ゴーヤイオンフレッシュ
三依と別れて間もなくして、僕たちも電車を降りる。
誰も座られていない、ペンキが剥げかけの青いベンチが一つ。金網でバリケードを作られた簡易的な駅である。
電車の揺れがいまだ残響するその足で、バス停を探す。
駅を出た瞬間、延々と輝く太陽が床一面の白のタイルを反射させて眩しく、手で影をつくり目を細めて青い空を見上げた。
『電車もたまには良いものね』
駅として最低限の設備を備えるのみで、無人駅に等しいおかげで、人目を気にせず遠慮なく僕も喋る。
「うん。三依にも会えたしね」
今更こんなことを考えるのもあれだが、奇跡のような偶然である。
『貴方って本当に馬鹿ね』口を手で押さえながら笑いだす影子。
「は? 馬鹿ってなんだよ」
『面白いから、教えなーい』
「何なんだよさっきから......」
バス停を探すために影子と僕は歩きながら喋る。影子は僕の影としての役割はしておらず、自分の歩調で自由に歩を進めている。
影子は僕の少し前を歩きながら、手を後ろに回して腰のあたりで組む。
『入学式が楽しみになってきたね』
「知り合いがいるから、緊張もしないですみそうだしね」
『そうね。知り合いがいるものね』と、再び影子が笑い出す。
こいつ僕のこと笑いすぎだろ。電車の中でも意味ありげに馬鹿にしやがって。
「お前、僕をからかって楽しんでるだろ?」
『そんなことないよ~』
なぜか身体を駒みたいに回しながら、フラフラと前に進んでいる。僕としては影子のああいう行動が人を馬鹿にしているとしか思えない。
「うーん。殴りてー」
『ちょっと。女の子を殴るなんて駄目よ』
歩行者がぽつぽつと増えはじめ、影子は膨れながらも僕の影に戻る。幸運にもコンビニを見つけたので、ひとまず飲み物を買いに行く。
自動ドアが開き、足を踏み入れる。影子は炭酸系の飲料は駄目であるから、スポーツ飲料系を一本適当に選ぶ。
『それ駄目、そっち。そう、それそれ』
影子が誘導した先には、ゴーヤイオンフレッシュとラベルに記入された飲料水。
「本気?」
『本気』
新商品らしい、奥まで隙間なくそれは収まっていた。
「後悔するなよ。ていうか後悔するよ」
『新商品は試さないと』
スポーツ飲料の部類としては爽やかとは程遠い、濁った緑色の液体を手に収め、コンビニを出る。
コンビニの目前にある道路を渡れば、バス停がある。徐々に父さんと一緒に歩いた記憶が鮮明に蘇ってきた。
去年もここのバス停でアイスをちびちび舐めながら待ってたっけ。
信号が青に変わるのを手持ち無沙汰に待つ。と、曲がり角を折れてバスが一台、向かって来ていた。
「やばい! あのバスだ!」
青に変わると、地面を強く蹴って走る。バス停に到着したバスはエンジンを休めていた。たぶん、僕がバスに乗るだろうことに気づいてくれたのだろう。窓から運転手がこちらを窺うのがわかった。
「ありがとうございます」
運転手にお礼を言いながら、車内に乗り込む。運転手は落ち着いて帽子を脱ぎ、どういたしましてと伝えてくれる。
息を切らしながら、席に座る。僕以外にの乗客は三人だけであり、人口密度が少ないので思いっきり酸素を吸う。
バスは大きな発信音とともに、ゆっくりとスピードが増していく。
まだ春だというのに、風は肌寒いのだが日差しがキツイ。少し汗ばんでしまった。
襟を掴んで、パタパタさせて空気を送り込みながら、ゆっくり身体の熱を冷ます。
『さっき買った飲み物を飲みましょうよ』
自分が持っているコンビニ袋の存在を思いだす。袋から取り出したゴーヤイオンフレッシュは、駆け込み乗車のためにシェイクされてしまっていた。泡が生じて、透明感を全く失ってしまっている。
「うー。こんなの買う馬鹿はだれだ」
『もしかしたらベストセラーを狙える商品かもよ?』
ものはためしとも言うのだけれど、これは飲まなくても美味しくないことがわかる。
『取り合えず一口、グイッといきましょう!』
恐る恐るペットボトルから口へと流し込んでみる。
「ぐえ」
『げえ』
カエルが踏み潰されたようなうめき声を同時に漏らしてしまう。
甘い。が、苦い。よくみたらビタミンC配合とか書かれている。そのため、酸っぱい。これはスポーツ飲料ではないな、というのが正直な感想。喉をドロッとした液体が流れる。爽やかとは程遠い、飲み心地。
「お......うお~! むしろ喉が渇く」
『ごめんなさい。もう飲まないで』
選んだ張本人が拒絶反応を起こす。
結局、バスを降りると、バス停の付近にあったごみ箱へと突っ込んだ。
「申し訳ありません。神様」
二度手を合わせ、ごみ箱に懺悔する。
「ほら、影子も」
『なんまいだー。なんまいだー。ごめんなさい』
影子はゴーヤイオンフレッシュを成仏させる。確かに化けて出てきた日には恐ろしいので、あえて指摘をしなかった。
「うーん」ごみ箱を見つめて、しばし悩む。
『ごみ箱みて唸んないでよ。ホームレス見たいだよ』
やっぱり、もって帰ろう。婆ちゃんはこの味が好みである可能性がある。
ごみ箱をあさり、再びゴーヤイオンフレッシュを手にした。
「お土産はこれにしよう」
『そういえば婆ちゃんはゴーヤが大好きだったっけ?』
ブクブクと泡が踊っては弾ける音だけは実に爽やかだった。