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十七  隣にひそむ悪意

 被害はさらに拡大、赤黒い炎が市街地のそこここから噴きあがる。

 東京は死都と化していた。

「日本の終焉を、こんな特等席で拝めるとはな」

 隣を飛びながらの、なげやりな金本の皮肉。バカでも言っていないと精神の均衡が保てない。浅間も返しておく。

「どうせなら、観る側でなく、参加者になってみないか? いまなら命が十割引きの特別福利厚生もついてくるぞ」

「けさの新聞広告に載っていたんだが、ビキールをこの世から除隊させたやつに、ミカン一年分進呈という素敵な企画があるらしい。ビキール自身も応募してみたらどうだ?」

「おれがやったら、一年分ミカンもらっても食えないことになるだろうが」

「心配いらない。おれたち三人で、むかしビキールといういい人がいたよねなんて嘘臭い涙を流しながらおいしくいただく」

「噂には聞いていたが、よくこんな状況で減らず口が叩いていられるな。おまえらは、つねに喋っていないと死ぬ病気にでもかかっているのか?」

 シクリード1パイロットが呆れ、聞き耳を立てていた早蕨さわらび占守しゅむしゅが苦笑する。

「ポリプテルス1、こちらアマテラス。協議の結論が出た」

 空中管制機からの無線だった。声には苦々しさしかなかった。

「撤退だ。東京を放棄する」

 予想だにしない内容に、浅間はきょう何度めかわからない衝撃にうちのめされた。

「撤退だって」年若い早蕨が食ってかかる。「アマテラス、もしジョークのつもりなら、もうすこしうまいジョークにしてくれ」

「ポリプテルス3のいうとおりだ。そんな命令には承服できない」

 小松のF-15Jパイロットたちも早蕨と同調、アマテラスの提案を非難する。

「聞け!」

 無線機が音割れするほどのアマテラスの一喝に、荒鷲の乗り手たちが鎮定ちんていした。

「われわれに攻撃命令をくだせる総理がいない、国会や政府も空白状態、このような状況ではどれだけ待っても交戦許可はおりない」

 アマテラスの苦悩が無線ににじむ。

「いまわれわれがここにいてもできることは何もない。いちど撤退し、部隊を再編成して反撃の機会がくるのを待つ。貴機らの撤退は名目上、緊急時におけるダイバートとして処理する。これが自衛隊がシビリアンコントロールなしで行動できる範囲内でもっとも現実的な策だ。したがってくれ」

 ダイバートとは、航空機が本来の目的地とはちがう飛行場に着陸することだ。天候不順や機械的問題などで目的地を途中で変更することは、航空機の世界ではめずらしくない。これを利用して撤退しようというのである。

 無線が数秒間、不気味なほどに静かになった。アマテラスへの感情的な罵声も抗議もない。皆、ひとりの人間と航空自衛隊パイロットとの間で引き裂かれているのだ。

 牟田口と同様に国民を見捨てて逃げるなど、したくない。

 だが、この場にとどまったところで自分たちができることはなにもない。退いて戦力を温存することが合理的なのは確かだ。

「領土を爆撃されても反撃さえ許されず、逃げることしかできないなんて! それじゃ、なんのためにぼくらは、自衛隊は存在しているんだ」

 早蕨の悲歎こそ、まさに正鵠を射るものだった。

「これが、自衛隊なのか?」

 シクリード1パイロットが、これ以上ない苦々しさをこめた声でだれにともなく問う。

「戦後半世紀以上にわたり、敵をつくらず、ひたすら経済発展に邁進してきた日本という国の、果ての末路なのか!」

「ポリプテルス隊」浅間は断腸の思いで口を開いた。「アマテラスの命令にしたがうぞ。編隊を保て」

「リーダー!」

 早蕨が叫ぶ。

「逃げるんですか、こんなに北朝鮮のやつらに好き勝手されて! 戦うための兵器に乗っているのに、戦いもせずに尻尾を巻いて逃げるんですか!」

「パルマス、口をつつしみなさい」

 占守の鋭い声音が早蕨をたしなめた。

「わたしたちのなかでいちばんつらいのは、リーダーよ。リーダーのご家族は、この東京にいる」

 早蕨が絶句した。重い静寂がのしかかる。推力重量比が一・〇を超えるF-15Jに乗っていても、物理力をもって機体の重さが増したかのようだった。

 浅間としては、湿っぽく気遣われるのは好きではない。舌がまわるままに言っておかなければならない。

「結婚は人生の墓場だというが、妻帯者は大変だぜ。身内を優先したら、自衛隊のくせにと市民から大火傷をくらう。身内を後回しにしたら、カミさんに一生文句を言われる。男はつらいよ」

「ビキールよ、結婚した人間が離婚する原因で、なにがいちばん多いか知ってるか?」

 金本が心中を察したらしく乗っかってくる。

「そうだな。価値観の相違、浮気、性格の不一致といったところか?」

「ちがうな。結婚したからだ」

 浅間は鼻で笑った。最近はこの相棒も言うようになってきた。

 沈黙はかわらない。だが、すこしだけその湿度が軽くなった気がした。

「というわけだ。カミさんはおれが後でなだめる。この場は退くべきだ。ポリプテルス・フライト、復唱しろ」

「了解、ポリプテルス2、AWACSの指示にしたがい、撤退する」

「ポリプテルス4、撤退します」

 金本と占守が即答し、

「ポリプテルス3、了解。撤退します」

 ややあって早蕨も応じた。浅間はあることを思いつく。

「パルマス、おまえはまだエレメント・リーダーの資格はとっていなかったな?」

 空自では、戦闘機は二機編隊を最小単位として運用し、これをエレメントと呼んでいる。さらにエレメント二個の四機編隊をフライトと呼ぶ。

 二機編隊の隊長機を担当するには、エレメント・リーダーの資格が必要になる。金本や占守はエレメント・リーダーの資格を有しており、浅間はさらに四機編隊の編隊長たるフライト・リーダーの資格をもっている。

 早蕨はエレメント・リーダーの資格取得にむけ、勉強の意味もかねて、浅間が一時的にその位置につかせていたのだ。だが、この状況下で、経験不足の早蕨にそのままで飛べというのはいささか酷だ。

「パルマス、エンドリ、ポジションを交代しろ。パルマスがポリプテルス4、エンドリがポリプテルス3だ」

「了解」

「パルマス、しっかりエンドリについていけよ。なにがあってもエレメント・リーダーの後ろを離れるな」

「エンドリのケツなら、死んでもついていきますっ」

「あんたね……」

 首をめぐらしてうしろを確認すると、早蕨のF-15Jが減速して後退しつつ、占守のイーグルが上を飛んで、互いの位置を入れ換えているのが見えた。これでいい。占守なら的確な飛びかたで早蕨を導いてくれるだろう。

 浅間たちポリプテルス・フライトがアマテラスの提案にしたがうことを表明したのをうけ、小松基地所属のパイロットらも撤退に応じていった。

「で、アマテラス。どこに行くんだ?」

「千歳だ。状況から考えて、攻撃を受けている可能性がもっとも小さい」

「北の大地か」

「いまの時期に旅行するには、うってつけの場所なんだがな」

 浅間が言い、金本も賛意を示した。


 機首を北西に向けたとき、レーダーに反応があった。敵味方識別装置を点灯させている。味方だ。

 機体を左に傾けて下方に視線を落とす。

 街の上空を、一機の大型ヘリコプターが這うように低空飛行していた。前後に回転翼を装備し、深い緑と茶色の迷彩をまとっている。人員や物資の空輸などにもちいられる輸送ヘリコプター、CH-47Jチヌークだ。

「陸自のチョッパーか」

「AWACS、こちらコマシャイン01。いま市民を救出活動中だ。送れ」

 眼下のチヌークからの通信。コールサインはコマシャイン01というらしい。

「コマシャイン01、こちら空中管制機アマテラス。命令が出たのか」

「アマテラス、コマシャイン01。いいや。上官をぶん殴って、おれたちだけで来ちまった。送れ」

 浅間は一驚した。コマシャイン01パイロットは淡々と続ける。

「乗せられるだけ市民を乗せて避難させている途中だが、どこへ逃げていいかわからん。誘導してくれるとありがたい。送れ」

「貴官の軽率さを譴責けんせきするのは後にしておこう。アマテラス、了解した。われわれも千歳に撤退している。データをそちらに送信する」

「アマテラス、こちらコマシャイン01。了解。通信終わり……」

 コマシャイン01がその言葉を言い終わる直前、無線の背後から凄まじい警報が鳴り響いた。

「なんだ、これは、まさか……」

「彼我不明機から、レーダー波を照射されています。六時方向!」

 コマシャイン01の機長と副機長の緊迫した会話が漏れ伝わってくる。

「間欠から連続波に変わった。ロックオンされた」

「ミサイルに、狙われている!」

 ヘリ操縦士の驚愕と同時に、チヌークの防御装置が、まばゆい火の玉と、輝く繊維片のようなものを無数にばらまいた。赤外線誘導型ミサイルを欺瞞するフレアと、レーダー誘導型ミサイルを妨害できるチャフだ。

 対空ミサイルはかならずどちらかの方式で誘導されている。フレアとチャフを散布すれば、誘導の種類がどちらであっても、その目をくらますことができる。

 だが。

 はるか遠方から飛来した電信柱のようなものが、残像を描くほどの超高速で接近。

 弾幕にひとしいフレアとチャフに、それは目もくれなかった。白煙曳く細長い鉄の槍が、吸い込まれるように突き刺さる。

 CH-47Jチヌーク、コールサイン<コマシャイン01>に。

 機体後部に直撃したミサイルが爆発。うしろの回転翼が吹き飛ぶ。輸送ヘリの尻が火だるまになる。

「くそっ、被弾した!」

「貨物扉全損、中が丸見えです。避難民を乗せているのに!」

「オートローテーション……駄目だ、高度がたりないっ」

 つながったままの無線のなかで悲痛な声が交わされる。見る間にヘリが急激に降下していく。

 回転翼を失くした後部が下を向いた。

 ミサイルで吹き飛んだ断面から、人間が何十人もこぼれ落ちる。ここからでは米粒ほどの大きさしかないが、浅間には、かれらの恐怖と絶望に塗りつぶされた顔がはっきり見えた気がした。

 救うはずだった人びとが、塵芥ちりあくたのごとく叩き落とされていく。

 その光景を、浅間たちは呆然と見ることしかできなかった。

 姿勢が制御できなくなったチヌークは、完全に揚力を喪失。ほとんど垂直になり、見えざる亡者の手につかまれたように市街地へ墜ちていった。

「だれだ。だれがミサイルを!」

 早蕨の悲憤が無線機を貫く。

「アマテラスから各機へ。来るぞ。不明機は十二機。警戒せよ」

「いまのミサイル、フレアもチャフも効かなかった」

 浅間の感情は沸騰寸前だ。だがそれとはべつに、冷厳に分析している自分がいた。

「ビキール、ジャマー(欺瞞装置)も完璧じゃない。最近のミサイルは、カウンター・カウンター(対抗策への対抗策)も考えられてる。フレアはともかく、チャフはパルス・ドップラー・レーダーのような速度追跡に対しては効果が薄い」

「よく考えろローウェイ。北がそんな上等なミサイルやレーダーを装備していると?」

「リーダー、ボギーズ・タリホー。8オクロック、ロー」

 占守から、敵機を目視確認したとの無線。左後ろ、やや下を振り向く。

 まだ薄く残るミサイル・スモークの伸びている方角から、悪魔の戦闘機が接敵してくる。

 視覚がその映像を受像した瞬間、浅間の呼吸が止まる。

 F-15Jも戦闘機としてはかなり大型だが、それよりさらに大きい。なによりその機体は、芸術的なほどなめらかで流麗な姿をしていた。

 大型機首レーダーを搭載した機首は長く、前方下の視界を確保するため緩い『へ』の字に曲がっている。面積の広い主翼とあいまって、鶴が優雅に飛んでいるような印象をいだかせる。

 イーグルと同じくエンジンは二発。その間から、後方警戒レーダーを詰めたテイルコーンが尾羽根のように伸びている。

 灰色と暗い白の角ばった迷彩が、あくまでも実戦仕様であることを主張していた。

「ばかな」

 浅間の叫びは苦鳴に近くなっていた。

「Su-35“フランカーE”だと。そんなものを、北が持っているはずがない」

 言葉の意味することに、航空自衛隊の自衛官たちが硬直した。

 情報分析に長けた空中管制機の乗員らが、怖いものなしの金本と早蕨が、いつも冷静沈着な占守が、言葉もなかった。

 勇猛果敢なイーグルドライバーたちが、声もなかった。

「最新型の、第四世代プラス・プラス機か……」

 アメリカが世界最強の制空戦闘機F-15イーグルを開発したのに対抗して、当時アメリカと世界を二分していたソヴィエトも、負けじと高性能な邀撃ようげき戦闘機をつくりだした。

 それがSu-27“フランカー”だ。

「たしか、タイフーンをつくったBAEシステムズがシミュレーションしたところによると、Su-27と、F-15Jの原型のF-15Cが有視界戦闘した場合、五分五分以下でF-15Cが負けるというが……」

「Su-35は、そのSu-27をさらに進化させた発展型だ。F-15側の勝率は、さらに下がる」

「それが、おれたちの目の前に十二機も揃ってやがるのか……」

 しかもこちらは攻撃することを禁じられているのだ。勝ち目などない。

 慄然としていると、十二機のSu-35は、機体を見せびらかすようにして浅間たちの左隣を航過。獲物をもとめる猛禽のように翼をひらめかせ、加速して飛び去っていった。

 垂直尾翼に、赤い星の朝鮮人民空軍の標識。

 さらに、部隊章なのか、見慣れぬエンブレムが並んでいるのが視覚に残った。

 黒い犬か、あるいは狐か。突き出た鼻面と尖った耳の飢えた四足獣が体をまるめ、ウロボロスよろしく自身の尻尾をくわえていた。

 その背中には、ある種の両生類のような、くし状のひれが広げられていた。

 背鰭をもつ異形の魔犬。

 大陸に古くからつたわる、鴣禍コカとよばれる妖怪だ。またの名を戦災センサイキザシともいい、この妖獣が目撃されると、治世が乱れ、大きな戦争が巻き起こるという。

「背ビレのある黒犬のエンブレム」

 十二機の魔鳥の勇姿を見送っていると、金本の述懐がとどく。

「噂には聞いたことがある。北に、カマクナラ中隊という督戦隊をかねた飛行隊がいると。まさか実在したとは」

「それに、機体がSu-35とはな」

 浅間も操縦桿を握ったまま答えた。

外側ガワだけのハリボテじゃないなら、最悪だ。最悪のうえに、わけがわからん。Su-35は最新鋭の超高性能戦闘機だ。本国のロシアでさえ空軍に実戦配備しはじめたばかりの新型だぞ。ユニットコストもバカ高い。北朝鮮なんかが中隊単位で買える代物じゃない」

「北朝鮮といえば、財政難から保有している兵器は朝鮮戦争やベトナム戦争時代のポンコツしかないってのが定説だったが、なにがどうなってるんだ。鉄のカーテンどころじゃねえぞ」

 突然の奇襲と空爆、そして最新鋭の戦闘機。事態が理解の限度をこえている。

 コクピットに拘束されたまま、浅間はSu-35の編隊が去っていった方角を見つめていた。

 そのとき、無線に介入する音声があった。

 ひどいノイズで、聞き取りにくい。

 同じ内容を何回もくりかえしているようだ。声色には痛切な響きがあった。三巡目で、逐語的ながらもなにを言っているのか理解できた。

 AWACSとF-15Jの乗員全員が、蒼白となる。


  ◇


 近く遠くに爆撃の音がこだまする。

 千人あまりの第1普通科連隊を、二〇〇人ずつの中隊にわけたうちの一個中隊。それに随伴して千代田区入りした栴檀せんだん三等陸佐は、被害の大きさに歯を食いしばった。

 倒壊した建物の瓦礫にまじり、人間の死体が無造作にころがっている。

 息をしているか確認し、すでにこときれていると分かるたび、心に亀裂が入った。

 またひとり倒れている。

 高校生くらいの少女だ。左半身を下にして側臥そくがしている。

 三佐という身分にもかかわらずみずから助け起こそうとして、栴檀は息を呑んだ。

 少女の左半身は、夏の制服ごと、猛火で炙られたように焼けただれていた。

 赤黒く焦げた皮膚は醜くゆがみ、頬は溶け、歯列がむきだしになっていた。目の周りの肉も縮み、眼球の大部分が露出。左目は今にもこぼれ落ちそうだった。

 白くなめらかだったであろう左腕も、焦げた焼き肉のように炭化。吐き気のする臭気をあげていた。

 あまりのむごさに栴檀は目をかたく閉じた。

「なぜ、こんなひどい仕打ちをうけなければならない?」

 独白がアスファルトに落ちた。

 すぐ横にもう一体、成人男性の亡骸があった。

 そちらの生死をたしかめた栴檀は首をかしげた。Tシャツに斑状に血痕がにじみ出ている。

 息はない。

 服をめくって検分してみてますます気色ばんだ。

 胸や腹にいくつもの穴が開いている。

 さながら蜂の巣だ。

 あきらかに銃創であった。

 かれは銃で殺されたのだ。だが、だれに?

「栴檀三佐、生存者です」

 遺体に掌をあわせていた栴檀は顔をあげた。

 ラップトップ型のコンピュータを操作していた部下だった。

 携帯型飛行体という無人偵察機で、瓦礫の山のむこうを探らせていたのだ。ラジコンほどの大きさしかないが、ちょっとした偵察につかえるので、陸自としては重宝している。

 普通科連隊は、足としてトラックや、日本版ハンヴィーともいうべき高機動車をもっている。

 だが、崩れた家屋が道を塞いでしまっていたりして、そういった車輛を乗り入れることができない。

 必然的に、生身の人間が足で前進しなければならなくなる。

 二次被害をふせぐためにも、無人機による偵察は必須だ。

 携帯型飛行体のカメラを通したラップトップのなかには、たしかに生存者の姿があった。

 まわりを瓦礫にかこまれたなかで、ひとまとまりになっている。十二、三人はいるだろうか。不安と恐怖に押しつぶされそうな顔の群れが、はっきりと映っていた。

「救出」

「了解。救出開始!」

 迷彩を着こんだ隊員たちが使命感に燃える顔で要救助者のもとへ向かった。

 そのようすを、栴檀らは携帯型飛行体の目を通して俯瞰ふかんした。

「みなさん、大丈夫ですか。自衛隊です。救助にあがりました」

 わっと声があがった。

 だが、それは歓声ではなかった。

「来るな、来るな!」

「来ないで。やめて!」

 恐慌と混乱が渦を巻く。

「はやく逃げろ。殺されるぞ」

 生存者たちは、皆からだのいたるところから血を流している。にもかかわらず、救助に現れた陸自の隊員にすがるどころか、悲鳴をあげて逃げまどった。

 まるで鬼でも見たように。

「待ってください、われわれはみなさんを助けにきたんです。もう安心です。われわれの誘導にしたがって……」

 隊員はその言葉を最後まで言いきることができなかった。

 生存者のひとりが投げたつぶてが、かれの頭部を直撃したのだ。

 手榴弾の破片をもふせぐ鉄帽に守られていたため、けがはなかった。

 だが、突然の予期せぬ反応に、中隊全員が物理的なもの以上の衝撃を受けていた。

「人殺し!……」

 隊員の目が一点にあつまる。

 呪詛の声をあげたのは、いま瓦礫をなげつけた人物。三十路くらいの女性だった。

 彼女の腕には人形のような小さい赤子が抱かれていた。

 その手足は生気もなく垂れ下がっている。すでに死んでいるのは一目瞭然だ。

「人殺し。あんたたちが殺したのよ!」

 隊員らは苦いものを飲み込んだ表情になった。

 国を守るのが自衛隊の存在意義だ。いまさらのこのこ現れてきたのでは、たしかに遅すぎる。

 もっと早く出動していれば、あの小さな命も救えたかもしれない。

 救えたはずの命を救えなかった。

 逆恨みだと切ってすてることはできない。

 われわれが死なせてしまったのも同然だ。救出チームも、画面の前の栴檀たちも、皆が自責の念にかられていた。

「おくれて申し訳ありません。われわれも最善をつくしたのですが……」

「来ないで、来ないでよ! なんでわたしたちが、自衛隊に殺されなきゃいけないのよ。どうしてわたしのひろちゃんを殺したのよ。どうして、どうして」

「お母さん、落ち着いてください。わたしたちは救助にきたんです。さあ、こちらへ」

 隊員が手を伸ばすが、

「さわらないで。さわるなっ!」

 母親は、はじかれたように飛びすさった。

「もうだまされない。そうやってみんなを一つところにあつめて、一気に皆殺しにするつもりでしょ。そうはいかないわ」

 女の目には疑心暗鬼。平凡な顔は凶相となっていた。

「あんたたちにだけは殺されてやらない。もう自衛隊なんて信じない!」

 隊員らはいよいよとまどった。突然の空爆で錯乱状態に陥っているのだろうと推測していたのだ。

 だが、なにかがちがう。

 認識に齟齬そごが生じている可能性がある。

 それがいったいなんなのか、見当もつかない。

 そうこうしているうちに母親は瓦礫を踏みこえ、姿を消した。子供とはいえ死体をかかえているのに、異様な身軽さだった。その後ろ姿には極限の必死さがあった。

 市民はだれもいなくなった。隊員らは途方にくれた。

「どうなってるんですか? せっかく助けにきたのに」

 画面を覗いていたひとりが栴檀に訊いた。

「わからないが、パニックになってるんだろう。いきなり戦場にほうりこまれたようなものだ。むりもない」

「そう……なんでしょうか。なにか違う気がしますが……」

 部下が首をかしげる。栴檀自身も疑問が晴れないままだった。

「とにかく市民の安全を確保する。殴られても蹴られても避難区域までつれていくぞ」

 どこか釈然としないものを感じつつ、隊員たちが了解と返す。

「ほかの中隊長、および連隊長との回線はつないだままにしておけ。定時連絡をおこたるな」

 無線機を背負った隊員に命じた。

 再編して点呼をとる。

 栴檀が異変に気づき、空を見上げる。

「どうかしましたか」

 部下の問いを手で遮る。

 耳を澄ませる。

 なんの音もしない。

「空爆がやんだ」

 栴檀三佐の言葉が迷彩服の間をすり抜ける。

 かれらの顔にあらわれたのは、安堵ではなく、緊張。

「やばいな、時間がない。くるぞ。いそげ」

 皆が返答のかわりに顎をひき、89式小銃を握りしめる。

 不気味なほどに静まりかえった死都を、日本の歩兵たる普通科が、影よりもひそかに、風よりもはやく走り出す。ひとりでも多くの命を救うために。


  ◇


 Tu-4“ブル”による面制圧の空爆で、市街地は一変していた。ほんの一時間前まで、そこには世界を代表する大都市があったはずだ。夜も眠らず娯楽をむさぼって消費する、欲望の都。

 だがいまは、見る影すらもない。

 あるのは炎と大量の瓦礫。

 そして、累々と横たわる死体。どれも損壊が激しく、ただの肉塊となっているものが多い。

 いっぽうで、生きている人間も少なからず存在した。生きているとはいっても、ほとんど死体になる寸前の負傷をしたものたちばかりである。

 かれらは、とつぜん降りかかった災厄にも挫けなかった。懸命に生きる道を探しはじめていた。


 男が、瓦礫に足を挟まれている女を発見した。

「大丈夫ですか。どこか痛むところは」

 女は、生きている人に会えた喜びで、すこし表情をやわらかくした。

「足が痛くて痛くて……ほかは平気なんですけど……」

 傷をたしかめた男は、声をあげて人をあつめた。

「いま助けてあげますからね、もうちょっとの辛抱ですよ。がんばって」

 男の号令に応じて、何人もの人間がぞろぞろと集合した。皆、無傷ではない。衣服は血と泥と煤にまみれている。

 長い鉄骨をふらつきながらも持ってきたのは、小学校高学年くらいの男の子だ。大人のひとりが、男の子から鉄骨をうけとる。

 女性の足を挟んでいる瓦礫の下に、鉄骨と、手ごろな石を噛ませる。梃子てこの原理で、岩壁のような瓦礫を動かそうとする。

 男の力強いかけ声とともに、ほかの人びとが直接、手で岩を持ち上げる。鉄骨を持ってきた男の子も、顔がゆがむほどの満身の力をこめて、助力に加わっていた。

 だれかを助けたいという皆の気持ちが通じたのか。いわおのような礫片と、女性の足との間に、わずかな隙間が空いた。

 それをのがさず、控えていたひとりが女性を引きずりだす。

 直後、瓦礫を支えていた鉄骨が負荷に耐えきれず、支点のところからへし折れてしまった。間一髪だった。

 人手をあつめた男が、かれらに礼を言った。そのあとで、助けられた女は、自分こそが礼を言わなければならないことに気づいて、皆に頭をさげた。彼女は泣いていた。感謝の涙だった。

 女性を助けた人たちは、誇るでも威張るでもなく、ただ彼女に体を案じる言葉をかけた。

 災害のただなかであっても助け合いの精神を忘れない、善良な人間たちだった。むしろ、ふだんは他人に無関心でも、こうした非常事態となると、根源的な人間性が表出するのかもしれなかった。

 立ち上がれないながらも、女は鉄骨を持ってきてくれた男の子の頭をなでた。男の子が口をほころばせ、白い歯をこぼした。

 そうした感動的な光景が、空爆地のあちこちで見られた。

「ほかにも、助けを求めてる人がいるかもしれない」

 女の救出を先導した男が言った。

「空襲もやんだみたいだし、もう危険はないだろう。いっしょに手伝ってくれる人は、ついてきてくれませんか」

 幾人かが軽く手をあげて賛意を示した。

「おれたちが勝手にそんなことやっても、いいのかな」

 ひとりが不安そうに口にした。

「そういうのは、警察とか消防とか、自衛隊とかにまかせたほうがいいんじゃ?」

「自衛隊がきてくれれば、それにこしたことはないですけど、くるまではわたしたちができる限りのことをするべきです」

 男は力説した。

「ほら、火事だって、初期消火がだいじだっていうでしょう。プロがきたらプロにまかせる。それまでの、つなぎですよ」

 信念の強さと正しさに、多くの人びとが頷く。

 誰何の声をあげながら、一団は墓標の街を歩んだ。死体をみつけるたび、だれかが胃のなかのものを吐いた。

 まるで黙示録の到来のごとき光景だった。すでに東京だけでなく、世界中が滅んでいるといわれても信用してしまいそうだ。

 小さな小さな音だった。

 みなが全神経を耳に集中する。

「こっちから聞こえました」

 背の高い男が呼集をかける。

 かれが指さしているのは、潰れた民家。かつては二階建てだったのだろうが、一階部分がへしゃげ、二階が一階となっているありさまだった。

 家というより木材の集積所と化した惨状。全員が口をつぐんで耳を傾ける。

 風の笑う音。

 それに混じって、人為的な音が這い出してきた。

 なにか硬いものどうしをぶつけている音だ。一定の間隔で鳴り続けている。

「ほんとうだ。だれかが閉じ込められているんだ」

 いうや否や、人びとは折り重なった柱やコンクリートの破片をどかした。

 はたして、そこには脱出不能者がいた。

 繊細そうな若い青年だ。線の細い青年は、右腕でなにかをかかえていた。身動きできないなか、空いた左手を使い、包丁の背中でちかくの瓦礫を叩いていたのだ。

 救出者をみて、青年が心底から安心したような笑みをこぼした。

 逆に、篤行の有志たちの顔には、絶望。

 さきほどの女性は足を岩に噛みつかれていただけだった。人力でもなんとかできた。

 だが、目の前の青年は、遠い。

 距離にして、目算で十メートル以上。

 さらに、破壊されて複雑に入り組んだ材木や構造物が、何重にもからまって行く手を阻む。青年の姿も、かろうじて顔がみえるというだけだ。

 かれを救出するためには、この大量の瓦礫をどかしてからでないといけない。それこそ、家一軒ぶんの質量を払いのけるくらいしなければ。

 とても素手で攻略などできるものではなかった。ウィンチやジャッキ、重機といった専用の装備がなければどうしようもない。

 考えあぐねていると、血涙がにじむような懇願。

「すいません、助けてください。妹がいるんです」

 みなが顔を見合わせた。ひとりじゃないのか?

 先導の男が覗きこむ。

 青年は折れそうな腕にかかえたまま、助けを求めた。

「妹が、けがをしてるんです。血がとまらない。もうかなり弱ってて……お願いです。ぼくはどうでもいいから、妹を助けてください」

 気弱そうな青年が、声のかぎりをしぼって哀願していた。

 よく見れば、たしかに青年はだれかを抱きかかえている。まわされた右腕のなかに、黒い頭髪が見える。

 ふいに、その頭がうごいた。昏睡状態の人間が意識を取り戻したように、救出者たちを見上げる。

 まだ幼い少女の顔には、死相が浮かんでいた。紙より白い顔で、かすかにほほえむ。

「お兄ちゃん、わたしたち、助かるの?……」

「そうだよ、助かる。きっと助かるからね。もう安心していいんだよ」

「お兄ちゃん、血がでてる……」

「たいしたことない。いいか、おまえはぜったい助けてやるからな、だいじょうぶだ、心配するな。おまえは、おまえの心配だけしてろ」

 瓦礫の底から、すすり泣く声。青年がふたたび人びとに顔をむける。鮮血にまみれた顔には、たいせつな者を救うためなら死すら希求する決意が現れる。

「お願いします、ぼくは妹を助けたい。でもぼくひとりの力じゃどうしようもありません」

 青年の嗚咽が地獄にこだまする。

「ぼくにはみなさんにお願いすることしかできません。助けてください……」

 声が弱々しくなっていく。ここからでは詳細はわからないが、青年自身も軽くないけがを負っているのだろう。時間がない。

 みな、ぜったいにこの兄妹を助けなければと奮起した。こんな善き人間は、こんなところで死んではならない。そんな世界はまちがっている。

 だが、立ちはだかるのは、数十トン、もしくはそれ以上の瓦礫。兄妹を育んできたのであろう家が、かれらを助ける最大の障壁となっていた。

 有志たちは途方にくれた。熱意と正義感だけではどうしようもないこともあるのだ。

 やはり、じぶんたちのような素人では、なにもできはしない。道具とそれを使いこなすプロがいなければ……。

 まさにそのときであった。

 重厚な靴音が響動どよもした。

 皆が体ごと振り返る。跫音きょうおんの主を映した瞳に、英雄を見つけた難民の色が浮かぶ。

 瓦礫を越えて現れたのは、暗緑と茶褐色の迷彩服。人びとが待ちわびた存在の到来だった。

 首から負い紐で小銃を提げた迷彩服たちが、つぎつぎと駆けつけてくる。二十人弱といったところだろうか。全員がそろいの小銃をもっていた。

 迷彩服たちは、小銃の左側に折り畳まれていた銃床を展開した。金属製の、直角三角形の枠で構成された銃床が、尻尾となって固定される。

 小銃の弾倉は、長い箱型で、バナナのように前方に湾曲していた。

 瓦礫を踏み越える半長靴は、黒く艶々と輝いている。まるで新品だ。

 人びとの目が、鋼の光から、強者にすがる弱者のものへと急速変換されていく。口々に助けを求める。

 救世主たちの表情は、微動だにしない。

「これで全部ですか」

 迷彩服のひとりが被災者に呼びかけた。

 どこかひっかかる言い方だが、難民代表の男は疑問を後回しにした。

「あっちに、女の人と、子供と、あと何人か。女性のほうは、足をけがして動けないみたいなんです。骨折しているかも。はやく助けてあげてください」

 隊長格らしき迷彩服は、男が話している途中で部下に首をむけて、

「つれてこい」

 と命じた。部下が走り去っていく。男は驚く。

「ちょっと待ってください。足を傷めてるんです。へたに動かしたりするのは」

「この場にいる人は、ひとまず集まってください」

 迷彩服は男の抗議も無視し、避難民たちを整列させた。

 男はいぶかしんだ。

「この家のなかに、ふたり閉じ込められてるんです。はやく助けないと、死んでしまうかもしれません。わたしたちもできるだけのことは手伝いますから、あのふたりを……」

 迷彩服は、応じない。

 期待とちがう反応に、市民はとまどう。

 男は、迷彩服たちの佇まいを観察した。鉄帽に包まれた顔は、目が細く、一重で、顎はえらが張っていた。しかし、違和感の正体がわからない。

 難民を眺める迷彩服のひとりは、小銃のグリップを握った状態で、銃口を上に向けていた。 小銃をかかえて、おちつきなく体を揺すっている者もいる。

 なんとなく、今すぐにでも撃ちたそうな様子に見えた。人びとは、気のせいだと自分に言い聞かせた。いいしれぬ不安と威圧感におされ、迷彩服のいうとおりに並ぶ。

 ひきずるような足音。

 くだんの女性が大人ふたりに肩をかりながら姿を現す。憔悴しきった顔には、困惑と苦痛があった。びっこを引いている。

 背後には、呼びにいった迷彩服がいた。男には、まるで逃げださないように女性らを監視しているように感じられた。

 迷彩服たちの前に、民間人が固められる。すでに全員が、かれらに不審感をいだいている。

「あのさあ」

 不満という感情がしたたるような声が響いた。みなが注目する。

 背の高い男だった。

「こんなことして、なんか意味あるわけ? 助けてくれっつってんだよ。いまにも死にそうなやつがいるんだよ。はやく仕事しろよ!」

 迷彩服の隊長格が、口の端をあげる。

 醜悪な笑み。みなを先導してきた男の思考に、電撃がはしる。

「あんた、うちの近所の、居酒屋の大将……」

「構え」

 隊長格は、まがまがしい三日月を描く口のまま、部下たちに命令した。

 二十人の迷彩服が、小銃を構える。銃口の先にいるのは、一般市民たち。

 疑問と憤怒の声も聞かない。

「レバー引け」

 ゲリラがもっているような小銃のコッキングレバーを引く金属の音が、市民の怒号をさえぎる。

「何人かは残せ。目撃者となってもらわなければならん」

 死刑執行の指令が、くだされた。

 迷彩服たちが構えていたアサルトライフル、AKS-74が火を噴いた。

 銃声、悲鳴、鮮血。

 先導の男や、背の高い男、ほか、何人もの市民が銃弾をうけた。みな、信じられないという顔をして、直後、両目の焦点がなくなり、崩れるように倒れた。

「なん、で?」

 長身の男が、血泡と疑問を吐く。

「なんで、自衛隊が、おれたちを?」

 そうつぶやいたきり、見開かれたままの双眸が、白く濁っていった。

 硝煙の匂いと絶叫が、瓦礫の大地を支配していた。

 隊長格の命令どおり、幾人かは狙われなかった。だが突然の事態に混乱し、また銃という圧倒的な暴力に恐怖して、迷彩服の集団に立ち向かおうとこころみる無謀な者はいなかった。

「けっこう残ってるな。まだ殺してもかまわんな」

 恬淡とした述懐に、生存者たちが青ざめる。

 隊長格がめぼしい獲物をもとめる。その細い目が、生け贄の姿を映す。

「これでいいだろう。殺せ」

 指さしたのは、左足が使えず、右足だけで体重を支えて立っている女性。たったいま処刑された男たちに助けられた女性だった。

「さっさとかたづけろ。仕事は山ほど残っている」

 無慈悲な宣告に、女性と、彼女に肩をかしたまま硬直しているふたりの男の全身が、震える。

 迷彩服たちは、ためらいなど微塵もみせずにアサルトライフルを構える。引金に指をかける。

 すべりこむ影。

 男の子が、女性の前に立ちふさがっていた。膝を震わせながらも、ちいさな両手をひろげ、世界のすべてを敵にまわすことも辞さない覚悟の表情で、女性を守っていた。

 緑と茶色の猟犬の狩りに、変更などあるわけがなかった。

 照準をなおして発射された直径五・四五ミリメートルのライフル弾は、音速の三倍ちかい高初速で飛翔。一気圧の大気を切り裂き、男の子の眉間に命中した。

 ライフリングで回転をあたえられた弾丸はドリルのように男の子の頭蓋を穿孔、やすやすと内部に侵入。衝撃波で脳味噌をかき回しつつ、反対側、後頭部の頭蓋骨をも掘削する。

 男の子の頭を、七四年式アヴトマット・カラシニコヴァの弾頭が貫通し、飛び出す。

 男の子は後頭部の貫通口から、凶弾と、脳味噌と脳漿まじりの血飛沫をふかせながら仰向けに倒れた。

 両手をひろげたまま大の字に仰臥ぎょうがした男の子は、白目をむいていた。

 幼いといっていい小さな子供の無惨な死に、女性が絶句する。

 迷彩服が構えなおす。

 発砲焔がまたたき、けたたましい銃声が叩かれた。

 フルオートの連射によるライフル弾が、水平の雨となって振りそそぐ。

 女性と男ふたりを、灼熱の殺意が呑み込む。

 三人は、悲鳴すらあげずに地に伏した。倒れたその体を中心に、血だまりが広がっていった。

「そういえば、このなかに人が下敷きになっているとか言ってましたが」

 迷彩服のひとりが隊長格に進言した。隊長格が瓦礫の奥を覗く。

 青年と、青年に抱きしめられている妹がいた。外の銃声と悲鳴にただならぬ気配を感じていたのか、緊張と恐怖に顔を強ばらせている。

 隊長格が部下に顎をしゃくる。

 意をくんだ部下が行動にうつす。腰から、掌にかくれる程度の大きさの球体を取り出す。

 地味な暗緑色の球体。環状の安全ピンを引きちぎるように外す。

 破片手榴弾の内部で、導火線に火がつく。もうその破壊を阻止することはできない。

 迷彩服が手榴弾を投げこんだ。

 身じろぎさえできないなか、兄妹の目の前に死の球体が転がっていく。ふたりの顔が、絶望色に塗りこめられた。

「あの世で仲良くな。死ね、チョッパリ」

 だれにも聞こえないようなささやきをのこし、隊長格がその場を去る。のこりの迷彩服たちもそれに倣う。

 数秒後、轟音。瓦礫の入り口から、砂煙が吐き出された。

 処刑人たちは姿を消した。生き残った人びとは、呪縛から解き放たれたように泣き叫んだ。

「どうして? どうして自衛隊がわたしたちを殺すの?」

「自衛隊なんて、やっぱりいざというときにはおれたちを助けてくれないんだ。旧日本軍みたいに、国民からなにもかも奪っちまう連中なんだ!」

 もはや理性も論理もない会話だった。前提としていだくべき疑問にすら、気づかない。

 ともすれば、眼前に倒れる死体とおなじ運命を歩んでいたかもしれないのだ。冷静になれというほうがむりだった。

 処刑人たちの気まぐれで生かされた十数人は、狂乱のままに感情を沸騰させる。

 自衛隊の格好をした人間に射殺されたのだ。すくなくとも、かれらには自衛隊に見えた。

 なにしろ鉄帽から迷彩服の上下、半長靴まで一式そろえていたのだ。どこからどう見ても、陸上自衛隊の隊員だった。

 一般市民には、AKS-74と、自衛隊のもつ64式小銃や89式小銃の区別などつかない。自衛隊がどんな装備を持っているかなど知らない。どれもこれも全部ひっくるめてライフルだ。怪しむものなど、いなかった。

 それは、最悪の結論を導きだす。

「ほかのみんなにも、教えてあげないと」

 純粋な正義感からの提案。目の前で、仲間が殺された。だからこそ、もうこれ以上犠牲を出すわけにはいかない。もう一度見つかったら、こんどこそ殺されるかもしれない。だが、じぶんの命おしさに逃げている場合ではないと、生存者たちの目が語っていた。

「教えてまわらないと。自衛隊がおれたち国民を殺してまわってる。自衛隊を信用しちゃいけない。自衛隊をみたら、とにかく逃げるようにと!……」


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