第12話
大広間から出て扉が閉まり、廊下をコツコツとベガは進む。
今通った扉は先ほどまでとは違う扉で、この廊下もさわが部屋に戻ったときよりも豪華だ。この先は王の部屋へと続いており、大広間の喧騒は既に届かないところまで来ていた。
廊下の途中、ベガが先ほどまでの一連の出来事を思い出して笑っていると、急に下からアッパーを決められ、さわを抱いたまましゃがみこんだ。
しかし今しがたグーで人のあごを殴ったとは思えないほど、顔を真っ赤にしているさわを見て、ベガは満足そうな笑みを浮かべる。
「なんだよさわ、照れんなよ」
さわを先ほどまでよりもぎゅっと強く抱く。
「き、きゃあああああ」
さわが悲鳴を上げて腕の中でもがくのを見て、ベガはますます嬉しそうに笑った。
「俺にビンタはるかと思えば、ドレス着てこけるし。こうゆう社交の場慣れてないのかと思えば、着替えてみたら雰囲気から様変わりか。あげく俺のエスコート強請るしな。おもしろすぎだろ。しかもその格好、誘ってんの?」
深いスリットが入ったドレスは、ベガに抱きかかえられて太ももまで見えている。
「ちっちがう〜〜」
ばっと手を伸ばしてスリットを隠そうとするが、抱きかかえられたままではそうもいかないようだった。
本当に、おもしろいやつ。
ベガは腕の中にいるさわを見て思う。
ほんのいたずらのつもりだった。
どちらにせよ、後宮に入るならば候補たちにお披露目しなければならない。ならば、とカノンに盛大にせよと告げたのは、驚いた顔が見られればいいなと思ってやった出来心だった。
事実、この嫌がらせの発信源がベガだと気づいたとき、さわの顔は驚きつつも嫌そうな顔をした。ベガはそれを見て、大層満足していたのだ。
しかし、それで終わりではなかった。
部屋を退出するときに見せた声も、その後現れた彼女も、この2日間、ベガが見てきたさわではなかった。
リードあたりがこれを知ったら、「巫女姫になにするんですか!!」と怒鳴るだろうなと考え、「さわらないでよーおろしてー」と叫ぶさわを見る。
腕の中の女性は、先ほどまでのオーラは消えている。それでも、記憶にはさっきまでのさわがいる。
初め庭園で見たときには、美しいが細く、まだ子供だと思った。
女神に関係していると知って、余計にいじめたくなった。
それがどうだ。結局驚いた顔をしたのは俺だったってわけだ。
良い意味で期待を裏切られ、ベガは「これからこいつで退屈しないな」などと不謹慎なことを考えながら、嫌がるさわの太ももに触れようと手を伸ばした。
しかし嫌な予感を左目に感じて、さわを抱えて近くの柱に隠れる。
その一瞬後、二人が先ほどまで立っていた位置には氷の矢が突き刺さっていた。
あたっていれば、ベガはともかくさわは怪我をしていただろう威力の魔法。
「な、なに??」
そんなことがさわに分かるはずもなく、急に真剣な目になったベガに焦る。
「大丈夫だから、少し目つぶって耳塞いでな」
さわを柱の影でおろして、ベガは言う。
「ガーネット嬢、今のは俺も狙ってるようにみえたが? 俺はいたずらは好きだが、されるのは好きではない」
ガーネットが手に杖を持ち、顔を真っ赤にして立っていた。
「その卑しい娘をお渡しください。その女、わた、私をコケにしましたわ!!」
おそらくさっきの一件で、プライドが傷つけられたのだろう。小国とはいえ王族の一の姫だ。傅かれて育ち、自分の上に誰かに立たれたことなどないに違いなかった。
事実彼女は賢かった。先ほどさわにしたように、新しく入る候補にいたずらをすることはあれど、あのときの言葉通り、候補として相応しくないと思う信念からくるものであった。
ベガの前で媚びることもせず、対等に話して見せ、立てるべきときには男を立てる、他の候補には見られない態度に、少し目をかけていたのも事実だ。
今のガーネットにその片鱗は感じられなかった。
おそらく本能的に感じたのだろう。
女としての負けを。
彼女は青いドレスのさわをみて、逆上して氷の矢を向けた。
――まるで神話をなぞらえているかのようだな。
自らもその舞台に立っていることに自嘲して、ベガは笑った。
「ガーネット嬢、質問に答えてはいただこうか?」
ガーネットは柱の裏にいるさわの方へ「卑しい娘」「殺してやる」と杖を掲げて叫んでいた。その様子に、ベガは底冷えするような冷たい視線をガーネットに向けた。
「ひっ……」
ベガの左目が血の色に染まっていた。ガーネットは後ずさりして座り込む。
「属国の中でも一番の大国からの預かり物と、甘やかしすぎたか?」
そう言って腰から剣を抜きガーネットに近づいてゆく。
「ベガ殿」
ベガがガーネットの首に剣を突きつけたところで、大広間にいた小さな少女、カノンが大きな鎌のようなものを持ってベガの前に降り立った。
「後宮での揉め事は我の取り仕切るところゆえ、ひいてはもらえぬか?」
そういって右手をふっと掲げると、ガーネットの姿は廊下から消え去った。
「カノンがそういうなら仕方ないか。きちんと始末をつけろよ」
「御意」
そしてまた音もなくカノンは消えた。
ベガ鞘に剣を戻し、柱の影へと戻る。さわはぺたんと座り込んでいた。
「どうした、さわ」
大広間の、あの高いところで呼ばれた、優しい声と同じだった。
――この人は、なんでこんな声を出すの?
「ガーネットってひと、どこ行ったの?」
柱の影から、ガーネットが消えるのを見ていたのだろう。
「牢屋だ」
「なんで?」
「さわを殺そうとした」
「でも、怪我とかしてないし。私がさっき、あんな風に挑発したから……」
「あっちが先にドレス踏んだんだろう?」
「そりゃちょっとむかってきたけど、でも、そんな牢屋とか入れたかったわけじゃない」
「さわは女神の御子の祈りだから。知らなかったとはいえ、何もなかったことには出来ない」
「でも、やだ」
「なにが?」
「私のせいで、誰かが傷つくとか、やだ」
美しい服を纏い、美しい仕草で、大広間を歩いた女性はそこにはいなかった。
そこにいるのは静かに、音もなく泣く、年相応のさわ。
「わがままかもしれないけど、もし本当に私が女神ってひとに呼ばれて、偉いっていうなら、ガーネットって人のこと許してあげて」
涙を拭いて、先ほどとは違った意味で濡れた黒い瞳をベガに向ける。
「お前は、強いな」
そう言ったベガの顔が、昨日さわをからかった口調とも、さっきまでいたずらを仕掛けて笑った声とも違って、心が騒いだ。それは「さわ」と名前を呼ぶ時の甘さに似ていた。
「いいよ。俺はお前が気に入ったから。お前がそういうなら、そうしてやる」
「あ、ありがとう」
ぱぁっと顔を上げたさわに、それでもベガのいたずら心はくすぐられる。
「ただし、御礼はもらう」
そう言ってベガがさわに羽のように軽いキスをした。
驚いて手を振り上げたさわの気配に気づき、一瞬で距離をとって、笑いながら左の扉を指差した。
「この扉抜けたらネオがいるから、部屋につれてってもらえ」
それだけ言ってひらひらと手を振ってベガはその場を後にした。
顔を真っ赤にしたさわは「うぅ〜」と唸って悔しがり、
もう絶対に隙は見せない!!
と誓ったとか。