第14話
コンコンとノックをして音の間に入る。
たくさんの楽器がおかれたここは、音が鳴っていないときでも音楽の気に満ちているとさわは思う。
「やっぱりここ、いいなぁ」
これからもちょくちょく来ようと心に決めて、いつものように部屋の右奥に置かれたピアノに向かう。
「ベガが来るまでまだ少し時間あるし」
そう言ってピアノの前に座った。
さわはほとんどの曲をピアノで作曲する。だからこちらに来るまでは、ピアノに触らない日はなかった。音の間のピアノはとても心地よい音を奏でる。クラシックの曲を弾くと、さわは触れる音楽に興奮した。
「やっと指が動くようになった」
毎日通うううちに、やっと指が元のように動くようになった。一通り練習曲が終わると、いつものように自分が作った曲を弾こうとしてしまう自分に少し笑う。
「癖はなかなか抜けないもんね……」
今弾こうとした曲は、さわの高音を生かす、こもれびの次に発表しようとしていた曲だった。今のさわの声では、あの高さは出ない。
でも、二週間も歌っていない。
この二週間はいつも、ピアノを弾くだけだった。
歌おうとして、歌うのを辞める。
その、繰り返し。
でも最近やっと、自分が話す、低くかすれる声を受け入れられるようになった。
自分がどの程度「歌えなくなっているのか」を知る良い機会かもしれない。
さわはぐっと心を決めた。
今の曲を転調させ、歌がアルトの音域になるように伴奏を変える。
話す声からして、おそらくアルト音域ならば出る。そう踏んで、さわは息を大きく吸った。
遠い 遠いところで
あなたは今 なにをしているの
私の心はあなたの傍にいます
あなたの心はまだ 私を向いていますか
遠距離恋愛の歌のつもりで書いた曲を今歌うと、あっちの世界にいる家族のことが思い出された。
綺麗なのにたくましい母は、私がいなくても元気だろうか。
甲斐性なしだけどやさしく笑う父は、私がいなくなって泣いていないだろうか。
寂しかった。
独りで音楽に向き合って、さわはこの世界へ来て初めて、自分が「異世界」に紛れ込んだのだと実感した。
親しい人と言葉を交わすこともなく別れ、いつ帰れるかも分からない不安をずっと見ないふりをしてきたのに。
私が今ここで、ちゃんと息をしていることを
だれかが彼らに伝えてくれたらいいのに、さわは歌いながらそう思った。
やはり声が伸びない。かすれていて響かない。
歌い終わってピアノの最後の音を鳴らしたさわは、すっと腕を下ろす。
前のようには歌えない。
さわはふっと自嘲してピアノのふたを閉めた。