再開
父さんと婆ちゃんは今後の身の振り方を話し合っていた。幸いにも父さんの今度の転勤地が、婆ちゃんの家、つまりは僕と母さんが三年間暮らしてきた家から通勤することが可能な距離であったのが救いとなってくれる。そのため、父さんと僕は、婆ちゃんと一緒に生活を送ることが出来たのだ。父さんが仕事で忙しい時も婆ちゃんが僕の面倒を見てくれた。だけど、それを続けることが出来たのも、僕が小学校に入学する年齢になるまでの二年間だけとなってしまう。再び、父さんが転勤することになったのである。
婆ちゃんとは、僕が生まれてからずっと寄り添ってくれたので家族も同然だった。泣くのを必死で堪えて、婆ちゃんに泣き顔を見られないよう、必死に唇を噛み締めていた。
「それじゃ、行くね」
ボストンバッグを持ち上げて別れを言う父さん。
「あまり、無理しなさんな」
「婆ちゃん、じゃーね」と続けて僕も言う。少し、声が上擦っていたかもしれない。庭の窓枠に取り付けてある風鈴の音色が、風に乗って運ばれてくる。
僕は婆ちゃんの玄関前で別れの言葉を言った。婆ちゃんは厳しくて頑固だった。そして、矛盾しているかもしれないけど、優しさに満ちあふれていた。
「バカ。そういうときはいってきますだよ」
婆ちゃんはいつもの婆ちゃんだった。僕は言い直すために息を大きく吸い込んだ。
「いってきまーーーす!」
なるべく大きな声で、泣き顔をごまかすように叫んだ。
「また来なよ」
婆ちゃんは手を降って、僕たちを送った。家の前に停まったタクシーに乗り込んで、住み慣れた家を後にする。僕はいつまでも窓から婆ちゃんの家に、手を振りつづけた。
新しい居住地は、3LDKのマンションだった。僕は新しい生活に胸が躍っていた。父さんは僕たちの部屋に届いた荷物の荷ほどきをしていた。
「近くに公園があるから遊んで来な」
ガムテープを剥がす手を動かしながら言う父さん。
「手伝わなくていいの? 」
「はは。瞬はまだ役不足だからな」と大きな手で僕の頭を掻き乱す。
「バカにするな!」と膨れながらも、知らない街を探検出来ることにワクワクする。
「ほら、いってきなさい。夕飯がもうすぐだから、あまり遠くに行くんじゃないよ」
「うん、わかった。行ってきまーす」
僕は知らない街で冒険をしにいく。黒板の引っかく様な音のする扉を開けて外に飛び出す。
雲一つ無い橙色の空が広がる。確か近くに公園があると、父さんが言っていた。
目の前に広場があり、川が沿うように伸びている。川沿いの緑地を真っすぐ歩くと公園が見える。走って公園の敷地に入る。川沿いに面する公園で、とても風が気持ちい。ブランコがあったので、すぐさまそれに乗る。川下から流れ込んで来る風を肌で感じることが出来る。体重移動を繰り返して、振り子運動を大きくしていく。大きく揺れるブランコと同時に、風が僕にぶつかり歩照った身体を涼しくする。体重移動をやめて、徐々に小さくなっていく振り子運動。それと同時に、心の隙間を埋めるような寂しさがあふれてきた。
遊ぶときは常に誰かがいてくれた。保育園の友達、時には婆ちゃん、僕が三歳になるまでは母さんが、いてくれた。一人では楽しさを共有してくれる存在がいない。
「つまらない」
ブランコは揺れるのをやめて、静かになる。空が茜色に染まりはじめ、僕の影が伸びて、地面を黒く塗り潰す。人気がなく、寂しさが増してくる。やることも見つからず、足元に落ちている小石を蹴る。鉄製の手すりに当たり、公園に乾いた音が響く。
『なにしてるんだか』
いつのまにか、気配もなく隣のブランコに座るように影が現れる。僕の足元からは影が消えていた。
「影子? 影子なの?」
『う、うん。そうよ、影子よ』と、照れたような口調の影子。
この二年の間、僕の影は独りでに動くことはなかった。
「もう、いなくなっちゃったと思ってたよ」
どこからか、カラスの鳴く声が耳に届く。
『いなくなることなんて、出来ないわよ』と、こっちに顔を向ける。腰まで伸ばす髪のシルエットが揺れる。影子は言葉を繋ぐ。
『私は、しゅ、瞬が命を宿したその瞬間から一緒にいたんだから』
口調が照れてるのは、どうしてだろうか?
「どうして、照れてるの? 」
僕は自分の影をじっと見つめる。
『それは、わ、わたしがまだ、名前で呼んだり呼ばれたりに慣れてないから......』
プラプラと落ち着きなく交互に揺れる影子の足。やがて、揺れている足が停止する。
『瞬。普通は影とはお喋りできないわ』
それくらいは僕もわかっている。
『本当は、私と喋っちゃいけないの』
だけど、今の僕には支えが必要だった。誰でもいいから遊び相手や話し相手が欲しかった。
『貴方は、こちら側の世界に来ては駄目なの』
影子の世界。それは僕に不都合があるのだろうか?
僕はまだ、影子の言っている本当の意味を理解していなかった。




