拒絶
僕は、母さんが死んでからというもの泣いてばかりいた。家で泣いているのは、婆ちゃんがいるのでみっともない姿を晒したくない。婆ちゃんと呼ぶ人物は、母方の母親。つまり僕のおばあちゃんである。婆ちゃんは男が泣いているのを許さない。だから、公園にひっそりと置かれた土管の中で、声を押し殺して泣きじゃくらなければならなかった。
雪だるまを作った次の日から、体調を崩した母さんは、僕に謝ってばかりだった。
「最後まで雪だるまを作ってやれなくて、ホントにゴメンね? 」
ベッドの上で、上半身を起こして謝る母さん。
「雪だるまなんてどうでもいい! 母さんがいればいい」
母さんは喜んでくれると思っていた。けれど、寂しく笑いながら、細くて綺麗な手の平を僕の頭に置いて、母さんは言う。
「そんなこと言わないで一人でも最後まで作ってあげてね? あまりにもあの子がかわいそうでしょ? 」
母さんの手が、 僕の髪を梳く。その翌日からは、病院で入院することになった。婆ちゃんに手を引いてもらって、母さんの病室まで連れていってもらった。僕は母さんが死んでしまうかもしれないことを、なんとなく悟っていたのかもしれない。母さんと顔を合わすことが堪らなく嫌で、母さんの病室の前に来ると、すぐに逃げ出していた。母さんの病室に無理矢理に連れて来られても、母さんと目を合わすことをしなかった。最後まで、母さんと目を合わすことをしなかったのだ。母さんが死んだ瞬間、大粒の涙と大声を出して、みっともなく泣き叫んだ癖にである。
父さんも母さんの死に際には駆け付けることが出来た。父さんが、大の大人が、僕と同じくらいみっともなく泣くなんて思ってもいなかった。僕はその時に、初めてこの人は僕の父さんなんだなと、感慨深く思ったことを覚えている。
それからというもの、僕はいまだに泣き続けている。保育園に通うとき以外は、この公園で泣いてばかりいた。
「ひ......うえ、うぐ」
手で涙を何度も拭っては、零れを繰り返す。風が一際強く吹き、土管の中を反響して、低い唸り声のような音が響く。僕の影が自分の意思で動く。シルエットが変わり、髪が腰まで伸びる。身体を前後に曲げたり、捩ったりして、身体をほぐしていく。
『言ったでしょ。後悔するって』と、僕に人差し指を突き付ける。
「きみは、誰だよ? 」
泣いている顔を見られるのが恥ずかしく、そっぽを向いて明後日の方向に返事を帰す。
『えっ! 私のこと忘れてたの!』
僕の影が独りでに後ずさりしている。
しまった、と頭を抱えて言ってる本人が後悔しているみたいだ。
『それなら、声をかけなければよかった』
僕は俯いたまま、無視を決め込むことにした。
『忘れたままで良かったのに......』
僕は膝頭に顎をのせて、ぼんやりとしていた。早くどっかにいってくれないかなと考える。
突然、僕の影は腰に手を当て、大きく息を吸う。
『いつまで、ウジウジしてんの! 貴方がウジウジしていると私にまで感染してくるのよ!』
耳に声が突き刺さる。こんなにうるさい女の子は初めてだ。耳を手の平で覆い、落ち着かせる。
『あなたは、これから強くならないといけないのよ? 』
表情は影であるので、見えない。だけど怒っているような気がする。
「きみのお名前はなーに? 」
慌てて、一歩二歩と後ずさりながら答える僕の影。
『なま、え? わたしの? 』
「うん」
『変わってるわ。影に名前があるわけがないでしょ? 』と、手を振って答える僕の影。
「じゃー、僕がつけてあげるよ」
『えっ』と、素っ頓狂な声を上げる。
「影子」
『え、えっ......』と、素っ頓狂な声を再度上げる。
「君の名前は影子。可愛いでしょ?」ニヒヒーと僕の影に笑いかける。
『かげこ。影子。私の名前』と、何か考えている。うん、まーまーねと言いながら、僕に笑いかける。
『エヘヘー』と、笑う僕の影。
「影子。邪魔だからどっかいってよ」
何かを言いかけてやめる影子。持ち上げた腕が手持ち部沙汰に空中を漂い、結局行く当ても無く下げて、『わかった』と、静かな声でつぶやく。
『貴方の名前は? 』
消え入りそうな声が、風に乗って届く。
「瞬。風間津瞬だよ。僕は一人になりたいんだ」
『瞬。貴方は生まれた時からずっと、一人じゃなかったんだよ』と、背中に手を回し、腰で組む。
影子の言葉はとても小さく、そして重い力があった。
影子は僕の影に戻った。