第16話
「うそ……」
ベガの手元を見て、さわがつぶやく。
「言っておくが、ズルはしてないからな」
そういったベガは、机の上のカードをまとめ始める。
それを見ながらさわは、悔しそうな顔をする。
「で、なに? 私に聞きたいことって」
「人をカケにのせてまで聞きたかったことなんでしょ? ほら、いいなよ」
半ばふてくされながら言うさわに、ベガは少しためらってみせた。
しかし言葉を待つさわに仕方がないとつぶやいてこう言った。
「いや……、さっき、何を泣いてたのかと思ってな」
ベガがなんでもないように言った言葉が、さわは最初理解できなかった。少しして、さっき自分があまりの歌えなさに泣いていたのを見られたのだと気づく。
「みて、たの……?」
「涙を拭いたのが見えた」
そこでふと、さわは気づく。
歌は、聞かれたのだろうか。
あの、醜く汚い歌は。
固まってしまったさわをみて、ベガは言葉を続けた。
「いきなり新しい世界に放り込まれて、まぁ俺もいろいろいたずらしてお前を困らせてるけど、さびしいとか思ったりするだろう?」
さわの涙を寂しさからだと思っているらしいベガは、神妙な顔をする。
「お前は何もしてないのに、女神のわがままでこうしてつれてこられて、俺らの世界を救えっていわれて、これでも一応悪いと思ってるんだ」
あぁ、彼は不器用なのだとさわは思った。
涙を見せた自分を、それを必至で隠そうとした自分を、彼は心配してくれたのだろう。
強がりなさわが、自分からは言わないだろうと思って、カケに乗じて言葉をかけてくれたのだろう。
だからこそ、気になった。
歌、歌は?
あなたは私の歌を聞いたの?
まるでさわの心の声が聞こえたかのようにベガは言う。
「歌ってるの、聞こえた。あれ、お前の世界の歌なんだろう?」
あぁ、やはり聞かれていた。
聞かれたくなかった。
聞かれたくなかったのに。
「聞いてた、の?」
あの、醜く汚い歌を。
「ドアの向こうでちょっとだけ」
さわは心が崩れてしまうかと思った。
歌は自分の全てだった。
歌えない自分は価値がない。
この世界の人は、歌える自分を知らないから、歌えない自分も知らないから、
さわは壊れずにすんでいたのに。
歌えないことを知られたら、嫌われてしまうと思った。
気づけばさわは泣いていた。
ベガにはさわがなぜ泣いたのかが分からない。
「聞かれたくなかったのか?」
泣いた理由を言いたくないのかとベガは思った。
その言葉を、さわは歌のことだと解釈した。
「聞かれたくなかった……あんな汚い声。びっくりするくらいヘタだったでしょう?」
ベガはやっと、さわが『歌』のことを言ってるのだと気づいた。
「歌っていた歌か? いや、綺麗だったぞ。綺麗なアルトだった。お前は歌が上手いんだな」
さわははっとして顔をあげた。気づけば目の前にベガの顔がある。ソファに座って顔を覆ってなくさわのイスの前に、ベガはひざをついていた。顔を上げたさわに、すっと手を伸ばして、子供にするみたいに頭を撫でた。
「お前は自分の歌が下手だと思って泣いてたのか?」
さわはゆっくりとうなづいた。
「あんなに上手なのにか?」
なぜ、と言いたげな声音に、さわがぽつぽつと話し始める。
自分が、高音域を得意とする歌手だったこと。
こちらの世界に飛ばされたとき、自分の声を失ったこと。
低い声で話すことに慣れたと思って、今日こちらの世界に来て初めて歌ってみたこと。
「歌ってみたら、思ったよりずっと高い声が出なくて。のども自分のじゃないみたいで、うまく操れない。音がぶれるの、ちゃんと伸びてくれないの……」
泣きながら、途切れながら話す言葉を、ベガが優しく相槌を打って聞いてくれた。
「だから、嘘つかなくていいよ。上手なわけがない」
再びうつむくさわのあごに手を掛けて、ベガはくっとさわの顔を上げる。
ベガの目は、普段左目だけが薄い赤色をしている。それが今は真っ赤だった。ベガの顔はいつになく真剣で、さわは息を呑む。
「俺は、嘘はつかない。お前の声は綺麗だった。お前は自分の前の声にプライドを持っていたんだろう。その声が出なくてもどかしいんだろう。でも、だからって今のお前の声を否定する必要はない」
目線をしっかりと合わせてベガはもう一度言った。
「お前の声は、綺麗だ。だからもう、泣くな」
ベガの言葉が思ったよりも優しくて、自分が情けなくて、さわはむき出しの感情をベガにぶつけた。
「汚いよ、かすれて低い声だもん。声も前みたいに伸びない。私の声じゃない! こんなのは私の声じゃない……!!」
さわはベガの体を押しのけて立ち上がる。そのまま走り去ろうとするさわの腕を、ベガが掴んだ。
さわの震える体から力が抜ける。ベガがさわをぎゅっと抱きしめて言った。
「ばかだな、それでも、俺が綺麗な声だって言ってんだから、綺麗なんだよ」
ぶっきらぼうな言葉だけど、優しい、優しい言葉だった。
「私の声、へん、じゃない?」
「あぁ」
「高い声が出なくても、き、らいに、ならない?」
「あぁ」
私はずっと、歌えない辛さを、誰かに分かって欲しかった。
前のように歌えない自分を、誰かに認めて欲しかった。
歌えない自分を、嫌わないで欲しかった。
「さわ」
今まで生きてきた中で、一番優しい声で名前を呼ばれた。
心をくすぐるその声に、嘘がないと分かる。
「……ありがとう」
今の声は嫌いだけど、今でも「自分の声ではない」と叫びたくなるけど、あなたが褒めてくれたから、綺麗だと言ってくれるから、頑張れる。
そう、思った。