06:00 金曜日
目が覚めると、軽い眩暈と少しの吐き気とかなりの後悔に襲われた。
通話しながら飲み過ぎたせいか、吐き気で朝食が喉を通りそうにない。それでも、時間通りに目が覚める。
…あの子はちゃんと眠れただろうか?
シャワーを浴びながら昨日の会話を反芻していた。妻は起きては来ない。仕事が始まるまでまだ時間があるからだろう。…朝から僕と顔を合わせたくないのかもしれないけど。
相手をしてくれている他の男には感謝している。
16:10
仕事に疲れて途方にくれて休憩室で一人コーヒーを飲んでいる時に、スマートフォンが鳴った。
すぐ手に取って見てみると、彼女からだった。そういや名前聞いてないけど…LINEの連絡先には「RIN」と書いてあった。RIN?リンって読むのか?
おつかれさま
- ああ、おつかれさま。どうした?
どうもしないけど、メッセしちゃいけない?
- 構わないけど、どうせなら落ち着いた夜の方がありがたいかな?
そう…
- ん?何かあった?
何もないけど…ちょっと話したくなっただけ…
- そうか、光栄に思いますよ、お姫様
…会いたい
- ん?彼氏に?
鈍いの?馬鹿なの?女の子にそんなこと言わせるの?
ナオさんに、だよ!
- …
ナオさんに会いたい…
彼氏には会えないからかな?と書きそうになったが、黙っておいた。
- 日曜日の昼は空いてるよ
うん…
- どこに行く?
どこでもいいよ…
- じゃあ、ラブホ行こうか?何もしないから
え?
- 経験人数31人目にしてくれって言ってる訳じゃない
…ナオさんって馬鹿なの?それとも馬鹿にしてる?
- 至って真面目だよ
…ラブホで何するの?
- 普通は男女の営みをするんだろうけど…
- 出来ないからお話かな?話聞いて欲しいんだろ?
…わかった。どこで待ち合わせる?
- こっちまで来てくれたら車が使えるから、こっちまで電車で来てくれないかな?
…わかった
断るか、と思ったが何故か彼女は素直だった。
13:10 日曜日
僕は最寄り駅の改札口で待っていた。車は駅のロータリーに止めていた。
しばらくすると、彼女が乗ってくる予定の電車が着いたが、彼女は中々降りてはこなかった。
最後の乗客が改札を抜けたと思った時に、女の子の影が階段を登ったホームに見えた。ずっと待っていたのかな?僕の姿を確認したのか、ゆっくりと階段を降りてきた。
- 久しぶり
「久しぶり。スーツ姿の方が似合ってる」
暗に私服のセンスが悪いことを指摘されたが、嫌なことがある前は彼女はこうやって強がるのだろう。
- ロータリーに車が止めてあるけど、行く?
「…うん」
改札を出て左に折れて、直ぐ傍の階段を上がるとロータリーに出る。
ロータリーに向かうと、少し間を空けて彼女は着いて来た。恋人だったら、知らない場所まで来てくれた彼女の手を繋いであげるべきだったが。彼女は恋人ではなく、他に好きな男がいる知り合いの女の子に過ぎない。
ミニバンの左のドアを開けると、ためらいもなく彼女は助手席に座った。怯えていることを悟られたくはないのか。…しかし、表情は固まっていた。
無理もない。恋人でもない男とラブホテルに行って何をされるかわからないのだ。この提案をしたのは僕なのに、そこはかとなく罪悪感が沸いた。僕は何のためにこんなことをしているのだろう。
寂しかったのだ。
知り合ったばかりの赤の他人を巻き込むほど、寂しかったのだ。僕は。
少しでも自分の罪悪感を薄めようと、下らない会話で場を和ませようとしたが、本当に下らない会話しか出来なかった。
- スカート履いてきてくれると思ってた。スカート捲りでもしようかと思っていたのに。
「ナオさんって人を不快にさせる天才なの?よくそんなんで結婚出来たね?」
- だから、離婚しようとしてるけど、出来ない…
「…そう」
彼女は少し驚いたのか、僕の顔を覗き込んだ。
国道を10分近く走っていた。彼女は何も話してはこない。表情も変らない。
側道にそれて、高架下をくぐって、使ったことのない小綺麗なラブホテルの駐車場に車を入れた。一階が駐車場のみで、非常階段みたいな階段を上がって各部屋に入るシステム。
彼女は車から降ると先にラブホテルの階段を上ろうとしていた。後を追うように階段に上がると少し俯いている彼女がいた。
- 部屋決めていい?
「…どうぞ」
あまり部屋の選択肢がなかったので、一番高いところを選んだ。
部屋のパネルをじっと眺めている彼女の肩を抱いて…セックスする気は全くなかったけど、こんな時ぐらいは肩抱いてあげるもんなんだろうか…
部屋に入ると、僕は取り合えず上着を脱いで、骸骨のカタチをした趣味の悪いコート掛けに上着を掛けた。これまた趣味の悪いワインレッドのベッドの上に腰かけた。
彼女は表情が固まっていたのかと思ったら、少しだけ笑みを浮かべて薄手の赤のブルゾンをコート掛けにかけて、弾むようにベットに腰かけた。
先ほどまでとは打って変わって妖艶に振る舞う彼女は、足を組んでこちらを値踏みするような、オンナの瞳になっていた。
戸惑いながら、彼女の細い肩に手をかけると、彼女は何も言わずに抱き着いてきた。
気が付いたら、ベットの上で覆いかぶさっていた。
彼女はオンナと化し、僕を誘っていた。
仰向けに寝ながら微笑む彼女の上に、僕は両手と両膝をついて何とかカラダの距離を取っていた。
「ナオさん、何で我慢してるの?したいんでしょ?」
- …
「私がいいって言ってるんだから、いいんだよ…」
彼女は、自分でブラウスのボタンを外して前を全部はだけ、黒のブラを露わにした。谷間が出来るほど豊満な乳房を黒いレースのブラジャーが覆っていた。
覆いを破って世界に出たがっているようにみえた。
正直、若い…この子ホントは何歳なんだ?…女の子の誘惑に耐えられる程、聖人君子でもなければ仏陀でもローマ法王…例えとしては相応しくないな…でもない僕は、彼女の誘惑に落ちてしまいそうだった。
…だけど、時折見せる彼女の寂し気な表情を見逃したりはしなかった。
やれやれ…彼氏の代わりか…ちょっとだけ傷付いてしまったけれども…それよりも怒張する下半身が、彼女を襲えと急かす。
瞳を瞑ったままの彼女の唇がやけに艶めかしく映る。時折その唇が嘲るように動く。
「ナオさん、我慢してる顔…面白いよ。いつまで無理してるの…」
馬鹿にしたような言葉をその唇が話す…だけど、どこか寂しそうに聞こえた。
…その寂しそうな声を聞いた瞬間、理性が飛んだ。
瞳を瞑って、彼女の唇にそっと口づけた。
止まらない…まだ我慢出来そうだったけど…いつまで持つか。彼女の舌が僕の唇にそっと触れて来た時、もう重たくてしようがないカラダをすべて彼女に預けそうになった。
彼女の口の中で、二人の舌を絡め合った。彼女が背中に手を回してきて、そっと囁いた。
「ナオさん…」
- リン…
僕も彼女を呼んだ。
彼女の小さな頭の下に、大切なものを扱うように、僕の両手を入れて。
もう一度、彼女の唇を僕の唇で愛でた。
我慢の限界だった。
思い切り、彼女を、抱きしめた。
彼女は、一切、抗わなかった。
…一瞬、瞳を開けた時、彼女の瞳に涙が溜まっているように見えた。
涙の本当の理由は僕には何もわからなかったが、凄まじい罪悪感に襲われた。
- ごめん…
急いでカラダを起こして、彼女から少しだけ離れた。
「ナオさん…何で…」
急に離れたことで、彼女は不安を感じたのだろう。彼女もカラダを起こした。
僕は笑顔を作って彼女の頭をポンポンと叩いた。
彼女をベットに座らせて、僕も横に座って肩を抱いた。
彼女は、肩を抱いた瞬間に、両手を顔で覆ってしまった。泣いているのだろうか。
顔を見せてはくれない彼女の背中を、子供をあやす様に優しく、ポンポンと叩いた。
僕は何も言うことが出来なかったが、何も言う必要もなかったのだろう。
彼女が両手を顔から離して俯いたので、言うことを躊躇っていた言葉を口にした。
- 何もしないって言ったのに、キスしてごめん。
彼女は…リンは驚いたような顔をして僕を見た後、また俯いた。
「ううん、誘ったの、あたしの方だからこっちこそごめん…」
- 寂しかったんだろ?いいよ、気にしてないよ
そう言葉を返した。彼女は泣きそうな顔をしながら俯いたままだった。
今思えば、この時二人とも、堕ちていたのかもしれない。