第1話
「さわー今日一緒にかえろ」
冬も近い秋の終わり、夕暮れの時間は思ったより早く訪れた。さわの教室のドアをタカミが開け、大きい声でさわを呼ぶ。
教室の机にノートをひろげ、さわはシャープペンシルを手に唸っていた。
「ごめん、もう少し歌詞考えたいから先に帰って良いよ」
「わかった、ばいばーい」
タカミが教室のドアをバンッと音を立てて帰っていく。
タカミが誘う時間にすんなり帰ったことはそういえばない気がする。
歌詞を考えながら、頭の片隅でそんな風に思った。でもそれは仕方ないのだ。だって、教室は神様が降ってくる場所だから。
放課後の一人の空間は、本当に心地良い。
外でサッカー部と陸上部の声が聞こえる。風も音のない音を立てて、教室の中にはなんともいえない不思議な雰囲気が漂う。
「やばっ、ひらめいた!」
放課後に教室で歌詞を考えると、不思議と良い詞が浮かぶ。
――ほら橙が満ちてきた 濃い紺色が追いかける
黄色い丸い月の下 低い空に星が瞬く
「うーん、詩的すぎるか」
だからさわは、普段こうして放課後に歌詞を書く。いつか自分が歌う歌で、世界をまたに駆けて活躍する。そんな夢を抱いている。
ピアノは幼稚園から、ギターも小学校高学年には習い始め、中学に入ってからは作曲も自分で手がけている。
夢は遠くない。そう信じる、純粋な高校2年生である。
こうして夢を追う若者は日本中にいるが、彼女が他の人と違うとすれば、それを本物にするまであと一歩だということ。彼女は正真正銘の天才で、すでに知る人ぞ知る歌姫なのだ。
「どーしよう。今週中には一曲仕上げてって奈良橋さん言ってた。曲はできたんだよ、曲は。後は歌詞だけ。むむむ」
ぶつぶつとつぶやくさわは、歌詞の書かれたノートの上で唸り続けていた。
奈良橋は、中学時代に路上で歌っていたさわをスカウトした作曲家だ。
「君の曲を、君の声で世界に発信したい」
そう言ってさわを口説き、自分の事務所に入るよう薦めた。
さわはそれ以来、奈良橋音楽事務所の一員だ。
しかし歌手としてではない。売れるまで顔出しはしないと決め、自分が作り歌った曲はインターネットを通じて世界に発信している。
音楽事務所にはボイストレーニングと、マネジメントの仕方を学ぶために入った。最初は奈良橋さんについて回って、編曲の仕方、売るための手法、流行と自分の個性の織り交ぜ方など色々学んだ。
さわは奈良橋と出会って、歌を売るには歌うだけではダメなのだと気づいた。
売れる歌を歌うことを嫌う人もいるが、自己満足の世界にいては人を動かす歌は歌えないとさわは気づいたのである。
そして今年の春、高校2年になったさわは、ひとつの集大成ともいえる曲を完成させた。147秒の短い曲。この長さで人の感動を作る、そう決めて、ネットで配信した。
曲名は「こもれび」降ってくる光の柔らかさと幸せに満ちた曲だ。
この曲は最初は漣のように、気づけば知らない人はいないくらいに、広がった。
「彼女は誰」
「あの歌は何」
「こもれび」を聞いたある人はこう言った。。
「神様は彼女のために木漏れ日を創造した。彼女がこの『こもれび』にたどり着くように」
そしてさわはそれ以来、「木漏れ日の歌姫」と呼ばれている。
しかしそんな歌姫も普段はただの高校生である。
「うーあー降ってこない。今日は神様が来てくれないよー」
唸りながらも「こもれび」を作ったときと同じように歌詞作りに没頭していた彼女は、一瞬夢の中にいるような感覚にとまどった。
――チカッ
窓の外に小さな光を感じた。
一瞬の瞬きの後、光は教室中に広がって彼女を飲み込んだ。
すぐに光はサーっと引き、のこった放課後の教室には、シャープペンシルがカタンと落ちる音だけが響いた。