1話
僕──横山陸人はループすることができる。
いや、正確には「気がつくと、勝手にループしてる」ってのが正しい。
どうしてこうなったのかも、どうすれば終わるのかも、さっぱり分からない。
最初の頃は「もしかして世界を救う使命のためにループしてる!?」とか、「命を狙われてる美少女を救うためか!?」なんて、無駄に妄想を膨らませたりもしたけど──
もう、そんなことを考えることなんて無くなってた。
いつから始まったのかも覚えてないくらい、僕はこのループを繰り返している。
ドキドキしたその瞬間、
気がつくと、またその日の朝に戻ってしまう。
もう何回したかなんて数える気にもならない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
──「女の子にドキドキしたら、ループしちゃうってこと」
思春期真っ盛りの男子には、最悪の呪いだ。
そして今、僕はまさにその「やばい状況」に陥っている。
「兄さん、起きてください。朝ですよ」
頭の中で響く、透き通った声。
ぼんやりとした意識が現実に引き戻される。
(……朝か)
重たい瞼をなんとか開けると、視界に入ってきたのは淡い紫髪。
窓から差し込む朝日を受けて、ふわりと揺れていた。
まるで光を浴びた花びらみたいに──。
「……う〜ん」
まぶたを擦りながら、なんとか上半身を起こす。
ぼんやりとした頭で見上げると、目の前には妹の穂乃果が立っていた。
じっとこちらを見つめる翡翠色の瞳。
呆れと慈愛が混ざり合った、不思議な表情。
「ほら、早く! 朝ごはん冷めちゃいます!」
「……あと40年」
適当に呟いて、布団に逆戻り。
温もりの中に包まれる瞬間、至福の時間が訪れる。
「わ……!何馬鹿なこと言ってるんですか、兄さん!?」
目を丸くして慌てる穂乃果。
その顔をぼんやりと見つめながら、僕はさらに布団を頭まで被った。
「……んじゃ、50年」
「伸びてるじゃないですか!?」
騒ぐ声を聞きながら、僕は瞼を閉じる。
ふわふわと浮かぶような感覚。
ああ、二度寝って最高──。
「……こうなったら、実力行使でいきますよ!」
───バサッと、強引に掛け布団が剥がされ、眩しい光が射し込む。
「……おうっ!?」
その瞬間、僕も釣られるように軽く持ち上げられ、少しバランスを崩してしまい、バタンッと、穂乃果を巻き込む感じになり、彼女の顔が目の前に迫る。
「……っ!」
距離が近い──いや、近すぎる。
次の瞬間──ほんの一瞬、ふわりとした柔らかな感触が唇に触れる。
(……え?)
何が起きたか分からず固まる僕。
穂乃果もまた、目を丸くして固まっていた。
「……に、兄さん?」
「っ……!!」
どちらからともなく、顔が真っ赤になる。
事故だって頭ではわかっていても、心臓はドクン、ドクンとうるさいほど鳴っている。
(……やばっ、やばい、やばい!!)
恥ずかしさで息が詰まり、頭が真っ白になり、急に頭の中でバチンと稲妻のような頭痛が走り──
──そこで、僕の意識は闇に飲み込まれる──
「兄さん、起きてください。朝ですよ」
頭の中で響く、透き通った声。
ぼんやりとした意識がまた現実に引き戻される。
(……やっちゃったな)
ズキズキと残る頭痛。この感覚――ループ明けの後遺症みたいなものだ。
半分泣きそうになりながら、僕はベッドから起き上がる。
本当は二度寝したいけど、下手に寝直すと、また同じ朝をやり直す羽目になる。これは経験上、間違いない。
目の前には、両手を腰に当てた穂乃果が立っていた。
「ほら、早くしないとご飯が冷めちゃうよ……って、なんでそんな顔してるんですか?」
穂乃果が、呆れたように眉をひそめる。
「……眠いだけだよ」
なんとなく素っ気なく返す。
本当は、穂乃果の顔をちゃんと見るのが恥ずかしいだけだ。さっきのループで――唇にふれたあの柔らかい感触が、今も妙に残っている。
(……いかん、いかん、思い出すな)
思い出すだけで、顔がじわりと熱くなる。喉の奥がつっかえて、声まで裏返りそうだ。
穂乃果がじっと見つめてくる。半目で良かった、今、ちゃんと見ていたらまたドキドキしてしまう。
本当に困った呪いだ。穂乃果が相手だと、リスキル並みの速度でループが発動する。
最初の頃は本当に最悪だった。
穂乃果の顔を見ただけでフラッシュバックして、自滅するみたいに何度も繰り返したっけ。
それでも今は、さすがに少しだけ耐性がついてきた。
でも、やっぱり――さっきみたいな出来事が起きたら、全然勝てない。
「……もう、それならさっさと顔洗ってきちゃってください!!」
「ふぁ〜い」
穂乃果の呆れ声に背中を押されるみたいに、僕はとぼとぼと洗面所へ向かう。
洗面所で顔を洗い、制服に着替えると、ふわりと味噌汁の香りが廊下まで漂ってくる。
誘われるように足を進めると、リビングから穂乃果の声が飛んできた。
「……やっと来た!」
制服の上にエプロンを巻いた穂乃果が、台所で忙しそうに朝ごはんを仕上げている。
「何か手伝おうか?」
「いえ、もう大体できてますので、兄さんは座っててください」
手持ち無沙汰なままダイニングチェアに腰かけると、穂乃果が手際よく料理を並べていく。
白いご飯に湯気の立つ味噌汁、焼きたての鮭、ふんわりした卵焼き、色とりどりの小鉢。ザ・日本の朝ごはんってやつだ。
箸を手に取り、まず味噌汁をすくってすする。
出汁の香りと豆腐の優しい口当たりに、思わず声が漏れた。
「むむっ! この味噌汁は……まさしく横山家の味噌汁! はなまる満点です!」
自分でもちょっと大げさだったかなと思いつつ、キリッと決め顔を作る。
「なに言ってるんですか……私が作ったんだから、そりゃ横山家の味噌汁ですよ」
あきれ半分、でもどこか嬉しそうな穂乃果の声に、僕は思わず笑ってしまう。
穂乃果も向かいの席に腰を下ろす。
「いただきます」
彼女は小さく手を合わせて、卵焼きを口に運んだ。
「……うーん、ちょっと卵焼き甘くし過ぎちゃったかも」
「……ん、僕はもうちょい甘くてもいいと思うけど」
「さすがにこれは甘すぎです。兄さん、太りますよ」
苦笑しつつ箸を動かす。
(卵焼きは甘い方が美味しいのに……)
そう心の中で反論しながら、鮭にかぶりつく。
こうやって当たり前の朝を過ごせることが、今の僕には妙にありがたく感じる。
ループを繰り返すようになってから、こんな些細なやりとりの大切さを身に染みて思い知るようになった。
気がつけば、お皿の上もすっかり空っぽになっていた。
「……ふぅ、ごちそうさまでした」
「お粗末さまです」
手を合わせて頭を下げると、穂乃果が満足そうに微笑む。
うちの両親は共働きで、朝はいつも家にいない。
だから、こうやって穂乃果が作ってくれる朝ごはんが、僕にとっての日常の始まりだ。
昔は母さんがドタバタしてたけど、今はもう穂乃果が全部やってくれる。……ありがたいけど、ちょっと申し訳ない気もする。
「ほら、兄さん、そろそろ準備しないと遅刻しちゃいますよ!」
「は〜い」
「……あ、兄さん待ってください!」
「ん?」
「兄さん、そのネクタイ、曲がってますよ」
「え? マジで?」
「もう、しょうがないなぁ……」
穂乃果がぱたぱたと僕の前に立つと、手際よくネクタイに指をかけて直し始める。
近い。
ふわりとシャンプーの香りが鼻先をかすめて、思わず呼吸を止めそうになる。
「じっとしててください。……はい、これで――」
すぐ目の前で、穂乃果が真剣な顔でネクタイを整えている。
その瞳がまっすぐこっちを見て、指先が喉元をそっとなぞる。
(やば……近い、近すぎる。なんか変に意識しちゃう――)
ドクン、と心臓が跳ねる。
その瞬間、頭の奥にバチンッ!と稲妻のような痛みが走った。
――視界が闇に沈んでいく。
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