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立冬




 幼馴染みの冬子(とうこ)さんの結納が今週なのだと、帰省初日に一報を受けた。


 幼馴染み、とは言っても彼女は八つ上の姉の同級生であり、地方の花嫁としては決して若くはない齢である。現に僕の姉奉世(ともよ)は至って平凡な、ひどく言えばぱっとしない容姿と経歴でありながら二十で嫁ぎ、翌年には第一子を、七年あけて第二子を出産し今は二児の母だ。


 それなのに、器量も家柄も断然格上の冬子さんが三十路を踏んでから嫁ぐことになるとは、夢にも思わなかった。






 僕のなかの一番古い冬子さんとの記憶は、ずいぶんと昔に遡る。

 僕が八つか九つで、彼女は十代半ばだった。



「修行の身ですが、御口に合えば是非、」



 中学を出たばかりだった冬子さんのぎこちない敬語と、年相応とは言い難い割烹着姿を、今でも鮮明に憶えている。

 この日はたしか、母と姉が女二人旅に出てしまい、父は兄と僕を連れ立って、自分行きつけの小料理屋で夕食を済ませようとしたのだ。


 冬子さんは、自作の小鉢を三品差し出しながら先ほどの台詞を添え、その隣から彼女の母である若女将さんが、「サービスですよ」と口を挟んだ。


 三つの小鉢にはなますと、ほうれん草の胡麻和えと、筑前煮がそれぞれ品良く盛りつけられていた。どれも、当たり障り無いこの店ならではの品といったところだ。


「批評は厳しめにお願いしますね。」

 若女将がまた口を挟む。

「いやあ、さすが将来有望ですよ、冬子ちゃんは。」

 でれでれしながら父は答えた。母が見ていない、たとえば仲間連中なんかとこの店に来るときは、いつもこんな調子なのだろうか。子供ながらに情けなく思えた。


 僕も父に習って一通り口にした。

 なますと胡麻和えは美味しかった。良くも悪くも、ふつう、に美味しい。

 筑前煮だけが物凄く甘かった。

 醤油や出汁とか、ちゃんと煮物の味はするのだけれど、甘さが際立つ独特な味つけだ。ただ個人的な意見としては、先の二品のような無難な味よりも、好みではあった。


文也(ふみや)くんにはちょっと早かったかしら?」

 子供が好む品ではないことに考慮してか、若女将さんは本音を言える隙を用意してくれた上で、優しく尋ねてくれた。


「全部、おいしいです。」


 余計なことは言わないでおいた。

 若女将さんの隣で、冬子さんの顔が明るくなる。



「筑前煮が随分と甘口ですね。これでは好き嫌いが別れると思います。」



 十離れた兄は、真顔でそう指摘した。

 もちろん若女将さんではなく、ちゃんと冬子さん本人を見据えて。

 この頃から融通が利かない生真面目な少年だった兄は、今じゃすっかり堅物だ。







 小料理屋『せきと』の料理は、値段の手頃さと万人受けする味つけが特徴で、一杯ひっかけるにもちゃんと食事をするにも適した品が多く、仕事帰りのサラリーマンもいれば、独り暮らしの学生も連日多く来店していた。

 しいていえば客のほとんどが男性客ばかりで、それが人当たりの良い女将と器量良しの若女将、そして店に立つようになったばかりの冬子さんが、彼らのお目当てであることは、当時子供だった僕が知る由もなかった。



 冬子さんは昔からとにかくきれいな人だった。



 白い肌と通った鼻すじ、くっきりとした目元はまるで彫刻みたいで、女性としては高い背丈も長く華奢な手足を持ち合わせれば、彼女の浮世離れした美貌の要因となっていた。


 女は思春期が始まるころから、女ざかりを迎えるあたりにかけて化ける、という。同窓会で再会したクラスメイトが、見違えるほど綺麗になっていた、というのがこれに当てはまるのだろう。

 しかし冬子さんは例外で、僕が初めて見たときからすでに洗練された完成品の女性だった。

 若女将もなかなかの器量良しではあったが、その母の遺伝子をも彼女はたかだか十五、六歳で凌駕していたのだ。




 僕と冬子さんはこれまでに二度、出逢いと別れを繰り返している。

 色らしい言いかたをしているが、それは男女の仲を表すものではなくて、本当に言葉どおり出逢いと別れだ。此度の帰省で顔を合わせることがあれば、三度目の出逢いが加算される。



 一度目の出逢いはもちろん、例の『せきと』での件だ。

 ただし、これには少し後日談がある。



「ウサギがいるの。」


 この日、チズは得意気に声を潜め、半ば強制的に僕の腕を引っ張った。


 山辺(やまのべ)千寿(ちず)は同級の幼馴染みだ。

 正直それほど馬が合うわけではなかったけれど、同じ町内に同級生はおろか、近い年頃の子供は他にいなかったし、姉同士が同級生ということもあり、よく二人で遊んでいた。


「あたしがみつけたの。他の人には内緒だからね。」


 チズに案内されたのは、ちょうど『せきと』の裏手にあたる空地の奥だった。

 この空地自体は私有地らしいが割りと開放されていて、時々上級生たちがキャッチボールなんかを楽しんでいる子供の遊び場だ。

 内緒の場所の入口は、空地を囲む生垣の死角にあった。

 生垣に人ひとり分あいたトンネル状の道を進むと、奥には別の空地が現れた。空地というより庭だ。一面に芝生が敷かれ、簡易的な小屋と柵、ベンチなんかもある。

 兎は柵の中に二羽、いた。



「あら、フミちゃん。」


 突然背後から呼び止められた。


 「フミ」は普段から耳になじんでいる僕の愛称だ。なので、それ自体には驚かなかったのだが、その声の主が冬子さんであるのは意外だった。


「今日はお友達と一緒なのね。」

 冬子さんはチズに目を配るとにこりと微笑み、兎を一羽抱き上げた。


「兎、見にきたの?」


 先日初めて言葉を交わしたばかりの、きれいな大人の(小学生からみた十代半ばは充分大人だと思う。)女の人に親しげに声をかけられ、僕はどう対応すればいいのかわからず、戸惑ってしまった。


「帰ろ。」

 チズが乱暴に腕を引っ張って走り出す。


 結局冬子さんに何も言えないまま、その場から逃げてしまった。



 どうしたんだよ急に。息切れしながら尋ねる僕に比べ、チズは息一つ乱していない。

「あたし、あの人嫌い。」

 その代わり、大変不機嫌になっていた。


「お姉ちゃんたちが嫌な奴って言ってたもん。」

 彼女の説明する不機嫌の理由は、理解し難かった。女の子のこういうところは嫌いだ。

「でも、チズは嫌なことされてないんだろ、」

 僕の正論に、チズはますます不機嫌になる。


「でも、奉世ちゃんだって言ってたよ。」

 反論もめちゃくちゃだったけれど、突然出された姉の名前にはショックを受けた。


 歳の離れた姉は、昔から僕を可愛がってくれていたと思う。

 喧嘩なんてしたこと無かったし、歳の近い姉を持つ友達が、力でねじ伏せられているのを見る度、うちの姉ちゃんは優しいんだなあ、と、しみじみ優越感に浸るものだった。


 そんな姉も、女子達という大勢力の前では、僕の嫌いな女の子の一部に溶け込んでしまうのか。ショックのあまり言葉が詰まった。


 更に困ったことに、こうなってしまうとチズはもう何を言っても無駄だ。それ以上の反論はやめ、その後は僕の家で遊ぶことで事態を落ち着かせた。





 次の日、僕はチズから逃げるように下校し、その足でもう一度例の庭へ向かった。


「あら、フミちゃん。」

 やっぱり冬子さんは居た。


 店に立つ時とは違う洋服姿で品良く座り、兎を撫でていた。


「今日は一人?」


 冬子さんの声には独特な艶がある。

 なんてことのない質問をされる度に、心臓がぎゅっと強ばった。


「トモちゃんは元気?」

 トモちゃんとはおそらく姉のことだろう。緊張した心臓を少しずつほぐしながら、「元気だよ」と、回答を選んだ。


「私、昔はよくトモちゃんと遊んでいたのよ。何度かフミちゃんとも会ったの、覚えていないかしら?」

 憶えていないうえに後ろめたかった。

 ごめんなさい。姉はあなたの陰口を叩いているようです。

 胸の内では謝罪しつつ、首を振って話題を変えた。



「その兎、冬子さんの?」



 この、「トウコサン」は、たぶん当時の僕の、一生分の勇気だったのだろう。唇の両端がうまく動かなかった気がする。


「ええ。母に我儘言って、飼わせてもらっているの。時々こうして外に出しているのよ。」

 冬子さんは艶のある声で、ゆっくりと話す。


「ガス抜き、しないとでしょう?」


 休息、を意味するのだろうか。よくわからないまま話を聞いた。

 抱いてみる? 兎を眺める僕に冬子さんは尋ねてきた。頷くと、柵に残されていたもう一羽を抱きあげ手渡してくれた。毛が頼りないくらいに柔らかくて、温かい。



「……この前ね、煮物がね、一番おいしかったんだ、ぼく。」



 『せきと』での本音を今さら告げると、冬子さんは「あらまあ、」と、穏やかに綻んでくれた。


 これが本当の、一度目の出逢いだったと思いたい。







 その日から、僕は兎の庭に通いつめるようになった。


 校門を出るなり、ランドセルを背負ったまま、庭へ走る。だいたい冬子さんが先に居て、一時間ほど喋ると彼女は開店準備のために店へ戻る。その一時間のために僕は走った。


 初めこそ、どぎまぎしながら会話をこなしていた僕だったが、子供のコミュニケーション能力と適応性とは恐ろしいもので、二回三回顔を合わせてしまえば、学校の友だちと接するのと同じくらい容易く話せるようになっていた。


 わり算の筆算を習ったんだ。

 リレーの選手に選ばれたよ。

 遠足は動物園に決まったんだ。


 その日あったどうでもいい話をちゃんと聞いて、にこりと返事をくれる冬子さんが、僕には嬉しかった。



 冬子さんは母とも、姉とも、チズとも、学校の先生や友だちとも、どこか違う人種の女の人だった。



「冬子さんは、ロロのほうが好きなの?」

 兎は薄茶のほうがロロ、真白い赤目のほうをキヌといった。

 冬子さんは決まって自分はロロを抱いて、僕にはキヌを抱かせていた。


「そんなことないわ。両方、好きよ。」

「でも、ロロばかり触るよね、」

「キヌは白いから、触りすぎると汚れちゃうでしょう?」

「でも、ぼくはキヌを触ってるよ?」

「あら。だってフミちゃんの手は、綺麗だもの。」



 やっぱり、どこか違う。そんなところも嬉しかった。





 彼女の所に通うのが日課になれば、必然的にチズと遊ぶ機会は減った。


「やめなよ、あそこ行くの、」

 ある日の昼休み、とうとう捕まった。


「あそこを教えてくれたのは、チズじゃないか、」

「だって、あいつがいるなんて知らなかったんだもん。」

「冬子さんは悪い人じゃないよ。」


 僕とチズの上下関係は、誰が見ても明白だ。僕だって自覚はあるし滅多に逆らったりしないけど、冬子さんをあいつ呼ばわりされるのには、少しむっときた。


「やっぱりフミもバカなんだね。」

 僕の口答えをものともせず、チズは更なる反撃に出てくる。


「お姉ちゃんたち言ってたもん。バカな男子がみんな味方するから、つけあがってるって。女子は、みんな嫌いだって。」


 当時小学生とはいえ、中高生の姉を持つ彼女は、この手の話にめざとかった。

 今にして思えば、僕が嫌いだった「女子達」が、こぞって冬子さんの悪口を言っていたというのは、なんとなく理解できる。彼女たちからしてみればきっと、僕も立派なバカな男の一人だったのだろう。


「今日はフミん()で遊ぶ。あたしのほうが先に約束したんだから絶対ね。ねえねえ、今日は元希(もとき)さん、居る?」


 めざとい上にませてたチズは、この頃から僕の兄にご執心だった。

 あんな堅物の何がいいのだろう。これも、僕と彼女の馬が合わない要因の一つだった。




「チズとはあまり遊びたくないんだ。」

 一度、冬子さんに愚痴をこぼしたことがある。


 冬子さんは最初こそ、あらまあ、なんてくすくす笑いながら口元に手を当てていたが、すぐにありきたりなお説教を優しくしてきた。


「だめよ、そんなこと言っちゃ。」

「だって、すぐ威張る。」

「甘えてるのよ、フミちゃんに。」

「あまえてる?」

「フミちゃんが好きってこと。」


 なんでそうなるのだろう。それだけは絶対にありえないと断言できた。


「ちがうよ。チズは兄ちゃんが好きなんだ。」

「元希さんのこと?」


 小首を傾げる冬子さんに、そうだよ、と言い放つと彼女は先ほどとは違う声と表情で、あらまあ、と口元に両手を当てた。


「それに、悪口言うんだ。」

「フミちゃんの?」

「ううん。他の女の子の、悪口。」

 ここからの愚痴はチズだけではなく、冬子さんを悪く言う女子全員に向けたものだった。


「女同士で集まって、一人の子を悪く言うんだ。」

「嫌われている子なのね、」

「ちがうよ、やっかみなんだ。すごくきれいで、もてる人だから。」


 途中、冬子さん本人に勘づかれてしまわないか、ひやひやした。

 しかし、たとえここで冬子さんに勘づかれようと、勘づかれまいと、僕は彼女を庇っていたと思う。



「フミちゃん、」

 唇を尖らせる僕の頭に手を置いて、冬子さんはにこりと目を細めた。



「女に関しては、女のほうが賢いのよ。ひとえにやっかみだなんて、見当はつけられないわ。」



 言葉の一片一片が、小学生には意味深で難しい。

 眉間に皺を寄せる僕なんかお構いなしに、冬子さんは続けた。


「チズちゃんは、幸せになる(たち)の子ね、」

 この言葉はわかった。が、意味はわからなかった。

 チズがそうならば、冬子さんはどうなのだろう。

「冬子さんは?」

 思うままに聞いてみた。


「私はそこそこ、ね。」

 返事はすぐに戻ってきた。



「女に好かれない女は、負ける(たち)だもの。」



 まだまだ聞きたいことはたくさんあったのに、制限時間がきてしまった。冬子さんはロロを柵に戻して店へと向かう。僕はもうしばらくだけ、キヌを撫でることにした。







 それから一年くらい経ったころ、僕は高学年に上がって授業も六限目までに増えた。そのせいで、冬子さんが居る時間帯の庭に通えなくなってしまった。

 たぶんこの頃が、一度目の別れだったのだろう。


 稀に、相変わらず『せきと』の常連を続ける父について行ったりしたけれど、そこにはあの兎を抱いた冬子さんは居なかった。


 割烹着に夜会巻き。だんだん流暢になってゆく接客。

 品書き上に増えてゆく、彼女手製の料理。

 時が流れるほどに、冬子さんはもっともっときれいに成っていった。

 冬子さん目当てに足を運ぶ、チズなら言ったであろう「バカな男」も日毎に増えていった。


 ここに来ると僕は決まって筑前煮を注文する。いつ食べても、出汁が食材をひきたてた上等な味がした。あの、やたら甘い独特な煮物が出てくることはもう無かった。



 チズちゃんは、幸せになる(たち)の子ね。

 私はそこそこ、ね。

 女に好かれない女は、負ける(たち)だもの。



 店に行く毎に、美しく成長している冬子さんを見る度、いつか彼女に諭された言葉が違和感で膨れ上がっていった。

 僕には、とてもチズが冬子さんより幸せになるとは、もとい、冬子さんに勝るようには思えなかったのだ。

 容姿、家柄、知性、品格、性格。どれを取ってもチズに勝ち目なんて無い。それは僕が「バカな男」である点を差し引いても明確だ。


 チズのことは嫌いじゃない。

 遊べばまあ楽しいし、優しいときだってたまにはある。短所と同じくらいに長所も知っている。

 ただ、彼女はあまりにも女の子すぎた。


 幼いうちから女勢力に身を置いていためざとさも、思春期を迎えてもなお、十も離れた初恋の相手に焦がれ続けるひた向きさも、正直厄介だったのだ。

 いつまでも頭の中がお花畑のような彼女に、僕はことごとく被害をこうむった。



 兄が初めて恋人を連れてきた日なんて、それはもう大変だった。



 当時、僕とチズは中学を卒業したての十五歳。兄は二十五歳。恋人はたぶん二十代前半の清楚な女性だった。

 兄もいい歳ではあったし、今までだって恋人の一人や二人くらいいたのだろう。しかし、ちゃんと自宅まで招いた女性はその人が初めてだった。


 不運にもその日、チズも我が家を訪れていた。

 彼女は兄の恋人を見るなり、悲愴な面持ちで唇を噛み締め、無言で僕の腕を引っ張ると問答無用で家を飛び出した。

 多少は戸惑いもしたが、とりあえずは僕も無言で従う。

 もうこの頃はチズより背も高かったし力だって強かったけど、上下関係は相変わらずで、瞬時に今は逆らってはいけないと、判断したのだ。

 何よりも、瞼に溜め込んだ大量の涙をいつ落とされるのか気が気でなかった。


 チズは身勝手だけど、辛抱強い女だと思う。

 通りがかったバスに乗り込み揺られること三十分、いまだに泣きださないところだけは感心できた。家を飛び出している時点で、辛抱強いとは違うかもしれないけれど。


「どこ行くんだよ。」


 返事は無い。見計らうタイミングを誤ったか。


「そろそろ、定期券外。」

 余分な所持金は持ち合わせていないことをそれとなく伝えると、チズはやっと口を開いた。


「次、おりる。」

 降車ボタンを押せ、という意味なのだろう。僕は副音声の命令にも素直に従った。




 降りたのは隣町の外れだった。遠出の際、通過することはあっても留まることは無い、そんな町だ。故に僕もチズも土地に明るくない。

 すっかり日も暮れ、よく知らない夜の町を僕らはあてもなく歩いた。

 既に午後八時を回っている。家では家族が騒ぎ始めているだろう。できる限りチズの我儘に付き合ってあげるつもりだったけれど、そろそろ帰りのバスも心配になってきた。


「帰ろうよ、」

「やだ。」


 悪いことは続くもので、ぽつぽつ小雨も降ってきた。


「俺は帰るから。」

 少し突っ放してみる。

「勝手にしたら。」

 荒療治も虚しく、チズは強情を張り続けた。いよいよ僕にも我慢の限界がきた。


「仕方ないだろ。兄貴、もう二十五だぞ? 彼女くらい普通だって。」

「彼女ならいいよ、別に、」

 珍しく声を荒げた僕に対し、チズは意外にも冷静な態度を見せた。



「あたしだってわかってるもん、そんなこと。彼女くらい、いてもいいもん。」



 雨が強くなってきた。次第にチズも冷静じゃなくなってくる。


「フミだって言ったじゃん、今。二十五なんだよ? 家に連れてきてるんだよ? 結婚、決めてるのかもしれないじゃん。彼女ならいいけど、元希さんが結婚しちゃうなんて、あたし絶対やだ。」


 服が湿っても髪が滴っても、チズは立ち尽くして声を震わせ続けた。


「……あたし、元希さんのお嫁さんになりたいんだもん。」


 彼女に上着を被せて、腕を引っ張って走った。

 雨をしのげる場所は無いか探しながら走る。

 走っているときにも震えた声は聞こえてきた。



「絶対……絶対元希さんじゃないと、やだ。」



 ようやくみつけた公園の東屋で、僕らは雨宿りをした。

 天候、時間帯、見知らぬ土地、へばりつく服、ぐちょぐちょな靴、強情な女。取り巻くすべての状況に絶望するしかない。

 泣きたいのはこっちのほうだ。俯くチズを横目で睨んでいると、公園の入口付近から灯りが見えた。通りすがりの車が停まったらしい。


 車から出てきた人影が、傘をさしてこちらに近づいてくる。



「……フミちゃん?」


 傘から覗いた白い彫刻のような顔にも、艶のある声で呼ばれる愛称にも、憶えがあった。

 冬子さんだ。


「あらまあ、」


 これがきっと、二度目の出逢いだった。

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