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「明日には全国の収容者名簿が揃うというわけ」

 二日後、リサは佐々木と会っていた。外にはだれの目があるかわからないので、リサの家まで来てもらった。

 箝口令が敷かれ、ブリッコ撲滅については世間に伏せられていたが、いつだれからマスコミに漏らされるか、わかったものではない。

 特にお調子者でマスコミ好きな平良議員など、いつしゃべってもおかしくないのだ。

「一刻も早く、撲滅反対組織をまとめなきゃ。でも、佐々木くんはどう思う? 政府発表やマスコミの報道よりも早く、関係者に撲滅計画を知らせるということを」

 リサの懸念はそこだけにあった。撲滅反対運動は、全国でバラバラに行なっても成果が上がらない。政府発表の前に撲滅計画を打ち明け、パニックに陥った関係者が事件を起こし、それがブリッコ撲滅の正当化につながることが何よりも怖い。ただでさえ、世論は撲滅に向かっているのだ。拍車をかけて、スピードを速めることは、なんとしても阻止したい。

「難しいところですね。しかし目的を話さずに、組織をまとめることは無理でしょう。何かが起こった時に反対するため、というのでは賛同者も得にくいと思いますが」

 佐々木はリサが青木から手に入れた名簿から顔を上げて、そう言った。

「わたしが今までやってきた、施設の環境改善要求の組織充実、というのでは弱いかしらね。小原さんの救済会でもいいんだけど」

「弱いですね。それらの組織の存在は収容者の身内なら知っているにもかかわらず、今まで名を連ねていない人が多いのですから。体制に向かって運動する、というのは面倒だし時間も浪費する。例え身内のことでもそう考える人が大多数です。けれど撲滅計画を聞いたら、そんなこと言ってられません。面倒を乗り越えて団結するには、殺される、というインパクト以外にないのです。箝口令だって、無視しましょう」

 なんだか佐々木は人が変わったようだ。学生のような印象が、急に口調も頼もしくなり、目が意志の力で燃えている。

 リサは足首のアンクレットに触った。よし、彼となら戦える。

「わかったわ。くれぐれも暴走しないよう、お願いするしかないわね。計画を伝えるのはいやな役目だけど、できるだけ数を確保しないといけないもの。でも一般の賛同者を募るのは、政府発表のあとしかないってわけか」

「そちらは既成の組織名でいいですから、アナウンスを強化しましょう。それにしても、今までの運動のように時間をかけられるわけじゃないんです。組織は今までにない、大きな規模になるでしょうが、それにしたって全人口からすれば一握りにすぎない。どうするつもりです?」

 佐々木は少し笑っているように見えた。リサは、数日前に会った、あの頼りない佐々木とは別人ではないかと思った。反感を持つほどの清潔感に溢れた、学生のような官僚だったのに。この表情からすると、彼にはすでに考えがあるようだ。彼と目が合うと、リサの心臓が、どきん、と大きく動いた。

「計画は練ってみたわ。これを見ながら聞いて。それから、佐々木くんの考えを聞かせてください」

 リサは徹夜で仕上げた計画書を、コンピュータのディスプレイに呼び出した。

 そのとき、計画書を隠す形で、テレビ電話の着信画面が広がった。相手は関東地区矯正施設守衛の、青木だ。

「はい、三木田です」

 リサは受話器のアイコンをクリックして、応答した。ディスプレイに青木の顔が広がるはずだった。

「先生、これはどこですか?」

 佐々木が訝しげに尋ねる。リサにもわからなかった。ディスプレイに広がったのは青木の顔ではなく、茶色く汚れた視界に横たわる、金属の棒だったのだ。

「青木さん、青木さん!」

 リサがディスプレイに呼びかける。遠くのほうで、ドタン、ガタガタ、という音と、時折悲鳴のような声が聞こえる。

 リサは一瞬動きを止め、次に意味もないのにディスプレイを揺さぶった。言葉はない。ただ、息遣いが急に激しくなった。

「先生、これ、は、血、です、よ」

 佐々木がかすれた声で茶色い汚れを指差す。確かに、ねっとりとカメラに付着した血を、こすったように見えた。

「ああ、これは」

 リサにはようやくわかった。横たわる金属の棒は椅子の足だ。コンピュータが倒れているのだ。

「みきたせんせい」

 青木の声がした。どこにいるのだろう。ディスプレイにはまだ現れない。

「けいさつには、しらせたくない。せいじかには、しられたくない。うまく、やってください」

 画面が動いた。青木が何かを映そうと、動かしているらしい。

「青木さん、あなたはいったい」

 映ったものを見て、リサは言葉を飲み込んだ。

 血で汚れた画面の遠くで、洋子がおかっぱの髪を返り血で濡らしながら、女性を刺していた。うす笑いを浮かべながら、何度も何度も、女性の胸に包丁を振り下ろしていた。

 リサと佐々木は息もできずにそれを見た。洋子は同じ動作を繰り返した。

 長い時間が経ち、ようやく手を止めると、洋子は足下の死体を見下ろして、嬉しそうに言った。

「ママぁ、こんな日に限って来るなんて、さ・い・あ・く!」

 ふふふふふ、と小首をかしげて笑いながら洋子が画面から消えると、あとには女性の死体だけが残った。リサと佐々木はまだ身じろぎもせずに、それを眺めていた。

 先に正気を取り戻したのはリサだった。

「青木さん、青木さん、返事をしてください、青木さん!」

 何の返答もなく、画面も動かなかった。リサはディスプレイから、隣の佐々木に視線を動かした。まっすぐディスプレイを見つめる佐々木の目は乾き切り、まぶたが断続的に痙攣を起こしていた。

「佐々木くん!」

 リサの声で、佐々木はビクッと肩を動かした。手の甲で目をこすってリサに視線を合わせようとするが、まぶたが勝手に瞬こうとするらしく、なかなか目が開かない。

「いったい何が起こってるの? どうしよう、どうしたらいい? ねえ、あれは何だったの?」

 リサは佐々木の腕をつかんだ。佐々木はそのリサの腕をつかんだ。

「と、とにかく、警察に連絡を。あ、だめだ、だめだ、ぼくたちが現場に行くしか」

「ああ、美奈」

 リサの頭がようやくパニックから抜け出した。

「美奈の無事を確かめなくちゃ」

 リサはすぐに立ち上がり、佐々木を引っ張った。佐々木は腰を抜かしているらしく、なかなか立てない。なんだこいつ。やっぱり学生官僚。どきん、としたわたしの時間を返してよ。リサの苛立ちは体中を駆け巡った。

「もう、さっきまでのアドレナリンを、もう一回出しなさいよ!」

 リサは佐々木の足を蹴り、携帯電話を引っ掴んで、一人で玄関に向かった。

「先生、先生、待ってください、ぼくも行きますから」

 佐々木はそう言ってから、ゆっくり立ち上がり、自分の足が立つことを確認するように足踏みをしてから、小走りにリサを追いかけた。

 二人が施設に着いたとき、青木の願いに反して、すでに警察による現場検証が始まっていた。二人は中に入れてもらえず、エントランスから中の様子をうかがうしかなかった。

 警察はみんなガスマスクをして作業をしている。リサは佐々木に囁いた。

「どうして警察にわかったのかしら。携帯電話は、持ち込みが禁止されてるのよ。外部と連絡が取れるのは、青木さんのコンピュータだけだった。それがわたしとオンラインになっていたのに……」

「だれかが隠し持っていたか、来訪者の携帯電話を使ったか、ですね」

「そうか、洋子ちゃんのお母さんが来てたものね」

 リサは二人を阻んだ警察官に歩み寄った。

「中にいた人たちは、今どこにいるんですか?」

 警察官は顎をしゃくって、リサの右後ろを指し示した。ガスマスクで表情がわからなかったが、ひどく横柄な仕草だった。

 不愉快な気持ちを抑えて、示された方を見てみると、急ごしらえのテントが三基建っていた。

 リサと佐々木はテントに近付き、揃って驚いた。三基のテントにはそれぞれ「ブリッコ(うつるぞ危険)」「けがブリッコ(うつるぞ危険)」「死体(まだうつるぞ危険)」という札がかかっていたからだ。しかも、けが人のテントさえも閉め切られ、処置が行なわれている様子がない。

「ひどすぎる」

 リサは怒りで青ざめていた。けが人のテントをめくると、中では軽傷者と重傷者がごちゃまぜになっており、すぐに手当をしないと死んでしまうような患者もいた。

「美奈」

 何人かが折り重なっているため目視で確認できず、リサは美奈の名を呼んだ。返事はない。

「佐々木くん、救急箱探して」

 リサは言って「ブリッコ」のテントに向かった。中に入ると、五十人あまりが膝を丸めて座っていた。足を伸ばすスペースもなく、すし詰め状態だったが、このテントにこんなにも多くの人間がいることで、リサは少しだけほっとした。

「リサ!」

 リサが呼ぶ前に、美奈がリサの名を呼んだ。

「良かった! ここにいたのね。いったい何が起こったの?」

「洋子ちゃんが厨房の包丁を持ち出して急に暴れだしたんです」

 答えたのはリサの足下にうずくまる、施設の調理師だった。白衣を着ているのでそれとわかる。

「あなたまでここに入れられてるの?」

 リサは驚いて尋ねた。

「はい、長いこと施設で働いてますから、感染しているかもしれない、ということで職員は全員ここに」

 リサには言いたいことがたくさんあったが、それを言うべき相手は警察だった。まずは状況を把握したい。

「何があったの? 順序立てて正確にお願いします。残念ながら、美奈にはそれができないから」

 調理師は首をひねって、テント内を見渡した。数人の職員を除いて、あとはブリッコ症状の重い収容者ばかりだった。美奈も含めて、上目遣いで小首をかしげ、唇をすぼめている。

「調理師の小坂です。では、ぼくのわかる範囲でお話しします。1時ごろ、昼食を終えてみんなが個室に戻ろうとする中、洋子ちゃんが一人で厨房にやってきました。今日は特別おいしかった、ありがとう、と言って、そこにいる中川くんとしばらく話をしていました。ぼくとほかの調理師が後片付けに食堂へ出た途端、中川くんの悲鳴が聞こえたんです」

「ボクが洋子ちゃんとしゃべりながら、包丁を洗って片付けようとしたとき、洋子ちゃんが信じられないくらいの力で、それをひったくったんだ。ホントにもう、信じられない力で。とてももう、信じられない力で」

 声を出したのは中川という調理師だろう。うつむいて、信じられない、信じられない、と何度もつぶやいた。

 小坂は中川を哀れみを込めて見つめ、ため息をついた。

「君のせいじゃないさ。しかたなかったんだ」

 そして腰を浮かせて、リサの耳元で呟いた。

「中川くんは感染しています。まだ症状はほとんど出ていませんが、感染を自覚していて、そのせいで力が弱って、包丁を奪われたと思っています。でも実際は、まだそこまで進行していません」

 リサはうなずいて、中川を見た。中川はひざで頭を挟むようにして、髪の毛をかきむしっていた。

「ぼくたちが厨房にいそいで戻ろうとするのと、洋子ちゃんが包丁を持って走り出てくるのとが、同時でした。ぼくたちは足がすくんでしまって、一瞬動きが止まりました。若い調理師二人が包丁をもぎ取ろうと近寄りましたが、洋子ちゃんはその二人を、ためらわずに刺しました。でも走り去りながら、ごめんなさい、と謝っていました」

 小坂は一度言葉を切って、深呼吸した。少し体が震えだしていた。リサはしゃがんで、目線を小坂に合わせた。

「洋子ちゃんは2階に上がったようでした。そして何か、大きな声で叫んでいました。守衛の青木さんが驚いて上がっていきました。ぼくたちは刺された二人の応急手当をしながら、外部に連絡しようと守衛室に入りましたが、パスワードを知らないため、システムにログインすることができませんでした。そこに、洋子ちゃんのお母さんがいらっしゃったのです」

 毎日の面会が、感染の発表を期に途絶えてしまった洋子の母親。三日経ってやってきたということは、その間ただ体調を崩していただけで、発表とは関係なかったのかもしれない。

「ぼくはお母さんを中に入れるべきではない、と思いました。親が見る光景ではありませんよ。二階で何が起こっているにしても、非常事態です。でも中に入れない口実を思いつけませんでした。ほんとのことを言うわけにもいきません。冷静になれば、いくらでも嘘をつけたはずなのに、あのときはパニックになっていました。同じようにパニックに陥った調理師の一人が、お母さんなら洋子ちゃんを止められるんじゃないですか、と言いました。お母さんも守衛室に白衣の調理師が何人もいることや、青木さんが見当たらないことで、何か不穏な空気を感じていたのでしょう、青い顔をして、何も言わずにエントランスを抜けて二階への階段に向かわれました」

 小坂の震えがひどくなった。それでも顔を上げて、何とか説明を続けた。

「ぼくは守衛室から飛び出して、お母さんの腕をつかみました。でも声が出ませんでした。そうだ、せめて携帯電話を借りて警察を呼ぼう、と考え、ぼくはやっとのことで、規則ですから携帯電話を預けてください、と言いました。お母さんは、今日は家に置いてきました、と答えました。それでぼくは手を放してしまいました」

 リサは思わず、小坂の肩をつかんで揺さぶった。

「お母さんは携帯電話を持ってなかったの? 本当に?」

 小坂は驚いたらしく、体の震えが止まった。

「じゃあ、いったいだれが、どうやって警察を呼んだの?」

 小坂は目を丸くしてリサを見つめた。

「三木田先生じゃないんですか?」

 リサも目を丸くして、小坂を見つめた。

「何ですって?」

 小坂は言った。

「警察が、三木田先生から通報があった、って言いました」

 リサはわけがわからなくなった。頭を振り、それについて考えるのはやめることにした。

「ごめんなさい、どういうことなのか、あとで考えるわ。お母さんが2階に行って、それからどうしたの?」

「はい、ぼくが手を放してお母さんが2階へ上がろうとしたとき、青木さんがおなかを押さえて、落ちるみたいにして降りてきたんです。ぼくたちはぶつかって、三人とも階段の下に転がったんです。青木さんのおなかからは、かなりの出血がありました。青木さんはぼくの顔を見ると、あの包丁はどうなってるんだ、切っても切ってもまだ切れるぞ、脂がちっとも刃につかない、と言いました。ぼくは死にそうな人がそんなこと言うのが怖くって、無視して二階に上がろうとしました。でも腰が抜けて立てなかったんです。青木さんは這うようにして、守衛室に向かいました。あそこには調理師がまだ何人かいるはずだし、手当は彼らに任せられると思って、ぼくも這って階段を上りました。洋子ちゃんのお母さんは、震えているものの、ちゃんと足で歩いて二階に上がりました」

 リサは青木が自分へ連絡してきたとき、瀕死だったことを思い出した。

「守衛室にいた調理師はどうしたの? 青木さんの手当はできなかったんじゃない?」

 小坂は何度もこまかくうなずいた。

「そうなんです。あとで聞いたのですが、彼らは刺された仲間と、その手当をしている中川くんを食堂に残して、外部と連絡を取るために街に向かって走り出していました。でも途中で腰が抜けたり、反吐を吐いたりしていて、結局たどり着いたのは警察に通報があってからでした。彼らはさっき、ふらふらになって戻ってきました。横になるために、けが人テントに入っています」

「きっと青木さんは、そのときわたしに連絡をくれたんだわ。2階では何があったの? 何人死んだの?」

 小坂は自分の肩を抱くようにして、小さくなった。また体が大きく震えだした。

「洋子ちゃんは、症状の軽い者ばかりを刺していきました。何かわあわあ叫んでいました。殺されるわよ、殺されるわよ、と言うのが聞き取れました。病気の進行した者は、このとおり、みんな無事です。怖かったでしょうが、もうすっかり忘れています。洋子ちゃんはそして、振り返り、お母さんを見つけてしまいました」

 中川が、ひい、と声を上げた。

「洋子ちゃんはお母さんを見ると、今ごろ何しに来たの、と言いました。お母さんは足ががくがくして、洋子ちゃん、と言うのがやっとでした。洋子ちゃんはもう一度、何しにきたの、と聞きました。病気をうつされるのが怖いんでしょう、だから何日も洋子をほったらかしにしたんでしょう。そう言って、包丁を突き立てようとしました。お母さんは転がるように階段を下り、なおもエントランスに向かって逃げようとしましたが、途中でつかまり、何度も何度も……」

 再び中川がひい、と声を出した。ずっと一階でけが人の手当をしていた彼が、唯一目の当たりにした殺戮現場だったのだろう。リサもその場面だけはカメラを通して目にしているのだ。ディスプレイに広がった青木の血痕が、今また目の前に広がっている錯覚を覚えた。

「ありがとう。よくわかりました。警察は、どのくらいで来たの? 洋子ちゃんはどうなったの?」

「洋子ちゃんはそのあと、自分で包丁を洗い、おとなしくしていました。警察はすぐに来ました。本当にすぐです。洋子ちゃんが包丁を洗い出して、10分前後だったと思います。そのときは、街へ走った調理師が通報したのだと思っていました。洋子ちゃんは自分で警察に両手首を差し出しました。警察は洋子ちゃんに、手錠ではなくマスクを掛けて、連れて行きました。まだ敷地内にいるんじゃないでしょうか。ブリッコを署内に入れるのはけしからん、とか言ってましたから」

 小坂が言い終わると同時に、佐々木がテントに入って来て、リサの肩を叩いた。

「先生、なんだかおかしな具合です。ちょっといいですか」

 リサは小坂と中川にお礼を言って、美奈に手を振り、テントの外に出た。

「どうしたの?」

「救急箱がないので、警察に聞いたんです。せめて止血だけでもさせてくれ、って。でも実際、事件から2時間近く経ってますから、流血し続けてる患者は死んでました。それでも軽傷者の傷口を押さえるガーゼとか、どこかにないのか聞いてみたんです。そしたら不審な顔もせずに、施設から救急箱を取ってきたんです。ぼくの素性も聞かずに、ですよ。で、今まで手当をしながら思い返したんですが、ここに着いてから、ぼくたちは一度も身元を尋ねられていません。名前はまあ、三木田先生が有名人だから聞かれなかったんだとしても、普通は何しに来たのか、くらい聞きますよ。何で事件を知ってるんだ、とか」

 言われてみれば、そうだった。二人は施設に着いてから、ごく当たり前に対応されている。ほかに一般人がいるならともかく、警察と事件の当事者たち以外は、リサと佐々木しかいないのだ。事件はまだ報道されていないはずだ。報道されれば収容者たちの家族がやって来る。

「守衛室のコンピュータで、通信記録を見たんじゃないかしら」

「それならそれで、だれから連絡があったのか、だとか、何を話したか、だとか、いろいろ聞かれるのが自然じゃないですか。なんていうか、ぼくたち、来て当然だと思われてるみたいなんですよ」

「そういえば、おかしなことがもう一つあるわ」

 リサは、小坂が警察に聞いた通報者の名前を言った。

「先生が、通報したですって?」

「わたしは青木さんに口止めされたのよ。青木さんは瀕死の状態で、最後の力で、わたしに警察には知らせるな、って言ったのよ。そのわたしが、警察に通報したことになってる。それに、もっとおかしなことに、やっぱり施設内に使える携帯電話は一つもなかったのよ。洋子ちゃんのお母さんは持って来てなかった。守衛室のコンピュータはパスワードがないと使用できない。青木さんが刺されて守衛室に戻る直前に、数人の職員が通報のため街に向かったらしいんだけど、彼らが着く前に、警察は通報を受けてる。わたしたちが青木さんのコンピュータを通じて施設の中を見ていた間に、だれかが通報したとしか考えられないのよ」

 自分でそう言い終わった途端に、リサは気付いた。佐々木も同時に気付いた。

「あの通話が盗聴されていたんだわ!」

 声を上げたリサの口を、佐々木が押さえた。

「だから警察は当然、ぼくたちが来ることを知ってたんです。先生の動きは、完全にマークされてるってことですね」

 事件にショックを受けているのは、病気の進行していない軽度の患者と職員に限られていた。軽度の患者はほとんどが死んでいるか、重傷を負っていて、その数は30人にのぼった。死亡18名、意識不明の重体5名、失神しているもの3名、口をきけるのは残りの4名だけだった。

 リサと佐々木は比較的軽傷だった、田村真澄に声をかけた。

「真澄ちゃん、怖かったわね。もう終わったのよ。もう大丈夫だからね」

 真澄は十四歳で、まだ瞳に理知的な光が残る、大きな三つ編みが特徴の少女だった。今日はその三つ編みに、血がこびりついている。

 真澄は腹を刺されたが、反射的に身を引いたため、傷が浅くて済んだ。佐々木によって腹部に包帯が巻かれていた。

 声をかけたリサに、真澄は驚いたように目を丸くしてみせた。

「三木田先生、終わったんじゃないんでしょお? 洋子ちゃんが言ってた。これからもっと怖いことが起こるぅ、って」

 リサと佐々木は顔を見合わせた。

「何のことかしら?」

 言いながらも、二人は撲滅計画のことを思った。それしかない。もっと怖いことなんて。

「洋子ちゃんがねぇ、殺されるわよ、殺されるわよ、って言ってたのぉ。みんな一斉に、近いうちに、殺されるわよぉ、って。怖いのはぁ、殺されることなんかじゃない。いつ殺されるか、びくびくしながら待ってるのがぁ、本当に怖い。だからみんなぁ、今わたしが殺してあげるぅ、って」

 間違いない。洋子は撲滅計画を知っていたのだ。

「真澄ちゃん、ほかに洋子ちゃん、何か言ってなかった?」

 リサは青木が警察への通報を恐れた理由に思い当たりながら、聞いた。

「ううん、それだけ。ねえ、先生、ほんとにみんな、殺されるの?」

 リサは曖昧に笑って、首を振りながらテントをあとにした。佐々木を見る。

「どうしてわかったの?」

「だれかが意図的に情報を漏らしたとしか考えられませんね」


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