカが、人の住めない国になる、のか……」
「なにを大げさな。ヒロシマやナガサキだって、当時は百年先まで一木一草生えぬといわれたが、そんなことはなかった」
マヘンドラのばかばかしいとでもいいたげな口調に、とうとう博士が爆発した。
「ケタがちがいます! 原爆の放射線放出はたったの一回ですが、あのモンスターがいるかぎりそこでつねに核爆発がおこっているのと同義なのです。もはや歩くスリーマイルです。それに、死の灰で、大地も地下水も、河川や海、大気……あらゆる環境が汚染されます! たとえモンスターの進撃地点から数百マイル離れてても、農作物は作れなくなる……荒涼たる死の世界、です」
「アメリカが、死の世界に……」
女性秘書官が呟き、博士のほうをむく。
「それは、どのくらいの期間に渡るの? 五十年、いや百年?」
自分の予測がオーバーなものであってほしいという、懇願のような表情が浮かんだ。博士に、おどけながら、いやいやそこまではいきませんよ、と返されるのを期待しているのを隠しきれない顔だ。
だが、博士の老け顔には、神妙さしかなかった。
「それに関してはなんとも……。ですが、たとえば原発はウラン235の核分裂反応でエネルギーを発生させ、プルトニウム239を副産物として生み出します」
博士は大きく息を吐いた。
「プルトニウム、その半減期は、二万五〇〇〇年といわれています」
秘書官は息を呑んで両手で口を覆い、残りの者もおのれの死刑の宣告を受けたかのような衝撃に打たれた。
二万五〇〇〇年。
いまの人類が紡いできた歴史よりはるかに長い、二五〇世紀ものあいだ、アメリカ全土が生物の生存を許さぬ黄泉の国となる。
「仮に、だ。仮に首尾よく倒せたとして、その死体はどうする。消えてなくなってくれるわけもあるまい」
「その地域はチェルノブイリのように完全封印するしかないでしょうね」
「しかし地下まで放射性物質の汚染が進んだら?」
「土壌だけでなく地下水脈は使い物にはならなくなります。永久的に子々孫々まで残る災厄となるでしょう」
「深きところよりやってきて、触れるものすべてを破壊し、死の吐息で殺戮し、放射線という名の呪いをかける。まるでヨハネの黙示録に登場する破壊者アバドンだな」
ヒットリアの述懐が室内に低くこだました。
全員が、怪獣の通り過ぎたあとの世界の風景を想像した。というより、いやでも想像させられた。
荒廃し、焼け爛れ、人のいなくなった街。青空は輝きを失って灰色になり、日の光は地上を以前のように眩しく照らすことはない。
その暗く澱んだ大地を、無数のしゃれこうべが虚ろな顔をして覆っている。
直接的な被害をまぬかれた地域も、放射性物質の魔の手が忍び寄る。
動物よりも放射線に対し抵抗力の強い植物は、痩せ細りながらも育つだろう。
だがそれは、放射性物質のたっぷり染み込んだ禁断の実だ。
人々は目の前に食物があるにもかかわらず、口にすることはできない。
そして、そんな数少ない食物を指をくわえて見上げているのも、衣服を着るということを知らず、頭部が異様に大きかったり、手足の長さがばらばらで、本数も多かったり少なかったりする奇形児ばかりだ。
成人はいない。この劣悪な環境下ではそこまで寿命がもたないからだ。
もはや人間とは呼べぬ、狂気の産物で地上は溢れ、やがて衰退していく。
それが数千年、一万年もつづけば、人類はおろか、地球上のほとんどの生命の灯火は放置された焚き火のように消えてしまうだろう。
「弱点はあるか」
「弱点ですか。弱点、弱点。……」
顎に手を添えて思考する。
「聞いた話じゃ、きょう一日だけでベトナム戦争を三回は繰り返せるほどの爆弾とミサイルを使ったとか。それだけ撃ち込んで死なないとなるとねえ。むずかしい問題ですねえ」
「ふん、たいした科学者だ」
マヘンドラの嫌みも道義的に聞こえなかったふりをする。アーサーにはほんとうに耳に入らなかったのかもしれない。
「われわれ有機生命体とは神経系や代謝機構がまるで違うと考えられますから、毒物とかはまず効かないと思っていいでしょう」
「BC兵器は無意味というわけだな」
「そもそも自身が強烈な放射能をもち、それに耐えていられるわけです。その手のものは使うだけ無駄でしょうね。水中の酸素を破壊する兵器とかがあるんなら別ですが」
ヒットリアも喉の奥でうなる。
「ほかになにがある?」
アーサーが注意欠陥性多動性障害の患者のようにおちつきなく体を揺する。
「現実に存在している以上、あのモンスターの肉体も原子や分子から成り立っているはずです。いかに頑丈であっても、肉体を構成する原子が融合してしまうほどの超高熱には、物理的に耐えられない」
「核兵器が有効ということだな」
マヘンドラが目をむいて立ち上がった。
「大統領、即刻、目標への核攻撃を進言します。わたしは北方軍司令官ほか、統合参謀本部の諸将と密に情報を共有していました。目標がアメリカに上陸してから、ずっと」
数年前のワシントンポスト誌に“アイアン・パンツ”と異名をつけられたマキャベリアンが繰り糸を引く。
「諸将との協議の結論は、目標にありったけの水爆をぶちこむことでした。さあご決断を」
立場をわきまえないマヘンドラの態度にさすがにヒットリアも眉を逆立てたが、つとめて冷静に耳をかたむけた。
「どのみち、戦車大隊や爆撃機による攻勢、レールガンの猛攻、それら通常兵器のすべてが無効化されたのです。ならば、残された手段は核しかないではありませんか」
「核攻撃というが、アメリカ本土でかね。それがどんな結果をもたらすのかわかっているのか。何万、何十万ものアメリカ市民が巻き添えになる。それだけではない。どれほどの放射性降下物がふりそそぐとおもう? みずから死を招き寄せるだけだ」
大統領の反論にも、マヘンドラ国防長官はまったく動揺しなかった。
「そうおっしゃると思っていましたよ。いいですか、このまま手をこまねいていては守るべきアメリカ国民が全滅してしまいます。こうして一秒なやむあいだに、どれほどの人命が失われていることか」
マヘンドラはよどみなく答えた。あらかじめ台詞を用意していたのかもしれない。
「大統領、重ねて核の使用を進言します。切り札は使ってこそ意味がある。使わずにただ座して死を待つより、できることをし、打って出るのが正義ではありませんか。正義をおこなうのにためらいがあってはなりません。怪獣を放置しておけば、とりかえしのつかない被害が出る」
高揚したようすで傲慢に言い放った。
「これ以上の間違いは許されません。これが最後のチャンスなのです。この決断を誤れば、あなたのご子息のような無意味な死者がふえるだけです」
さすがにこれは暴言だった。ヒットリアが椅子をはね除けて立ち上がり、
「それはいま関係ないだろう!」
長身のマヘンドラに詰め寄った。
マヘンドラも視線を泳がせた。一同のふたりに注ぐ目が非難の色を帯びている。
ヒットリアは顔をそらし、手近にある机に拳をたたきつけた。
「大統領、わたしも目標への核攻撃に賛成です」
チトー将軍が提言した。
「われわれの持てる火力はすべて通用しませんでした。このまま同様の防衛戦なり殲滅戦なり作戦を展開すれば、無為な戦死者がふえるばかりなのは必定です。ならば、あとは……」
言葉をにごすチトーに、大統領は判断を迫られた。
たっぷり五分は沈黙していただろうか。ふいに、大統領が天井を仰いだ。
作戦室の天井は岩肌がむきだしとなっており、空を見上げることはできない。
「神はいったいわれらの何をお試しになりたいのか。みずからの宿命を従容と受け容れよというのか。それとも身を切る覚悟で闘えと?」
一国の指導者の表情で思い悩む。
「百万を助けるために九十九万九九九九人を見捨てる。それが正しい決断だというのか」
だが、それ以上の方法を、誰も知らないのだ。
ヒットリアは思案のすえ、チトー将軍に命じた。
「至急、目標に対する核攻撃の方法を検討してくれ。想定される被害地域に軍を派遣して、市民の避難を支援させろ」
チトーはじっとヒットリアの目を見つめ、大統領が正気かどうか自分なりに確かめたあと、
「準備に時間がかかります。三十分ください」
命令を実行すべく室をあとにした。
マヘンドラがだれにも気づかれないようににやりと笑った。
「で……さもないことだが」
ヒットリアが長い息を吐いた。
「怪獣から出てくる戦闘機については?」
「あー、それも調べましたよ」
いつのまにやら仲良くなった士官とともにコンソールを操作していたアーサーが返事をした。アメリカ大統領が歴史的決断を下した現場に居合わせたというのに、まったく興味がないという風情だ。
「軍の人たちが、さっぱりわからん、とおっしゃるんで、わたしらのところへ回されてきました」
「わからんとはどういうことだ」
サラザールが代表して答えた。
「リビングストンやイーストオレンジで回収された敵機の破片などを調査したところ、航空機にもちいられる素材とは物質構成がまるでちがっていたのです」
「具体的には?」
「航空機の部品は、基本的にアルミや超々ジュラルミン、鉄などの金属が使われています。ですが怪獣が産出する戦闘機は……」
「はーいみなさんご注目」
アーサー博士の大きな声に阻まれる。
「これが例の敵機との戦闘のようすです」
正面モニターに、ニューヨークの地上部隊が敵機に対し応戦している動画が流された。歩兵らのヘルメットに搭載されたカメラが撮らえた映像を編集したものだ。
ゼロ戦だか紫電改だかいうレシプロ戦闘機が対空ミサイルに撃墜され、きりもみ回転しながら墜落してくる。
濃緑色の機体はなすすべもなく落下。惰性でアスファルトの上を滑り、カメラの目の前で停止した。
横たわる機体にカメラが近づく。
ミサイルは機体の腹を大きくえぐっていた。人が余裕で入れ込める穴から、赤黒い液体が間欠泉のごとくほとばしる。
カメラのレンズにも飛び散って、画面が真紅に染まった。
ヒットリアは最初、オイルか燃料だろうと思った。直後、違和感を覚える。
オイルや燃料にしては赤すぎる。これほどに鮮やかな赤は、まさか……。
アーサーがなんでもないように口を開く。
「これはですね、血液です」
作戦室がざわめく。
「信じられないことに、あの飛行機は血を流すんですね。ふしぎです」
映像は続く。
レンズの血を拭き取り、なおも撮影する。
機体の穴からはとめどなく溢れる血潮とともに、ぬめぬめと光る肉塊が押し出されてくる。
太い腸管に、赤紫いろの巨大な肝臓だった。胆汁だろうか、汚ならしい緑色の粘っこい液体にまみれている。
あまりの陰惨さに、作戦室の幾人かが顔をそむけた。
博士だけが超然としていた。
「見ました? いやー飛行機から血やら内臓が出てくるなんて、もう生物学とかどうでもよくなっちゃいますね」
モニターに元素記号が列挙される。
「敵の飛行機の残骸、いや死体とでもいいましょうか。それの構成物質は基本的に水素と炭素を中心として窒素、酸素、燐、硫黄などなど。さらにタンパク質やアミノ酸、多糖類といった生体高分子となって形成されています」
無数の元素記号が複雑に絡まりあい、さまざまな立体を形作っていく。最終的に、いまわしきレシプロ機の機体へと昇華した。
「つまり、あの飛行機どもは生き物なんです」
アーサー博士は年齢不詳な顔を生き生きと輝かせた。
「サンプルを超特急で調べました。エキサイティングでしたよ。ゼロ戦の部品からは、デオキシリボ核酸、つまりDNAまで採取できたのです」
その場のほぼ全員が博士の話についていけず、異論のひとつさえも出なかった。ヒットリアとて情報を頭のなかで整理するのにせいいっぱいだった。
「DNA鑑定なんて本来は二、三週間くらいかかるんですがね、一部は解読できました。結果、ある生物と酷似した塩基配列をしていました」
「なんだね、その生物とは」
有益そうな情報にヒットリアが食いつく。
博士は心底たのしそうにもったいぶっていたが、チトーの鋭い視線に射すくめられ、あまり調子にのると抹殺されかねないと悟った。深呼吸をしてから回答した。
「人間です」
ヒットリア、チトー、マヘンドラ、サラザール、以下全員の顔から、表情が消えた。博士はつづける。
「遺伝情報だけじゃない。電子顕微鏡、質量分析、中性子放射線照射分析、ガスクロマトグラフィー検査、生体超分子複合体構造解析。それらすべての検査結果があるひとつの答えを出しています。そう、あの古くさい戦闘機は、細胞レベルで人間であると」
「いったい、それはどういうことなんだ」
ヒットリアがなんとか疑問を口にする。アーサーから返ってきた答えは、しごく簡潔なものだった。
「敵は人間だった、ということですかね。それも、文字通りの意味で」