ぐるぐるぽんちき 妙蓮寺コーポラスから妙蓮寺駅へ。
1 ぐるぐるポンチ機
一緒に来てくれた拓郎は、時計をちらっとみて、スマホのナビをセットしてくれた。
「帰り道わかるの?」
響香の夫、拓郎は、もちろん、この妙蓮寺の土地勘は、まるっきりないのだが、いつもどうり、先導役をする。
行きは、少し菊名寄りに歩き、民間の力で築かれた鉄道の高架下をくぐって、コーポラスに向かった。近代資本主義の土台を築いた渋沢栄一。その精神が今も沿線の暮らしを支えている気がする。最近、新しいお札の顔になったその渋沢栄一氏のことを思いながら、この線路を見上げた。
そして、かつて、住むコーポラスにむかった。この道の、あるはずの、傘屋や、おでんやは、なかったけれど、駅前には、おでん屋があって、そう、おでんの具専門のお店。
そんな珍しいものの店が、あった。
確かに、50年前もあった。だけど、子供のころは、妙蓮寺しかしらなかったから、どの町にも、駅前には、おでんの具、専門店が、あるとおもっていた。
そうだった。
おでん、800円で、結構たくさんあるのもみつけた。
拓郎が先に歩いていくのに気づいたけれど、たずねてねてみると、すぐに売れきれるが、3時には、またできたてのができるという。
ガラスのケースの上には、100年ごしの、そろばんが、今も現役と、おかれていて、
その定員も、40代ぐらいの、わかわかしいのに、100年ごしのそろばんに、とっても似合っているのが、すごかった。
拓郎がいなかったら、このおでん屋と駅前の唐揚げ屋だけで、帰ってしまう私であったにちがえない。
優秀なタイムキーパーに感謝。まだ、一つの信号機。
帰り道、唯一の信号機。
そう信号機。あの信号機をみていたら詩ができた。
「ぐるぐるぽんちき」
妙蓮寺コーポラスの信号機を
ぐるぐるポンチき と呼ぶことにした。
どうして、もっとはやく、この、ぐるぐるぽんちきを認識しなかったかとおもう。
とにかく、私は、かつての、自分にむきあったとき、
この、ぐるぐるポンチ機の存在をしった。
生まれながらに、性能のいい、ぐるぐるポンチきを内蔵しているひとがいる。
すべてのことを石橋をたたいてわたるとか、
もしくはその逆でつねに、即断即決で、ものごとをわたれるひとが、いる
ぐるぐるポンチ機がないと、事故ばかりおきて、いきにくいとおもう。
妙蓮寺の信号、あか、黄色 青
綱島街道、わたらずに、これは、江戸からづづく道
右に十分いけば、小学校のグランド
左に行けば、おばあちゃんち、
背後には、3LDKの部屋とライティングデスク
もしくは、その前のちいさなちいさな3畳ほどの公園
わたって、信号機をわたれば、妙蓮寺
あのとき、私は ぐるぐるぽんちきして、
結局 いつも 妙蓮寺駅にむかった。
あれが、ぐるぐるぽんちきだとしっていれば、
あのときの わたしを
くすっとわらえる。
ぐるぐるぽんちき
最高だ。
2「かえりみちわかるの?」
「かえりみちわかるの」
拓郎の声で、われにかえった。
信号機を渡る。行きとは違う道を通る。
「妙蓮寺への道は、100通りあって、どれを選んでも迷わない。」
「ぐるぐるぽんちきの信号」をわたって、わたしは、そういった。
じぶんの中からでた言葉なのに、不思議だった。
100とおりあって、どれを、選んでも、まよわない。ってどうゆうこと?
響香は哲郎の後を小走りに5歩すすんで、細い、コンクリートの緩やかな階段
にむかった。
「こっちでいいの?」
「大丈夫。そっちでも」
むっつ、七つの自分が、この中にいるのだから。そういいきかせるように。哲郎にこたえた。
信号のさきの小さな階段をわたりきらないうちに、じぶんが、なぜ、まよわない、といったかわかった。
この、方向音痴のわたしでも、妙蓮寺へは絶対まよわない。
妙蓮寺へのいきかたも100とおり。
それも、そこそこ嘘でない。 あみだくじのような、ほそい道。
そのどれを、えらんでも、最後は、妙蓮寺。だいじょうぶだ。
足のつま先をみる。大丈夫としって、あたりをみる。
過不足なくという、美しさ。
常に息づいてきた美しさ。
50年前は日本のすべてがこんな風景だと思ってすごしてきたけど、ここにしかない美しさ。
「こっちを、ひだり?」とまた哲郎。
「だいじょうぶ。この道は、ひとりでよくあるいたみちだ。」
もしかしたら、誰かと歩くのは、はじめてかもしれない。
母とは、違う道でもどってきたから。
足に少しだけ、力がはいる。それで、少しだけ最短距離のコースから離れているのがわかる。
そう、くだればいいのだ。
石ころのようにくだれば、、一番下にあるのが、妙蓮寺。
水の流れるように身をゆだねれば、最後は妙蓮寺に引き込まれる。
あっちにいけば、犬にあえる。あっちにいけば、○○じるしの、コンクリート。
今日も、ミカンがみずみずしく色づき、光を受けている。
木々の緑も正直に、南の方だけ、どれも青緑の葉をつけている。
アパートに、三世代住んでいそうな一軒家に、田園調布にあるような高級自動車のガレージつき一戸建て、まるで、テレビのセットのようにならんでいる。現役で。
隙間には世話のゆきどどいた鉢の花。50年前にもあそこにあった気がする。。
外付けの階段のかたちはそのままだ。それだけでも、なんだか、とても胸にとびこんでくるのに、そのみなみなが、築2,3年に見える。それは、錯覚で、そのすべてが、外側だけ、知らん顔で、壁のみぬりかえて、新築よとばかりに立っている。
いろんな人が、この狭い空間で、帯広の農家一軒分くらいの空間で、寄り添って生きている。誰もが、あの、鉢や、あそこの庭で、四季かんじてくらしている素敵な道だと思った。これは住民のもの道だから、本当は通るのもあつかましいのかもしれない。
50年まえのよしみで、たのしませてもらって、妙蓮寺にたどりついた。