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闘争と混沌の鎖




「やっぱりうちの予想通りかぁ」


 ピンク色の髪が白衣にかかる。勇者フレデリカ・ル・ノワールは帝都研究開発施設の検査室で資料を睨んでいた。


 資料には下級龍種ワイバーンの個体について。細胞の配列や魔力の残滓、血中魔力含有量など数値やグラフが所狭しと記載されている。個体の判別には手間と時間がかかる。緊急性が高い調査なので寝る間を惜しんで調査を続けていた。


 「検体aと検体bの魔力反応は陽性。液化銀に反応が出るまで時間がかかるのがネックなのよねぇ……」


 液化銀は特殊な製法で銀を低い温度で液体化させたもので、生物の体液を液化銀に溶かし、別の生物の体液を追加で混ぜることで反応を起こし銀色から赤銀色へ変色する。


 陽性反応。つまり検体aの体液を溶かした液化銀に検体bの体液を入れたことで赤銀色へと変化した。二つの個体は姿は似ているが別個体であることが証明された。


 「結果も出たことだし、助手ちゃんに伝言残してうちはクラりんの村を助けに行くとしますか~」


 勇者に行動の自由は無い。常に人類を救うための任務に追われ、戦場に駆り出される。これでは道具と変わりない。だからフリッカことフレデリカ・ル・ノワールは施設にこっそりと抜け穴を作っていた。誰にも気づかれることなく自由に外を歩くため。決して、締め切り間近の開発から逃げたいとかそういうわけではない。


 この検査結果を馬鹿正直に自ら報告すれば間違いなく対策部隊のバックアップ要員として駆り出される。自分が好き勝手行動するには制約が多すぎる。友一人救えなくて何が勇者か、こんなところで引き籠るくらいなら施設ごと爆破した方がマシなもんだ。


 もう友を失いたくない。


 その想いだけがフレデリカを突き動かす。白衣を脱ぎ捨て、助手に宛てた簡単なメモと今後の対応を書き残し、煌弓デザイアスを携えて抜け道へと進む。



×××××



 薄く膜のように張った雪の上を走る。大粒の雪が目や口の中に入り込み、じんわりと冷やし溶けていく。


 憲兵には事態の緊急性を伝えた。念には念をと手入れをしておいたロングソードも持った。

出来れば槍が好ましかったが、聖槍グリフィリーベ以外の槍を手にする気が起きなかったのもあり、緊急用としてなら剣で充分だと考えた。


 剣の心得はないこともないが、それは常人の成せる範囲内のことである。以前カルムから剣術を教わったことがある。一刻の間に百回斬撃を繰り出す技や、魔力で生成した無数の剣を自在に操る技なんかを教わったりしたが、どれも中途半端にしか再現することが出来なかった。


 カルム曰く才能以前にセンスが無いらしい。それは魔術の扱いも同じのようで、リューレにもカルムと同様のことを言われた。才能もセンスも持ち合わせなかった俺は天才のカルムやリューレのようにはなれない。


 今、こちらに向かってきている気配は、そんな天才たちが対等に渡り合える程の力を持った者だ。


 禍々しい敵意は龍種の国がある山の向こう側から穿つように伝わってくる。下級龍種など比較にならない気配。遭遇事例の少なさに存在すらも幻となっていた上級龍種の可能性が高い。


 勇者が派遣されてくるまで村を守り切れるだろうか。俺が憲兵に伝えてから派遣されるまで早くて3時間、遅くても半日以上かかるだろう。今の俺にどれくらいの足止めが出来るだろうか。3分いや、2分もてばいい方か。


 空を睨む。真綿のような雪粒が花のように舞い落ちていて、鉛色の空が重く広がっている。巨大な影がこちらを睨み返しているようにも見えた。


 (ワイバーンの倍はあるな)


 剣を抜く。通り過ぎてしまっては広い場所に来た意味がない。ロングソードに魔力を注ぎ込み、力を溜める。


 (魔力の乗りが悪すぎる……!)


 聖具の扱いに慣れすぎていた俺にとって普通の武具はとても重く扱いにくい。もちろん普通の武具での鍛錬は欠かさなかったが、今の俺の肉体では一般兵士かそれ以下の力しか出せない。


 ロングソードが耐え得る魔力の最大まで注ぎ終え、空を飛ぶ巨影に向けて刃を振り下ろした。


 「―――っが……!」


 全身が悲痛の叫びをあげる。


 振り下ろしたロングソードの衝撃は魔力の刃となり、空を裂く速さで巨影に飛ぶ。


 巨影は刃に気付いた様子を見せると、翼を大きく薙いで急上昇することで避けた。鉛の雲を突き破り姿を消す。


 (―――来るっ……!)


 風を切る音と共に流星のように光が落ちてきた。轟音が響き、地面には大きなクレータができる。そのクレーターの中心から濃い煙が上がり、龍種ではなく人間のシルエットが姿を現す。


 「―――嘘……だろ……? リューレ……なの、か?」


 姿を見せたのは雪のような純白の髪と氷の瞳をした、リューレと瓜二つな少女。だが、リューレではない。姿は似ているが頭には対となる龍種の角、腕と足には鋭利な白銀の鱗に覆われており、背後には大きな龍翼と太い尻尾が生えていた。


 俺が驚いたのはリューレに似ているからというだけではない。目撃例の少ない龍種だが、その姿はいずれも巨大化した爬虫類のようなものだった。しかし、今俺の目の前に立っているのは人型をした龍種だ。人型の龍種を目撃したという例は未だかつてない出来事だ。


 「あたしはブリュンヒルデ・カムガル・アウレイア。龍の王女なり。リューレは前世の名。激しく動揺しているようだが人よ、我の姿がそれほどにも美しく映えるのか?」


 冷たく凍てつくような女の声。声までもがリューレの生き写し。


 「龍種だってのに随分と人間の言葉が流暢じゃねぇか。おまけに人間の姿の真似なんてしやがって……どういう趣味してんだ」


 「言葉など王である我には些細なこと。肉体の起源がさも自分であるかのように振舞う愚かで傲慢な、哀れな運命に囚われし人よ、我と共に我の国へ来い。先程の不敬は全て赦してやろう」


 俺に向けて龍種の王女を名乗るブリュンヒルデは手を差し伸べる。


 共に国へ来い。それはどういう狙いでそう言っているのか見当がつかない。


 「断る、と言ったら?」


 「力で示す以外あるまい?」


 ―――刹那に消えた。


 「くっ……!」


 今まで前にいたはずなのに背後に回り込まれた。振り向いてロングソードを構えて防御態勢に入る。ブリュンヒルデの拳を紙一重で受け止められたが、


 「重すぎる……っ!!」


 ロングソードにヒビが入る。魔力の乗りが悪いとはいえ、刃に十分な量の魔力を注いだはずだ。たただの打撃程度で破壊される強度ではないのに、たった一撃でヒビを入れられた。


 受け止めた衝撃が剣を伝って全身に駆け巡る。反動で内臓がひっくり返るような感覚に襲われ、口の中に血の味が溢れる。


 「その創痍の身では辛かろう? 今すぐに我の手をとれ、さすれば人の国に危害は与えまい」

 顔を近づけて俺に囁きかける。


 再びロングソードに魔力を注いで強度を補強し、体を回転させて遠心力を利用した横薙ぎを放つ。


 ブリュンヒルデは身を引いて俺の斬撃を軽々と避ける。


 「―――くっ、何故……俺を、必要とする……?」


 体が重く、眩暈がする。地面に突き刺したロングソードを杖代わりにして体を支える。


 俺の問いかけにブリュンヒルデは、冷ややかな眼差しを向けて口を開く。


 「闘争と混沌の運命の鎖に囚われし人。貴様の因果は世界の滅亡へと導きかねん。我ら種族の総意を持って貴様の運命を断つことと決定した。命を刈るが手っ取り早いが、我が国へ同行するならば命までは奪うまい」


 「闘争と混沌の運命……? なんのことを言っている!」


 どこかで聞いた覚えのある言葉の羅列。


 記憶の断片、蘇る硝子と灰の戦場。


 『貴殿が件の運命に囚われし人間か』 『苦難の道に、闘争と混沌の道に、幸あれ…』

 ―――覇族の王、シュドラドールの今際の言葉。


 ブリュンヒルデは俺の表情を見るなり、不敵な笑みを浮かべる。


 「思い出しはしたが意味が理解できていない、という顔をしているな? くくく……、よい、無知な人よ。その無知を我は赦そう。だが、創世神話は存じておろうな? 存じぬほど愚かではなかろうて」


 「概念神アブスと具現神インカルの話のことか……?」


 創世神話。帝都の学者によると種族によって神話大系が異なっているらしいが、大元の話はどこも同じらしい。


 この世界には二柱の神が存在していた。概念神アブスは時間や空間を産み出し、具現神インカルは大地や生物を産み出した。両神は夫婦の仲であり、互いに愛し合っていた。だが、ある日を境に具現神インカルが産み出した生物は争いを起こし、その争いの火は二柱の神の元にまで迫った。


 具現神インカルはそれを咎めることなく見守っていたが、概念神アブスは己に危機が迫っていることに怒りを見せ生物たちを根絶やしにしようとした。そのことを具現神インガルは阻止しようと概念神アブスを殺した。


 概念神アブスは死に際に権能を使って呪いという概念をばら撒いた。星の生物を守るため、呪いを一身に受け止めた具現神インカルは死という呪いにかかり息絶えた。


 人類の信仰を集めている栄皇教会は、身を挺して守ってくれた具現神インカルを祀っている。言わば守り神のような存在なのである。


 その創世神話と闘争と混沌の運命というものにどういう関連性があるというのか。


 「そうだ。多少の齟齬はあるが、具現神インカルが呪いを受けたのはまごうことなき事実なのだ。しかして事実はそれのみとは限らぬ。概念神アブスの呪いは強大だったのだ、それ故にいくつかの呪いが零れた。その呪いの一つ『闘争と混沌の運命』が貴様の魂に刻まれているのだ」


 「その呪いを持つ俺をお前らの国に持ち帰ってどうするってんだ。神にでも祀り上げるつもりか?」


 「まさか。奴隷を神にするほど我ら種族は落ちぶれておらぬよ。言ったであろう? 貴様の囚われし運命を断つと」


 ブリュンヒルデは腕を伸ばし、掌を握る。


 話が抽象的で掴めない。そもそも運命を断つというのは命を奪い取るということではないのか?


 「具体的にはどうするんだ。運命なんて実体のないもんを断ち切れるとは思えねぇがな」


 「呪いは同族の血で清算するのだ。それもありったけのな? 我が清算した同胞の数は100をも超えた。それほどまでに概念神アブスの呪いは星の生物の根絶を望んでいる」


 同族の血。つまりは俺の運命とやらを解放するのに生贄が必要ということではないか。


 「待て、『我が』だって? それじゃあまるでお前も―――」


 同族である龍種を殺して、自らの魂に刻まれた呪いを打ち消した。そう続けようとしたが、俺の言葉を遮るように憂いを帯びた表情でブリュンヒルデは口を開く。


 「我も呪いに囚われていたのだ。この世界に生を受け、我は魂に呪いが刻まれていると悟った。『不浄と狡知を解きし運命』それが我に刻まれし呪い。世界の理を書き換え世界に不浄をもたらす。前世の少女は呪いに気付いておらぬようだったがな。そのおかげで同胞を殺す羽目になった」


 前世の少女、リューレ・カム・ヘフティグ。リューレが亡くなったのは半年と少し前だが、龍種にとってのその期間は生まれてから成体になるには十分だ。そのリューレの魂を引き継いだ結果、姿も声も生き写し。だがこいつはリューレではない。あいつが世界の為だとはいえ、自分の呪いを清算するのに同族を犠牲にするはずがない。


 「リューレのことを言っているのか? お前が同族を殺してしまったのは、前世で呪いを清算しなかったリューレが悪いとも聞こえるぞ?」


 「ああ、そうだな。そう受けとってもらって構わぬ。我を憎もうが憎ままいが関係ない。貴様を国へ連れ帰り、この先の村を贄とする。さぁ、世界の均衡と秩序のために我の手を取れ」


 再びブリュンヒルデは俺に向けて手を伸ばす。


 「断るっ! 目の前の命を見殺しにしてまで救う世界なんてクソったれだ! 呪いだ? 運命だ? そんなもん、俺一人で乗り越えてやるよ。お前にはお帰り願わせてもらうぜ」


 俺は手を取ることなく、刃を向けて答えを返す。身を引いたが俺は勇者だ。人類を守るために戦ってきた人間が、大勢の人間を犠牲にする選択をするわけにはいかない。それに、ルインにはソフィアやサアラ、リフィがいる。この手で守りたいと思う者たちが暮らしているのだ。


 「人の身一つで何ができるというか! 貴様がもたらす呪いは、貴様がそこに在るというだけで闘争を招くのだぞ。貴様の選択が贄以上の死をもたらすのだぞ」


 「それでもだ。俺の守りたいものは、俺が守り抜く。それが俺の在り方だ」


 こうして思えるのは、一度暗闇に落ちてしまった俺に光を渡して寄り添ってくれた人たちのおかげだ。見失った勇者としての在り方を示してくれた。例え体が動かなくとも、その心の在り方だけは貫き通す。


 「そう……。あんたは変わらず頑固なままなのね……」


 小さく言葉を零すブリュンヒルデ。それは堅苦しいものではなく、かつての友へと向けられるような優しく、悲しい言葉の使い方だった。


 「よいだろう、貴様が貴様の信念を貫くというのなら、我も我の信念を貫かせてもらう」


 ―――ブリュンヒルデの気配が一変する。


 どうやら対話はここで終わりのようだ。言葉が通じるなら戦わずに済むという僅かな希望を抱いていたが、それは叶わなかった。互いに引くことのできない信念がある。さて、ボロボロの身体とヒビの入ったロングソードでどこまでやれるだろうか。


 ブリュンヒルデは冷気を帯びた魔力を起こし、透き通る白銀の錫杖を創り出した。扱う魔力の質から武器に至るまで、なにもかもリューレにそっくりで非常にやり辛く思う。


 「生きながら氷結するがいい…!」


 錫杖を掲げ、魔力を頭上に収束させる。雪の結晶を纏った白風が渦を巻き、一本の帯となって襲ってくる。


 「フローズン・ウインドか…っ!」


 リューレお得意の氷結魔術。あの吹雪に当たったら最後、万物は芯から凍結し死を迎えることなく凍結することになる。


 あまり使いたくはなかったが、背に腹は代えられない。俺は左側のうなじと耳の間にある秘孔を指圧した。


 勇者になりたての頃に、どんな技でも利用できるものは利用しようという精神から片っ端に帝国中の道場を訪れた。その内の一つである道術を教わった、自身の秘孔を突いて身体を活性化させる技。ただし、一時的に強化されるが効果が切れると強化した分の疲労がまとめて襲ってくる、短期決戦に重きを置いた技である。


 全身に活力が湧く。両脚をバネにし、寸手のところでフローズン・ウインドを跳んで避ける。跳んだ先にある大岩を足場にし、反動を利用してブリュンヒルデへ跳ぶ。


 「はっ!!」


 ありったけの魔力を注いだロングソードを構えての突撃突き。だがそれはフェイクで、本命は突きを防がれた後に繰り出す、斬撃を当てた部分に起こす魔力爆発。恐らく爆発の衝撃で刀身はダメになるだろうが、どちらにしろ長くは持たない。全身全霊の捨て身の攻撃を当てるのが最善の選択。


 「欠けているとはいえ、ある程度は前世の記憶を引き継いでおる。貴様の動きなど、容易く予測できる」


 ブリュンヒルデは錫杖を地面に突き、刹那の速さで突撃の軌道線上に氷壁を創り出す。完全にこちらの動きを読まれている。そして、この後取る行動も読まれているだろう。


 「壁は打ち破ってなんぼのものだろ!!」


 普段の俺ならば、突撃にブレーキをかけて後退する。様子を伺ってからベストなタイミングを計らって一撃を叩きこむのが俺の戦い方。ブリュンヒルデはそれを見越して次の策を練っているだろう。


 俺は突撃を止めることなく氷壁へ近づく。空いた片手に魔力を溜める。


 魔術拳の一つの技、『さい


 魔力で硬質化した拳を叩きこみ、振動を与えることで物質を脆くする打撃。氷壁に拳を叩き入れ、衝撃でヒビを張る。


 そして『碎』の派生技、『ばく』を続けて繰り出す。


 拳の魔力を滝のように激しく流し込むことで、脆くなった物質を内側から崩壊させる技である。


 『瀑』によって崩壊を起こした氷壁は氷の粒となって崩れ落ちる。氷塵が舞い上がり、一種の煙幕となって姿を隠すことが出来た。突撃の威力は依然変わらないまま、刃はブリュンヒルデへ届く。


 刃が突き刺さる感触。柄を蹴り、背後の氷塵の中へ跳ぶ。


 着地と同時に地面が揺れる。魔力爆発は難なく成功した―――。


 「小細工で我に傷を付けられると思うのか?」


 身を裂くような突風が巻き起こる。


 「傷ひとつ無し、か……はははっ……」


 ブリュンヒルデの姿は人ではなくなった。光を照らし返すほどの蒼白の鱗、龍種特有の巨躯、大空を裂く4枚の大翼。俺が刃を突きつけた瞬間に龍形態へと戻った。鋼を否定する硬度の鱗は、俺の攻撃を受け付けなかったのだ。


 「―――んぐっ」

 道術の効果が切れ、反動が全身を襲う。平衡感覚の前後があやふやになる。


 「貴様も限界だろう。手早く楽にしてやろう」


 大翼を扇ぎ突風を起こす。風に氷のつぶてを乗せ、強力な風圧が押し寄せる。


 「く……そ…、魔力障壁を、……がはッ!?」


 赤く染まる視界、鉄の味が口に滲む。筋肉や内臓が生きることを拒絶しようとしている。魔力はまだ残っている。だが、魔力を起こすための肉体がそれに耐えきれない。


 魔力障壁の展開が間に合わず、防御が整わないまま氷風が身体を引き裂く。突風で体が浮き上がり、氷の粒による容赦のない打撃が意識を奪う。


 「―――っ……!」

 地面に打ちつけられ、肺の中の空気が全て吐き出される。筋肉も痙攣を起こし呼吸が上手くできない。


 「恨むなら己の無力を恨め。次、貴様に相まみえるは我が国でだ」


 鋭い牙が隠された龍顎に魔力が収縮する。魔力は冷気へと変換し、大気という大気が凍てつき始める。自然を魔力の息吹として吐き出す龍種の奥義。


 (ああ、クソ……。手も足も出ねぇってこういうことか。ちくしょう……。また俺は守れないのか? また大切な人を失ってしまうのか? 俺は、あまりに非力だ)


 駆け巡る悔恨の思考が、薄れいく意識の中で沸き立つ。俺の戦いは敗北で終わる。


 ブリュンヒルデの絶対零度の息吹が吐き出される。


 (本当に……、すまない……)


 脳裏に聖槍グリフィリーベがよぎる。結局、最後まで取り戻すことが出来なかった俺の相棒。


 「―――ダメ!!」


 リフィの声が聞こえた気がした。思えば、リフィの雰囲気は聖槍グリフィリーベから感じるものに似ていた。どうしてそれを今気付いたのだろうか。


 ―――冷気が、感じない。既に息吹を受けているであろう自身に、その威力を受けた気配が無い。


 優しい温もり。俺はこの感覚を知っている。


 敗北を覚悟して閉じた瞳をゆっくりと開ける。


 「―――リフィ?」


 純白の魔力障壁が絶対零度の息吹から俺を守っていた。その魔力障壁を展開していたのはリフィだった。小さな背中は強大な龍種を前に力強く立ち塞がっていた。


 龍種の息吹を完全に防ぐことができるのは、絶対的な防御力を持つ聖槍グリフィリーベ以外ありえない。


 「クラロスを守るのは私! 絶対に傷つけさせない!」


 ああ、ようやくわかった。リフィは、いつも俺を守ってくれていたんだな。幼い頃に龍種に襲われた時、任務で危険な戦いになった時。覇王との決戦の時、そしてルインで心が折れてしまっていた時も。ずっと傍で俺を守っていてくれたんだ。


 魔力障壁に憚られた息吹は空へと伸び、結晶の雫となって降り注ぐ。


 「クラロスっ―――!!」


 リフィは振り返り、俺の胸元へ飛び込む。じわりと熱い涙がリフィの頬を伝う。


 「クラロス……、今まで黙っていてごめんね。私―――」


 「いいんだ、聖槍グリフィリーベ……、なんだろ?」


 くしゃくしゃになった顔でリフィは頷く。


 「だが逃げろ……。せっかく動けるんだ、人らしく幸せに―――」


 「クラロスと一緒じゃないとダメ! 私は、クラロスを守るために生まれてきたの。だから私の全てを……クラロスにあげる。―――でもね、最後に」


 リフィは俺の首に手を回し、そっと唇を重ねた。甘い匂いとともに柔らかい温もりを感じる。リフィはゆっくりと口づけを解き、花の様な笑顔をみせる。


 「愛しているわ、クラロス」


 白い光がリフィを包む。


 「リフィ……? お前、一体何を―――?」


 見覚えのある光、それはリフィが、聖槍グリフィリーベが初めて姿を見せた時と同じ光。


 「ありがとう。短い間だったけれど、クラロスとたくさんお話しできて楽しかった……、嬉しかった……。この幸せは元の姿に戻っても忘れない。またね―――」


 「待てっ! 待ってくれ! 俺はお前に何もしてやれてないじゃないか! 俺はもらってばっかりなんだ! これからも少しずつ返していきたいと思っていたんだ!」


 俺の言葉が虚しく響く。リフィは笑顔のまま光に飲まれ、粒子が形作る。


 純白の長槍。最後に見た聖槍グリフィリーベと造りが変わっていた。片刃だけだった穂先は両刃となり十字槍へ進化していた。そして装飾に深い海の色をした、リフィに贈ったリボンが風になびく。


 体が痛む。だけど、さっきまで指一本動かせなかったのに今は動かせる。立ち上がって、俺を守り続けてくれていた相棒を手に取る。


 ―――不思議だ。限界を遠に超えていたはずなのに、力が湧いてくる。勇気が、溢れる。


 「―――この気配。呪いが薄れた……? 突然現れ、姿を消した少女。それにその得物。貴様、いったい何をした。万物を凍土に還す我の息吹を完全に防ぐだけに留まらず、半死半生の肉体が僅かながら生を取り戻しているな?」


 「さぁな? 強いて言えば想いの力ってやつだ」


 ありがとう、と心の中で呟き。


 「俺たちの絆に怪我したくなかったら、王女様はお帰りいただくことをお勧めするぜ」


 聖槍グリフィリーベを構え、魔力を通す。変わったのは形だけではない、魔力を通して、奥深くから繋がっていると実感する。


 魔力を帯びた聖槍が共鳴する。無数の槍が魔力によって生み出され、ブリュンヒルデ周囲を包囲するように地面へ突き刺さる。


 「―――!? 動きが……!?」


 「凡人の底力……ッ! ナメんじゃあねぇーーっ!!」


 純白に煌めく聖槍は魔力が収束、増幅する。そして魔力は光帯となって撃ちだされ、動きを拘束されたブリュンヒルデへと届く。


 「食らええぇぇぇーーーーっっ!!」


 リフィと共に暮らした村を守る。リフィと共に守ってきた人類を守る。それが、俺の示す勇気。想いの力は光帯をさらに強大にする。


 渾身のありったけの魔力を注ぎ、撃ち切る。轟音を響かせ、確かな手ごたえを感じた。


 「はぁ……、はぁ……」


 光柱がブリュンヒルデを呑み込んだ。全身全霊の攻撃が届いたのだ。


 多少回復したとはいえ大規模な攻撃を繰り出したのだ、体力が底を尽きて立っているのもやっとだ。


 「……さすがの我も、ただでは済まぬと思ったぞ。人の力、なかなかに侮れぬな」


 龍の姿から人の姿に戻ったブリュンヒルデ。大技を受けても尚、戦闘不能に陥らずに傷を受ける程度で済んでいた。


 「クソ……、どんだけ丈夫なんだ、……チクショウ」


 膝をつく。気力だけで意識を保っている状態だ。


 「貴様のその得物、底知れぬ力を感じるな。貴様の呪いは薄れておる。だが慢心するでないぞ? 呪い自体は残っておる、貴様の得物で抑えられているだけにすぎん」


 土埃を払い、ブリュンヒルデは何かを反芻するかのように思考を巡らす。


 「考えが変わった、我は国へ戻る。呪いについて確かめることができた」


 「帰る……だと? いったい何を―――」


 「だが貴様を諦めたというわけでは無いぞ? 今は見逃す、というだけだ。いずれ貴様も国へ来い。貴様の想い人とやらに相まみえるやもしれん。待っておるぞ……クラロス」


 背の翼を広げ、空へと飛ぶ。


 人類の脅威は去った。俺は守りたいものを守り抜くことが出来た。


 「あ、……れ?」


 視界が二重三重へと重なる。頭から熱いモノが流れ落ちる。赤い、赤い……。


 操る者がいなくなったパペットのように俺は崩れ落ちた。



×××××



 「なんなのあの柱!? とんでもない力を感じる……。もしかして、クラりん……?」


 フレデリカは研究所を抜け出したと同時におぞましい気配を感じた。あまり得意ではないが走技『疾風活脚』でルインへと急いだ。そして、村に到着するやいな、南の平原に真っ白な光の柱が上った。


 あんな大技を出せるのはクラロスしかいない。だけど、聖具は帝都に保管されているから通常の武器で大出力の魔力を放出するには、それこそ禁呪を使うしかない。


 特別な才に恵まれていないと彼は自嘲するが、それを埋めるために積み重ねてきた無謀ともいえる努力は天才の域を脱している。


 負傷している身で無謀に立ち向かおうとするのが彼だ。あの光は、命を投げうったものかもしれない。


 そんな不安を抱えながら光柱の元へ走る。


 村は大混乱を招いており、恐怖に怯える者、無茶な積み方をした荷物を引きずる者、走ることを諦めて祈りを捧げる者。龍種の気配に当てられて、正常な判断が出来なくなっている。


 今回ばかりは自分も無事では済まないだろうと気を引き締める。


 村を抜け、平原へと出た。一面の雪景色の中に地面が荒れた場所が散見する。その中心に二つの影か映る。一つはここにあるはずのない聖槍グリフィリーベらしき物を携えたクラロス。もう一つは、


 「人間……? いや、翼がある……? 龍種が人間の姿に……!?」


 前代未聞の観測。今すぐにでもレポートにまとめたいところだが、事態は切迫しているようだ。


 クラロスと龍種の少女が何かを話している。


 そして龍種の少女は空へ飛びあがり、南の山岳へと消えた。


 「―――っ! クラりん!!」


 血まみれになったクラロスがその場に倒れる。慌てて駆け寄り容態を確認する。


 「酷い……。早く治療しないと……」


 丈夫じゃないと聞いていたけれど、その一言で片付けられるほど単純な状態じゃない。肉体が崩壊寸前の状態で無理やり動かしたような形跡がある。そんな状態で体を動かすのは人間の意志では不可能だ。何か別の力がクラロスを生かしているように見える。


 そして聖槍グリフィリーベ。形状はすっかり変わっているが、間違いなく聖槍グリフィリーベだ。帝都の教会に保管されていたはずなのに何故ここにあるのだろうか。しかし、最後に見た時に比べて魔力の回路がクラロスと深くリンクしている。まるでクラロスと一心同体ともいえるくらいに、魔力が共鳴し合っている。


 応急処置を手早く済ませて、クラロスを背負う。


 村のあの混乱の仕方では討伐隊が来るのを待つよりも、背負って連れ帰った方が早い。何もない平原での治療には限界がある。フレデリカは急ぎ、村へ引き返すのだった。




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