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セミトリ婆

作者: 汐見かわ


 家に帰ると玄関に干からびた茶色い物体が置いてあった。セミの抜け殻である。息子が捕って来たのだろう。夏の風物詩。自分も小学生の頃よくとったものだ。息子の成長が自分に重なり、微笑ましい気持ちになった。

 抜け殻が数個、そのままの状態で玄関に置いてある。


「おおい、太一。抜け殻が置きっぱなしになってるぞ」

「あー、お帰り」


 太一はリビングのソファで寝そべりながら、動画を見ていた。私の言葉は右から左へ素通りになっているに違いない。


「セミ捕りに行ったのかい」

「んー、まぁそう」


 太一の持つタブレット端末からは機械的な音で喋る声が聞こえてくる。私には不快に思える音だが、ゲームの実況動画を夢中で見ているらしい。


「お帰りなさい。玄関の抜け殻どうにかして欲しいけど、そのままなのよ。捕ってきて終わりなのよね。捨てても良いのかしら。気持ち悪いし」

「夏休みの間だけでもとっておいたら。なぁ、太一、百均で箱を買って抜け殻コレクションしよう」

「んー……」

「太一、動画止めなさい。お父さんの話、聞いてる? 動画なんていつでも見れるでしょ」


 太一は持っていた端末を慣れた手つきでタップして、渋々動画を止めた。


「明日、公園に置いて来る。だってさぁ、変なお婆さんに言われたんだ。それとってどうすんだって。別にどうもしないし」

「野丸公園で?」

「そう。博貴とセミとってたらお婆さんが来て言われた。そのセミどうするんだって。しかもさぁ、そのお婆さん羽化に失敗したセミを手に持ってて何か怖かったから逃げた。抜け殻は置いてくるの忘れた」


 そう言って、太一は持っている端末で動画の続きを見始めた。再び機械的な声が聞こえてくる。


「ホント、最近変なお年寄り多いのよね。登校班だって、朝からうるさいって言われて無くなったし。公園で遊んでてもうるさいって学校に苦情入れてくるし。じゃあ、明日抜け殻は置いて来るのね」


 妻はテーブルに箸や皿を置いてから台所へ戻って行った。


「そのお婆さん、髪は白くてサンダル履いてた?」

「うん。髪はぼさぼさで真っ白。サンダルみたいなの履いてた」


 こちらに顔を向けるでもなく、太一は動画を見て唐突にけらけら笑った。実況動画がツボにハマったらしい。


「なぁ太一、野丸公園は行くのやめておいたら。林町公園は? あそこの方が広くて良いんじゃない? 前にザリガニもとったしなぁ」

「んー、まぁ」


 太一は、動画を見ながら気のない返事をした。

 野丸公園は家から一番近く、この辺りの小学生がよく遊んでいるが、もう行かない方が良いだろう。


「何でよ。野丸公園は近いし、近所の子たちみんな遊んでるじゃない。林町公園は行くまでに抜け道になってる道路があって危ないし。何で太一たちが変なお年寄りに気を使わないといけないのよ。声を掛けられたのはたまたまでしょ」


 台所で米をよそりながら、妻が不満をあらわにした。

 違う。そういうことじゃない。

 その老婆は人ではないかもしれない。ふと、私の眠っていた記憶がよみがえった。

 私も全く同じ経験があるのだ。

 それも三十年以上も前に実家の長野の公園で。


「野丸公園は薄暗いし、何か良くないと思ってたんだよ……」


 私が遭遇した時も太一と全く同じで、セミ捕りをしていた時だった。「それを捕まえてどうするの」 振り返れば白髪の老婆が話し掛けて来たのだ。手には羽化に失敗した黒く固まった蝉の幼虫があった。 後のことはよく覚えていないが、なぜ手に蝉の幼虫を持っているのだろうかとその時、ほんの少し疑問には思った気がする。


「あはは、ねぇ、お母さん。これ見てよ。ウケる」


 公園での出来事はもうどうでも良いのか太一はタブレット端末を持って台所まで行った。

 私は何とも言えない気味の悪さを感じていた。

 だっておかしいだろう。三十年も前に長野で会った老婆が、近所の野丸公園にいたなんて。ここは東京だ。

 仮に同じ人物だとしても、三十年も生きているはずがないだろう。私が見た当時、老婆はどう見ても70代か80代だった。

 それとも、たまたま似たような姿の老婆がセミの幼虫を持って話し掛けてきたのか。そんな偶然はあるのだろうか。


「太一、野丸公園で遊ぶのはもうやめておきなさい」

「だから、何でよ。野丸公園はこの辺りの子がみんな遊びに行くし、近くて良いじゃない。何で公園行くのに子どもが遠慮しなきゃいけないの。あ、お父さん、暗くなって来たからカーテン閉めてくれる?」


 妻はわかっていない。

 太一に話しかけてきたのは人ではないかもしれない。セミの妖怪か何かだ。家族に良くないことが降りかかるかもしれない。

 私はカーテンを閉める為に窓に近付いた。

 ふと、窓の外を見るとぼさぼさの白い髪を振り乱して通りを歩く老婆がいた。

 老婆はくるりと振り返り、私と目が合った。

 どきりと心臓を掴まれた心地がした。

 私が子どもの頃、長野で遭遇した老婆そのものだった。


「おい、いる! まずいぞ! 外にいる!」

「なぁに?」


 家族でお祓いに行った方が良いかもしれない。

 追い掛けて来たのかもしれない。

 なぜだ。なぜ私を? そして太一を、家族を巻き込む? 妻もやって来て、カーテンの隙間から外を眺めた。


「ああ、あの人。この先を行ったボロボロの一軒家に住んでるお婆さん。独り身なのかしらね。時々、スーパーで買い物してるの見かけるのよ」


 そう言って、カーテンをさっと閉めた。

 いや、でも私と太一の遭遇した老婆そのものじゃないか。どうしたら妻に伝わるのだろう。家族に災いが降りかかるかもしれない。

 この後、きっとあの老婆は玄関のチャイムを鳴らしに来るだろう。そして玄関を開けた時に、老婆が立っていて、家族は全員皆殺しだ。そういう展開に決まっている。


「いや、あの人、太一の見たお婆さんだろう。俺も昔、話しかけられたんだよ。セミ捕りの時に。手にはセミの幼虫持っていたし。そんな偶然ある? 幽霊かもしれない。化け物だ」

「は?」


 妻は眉間に深い深い、本当に深い皺を寄せて言った。


「あのね。今は超高齢化社会なの。周りを見てよ。お年寄りばっかり。ああいうお婆さん、いっぱいいるから。変なお年寄りもいっぱいいるから。いちいち気にしてらんないわよ。太一、夕飯だからそろそろ動画やめて」


 その時、玄関のチャイムが鳴った。

 そら見たことか。絶対に出てはいけない。老婆が来たのだ。


「はぁい、今あけます」


 妻はインターホンの画像を確認して、リビングから出て行こうとしている。私は妻の手を掴んだ。


「バカっ! 玄関を開けちゃだめだって! 来るぞ!」

「何、言ってんの? ヤマトさんが来たの。この前取り寄せたのが届いたんじゃない。さっきからおかしいよ。何なの」


 妻にひと睨みされ、乱暴に手を振り解かれる。

 太一の見ている動画からは、機械的な声で早口に何かを説明する声が聞こえている。


「お荷物です。あ、サインは結構です。失礼します」

「はい、ありがとうございます。お世話さまです」


 静かに扉を閉める音が聞こえ、すぐさまガチャリと鍵とドアロックがされた。


 妻の言う通り宅配業者だった。

 そうか、考え過ぎだったか。拍子抜けだ。

 超高齢化社会。二人に一人が65歳以上の高齢者だ。会社勤めをしていると気付きにくいが、思っていたよりも世の中は高齢者ばかりなのだな。

 偶然にも親と子で似たような老婆に遭遇したのか。嫌な偶然もあるものだ。


「太一、待ってたの届いたわよ」

「え、本当? やったぁ」


 妻は取り寄せたという箱をテーブルまで持ってきて丁寧に梱包してある包みを開けた。

 包みの中からは木箱が出てきた。お目当ての物は四角い木箱に入っているらしい。

 太一も動画を止めて寄ってきた。さっきまで夢中になって、実況動画を見ていたのに。

 そこまで二人が待ちに待ったお取り寄せ品なのだろうか。へぇ、何だろう。


「わぁ、美味しそう!」


 感嘆の声を上げる二人に興味がわき、妻が箱を開けたその手元を覗いた。

 箱の中には四角い食パンが入っていた。

 パンの上に虫が添えられていた。セミだ。


「え、これ……」

「セミトリ婆の特製セミパン。セミパウダーが練り込まれてるの。ほら、昆虫食流行ってるじゃない? 香ばしくて美味しいのよねぇ」




2021年8月作成。

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