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十   劫火の記憶

なぐさめの

言葉しらねば

ただ泣かむ

がおもかげと

いさをしのびて

 マンハッタンへ渡るため、アランはブルックリン橋に乗る道路へ足を向けた。

 途中の道路上は自動車であふれていたが、マンハッタンへ向かう車線はがら空きで、むしろマンハッタンからこちらへのがれてくるものでいっぱいだった。

 ピックアップ・トラックの荷台にカウチやテレビ、座りきれなかった家族など引っ越し業者顔負けに荷物を積みこんでいるものもいれば、スポーツタイプのメルセデスのトランクを開けっ放しにしてむりやり自転車を押し込んでいるもの、なかには車の天井にマットレスをくくりつけて走る剛の者もいる。

 歩道も、両手いっぱいに荷物を提げたひとびとが、やはりマンハッタンから離れようとして、こちら側に小走りに向かってきている。

 そんななかにあって、マンハッタンへむけ走っているのは、アランただひとり。

 イーストリバーと橋に近づくにつれ、避難する人の密度が高くなった。

 橋をおりたあとはめいめい好きな方向へ避難すればよいからひとびとは拡散する。

 けれども橋の上はほかに行き場がないから、どうしても人の群れが集中するのだ。

 かなり横幅の広い大きな橋であるブルックリン橋といえども、ある程度の混雑は覚悟しなければならなかった。

 唐突に、ガラスがぶち破られる音が市街に響く。

 反射的にそちらを向くと、若い黒人の一団が、電器店のドアを叩き壊して、店内の商品を両手いっぱいに抱えて運び出していた。

 だれもかれらの蛮行をとがめないどころか、便乗して商店に侵入するものが続出した。

 だが、銃声がとどろき、店から火事場泥棒たちがあわてて飛び出してくる。

 店主らしき恰幅のよい壮年の男が、悪罵を発しながらショットガンを構えて現れる。流れ弾にやられるおそれがあったので、アランはできるだけ早めにその場を離れた。

 川を遡上する魚のように人波をかきわけながら、ゆるやかな登り坂になった歩道をなおも進むと、高層ビルほどもある高さの主塔が姿を現す。

 橋の両側を鋼鉄のワイヤーがカーテンのように閉ざし、下向きの放物線を描いて二本の主塔と結ばれている。

 ついに米国最古の吊り橋に乗ったのだ。

 予想どおり橋はマンハッタンから逃げてくる人であふれかえっており、逆走するかたちのアランは難渋した。

 人と人の隙間に肩を滑り込ませ、ときにはぶつかりながらマンハッタンをめざす。

 避難する人たちからすれば邪魔以外のなにものでもないアランにたいし、舌打ちしたり、露骨に不愉快そうな視線を浴びせる者も、ひとりやふたりではない。些末なことだと無視する。

 対岸のマンハッタン島には、抜けるような青空を背景に摩天楼群がそびえている。

 そこだけを見れば、いつものなんの変哲もない午前のニューヨークであった。

 けれども、橋の右上方をブラックホーク・ヘリが続けざまに四機、マンハッタンへ向け飛んでいって、やはり常ならぬことが起きていることを雄弁に物語っていた。

 激突音。足下からだ。

 けたたましいクラクションが混声合唱をあげ、悲鳴がこだまする。

 橋の下層の自動車道で事故が起こったようだ。

 橋の欄干から身を乗り出すようにして下を覗くと、古めかしい藍いろのアルファロメオ・ジュリエッタ・スパイダーのフェンダーが、前にいたレクサスのリアバンパーにつっこんでいた。

 ジュリエッタもレクサスも無残にへこんでしまっている。かなりの衝撃があったようだ。医師の本能で負傷者をさがす。

 車からおりた双方のドライバーが、互いに責任を転嫁しようと口論を始めた。ふたりとも、ぴんぴんとしている。

 どうやら深刻なけが人はいないようだ。

 確認を終えたアランは、また人の間をすりぬけながら島へ渡るのを再開した。

 五〇〇メートルちかい中央径間を踏破してふたつめの主塔をくぐり、マンハッタン島に差しかかる。

 距離はたいしたこともないのにけっこうな時間を費やしてしまった。何キロも走りつづけたような疲労感である。

 そこまできて、アランは、もしかしたらマンハッタン側に、軍の検問のようなものがあるかもしれない、といまさらに不安になった。

 病院前を通りすぎていった装甲車や戦車、避難民を先導していた兵士の姿が脳裡をよぎる。

 軍がマンハッタン入りを防いでいたら、引き返してまたべつのルートを模索しなければならない。

 時間は刻々とすぎていく。進むしかない。

 予想に反して検問はなかった。アランがすこしだけ、胸を撫で下ろしたとき。

 マンハッタンの摩天楼を構成する尖塔と高層ビルのあいだから、火炎の怒濤。

 火山の噴火そのままに、炎の塊が吹き上がった。

 遅れて、衝撃波なのか、烈風が刃となって吹きつけてきて、鼓膜を破らんばかりの爆音がひとびとを襲い、悲鳴と絶叫を呼ぶ。

 ブルックリン橋のワイヤーが力いっぱい振るわれ、空気をきりさく音と、鋼線どうしがぶつかりあう、ちゅーん、ちゅーん、という耳障りな音をたてさせる。

 避難する人たちはいよいよ恐慌し、ブルックリン地区へわれさきにと橋を渡った。

 つまづいて転倒した者の背中を踏み、じぶんより走るのが遅い者を撥ねのけて。

 アランは川の遡上がさながらカナディアン・ロッキーの滝登りのようになってしまって、激流に巻きこまれないため、端のほうに身を寄せ、からだを横にして難民たちをいなした。

 さっき自動車事故のようすを見るためにと欄干ちかくに移動していてよかった。

 パニックに陥った大勢の人間の濁流に揉まれては、逆走はおろか命すら危ない。

 下り坂が、橋を渡りきったことをしらせる。いよいよマンハッタンだ。

 ……マンハッタン島に足を一歩踏みいれたとき、アランは、なぜだかしらないが、背筋に水を浴びせられたようにうそ寒くなって、一瞬、その体勢のまま固まってしまった。

 足が大量のナメクジが蠢くうえを踏んでしまったような、生理的にうけつけぬ嫌悪感。本能による拒否とおぞましさが、足から神経を伝わって、全身を駆けめぐった錯覚に陥ったのだ。

 足許に視線を落としても、そこに粘液にまみれたやわらかい肉の軟体動物がいるわけもなく、ただ堅固な舗装道が伸びているだけである。

 しかし、とアランは思った。

 ここは、もう別世界だ。

 実際、さっきまであれだけいた避難民たちもその喧騒も、うそのように消えていなくなっていた。

 あるのは、車道の両方の路肩に駐車したまま放置された自動車と、ものいわずただ佇むビル群だけである。

 ニューヨークで生まれ育ったアランも、これほど静かなマンハッタンは初めてだった。

 まるで知らない街に迷いこんでしまったかのようだった。

 けれど後戻りはすまい。ジェシカを無事に見つけるまでは……。

 ジャスミンのアパートは、マンハッタン中央の超巨大公園セントラルパークの北にある。

 ブルックリン橋を下りたここからだと、かの五番街を通っていくのが最善の道筋だ。

 天空へ突きたつエンパイア・ステート・ビルの尖塔を目印に走りつづけ、動く車も人もいない、カラースプレーで落書きだらけの広い道路を北上。

 左手に、パルテノン神殿ふうの白亜の建物が見えた。ニューヨーク公共図書館である。

 いよいよ五番街に入った。

 目の前にはもう、マンハッタン名物、高さを競うように天へそびえる超高層ビルの渓谷がまちかまえている。

 かつて北米大陸に東側から入植したアメリカ人は、先住民を駆逐しながら西へ西へと進み開拓していくことをマニフェスト・デスティニー(天より授かりし使命)とした。

 このニューヨークでは、より上へ上へと建築物を伸ばすことがマニフェスト・デスティニーとなった。

 アランは、地平線の果てまで開拓しきった白人が、それでもなお溜まりつづけるいっぽうの支配欲のはけ口となるフロンティアを空に求めた結果の、醒めることもできず、また許されない人工の楽園を進んだ。

 足元を有象無象の人間……ビジネスマンやビルの高さに圧倒されにやってきた観光客たちが、とだえることなく往来していてはじめてマンハッタンをマンハッタンたらしめ、それを自己の実存の証明としていた摩天楼。

 楽園は、人っ子ひとりいない街路を、どのような気持ちで見下ろしているだろう。

 そんななかをたったひとりで駆け抜けるアランを、どう見ているだろうか。

 コンクリート製のグランドキャニオンを走りゆくなか、ビルの入り口付近の上に掲げられた星条旗がなびき、だれかが捨てた新聞紙が、かさかさと乾いた音をたてながら宙を舞った。

 幾度となく十字路の交差点を越え、マリー・セレストのようにもぬけの殻と化した街を横切る。

 ロックフェラー・センターの谷間でロックフェラー・プラザを左に折れ、ラジオシティ・ミュージックホールのある角にさしかかったとき、ふいに、右ポケットの携帯が音楽を奏でた。

 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーンの楽曲は、ジェシカの携帯からの着信専用の曲である。

 アランはあわてて携帯をとりだし、液晶を確認した。

 やはり発信元の携帯の持ち主……笑顔のジェシカの画像が表示されている。

「もしもし、ジェシカか?」

 返事はなかった。かわりに、大雨が降っているような雑音が垂れ流されてくる。

 耳障りな雑音のなか、アランはたしかに聞いた。

「助けて……」

 いまにも消えてなくなりそうな、弱々しいジェシカの声だった。

「ジェシカ、だいじょうぶなのか? 声を聞かせてくれ。クソッ」

 通話が切れた。もういちど液晶を見ると、バッテリーの残量が底をついていた。

 ずん……という重低音をともなった地響きがした。

 全身の産毛が、ぱちぱちと音をたてて総毛立った。

 ラジオシティ・ミュージックホールを右手に交差点のど真ん中に立っていたアランは、眼前のガラス張りの五十階建てビルが、かん高い絶叫を上げ、粉々に砕け散りながら倒壊するさまを見た。

 手前の同等の高さを持つビル後方より現れたのは、あの巨大な脚。ギャンボルを一瞬で踏み潰した怪獣の前肢だった。

 高層ビル群に囲繞いにょうされてもなお巨大な大怪獣が、ぬうっと上半身を覗かせる。

 人間に近いバランスの上体が青空を覆う。

 かたわらに建つ五十階建てのビルに匹敵する体高。空母ほどの質量と体積が動いているようなものだった。

 さらに、背後からけたたましい銃声と殷々(いんいん)たる砲声。

 頭を下げつつ振り返る。

 南側の四車線道路から、陸軍歩兵部隊が、怪獣へ向け、M16アサルトライフルを連続射撃しながら疾駆。

 すぐうしろには、長大な主砲の砲身。M1A2エイブラムス戦車が、履帯でアスファルトを踏み割りながら接近していた。

 上面から上半身をだした兵員も、銃座で副砲の十二・七ミリ重機関銃を連射している。

 もし人間にあたれば、胴体がふっ飛んで挽き肉になりかねない威力をもつ銃火器である。

 エイブラムス戦車の主砲が、照準を完了。絶対の射撃を開始する。

 絶大な発砲焔と砲声とともに、砲弾が飛び出す。


  ◇


 大統領たちを乗せた海兵隊の大型ヘリはホワイトハウスを飛び立ち、一路アンドルーズ空軍基地へと全速力でVIPを運んだ。

 ほどなく到着し、すでにタキシングを完了して滑走路の端で待機している大統領専用機のすぐ近くで下降をはじめる。

 ヘリが接地する前にスライドのドアが勢いよく開け放たれ、ヒットリアやチトー、サラザールにマヘンドラ、それにシークレット・サービスたちが回転翼に当たらないように頭を低くして飛びおり、タラップを昇って専用機に駆けこんだ。

「……了解。大統領!」

「なんだ!」

 チトーとヒットリアの会話も、ヘリとエアフォース・ワン両機のエンジン音に挟まれているので、声を張りあげねばおたがいに聞こえない。

「地上部隊が目標を捕捉。攻撃を開始したとのことです」

「ありったけの弾を食らわせろ。総力戦だ!」

 ボーイングVC-25Aのジェットエンジンは最大回転数に達したまま維持されており、いますぐにでも離陸できる態勢をととのえていた。

 大統領以下、要人たちを収容し、タラップが後退して離れると、機長はブレーキを解除、最大推力で滑走を開始した。


  ◇


 M1A2エイブラムス戦車の主砲から、音速の五倍以上の高速度で発射された砲弾が、正面から怪獣の巨躯に直撃する。

 現代の戦車砲弾は、爆発して加害する榴弾ではなく、矢のごとき長細い形状をしている。

 速度を破壊力に変換するこの砲弾は、純粋な運動エネルギーのみで対象を貫徹し、加害する、対装甲兵器の極致である。

 M1A2エイブラムスの主砲たる一二〇ミリ滑腔砲は、タングステン合金を成形した矢状徹甲弾を、砲口初速一八〇〇メートル毎秒というすさまじい運動エネルギーで撃ち出し、敵目標を有無をいわせず破壊する。

 M1戦車の砲撃をくらって無事でいられる兵器は、地球上には存在しない。

 世界のあらゆる戦車の装甲を貫徹しうる、最強の槍である。

 ミサイル全盛の現代では戦車を軽視する風潮もあるが、その戦術的価値はいささかも減じていない。

 一撃必殺の強力な火砲と、堅牢な防御力をあわせもつ戦車は、いわば動く要塞である。

 これを突破できねば勝利はない。

 ゆえに世界の国々は、自国の戦車の強化に腐心し、敵国の戦車を撃破できる兵器の構想と設計に余念がない。

 戦術は戦車を中心にまわっているといっても過言ではないのだ。

 その戦車のなかでも世界最多の実戦経験をもち、最強の名をほしいままにするM1A2エイブラムスが、隊伍を組み、戦車の装甲も貫くタングステン合金徹甲弾をつぎつぎと発射する。

 バズーカのようなものを肩に担いだ歩兵が、戦車と戦車のあいだで立て膝になって構え、照準器を覗いて撃針を起こす。

「後ろに立つな!」

 兵士のどなり声ののち、筒状のバズーカから、ロケット弾が爆炎をあげて発射された。

 弾頭は放射状の安定翼を展開し、白煙を曳いて猛進する。

 最新の対戦車携行兵器、AT-4だ。

 成形炸薬を弾頭に搭載したAT-4バズーカは、新型戦車の装甲さえも貫通する破壊力をもつ。

 それらアメリカ陸軍の火力がいっせいに怪獣へ殺到する。

 だが、何十人もの歩兵が絶え間なく撃ちつづけるM16アサルトライフルの射弾はもとより、戦車搭載の重機関銃の弾幕も、戦車の装甲も撃ち破る一二〇ミリ滑腔砲の徹甲弾も、バズーカも、大怪獣の黒い鱗で覆われた体表面で火花を散らすだけだった。

 怪獣は竜のような頭をもたげるが、爬虫類に似た顔にはなんの痛痒も浮かんでいない。

 ただ、白い眼が、地上のものどもを高みから見下ろすのみである。

「火力が足りない。近接航空支援はまだか!」

「到着まで、あと十分を要します!」

「撃て撃て撃て! 撃ちまくれ! M270発射開始しろ!」

 戦場の後方にて控えていたのは、戦車と同じ無限軌道を履き、後部にミサイルランチャーの箱形コンテナを積載した制圧者。

 MLRSマルスともよばれるM270多連装ロケットシステムの雄姿だ。

 コンテナが仰角をつけ、爆風とともにミサイルを連続射出。

 発射されたミサイルの群れは、GPSによる誘導を受け、高度をとったのちに水平飛翔に移行。目標に向かう。

 MLRSはロックフェラー・センターを中心に円周を描くように、二十輛以上が配置されていた。

 円陣を組みし制圧者たちから発射された何十発というミサイルは、いわば逆の放射線状を描いて飛翔。

 一点へ向かって集中する。

 怪獣の直上まで到達したところで急降下し、ダイブ。

 トップアタックで怪獣へミサイルの集中豪雨を見舞う。

 それはまるで、空が落ちてきたような光景だった。

 高層ビル群の狭隘きょうあいな隙間を、針の穴を通すように降下してきたミサイルが、雨あられと怪獣に降り注ぐ。

 さらに、頭を低くして耐えるしかないアランの頭上で、ビルとビルの間を縫うように低空飛行する物体がある。

 主翼を持った小型の航空機に見える誘導弾、巡航ミサイルだ。

 何発もの巡航ミサイルは、人間が乗って操縦しているかのように摩天楼を正確に翔破、怪獣へと向かう。

 MLRSのミサイルと、巡航ミサイルが、同時かつ多重に命中。火薬庫に火をつけたような爆発と爆風が、狂乱の舞いを踊る。

 その間も、歩兵や、戦車の火力投射が、休まずつづく。

 上空からのミサイル攻撃がとだえた。

「M270、再装填に入ります」

「了解。アパッチ隊、出番だ!」

 合図とともに、ビルの影で空中静止して待機していたヘリコプター群が、一気に飛び出す。

 先陣をきったのは、回転翼の回転軸上部に球状のポッドを搭載した、並列複座型のヘリ。

 軽偵察ヘリのベストセラー、OH-58カイオワ観測ヘリコプターだ。

 てっぺんに装備した球状ポッドには、テレビカメラに、夜間でも目標を捕捉できる前方赤外線監視装置(FLIR)、レーザー測距・指示装置などが詰めこまれており、友軍ヘリ部隊に目標の指示や誘導をおこなうための、精密なデータを収集できる。

 しかもこのカイオワは、みずからもヘルファイア対戦車ミサイルを装備し攻撃能力を獲得したD型、カイオワ・ウォリアと呼称される戦闘タイプだ。

 回転翼頂部の観測ポッドが、大怪獣を真正面から睨む。

「目標、やはりFLIRでの捕捉不能」

「了解。レーザーによるターゲッティングを実施せよ」

 レーザーの直進性を利用し、目標までの正確な距離を測り、データを主力攻撃ヘリに伝達する。

 カイオワ・ウォリアからのデータを受け取った四機の攻撃ヘリが、編隊を組み、階段状に高度をとって縦にならぶ。

 カイオワよりも先鋭的なシルエットのその機体は、鋼鉄の狙撃手。

 アメリカ陸軍がほこる世界最強の攻撃ヘリ、AH-64Dアパッチ・ロングボウだ。

 機体前部に獰猛なサメの顔をペイントしたアパッチたちが敵を見据え、火力を解放する。

 人を血霧に変え、装甲車両も蜂の巣にする三十ミリ機関砲が、高速で連射。

 同時に、機体両側の小翼に搭載された、十六発の対戦車ミサイルを、つぎつぎに発射。

 さらにロケット弾まで一斉射撃する。

 戦車を含めた地上の目標を一掃できるおそるべき鉄の嵐が、さながら赤く燃ゆる流星群となって、怪獣へむけ集中砲火される。

 アパッチ・ロングボウ、その勇姿はまさに空飛ぶ重戦車。

 歩兵と戦車、MLRSにアパッチと、立てつづけに絶え間なく砲弾とミサイル攻撃を受け、怪獣が炎と爆煙に包まれる。

 胸部の、蜂の巣のような無数の孔が密集している部分に、ミサイルが突き刺さるように直撃。内部でエネルギーを爆発の形で解き放つ。

 しかし、火炎の紗幕しゃまくを払って現れた漆黒の怪物は、それらの攻撃をなんら意に介していないようであった。

 すくなくとも外見でわかるような傷は負っていない。

「目標、健在。わが方の攻撃、効果なし!」

 歩兵が、背中に長いアンテナと無線装置を負った通信兵につたえる。

 思いがけなくも怪獣と軍もの戦闘の真ん中に飛び込んでしまったアランは、よつんばいの状態で道を引き返し、ロックフェラーの方向へもどろうとした。

 深い地響きに、心までも震える。怪獣が前進を始めた。

「砲撃を続行しつつ後退せよ!」

 M16ライフルを連射しながら歩兵たちが後ろへさがる。

 大怪獣の前では、世界最高の軍用ライフルも豆鉄砲だ。怪獣が巨大だから近くにいるように見えるが、実際に弾が届いているかもあやしい。

 戦車隊も、重機関銃と主砲の火を噴かせながら後進しはじめた。

 動く要塞群に、大怪獣が四本の脚でもって迫る。

 右腕をおもいきり引いたかと思うと、目にも止まらぬ高速度で振り抜く。

 腕の長さのぶんだけ放物線を描いた手は、アスファルトをかすめ、後退していた最前列のM1戦車を直撃。

 掬い上げるような一撃をくらった戦車は、もうそこにはいなかった。

 六十トンを超える重戦車はなすすべなく宙に浮き、離脱しようとしていたアパッチの左舷に激突。

 殴られたように潰れたヘリは、コントロールを失い、ぐるぐる回転しながら迷走し、よりにもよってアランを追いかけるように墜ちてくる。

 鋼鉄の躯体が、狂人のように暴れながらアランを襲う。

 尾翼がビルの壁面に触れ、引っかくように削る。

 反動でヘリが逆方向に回転をはじめ、ついに重力に打ち勝って飛行するためのエネルギーを、完全に消失。

 機体は、翼をもぎとられた巨鳥のように落下して、路駐されていた車を押し潰し、アランのすぐ目の前の路面に叩きつけられた。

 燃料に引火、二〇〇〇万ドルのヘリが爆発。

 爆風がアランの全身を打つ。

 不可視の猛獣に体当たりされたように一瞬で足が浮き、かるがると吹き飛ばされる。

 路肩に駐められていたレンジローヴァーの後部に衝突。

 後部ガラスに蜘蛛の巣のような放射状のひびをつくるほどの衝撃。胸郭がきしみ、肺の空気が押し出される。

 意識が朦朧とするが、医師らしく、すぐさま自身の負傷を確認。

 打撲はあるが骨折まではいっていない、頭部からの出血もない。

 失神寸前の激痛が各所にあるが、痛覚があるということは生きているということだ。なんとかなる。

 からだをひきずるように逃走する。節々が痛む。

 道路の真ん中は本能的に不安に思い、アランはビルのすぐ足元に寄り添うようにして、戦場から離れようとここみた。

 小規模の地震をもたらす足音。

 ロックフェラー・センターを構成する超高層建築物の向こうから伸びた、大怪獣の手。

 鉤爪の生えた五指をビルにかける、おそろしい光景に、心臓までつかまれる。

 とにかく退かなければ。

 痛覚は声高にからだの損傷を主張し、肉体の稼働をさまたげようとする。

 痛いのはじゅうぶんわかった、すこし黙っていろとじぶんの身体に文句を言いたくなるが、そんなひまもない。

 どこからか飛来した巡航ミサイルが目標を見誤り、すぐそばのビルに直撃。

 爆発で壁面がえぐりとられる。

 ほとんど頭のうえでミサイルが炸裂したも同然だった。

 爆風の風圧と、降り注ぐ瓦礫が背中を叩き、火炎の熱が肌をあぶる。

 バランスを失って転倒するアラン。

 足がさらになにかを踏み外し、坂を転げ落ちる石のように、階下へ吸い込まれる。

 そこは地下鉄へ通じる階段だった。アランは反応する間もなく、階段の麓まで転落した。

 直後、ミサイルの誤爆をうけたビルの壁がごっそり剥離し、何十トンもの瓦礫が、落石となって、路上に雨を降らす。

 地下鉄階段の入口も、蓋をするがごとく塞がされた。

 構内に閉じこめられたアランは、地下と地上を隔てる天井ごしのくぐもった砲声におののきながら、無人のプラットホームを右往左往した。

 照明が不安げに点滅し、天井の各所から砂がこぼれ落ちていた。

 ――地上では、砲撃をつづける戦車の車列を、五十階の高さをもつ怪獣が、牛のようにうなりながらにらみつけていた。

 鰐にも似た口吻こうふんの頬肉がめくれあがり、刃をならべたような鋭い牙と、赤黒い歯肉を露出させる。

 それは怒りの表情だった。

 怪獣は、攻撃をつづける兵隊たちを体高一五〇メートルの頂きから見下ろしながら、かれらに対し、真っ正面にからだをむけた。

 大質量の巨体が動き、連動した長い尾が、後方のビルをことごとく薙ぎ払う。

 四本の脚を、しっかりと踏みしめる。

 まるで、自走砲が大砲を撃つときに地面に食いこませる駐鋤ちゅうじょのように。

 怪獣の口腔内に、青い炎が灯る。牙のあいだから光がもれる。

 炎は光輝を増していき、超熱量でイオン化した周囲の空気が歪んでいく。

 兵士たちは銃や砲火を撃ちながら、いいしれぬ恐怖に身を貫かれていた。

 なんだかわからないが、これは、まずい。

 次の瞬間――

 カッ!

 大怪獣の口部から、青みがかった白色のまばゆい爆光が放射され、戦車部隊とロックフェラー・センター全域を呑み込んだ。

 輝く光の激流が、アスファルトの大地と戦車、歩兵たちを直撃。

 M1エイブラムス戦車の劣化ウラン複合装甲や、最新式インターセプター・ボディアーマーに身を固めた兵士を、その影と輪郭さえ残さず白く染め上げる。

 太陽の表面温度を超越する約三十万度というケタはずれなエネルギーの光線に、融解と蒸発を通り越して、原子核と電子が極端に乖離しているいわゆるプラズマ状態と化す。

 膨大な輻射熱が、爆発点に存在するすべての物質を喰らい、温度を急上昇させる。

 悲鳴をあげるひまもあらばこそ、地軸を揺るがす天雷の響きとともに、強烈な白光は建物を粉砕し、街路樹や街灯を焼き払い、兵隊たちを素粒子レベルにまで分解した。

 アパッチ隊はビルを遮蔽物につかって退避していたが、意味がなかった。

 盾にしていたビルが、瞬時にプラズマとなって消滅。高熱の熱線は、丸裸となったヘリと搭乗員をも焼却し、消し炭すらも残すことを許さなかったのである。

 爆発は光線が発射された方向にむかい、ありあまるエネルギーをもって破壊をはじめた。

 衝撃波の嵐に車という車は巻き上げられて吹き飛び、建物という建物は一瞬にして打ち砕かれ、粉微塵に消し飛んだ。

 摩天楼の代名詞だったロックフェラー・センターのビル群は形状を失い、瓦礫すら残さず気化し爆散した。

 いくつもの高級ホテルが吹き飛び、カーネギーホールは焔にのまれ、ニューヨーク近代美術館が収蔵品ごと電離した超高温のガスに変じ、蒸散する。

 直撃を受けずとも、輻射熱と爆風の波濤は、周辺一帯に尋常ならざる被害をもたらした。

 やや離れたところにあった、パルテノン神殿を模した公共図書館は赤熱して溶融、輝く濁流となった。エンパイア・ステート・ビルは何十億という燃える破片と化し、マディソン・スクウェア・ガーデンが跡形もなく全壊した。

 超高層ビルの密集した大都市、世界でもっとも繁栄を謳歌していた不朽のユートピア、マンハッタンは、完膚なきまでに焼きつくされ破壊された。

 想像を絶する超々熱量が生んだ火球が地上を蹂躙し、マンハッタンをいちどきに総滅させたのだった。

 そのときまだマンハッタンから逃げていなかった市民たちや、これからマンハッタンを脱出する予定でいた市民たちは、まず天を裂く熾烈な閃光に目を潰され、身を焼かれ、追いかけてきた衝撃波によって枯れ葉のようにふっ飛ばされた。

 建物にしたたか激突して死ぬもの、爆風の圧力で押し潰されて、口から内臓を吐き出して死ぬもの、さまざまいた。いずれ劣らぬ無惨な死にざまだった。

 わけても熱線は凶悪だった。

 光った、と思った瞬間、ひとびとの全身の皮膚と衣服から煙があがって発火し、頭髪が燃えた。

 男も女も、小さい子供も老人も、生きながらに火刑に処された。

 爆発の狂嵐はそれだけに飽きたらず、ハドソン・リバーを越えて対岸のユニオン・シティやウィーホーケンにまで及んだ。

 街は最初に熱線で焼かれ、ついで超音速で到達する圧力波に、あらゆるものを根こそぎ破壊されていった。

 爆心地から約十マイル離れた街にいた市民たちは、ときおり届く砲撃の音や爆発音におびえ、避難しようか迷っているところへ、突如、マンハッタンの方角から、真夏の太陽を何倍もうわまわる閃光がはしったのに驚愕した。

 青空が一転、黄昏のいろに変わった。

 みな、その瞬間、世界がオレンジいろに染まった、と思った。

 閃光は、やがて落日の赤光に色を変えていき、巨大な火球となって天へと上昇しはじめた。

 音がいっさいしなかった。

 ために、ひとびとは、眼前の超常的な光景が現実で起こっているという実感が、いまひとつ得られなかった。

 いうなれば、銀幕で映画でも見ているような気になって、不気味に思いながらも、ただ火球を身動きひとつせず凝視していた。

 それはまちがいだった。

 膨大な熱量に急熱させられた大気が、音速をはるかに超える速度で膨張し、発生させた衝撃波が、気ちがいのように喚きながら、街を駆けめぐっていった。

 爆音に市民はようやく事態を理解し、黒い煙のかたまりに変わりだした火球に背を向けて逃げはじめる。 衝撃波で叩き割られた建物の窓ガラスが、星のように、きら、きら、と冷たく光る。

 逃げていた中年男性の髪の薄い頭皮に、鋭利ななにかが刺さった、

 男性は白目をむいて即死、糸の切れた人形のようにぶっ倒れた。

 すぐ横を走っていた黒人女性の右肩にも、空から降ってきた光る刃が容赦なく垂直に刺さる。

 彼女は激痛に思わず足をとめ、痛みの発生源に目を落とした。

 そこには、意思なき透明な凶器。

 ガラス片が、深々と肉に食いこんでいた。

 はっと顔をあげた彼女の眉間に、掌ほどもあるガラス片が、狙いすましたように突きたった。

 両目が焦点をうしない、女性は膝から崩れるようにして倒れた。

 仰臥ぎょうがした彼女のコーヒーいろの肌に、顔に、服の下の腹に、乳房に、破片が抵抗も感じさせず、つぎつぎと刺さっていく。

 割れたガラスの破片は、空気抵抗の関係で、もっとも鋭く割れたほうを下にむけて落下する。

 衝撃波で砕かれた建物の窓ガラスは、重力加速度もくわわって、無差別に殺傷する死のひょうとなって、地上の人々に慈悲なき空襲をかけたのだった。

 同様の惨劇は、マンハッタン島をはさんで反対側、イースト・リバー向こうの、リンデンヒルやレゴ・パーク地区でも起こった。

 いずれにせよ、爆発点に近いところにいたものは熱と爆風でほぼ即死。

 数マイル遠方にいたものは全身に大火傷を負うなどしたものの、その場ですぐには死ねなかった。

 累々と横たわる死者と、からだじゅうをガラス片に刺されヤマアラシのようになりながらも、幸か不幸か致命傷をまぬかれ、流血しながら悲鳴と怨嗟をあげる市民であふれる街衢がいく

 燃える街を、焼けてずる剥けになった皮膚を垂らした人々が、助けを求めて呻きさまよう。

 地獄の顕現だった。

 かつてアメリカが広島と長崎に招来した阿鼻叫喚の地獄絵図が、世紀を超えて、このニューヨークに再現されたのだった。

 燃えさかる劫火のなか、漆黒の大怪獣が、天へむけて咆哮する。

 まさに、悪魔というべき威容であった。


  ◇


 怪獣が破壊光を吐く数秒前、滑走して速度をえた大統領専用機が離陸し、ゆっくりと上昇をつづけていた。

 唐突に、窓からすさまじい光が射しこんできて、機内から驚きの声があがった。

 送電施設がショートを起こしたような閃光に、大統領たちは、つぎにくるべきなにかに備えてその方向を注視しつづけた。

 だが、なにも起こらない。

 ヒットリアはしばらく窓の外に目をみはっていたが、光の弾けた地平線は、変化らしい変化がないので、やがて興味の優先順位から除外した。

 機体が巡航高度に達し、水平飛行に移行すると、シートベルトをはずし、後部の作戦司令室にむかおうと席をたつ。

 そこへ、チトー将軍が通路を走ってやってきた。

 大統領は不審におもった。

 老獪であり戦さも人生経験も豊富ゆえにいつでも冷静さを失わない将軍の顔に、珠のような汗とともに、ちいさくない焦燥と畏怖がにじんでいたからである。

 ただならぬことが起こったに相違ないと、ヒットリアはどんな悪い報告をされても動揺しないよう、心をかまえた。

「大統領、マンハッタンの地上部隊を指揮していた管制機から緊急入電です。――マンハッタンは全滅、とのことです」

 ヒットリアはチトーの言い回しに、奇妙な違和感をおぼえた。正体がわからないので、ひとまず保留にしておく。

「部隊のくわしい被害は?」

 全滅とはいっても、前線の戦力はともかく、後方部隊までもがむざむざやられるまでその場にとどまっているわけはない。

 戦力は、集中してこそ意味がある。最後の一兵卒までたたかうなどというのは、現代においては愚行以外のなにものでもない。

 おおよそ三割も戦力をうしなえば、部隊は戦闘の続行が不可能となる。

 だからヒットリアは、現場の兵力が三割の損耗をだしたので指揮官が事実上の全滅と判定し、撤退を決めたのだろうと考えた。

 だが、チトーは言うべきことばを喉につまらせ、革靴のつま先に目を落とした。

 報告が簡潔にすぎて、かえってただしくつたわらなかったことに気づいたのだ。

「全滅です」

 チトーは顔をあげ、喉に張りついていたことばをひきはがすようにして答えた。

「マンハッタン防衛作戦に参加していた戦車大隊ならびに戦闘ヘリ部隊、陸軍ミサイル部隊、後方支援部隊、すべてが撃破されました。敵のただ一発の攻撃で、マンハッタンごとふっとばされたんです」

 ヒットリアの眉間から、この数日来、入りっぱなしだった縦じわが消えた。

 チトーのことばを理解するのに、時間がかかった。

「マンハッタン島そのものが、全滅したのです。大統領閣下」

 かさねたチトーの報告に、ヒットリアは、いましがたの違和感の正体をつかむとともに、あまりに突飛なしらせに、しばし呆然とした。

「や、なんだあれは!」

 ヒットリアの後席で、サラザール首席補佐官が頓狂とんきょうな声をあげた。

 チトーがシート越しに、ヒットリアが振り返って、補佐官を見やる。

 サラザールは窓の外に視線を固定させたまま、碧眼を大きく見開いていた。

 眼鏡をかけたくっきりとした横顔に、ひと筋の汗がつたう。

 ヒットリアも、立ったまま、身を屈めて自席の窓を覗いた。

 大統領と、大統領にならって窓から機外の光景を望んだ将軍の呼吸が、そろって途絶する。

 眼下にひろがる閑々な風景のはるかかなた、わずかに弧をえがく地平線と、色褪せた蒼空の接線から、真っ黒い雲の塊がわだかまって、高々と立ちのぼっていた。

 単なる雲とはちがう。

 雲は、太い一本の脚をおろして地に踏んばり、いただきは丸々と膨らんで、いままさに傘を広げんとするキノコのようだった。

 入道雲のように輪郭のはっきりしたその黒雲は、巨大な頭をもたげ、なおも上方へ伸びていっている。

 同時に、まだまだ雲の素を内包しているとでもいいたげに、むくむく膨れて太くなっていく。

 ときおり、キノコ型をしたからだのおちこちで、稲光のようなはげしい発光があった。

 雲の巨頭と大地を結ぶ一本脚の部分を中心に、土星の輪のような、白いリボンみたいなものが、同心円状に水平方向に広がっている。

 一同は、不可視の衝撃に打たれたように声も出せなかった。

 ヒットリアは、チトー将軍からもたらされたマンハッタン全滅の報が、けっして誤報のたぐいなどではないことを認識せねばならぬと、しびれた心のどこかで確信していた。


 ◇


 それまでとはくらべものにならぬ衝撃と震動に見舞われたアランは、活路をみつけようと必死だった。

 喘息患者の咳のように不規則に点滅を繰り返すプラットホームの蛍光灯が、完全に光をうしなう直前、悪寒がして、頭をふりあおぐ。

 天井に黒い稲妻のような亀裂がはいるのが見えた。

 ほとんど横転するようにして線路へ飛び下りる。

 刹那、天井は崩落して、プラットホームを膨大な瓦礫と土砂で埋めつくした。

 わずかでも遅れていればいまごろはあの下敷きだっただろう。

 安堵は数ミリ秒以下で崩壊した。

 瓦礫は津波のようにあふれ、線路側にまで押し寄せてきたのだ。

 轟音とともに襲いくる土塊つちくれの怒濤にそびらを返し、アランは地下鉄の線路に沿って、坑道のような暗闇を駆けた。

 さいわい瓦礫の鉄砲水は、すぐにアランの追跡をあきらめ、百メートルも進まぬうちに残念そうに停止した。

 猛烈な向かい風がふき始めたことに気づく。

 ハリケーンにも匹敵する突風だ。気息奄々(きそくえんえん)で走っていたアランを、うしろへ押し戻すほどであった。

 風速とコンクリートで冷却された強風は、狭い地下鉄の路線内でさらに加速され、きみの悪いうなり声をあげながら吹き荒れた。

 地上での大爆発によって弾かれた空気が、急激にもとにもどろうとしていたのであった。

 猛烈な勢いの風に、アランは立っていられなくなって、線路の枕木に必死にしがみついた。

 油断するとからだを持っていかれそうだ。

 風は、いつ終わるともなく吹き続けた。

 やがて強風が徐々におさまりを見せ、構内は死んだようなしじまと暗黒に包まれた。

 一寸先も見えない闇のなか、アランはひとり、つぶやいた。

「おれは、まだ生きているのか?」

 震えがとまらない五体に動けと命令する。力が入らない。壁に背中を押しつけるようにしてようやくたち上がる。

 目を開けても閉じてもかわらない、洞窟の深部のような暗闇で、脱出する手だてを模索する。

 考えるまでもなく、もといたところへ引き返すことはできない。

 瓦礫で完全に塞がれてしまっている。

 コンクリートで栓をされてしまったようなものだ。

 では、なぜあれほどの風が吹いたのだろう。

 風が起こる以上、どこかに風がはいってこられる入り口があり、通り抜けていく出口があるはずだ。

 そう考えて、左の掌を壁にあて、その状態で歩く。

 すぐに行き止まりに突き当たった。

 さわってみると、ごつごつした岩肌のような触感があった。

 瓦礫だ。

 アランは、まさにこの方向から来たのだ。

 瓦礫を詰められたそこをよこぎって、壁の反対側にたどりつくと、また左の掌をつけて、壁沿いに進む。

 どれくらい歩いただろう。

 時間の感覚も距離の感覚も喪失したなか、壁にすりつけていた左手が、丸みをおびた突起物にあたった。

 電撃に打たれたようにからだを強ばらせ、つかむ。

 ドアノブだ。保守用の小部屋だ。

 しかし開かない。

 鍵がかかっている。

 アランはあとじさって距離をとり、助走をつけ全体重をかけて体当たりした。

 案外あっさり鍵がこわれ、アランは勢いそのままに小部屋にころがりこんだ。

 小部屋は、薄暗いながらも電気が灯っていた。

 非常用の電源なのだろう、豆電球くらいの明るさしかないが、暗闇から解放されたアランにとっては、天使からの贈り物のようにこのうえなくありがたかった。

 部屋の奥には自販機があった。

 思い出したように急に渇きをおぼえて、ちかくにころがっていたバールをつかい、てこの原理でこじ開け、ミネラルウォーターを詰めたペットボトルを取り出す。

 もぎとるようにキャップをはずし、あおって一気に飲み干す。

 喉から水が五臓六腑にしみわたる。

 清澄な水が旱天の慈雨のようにアランのからだをうるおしていく。

 ただの水が、こんなにも甘露なのだとはじめてしった。

 もう一本とって、ポケットにむりやりねじこんでおく。

 小部屋のもうひとつのドアから芒洋ぼうようとした照明の通路をぬけて、階段をみつけ、アランはついに地上へ出た。

 アランはそこで、愕然と立ちつくした。

 見慣れたマンハッタン、世界に誇る摩天楼を擁しているはずの地上は、見知らぬ異界に変貌していた。

 あるのは、延々とひろがる荒涼とした、灰いろの沙漠だけだ。

 見渡すかぎりの荒野のなか、天然ガスのパイプラインが切れているのか、ところどころから焔が勢いよくふき上がっている。

 生物のけはいはどこにもない。

 なによりも妙なのは、街全体がまるで夜のように暗く閉ざされていたことだ。

 いくら地下からの脱出に手間取ったとはいえ、まだ正午前かそこらのはずだ。

 なのに、空は皆既日食のときのように青さをうしない、世界を深い冥暗めいあんのなかに沈めている。

 ……キノコ型の煙雲は、その傘を大きく広げながら伸びて天を突き、マンハッタン中部全域の上空を覆っていた。

 黒雲は、太陽光をさえぎり、地上の広域にわたって夜と見まがう影を落とした。

 つまりアランは、キノコ雲の真下にいたのである。

 アランと都市を呑んでいた闇夜とは、頭上にひろがり天から地上を睥睨へいげいする黒雲がつくった、偽りの夜空だったのだ。

 このとき、アランは気づいていなかった。

 黒く塗り潰された空から、見えざる猛毒の光が、驟雨しゅううのように降り注いできていたことに。

 怪獣の吐いた火焔は、汚れた火だった。

 怪獣の破壊光は、体内の位相空間で起こした核分裂反応によって発生した超熱量を、口腔で集束。指向性をもたせ、加速して射つものである。

 核分裂でえられたとてつもないエネルギーは、膨大な熱線と衝撃波、爆風を生み出す。

 しかし、それらに用いられるのは破壊光のエネルギーのおよそ八十五%程度である。

 では、のこりの十五%は何になるのか。

 放射線として放出されるのである。

 破壊光によって生じたおもな放射線は、アルファ線、ベータ線、ガンマ線、ならびに中性子線だった。

 うち、アルファ線とベータ線は空気中の透過力がよわいので、地上へはガンマ線と中性子線が到達することになる。

 このふたつがまた、つとに問題であった。

 ガンマ線は、波長が短いため、皮膚からやすやすからだの奥にまで侵入し、細胞内の染色体や遺伝子を傷つける。

 中性子は、原子核を構成する粒子のひとつで、電荷をまったくもたない。

 アルファ線などの荷電粒子、また電磁波であるガンマ線は、空気中を進むとき、透過した空気の原子をイオン化し、エネルギーを消費するため、透過途中で減速ないし吸収される。

 ところが、電気的に中性な中性子は、空気につかまることなく、ゆえにエネルギーをうしなわない。

 中性子は、ガンマ線よりさらに強い透過力があるのだ。

 核分裂反応で発生した自由中性子を束縛できるのは、原子核とのあいだにはたらく核力だけだ。

 核力は、非常にみじかい距離でしか作用しないため、中性子が減速するためには、なにかの原子と正面衝突するくらいでないといけない。

 ために、中性子は、窒素や酸素などの原子で満たされている空気を、大部分がすりぬけられる。

 高速中性子とよばれるものは秒速一万四〇〇〇キロメートル、低速中性子ともいう熱中性子でも秒速二・二キロメートルという速さで、地表に到達する。

 アランは、この中性子のマシンガンに、全身を撃ちぬかれていたのである。

 いうなれば、何兆本もの極細のワイヤーにからだじゅうをくまなく貫かれ、串刺しにされるにひとしかった。

 全身の細胞が内包する遺伝子を、のこらずずたずたに引き裂き、染色体を剪断し、骨髄細胞を破壊した。

 これが炎のように熱かったりすれば、アランもすぐに危険を感じて、逃げるなりなんなりできただろう。 無痛、不可視、無味無臭の暗い光により、アランはしらずしらずのうちに、大量の放射線を浴びてしまったのである。

 願わくは、アランが地上に出てくるのがもう数分おそかったなら。そうすれば被爆はまぬかれたかもしれない。

 自由中性子の寿命は、わずか十五分程度といわれている。

 はやく地下からぬけださねばと懸命にあらがったのが、皮肉にもあだになったのだった。

 むろん、アランはじぶんがいまどんなからだになってしまったか自覚していない。疲弊した肉体に喝をいれ、当初の目的を果たしにかかる。

 なにがあっても、引き返すことはできない。待っていてくれる人をその腕に抱くまでは。


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