紆余曲折、かくかくしかじかで、城の屋根裏暮らしですが”もう遅い”を生で見れて毎日ご飯がおいしい。
とたとたと木の廊下を走る。風の魔法を使って体を軽くしているので下にいる人たちには聞こえない程度の足音だと思う。
普段はもう少し配慮して動き回るのだが、今日ばかりは急がなければならない。
今までは国王陛下の私室にいて、そこでは、王子オーレリアンとフォーレ子爵家令嬢であり聖女でもあるクロエについて話し合いが行われていた。
あの二人の話し合いという非常に楽しい現場を見逃すわけにはいかなかったのでそちらを優先したが、今日はクロエが教会の行事や確認事項について報告しに来る日だ。
前回にクロエが城を訪れた時にも彼らは酷い喧嘩をしていて、オーレリアンの部屋が酷く荒れていたが、今回はどうなるのだろう。
どうにか仲直りして次も会いに来るのか、もしくは決裂するのか……。
……楽しみだねっ。
軽やかな足取りで宙を舞いながら向かえば、すぐに廊下の突き当りだ。
それから頭の中の地図を引っ張り出してきて狭い通路をほふく前進で進んだり、梯子を上ったり下りたり、木の小さな扉を出たり入ったりしてやっとオーレリアンの私室の屋根裏に到着する。
オーレリアンの部屋の天井には部屋の様子をうかがえるように、小さな穴が開いている。
……さてさて、もうクロエは来てるかな?
ウキウキしながら穴を覗いた。
そこには二人の頭が見えて、真上から人を見るというのはいつまでたっても慣れないなと思うが仕方がない。
彼らの視線が向かう場所に穴が開いていたら流石にバレてしまうので、こうして天井から観察しているのだ。
「……オーレリアン王子殿下、少しは反省してくださった?」
先に話し出したのはクロエの方だった。
それにオーレリアンは答えない。
顔が見えないので何とも言えないが長考というよりも、ふてくされているような雰囲気を感じた。
「ジネットがいなくなった穴なんて貴方様一人で埋められるとおっしゃったじゃない、今更わたくしに下賤の民のように働けなんてもう言わないわよね?」
「……」
「何とか言ってくださいな」
畳みかけるクロエにまったく答えずにオーレリアンは黙り込んだ。
私の居ない穴というのは、要は仕事の話である。
私、ジネット・エルランジェはつい三ヶ月ほど前までは、下にいる彼、オーレリアンの婚約者であった。
エルランジェ公爵家は貴族の中でも特別な大貴族だ。
その中でも水と風の魔法を持って生まれた私は跡継ぎにと望まれた。
しかし オーレリアンに見初められ、抵抗虚しく王室に入ることになった。
それでも、人生を悲観してはいなかった。
けれども……まぁ、いろいろあったのだ、紆余曲折、かくかくしかじか、戦々恐々、あ、戦々恐々は違うか……。
とそんなわけで、オーレリアンに尽くしていたが結婚前に聖女と浮気をされて、私は振り切れて飛んだ。
山ほど抱えていた仕事も、彼との婚約もすべて無視して高飛びした。
国外に出るために実家を頼ろうかと思ったが、それではあまりに後味が悪い。
あとから風のうわさで彼らの話を聞くだけでは腹の虫がおさまらない。
なので飛び出してからの行き先を王宮の屋根裏部屋にした。
本来、隠し通路と屋根裏部屋は、非常事態の為に作られている王族の切り札である。
もちろんまだ正式に王族になっていない私には、存在すら知らされるものではないのだが、前記した通りエルランジェは大貴族だ。
それも特別な。はるか昔のこの国の建国神話にも出てくるとても古い家系でありながら、王族と近しい血筋を持つ。
傍系の王族といっても過言ではない家柄なのだ。だからこそ、王族に成人した王子がいないときには王宮の管理をしていたことだってある。
この屋根裏部屋の存在を私に教えてくれたのは、私の嫁入りを憐れんだ祖母だった。
鍵や指輪などではなく仕掛けで開く裏通路、いざとなった時の逃げ道などを丁寧に教えてくれた。
祖母は早くに家を出ることになった私を随分憐れんでいた。しかし彼女のお守りのような知識が今は随分役に立ってくれている。
……おばあ様ありがとう。私、おばあ様のおかげで、毎日元気だよ!
心の中でおばあ様に感謝を告げつつ、キラキラした瞳で彼らをじいっと見つめる。
確かに苦労はした、色々あった、しかしながら私は元気で、家の人が嫁に出したがらないぐらいにひょうきん者で貴族らしくない、という自分らしさもまったく変わっていない。
ネズミのように屋根裏部屋で生活できるのだから普通の貴族とは、根本から違うのだが、理由も特にない。生まれた時からこうであった。
だから自分の本来の性質のまま突き進んで生きていこうと思っている今日この頃だ。
「お前が……お前が、無能なせいで俺まで評価が落ちてるんだ」
苛立ちを水に溶かして混ぜたみたいな声がして、話が進展したことに気がつき、集中して彼らの声に耳を澄ませた。
……来た来た来た! 始まったよ!
「なんですって、今何と仰ったのかしら聞こえなくてよ!」
「だから、お前がそんな風に言ってジネットの代わりもできないから、俺まで迷惑をこうむってるって言ってるんだ!」
「ななな、なんですって!」
激昂するクロエに、ばっとオーレリアンは顔をあげてソファーから立ち上がり詰め寄りながら言った。
「いつまでたっても偉そうに、所詮は聖女といっても子爵の家の出だろう。仕事も碌にできずに、お前を選んだ俺が馬鹿だった!」
「はぁ? そもそも、ジネットにすべてを任せていて彼女に頼り切っていた貴方の責任ですわよ! 何とかできるといったんだからして下さいな!」
言いながらクロエは、テーブルに置いてあった書類を掴んで持っていき叩きつけた。
「教会からの予算申請ですわ!! 聖女であるわたくしの生活にも直結するんですからきちんと申請を通してくださいませ!」
「だから、前回から言っているだろ!! もう今まで通りに上級貴族のような生活を送らせることなんかできねぇんだって!!」
ばらばらと書類が舞い散る。オーレリアンは汚い言葉遣いになって彼女を怒鳴りつけた。
彼らが揉めているのは、国が経営している教会の予算の話だ。
私が飛んだのが、丁度その一年の決算報告の時期だった。
もちろん決算に必要だった書類をすべて持って飛んだので、報告の内容は不十分になっただろう。
オーレリアンが管轄しているのは、教会福祉などの事業に当たる。
対して王太子であるクライドは国王陛下とともに貿易や国防など国の重要な政を管轄しているので、オーレリアンがどれほどポカをやらかしても、死人は出ない。
……それに、実際に福祉に充てられている金銭については証明できるように教会側には目録の付け方など様々な手配をしてある。
それ以外にクロエが申請しようとしている予算は、今の世代は彼女しかいない聖女の保護費用だ。
聖女は女神の加護を受けた神聖な存在であり、教会でその存在を保護することになっている。
そして私は、その保護という名目で今まで、オーレリアンに言われるがまま、上手くクロエが贅沢をするためのお金を作り出していた。
…… あまり良くない事だけどね。
色々な用途を細分化してそれぞれ細かく指摘できないように綿密に計画を練って予算を申請して、決算報告にも細心の注意を払っていた。
けれども、今回の決算では、彼女が贅沢するために使ったお金がバレバレだ。
だから今回の予算申請は随分警戒されている。
そして、クロエにその予算申請の作成を喧嘩しながらも押し付けたオーレリアンは、確認もせずにそのまま提出して、王太子クライドに失望したと言われていた。
……あの時は爽快だったなぁ~。
スカッとした気持ちで胸がいっぱいになった。
そのあとの、ものすごく気まずい兄弟間の会話も味わい深かった。
「意味が分かりませんわっ、だってわたくしは聖女ですのよ。それなのにこんな地味な仕事押し付けて、挙句の果てには文句なんてっ」
爆発寸前の苛立った声が聞こえてきて、クロエの声が震えていた。
もしかすると、オーレリアンはクロエに私の工作を伝えずに彼女に贅沢をさせていたのかもしれない。だからこんなに何も知らず、私のやっていたことをまねすることもできない。
……それにしても自分の生活が激変したら不思議に思うと思うんだけど……。
二人とも自分に都合の悪い事は、見えない眼鏡かけてるからなぁ。
なんせオーレリアンは、私がいなくなったことを認めるまで一ヶ月かかったのだ。
私はただ少しへそを曲げているだけで、帰ってくるからと国王陛下夫妻に言い続け、結婚式を挙げようとしたオーレリアンは、流石にいない人間との結婚式は挙げられないと言われて、私たちの婚約は破棄になった。
そういう事件を考えると、彼らはそもそも生まれたときから自分の周りの出来事を正しく認識していない可能性があるので、クロエの主張も変ではないかもしれない。
「文句ぐらい言わないとやってられねぇだろっ!! ああ、何でこんなことにっ、外見だけしか取り柄のない女なんか手を出すんじゃなかった!」
「っ、っ~~」
オーレリアンは突然、クロエを突き飛ばした。体を揺らして数歩後退するクロエに続けて暴力をふるおうと手を振り上げた。
瞬間、ドンッと小爆発のような音がしてなめらかな手触りのソファーにビシャと血が飛び散った。
……あ、やっばい。ついにこうなったか。
冷静にそう思いながらもオーレリアンの叫び声が聞こえてきて、私は笑みを浮かべるのも違うし、悲しむのも違う気がしたが、とにかくもうこれ以上は興味が無くなった。
適当に立ち上がっておちてきている三つ編みを後ろに流して、風の魔法でフワフワ浮きながら、移動した。
叫んでいるので死んではいないだろう。
しかし、炎の聖女クロエの攻撃だ。軽い怪我では済まされない。それに王族を攻撃した彼女も聖女とはいえただでは済まされない。
破滅と言っていいだろうか。ずっとそうなってほしいと思ってはいたけれど、なったらなったであっけないものだ。
……あ、それにこの事件があれば、国王陛下夫妻が話し合っていたオーレリアン廃嫡の話もぐんと進むね。
なんせきっとどちらかが悪者になる。国に唯一いる聖女であるクロエが罪を背負うか、そうさせるようなことをした第二王子オーレリアンがつるし上げられるか、どちらでもオーレリアンは元凶として責任を取らされる。
……ご愁傷様……オーレリアン。あなたのそのすぐ暴力をふるう癖、何とかした方がいいって言ってあったのにね。
最後にそんな風に思ってから、ふとお腹が空いて私は彼の部屋へと向かった。
ここからそれほど遠くない、仕込みがなければ今は休憩しているだろう。
フワフワ軽やかに歩きながら隠し通路を進んだ。
ある部屋の真上に到着すると中から光が漏れていて、部屋で休憩しているのだとわかる。
一応ノックをして返事が返ってくるまで待ってから、天井の板を外して魔法を強く使ってからふわりとその部屋に降り立った。
「ジネット様、そろそろいらっしゃると思ってましたよ。今日もお疲れ様です」
彼はアルフレット、この王宮のコックさんだ。
まだまだ若く働き盛りの彼だが、これでも新人の教育係を任せられるほどに料理長から期待されている厨房の若きエースである。
「アルフレットこそ、お疲れ様。いつも、ありがとうね」
「いえ、俺が好きでやってることなんで」
彼はにっこり笑ってそう言いながら、使用人用の狭い部屋の中で大変スペースを取っている大きなテーブルに清潔なテーブルクロスを敷いて、キッチンワゴンに載せた料理を丁寧に木の食器に盛り付ける。
「今日のご飯はなぁに?」
「オニオンスープとバゲットそれから今朝がた捕られたばかりの鴨のソテーです」
クローシュを開くと丁寧に盛りつけられた良い焼き色のお肉が見えて、ごくりと唾をのむ。相変わらず彼の作る料理はおいしそうだ。
「はぁ~。美味しそう!」
「ありがとうございます」
料理を盛りつける彼の肩に手を置いて、のぞき込むようにしながら早く食べたくてうずうずしてしまう。
屋根裏部屋でも、ドレスを着なくても、大きなお風呂に入らなくても生活できる私ではあるが、食事だけは、かびたパンも食べられるとはいかなかった。
幸いこの生活を始める前に魔法使いとして働いて貰っていた給金があったのでそれを宮廷料理人である彼らに少しばかり渡して融通を利かせてもらい、一日一食程度、私の食事の面倒を見てもらうことになった。
そのお願いを快く聞き入れてくれたのがアルフレットで、彼は忙しい日々を過ごしながらも昼食と夕食の間のこの時間に食事を振る舞ってくれる。
「はい、準備出来ました。たくさん食べてくださいね」
ことりと最後に果実のジュースが置かれて、私は今日も堪らなく幸福な気分になりながら、彼にいただきますと一言添えて食事を始める。
オニオンスープは玉ねぎの甘味とうまみが十分に引き出されていて、一口、口に入れるだけで笑みがこぼれるぐらい美味しくて繊細な味わいだ。
一度食事を始めると今朝食べた保存食用のパンと干し肉だけでは到底空腹は満たされていなかったのだと再認識した。
次から次に口の中に入れてほおばりたいけれど、この料理ができるまでの手間暇を考えると一口一口丁寧に味わい尽くしたい気持ちが交互にやってきてその間にも黙々と食べ続ける。
この時間ばかりは何が起ころうとも幸せを感じるだろうと私は思う。きっと美味しい食事は麻薬にも近い。
一度味わってしまえば、この満たされる感覚から生きている限り決して逃れられないだろう。
「ん~っ、はぁ、んぐ」
一通り堪能したら、ジュースで喉を潤しつつ味をリセットしてまたスープから口をつける。
私は今はしたない表情をしているかもしれないが、そんなことはどうでもいい、ここには食事をしながら常に頭を使って朗らかに会話をしろという人間などどこにもいないのだ。
そうだ、屋根裏部屋暮らしの目標も達成したことだし、どこか未開の地にでも行って料理王国でも作ろうか。
それがいい、毎日毎日おいしい食事を食べられるように料理人をたくさん育てて幸せな国をつくるのだ。
そんな夢想をしながらもぐもぐもぐと黙食していると、飲み終わったスープのお皿をアルフレットが手に取る。
彼はお代わりをよそって、それからなんだか楽しそうに手に持ったのはハードチーズとグレーターという名のおろし金だ。
削りたてのチーズが湯気の薄っすら立っているオニオンスープにさらさらと落ちていき温かいスープで艶やかにとろける。
「はわ~ッ!!」
美味しい、食べる前から美味しいのはわかりきっている。
トントンとチーズを落としてキッチンワゴンに戻す彼に、もう食べていいかと視線で確認すると「どうぞ」と一言言われてお代わりのスープに口をつけた。
そんな風に何度かお代わりしながら満腹になるまで食事を続けた。
「今日も美味しかった~。流石アルフレット!」
上機嫌に言いながら、片づけをする彼を見上げる。
簡単にキッチンワゴンに食器を下げて、テキパキと片づけを終えてテーブルを布巾で拭き上げる彼に見ていて楽しい仕事っぷりだと思う。
「ありがとうございます。……俺もジネット様に食べてもらえるのがやっぱり一番うれしいですから」
「……そう? ただ食べているだけだけど誰がいいとかあるんだね?」
「はい……基本的に喜んでもらいたくて作ってるんですよ、俺ら料理人ってのは。だから当たり前の顔して食べられるより、感情を表に出してくれた方がうれしいです」
「そ、そんなに顔に出ていた?」
「はい、可愛かったです」
……指摘されると流石に恥ずかしい……。
貴族は自分の感情を悟られないようにしなければならない。
それは、様々な人に見られているからだ。例えば使用人、彼らだって一人の人間で弱みを見せるとつけこまれる可能性だってある。
それから、貴族の友人や、家族でさえ、跡継ぎ問題で敵にも味方にもなる。そんな人たちに囲まれて育つ貴族は皆、感情を隠すのがうまい。
反射的に私も気を引き締めないと、と考えたけれども、貴族の私は失踪したことになっている。
そしてもう決して戻ることは無い。ということは貴族ではない。ならば感情を隠し切れなくて誰が怒るだろうか。
「……う、う~ん」
しかし長年の習慣というものは変わらない。自由にやっていいんだとしても妙に罪悪感を覚えてしまうが、仕方ない割り切るか。
……というか、こうして私に食事を振る舞えて嬉しいと言ってくれる彼にも言わなければいけない事があるのを忘れていた。
「あ、そうだ。アルフレット、私ね、そろそろこの生活を終わりにしようと思ってるんだ」
だから明日からはもう食事はいらないと続けて言おうとしたが、隣にあった椅子に食後のコーヒーを二人分持って座ろうとしていた彼は「えっ」ととても驚いた様子で、危うくコーヒーを落としそうになった。
「わっ、だ、大丈夫?」
「すみません……コーヒーどうぞ。……そうですか、元の生活に戻られるんですね。そうなったら俺もジネット様とこんなにフランクに話をしたりするのは最後になってしまいますね」
少し、悲しそうだったけれど、しみじみとしてアルフレットはそういった。
しかしそうではない、元の生活なんてものは婚約も破棄された今、どこにも存在しない。
私はこれからは、エルランジェ公爵令嬢ではなくただのジネットとして生きていく。
「いや、そうじゃなくて」
どう説明しようか考えながら同じテーブルに着く彼を見た。
「このまま城を出て国外にでも行こうと思う。私には魔法があるから割とどこでもやっていけるし、魔獣を倒せばどこの国でもお金になる、しばらくは美味しいものでも探して旅でもしようかな」
適当に思いついたことを言ったがいい感じに楽しそうだ。
しかし、私にとっては名案だったのだが、彼はそうは思わなかったらしく、言葉を失ってとても悲しそうな顔をした。
「そんな……ジネット様がいなくなるなんて……」
「大丈夫。国王陛下もクライド王太子殿下もとても優秀な人たちだから、王国の安定はゆるがないよ!」
彼が悲しそうな顔をしている理由は、私がいなくなった後の王国と仕事の安定の心配をしているのだと思った。
一応はエルランジェの貴族として自分の派閥の貴族と王族とのつなぎ役のようなこともしていた。
そのつながりが無くなって国が荒れる心配をしてる可能性が一番大きいと考えたが彼は真剣な顔でいった。
「そうではなくて……ジネット様、その旅路、俺も同行させてくれませんか」
「……え?」
「ジネット様がいない王宮に用はありません。そもそも俺、エルランジェの屋敷からずっとジネット様の料理人だったんですよ!」
「??」
「ぜひ、連れて行ってください」
テーブルにマグカップを置いて彼は前のめりにそう口にした。
……エルランジェの屋敷から?……そういえば何人か使用人と料理人を連れて王宮に来たけれど……その中にアルフレットもいたって事……?
その事実に驚いてしまって、記憶を巡らせてどうにか思い出そうとしてから、イヤイヤと考え直す。
今考えるのはそこではない。旅に仲間がいるのは別にいいとしても、色々問題があるだろう。
「お、お給金ぐらいは出せると思うけど、今までみたいにちゃんとしたお屋敷暮らしじゃなくなっちゃうんだよ!」
「構いません、ジネット様に料理を振る舞えるならどんな場所でも」
「そそそ、それに年頃の男女二人旅なんて体裁が悪いと思うんだけど!」
「お嫌ですか。俺は気になりません」
……わ、私も貴族じゃなくなったんだから体裁とか気にしないけど。
いや、しかし何か問題があるはずだ。そう簡単に連れていくとは言ってはいけないだろう。
……考えろ私、何かないか、何か……。
「それに、魔法が使えるジネット様ですから、きっと道中は危険も金銭の心配もないと思います……しかし」
「し、しかし?」
「料理人を連れ歩かなければ食事は常に保存食、良くてありあわせの野菜スープ……」
……た、たしかに!
「きっとジネット様の事ですから、何か美味しいものを求めて急いで街にたどり着きます」
「う、うん」
「しかし、平民の飲食店の良し悪しを判断できずに店に入り、粗悪な料理を口にして悲しくなる」
……なんてこった。
「けれども、料理をしている人間はジネット様の専属ではない、注文を付けてもジネット様好みの味付けにはしてくれません」
「そんなの困るよ!」
「そうですよね。俺はどこでもジネット様の好みの味付けの料理を振る舞える自信があります。連れて行ってください」
最後にはそういわれて、私は何とか自分を落ち着けるためにコーヒーを飲んだ。
とっても美味しい。しっかりとした苦みとほのかな酸味、食事の後にはこれを飲まないとスッキリしないのだ。
昔からいつ食べても、必ずこの味が最後に出てくる。彼を手放すということはこの味を手放すという事だ。
……うん。無理。
「わかった。これからよろしく!」
折れてそう口にすると、彼は嬉しそうに小さくガッツポーズをして「ありがとうございます。後悔はさせませんから」と大見得を切った。
どう考えても男女二人旅というのは色々あるだろうと思うし、彼と恋仲になったら身分差が云々と誰かに怒られるかもとちらりと考えたが、そんな考えに縛られる必要はもうないか、と改めて思った。
ただ今は目の前で喜ぶ彼を見て、楽しい旅路になりそうだと、私もふっと頬を緩めた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。評価をしていただきますと参考になります。