第三話
目を瞑ったアランだったが、いくら待っても死は訪れない。
ヴァンパイアがアランに振り下ろした剣は当たらなかった。
狙いが逸れたわけでも、途中で剣を振るうのをやめたわけでもない。
事実、その剣はさっきまでアランがいた場所に突き刺さっている。
「『見境なし』、人間なんぞ助けて、どう言うつもりだ」
ヴァンパイアの足から抜け出した女が、凄まじいスピードでアランを掻っ攫ったのだ。
「ハア……ハア……間に…あった…」
女は息を切らしながら、右脇に抱えたアランを地面に置く。
「あ…ありがとうございます」
アランはまだ何が起こったのかわからない様子だったが、とりあえず女に感謝の意を述べた。
「別に、助けたわけじゃない。これはただの…」
そう言って女は口を大きく開く。
口の中にはキラリと光る牙が上顎から2本、伸びていた。
アランは後ずさりする。
だが、逃げられない。
「これはただの…栄養補給だ」
女はアランの首筋に噛み付く。
アランの体から血を啜り出し、ゴクゴクと音を立てて飲み込んでいく。
アランは血の気が引いていく感じがした。
顔は青白く、体温が下がっていく。
そんなアランとは対照的に、女の体には良い変化が起こっていた。
折れていた骨はくっ付き、シワだらけの肌にはハリが戻り、緋色の髪には艶が戻り、もはや皮と骨しかないというほど痩せ細った体には、筋肉が戻り始めている。
アランは、どんどん美しくなっていく女をみて、気がついた。
この女は『見境なし』である、と
この森にいると噂のあった、『見境なし』である、と
アランは気がついた。
だからといってどうすることも出来ない。
『見境なし』は首筋から離れる様子はなく、アランの血を吸い続けている。
眠気を感じてきた。
意識はもうすでに自分から離れかけている。
寒い。
血が抜けていく。
力が抜けていく。
怖い。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
でも助からない。
むしろ死んでしまってもいいかもしれない。
突然、ヴァンパイアが『見境なし』に蹴りを放つ。
『見境なし』はアランから口を外し、後ろに飛んだ。
ヴァンパイアの蹴りは宙を切る。
風圧で周りの草がちぎれ飛ぶ。
「クソッ遅かった」
その頃には『見境なし』の体は完全と言っていいほど戻っていた。
『見境なし』はアランをヴァンパイアの方に投げつける。
ヴァンパイアはアランを受け止める。
受け止めて、前を見た時には、もうすでに『見境なし』の姿はそこにはなかった。
「しまっ…」
『見境なし』が、アランによって隠れた死角から、ヴァンパイアの頭に蹴りを叩き込む。
ヴァンパイアはなんとかガードの姿勢を取ろうとする。
しかし、動揺と受け止めたアランのせいで動きが遅れた。
蹴りは頭に命中し、ゴシャッと音を立ててヴァンパイアを吹き飛ばす。
受け止めていたアランは、手を離れ、飛んでいった。
吹き飛ばされたヴァンパイアはアランの剣を支えに、フラフラと立ち上がる。
「ば…ばかな、ここまで強いとは聞いていないぞ」
「ああ、私も私がここまで強いとは思ってもいなかったさ」
『見境なし』は続ける。
「力が溢れる。気持ちが昂る。今まで一度も体験したことが無いほどいい気分だ」
『見境なし』は地を蹴り、一瞬で距離を詰める。
焦ったヴァンパイアは剣を掬い上げるように斬りかかる。
『見境なし』はこれを最小限の力で右に避け、そのまま右拳を先ほど蹴りを叩き込んだ頭蓋骨に全力で叩き込む。
右拳は頭蓋骨にめり込んだ。
めり込んだ拳は脳にまで到達し、それを掴んだ。
『見境なし』は脳を掴む力をどんどん強めていく。
いくら頑丈なヴァンパイアといえども、ヴァンパイアの握力に脳みそは当然耐えられるはずもない。
ぐしゃっという音を立てて、潰れて弾けた。
脳を失ったヴァンパイアは、またしても当然のことながら、息絶えている。
そんなヴァンパイアの首筋に、『見境なし』は躊躇なく噛み付いた。
ヴァンパイアが獲物とするものは、ヴァンパイアによって様々だ。
例えば人間のみを獲物とするもの。
例えば人間と家畜のみを獲物とするもの。
例えば家畜に限らず、生物全てを獲物とするもの。
例えば魔物すら獲物としてしまうもの。
しかし、ヴァンパイアはヴァンパイアだけは決して獲物にしない。
それはヴァンパイアにとっての倫理観からくるものなのか、ヴァンパイア同士の争いを避けるためなのか、それとも単にヴァンパイアの血はヴァンパイアの口に合わないのか、それは分からない。
ただ、『見境なし』だけは例外であった。
『見境なし』は人間だろうが、家畜だろうが、その他生物だろうが、魔物だろうが、そして、ヴァンパイアだろうが見境なく獲物とする。
それこそが、『見境なし』の唯一無二の特徴で、『見境なし』と呼ばれる所以であった。
襲ってきたヴァンパイアの血を全て吸い切った『見境なし』はまだ足りないというように、アランを探し始めた。