プロローグ
「報酬は銀貨8枚だな」
「銀貨7枚と小銀貨5枚は現金で、小銀貨4枚分の飯と酒と炒り豆と干し杏を。残りは取っておいてくれ」
とんとん、と懐を指しながら言うと、馴染みの店主は赤ら顔ににやりと笑みを貼り付けた。
立ち飲み客でごった返す店内を縫うようにして机に向かうと、今日共に戦った男はすでにジョッキを傾けていた。
報酬の一部を机に置いて押しやる。
「今回は助かった。銀貨4枚だ。確認してくれ」
「おう・・・確かに。こっちも冬明けで懐が寂しくなってたしな。お互い様だ」
にかり、と人好きのする笑顔を見せるこの男は、ラス。
先月余所の町の酒屋でたまたま同じ冬仕事を申し込み、報酬の折半を持ちかけられて仕事と移動を共にしていた。素材回収の為の獣の待ち伏せ・討伐・採取そしてそれらをこの町まで運ぶ依頼だった。
まだ雪が薄く残っていて待ち伏せが面倒な上、かなり手強い獣だったため、ひと月ほどかかってしまった。獣は雪が残っている間は狩る者が少なく、流通量が減るため、倒すことさえできれば高額で取引される。冬仕事の中では報酬額は良い方だろう。
他人と長く深く付き合うのは避けたいが、食うためにはそうも言っていられない。ラスは人好きそうな割にはあまりこちらの領域に踏み込んでくることがなく、やりやすかった。他人の機微にも聡そうなので、もしかしたら俺に合わせてくれていたのかもしれない。
新米だろうか、見慣れない若い女の給仕が酒と料理を運んできて机に並べていく。俺は酒を手に取ると、ラスに向かって掲げて見せた。ラスは丸ごと揚げ焼きにした小芋を素手で掴んで頬張りながら、同じく酒を掲げて俺のジョッキにごつりと打ち合わせた。
「今日までの幸運に」
「明日からの幸運に」
俺は中身を一気に呷った。ひと月ぶりの酒はまるで水のように喉に吸い込まれていく。ほどよい苦味と刺激が舌を駆け抜けて、溜まってこびりついた疲労を洗い流していくような気がした。
まだ注文を取るにも覚束ない給仕にそれぞれ追加の酒を頼み、串肉を取ってかぶり付く。少々焼きすぎで塩気のきついそれは、硬いパンと塩気の薄いスープとパサついた携帯食に慣れた身には、どんな極上の肉よりも染みるうまさだった。
俺は周囲の男達に声をかけると、所狭しと並んだ料理を勧めつつ、町の噂や小耳に挟んだ商人の話を交換しあう。
ただの一傭兵にとって情報は重要だ。自分以外に頼れるものが無いのであれば、余計に。勧めた料理は情報料の代わり、酒が入れば口も軽くなる。
どこかの金持ちの跡目争いがどうとか、冬に身を隠してた獣等がこの辺で暴れてるだとか、薬師の新薬がどうとか、猫が家出したとか、偽金が出回っているとか、雑多な情報から自分に関係がありそうな話を拾い上げていく。偽金の話が出た時、俺は思わず貰ったばかりの報酬をまじまじと見た。恐らく素人目には全く分からないのだろう。判別方法を早いところ調べなければなるまい。
3杯目のジョッキを半分ほど開けて、ラスは掲示板に向かって顎をしゃくる。
「この後はどうするんだ?また依頼を取るなら付き合うが」
俺は首を振った。しばらく家を開けたので、一度帰りたい。
「しばらくはここでゆっくりするさ。・・・そろそろ閉門だ。また縁があったら頼む」
「あんたとなら仕事が楽でいい、いつでも歓迎するよ」
机の上の煎り豆と杏を腰に提げた小袋に移し、パンとチーズを荷袋に引っかけた布袋に突っ込むと、自分のジョッキを空にして俺は立ち上がった。
皿に残った茹で鶏を裂いて、足元で丸まっていた酒場の痩せ犬の鼻先に放ってやる。
給仕にちょっかいをかけながら、ラスがひらりと手を振った。
「じゃあな、死ぬなよ」
「ああ、幸運を」
出入り口横に陣取る行商人に小銭を渡し、草を腰の革袋に草を詰めてもらうと、俺は酒場を後にした。
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城壁の外、森の小路の前で俺は小さな火を起こした。
草を乾いた葉で巻いた煙草と、枝を蔓で縛って束にした簡易松明に火をつけると、足元の火を散らして揉み消して水をかけた。
まだ宵の口だというのに、森はひどく暗い。たとえ明かりがあったとしても、慣れていなければあっという間に迷って獣の餌になるだろう。
家は小路をしばらく行った先にある。俺は煙草を咥えると早足で家路を急いだ。
「明日は1日掃除だな」
ひと月と半分空けていた家は、薄く埃が積もっているだろう。
遠征すれば野宿が当たり前なので、ただ寝るだけなら壁と屋根があるだけで十分なのだが、しばらくゆっくりするなら多少汚れを落とした方がいいだろう。
今日は装備を外すだけでさっさと寝て、起きたら自分と家を清めようと決めた。
傭兵をしつつ森で独り暮らし。
生きるためにやらざるを得なかった今の生活だが、自分には合っていた。
自然の中で生きる術も知っていたし、剣の腕もそれなりに覚えがあった。
家事もやろうと思えばできなくはない。
なにより、森も傭兵もあまり他人と深く関わらないので気が楽だった。
頼れるものがいないのは多少危険だが、面倒事になるべく関わらないように生き、ある程度の金を持ってさえいれば、大抵のことは回避できる。
病気や怪我をした時は・・・あまり考えたくはない。
今まで何とかなってきたのだから、きっとこれからもなんとかなるだろう。
続けられる限り、今の暮らしが続けばいい。
そんなことを考えながら歩き続け、もうすぐ家に着くかという時。
ふと。
小路を外れた茂みの先、葉擦れの音に混じって、何者かが草を掻き分ける音が聞こえた気がした。
俺は足を止めて、ゆっくりと身体を音のした方へと向けると、躊躇いなく腰の剣をすらりと抜いた。
(森で一瞬でも違和感を感じたら、危険がすぐそこに迫っていると思え)
蛇をしこたま仕込んだ落とし穴にまんまとはめられ泣き叫ぶ俺を、満面の笑みで見下ろしながら言い放った師匠の言葉を思い出す。
(こんな所をうろついているとは、ついてない。1匹なら追い払えるか?・・・いや、嫌な空気だ。多分何匹かいる)
俺は深く息を吐くと、耳と目に全神経を集中させた。
松明の灯りを受けて、刀身が鈍く光る。
風に僅かな獣臭が混じり、背筋が粟立つのを感じた。
「!」
茂みの向こう、木々の合間に、松明の微かな光を反射した赤い双眸が一瞬見えて走り抜ける。
同時に、更にその奥から複数の獣の唸り声と悲鳴のような声が聞こえた。
(人間!?くそっ、なんでこんなところに!)
考えている暇は無い。俺は茂みを突っ切って、声の聞こえた方へ走った。
「来ないで」
今度ははっきりと聞こえた声を頼りに走る。
「ガルァッ!」
「嫌っ!・・・ぐっ」
焦りと恐怖に染まった声が、すぐ近くから上がった。
茂みの奥へ飛び出す。
少し開けた窪地の、そのほぼ中心。低木に寄りかかるようにしてへたりこむひとつの人影があった。
両手に小さな武器らしきものを振り回して、足に牙を立てている1頭を振り払おうとしている。さらにその人影の回り、今まさに獲物を引き裂かんとする駆け寄る2頭の獣が見えた。
狼に似た妖獣、イーコスだ。
その姿を認めるや否や、俺は剣を地面に突き刺し、背から短剣を取り出すと、叫び声を上げて人影の最も近くにいた個体に投擲した。
「おおおっ!」
肺を狙った一撃は、牙を放して素早く身を翻したイーコスには当たらない。
彼方で金属の落ちる音がした。
食事を邪魔した突然の乱入者に、全てのイーコスが毛を逆立ててこちらを向いた。
ぎらぎらとした赤い目が俺を睨み、低く唸り声を上げている。
本来、イーコスはもっと山際の、森の奥深くに住む獣だ。人を忌むので、人の匂いを嗅ぎ付ければすぐに逃げ、滅多なことでは町の近くに姿を表さない。
ただし、冬の明けたばかりの今を除いては、だ。
厳しい冬を乗り越えたこの季節は、獣も動物もみな飢えている。更には春の繁殖期を前により多くの食料が必要になるため、気性が軒並み荒くなり、好戦的になる。松明の炎を恐れず襲いかかってくるなど、相当のものだ。
日中ならばともかく、夜の森の中、僅かな灯りのみで酒の入った俺がまともに戦えばどうなるかは明白だった。
俺はゆっくりと腰に手を伸ばし、革袋の中身を鷲掴みにすると、松明を固く握りしめた。
イーコスが一瞬身を沈めたかと思うと、雄叫びあげて飛びかかってきた。
俺はぎらりと光る爪をすんでの所でかわすと、息を止めて革袋の中身を松明の炎の中にぶちまけた。
ぶわっ、と小さな炎が上がり、大量の煙が立ち昇った。辺りにツンとした濃い匂いが充満する。
煙草の匂い・・・正確には、獣の嫌う香草の匂いだ。
旅商人や兵士、採集で森に入る町人の間では必携の品で、道具屋は元より、宿屋や酒場に小遣い稼ぎの売人がいたりして、どこでも簡単に手に入る。
香や煙草にして焚くと、薄荷に似た清涼感に果物のような濃い甘さが混じった香りがする。人間にとっては特に害はないが、獣にとっては悪臭らしく、獣避けになるのだ。
本来は小さい獣にしか効果はないが、俺は手を加えて大量に吸い込めば人間にも影響が出る位に効果を強めている。
市販のものとは異なる刺激臭は中型獣位までなら追い払えるはずだった。獣の中でもとりわけ鼻の良いイーコスにとっては、さぞ暴力的な悪臭に感じられることだろう。
至近距離で匂いを嗅いだ1頭の鼻先に向けて、目一杯松明を叩きつける。ギャウッと叫んでのたうち回る間に地面に突き立てた剣を素早く回収して、目の前のイーコスの頭目掛けて思い切り振り下ろした。重い音がして転がる身体、その心臓目掛けて再度掲げた剣の切っ先を一気に突き通す。
びくりとイーコスの身体が跳ね、細かく震える。
顔を上げて燻る松明を掲げると、残りの2頭が逃げていくのが見えた。
足元のイーコスはか細く息を吐いて、やがて動かなくなった。
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イーコスを狩ったあと低木に走り寄ると、人影が倒れていた。
「おい、おい、聞こえるか?」
ひっくり返して襤褸のローブを剥いでみると、長い髪が滑り落ちた。
声からして女だとは思っていたが、出てきた顔にいささかぎょっとする。
目の下にひどい隈がある。頬がこけ、血の気が失せていて顔色が悪い。
肩を叩いても反応が無く、呼吸が浅い。脈が遅くて不規則で、身体が冷たい。
肌が見える部分のあちこちには生傷があった。特に足の噛み跡は深く、出血が止まっていない。
有り体に言えば、死にかけている。
(なんてこった・・・)
騎士樣や兵士ならいざ知らず、戦闘のできない若い女が城門の外を勝手に1人でふらふらと出歩くのを許すほど、町の門番は無能ではない。
迷って帰れなくなったのでなければ、この女はどうにかして街を抜け出し、あえてこの森にいたことになる。
しかもこの衰弱具合は、昨日今日で陥るようなものではないだろう。
厄介事の匂いがした。
(絶対にろくなことにならない)
関わるのはやめた方がいいと本能が警告している。
襤褸のローブはもとより、女が身につけている服はどれも市井で見かける簡素なものだ。黒い長髪も乱れてぼさぼさで、貧乏人にはよくいる出で立ちだった。
だが、と、女が持っていた武器を見やる。
柄に見事な装飾が施され、形よく研磨された石を埋め込まれたその短剣は、どうみても襤褸のローブには不釣り合いだ。
(今なら、逃げられる)
このままそ知らぬ振りをして帰ってしまえばいい。
骸は獣か動物が片付けてくれるだろう。
例え捜索が出されていたとしても、幾重にも別れた森の小路から逸れた茂みの奥だ。よほど大規模な捜索でない限り見つかるのは時間がかかるだろうし、見つかる頃には戦闘の痕跡は無くなっているだろう。
捨て置けば、少なくとも自分に面倒ごとが降りかからない。
そう分かっている筈なのに、俺は、介抱する手を止めることはできなかった。
(・・・頼むから、せめて助かってくれよ)
匂いが霧散する前に急いで帰らなければならない。
煙を吸って口に残った苦味を唾と一緒に吐き出しながら、イーコスに投擲した自分の短剣と女の短剣を拾って、それぞれの鞘に納める。
止血を終えた足に触れないよう女を肩に抱え上げると、小走りで家の方角へ走り出した。
恐らく成人しているだろう女は、まるで子供のように軽かった。
異世界転生でないファンタジーを書けたらいいなぁと思いつつプロローグだけで満足した話。
咥えてた煙草はどこかに消えました。