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サボりたかっただけなのに国家反逆罪を被せられた

作者: YY

 



 誰もが誇らしい表情をしていた。

 名誉ある仕事に就けるのだと、()()()()()()その顔は喜びに満ちていた。


「……ふわぁ」

「〈世界は危険と、凶器に溢れている〉」


 抑えきれなかった息が、大きな声に掻き消される。助かった。

 拡声器(マイク)を使って話すお偉いさんも、まさか欠伸を噛み殺そうとする者がこの場に居るとは、想像もしていないだろう。

 演説は高い天井にまで響き、体の芯を突き抜ける。


「〈黒い霧の力で変質した人類の敵、〝魔毒(ベノム)〟。一体どれだけの同胞が奴らの牙に倒れ、恥辱を味わった事だろう〉」


 アテルは戦闘用とは思えない装飾品だらけの制服を見下ろし、胸で揺れる国章を指先で突く。国のシンボルマークと一緒に刻まれた文章は、知らない者のいない格言だ。


「〈数多の血と涙を呑み、屈辱に耐えた日々……。しかし!それは過去のこと!今我々には奴らを滅ぼす手段が有る、そして国を浄化し救う力が有る!!その名は―――〝魔薬(メディック)〟!〉」


 話し半分だったアテルですら、己の体に流れる血潮を意識せずにはいられなかった。

 眠気を誤魔化すように遊ばせていた手も、肩上で切られた髪の一筋すら、お偉いさんが銘打った『薬』なのだ。理性の網から飛び出た心が、小さい舌打ちとなって落ちる。隣に立つ同期生が、ちらりと視線を投げた。

 百人を超える同期生が、一人残らず『薬』として整列している。まるで陳列された薬棚だ。


「〈勇気ある我が国民達よ、美しき献身に心からの感謝を。そして君達の存在こそが、国家の繁栄を支える大きな柱だ。報身を持って我らはその心に応え、永久の平穏をもたらすと約束しよう〉」


 ただの『武器』に大層な事だ。薬と名付けられてはいても、アテル達は所詮兵士で、国の為に死ねと言われているに過ぎない。それを嘆く者はそもそも此処にはいないし、口には出さなくても理解している者ばかり。


「〈これにて、第六十回魔薬歩兵連隊就任式の激励とする。諸君の奮戦に期待する!〉」

「「「「「「「「「「―――はっ!!!」」」」」」」」」」


 この人数での敬礼と掛け声は迫力がある、アテルは意識が飛び掛けていたので発声には間に合わなかった。しかし在学時代嫌という程やらされた敬礼だけは、反射で行っている。教官の面目躍如である。


 講壇から去るお偉いさんを追い、目が流れた。名前は何だっただろうか。

 それより早く昼寝がしたかった。






「アテル!!」

「ティノ」


 式会場を抜け、散り散りになる新人兵士。人混みが人波に変わる時、同期で最も喋った戦友が手を振り走って来た。

 面白味の無い黒髪のアテルと違って、光に反射する琥珀の髪。ふんわりと風に乗る様子は、まるで金糸を束ねたようだ。可愛らしい顔立ちと相まって、同期内では話題の一角を担っていた。

 面倒くさがりでやる気の薄いアテルが居ると、よくそのアンバランスさに睨まれたものだ。

 塵一つ見当たらない石廊で、多くの話声と足音に紛れティノは笑顔を咲かせる。


「ついに私達国家公認の〝対魔毒兵士(ベノムルーク)〟だよ!ああんもう、喜びが飛び出そう!」

「出てるから、落ち着け。夢が叶って嬉しいのは分かるけど、危ない仕事なのも分かってる?」

「勿論!だから厳しい訓練課程を超えて、入隊試験にパスしたんじゃない!」


 先月までティノと居た魔薬兵士訓練学校は、確かに厳しく辛い所だった。命の危険が約束された場所に送る人材の育成だ、訓練を疎かに出来ないのはお互い百も承知している。だから教官も訓練兵も、厳しさこそ優しさであると飴を捨てて指導するのだ。


 白い石材の回廊が終わり、目的の()が聳え立つ。


「うはあああ!!」

「眩しい」


 建築過程を全く想像出来ない銀の城は、この国の盾であり壁。その建造目的に沿って窓が一つも無い構造、反射する光の量に目を細めた。

 余さず国家の平穏を体現する堅牢な佇まいに、新人兵士の流れが停滞している。何人もの同期が天を仰ぎ口を閉じない姿は、理解していても間抜けに映った。慌てて開き切っていた口を両手で隠し、頬を染めたティノも例外ではない。

 斜め上を見ていて速度の落ちた人波を掻い潜り、先頭にほど近い場所を進むアテルにティノは苦言を申す。


「もう!アテルはもっと感慨とか興奮とか無いの?」

「訓練学校にも寮にもあの〝牢城〟の絵画が飾ってあったじゃん、今更実物見ても新鮮味無い」

「全然違うじゃない!見てよあの輝き、凄く……スゴい!」

「……」


 残念な語彙力は訓練校時代から知っているが、これで卒業生トップ十の一人なのだから、本当に〝魔薬〟とは不平等な()()主義である。

 卒業試験を突破した者の中では、下から数えた方が早いアテル。単純な腕の力だけで決まらないステータスに、弱者らしい不満が欠片も無いとは言えなかった。それがこれから向かう死地に、背を向ける理由にはなりえないが。

 新人の為に開かれた扉の向こうは、微かに血肉の匂いを漂わせていた。


「此処が……〝最終防衛城(ヘル・ライン)〟」


 無関心を貫いていたアテルも、歩みの停止を周囲と揃えた。戦いを望んだとは言いづらいが、それでも望んでこの城まで歩き辿り着いたのだ。己の棺桶と成るかもしれない世界の最前線に、アテルの胸でも響くモノが有ったらしい。


 お前は死ぬな。どれほどの死が身を侵そうと、決して死ぬな。


 高鳴る鼓動に合わせて、近い感情の記憶が蘇る。最後に見た父の背が、幼いアテルの手をすり抜ける光景まで。

 疼く血管を制し、城内へ踏み入った。世界を守る盾に相応しい城には、相応の広さと部屋が有る。それぞれに役割と意味があるが、〝魔毒〟に対抗するという一点は何処に在っても揺るがない。

 既に此処は戦場なのだと、いつの間にか拳を作っていた。






 新人兵士の仕事なんて、掃除と訓練だけだ。先輩兵士達と一度対面した後は、雑用の当番を決め隊の仕事を確認する。確認作業に現役兵士の指導が入る以外は、訓練校でやらされた事の繰り返しだった。

 己と先輩兵士の身の回りを世話して、訓練校と変わらない毎日に不満が積もる一歩手前。ようやく実践とやらを経験する日が来た。

 アテル個人としてはいつまでも訓練で構わないと思ったが、余りにも変わらない日々にうんざりする周囲の気持ちは理解できる。


「整列!!」

 ―――ザッ!

「総員、傾注!」


 集められた四十名が狂いなく足を揃え、命令を出した男に注目した。左の米神から側頭部に掛けて、大きな傷跡が目立つ。痛ましい傷の跡を隠さず、むしろ見せつける様に短い髪は白い。それでも三十九人を前にしてたじろぐ気配を見せず、背筋を伸ばす姿はこの城に似た年季と強固さを感じた。

 アテル達が振り当てられた魔薬歩兵連隊二〇一小隊隊長、ゼッフェル・ギッターその人である。


「これから五十三分後、我々は〝別界(グローブ)〟に侵入する。新人はこれが初渡航となる訳だが、先達に守ってもらえると思うな。経験の有る無しに関係無く、()()()()()()()()()()のだ。全ての兵士に、全ての地に死は染み渡っている。それが〝別界〟だ」


 甘えるなと叱咤するゼッフェルに、背後の同期が唾を飲む。訓練校でどれだけ脅されていても、経験者の言葉の重みには敵わない。圧し掛かる重圧で、肩幅に開いた両足の力が増す。


「私の部下となったからには、出来の良し悪しは関係ない。全員に死線を超えてもらわねばならない。だから命令を下す―――敵に勝ち、生き残れ!以上だ」

「「「「「はっ!」」」」」


 敵に勝て。多くの者に言われるが、それを遂げられなかった兵士がいる事を知らぬ者もいない。命令を遂行する為の準備に動く兵士にとっては、何度も己に言い聞かせている至上命題だろう。

 死地の名が〝別界〟と呼ばれているのも、赤子を除き常識である。歩いて三時間と掛からない場所に向かう行為を渡航と表現する要因は、その場所に染み切っている『死』にあった。


 〝別界(グローブ)


 意味の通り、アテル達が住んでいる国の境を挟んで存在する別天地。城の展望台からも見えるそこは、常に黒い霧が地上を覆っていた。黒い霧は星の毒素とも未知の生命体による生存戦略とも言われているが、実際はハッキリしていない。

 分かっているのは、耐性の無い生物がアレに触れればアテル達がこれから戦う『敵』に成る、ということだけ。

 現れた経緯も原因も詳細不明なまま、生者と死者の世界を造った黒い霧。黒い霧に侵され全く別の生物として徘徊する敵を、毒に成ったモノ〝魔毒(ベノム)〟と呼んでいる。

 〝魔毒〟は黒い霧と同じで耐性の無い生物が触れれば、同じ〝魔毒〟へと変質させる。一度成ってしまえば治療は不可能、他の個体と同じように生者を仲間にしようと襲う化け物となるのだ。

 体の造りから変質する〝魔毒〟は、意思を持たない動くだけの死者。


 〝魔薬(メディック)〟とは〝魔毒〟に耐する抗生物質であり、〝対魔毒兵士(ベノムルーク)〟とは〝魔毒〟を殺す戦士だ。


 ただ襲ってくる〝魔毒〟を倒し、国を守る兵士は正しく国の盾。その誇りある使命を背負った姿に憧れ、〝魔薬〟を授かろうと門を叩く者は後を絶たない。しかし希望者全員が〝魔薬〟を授かれる訳ではないので、その希少性に憧れが嵩を増す。

 死地に向かう兵士が新人に限らず皆曇りを見せないのも、それが大きな理由だ。

 兵士は誇りを胸に戦い、今日も国や家族の為命を賭す。


 機材保管室に向かう道中、擦れ違う事務職員を横目に見て、アテルは複雑な心中を抱えていた。

 他の分隊の新人も同じ部屋を目指し、最初の一人が開けた扉を潜る。別分隊に配属されたティノとも会い、周囲と同じだけ初渡航に興奮を隠せていなかった。訓練で散々触った対魔毒装備一式を纏める手と、舌の回りが比例する。


「遂に実践かぁ……はああ、緊張する~」

「ティノは優秀だから、相当変な隊長じゃなきゃ大丈夫でしょ」

「隊長はスゴく優しいよ!訓練でもスゴく丁寧に指導してもらったし、しかもイケメン!」

「そこ大事なんだ」

「アテルの隊は?」


 一瞬、言葉に詰まる。後ろめたい事が在る訳ではないが、純粋な友にアテルの心証を正直に話すのは、なんとなく気が引けたのだ。

 止まった手を誤魔化すように、装備一式が詰まった鞄を閉める。


「……そうだな、予想通りの隊長、かな」

「なにそれ~?」


 分隊の構成は小隊長が決めるので、バレないように申請すれば移動は可能だ。だが繰り返しの申請は出世に傷を付け、実力を付ける機会を得たいやる気の高い兵士はあまりとらない手である。

 その点で言えば出世願望が無いアテルは、申請を出しても何も問題は無い。

 ただそこまでの隊長ではないというだけだ。


「隊長の人柄はあんま問題じゃないよ。生き残れて、無事に五年経てばそれで良い」

「アテルはホントに、出世興味無いよね?降格権目当てで入隊するなんて、聞いた事無いよ」


 話しが聞こえた別分隊の同期が、目を丸くしてアテルを凝視した。

 名誉ある〝対魔毒兵士〟の仕事を放棄し、五年勤めれば国から支給される異動届、別名降格権を行使するなんて、普通の兵士なら考えられないのだろう。実際〝魔薬〟を授かっただけで納税の義務は免除され、〝対魔毒兵士〟になれば一般平均年収の凡そ三倍が給料として振り込まれる。出世して責任ある地位に立てば、更に高額給料と特別待遇が待っているのだ。名誉や誇りを考慮しなくても、かなりおいしい仕事である。

 命を賭けると言ってもここ数年の〝対魔毒兵士〟殉職率は低下し、科学力の向上で安全面が強化されていた。給料が良くて死に難くて、オマケに尊敬される仕事。

 腰抜けと揶揄され前線から退いた者達の巣窟、対魔毒事務課に好き好んで行く者は確かに変わっている。

 しかしアテルの方が、ティノを含めた周囲の反応が理解できない。〝対魔毒兵士〟より給料が下がるとはいえ、魔薬を授かった功績は生きているし命の危険がほぼ零の職場。十分においしい仕事である。少なくとも命を賭ける喜びに同調できないアテルのような人間には、理想の職場だ。


「ティノは憧れの〝紅の皇女(カルミン・エリザベス)〟の小隊目指してるんだっけ、先は遠いね」

「むう……良いでしょ、だってスゴくカッコイイんだもん!」


 前を歩く別分隊の同期が、正面を向いたまま頷いている。さっきから盗み聞きし過ぎではないだろうか。


 明確な敵対者〝魔毒〟と戦う軍隊だ、特別な人間とは往々にして現れる。

 〝紅の皇女(カルミン・エリザベス)〟、単騎で一個中隊に匹敵すると言われている、最強の〝対魔毒兵士〟だ。

 〝対魔毒兵士〟の広告塔で容姿に優れ、しかも滅茶苦茶強いそうだ。噂では一万の〝魔毒〟を一分で全滅させたとか、真偽は定かではない。赤い髪を靡かせて凛と立つ雑誌の表紙は、売れ行きが普段の十倍以上だとよくニュースで流れている。

 魔薬を求める者で〝紅の皇女〟を知らない者はおらず、憧れを抱くのは自然な現象。ティノの夢を笑うどころか、同意しないアテルが異常者扱いである。


 憧れの人の下で戦いたい。夢を再認識したテンション高めのティノと別れ、所属分隊と合流。

 装甲車両に装備品を積んでいると、早速分隊長が近づいてきた。予想通りである。


「遅いぞ新人、何をのんびりやっている。兵は迅速を貴ぶ、という言葉を知らんのか」

「はっ、申し訳ありません」

「最近の若い奴は、なんでこう頼りないのか……。俺の若い頃は―――」


 入隊してこの分隊に配属されてから、この小言を聞かない日は無い。愚痴と自慢を交互に延々と語る額面積の広い分隊長は、先輩曰く妻子に頭が上がらずストレスを溜めているらしい。ストレス発散の矛先を部下に向けないでほしいが、説教が長い以外は大きな被害は無かった。

 理解ある同分隊の先輩兵士が、積み掛けの装備を運んでいく。多少喋らせないと機嫌が悪くなるので、間に入るタイミングも重要だ。


「補給活動がどれだけ危険で前線の兵士達の助けとなっているか、再度自覚して―――」

「分隊長、出発二分前です」

「む、そうか。では総員搭乗」

「「はっ!」」


 慣れた隊員が割って入ってくれた、目配せで礼を示せば笑って手を振る。先に乗っていた他の先輩隊員からも、お疲れ様と視線が告げていた。

 後部座席の一番後ろに座り、白い隊服を見下ろす。黒い霧に耐性を持ったとはいえ、〝魔毒〟からの攻撃から身を守る防具は必要だ。〝対魔毒兵士〟の制服は現代科学の粋が籠っており、衝撃や熱、斬撃にも高い耐性がある。

 何故汚れが目立つ白なのか、正義の味方として戦う兵士としてのイメージ戦略だろう。だから広告塔の〝紅の皇女〟は、一人だけ赤い隊服なのだ。しかも微妙にデザインも違う、分かりやすい贔屓である。


 車両が発進し、〝別界〟直前で停車する。城と同じ、それ以上に銀色の壁と門。扉が上がっていく。アテル達が乗る車両の後ろから、巨大鉄扇風機が霧を吹き飛ばす。帰りにも同じ強風の出迎えが有ると思うと、少々憂鬱だった。


「よし、〝視鏡(ゴーグル)〟装着!」


 国境を目前に止まった車の中で、兵士は特殊な視界保護装置を着けた。ようはゴーグルである。黒い霧の中でも視界を確保できる物で、〝別界〟に行くなら必需品だ。周波数を合わせれば、半径三㎞内で通信も可能。

 車が止まり、作戦地点にアテル達を降ろした。此処は既に戦場だ、急いで戦闘準備に入る。〝視鏡〟の画面端に味方の位置データが随時更新され、マップに新たなマークが表示された。


「これより我らΔ(デルタ)分隊は、指定の地点にて〝魔毒〟の撃滅行動に移る。作戦行動A―3、終了予定時間は一時間三十分だ」

「「「「「了解」」」」」


 定期的に〝魔毒〟を狩る、定期消毒任務だ。〝対魔毒兵士〟とは別で〝魔毒〟の分布を調査する隊が存在し、その情報を基に上層部が歩兵連隊を選別して派遣する。

 今後幾度となくこなす任務だ、早く慣れておきたい。


「ヘマすんなよ」

「?」


 迎撃準備で働いている新人は二人、アテルと訓練校で接点の無かった少年だ。所属分隊が決まった時鋭い目つきで見られて以降、特に対話をしていない。接触は訓練時の必要最低限だけで、アテルは好きでも嫌いでもなかった。

 今も何故睨まれているのか、理由が皆目見当もつかない。最初はティノに惚れていて、仲が良いアテルに嫉妬しているのかとも考えたが、違和感があった。

 考えても分からない事は考えない、呟きは無視して準備を進める。


 ウイイイン!ウイイイン!

「な!?」


 黒い霧の視界不良を解決する〝視鏡〟から、接敵警報が鳴った。予報より二分早い。

 だが分隊員の八割はプロだ、うろたえる様子も無く迎撃態勢を整える。マップの倍率を調整して表示範囲を拡大、分隊の位置と確認できる〝魔毒〟の位置をデータと肉眼の両方で照らし合わせた。


「先頭魔毒の射程距離到達まで、推定十五秒」

「間接班位置につけ、近接・支援班合図が有るまで待機!」

「「「「「了解!」」」」」


 支援班として間接班に適切な装備、機械銃を渡していく。機械銃を持った兵士は腰に巻いたバックから、()()()()()()()を装填する。近接班も剣や斧と形は様々だが、銃に装填した物と同じ深紅の輝きが武器に宿った。

 これが〝魔薬〟を授かった証、〝魔毒〟と戦える唯一の刃。


 初めて、生で〝魔毒〟を見た。

 黒い霧を自身からも立ち昇らせ、その形態を惑わせている。大きさも動きも多種多様で、触手のような足が有ったり羽が生えている個体もあった。全体像を霧に隠し、生物としての気を感じなかった。

 姿形に興味は無かったが、一度見ると納得した。確かにアレは生者(じんるい)の敵である。

 支援の位置を守りながらも、無意識に自分の武器を強く握っていた。


「構えええ!……撃てえ!!」

 ドン―――!!!


 ギリギリ〝視鏡〟の効果が届く距離に入った〝魔毒〟を狙撃、一度撃つと二射目までに時間が掛かる事を考慮した攻撃命令だ。


 〝対魔毒兵士〟は肉体に〝魔薬〟を宿した兵士、しかし素手で戦うのは危険過ぎる。

 そこで開発されたのが、〝魔薬共鳴武器(カタルシス)〟。


 使用者の体組織が組み込まれていて、自身の〝魔薬〟と共鳴させる事によって〝魔毒〟に効果をもたらす。共鳴率が高い程兵士として有能と見なされ、訓練校の成績に大きく影響する。この共鳴の力を、薬力と言うそうだ。

 薬力が強い程武器は〝魔毒〟を弱らせ、少ない手数で無力化できる。武器の扱いや体力面も重要だが、訓練校で優秀と評価されていた生徒は薬力が上位の者を言う。

 アテルの薬力は、平均の少し上程度。卒業できれば十分なので気にしていないが。


 先輩兵士の銃撃は一発で〝魔毒〟を倒し、しつこい相手でも二発で仕留めている。手際に経験の厚みを感じる。

 それでも双方の距離は縮まっていき、徐々に数的優位を知らしめられた。しかし隊長の声音に焦りはない。


「近接班、〝魔薬共鳴武器〟作動!」


 命令を叫んだ隊長自身も武器を作動させ、〝魔薬共鳴武器〟との共鳴を始める。刃の部分が薬力に応じた輝きを放ち、臨戦態勢に王手を掛けた。


「……突撃いいい!!!」

「「「「おおおおおおおおお!!!」」」」


 白い兵が疾走する、数秒後には黒い残骸が地面を転がった。安定した戦闘の運び、武器の個性を物ともしない連携。偶の銃撃援護も加われば、〝魔毒〟進行阻止は盤石である。

 アテル達新人支援班は、近接班からの支援要請に備えるだけ。


「すげえ……!」


 緊張で強張っていた少年の表情が、先輩兵士の奮戦で解される。尊敬の眼差しには、年相応の無邪気さが光っていた。好奇心と高揚に、補給物資を持つ手が下がる。

 戦闘を観察するのは良いが、状況把握と支援の本質を忘れないでほしい。


「耐久度残り十四!!」

「左斜め後方で支援に入ります!」

「左の二人下がれ!交換は十秒で済ませろ!」


 支援の要請に案の定少年は遅れた。代わりにアテルが応え、間接班と近接班の中間の辺りに走る。近接戦闘線から下がってきた二人の先輩兵士に、新品の刃部分を補給した。


「助かる!」

「いえ、お気をつけて」


 体内の〝魔薬〟と共鳴して黒い霧に対抗する〝魔薬共鳴武器〟は、〝魔毒〟に接触する度にその個所を大きく摩耗させる。〝魔毒〟が放出している黒い霧がそもそも有毒なので、大気中に常に存在する黒い霧の中武器を晒している時点で、消耗は必至。だから武器の共鳴は戦闘直前に行われ、摩耗した刃の換えを即座に用意する支援班が必須なのだ。

 支援班は特に近接班の兵士が使用している武器を記憶し、その武器に合った替え刃を用意。アテル達はどの武器の替えが必要で、どの武器から先に支援の指示が入るかを予測、戦場の全体に気を付けなければいけない。結構大変な役目なのである。


 〝魔毒(死者)〟と人類(生者)の戦いも、百年を超えて久しい。教科書に書かれている歴史しか知らない身でも、その壮絶さに手が震える。本物を目の当たりにして、戦いの歴史がより恐ろしく感じた。

 危険な職場だが、アテルにとっては将来享受する平穏の先行投資に過ぎない。

 幼少期に父を亡くし、母は研究三昧で育児放棄。優しいご近所さんが居なければ、普通に餓えて死ぬかしていた。そんな子供が程々の労力で最大限の平穏を望むようになるのは、育った環境が悪いに決まっている。

 結婚とか子供とかはまだ分からないが、血の繋がった反面教師に習い、駄目な大人にだけはならないと心に決めているのだ。他人が聞けば鼻で笑うかもしれないが、アテルにとっては死活問題である。実際死ぬ思いもした。

 自分を養えない人間はそもそも人としてカウントされない、人間社会とはそういうものだ。

 だから自信を持って命を賭けられる同期の中に居ても、アテルは全く気後れしない。種類は違っても同じ望み、同じ未来なら遠慮する理由など無いのだ。


 戻って来たアテルを少年は睨み、怒りを隠せないまま正面の戦闘に視線を戻す。怒りの理由はともかく、もう少し真剣に仕事に取り組んでほしい。百に近い〝魔毒〟に対して、アテル達は十人編成の一分隊。一人の失敗が戦況を傾かせる可能性は、十二分に在るのだ。

 戦況は安定している。訓練で行った行動を再現できれば、先輩らの足を引っ張る事は無い。

 もし何かあるとすれば、それは訓練で想定されなかった事態。



 ウイイイイイイイイイ―――ウイイイイイイイイイ―――



 〝魔毒〟接近警報とは違う、途切れないサイレンに耳が麻痺しそうだ。想定されなかった事態の気配に、眉間が皺を作った。


「なんだこの警報!?」


 新人だから知らないだけなのか、だが程度こそ低いが先輩兵士も少年と同じ反応だった。隊長が〝魔毒〟の波から距離を取る。アテルは荷物の中で一番重い備品を出し、電源を入れた。


「おい!中継機を出せ、本部と通信する!」

「了解!」

「繋ぎました、隊長の通信機に送ります」


 隊長が戦闘から下がろうとした時から中継機を出し、本部との通信を確立させる。また睨んできたが、それこそお門違いだ。動揺を抑えられなかった自分を恨むべきである。


「こちら第二〇一Δ分隊、事態把握の為情報を求む!繰り返す、情報を求む!」

「〈――――――〉」


 黒い霧の中でも遠距離通信が可能となる中継機は、強力な電波発生装置でもある。本部と隊長同士の通信だが、電波がアテル達の通信機も揺らした。本部から届く通話が、ノイズとなって警報と重なる。煩さが増した。

 隊長と本部の情報交換が終了するまで、他の兵士が現状維持に努めている。その一人が、唐突に横を指した。


「おい!アレ!?」


 〝視鏡〟の効果範囲を超えた距離だが、その異質な光景が見えた。兵士が指をさした地点だけ、黒い霧が晴れていたのだ。

 そこには黒い壁が立っていた。


「まさか……〝黒毒夜(ベノムナイト)〟……?」

「なっ!?」


 黒い霧が気候の関係で異常に渦を巻いて、その摩擦反応で稀に起きる現象だ。殆ど規則性も規模も定まっていない、〝別界〟の天災である。

 物理に効果を持つ壁を形成し、中に居る者を決して逃がさない。それが〝魔毒〟だろうと、兵士だろうと。

 兵士間では別の名で通っている―――処刑場、と


「本部!目視で〝黒毒夜〟と思われる現象を確認した!!此処から西に五・六百、どこの部隊だ!?」

「〈確認中……、二〇一小隊Α(アルファ)分隊・β(ベータ)分隊の作戦地域です〉」

「なにっ!?」


 驚ける部分は幾つかあった。同じ小隊の仲間が危ないという事実、二分隊分の広範囲に〝黒毒夜〟が展開している異常。アテルだけはΑ分隊が、ティノの所属している分隊が巻き込まれている点に驚いていた。

 〝黒毒夜〟は一度展開されると、記録上最短でも半日壁を保つ。記録例は多くないが、最長は三日に及ぶ。その間外からも中からも出入りは不可能。〝魔毒〟にも壁は有効だが、そもそも〝黒毒夜〟は黒い霧で壁が形成された空間。壁の内外両面から、〝魔毒〟は生まれ続けるのだ。

 内部に閉じ込められた兵士は出られない空間の中、限られた物資で止まない〝魔毒〟の波に耐えなければならないのだ。

 過去閉じ込められた兵士で、生き残った者は一人もいない。

 それが処刑場の所以である。


「他の小隊に応援要請!!本部!爆薬銃ありったけ持って来い!!」


 戦場を変える気配に、装備を纏めて車両に運ぶ。間接班も手伝ってくれて、近接班は上手く〝魔毒〟の注意を惹き戦っている。

 隊長が仲間を助ける為に動いていると判断して、それに従う部下。落ち着いた動きが出来ているように見えるが、兵士一人一人の表情は苦悶に満ちていた。頭では仲間の死を覚悟しているのだ。それでも助けたい気持ちが、〝魔薬共鳴武器〟の輝きを持続させている。

 最後に中継機を抱えた隊長が、車に乗り込む。私は戦闘に使用した〝魔薬共鳴武器〟の消耗を確かめ交換しつつ、新人少年兵士の荒い運転に耐えた。


「周囲の魔毒を掃討し、Α・β分隊を囲む壁を破壊する!!だが破壊は兵器が届いてからだ!決して無謀な真似はするな!!」

「「「「「了解!」」」」」

「壁を目視で確認、信号弾上げます!」


 赤い煙を空に撃ち、他の分隊に応援を頼む。間近で見ると壁は本当に真っ黒で、夜の闇を貼り付けたようだ。


「ティノ……!」


 壁から生まれる〝魔毒〟と、周辺をさまよっている〝魔毒〟。どちらにも対処し、応援と本部の兵器配達を待つ。

 無傷の体と心労の落差が神経を炙り、焦った思考で口が滑る。小さい独り言は聞かれなかったが、己の武器を握らない手がむず痒い。脳内で再生されるティノとの思い出が、走馬灯に思えて仕方が無かった。


 純粋な友、夢を持ち誰かに憧れる、アテルの戦友。

 訓練校で同じ釜の飯を食べ、厳しい訓練を共に超えた。

 望みを叶える為の努力を、自信に繋がる鍛錬の日々を、無下にする権利は誰にも在りはしないのだ。

 だから、こんな所で終わっていいはずがない。


「ぐあ!?」

「利き腕負傷、退がらせます!」

「誰か前線の穴埋めを……」

「俺が行きます!!」

「お、おい!?」


 備えてたのか、全文を聞く前に飛び出した少年兵。若さゆえか勢いのある特攻が〝魔毒〟に刺さり、穴埋めとして十分な活躍を見せていた。二刀の両刃剣型〝魔薬共鳴武器〟が敵を消毒している。

 二刀流は最近流行り出した戦法で、〝紅の皇女〟が正に二刀流なのだ。皇女に憧れて二刀流に手を伸ばす新人が多く、戦意の高い兵士が量産されている。問題はただでさえ消耗がネックの〝魔薬共鳴武器〟の替え刃が、二倍速く消耗されている事だ。

 隊長がこの状況で穴埋めを新人に頼まなかったのも、消耗速度を心配しての事だろう。刃の替えは余分があるとはいえ、実戦で〝魔薬共鳴武器〟の耐久度を確認しながら戦うのは、想像以上に難しい。耐久度は表示されるが戦闘中に見ている暇は余りないし、使用時の感覚で計るには経験が浅過ぎる。

 ガンガン攻めているが、周囲の先輩兵士の助け在ってだ。早く自覚させないと、周りが先に潰れる。


 猪突猛進の同期を殴ろうと膝を伸ばした時、上着の裾が軽く引っ張られた。

 戦場には不釣り合いな幼女が、アテルを見上げていたのだ。


「え……は?」

「あー」


 四・五歳くらいの、どう見ても人間の少女だ。長い髪が白く瞳は赤く珍しい容姿だが、普通の幼い子供である。

 本部との通信と指揮に没頭していた隊長や、負傷して下がってきた兵士も言葉が見つからない。戦場でこれだけ突拍子もない出会いは、緊張で流れていた汗を止めた。


「あー、あー!」

「こ……れは?」


 誰もが言葉を探している中、幼女は壁を指す。処刑場を囲う強固な黒壁が、幼女の指先を避けるように穴を開けたのだ。事態が呑み込めなくて、顎が外れそうである。

 分からない事を考えないなら、重要な部分だけ処理をする。今一番重要なのは、仲間の救助だ。邪魔だった壁を通過できるなら有難い、経緯はともかく助けに行けるのだ。


「……隊長、突入の許可を」

「あ、ああ……。総員、〝黒毒夜〟に突入するぞ!!隊列を組め!!」


 訳が分からないが、幼女は幼女。抱き上げて車両に乗せる。


「少し待ってて、絶対親元に帰すから」

「あー?」


 戦闘にも救出にも資材を積んでいる装甲車両は必要だ、幼女と運転手を乗せた車と共に黒い壁の穴を潜った。


「うっ!?」

「これが……!」


 閉じられたら最後、無事に出てきた者はいない〝黒毒夜〟。誰も実態を知らない処刑場は、此処が〝別界〟であるとは思えないほど霧が無かった。〝視鏡〟を外し、裸眼で見る。


 黒と赤と白が織りなす、地獄が在った。


「ぎゃああああああ!!!」

「た……す、け……」

「嫌だ嫌だイヤダイヤ、だ、いやあああああああああ!!?」


 白い制服が黒い背景によく目立つ。塗り消そうと襲う黒い〝魔毒〟が、地面にも(あか)を散らしている。断末魔が壁に吸収され、侵入するまで全く外に届かなかった。

 基本戦略が安全優先の兵士には、あまりにも厳しい現実だ。

 体が動かないΔ分隊の前に、悲痛な叫びを上げて倒れる同志。伸び掛けた手は半ばで落ち、全身が黒い霧に侵され切った。

 〝魔毒〟に対抗できるのが〝魔薬〟だ、が万能ではない。確かに〝対魔毒兵士〟は黒い霧の干渉を受けないが、許容上限を超える量と密度に触れられると毒に負ける。

 この兵士は許容上限を超えた毒を受け、アテル達が倒すべき〝魔毒〟に変貌しようとしていた。


「うっ!」


 腹の中に納まらない吐き気が喉を通る、口を押えてなんとかやり過ごした。背後では堪え切れなかった兵士が数人。責める者はいない、だが恐怖に足を竦ませている暇も無い。


「ぐっ……!生存者を捜索!可能な限り救助し、迅速にこの場を離脱する!!」

「足を負傷した兵が居る!誰か手を貸してくれ!」

「〝魔毒〟とまともにやり合うな!救助優先!」


 持ち直した数人が動き出し、救助の体をなす。次々に黒壁から生まれる〝魔毒〟は、立ったばかりの赤子のようにふらついている。それでも数分で体を起こすのだから、急いで救助を完了させなければならない。

 アテルも己の〝魔薬共鳴武器〟を握り、負傷兵を担ぐ先輩兵士の背中を守る。四足歩行で前足らしい動作をして、襲い掛かって来た。

 片刃剣型の〝魔薬共鳴武器〟は、右も左も分からない訓練兵が最初に持たされる武器の型だ。両刃より軽量で、交換する刃の部分が少ない。訓練校でおすすめされる武器である。

 別の型の武器を申請し授業の単位を増やすのも面倒だと、アテルはずっとそのままだ。先の少年兵然りティノの細剣型然り、普通は自分に合った武器を選ぶ。片刃剣が悪い訳ではないが、深く考えずに使い続けているのはアテルだけだろう。自分の命を預ける武器に無頓着なアテルは、訓練校時代から遠巻きにされていた。


 だからアテルにとって、ティノは本当に大事な友達だ。


「…………ティノ?」


 一際辺りに(あか)制服(しろ)が目立つ場所だ、邪魔な〝魔毒〟を適当に散らせば見つけられる場所。血が染みた地面を踏む不快な感触は記憶に留まらず、神経は全て現実の否定に勤しんだ。


「あ、……ああ……」


 腕と足があらぬ方向を向き、地面に四肢を投げ出していた。礼節を重んじる兵士を目指し、立ち居振る舞いにとても気を使っていたティノが、人生で一度も試した事が無い体勢ではないだろうか。傍に転がる細剣だけが、美しい造形を維持していた。

 糸くずも許さなかった制服は、土に汚れていて見る影も無い。なにより腹部は完全に破損し、流血が制服の汚れすら侵している。

 零れる吐息は、小鳥の囀りにも劣っていた。


「ティ……ノ」

「……ぁ……て、ぅ」

「……ティノ」


 丸く愛らしい瞳から光は消え、唇は音を伝える力が無くなっていた。


 ―――カタカタ


 無防備なアテルを警戒して、ゆっくりと〝魔毒〟がにじり寄る。しかし振動は周囲からではなく、〝魔薬共鳴武器〟を握るアテル自身の手だ。小刻みの振動に剣も、アテルの視界も揺れていた。

 涙が細剣(レイピア)に弾かれ、奴らは牙を剥いた。

 奴らは、〝魔毒〟は、ティノの腹を引き裂いた奴は―――



「……お……おまえらかああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」



 四方を埋め尽くす〝魔毒〟に、アテルは〝魔薬共鳴武器〟で斬り付ける。だが一本の剣だけで捌ける数ではない。半分になった同族を乗り越えて、更なる〝魔毒〟が涙の再会に毒を挿す。


 分かっていたつもりだった、それも所詮()()()に過ぎなかったのだ。


 ティノを跨ぎ逆の手で握った細剣が、閃光の突きで黒を貫いた。細かく傷を作り片刃剣が致命傷を、そして最速の突きが仮初の生に終止符を打つ。瞬きに等しい間で、二人の周囲から黒い魔手は消えていた。


「な……新人……?」

「……あああ、あああああああああああああああ!!!!!!」


 壁の無い天にだけ響く慟哭が、兵士達の手足を止め視線を束ねた。

 右に片刃剣、左に細剣。

 何も映さなかった瞳が光を灯した事に、アテルは気付かなかった。






 何処にでもいる、臆病な子供だった。


 指一本も動かない体に、狭まる視界が恨めしい。ティノの待ち望んだ光景が、目の前でこんなにも輝いているのだ。感じない痛みも流れる熱も、どうでもよかった。


「……ぁぁ」


 綺麗だった。アテルは信じないだろうが、〝対魔毒兵士(ベノムルーク)〟を目指した意義がそこに在った。ティノの細剣がアテルの手中で輝いている様子に、感涙すら覚える。

 周囲の生者が微動だにしない姿は失笑を誘うが、眼球を動かすことも難しい身では実行できない。体が動くなら、声を張り上げたかった。

 我が憧憬に喝采せよ、なんて。



 小学校低学年だった、臆病なティノは血気盛んなクラスメイトに連れられて、公園に来ていた。どんくさく人見知りが強かったティノは、それを理由に遊具を使わせてもらえない。ブランコは常に誰かが座り、鉄棒に手を掛けられる部分は残っていなかった。

 何も出来ず立ち尽くすティノの傍を、一迅の風が走る。

 同年代のその子、幼少期のアテルはクラスメイトの誰より速くジャングルジムの頂点に立った。重力を感じない動きに、公園に居る全員が呆ける。視線を集めている本人はどこ吹く風で、そのまま飛び降りた。子供にはかなり高さだったが、前転受け身で軽やかに着地しブランコへ走る。

 公園のあらゆる遊具に登り滑り回り走り、それを三周繰り返して帰っていった。後から隣のクラスの同学年だと知り、驚きは感激に変わったものだ。

 アテルは一言も口を開かないまま、ティノ達を圧倒し魅せつけた。

 圧巻の運動神経を見せたアテルを〝対魔毒兵士〟志望だと当たりをつけたのは、英断だったと言える。成長した姿を訓練校で見かけた時は、嬉しすぎて飛び跳ねたものだ。兵士になる為の勉強の過程で第二の憧れ、〝紅の皇女(カルミン・エリザベス)〟を知る。

 しかし勇気を振り絞って話しかけた時から、アテルは〝対魔毒兵士〟を希望職への足掛かりにしか考えていなかった。


「事務希望!?」

「そんなに驚く?」


 正直に言えば、失望した。幼少期に見た格好良くて、美しい躍動の影に在る怠惰。第二の憧れを抱いて無ければ、絶望して自暴自棄になっていただろう。

 そんな思いも、たった一度の光景にまた塗り替えられた。


「次」

「あ、はい」


 型訓練の授業、つまり体育だ。自分の得意な武器の型、戦いの型、戦略の型を確かめ研磨する。的として訓練場には案山子が立てられていて、各々が十分な距離を取って余りあった。

 その一角を占領し研磨しているアテルの型は、教官も目を剥いている。補助を頼まれたティノも、言われたことをやるだけの案山子と化していた。


「ふっ!……次」

「は、い!」


 切っ先を地面に擦りながら案山子を袈裟斬りした大剣が、高く放り投げられる。地面に刃を立てたそれを、見ている者はいなかった。注目の全てが、ティノに投げられた槍斧(ハルバード)を掴むアテルに集まっている。

 既に幾つもの武器が地面に刺さっていて、一つも漏らさずアテルが使いこなした成れの果て。墓標の如きそれらと的の案山子が、アテルの戦場を形成しているのだ。


「次!」

「はい!」


 重過ぎて飛距離が足りずアテルの背後に落ちた斧を、一瞬の横目で確認し掴み抜く。腰に捻りを加え最短で最大の攻撃が、三体の案山子を吹き飛ばした。

 ティノが渡されていた訓練用の武器はもう無い、的が消えた証として全ての武器が地面に刺さっている。一つの武器を極める授業に似つかわしくない、数多の型の演武。

 硬直する野次馬から抜け出したのは、この場の誰より経験を積んでいる猛者。


「あっと……アテル、だったか?」

「はい?」

「一本相手してやる、こい」


 息を呑み、アテルの返答を待たず場が広がる。野次馬が観客に、訓練場が晴れ舞台に。明確な強者である教官の手には、刃引きされた長鎗。

 対人戦は訓練としてそこまで推奨されていないが、特別な経験ではある。〝魔毒(ベノム)〟の形態は多種多様で、人間に近いモノはいても人間と同じモノは滅多にいない。なので対人による経験の蓄積が、〝対魔毒兵士〟として絶対必要な訳ではないのだ。

 それでも玄人の兵士に、対人戦の弱い者がいないのも事実。力を測る意味で、対人訓練は特別とされている。

 突然場を整えられ、返事をする前に教官が構える。アテルは棒立ちで、話に付いて行けてなかった。


「え、ええ?」

「行くぞ!」


 鎗の真骨頂、鋭い踏み込みによって生まれる突きが放たれた。自己申告による開始の合図に、かなり怪しいフライングギリギリの先手。教官が教える側としてではなく、相対する側として繰り出す加減無しの突きだ。予想を超える危険な開戦に、周囲から悲鳴が上がる。

 アテルを真横から見ていた数人は、胴体を貫く鎗が見えただろう。しかし真横以外から見ていた観客は、僅かな足捌きで鎗先を脇へ通す動きに感嘆の息を零した。

 鎗が通った方の腕で、教官の顔面を薙ぐ。首を倒して回避が間に合った教官からは、目前の斧がどう見えていただろうか。立ち位置を交換した状態で、また構える双方。闘志で光る教官の目とは裏腹に、アテルの目からは疑問の色が消えなかった。


「あの……何故手合わせなければいけないんですか?」

「細かい事はいいだろ!!俺が刃を重ねたかった!!」

「えええ……、授業の名目すら捨てて本音出ちゃってるよ。この脳筋教官……」

「俺に一本入れたら、授業点五点やろう!」

「五回サボっていいって、教官のセリフじゃないですよ」

「いざ!尋常に……」

「ああ、もう」

「勝負!!」


 結果は、覚えていない。ただ授業終了の鐘が鳴るまで、演武はティノと観客を魅了した。

 前線を退いた理由である左の義腕も駆使し、勇猛果敢に攻める教官。それらを地面に刺さる幾つもの武器で受け、時に仕掛けに行くアテル。

 此処に居る者は〝魔毒〟と戦う者、〝対魔毒兵士〟を目指す者ばかりだ。対人技術が不要とは言わないが、必ず鍛えなければならない技ではない。それでも目の前で繰り広げられる武技の数々は、同じ武器を扱う者として、感じるものが確かに在った。

 それに〝魔薬共鳴武器(カタルシス)〟は個人の薬力に反応する武器。つまり指紋認証のように持ち主以外には本来の力を発揮できない、完全なる受注生産品(オーダーメイド)なのだ。一兵士に複数の武器を用意する事は在り得ない軍事事情を踏まえると、アテルの技は曲芸の域を出ない。

 訓練校という一時にだけ許された、特別な戦場。

 ティノはこの光景を決して忘れぬようにと、瞬きせず勝負を見届けた。



 そして二度と見られないと思っていた光景が、またティノの前に広がっている。

 最小限の接触だったが、〝魔毒〟に触れ過ぎた細剣が輝きを濁らせていた。アテルは下がり細剣をティノの傍に突き立てると、〝魔毒〟に迫りながら落ちていた別の〝魔薬共鳴武器〟を掬い上げる。勿論別の兵士の武器であり、細剣と同じ持ち主にしか使えない筈の〝魔薬共鳴武器〟だ。

 アテルは拾ったばかりの〝魔薬共鳴武器〟の刃を輝かせ、見事〝魔毒〟を一刀両断した。


「そんな、馬鹿な!?何故自分以外の〝魔薬共鳴武器〟で奴らを倒せるんだ!?」


 曲芸の域を出なかったアテルの技が、実戦で輝きを失わない。それどころか人類(せいじゃ)の敵である〝魔毒〟を圧倒する姿は、アテルの特別をより際立たせていた。

 驚きに声を張る兵士を黙らせ、静観を求めたい。そして無事演武が終わった時、誰よりも大きな拍手を届けたい。

 叶わない望みだが、それ以上の感動が思い付かなかった。


 アテルの殲滅速度が、〝魔毒〟の出現速度を完全に上回っている。むしろ実践の呼吸を掴んでいるのか、少しずつ速度が増していた。恐るべきはアテルの習熟速度と、揺るがない精神力。

 大地を血に染めて倒れる同胞の無念(カタルシス)を拾い、無双を体現するアテルは一騎当千を証明していた。多くがアテルを別格に見ているクラスメイトの中で唯一ライバル視していた少年兵は、偶然にもアテルと同じ分隊に配属されたが、今は唇を噛み締め負傷兵の救助に尽力している。兵士として正しい行動だが、裏を返せばアテルに全ての敵を任せているのだ。そこには認めきれない信頼と、負けん気に隠れる悔しさが滲んでいた。

 新人の動きに呼応して、他の兵士も負傷兵回収を第一とする。ティノの下に誰かが来る気配が無いのは、アテルが近寄らせないのか、遠目に手遅れだと判断されたか。


「遅い!!」


 三又槍で三枚に下し、薬力が消える手前で投擲に使用する。無手となったアテルに、黒が迫った。


「ああああああ!!!」


 上空に投げていた長鎗を空中で迎え入れ、落下の勢いを鎗先に集中させる。直撃した〝魔毒〟は霧散し、近い数匹も衝撃で動かなくなった。

 形を保てなくなるほど毒を削られた〝魔毒〟は、微かに残った黒い霧と宙に溶けるのだ。黒い霧だけが痕跡として残るアテルの足元を中心に、周囲から動く黒は一蹴された。

 黒い背景が薄くなり、圧迫感が緩和される。最後の鼓動が熱を吐く。


 長いようで短い演武は、ティノの心残りを消してくれた。

 辛く苦しい訓練に耐えて、〝対魔毒兵士〟を目指した意義が達せられた。


「ティノ!!」


 光が来た、白黒の視界に灯る光。眩しくて暖かくて、目を閉じるのが勿体なかった。


「駄目だティノ!!目を……ティノ―――ィ―――!――――――」


 もう少し、この光が見える場所に居たかったなぁ―――
















「今すぐ国を出なさい、アテル。じゃないと殺されるわよ」

「は……は?」


 約二年ぶりの母は、相変わらず何も変わっていなかった。用件だけを簡潔に述べ、情緒も何もない。感情を込めろとは言わないが、それでも実の子に掛ける久し振りの言葉として、これほど物騒な話は無いだろう。


 〝黒毒夜(ベノムナイト)〟発生で二〇一小隊の半数以上が戦死、ティノを含めた兵士達の葬儀が行われた。亡くなった者の名が呼ばれるたびに、悲しみが涙に変わる。傷付き死んだ者は当然、〝魔毒(ベノム)〟と成った者も大きな意味で死を意味していた。

 小隊規模の戦死は久し振りで、〝最終防衛城(ヘル・ライン)〟に勤める全ての者が喪に付している。アテルも喪服のまま、ティノの家族へ会いに行った。

 目元を赤くしたティノの両親に、「あの子と仲良くなってくれて有難う」と告げられ、葬儀で出尽くした涙がまた零れる。ありきたりだが本心からの返答に、ティノの両親も笑いながら泣いた。


 友の両親と話し、友の死を乗り越えようとしていたアテルに手紙が届く。魔毒研究所からの招集、正確には職権乱用した研究者である母からの手紙だ。

 嫌々訪れてみたら、研究室は資料と機材に溢れた汚部屋。我が子を迎えようという気の無い態度にキレ掛けたが、意味の分からない第一声にその気も攫われた。


「あら、母なんて呼び方何処で覚えたの?」

「言ってねえよ、訳分んないって意味だよ」


 アテルの黒髪は父譲りだが、無愛想な表情は母譲りのようだ。育児らしい育児をしてこなかった我が子に対しても、愛想笑い一つ浮かべやしない。人付き合いが下手なアテルに、輪を掛けて可笑しくしたような母である。


「一から説明するけど、取り敢えず着替えたら?そっちに置いてあるわよ」


 ほぼ資料で占領された机に顔を沈め、指だけでアテルに指示を出す。そこには客を座らせる為のソファーが二つ、どちらも使用中だ。一つには脱ぎ捨てた服が積まれていて、もう一つは見覚えのある子どもの寝台となっている。

 〝別界(グローブ)〟で見つけた幼女だ。真っ白い髪が小さい体を覆い、狭いソファーの上で上手に丸まっている。

 本部に身元特定を頼んだので、確かに本部直轄研究室に居ても全くおかしい事はない。だが小さい子供を適当なソファーに寝かせて放置するのは、大人として責任放棄になるはずだ。

 抗議の一瞥を向けるも、当人は机上に夢中である。諦めて指されたソファー周辺を探した。


「……これ?」


 ソファーの足元に転がるアタッシュケースの取っ手を持ち、その重量で衣服だと当たりを付ける。個人の研究室に常設されている洗面所で、中身を確認した。汚部屋にほったらかされていたとは思えない、完璧な新品の制服。

 但し色が白ではなく、〝紅の皇女(カルミン・エリザベス)〟のような赤でもなかった。


「耐衝撃・斬撃・銃撃に特化した、最新製法による完全個人正装(フルオーダーメイド)。アンタのサイズに完全マッチしてるし、成長を加味した生地とデザインが織り込まれてる。仕様は感じて、説明書作る暇無かったし、面倒だったし」

「なんで、こんなもの……」

「アンタの命を守る為よ」


 扉の向こうから聞こえる声が、アテルの頬を叩いた。ゆっくりと手が動く中、母が心の内を語る。


「……何で〝魔毒〟を〝魔毒〟って呼ぶのに、黒い霧には名前が無いと思う?正確には名は在る、〝星薬(リーフ)〟と呼ぶの。あんなに黒くて人を化け物にする霧を星の薬と呼び始めたのは、一体どこの馬鹿だったのかしら」

「星の薬?」

「黒い霧は確かに生物を変質させ、異形の姿にする。でもアレは黒い霧を生物が自身で作れるように、細胞が変態しただけの肉体反応に過ぎないの。死者だと国は教え広めているけど、本当は誰も死んでいない。ただ肉体の変質に精神が耐えきれず、黒い霧を増やそうと本能に従う、化け物となったのよ」

「……それは、死者と何が違うの?」

「国は人類が〝星薬〟に正しく適応すれば、精神の崩壊も肉体の変貌も起きないと考えている」

「精神が崩壊しなかったとして、だから何!?」

「不老不死になる」


 今度こそ言葉が出ない。冒頭から遠回りしない母の言葉がアテルの常識に刺さりまくっていて、もう理解を諦めたいと思った。

 だが思考を辞めた人間は、死んだも同じ。

 仮にも生者の代表として〝対魔毒兵士(ベノムルーク)〟となったアテルが、最もしてはいけない事だろう。

 なんとか脱いだ喪服を洗濯機に放り、口を開いた。


「……〝魔毒〟は精神が崩壊した不老不死だと?〝対魔毒兵士〟は奴らを倒せる」

「消毒行為ね。アレは人が少し手を加えて出来た〝改良版星薬(ネオ・リーフ)〟の練り込まれた〝魔薬共鳴武器(カタルシス)〟で、〝魔毒〟内部の〝星薬〟を削って変質した肉体組成を狂わせてるのよ。つまり物理的な消毒ではなく、細胞組織図を狂わせる科学攻撃。もし科学攻撃の速度より〝魔毒〟の〝星薬〟生成速度が上回れば、肉体の破壊は不可能よ」

「いや、じゃあ〝魔薬共鳴武器〟に備わってる薬力の個人認識は?」

「〝魔薬共鳴武器〟に組み込まれている〝改良版星薬〟と、使い手に注射された〝改良版星薬〟は同じ物なの。だから触れる事で共鳴して、〝魔毒〟内部の〝星薬〟に与える影響が強くなる。国が求めているのは、この共鳴が一定量を超える〝星薬〟にも適応出来た人間の肉体情報。これさえ判明すれば肉体を改造して、多くの人間が死なない体を手に入れられるでしょうねぇ」

「それが、正しい適応?」

「そういうこと。ちなみに、〝対魔毒兵士〟選別の時〝魔薬(メディック)〟との肉体適正を調べるでしょ?アレ本当は過去の調査で、〝星薬〟との適応にある程度耐えた実験体と似通った肉体情報の個人を調査・特定する為の検査。〝魔薬〟なんて物は存在しない。強いて言えば、焼石に水だけどちょっとだけ〝星薬〟との適応率を上げる〝改良版星薬〟の事かしら」

「〝対魔毒兵士〟全員に……あの黒い霧が入れられていると!?」

「多少手を加えられているから、〝魔毒〟になる事はないよ。もし異常が有れば〝改良版星薬〟を注射された瞬間に起きる、確率は三%弱ってところね」

「〝魔毒〟になった人がいるの!?」

「体の一部が変質したり、拒絶反応で死んだりするそうよ。連中にとっては、〝対魔毒兵士〟よりずっと貴重な実験体らしいけど……」


 倒れるかと思った、倒れたかった。目が覚めた時夢だと思えれば、幾分心労が軽減したかもしれないのに。

 別に国が綺麗な部分しか持ってないとは思ってなかったが、しかしこれは酷過ぎる。国の上層部を全く信じられなくなり、それを平然と話す母にも眩暈を覚えた。

 新しい制服は断言しただけあって、肌触りも採寸も完璧だ。細かい装備も上着の下に有り、推測で着用していく。


「……何でその話を?」

「アンタらが戦わされてる〝魔毒〟って、半分くらいが本当に〝別界〟出身者で、残りが〝星薬〟適応実験の失敗作なのよね」

「これ以上精神攻撃するの止めて!?」

「そんで、アンタが拾った子供。実験唯一の成功個体」

「前置きを入れろよそんな重要情報!!?」


 溜めも無く告げられた真実に、アテルの脳からは煙が出そうだった。熱をなんとか呼吸で排出し、意地でも思考回路を働かせる。やっと母が入室直後に言った言葉の意味を、理解出来た気がした。

 指貫手袋を着用する、殴打を補助する関節防具を確かめて洗面所を出た。


「似合ってるじゃない」

「……そりゃどうも」


 部分に〝対魔毒兵士〟の制服デザインが使われているが、この銀色は制服とは言えない。清潔を強調する制服とは違い、鎧に似た強固さを醸し出している。装備もそれぞれに特徴が有り、量産品には出せないこだわりがあった。

 ベルトには拳銃型〝魔薬共鳴武器〟と、特殊弾がそれぞれ専用ホルダーに収まっている。

 銃型や弓など間接的に攻撃する〝魔薬共鳴武器〟の弾は、使用者の薬力効果を封じ込める特殊仕様だ。着弾地点から〝魔薬〟が破裂し、一瞬で薬力を行き渡らせる。なので効果は非常に高いが、一発毎に弾を装填しなければならない。使用者が弾に込められた溶液へ、薬力を順次補填しなければ〝魔薬〟として働かないのだ。

 母の説明が正しいなら薬力を補填する動作も、本当は弾に込められた使用者の〝改良版星薬〟と共鳴しているのだろう。本当に何も考えず、ただ教えられてきた事を信じていた己に吐き気がした。

 自己嫌悪に唸りながら、ソファーで眠っている白い幼女を見下ろす。白いワンピースに白い髪、肌も日に当たった事が無いような白さ。色素が普通とずれているだけで、とても不老不死には見えなかった。


「アテル」


 掛け声と一緒に飛んできたのは、鍵と武器だ。危ない物を適当に投げないでほしい。

 鍵は一目で何のかが分かる名札は付いていないし、武器は〝魔薬共鳴武器〟だろうが一部機能が変わっている。引き金のような機能が柄に有り、従来の片刃型より刀身が長い。


「〝魔薬共鳴武器〟の試作品でね、九十九%〝改良版星薬〟を使用した刃部分の表面を切り離す事で、〝魔毒〟と接触して起こる摩耗を抑えられるの。蛇の脱皮みたいに」

「例えで一気に気持ち悪くなった」

「鍵は対〝星薬〟処理済の二輪車(バイク)と荷物のある倉庫の鍵、追手が掛かる前に行った方が良いわよ」

「……実験の成功個体と接触した者の口封じ?」

「半分正解。忘れたの?アンタ複数人の〝改良版星薬〟と共鳴したのよ、奴らには喉から手が出るほど欲しい実験体ね。間違いなく、この国に居る限り追われ続けるわよ」

「子供に言うことかそれ……」

「上手く逃げ切れても、適当な冤罪で指名手配になるでしょうね。国家反逆罪とか」

「……適度にサボって、平穏安泰な人生を送る予定が……」


 痛む頭を抱え、ベルトに下げた刀に指を掛ける。


「ふっ!」


 その場で軌跡を描く刀身は、母に当たる距離ではない。しかし瞬きの更に半分の間を空けて、母の頭上から機械音が鳴り、その侵入者は崩れ落ちる。

 引き金によって刀身から排出された表面の〝改良版星薬〟が、アテルの斬撃を伸ばしたのだ。


「驚いた……、まさか捨てる〝改良版星薬〟を刀の動作に合わせる事で、飛ぶ斬撃に変えるなんて……。次の試作品ではそれも考慮してみるわ」

「そんなことより!ソレ、ステルス監視機械じゃん。完全にやる気みたいだけど、そっちは大丈夫なわけ?」

「上には相応の借りを作ってるし、私ほどの研究者を殺そうと考える様な馬鹿は流石にいないわよ」

「……なら、幼女連れてとっとと退散するか」


 中身が未知の生命体とはいえ、見た目は完全幼女。しかも可愛い。小脇に抱えるアテルに、普通なら咎める視線が刺さるだろう。しかし現在ガチで暗殺者に命を狙われているのだ、両手を塞がないように抱える方法がこれしか思いつかなかった。


「気を付けてね」

「……」


 呆れも一線を越えると感心に変わるらしい。一応生涯の別れとなるかもしれない我が子に掛ける言葉として、その一言しか出ないのか。研究費と試験品を一部流用して支援してくれる事に感謝するべきなのだろうが、会えない期間が長くても僅かに在った親子の情への期待が、素直に言葉を作ってくれなかった。

 母は親としてではなく、研究対象として我が子を見る研究者なのだろうか。

 家族の愛なんて、最初から無かったのか。

 最後にそれだけは確かめたかった。


「……母さん」

「なに?」

「多分今生の別れだと思うだけど……」

「何言ってんの、この国矯正したら迎えに行くから。それまでの辛抱よ」


 偶にこの人意味考えずに喋ってるんじゃないかと思う。


「迎えにって、え……〝別界(グローブ)〟まで?」

「どうせヨシテルさんも迎えに行かなきゃいけないし、ちょっと未知の世界観光するくらいの気持ちで良いんじゃないかしら」

「ヨシテルさんも迎えに行かなきゃいけないし???!??ちょっと何言ってるか分からんのだが??!!!?」


 会えなかった期間が長いとか関係なく、母からもたらされた情報の海に溺れそうである。

 ヨシテルさんとは母の旦那、つまりアテルの父だ。


「父さん死んでねえの!!?生きてるの!?しかも〝別界〟にいるの!!?」

「そうよ。だから死なないで待ってて、アンタなら大丈夫だろうけど」


 過剰に自分を卑下するつもりはないが、根拠の無い信頼も困る。異議を唱えようと開いた口が、歩み寄る母を前に行儀よく静まった。

 銀の制服と腰の〝魔薬共鳴武器〟、そしてアテルの顔を眺め頬に手を伸ばす。


「なんたって、今の私の最高傑作だもの。最新の防具、最硬の武器、それに最優の我が子」


 間近で覗く母の眼差しに、理解させられた。この人にとっては同じなのだ。

 最高の研究成果を渡す事も、愛してると子供を抱きしめる事も。

 研究者と母を両立し共存させた生命体として、歪なまま親になったのだ。気付いてしまったアテルは、この親にしてこの子在りである。

 一度受け入れてしまえば、受け入れてしまえた時点で、歪んだ愛情表現(ただしいいくじほうき)はアテルに届いたのだ。


 肺から重い水が消えて、足に羽が生えた気分だった。アテルは母の手から離れ、窓を開ける。


「ならご期待通り、精々生き延びてやりますか!」


 既に居場所を知られている、堂々と扉を使って出て行けば良い的だ。研究所の外壁は、無駄に金を掛けているので()()には不自由しない。幼女を抱え直す。



「じゃ……いってきます」

「いってらっしゃい」






 アテルの知ってしまった国の真実が真っ黒な分、大っぴらな指名手配はされていないようだ。ただの通りすがりに見られた程度では、通報もされないし声も掛からなかった。

 注意すべきは監視カメラやセンサーの類だろう、事情を知っているお偉いさんが直接探しているとは考えにくい。

 母の研究道具保管庫までは、騒ぎを起こさずに行きたかった。


 保管庫のある建物に窓から侵入、この辺りは人が少ない。保管庫と言っても研究者の失敗作や凍結中の実験道具を放り込む部屋、貴重な資料・重要機器の無い場所なので監視カメラも申し訳程度なのだ。

 少々速足でも、誰にも咎められない。


「ぐへっ!?」

「あ」


 曲がり角でバッタリなんて、凄くベタな出会いをした。しかも相手は荷物をぶちまけていて、綺麗にひっくり返っている。痛そうだ。


「すみません、大丈夫ですか?」

「いっつぅ……あ!いえ、こちらこそすみません!全然前を見てな、く……て……」

「ん?」

「……ああああああああああああ!!!???!!!!!!」


 差し出した手を無視され、指さされて大声を上げられた。同年代の男子だが、アテルには化け物を見る様な目で見られる覚えが無い。実に失礼だがぶつかったのはこちら、落ちている紙を拾っていく。


「おい!!無視するな!!っていうかその子供……!?」

「拾わないんですか?」

「拾うに決まってるだろ!!……お前……まさか俺のこと忘れたわけじゃないよな!?」

「覚えてるって…………田中君?」

「誰だよ!!?同じ分隊員で、しかも訓練校では同じクラスだったろうが!?」


 クラスメイトはもう覚えていないが、同じ分隊と言われれば顔を上げる。ティノより明るい茶髪で、初見ではお近づきになりたくない男子だ。モテそうではあるが、兵士と言われれば少々疑ってしまう。チャラいとまでは言わないが、真面目には見えなかった。

 他人に興味を持つことがあまりないアテルの記憶力はかなり低い、訓練校が運動能力ではなく学力に合格基準を設けていたら、多分卒業できなかったと思う。

 思い出せそうな感じではないので諦める、逃亡中の身でこれ以上可能性の無い事に時間を掛けてはいられなかった。


「そっか忘れてごめん、でもちょっと急いでるから。じゃ」

「はあ!?ちょっ……おい!!?」


 落ちていた資料を無理矢理渡し、男子に背を向ける。国から逃げている現状を鑑みれば、二度と会わないだろう。だが顔を覚えていない者の心境を気にしていられる程、アテルの状況は軽くない。

 例え背後で怒りと絶望を混ぜ合わせた表情がアテルを見ていても、足は止まらなかった。


「っ!……いいか!!俺はお前を超える!!!」


 静かな廊下に満ちる声は、アテルの鼓膜まで障害無く響いた。アテルには察っせない感情と、理解できない葛藤が詰まった叫び。

 まるで己に言い聞かせるように、男子は喉を震わせる。


「お前がどれだけ強くても……俺は更にその上を行く!!絶対にだ!!お前に負けを認めさせて、俺の名前を絶対忘れられなくさせてやるからな!!!?」


 熱を増す振動から逃げるように、アテルは突き当りを曲がった。


「俺の名は――――――」


 音の向きが関係しているのか、廊下を曲がっただけで声はほぼ届かない。それでも耳が拾う空気の振動を、脳が驚く程すんなりと記憶領域に刷り込ませた。

 舌と唇だけで、聞こえた名を呟いた。



 空気に埃が混ざっているような、人の手の薄さを感じる場所。優秀さの表れか、一研究者としてはかなり広い保管庫。扉が既にデカイ、巨人でも通る予定があるのだろうか。

 鍵を通し扉を開けば呆れる程の、物物物物物である。

 殆ど研究し尽くした物を形式上保管する場所なので、本当に置いてあるだけだ。保管と言えるのだろうか。人が持てる大きさを遥かに上回る武器や、用途が分からない実験機器、家庭用お掃除ロボ〝ルンボ〟そのものがゴミと化していた。家事能力は全て研究に回されたのだろう、掃除という単語を正しく理解しているかも怪しい。

 このゴミ山からバイクを探すのは至難である、しかし荒野と山しか確認されていない〝別界〟で『足』となる物は必ず要る。

 扉近くに在った謎の椅子に幼女を寝かせ、袖を捲った。


「―――先生?」

「え?」


 ゴミ山の向こうから人の声、咄嗟に間抜けな返事をしてしまった。拳銃を発声源方向に合わせる。

 覗いた顔が、アテルの知る男の表情とはかけ離れていて反応が遅れた。銃口に気付いても、男の警戒心は溶けたままである。


「そうか、お前が先生のお子さんか」

「……何故、貴方が此処に。ゼッフェル・ギッター小隊長」


 初対面時に傷跡と相乗して部下へ威圧を与えていたゼッフェル隊長は、人が変わったような柔らかい顔でアテルを受け入れた。孫が久し振りに実家に来た、くらいの雰囲気である。

 手招きされ頭の整理がつかない内に導かれれば、そこには予想の三倍大きい二輪車が光沢を発していた。


「これが先生と俺の自信作だ、正直子供を乗せるにはかなりヤバイ代物だがな」


 上半身を預けられる長いシートに、風を遮る計算された曲線のフロントガラス。図体はかなりの重量級で、一度倒れれば起こすのに苦労しそうだ。馬力に物言わせる極太タイヤに黒いホイール、泥除けだけでなく風の抵抗も殺すフロント・リアフェンダーはまるで鎧。シートの後ろにはベルトで固定された荷物、旅の準備がされていた。

 ゼッフェルは混乱するアテルに、説明ではなく自慢ばかりだ。


「見ろよこのエンジン、とても二輪車に着けるモンじゃねえ。このじゃじゃ馬を飼いならす為に、どんだけのディスクローターがお釈迦になったか。頭の固い連中が星の意思に反するって許さなかった、〝星薬〟のエネルギー変換技術の結晶さ。ダクトに〝星薬〟が吸引される限り、先生の開発したキャブレターが半永久的にエンジンを爆発させる。その効率ときたら―――」

「なんで、助けてくれるんですか?」


 拳銃はホルスターに戻ったが、手は添えたままだ。無防備にバイクの出来を語りながら、微かに漂う固い空気。敵か味方かはこれから聞くが、ゼッフェルがアテルの事情を把握しているのは分かった。

 そして事情を把握しながらも、手助けの動きを見せている理由は何か。普段部下にあれほど強張った顔で話しかけているのに、油断させるのが狙いであっても無邪気な表情を浮かべる理由が分からなかった。

 視線の衝突が数回、ゼッフェルは適当な機材に腰を下ろし左足の裾を上げる。

 一昔前なら珍しくもなんともない、ありふれた戦いの爪痕だった。


「ちょいとヘマしてなぁ……膝上なのも悪かった」

「……」

「もう戦えない〝対魔毒兵士〟が一定の共鳴値を上回ってると、名誉除隊扱いで晴れてイカれた実験の実験動物(モルモット)さ。お前さんのお袋……先生が助けてくれなきゃ、とっくのとうにくたばってただろうな」


 完全には信じられなかった。ゼッフェルがではない、なんの打算も無く母が誰かを助けた事だ。ゼッフェル本人は理由がどうあれ命の恩人だと思っている様子なので、突っ込まないでおく。

 子供ではあるが、母の研究を詳しく尋ねた事は無い。そもそも会話の機会が恐ろしく少なかった、さっき部屋でした会話が人生最長だろう。義足が研究に関係していたかは不明だ、だがそれぐらいしか母がゼッフェルを助ける理由が思い付かなかった。

 母に夢を見てるのか、全て承知で協力しているのか。どちらにしろ理由を掘り下げて助けてくれた事に水を差さないよう、感謝だけで済ませておく。


「……バイクと荷物、有難う御座います。これ操作方法は……後ろのこれは、屋根?」

「おお!これは確かに屋根にもなるが、追い風の抵抗を加速に利用するよう強度と角度を―――」


 自信作と合打つだけあって、覚えきれない程の仕組みが隠されている。説明書貰った。

 走行速度を考えれば過剰とも言えないベルトで、眠ったままの幼女をアテルに固定する。支えが無くなるとかなり重い、母とゼッフェルが技術の粋を結集させた重みだ。


 一直線だ、もう止まれない。

 これが動き出した時、国を出るまで一度も止まる事は無いだろうと、確信した。


「ゼッフェル隊長」

「どうした?」


 拳を作り、肘を曲げる。肩の高さで胴体に垂直、敬礼だ。

 正式な兵士になってから作った回数があまりにも少ない、最低五年は続ける予定だった軍属勤務が半年も経たず終わったのだ。務めたと言えない期間だが、それでも心からアテルは思えた。


「貴方が隊長で良かったです、有難う御座いました」


 機材搬入用のシャッターが開く、国家反逆罪を被せられる予定のアテルを助けたゼッフェル。自分が逃げた後の彼を気に掛けるのは、むしろ失礼だと知っていた。

 サイレンが鳴る、エンジンが咆える。

 ゼッフェルは敬礼を返し、声高に叫ぶ。


「……貴殿の行く道に穢れは無く、後には白き幸運が有らん事を!」


 大仰な挨拶である、士官らが式典などで使う軍人文句だ。ようするに頑張って〝魔毒〟倒して、〝別界〟を綺麗にしようと言っている。真実を知った後では、皮肉にしか聞こえなかった。

 そして心底無事を祈られているのだと、分かる言葉でもあった。


 ―――ォォオオオオオオォブオオオオオオオオオオオオ!!!!!!


 さあ、国の果てまで逃げようか。






「どけどけどけどけどけええええええええええええ!!!!!!」

「「「ぎゃあああああああああ!!!!!?!??」」」


 馬力の凄いバイクを手に入れても、〝別界〟へ行ける門は限られている。どうしても人との鉢合わせは避けられず、室内でバイクを乗り回すアテルは衆目の的になった。

 アクセルがじゃじゃ馬過ぎて安全速度が出せない。


「あぶな!!?」

「きゃああああああ!!!」

「やべ、轢きかけた」


 逃亡中に人身事故を起こしたら、普通に犯罪者だ。それだけは本当に気を付けながら、背後から迫る追手にも注意を払う。

 国の極秘研究を知ってしまってその実験体候補第一号に勝手にされたのだ、人目のある所であからさまにアテルを捕まえようとはしない。だが屋内でバイク乗り回すなんて、これだけ大っぴらに目立てば追手の十や二十出てくるはずだ。


「止まれえ!!許可なくこの先に立ち入る事はべへぇっ!!?」

「あ」


 気を付けてはいたが、自分から轢かれに来る者にまで気を遣う余裕は無い。壁のように並ぶ邪魔者の中央を堂々と力づくで通り、途中で何かを轢いた気もするが置いておく。


 〝別界〟に通じている通路は、普段シャッターや扉で閉められている。〝対魔毒兵士〟が通る道であり、〝魔毒〟が通るかもしれない通路だ。何も対策していない訳が無い。

 通常なら今通り過ぎた扉も、定期消毒で〝対魔毒兵士〟が通らない日は完全封鎖されている。

 しかし通路にアテル達を遮る物は存在せず、お通り下さいと導かれているようだ。導かれているのだろう。人付き合いの少ないアテルには、心当たりが一つしかない。研究室から平然と、制御管理室をハッキングしているだろう母の顔が目に浮かぶ。


 不思議な気分だ。これからは国を追われる立場で、気の休まる暇なんて無いのに。

 アテルはお膳立てされた逃走劇に、誇らしささえ芽生えていた。


 放棄された育児に反抗する安楽の夢、そこには環境によって生じた感情は在っても、心の声は無い。

 自分が楽ならそれだけで良かった、他の事なんてどうでもいいと思っていた。実に堕落、生きていても死んでいても変わらない存在。

 白黒だった世界にティノが現れた、灰色の人生に変化が表れたのだ。

 色を捉え始めた視界に、後ろを見る心が芽生える。気付かなかっただけなのだ、いくらでもアテルの人生に大きな変化を齎した人達はいた。両親も近所のおばさんも、訓練校の同期も先輩兵士も隊長も。



 一度気付ければ何のことは無い、アテルは心から生きる事を望んでいる。



「お、見えた」


 本部を抜け、長い裏庭の先。兵士が点呼を取るスペースを横断し、最後の門に辿り着く。流石に〝別界〟と直接繋がっている門の扉は開いていなかった。

 さて、どんな手札を用いればあの扉を開けるのか。ここまで道を均してもらっておいて、無理でしたは通らない。

 待ち伏せが居なかった。〝別界〟に逃げると思っていないのか、否、それは考えが甘過ぎる。

 この街を出る門は三つ。一、城門を出る。一般にも使われている城壁の門で、街を出る事は出来る。だが所詮国内、国からは逃げた事にならないだろう。二、街を出る国家主導の輸送隊に密航する。又聞きだが国は秘密の出入り口を持っていて、密かに使用しているそうだ。かなり角度の高い噂だが、探している時間が無いので却下。そうなると三の、〝別界〟の門しか選択肢が無い。考え直した意味無かった。

 そうなると此処に警備や待ち伏せが居ないのはやはりおかしい。いやそもそも門を開ける手段が無いから、警備も何もないのだが。


「ふぬぅ……」

「起きたか?」

「……ふぴぃー」

「寝言かよ」


 ちょっと癒された。

 背中に固定された幼女は寝ていて体温が高い、ぶつかる空気の壁に体が冷えても即持ち直す。アテルは門を壊す手段を考える為、僅かに速度を下げた。



「そこまでよ!!!反逆者!!!」



「あれは……」

「国に仇なす罪人め……私が成敗してくれるぅ!!!」


 門の前に立つ赤い人。白銀の壁に映える存在は、生気に満ちた声を高々と響かせた。

 身長に匹敵する刀身を輝かせ、交互に空を切る金剛の双剣。そして血肉と太陽の間を抜いたような赤い制服を纏う、〝対魔毒兵士〟の広告塔にして希望。


 〝紅の皇女〟こと魔薬歩兵連隊副軍隊長、エリーセス・ヴィスマルコ。


 赤茶色の髪を靡かせて仁王立つ姿は、確かに皇女と呼ばれても不思議はない。あの赤き美女が国の為に命を賭して戦うのだ、国民の信頼と憧憬は必至。彼女が笑うだけで、人々は安心するだろう。

 だがアテルには恐怖の象徴、自身を地獄に導く死神だ。

 あの双剣を越えなければ、アテルと幼女に未来は無い。


「いや勝てる訳ないだろ」


 仮にも国を背負っていた元〝対魔毒兵士〟と、文字通り国を背負っている二つ名持ち。比べるまでも無い。此処で現れる最強にして最大の壁、これ以上の障害は無いだろう。


 だが、それは常識だ。


 この数時間で散々常識を壊され、土台から己の世界を組み替えさせられたアテルからすれば、未だ常識的な恐怖心を持ち合わせている事に自分で驚いた。再認識しろ。


 揺るがないものは己の意思と、背中の温度。

 ならば他の事象は全て、変化足りうる。

 在るものは善悪問わず変化する、不変は無い。


「ん、風?」


 正面から不自然な風、自然の物ではないだろう。前方には高い壁と閉ざされた門、仁王立つ最強。そして門の脇に備え付けられている、巨大扇風機。あれが起動していた。

 通常門の開閉に反応して、〝別界〟の黒い霧を国に入れないよう作動する。つまり閉まっている門に強い風を当て続ける巨大扇風機は、明らかに異常を来たしていた。跳ね返って散っていく風が、まだ遠い場所に居るアテルまで届く。

 門に跳ね返る前の風に直接当たってしまえば、人一人など容易く吹き飛ばされるだろう。


 吹き飛ばされる?


「……うわぁ」


 恐ろしい作戦を思いついてしまった、とても正気ではないし妄想の域を出ない作戦。しかし一度思いつくと、中々頭から離れない。

 問題点を上げる、解決策を模索する。成功率はも二の次三の次だ。何故なら、背中をずっと押されているから。

 早く行けと、熱い掌を感じるから。


 片刃の〝魔薬共鳴武器〟を抜きハンドルを固定する、速度を調節したのでアテルの最大速度を僅かに下回った。

 走っているバイクから降り、一瞬で加速したアテルはバイクの前に出る。〝紅の皇女〟は、真っ直ぐ向かってくるアテルに、双剣で持って応えた。


「その意気や良し!いざ!!」

「……!」


 アテルは双剣の間合いの外、一歩に満たない程外の位置から唐突に片刃剣を投げた。


「なっ!!?」


 咄嗟に弾いた〝紅の皇女〟の反応速度や見事、高々と舞った片刃剣は暫く空中遊泳を楽しむしかないだろう。自身の踏み込むの幅と速度、直感に近い計算で導かれた投擲のタイミング。ここしかないという瞬間の一歩を完全に成し、〝紅の皇女〟の返す刃を一本にした。

 この技を使用するなら相手の攻撃が二方向から迫るのを防がなければならなかった、アテルに技を教えてくれた親友なら同時に来ても捌けただろうか。

 最早知る機会は永遠に無い。


「……へ?」


 無意識に口から洩れた間抜けな音が、逆さまの態勢から落ちてくる。

 弾いた剣とは反対の迫る剣を片手で往なし、その勢いを乗せた逆の手が〝紅の皇女〟の鳩尾を捉えた。速度とデザイン重視の薄い防具は軽く、面白い程回転しながら浮いた紅が宙を飛ぶ。


「アアアアアアアアアアアアへぶっ!!!?」


 想像すらしなかったのだろう、投げ飛ばされる自分など。受け身も忘れて地面に落ちた。〝魔毒〟との戦いでは在り得ない、柔の技。

 昔質の悪い男から狙われて、護身術に習っていたという。そんな可愛い親友から少しだけ教わっていた技を、まさか〝紅の皇女〟に使う日が来ようとは。人生とは分からない。

 横を通ろうとするバイクのハンドルに何とか捕まり、アテルはエンジンを強く吹かした。

 衝撃を受け入れ態勢の立て直しに入っている紅、最高のタイミングだ。


「ちょっ!?まっ!!」


 重量級バイクが〝紅の皇女〟に正面から挑んだ、普通は死ぬので良い子は真似しないで下さい。

 口では慌てながらも、双剣を盾にする防御が間に合うあたり流石だ。まさかここまでアテルが望む通りに防いでくれるとは、思っていなかった。


「ここおおおぉ!!!」


 双剣に乗り上げ多少車体が斜めった瞬間、アテルはバイクの後部に備わっている風受けの羽を展開した。背後から強く吹く巨大扇風機に台代わりとなっている双剣、前輪が乗り上げ斜め上に向いたバイクの先。

 それらが揃った瞬間に展開された風受けの羽は、たわみながらもその威力を十分に受け止めてくれた。


 ゴ―――ォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!


 風力を正しく理解していなかったにも関わらず、アテルは運と風を味方につける事に成功した。

 バイクごと、アテルは空を飛んだのだ。


「そんなバカばはっっ!!!?」


 地上で呻き声、恐らくバイクに遮られていた風が紅を吹き飛ばしたのだろう。アテルの羽となり追撃まで行ってくれるとは、扇風機には足を向けて眠れない。

 風で殴られるように飛ばされたアテルは、強い重力加速に耐えながらバイクにしがみ付く。

 迫るのは黒い霧の世界、ではなく壁だ。流石に多少無茶して風に飛ばされた程度で、あの壁を越えられはしない。だからアテルはハンドルを握る手を離さなかったし、腹に力を入れて騎乗態勢を崩さなかったのだ。

 前輪が壁に接触する。


「う、らああああああああああああ!!!!!!」

「はああああああ!!!???」


 まだ僅かに届く巨大扇風機の風と、飛ばされた勢いを殺さないように、アテルはバイクで壁を走る。異次元出力のエンジンとドライブテクニック、そして幸運を無理矢理引き寄せる程の意思がそれを可能にした。

 壁を走る途中に落下する剣が見えた、弾かれた〝魔薬共鳴武器〟である。

 アテルは他人の〝改良版星薬〟と共鳴できる、母はそう言った。訓練校では共鳴率が平均で、〝対魔毒兵士〟になってから何かが変わった記憶もない。なら何が原因であんな芸当が出来たのか。

 訓練校には無く、あの死地に在ったもの。覚悟だ。


「『来い』!!!」


 宙で回転する〝魔薬共鳴武器〟の刀身が光った、そしてリードから解き放たれた犬のように飛んだ。理屈など分からない、今は何も失わなかった事実に安堵した。

 壁の上は鳥避けも何も無い、人が昇れる高さでも無ければ鳥類が止まりたい思える環境ではないだろう。


 まるで地獄と地獄の境目だった。


 片側は言わずもがな、黒い霧が永遠と大地と光を遮る無法の世界。

 片側は白銀の城が聳える、生に執着した人間の世界。

 ゆっくりと重力を享受し、下がっていく視点からアテルが見た。未知と愛悪が交差する景色。

 アテルは手を大きく振って、心残りを断ち切った。



「じゃあ、いってくる!!!」





















「あ、着地考えてなかった」


 夜に等しい黒い霧が覆う世界、着地したくとも地面すら目視出来ない。これは死ぬ。


「うおおおおおおおおお!!!?!!??!」


 バキャアァァ―――!!!!!!


「おおおおお、お……お?」


 死の衝撃には程遠い、何かを踏みつけた感触。タイヤが接触したのは地面ではなく、襲い掛かろうと近寄っていた〝魔毒〟だったらしい。

 〝魔毒〟を粉砕し死の開放を与えた対価として、アテルと幼女は無事未知の大地に降り立った。


「……死ぬかと思った」


 〝視鏡(ゴーグル)〟で確保した視界に映るのは、無窮の黒き大地。

 そして無数の〝魔毒〟だった。


「いいぞ、助けてくれたお礼に斬ってやる」


 三百六十度の黒い霧に〝魔毒〟、味方は居らず保護対象が一人だけ。絶望的な状況だと、普通なら思うだろう。だがアテルの足は大きなエンジン音を上げ、片刃剣が一際輝きを増す。

 声も失くした〝魔毒〟、人の成れの果て。

 こんな存在に成りたいと考える連中が、アテルにはとても信じられない。ただ黒い地を彷徨うだけの存在に、アテルは持てるだけの慈しみを剣に乗せた。


「せめて……一秒でも早く死ね」


 数多の黒い手が、まるで光に縋る亡者に見えた。


























「……あー、お?」

「やっと起きた?あんなに動いてたのに爆睡とは、肝が据わっているというかなんというか」

「えあー!う、うー」

「ああ、これ?大した事ないよ、ほっときゃ治る。それよりお腹空いてない?」

「おあー?」

「もしかして食事の意味も分かってない……?もう少し走ったら止まって食事にするか!」

「うえ、うーう?」

「ごめん、でも今は……止まりたくないの。暫くランデブーに付き合って」

「おお!」

「ありがと、ついでに私の独り言にも付き合ってくれない?……ああ、クソ。〝視鏡〟してても前が見ずらいなぁ、なんでだろ……」

「えっおおー」

「えーと、そうだな……先ずは私の異性の親友の話から!私より背低くて女顔でしかも可愛いもんだから、男にモテて大変だったよ。しつこい相手には男装して彼氏役までしてさぁ―――」




 黒い霧を掻き分けて、ひたすら進むのは一人の剣士と小さい少女。

 彼女らには肩書も無く、帰る家も無い。

 それでもこの黒き未知の世界を歩き続けた先には、白き幸運が待っていると信じていた。

 何も持たない二人にとって、この旅路には得るものしかないのだから。




閲覧有難う御座いました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしい作品ですね! ☆5個つけさせて頂きました。 これからも頑張って下さい! 応援してます。
2021/11/13 07:16 退会済み
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