ぐりとぐら
24:00
「ねえ、ナオさん、ちゃんと話聞いてるの?」
- 聞こえてるよ
もう、この時間は通話しているのが当たり前になっていた。
「絵本の読み聞かせの練習した?」
- あれから家に帰ってご飯食べて…どこにそんな時間あるの?
「ナオさんのやる気を感じないなぁ…そんなんじゃ私をラブホに誘えないよ?」
ニヤついた声でからかうように話す彼女は、本当に楽しそうだった。
- ラブホに誘っていいのかよ?んじゃ、今から練習に付き合ってくれる?
「えーそんなのネタばれするから嫌だよ!影でコソコソ努力する気はないの?」
- わかったから。夜中に影でコソコソ努力するから…
「よろしい。話変わるけどさ…最近、夜よく眠れるようになったんだ…」
- そうか、それは良かった…前は寝つきが悪かったのかな?
「ずっと前からだけど、悩み事があると如実に眠れなくなるんだ、私」
悩み事って?って聞きたかったけど…恐らく彼氏のことだろうから、聞くことを憚られた。というか聞きたくはなかった。
- 今、12時過ぎだな…寝落ちするか?
「え?寝落ちって?」
- ん?ああ、リンが寝るまでずっと通話繋いでるよ。リンが寝たら通話切って俺も寝る
「…」
- ん?したことない?
「うん…」
- じゃあ、1時になったら、会話止めて寝ような
- リンが起きているうちは繋いでおくから
「うん…」
- どうかしたか?元気ないぞ?
しばしの沈黙。でもココロ苦しいものではなかった。彼女が話すのを躊躇っているのが伝わってきた。
「…ナオさんはさぁ?どうして私に優しくしてくれるの?」
1人の男として答えるのは簡単だった。でも「既婚者」としての僕は、答えることが出来なかった。
- うん?読み聞かせするためにリンをラブホに連れ込みたいから、かな?
「すけべなことしか考えてないんだから…」
- でも、読み聞かせどこでする?喫茶店で声出すのは不味いし…
- ネットカフェでも話すのは駄目だろうし…
「そうやってまたラブホに誘導しようとする…でも、そう言われてみると話せるところってそうそう無いね?」
- レンタルルーム借りるんなら、それこそラブホの方が安いしね…
「やっぱりラブホしかないのかなぁ…」
- そろそろ、口閉じようか。おやすみの時間だよ
「うん。なんか時間経つの早かったね」
- そばにいたら、唇で唇塞いであげるんだけどね
「ナオさんにはもう唇許したりしないもん…」
- おやすみ
「ナオさん…おやすみなさい」
そのまま、こっちのマイクだけ切って彼女の寝息が聞こえるのを待った。彼女は一言も話さず、素直に寝てくれたようだ。
10分もすると寝息が聞こえてきた。約1時間彼女の寝息を楽しんだ後、LINEの回線を切った。
9:00 火曜日
今日は珍しく彼女からのメッセはなかった。どうしたのだろう?
何か昨日気に障ることを言ってしまったのだろうか?だとしたら、こっちからメッセをするのは得策ではないんだけど…連絡入れなきゃ入れないで…何で連絡くれなかったの?とか怒るんだろうな…
とりあえず…
- おはよう どうかしたのか?
とだけ送っておいた。
30分毎に、LINEを確認したが既読は付かなかった。まあ、仕方ない。気長に待つとするか…
15:00
まだ既読は付かない。放っておくしかないか。
あることを思い出したので、探し物をすることにした。
21:00
まだ既読は付かない。放っておくしかないか。
23:00
ねえ…何で連絡してくれないのよ?
普通、返信くれるのが先じゃない?と書こうとしたが、メッセを見るだけでお怒りなのはわかったので、
- ごめん。煩わしく感じるかと思って
とだけ返しておいた。
24:00
何で放置するのよ?お得意の放置プレイ?ドSなの?
やれやれ、逆切れしているようだ。このまま放っておくと…眠れないかも知れないな。
- こんばんは
こんばんは…じゃないわよ!ナオさんは私の一体何?
怒りに耐え兼ねたと思われるメッセが返ってきた。一体何…って聞かれても…何て答えて欲しいんだよ…答えようがないじゃないか…
- 夜中にごめんね。体調でも悪い?
別に…
どこかの女優が使っていた不機嫌極まりない時のフレーズを彼女も使った。そのことを彼女が知っていたかは定かではないが。
悪いのは体調ではなくて機嫌なのだろう。
- 今日一日何してた?
ナオさんには関係ないと思う…
そうだね…と返そうものなら罵詈雑言を浴びそうなので…というか傷付けてしまいそうなので…ここは慎重に丁寧に…
- 眠れそう?
眠れないかも…誰かさんのせいでね!
- 野ねずみのぐりとぐらは大きなかごを持って森の奥へ出かけました…
ん?何それ?
- 買った絵本はまだ上手に読み聞かせてあげられないから…
- 子供の時に持っていた絵本が見つかったから読み聞かせしようと思って
うん…
- 通話していい?
うん…
僕は慌てて通話をした…直ぐに繋がった。
僕の声を聞くと、途端に彼女は落ち着いてくれたようだ。少し罪悪感も混じっているのかも知れない。本当は寂しかっただけなのかも知れない。あんなに求めてくれていたのに…
もっと早く理解するべきだった。この子はまだセルフコントロールがまるで出来ないだけ
なんだ…
- こんばんは
「うん…」
- ほったらかしにしてごめん…
「ううん…寂しかっただけ…ナオさんのせいじゃないよ」
- 読み聞かせの続きしていい?
「うん、お願い…」
僕らの名前はぐりとぐら
この世で一番好きなのはお料理すること。食べること
ぐり、ぐら、ぐり、ぐら…
それから絵本「ぐりとぐら」を読んで聞かせた。
子供の頃に父親に読んで貰ったことをまだ覚えていた。見つかった本はちょっと埃に塗れていたが、表紙をテッシュで拭っただけでまた綺麗になった。
彼女は黙って聞いてくれていた。
さあ、このからでぐりとぐらは何をつくったと思いますか?
- おしまい
ずっと待っていたが、応答が返って来なかった。よく耳を澄ましてみると、かすかに彼女の寝息が聞こえてきた。安心してくれたのだろう。
僕は1時間ほど彼女の寝息を楽しんだ後、LINEの回線を切った。
13:10 土曜日
彼女の最寄り駅…前回の待ち合わせ場所と同じだ。読み聞かせをする為に、話し合って結局はラブホテルを使うことにした。
彼女は少し躊躇しているようだった。まあ当然だろう。恋人でもない男と2回目のラブホテル…
…何もしない、と言うのを信じる方がおかしい。
「ごめん、遅くなった…」
彼女はまた長袖…青と白のストライプのシャツと下はまたジーンズ…だった…ジーンズ好きだなぁ…走ってきたのか、息を切らしているようだ。
ジーンズなんか履いてると汗かくぞ…
…そんなに急がなくても、僕もラブホテルも逃げたりはしないんだけどな。
- いや、俺も今来たところだから…
「ナオさんも遅刻してるじゃない?どうしたの?」
- いや、この台詞、デートっぽくて良くない?
「デートじゃないから!ナオさん彼氏じゃないし!」
彼女は笑って答えた。この間の機嫌の悪かった彼女は一日でいなくなったが、メッセのやり取りをしていると少し機嫌の悪い時が窺えた。
僕の前では虚勢を張っていたのかもしれない。そんな時は通話して声を聞かせてあげると、割と直ぐに安定してくれた。
繁華街の方に向かって僕らは歩いていた。ラブホに向かっているはずなのに、前回の様な緊張感は彼女には見えなかった。信頼してくれているのだろうか?
- そういえば、体調はどう?
「うーん、生理前だからかな?イライラしたり、ちょっと頭がぼぉっとする」
生理前か…じゃあこないだのはPMS?あんなに激しいPMSじゃあ、本人は相当辛いだろうに…
- PMSかな?お大事に
「生理…重いんだ…まあ、こればっかりは仕方ないよね…」
- うーん、ピルを使って治療すると少し軽くなるって聞いたことがある
「さすが、ナオさん!女の子関係詳しいね!」
嫌味なのか揶揄っているのかよくわからないことを言っていたが、ラブホテルが近づくに連れてストレスになっているのだろうか?
- キスもセックスもしたりしないよ。今度こそは約束をちゃんと守る
そう言ったが、彼女は何も答えなかった。
繁華街の道を二人で進む。目的地が近づくに連れて二人とも無口になって行く。彼女が何も言ってくれないので、僕は電柱とでも会話がしたくなった。
右手に大手のコンビニチェーン店があったので。
- コンビニで飲み物でも買っていかない?
「うん?いいよ」
僕はビールとおにぎりやサンドイッチを買い物かごに入れたが、彼女は紙パックの野菜ジュースを一つだけ入れた。
- お腹空かないのか?ご飯食べてきた?
「あ、ああ、うん。食べてきたよ。特にお腹は空いてない…」
この後、本当のことを知ることとなった。彼女の秘密を…
…TO BE CONTINUED
※引用元 「ぐりとぐら」 作:中川 李枝子 絵:大村 百合子 出版社:福音館書店