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2 悪役令嬢の秘密の婚約者


 その日、結局逃げられずに三人でランチを取ることになったエミリアは、周囲の女子から悪意たっぷりの視線を向けられていた。



「あら、またバレンス様ったら、婚約者のお二人の邪魔をされているわ」


「爵位が上だからライシリル様もお断りできないのね。おかわいそうに」



 などとヒソヒソと声が聞こえてくる。

 周囲にはたくさんの生徒がランチをしているので、誰が発した言葉か分からない。


 美味しいはずのランチが最近では憂鬱で、モニカと友人になる前の一人で食べていた頃のランチの時間が恋しくなるほど、周囲の言葉はぐさぐさとエミリアを攻撃してくる。

 けれど、侯爵という高い身分故に、誰も表立ってエミリアに文句は言えないのだ。



「エミリア嬢、今度食事にでもどうかな? 二人で」



 ロッドは優しい顔立ちをしており、話し方も穏やかで、友人も多いと聞く。

 しかし、婚約者がいながらエミリアを誘う神経を疑ってしまう。

 もちろん、エミリアの答えは一択だ。

 


「婚約者のいらっしゃる方と二人でなんて出かけられませんわ。ぜひモニカと行っていらして?」



 当たり障りない断り文句を告げ、婚約者はモニカだろうという怒りを含める。



「だったら三人で行きましょう!」



 名案だと言わんばかりの笑顔を浮かべるモニカに、エミリアも呆気にとられる。



「そうだね。それなら問題ないよ」

 


 かなり問題大ありだというのに、二人は盛り上がり始める。



「エミリアはこれまであまり友人と外出しないって言っていたでしょう。だから、エミリアに楽しんでほしいわ」



 モニカの気遣いはとても嬉しいのだが、正直悪い噂が流れつつあるエミリアにとっては有難迷惑だった。



「それなら今度モニカと二人だけで出かけましょう? 女子会をしたいもの。男子禁制よ。それがいいわ!」



 エミリアは力強く答える。



「それは残念」



 とりあえずロッドが素直に引いてくれたので、エミリアはほっとした。


***


 侯爵家に帰ると、エミリアは精神的に疲れため息を吐く。


 しかし、玄関でその人物が立っているのを見て動きが止まる。

 微動だにしないエミリアに、その人物、学校で氷の貴公子と名付けられているウェルクスは、破顔した。



「エミリア、せっかく数日ぶりに会えたのに、挨拶はなしか?」



 ウェルクスの言葉でようやく体の自由を取り戻したかのように、エミリアは嬉しそうな顔でウェルクスに抱きついた。


 それをなんなく受け止めるウェルクスは、氷の貴公子などと呼ばれる無表情さはどこへやったのかと思うほど愛おしげな微笑みをエミリアに向ける。  



「ウェルクス、いつ来たの?」


「学校が終わってから直接来たよ。エミリアを出迎えようと思って馬車じゃなく馬に乗って飛ばしてきたんだ」



 こともなげに言うが、公爵令息ともあろう者が、馬車でなく単騎でやって来るなど不用心が過ぎる。

 しかし、騎士団から勧誘が来るほどの剣の腕前を持つウェルクスなら、それも許されるのかもしれない。



「また、護衛を振り切ったのでしょう? 後でおじ様に怒られてしまうわよ」



 エミリアの言う『おじ様』とは、ウェルクスの父親であるリーゼルド公爵だ。

 


「父上にはついさっき怒られた」


「え? おじ様もいらしているの?」


「ああ、母上も、エミリアの両親も一緒だ」



 ウェルクスの両親とエミリアの両親が学生時代からの友人で、結婚後も仲がよく、必然とエミリアとウェルクスも幼い頃から顔を合わせていた。

 いわゆる幼馴染みの関係だ。


 ウェルクスはその地位と容姿から、昔から異性が放っておかず、茶会やパーティなどに出ればすぐに異性に囲まれてしまう。

 そんな異性に嫌気がさしたウェルクスの防衛方法が、あの無表情である。


 綺麗すぎる顔は無表情だとかなりの威圧感を与えると知ってからは有効活用していたが、幼い頃から親しいエミリアを前にしたら、その鉄仮面も簡単に崩れ落ちてしまう。

 それはただ幼馴染みだからという理由でなく、いつからか幼馴染みという感情は恋心へと発展していった。


 それはウェルクスだけではなく、エミリアも同じだった。

 いつからかエミリアにとってもウェルクスはかけがえのない愛する人となっていったのだ。


 元々仲のいい両家。

 二人の仲を反対する理由もなく、むしろ親達も親戚関係になれると大歓迎だった。



「どうしたの、急に? 聞いていないのだけど?」


「もう卒業だから、婚約の後のことを本格的に決めていこうって」


「あっ」



 理解したエミリアは頬を染めた。

 すでに親公認ではあったが、二人はまだ婚約発表していない。


 普通貴族は高位になればなるほど、大々的に周知の意味も込めてお披露目をするのだが、ウェルクスが無駄に女性にモテるため、嫉妬した女性達がエミリアに嫌がらせをする可能性が大いにあった。

 それゆえ、発表は学校を卒業してからと両家で取り決めていたのだ。


 その卒業式ももう目前。

 つまり婚約発表ももうすぐということを意味する。



「婚約発表の準備はもうほとんど済んでいるけど、その後できるだけ早く結婚したいって父上たちにお願いしたんだ。学校で他人のふりをするのがどれだけ苦痛だったか。本当ならこんな風にずっと触れていたいのに」



 そう言いながらエミリアの髪を撫で、ひと房手に取ってキスをする。

 甘く蕩けんばかりのウェルクスの表情に、エミリアは恥ずかしそうにする。



「それに、学校での噂の件もあるし」



 そう言った瞬間、ウェルクスの目が剣呑に光った。



「子爵の息子ごときが俺のエミリアに触れるなんて、その汚れた手を切り落としたら、少しはすっきりするだろうか」


「だ、駄目よ、ウェルクスったら。ロッド様はモニカの婚約者なのだから」


「その友人も俺は気に食わないんだけど? 噂を否定すらしなくて、エミリアが悪者扱いだ。頭が沸いてるんじゃないか?」


「もう、ウェルクスは女性に対して厳しすぎるわ」 


「当然だ。俺にはエミリアしか目に入っていないからな」



 息を吸うように愛を囁くウェルクスの姿を、学校の人間が見たら開いた口がふさがらなくなるだろう。



「もう。そんな恥ずかしげもなく言ってないで、皆が集まっている部屋に行きましょう」



 エミリアはようやく周囲にいる使用人たちが生温かい眼差しで見ているのに気がつき、恥ずかしそうにウェルクスを引っ張っていく。

 


 応接室に行くと、すでにエミリアの母親とウェルクスの母親がたくさんのカタログを広げていた。

 それは結婚式に向けての衣装や装飾品の他、必要とされるたくさんのものがある。



「あら、やっと帰ってきたわね、エミリア」


「エミリアちゃんもこっちに来て一緒に選びましょう。ウェルクスが急かすせいで時間がないのよ。婚約発表もまだだっていうのに、困った子だわね」



 エミリアはクスクスと笑った。

 楽しそうに話している両家の母親にエミリアも交じって、あれやこれやと選び始める。


***


 その様子を優しい眼差しで見ていたウェルクスだが、一転して目にほの暗い光を宿した。



「やっとエミリアが俺のものになる。さすがにそろそろ虫の駆除も大変になってきたからな……」



 真っ黒な笑みでぽつりと零れた言葉は母親達とカタログを見ているエミリアには届かなかったが、父親達にはばっちり聞こえていた。



「ほんと、エミリアちゃんがうちのヤンデレ馬鹿息子を引き取ってくれて良かったよ。エミリアちゃんが拒否ってたら、監禁しかねない空気だったからほっとしたのなんのって」


「シャレにならないからやめてくれ。エミリアを嫁に出すのを後悔したくなってきただろ」



 などと父親達は呆れ顔だ。


***


 ウェルクスとの婚約、そしてその後に控える結婚の準備が着々と進む中、マルティンの行動がエスカレートし始めていた。

 これまでは最低限の節度は守っていたように思うのだが、あからさまにアプローチしてくるようになったのだ。



「俺はモニカよりエミリアの方を好ましく思っているんですよ」



 などと、許しもなく名前を呼び捨てにしたり。



「エミリア二人になれる場所に行きませんか?」



 などと、正直許せる範囲を超え、気持ち悪さしか感じない。

 さすがにエミリアも声を荒らげ、「いい加減になさってください!」と怒鳴り、モニカからどんなに誘われようとマルティンがいる時にはそばに寄らないようにし、両親にも協力を仰ぎ、侯爵家からロッド子爵家に苦情を入れた。


 そうしたらぴたりと来なくなった。

 最初からそうしておくべきだったのだ。

 エミリアも、久しぶりにできた友人に浮かれていたのだと反省する。


 モニカに気を遣いすぎてしまっていたのだが、卒業して大人として認められたらこのような暴挙を許していては舐められてしまう。

 エミリアはいずれ公爵夫人となるのだから、今回の一件はいい教訓となった。


 とはいえ、まだ噂が完全になくなったわけではなかった。

 それもウェルクスとの婚約が発表になったらなくなるだろう。


 ***


 ウェルクスはその日、学校内を一人で歩いていた。

 いつもは望んでもいないのに取り巻きが周りを固めるのだが、常につきまとわれてはかなわない。

 不機嫌さを隠しもせず、いつも通りの氷の貴公子の顔で取り巻きを遠ざけると、あっさりと引いていった。


 多くがウェルクスの地位を見ている者ばかり。

 中には本当の友人と言える者もいるが、そういう者達はウェルクスの機嫌をなんとなく察すると距離を置いてくれる。

 いつまでもまとわりついてくるのは、ウェルクスの肩書しか見ていない者だ。

 だからこそ、ウェルクスが睨みつければ、次期公爵の機嫌を損ねないようにとあっさり逃げていく。


 ウェルクスのこの機嫌の悪さはエミリアが関わっている。

 少し前からエミリアと親しくなったモニカという少女。

 普通の友人関係を築くだけならウェルクスも何も言わなかったが、モニカの婚約者があろうことか愛するエミリアにちょっかいをかけているのだ。


 エミリアは婚約者の欲目を抜きに見ても、美しく、まるで天から降りてきた天使のよう。

 その笑顔は輝くように華やかで、見る者を虜にする。

 そんなエミリアなので、これまでちょっかいをかけてくる男達は数えきれないほどいたが、そのどれもを、ウェルクスはエミリアの知らぬところで処理していた。


 もちろん命までは取っていないが、警告を無視しても近づくようなら行動に移すのもやぶさかではない。

 婚約予定なのはまだ親族しか知らないので、仕方ないのかもしれないが、エミリアに近づこうとする男を見て見ぬふりなどできるはずがなかった。 


 発表はまだだが、裏でウェルクスが暗躍していることは、学校内の男子生徒の間では密かに伝わっており、最近ではエミリアに近づこうとする男達はいなくなっていた。


 それなのに、ウェルクスのこれまでのけん制を無駄にするような、マルティンの存在は今すぐに消し去りたいほど憎々しく感じている。

 交友関係は多いようだが、エミリアに近づこうとするあたり、さほど深い関係は作っていないのか、それとも聞く耳を持っていないのか。

 どちらにしろ、そろそろ排除すべきだろうと思っていたところで、ウェルクスは聞いてしまう。



 そんなウェルクスは、とある空き教室で人の話し声を耳にする。

 特に気にしていなかったが、「エミリア」という名前が聞こえて足を止めた。

 そっと中を窺うと、中にいたのはモニカとマルティンだったので、なおさら立ち去れなくなる。

 婚約者なのだ。二人でいることに問題はないが……。



「なあ、モニカ。どうにかエミリアと婚約できないのかよ。俺のことちゃんと売り込んでくれてるのか? あんまり反応がよくないんだよな」


「マルティンの口説き方に問題があるんじゃないの? それか、子爵家なんて目に入ってないのかもね。ほら、エミリアってお高く留まってるから。ほんと嫌な女よね。これ見よがしに、下級貴族では買えないような髪飾りとか筆記用具とかさりげなく見せつけてくるんだもの」


「そりゃあ、エミリアは侯爵令嬢で、お前は子爵令嬢なんだから当たり前だろ」


「私は子爵で終わるような女じゃないのよ。もっと伯爵以上の相手が相応しいんだから。それこそ、ウェルクス様とかね」



 そうモニカが名前を出した瞬間、マルティンが声をあげて馬鹿にするように笑う。



「いや、それはさすがに高望みしすぎだろ。次期公爵様だぞ。子爵家なんて無理無理」

 


 下品な声を上げて笑うマルティンをモニカが睨みつける。



「それより、俺とエミリアの方だよ。絶対にエミリアを俺のものにしてやる。お前も協力しろよ。言い出したのはお前なんだから。けど、なんで俺とエミリアをくっつけたがるんだよ?」


「あのお高くとまった高慢ちきな女が、あんたみたいなクズに良いようにされて屈辱に歪む顔が見たいだけよ」



 ふんと鼻を鳴らすモニカは、天真爛漫とは真逆の歪んだ笑みを浮かべている。



「おーおー、女の嫉妬は怖いな。俺をクズっていうが、お前も十分クズだろうに」



 ケラケラと笑うマルティンも、その状況を楽しんでいる。



「まっ、俺は学校で憧れの高嶺の花って言われているエミリアが手に入ればどうでもいいさ。だが、どうする?」


「これを使うわ」



 モニカは小さな小瓶を出した。中には液体が入っている。



「なんだよそれ」


「媚薬よ。これを飲むと酩酊状態になるから、マルティンは看病するっていって部屋に連れ込んで既成事実を作ればいいわ。そこを私が発見して大騒ぎするってわけ。人に見られたらもう逃げられないでしょ?」



 さすがのマルティンもドン引きしている。



「やることがえげつないな。だが、高位の令嬢には一番効果的かもな」


「でしょう? 薬は私が飲み物に入れて飲ませるわ。あなたが持ってきた飲み物だと警戒されちゃうかもしれないし」


「いつ決行する?」


「卒業パーティにしましょう。その日はたくさんの料理や飲み物が用意されるし、薬を入れる機会もたくさんあるから」


「了解だ。楽しみだなぁ」



 クスクスと笑うモニカとマルティン。

 部屋の外で話を聞いていたウェルクスは静かに口角を上げた。

 その目は怒りに染まっている。





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