第15話
ベガが扉を開けたのは、こみあがる涙が一筋、さわの頬を伝ったのと同時であった。
「さわ、今日は必ず勝つぞ。さっさと用意しろ。ぽーかーとやらをやるぞ!」
声がした瞬間に手のひらでごしごしと撫でる。
自分は下を向いていたし、見られたとは思わない。
「今日だって私の勝ちで終わりに決まってるじゃん。ベガも懲りないなー。
今日も顔に落書きしてやるからね!」
さわはそう言って笑った。
この世界にトランプはないし、ポーカーも存在しない。
しかしいまやベガはトランプが大のお気に入りだ。
始まりは5日ほど前、さわが、ネオやマサキにサラネストのボードゲームを教わっていたときだった。初心者のさわに合わせてくれている二人を見て、ベガは勝手に割り込んだ。そして初心者のさわを完膚なきまでに叩きのめしたのである。
「さわは弱いなぁ」
ニヤニヤと笑ってボードゲームの駒でお手玉を始めたベガに、悔しさで顔を真っ赤に染めたさわが「ポーカーだったら負けないのに!」と叫んだ。
そこからやれポーカーとはなんだ、トランプとはなんだとベガの質問攻めが始まったのだ。
トランプに興味を示したベガは、4つのマークの1から13までが書かれたカードを、すぐに人を呼んで作らせた。
さわはカードが完成すると、ポーカーの説明をしていく。
「まず一人5枚ずつ山札から配って、順番にいらないカードを捨てて、山から捨てた枚数のカードを引く。この繰り返しで、役を作るの」
そういって、ワンペアからツーペア、ストレートなどを強い順に並べていく。
「役には強さがあって、これが一番強い」
さわの手にはスペードのロイヤルストレートフラッシュが揃えられていた。
「なんだ、それでは勝負は運次第か?」
思ったよりもシンプルなゲームに、ベガは期待はずれの印象を抱くが、さわはそれをみてちっちっと指を顔の前で振ってみせる。
「ポーカーの真髄はワンチェンジ。もちろん運も必要。でもポーカーの面白いところはここから。それ以上に面白いのが心理戦よ!」
「心理戦?」
「そう、これはもともと賭けの一種なの。一回ごとにゲームを始める前に、おのおの『場代』を支払うの。で、カードをチェンジして、相手よりも強いと思えば掛け金を上乗せするし、相手よりも弱いと思ったら降りれば良い。でも降りた方は『場代』はとられちゃうんだよ。ほんとは他にも色々決まりがあるけど、これだけ知ってたらゲームは出来る」
ベガの眉がぴくっと動いた。
「あ、わかった? つまり、相手に『自分の方が弱い』って思わせれば、自分の手札がどんなに弱くても勝てるのがこのゲームってわけ。ちなみに私の世界では、自分の考えてることを相手に読み取らせないようにすることを、このゲームからとってポーカーフェイスっていうんだよ」
そう言って、トランプと一緒に作ってもらった擬似金を、50枚ずつさわとベガの前に置いた。
「なるほど、おもしろい」
「だから、一回一回の勝ち負けは問題じゃない。1ゲームは10回勝負ね。10回やって、コインを増やした方が最終的な勝者。上乗せの金額によっては9回負けても、そのゲームに勝つことだってあるからね!」
さわはポーカーの心理戦のヒントをちょっとだけ明かして、カードを切り始めた。
ベガは知らなかった。
さわの特技は演技、そしてそれはこのポーカーフェイスにも繋がることを。
「さぁ、やろっか」
カードを配り終えて笑ったさわは、普段のベガに負けず劣らずニヤニヤと笑っていたのだった。
さわは役が揃ってなくとも、ポーカーフェイスと話術でベガを惑わしゲームを降りさせた。ベガがなかなかの役を揃えて自信満々に掛け金の上乗せすれば、そのときに限ってさわの手札はベガより強い。
ベガを手のひらで転がすように10勝負を3度、全て連戦連敗させ、ついに「やられた……」と彼に膝をつかせたのであった。
というわけで、それからベガはトランプを持ってきてはさわにリベンジを挑む日々である。
「ほら、さわ、お前からチェンジしろ!」
音の間の小さなテーブルで、ベガが慣れた手つきでカードをシャッフルし、二人の手元にカードを配る。
「はいはい」
そう言ったさわの手元には、すでにAとJのツーペアがある。
さわはスペードの9を捨て、引いたカードはスペードの3。
結果はツーペアのままだが、一瞬、ほんの一瞬だけ難しい顔をして、それでもよしっという顔をする。
ちなみにこれは演技だ。
弱い役だ、でも今回は勝負しよう! という演技。
さわは昨日までの勝負を見ていて、ベガに観察眼があることを見抜いていた。
ベガはさわの顔の変化をよく見ている。本当に小さな変化も。
それゆえにさわのちょっとした表情にひきづられて今までは負けていた。
しかしポーカーは騙しの術。
伊達にいつも人に悪戯をして楽しんでいるわけではないらしく、裏の裏の裏まで読むものだと気づいたベガは、さわの誘いに乗らず、ゲームを降りた。
「えーなんで降りたの?」
さわは、絶対にのってくると思ったのにと悔しがる。
「嫌な予感がした。ツーペアだったが、お前のやつ、ツーペアの中でも強そうだった」
音の間でのゲームはなかなかに拮抗していた。
今日のベガは冴えていた。さわの表情や手の動きでをうまく読んで勝負に勝つこともあった。
1ゲーム目と2ゲーム目は、ベガが良い勝負をしたとはいえ、辛くもさわが勝利した。
「さわ」
ベガがさわに声をかけたのは、3ゲーム目の最後、10勝負目。ベガがチェンジを終えて、さわがチェンジしようとしたときだった。
「なに?」
そう言いながらさわは手元のカードを三枚チェンジした。
「このゲーム、勝ったほうが負けたほうの言うことを何でも聞くってのはどうだ?」
「えーどうせセクハラとかするんでしょー」
そう言ってベガの顔を見るが、予想に反してベガは笑っていなかった。
「なんで?」
なぜか嫌な予感がした。
ここまでの9勝負で、勝ちの数こそさわのほうが多いが、二人の手元の金は同じ。
この勝負が、ゲームの勝者を決める。
「ちょっと聞きたいことがあるだけだ。お前素直にいわなさそうだからな。勝負に勝ったら何でも答えろよ」
「なんか、やな予感がするからヤダ」
「だめだ。お前だって毎回毎回負けた俺に落書きしてるんだ。勝者が罰ゲームを決めて何が悪い」
「それはベガが最初に落書きしたから!!」
「うるさい、それとこれとは関係ない。ならお前が勝ったら俺に何でも聞けばいいだろ」
「あんたに聞きたいことなんてないもん!!」
「お前の世界に帰る方法を知ってるかもしれないぞ?」
さわは目を見開いた。
「しって、るの……?」
「いや、しらない」
しらっと答えたベガに、さわの怒りは爆発した。
「ばかー!!! そうゆうのは冗談にならないんだからね!!! 良いよ、勝ったらベガの恥ずかしい過去死ぬほど聞き出して王宮中にばら撒いてやる!!!!」
「それは、了承したってことだな」
ふっと笑ったベガに、もしや自分は乗せられたのではとさわは気づく。
やっぱなしと言いかけたさわをベガが遮る。
「もう遅いぞ、ほれ」
そう言ってベガは自分の場代に持ち金を全部のせてみせた。
さわの手元には9が4枚、とジョーカーが揃っている。
自分のカードはファイブカード。負けるわけがないと思い直して、さわは冷静さを取り戻す。
「ノーモアベット」
勝負ではいつも、さわが『親』の役目をする。ただし、親も勝負が降りられるようにして、駆け引きが出来るようにはしていた。
さわの「賭けの上乗せはもう終わり」と言う言葉に、二人は一斉にカードを開く。
「……」
「おれの勝ち、だな」
ベガの手元には、スペードのロイヤルストレートフラッシュが揃っていた。
さわの言うポーカーのルールは適当です。
カジノではもっと厳密で細かいルールがいっぱいあるそうですが、彼らがお遊びでやる分にはこの程度でいいかと。麻雀でいうドンジャラみたいなもんだと思ってください。