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十五  亡国のためのパヴァーヌ

 能登半島から日本海の北をにらむ輪島のレーダーサイトは、情報が錯綜し騒然となっていた。さきほど十二機のTu-4に領空どころか領土侵犯をゆるしたせいもあるが、それだけではない。レーダーがふたたび北方から日本海を南下してくる、国籍不明機の影をとらえたのだ。

「ベクター3-4-5より新たな機影の接近を確認。トラッキング(針路)1-1-9、速力二二〇ノット」

「数は」

「スタンバイ(待機せよ)」士長がレーダーの膨大な情報を読み取る。「不明機の数は五〇以上。送れ」

 管制室の隊員らがどよめいたのは一瞬だ。動揺するひまがあるならやることをやれ。みなが自分の仕事を遂行せんと努めていた。

「領空侵犯の可能性は」

「現針路維持の場合、二〇分で能登半島沖十二海里以内に侵入します」

 ちなみに、不明機群が来ている方向のベクター(方位)は3-4-5、つまり北北西である。不明機群の針路の1-1-9とはだいたい南東をしめす。

 北西から南東へ。つまりアンノウンらは、まっすぐ日本に向かってきている。それに今現在、ボーイングスキーの十二機が目下領土侵犯中である。新たな不明機群と無関係とは思えない。領空侵犯の意図は明確だ。

「領空まで何マイルか」

「あと六〇マイル(一〇五キロメートル)」

 速度からいえば、あと十五、六分で領空にさしかかる。

「通告の許可がおりた。通告を開始する。ポジション3-4-5の不明機に告ぐ。貴機は日本領空に接近しており、領空侵犯するおそれがある。すみやかに北に方向転換せよ。繰り返す……」

 二曹が英語で無線警告しているあいだも、士長はレーダースクリーンを見つめコンソールをせわしなく操作しながら報告する。

「通告終わり。針路等に変化はあるか。送れ」

「トラッキング1-1-9のまま、変針なし」

「現針路を維持すれば本土上空の領土侵犯の可能性大」

「領空まで二〇マイル」

 アンノウンが領空目前までせまる。

 二曹が部下らに指示する。

「佐渡のレーダーサイトと中空DCの蒼鷹空将補との回線を落とすな。小松からF上がったか確認しろ」

「スタンバイ」

 下知をうけたひとりが受話器をとる。表情にわずかな動揺をにじませて受話器を手で押さえながら二等空曹のほうを向く。

「小松ベースとの通信がつながりません」

 二曹が冷や汗を流しながら舌打ちした。

「呼び続けろ。付近を哨戒中のFは?」

「レーダーに該当機なし」

「インターセプトできんぞ。なんとしても通信系統を回復させろ。Fがあるならどこの航空隊でもいい。各基地との通信手段を模索しろ、最優先事項だ」

 やがて、レーダースコープを注視していた空士長が管制室にくまなく伝わるほどの大声をはり上げる。

「オン・マップ」

 薄暗い室内の喧騒がより激しさを増した。オン・マップとは、領空線上に不明機が達することだ。つまり、領空侵犯された瞬間である。

 一機めが領空に侵入したのにつづいて、後続が次々にオン・マップしてくる。領空線を見えない壁とするなら、不明機はそこに垂直にぶつかるように直線で飛行してきている。レーダー上に映るその機影の動きからは、日本の領空に侵入することにたいするためらいや迷いの類いの成分が微塵も感じられない。

「現時点での不明機のポジションと、本土上空到達までの時間を報告」

「ポジション1-0-1、領土上空侵入まで90セカンド」

 レーダー上では、雲霞のごとき多数の飛行体が能登半島の先をかすめるようにして、日本本土へ向かっていた。

「目標は領空侵犯機と判定された。サイトより通告を開始する」

 二曹がこんどは韓国語で退去勧告をおこなった。新たな侵犯機の国籍を確認したわけではないが、この場にいるだれもが、もはや確かめる必要もないと思っていた。

 同じ文言を二回繰り返した二曹が、

「目標、変針等ないか。送れ」

 極度の緊張で渇いた喉と口のせいでひどくどもりながら、部下が返す。

「トラッキング・ノーチェンジ(針路に変化なし)」

 二曹の顔に、現状を打破できぬことへの苛立たしさと、主権を侵害されているにもかかわらず、ただ無線通告しかできない自身の無力さへのくやしさが微量に浮かんだが、強靭な意志がそれらの表情を刹那で打ち消した。上司が動転するようすを少しでも見せれば、部下たちの士気にかかわる。ただただ、自分の役割を粛々とこなすほかない。

「貴機は日本の領空を侵犯している。ただちに退去せよ、ただちに退去せよ」


「目標、新潟県上越市上空に侵入。領土侵犯」

 こいつらもか。

「どこか基地と通信できたところはあるか」

「小松基地、依然として応答ありません」

「大滝根山分屯基地、通信不能。原因不明」

「あらゆる周波数で試せ。それと、大臣に緊急連絡だ」


  ◇



 レーダーサイトでは未曾有の数の侵犯機に上を下への大騒動となっていたが、下界といってもよい近傍の民間人はそれを知るよしもない。防空レーダーはレーダー波を阻害するもののない開けた場所、たとえば海岸線や山頂など、人里離れた辺鄙な立地をえらんで設置されるからである。

 輪島航空警戒管制部隊のレーダーサイトもまた例外ではなく、輪島市郊外の孤峰、高洲山こうしゅうざんの頂上より裏日本を睥睨している。白い球形をした特徴的なレーダードームこそ輪島市からでも遠望できるものの、陸の孤島も同然の施設でなにが起きているのかはだれにもわからない。

 ひとけのないしじまに満ちた峠道に、力強いディーゼルエンジンの騒音がこだまする。外界より隔絶された高洲山の隘路を、六輪の無骨なトラックが昇っていく。暗緑色の防水シートに荷台を覆ったその一台のトラックが、それこそレーダー以外はなにもない辺境の山を駆けていても、見咎める目はない。まず人がいない。いたとしても、そのトラックを見れば自衛隊の車輛だろうくらいにしか思わなかったはずだ。たしかに外見は陸上自衛隊で使用されている73式大型トラックに似ている。仔細に観察すればそれが本物の73式大型トラックではなく、市販のトラックをさもそれらしく改造したものであることがわかったかもしれない。だが山に来るまでの道中でトラックを見かけ、違和感をいだいた者は、すくなくとも民間にはいなかった。自衛隊のもちいる車輛について細部まで知悉している人間など、そうそういるものではない。

 だから、その73式大型トラックに似せたトラックは、なんの労苦もなく高洲山頂上のレーダーサイトにまでたどり着いた。

 巨大な球状のレーダードームが鎮座している足下にまでトラックは進んだ。基地警備隊の隊員が胡乱な表情をしながら手信号で停止をうながす。トラックは素直に停車した。

 予定にない車輛の来訪に戸惑いつつも近づいた隊員たち十数人の背に突如、氷塊が滑り落ちる。

 一般人には自衛隊車輛の真贋などわからないが、本職の自衛隊員であれば、程度の差はあれ判別がつくのはとうぜんのことである。トラックを間近で見た隊員らも、それが本物の陸自のトラックではないことくらいは一瞥した段階で解していた。

 だがこのトラックは、73式大型トラックではないのに、あたかも73式大型トラックに見えるような意匠がほどこされている。

 偽装している。

 なんのために。

 偽装は敵の目をあざむくためにおこなうものだ。隊員たちは、車輛が陸自のトラックにわざわざ似せてつくられているということを看破した。

 それゆえに、理解したのだ。自衛隊の輸送トラックに偽装してまで防空の要となっている空自のレーダーサイトに接近する、その明確な悪意を。

 警備の隊員たちが本能的な恐怖と敵意に身構えたのとほぼ同時に、トラックの後部から迷彩服が吐き出されるように下りてくる。

 隊員らはこんどこそ困惑した。車輛から下車してきたのは、迷彩服2型のうえに防弾チョッキ2型をまとい、88式鉄帽をかぶった男たち。

 まさしく陸上自衛隊の戦闘服装に相違なかった。日本の植生にあわせた柄の迷彩をほどこされた標準装備を、陸自と空自という所属のちがいこそあれ、見間違えるはずがない。それが荷台から次々と飛び下りてくる。その数、二十人以上。

 基地警備隊は一瞬、虚を衝かれたようになって、64式小銃や9mm機関けん銃をもつ手を硬直させてしまった。

 それは膨大な隙を相手に与えた。

 警備隊の隊員らが、陸自の戦闘服に身をつつんだ闖入者らが持っている小銃が、自衛隊で制式採用されている64式小銃でも89式小銃でもなく、旧ソ連のアサルトライフルAKS-74であることに気づいた。だが時すでに遅かった。先手を打った迷彩服の集団がカラシニコフの引金を引き絞り、けたたましい銃声が辺陬へんすうの山頂に響き渡った。

 静寂を荒々しく打ち破られ、木々の梢に休んでいた鳥たちがいっせいにはばたき、飛び立った。本能が狂っていなければ、かれらがこの山に戻ってくることは二度とないだろう。

 硝煙が霧のようにたちこめるなか、その場にいた警備隊十六人は物言わぬむくろと化していた。ただひとり、致命傷を負いつつも絶命にいたっていなかった隊員が9mmけん銃をぬき、口から血泡を吐きながら、死力をふり絞って銃口を襲撃者たちに向ける。

 見下ろす迷彩服たちは、彼と彼の仲間のしかばねにむけ、もういちど斉射をたたきこんだ。直径五・四五ミリの小口径弾が容赦なく肉を貫き、血を散らす。

 高初速の弾丸が末期の隊員の手首を貫通、骨ごと手をぶち切る。9mmけん銃を握っていた手が血潮を撒き散らしながら熱いアスファルトに落ちた。遊底に刻印された、桜に翼の紋章が血に濡れ、陽光を裏切るような赤黒い輝きを太陽に返していた。

 右手首を失った隊員は、全身に銃撃を受け、血だまりのなかで沈黙、微動だにしなくなった。

 襲撃者たちの前にあった警備隊の死体は、もはや人間の原型をとどめていなかった。

 それは、真夏の日射に照らされて真紅の光彩を放つ血の海に沈む、肉と臓物と糞尿を硝煙ただよう穴から漏らす皮袋にすぎなかった。

 見開かれたままの隊員たちの瞳には意思の光がなく、この世をも見ていない。うつろな濁ったガラス玉のようだった。

 生臭い血の臭気と硝煙のにおいが混ざりあい、あたりの空気を悪臭で汚す。

 弾倉のライフル弾をすべて使い果たした迷彩服たちが、弾の込められた予備の弾倉と交換する。特徴的なバナナ型弾倉を取り換え、薬室を目で確認。全員がさきほどの射撃で意図的に薬室内の一発を残していたため、初弾を送りこむ必要はない。いまかれらのAKSには、弾倉の三〇発にくわえて薬室の一発が装填され、いまかいまかと殺戮の出番を待っている。

 いっさいのよどみを排した、機械的なまでの一連の動作。

 装備の再確認をすませた迷彩服のひとりが、レーダーサイトを指差しながらなにごとかを同輩らに命じる。

 その言葉は、日本語ではなく、朝鮮語だった。みれば、かれらの顔はみな一様にえらが張り、目は一重で細かった。

 朝鮮語をあやつる陸自の格好をした者たち。一団は前々から周到に準備をかさねていたような的確な動きでレーダー施設に難なく侵入した。

 驚嘆すべき事実だった。防空をになうレーダーサイトの内部構造は国家の最重要機密であり、完全な非公開状態にある。それをかれらは迷いもなく奥へ奥へと進んでいった。まるで頭のなかに地図があるように。


「国籍不明機は依然針路をかえず進行中。送れ」

「官邸と連絡はついたか? 統幕と大臣とはどうなってる」

「通信が接続できません。使用可能なあらゆる周波数をつかって呼びかけをつづけています」

「中空DC、こちらモルミルス。通信ならびに指揮系統に乱れが生じつつある。現況を知らせ」

 二班にわかれた襲撃者の一班は、特殊部隊さながらに管制室に突入。レーダー情報を解析していた隊員らに驚きの表情をうかべるひまもあたえずにアサルトライフルを一斉掃射。有無を言わせず射殺した。

 レーダースコープをはじめとした電子機材に鮮血の飛沫が散った。

 偽装トラックが到着してからおよそ十分もしないうちにレーダーサイトは制圧された。あらかじめ内部の情報をつかんでいたとしか思えない迅速ぶりだった。

 べつの一班はレーダードーム内へと足を踏み入れた。球状のドーム内で、巨大なレーダーアンテナが回転していた。

 機械式の駆動音がドーム内部で反響し、空間は轟音に支配されていた。

 迷彩服たちはまえもって打ち合わせていたかのごとき遅滞なさで、回転式アンテナの基部に、拳大の粘土状の爆薬と、起爆装置を配置した。装置にはアナログの時計が顔を見せている。時限式は遠隔操作とちがって邪魔がされにくい。破滅への予約を完了したのち、すみやかにドームから退避する。

 管制の隊員らを皆殺しにした班と爆弾を仕掛けた班とが、施設の外、偽装トラックのところで合流。荷台へと乗り込み、なんの感慨も見せずに発車する。

 トラックが防衛道路から山の公道へ出たあたりで、起爆装置の時計の針が一周。てっぺんを指す。

 雷管が起動。瞬間的な衝撃に、トリメチレントリニトロアミン、いわゆるRDX爆薬を主成分としたプラスチック爆弾が覚醒する。

 プラスチック爆弾は、携帯電話ほどの大きさでもファミリーレストラン一軒を軽くふっ飛ばす威力をもつ。装甲などあろうはずもないレーダーアンテナが、その爆発に耐えることなど不可能であった。

 秒速八〇〇〇メートルにも迫る爆風が発生、レーダーの駆動部もアンテナも紙細工のように引き裂き、無意味な破片へと変貌させる。

 さらに、急激に膨張した圧力が逃げ場を失い、内側からドーム構造材を攻め立てる。

 レーダーのドームは、風雪からアンテナを守るためのものであり、攻撃からの防御力は皆無にひとしい。内部からならなおのこと弱い。

 レーダードームが、空気を入れすぎたサッカーボールが破裂するように爆発、四散。プラスチック爆弾に特有の橙いろの火炎を青空に描き、爆轟波が能登最奥の最高峰の木々を薙ぎ倒す。

 まがまがしい黒煙が昇る。

 それはまるで、戦いのはじまりを告げる狼煙のようであった。


  ◇



 浅間ら要撃部隊は、Tu-4編隊を囲繞いにょうしながら、依然として手を出せない状態のまま飛行を続けていた。

 霊峰富士を右手に遠望し、B-29の生き写したちは、いよいよもって東京に接近しつつある。

「このまま太平洋に突き抜けていったりしたら、ニュースのネタとしてはこれほどおもしろいもんもないだろうな」

 浅間の無線に金本が答える。

「領空侵犯されといてなにもできなかった役立たずの無能な空自って言われるのさ。なあに、いつものことだ」

 自虐的な笑いは、心の底に流れる願望を掬いとろうとするものにちがいなかった。じぶんたちがいくら批判の爼上そじょうに乗せられようがそれはかまわない。だれひとり傷つかずに事態が終息すれば、それに越したことはない。

「ぼくらが侵犯機をどうにかできないのは、ぼくらのせいじゃなくって、法律のせいじゃないですか。ひいてはそんな法律を通した政治家と、その政治家を選挙で選んだ国民のせいですよ。それをこっちの責任にされても……」

 早蕨が不満を洩らす。

「まあ一理あるが、空の上でそれを言っても始まらん。じぶんに銃を向けられでもしないかぎり、危機感なんてもんは持ちようがないだろう」

 アメリカと事実上の軍事同盟を結んだ自衛隊の存在そのものが他国の日本への侵略意図を事前に挫いてきたからこそ、日本人は日々安穏と過ごせてきた。周囲を中、露、韓、そして北という、日本と摩擦の絶えない国ばかりに囲まれていながらこれまで武力衝突にいたらなかったのは、それほど自衛隊のもつ抑止力が大きかったことを意味する。

 だが、なにごとにおいても、事件を未然に防ぐ者と、起こってしまった事件を解決する者とでは、後者のほうをより評価するのが人間だ。

「おれたち自衛隊が必要とされるときってのは、決まってろくでもないことになったときだ。それにくらべりゃ、おれたちが不要だのなんだのバカにされるくらいどうってことないだろ。国民ひとりひとりが深刻な顔して危機感にさいなまれてる国なんて、おれはごめんだ」

「でも、国は国民がつくるものです。国民主権なんですし、領空侵犯されて攻撃もできないなんて法がまかり通っているのを放置しているのは、主権者として無関心にもほどがあるんじゃないですか」

「おれも全国の有権者にアンケートとったわけじゃないし、無関心かどうかは知らないが、法律がそうなってるってことは、みんなそれでいいって思ってるってことなんじゃないか」

「そうそう、それが民主主義だもんな」

 金本が合いの手を入れる。浅間はコクピットのなかでそう言いながらも、本心では早蕨に共感もしていた。だが、それを口にすることはできない。内心を糊塗するように軽口を叩く。

「まあ、まさか真っ昼間からこうも堂々とよその飛行機が入ってくるとはだれも思ってなかったしな。大した度胸だ。面の皮が鉄どころか劣化ウランでできてるにちがいねえ。まるでローウェイだ」

「ジョークがアフターバーナー全開で横滑りするビキールには言われたくないな」

 かわらず悠然と飛行を続けるTu-4の群れを見やりつつの、いつもの浅間と金本の応酬。浅間は薄く笑って本題に路線をもどす。

「日本は憲法で戦争行為を放棄している。個別的自衛権はもちろんあるから、攻撃を受けた場合は反撃する権利があるが、こっちから第一撃を引くのは憲法違反だ。いまの法律では、領空侵犯されただけでは攻撃されたことにはならんしな」

「なら憲法を変えればいいんです。憲法は聖書じゃありません。必要なら改正できるんですから……」

「そこで民意のご登場だ。国民がほんとうに望めば、法律だろうが憲法だろうが改正できる。だが、改正のかの字も出てこないってことは、国民はそれを望んでないということと同義だ。いままでそれで平和にやってこれたんだから、これからもそれでいいだろって理屈だな」

「憲法九条とかもですか?」

「むしろ九条が戦争抑止の砦と考えている人は多いだろうな。九条を世界遺産にしようとしてるNGOもあるくらいだし」

「こっちが戦争しなくても、あっちが仕掛けてくるんですからしょうがないでしょう。こっちが武器を捨てたら相手も捨てるなんて絵空事、小学生でも信じませんよ。九条ですべての戦争を止められるんなら、憲法で台風や地震も禁止しときゃよかったんです。それに」

「パルマス、後方確認チェックシックス飛行機雲コントレイルが出てる」

 占守しゅむしゅの注意が割って入った。浅間が首を回すと、早蕨の乗機が二条の白い水蒸気の尾を曳いていた。会話に気をとられて操縦がおろそかになっていたらしい。

 早蕨があわてて謝罪を述べながら機体を修正させる。エンジンノズルからの飛行機雲が栓をひねったように途切れた。

「飛びながら無駄話するなんて十年早いわ。黙って操縦に集中しなさい」

「良かったなあパルマス。教導隊の連中が一緒だったら血の雨が降ってたところだぞ」

 金本の茶々に感情を冷却させた早蕨が恐縮し、浅間の唇が皮肉に歪む。

 法治国家の国民は法に生かされているがゆえに法を守らなければならない。愛国無罪などというのはじぶんの意思を全国民の総意と勘違いした子供か変質者の妄言にすぎない。

 だが、そのときになれば、だれかがやらなければならないのだ。たとえ犯罪者の烙印を捺されようとも。いつかこの国が国防に意識をむけることを恥としなくなる時代がくるまで。

 浅間がわれしらず操縦桿を握る手に力を込めているのに気づき、硬直を取り払うために深呼吸をした直後だった。

「なに? モルミルス、聞こえない。応答せよ。モルミルス、いまの交信意味不明。モルミルス、応答ねがう……」

 防空指令所(DC)から管制官の取り乱したような声が漏れ伝わってきた。

「DC、こちらポリプテルス1。なにかあったのか?」

 浅間が尋ねると、管制官はせき込んで答えた。

「確認中だ。いましがたモルミルスから緊急入電があったのだが」モルミルスとは、輪島航空警戒管制隊のレーダーサイトの呼び出し符牒だ。ポリプテルスやシクリードなどのコールサインと同様で、作戦中の暗号名のようなものである。

「いましがた、モルミルスの防空レーダーがあらたに五〇を超える機影が北北西から侵入してくるのを捉えた。機種はまだ判別できてないが、方位と航路は現在貴機らが要撃中のTu-4とほぼおなじだ」

「五〇だと」

 浅間を含む十八機のイーグルを駆るパイロットが一様にどよめく。

「で、今もこっちに来てるのか?」

「それが、その入電があったあとすぐにモルミルスとの通信が途絶した。現在も連絡がつかない。レーダーサイトも沈黙したのでその新たな機影が追跡できない状態だ」

 その管制官の無線のうしろでさらに喧騒が巻き起こる。

「ちょっと待ってくれ。なにがどうなってる。くそっ、佐渡のレーダーサイトも反応がなくなった。小松ベース、非常時のターミナル・ベロシティを……」

 唐突に、DCとの通信が切れた。ヘッドセットから聞こえてくるのは砂嵐のような空電の音だけだ。浅間は左手の指でヘルメットの耳の部分を叩いた。

「おいどういうことだ。DC、こちらポリプテルス1。応答せよ。DC?」

 無線のスイッチを切り換える。

「ポリプテルス1から各機。DCとの通信が可能な機体はあるか」

「ポリプテルス1、こちらポリプテルス2。だめだ。応答しない」

「ポリプテルス1、シクリード1。こちらもだ」


 全機が地上の防空指令所との交信が不可能になった。同時に十八機の戦闘機の無線機が故障することなどありえない。となれば、考えられる原因はふたつしかない。

「電波妨害、か?……」

「ビキール、本気で言ってるのか。電波妨害するには、こっちが使う電波の周波数をあらかじめ調べておく必要があるんだぞ。北がそんな……」

「北のしわざと決めつけるのは早計だがな」

「偶然の一致と?」

「そう思いたいが」浅間はボーイングスキーの巨体をバイザー越しにねめつけながら言った。恐ろしい予感に肌が粟立つ。「よそさまの爆撃機がおおぜいお出ましになってるときに、タイミングよく通信手段が潰される。それを偶然と思うほど、おれもオポチュニスト(楽観主義者)じゃない」

 そして、もうひとつの推測。

「電波妨害でないとしたなら、レーダー施設が物理的な攻撃を受けたという可能性もある」

「あるいはその両方かもしれないってか。くそったれが」

 金本は言いながら舌打ちした。

「ぼくたち空自のレーダーサイトを攻撃なんて、アメリカかロシアくらいじゃないとできないですよ。北がARM(対レーダーミサイル)なんてもっているわけないし……」

 早蕨がうつろな声で叫ぶ。

「レーダーサイトを攻撃する手段は、なにもARMだけじゃない。直接襲撃するという手もある」

「それこそむりですよ。基地警備隊が死守するはずです」

「認めたくない気持ちはわかるが、実際問題レーダーサイトが沈黙してる。最悪の事態もありうる」

 金本の淡々とした声に、浅間もふくめた全員が耳を傾ける。

「かりにもレーダーサイトは人間でいうところの目だから防備は厳重だ。でも人間のやることに絶対はない。守る側は守ることしかできないが、攻める側は正攻法から搦め手までありとあらゆる手をつくしてくる」

 金本はそこで、考えたくないことだが、と注釈したうえで述べた。

「どんな要塞も内側からの攻撃にはもろい。難攻不落のトロイアも、木馬を招き入れちまったがために滅んだんだ」

 金本とおなじ洞察にいたった浅間のもとに、無線通信が入った。

「こちら空中管制機アマテラス。スクランブル中の戦闘機部隊、聞こえるか」

 壮年の男の声。空自が世界にほこるAWACS(早期警戒管制機)、E-767からの無線だ。はるかかなたの高空にいるためここからでは目視などできないが、E-767は双発の旅客機がキノコ型のレーダーを背負ったような独特な外観をした警戒管制機で、超強力・高精度な監視能力をもった、空飛ぶレーダーサイト、空飛ぶ戦闘指揮所だ。

 防空指令所との通信が途絶して糸のきれた凧のようになっていた浅間たちにとって、広範囲の空を見張り味方機を適切に管制、誘導する指揮所の能力と役割をもつAWACSエイワックスの登場は、なによりもうれしいものだった。

「よく聞こえる。アマテラス、輪島および佐渡のレーダーサイト、ならびに中部航空方面隊のDCとの通信途絶。こちらからでは現況を把握できない。そちらから連絡はつくか」

「こちらも関係各方面からの情報が錯綜していて、状況が混乱している」

 E-767早期警戒管制機、コールサイン<アマテラス>からの通信に耳を傾けつつ、計器や周囲の確認もおこたらないままTu-4たちを睨みつける。気のせいか、無言の来訪者は慌てふためく浅間らを横目にしながら嘲笑っているように見えた。

「佐渡および輪島のレーダーサイト、中空(中部航空方面隊)のDCと通信を試行しているが、いずれも交信不能だ。まず輪島はつながりはするがいっさい応答がない。佐渡のレーダーサイト、中空DCとは回線が接続できない。中空のレーダー網は完全に沈黙。中空DCの付近では、こちらの通信を阻害する妨害電波を検出している。電子妨害下にあるものと思われる」

 浅間は唇を噛みしめた。敵機を監視する地上レーダーと、邀撃ようげきにあたる戦闘機を管制する指令所とが無力化されている。いわば、肩をたたかれてふりかえった瞬間に、両目を針で潰されてしまったにひとしい。日本はいま目を押さえて悲鳴をあげながらもがき苦しんでいる状態だ。相手からすれば、あとは煮るなり焼くなり好きにできる。

「小松基地もジャミングの影響下に入っていて、思うように交信できない。まったく手がつけられない」

 くそっ、という押し殺したつぶやきが小松のF-15Jたちから起こった。

「小松だけではない。築城、浜松、岐阜など、全国各地の空自基地と通信が寸断されていて、現況の把握ができない。空幕や官邸とも連絡がつかない状態だ」

 次々と放り出される情報に浅間は戸惑った。泡沫のように湧き上がってきた言葉が酸素マスクの下で弾ける。


「戦争でも始まったってのか?」

「ビキール、奴ら、高度を下げ始めたぞ」

 金本のステレオ音声が届く。見ると、十二機のTu-4編隊が揃って五%ほどの角度に機首を下げ、ゆるやかに降下していた。浅間たちも北朝鮮の国籍標識をきらめかせる爆撃機に高度をあわせる。

 あたりまえだが、空からなにかを落とすときには、高いところからよりも低いところからのほうが狙い通りの場所に落としやすい。先の大戦でも、Tu-4の原型たるB-29は超高空からの無差別爆撃を得意としたが、対空砲や戦闘機などが消耗し日本側の抵抗がいちじるしく弱体化した末期ちかくでは、それこそ地表すれすれにまで下りてきて重要目標に重点的に攻撃を加えた。

 浅間は、はっとした。状況は似ているのではないか。爆撃機を迎え撃つ戦闘機もなくB-29が悠々と爆撃できていたあのころの日本と、戦闘機が空にこそ上がれはすれど機関砲の一発も撃てずただ随伴することだけしかできぬ現代の日本。低空を飛んでも攻撃をうけることはないという点では、一致しているといえなくもない。

 渡り鳥のような編隊のTu-4の先頭がなんの前触れもなく死のあぎとを開いた。胴体下の爆弾倉を開放したのだ。それを合図に、ほかのTu-4も全機が爆弾倉の扉を開いていく。

「おい嘘だろ冗談じゃねえぞ。アマテラス、こちらポリプテルス1。ターゲットが投弾態勢に入った。指示をねがう」

「ポリプテルス1、アマテラス。ターゲットは爆弾を搭載しているか」

「アマテラス、こちらポリプテルス1。こちらからでは武装などの搭載の有無は視認できない」

 浅間は舌打ちした。敵爆撃機の胴体のなかなど覗きこめるものでもないし、そんなものが確認できるわけがない。だが職務中の自衛官とは血のかよった人間ではなく、血液の代わりに法律が流れているような、聞く耳をもたぬ木偶であることを求められる。一般論など通用しない。

「ポリプテルス1、アマテラス。そのまま現状を維持せよ」

 難問に逢着した浅間はTu-4編隊との距離を保ちながら前方に向き直った。HUDのむこう、鮮やかな緑に包まれた連峰を踰越ゆえつした先には、広大なる関東平野が広がっている。そこの中心に聳える都市の尖塔群が、午前の陽を浴びて誇らしげに輝く。

 首都東京が近づいていた。


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