第六話 俺の人生没終了となります
カーテンを閉め切った薄暗い部屋で、モニタ代わりに接続されたテレビの画面が、大きく光り輝く。
敷きっぱなしで汚れたこたつの上に乗せられたキーボードを打つ手がはたと止まり、俺は長い眠りから目を覚ましていた。
ここは……目の前に置かれたぬるくなったコーラと、食いかけのスナック菓子、そして滅多につけない照明のリモコンと、萌えキャラの絵が描かれた特典しおりに、やりかけのゲームのハイレグ水着パッケージ。
ふっと画面を見上げると、そこには文字がずらずらと流れていた。
「残念でしたね高志さん。どうやらゲームオーバーのようです。犯人を見つけられず、貴方は見つけられてしまいました」
その無情な知らせを流している人物の名前欄には、誰でもないフラッペの名前があった。
きらりんとメッセージバーのすぐ上で踊る妖精のアニメーションは、俺が知るフラッペの姿だ。
長い長い夢を見ていた……。
本当は俺は転生なんかしていない。ただ流行のネットゲームの中で遊んでいただけだったんだ。
惨めな惨めな四十四歳の薄汚れて醜い顔と体が、モニタに反射して映り込んでいる。
「ここではっきりお知らせしておきますね。本当はみんなただのプレイヤーだったんです。
ヒロくんは三十八歳のフリーターで、バイトで稼いだお金で週末だけ全てを忘れるためにログインしていた、ただのおっさんです。
ユナは子持ちの三十四歳ババアです。リオンは十八歳のキャバ嬢で男と同棲中。
マリミは二十五歳のOLで、五年つきあった彼氏と別れて三ヶ月。
エンダはなんと本物のおばあさんで、おんとし七十八歳。貴方だけが特別だったわけではないんですよ」
はぁ……!?
俺は反吐が出てきそうな思いで、フラッペのセリフを読んでいた。
読めば読むほど不愉快さを増す、このなんの意味もない情報。みんな俺を騙していたのか……。
俺だって同じじゃないか。
みんな嘘つき、みんな一緒でみんないい。
十代処女と華のハーレムなんて、夢の先にもありゃしない。
死ななかっただけでも儲けもんさ。
俺の生き様は、これから先もネットとエロゲだけにある。
さようならティクシー、さようなら我が人生。
各キャラのお色気ショットだけは、しっかり各媒体に保存して、永久に俺のものにしておこう。
ってそんなのあるかー!
「なんやねん耳元でうるさいなあ」
再び気づくとそこは、あの荒涼とした砂漠の風景だった。
俺は夢を見ていたのか……美しい顔に涙が伝う。泣いているの? 俺。
ぐしぐしとその顔を拭いてから、俺はフラッペの奴に向き直った。
「おい、俺の名前を言ってみろ、タカシじゃなくてティクシーだよな?」
は? と言いたげな顔つきで、ヒロやユナが俺を凝視している。
エンダが年代物と思しきくすんだ手鏡を取り出すと、それを俺に向ける。
そこに映された顔は、間違いなく気高く美しいティクシーたる俺様の顔であった。
俺がなんにほっとしているのかわからず、困惑しているユナの手が伸びてくる。
「頭でも打ったらしい……?」
身長差をものともせずに、なでこなでこしてくる細く小さな手。
俺はやっと我に返って、前世でそうだったように猫背で前かがみになっていた姿勢をまっすぐに戻す。
それとともにユナの手は俺の頭部には届かなくなり、お互いの距離が離れていく。
珍しく気つかわしげな顔をしているユナに、はは、ジョークですよとでも言いたげに俺は笑ってみせた。
「にーちゃん、ちょっと休んだほうがいいんじゃない?」
とナイスフォローしてくれるエンダの声に頷いて、
「じゃ、あっしはちょいとドロンさせてもらいます」
と片手を挙げる俺を、それでも不可思議な目で見ている一行。
俺は空中に漂っている虫をつかまえる要領で、自然な動作を装ってフラッペを手に引っかけると、猛ダッシュをかけてオンローン車の影に隠れた。
「こらなにすんねん、乙女の柔肌に誰が触れてええ言うてん」
「お前が乙女なら世界中美女で溢れ返っているだろうさ。それよりどうなってる? なんで誰も反応ねえんだ。それどころか俺は前世に逆戻りしかけたぞ。白昼夢にしちゃやけにリアルだった。今時実はネットゲームオチなんざ誰も笑わねーよ」
俺の手から強引に抜け出したフラッペは、ふらふらと空中を彷徨いながら、それでも俺の言葉を深刻に受け止めたのか、顔色を曇らせた。
「それはあかんな……ええか、本来この世界にとって異世界転生人は異物なんや。せやからそれを排除しようとたまに強制力が発生する。それに巻き込まれかけたんかも知れんな」
「巻き込まれたらどうなるんだ? 聞くまでもなさそうだが」
「そや、当然あんたの意識は前世の終焉地点に強制的に送還されてまう。コンティニューする時装備剥奪されるようなもんやな。まあ強制ゲームオーバーでデータ消去よりはマシやろうけど」
マシなもんか。二度とあの臭くて狭くて暗くて未来がない四畳半には戻りたくない。
そもそもあのあと、また俺は死ぬんじゃないのか。
だったらマシなんてもんじゃない、もう一度地獄を味わうだけだ。
「それがいやなら、うちの言うこと聞いて、ちゃんとこの世界のために協力するんやな」
「だけどお前のやり方全員に試したけど、全然引っかからないじゃないか。まさかとは思うが、お前がひらひらこぼしてるその金粉みたいなのを、証拠と勘違いしたんじゃないだろうな」
俺の言葉に、フラッペが自分の体を見る。
サイズさえ人間寸法なら、ムチっとしたお尻を左右から交互に見る仕草なぞも、中々壮観なものなのだが。ただでさえ露出の激しい衣装だし。
だが中身もサイズもここまで腐っていてはどうにもならない。
俺は生身の人間サイズ以外には絶対萌えんのだ。
なにが悲しゅうて、この世界に来てまでフィギュアに欲情せんといかんのだ。
フラッペは俺の余計な思考の間も、何事か考えているようだった。
あ、顔色が少し悪くなったぞ。そして笑い出した。これはとぼけて流そうとする時の仕草に違いない。
こんな光景は何度も見た。
思い切って告白してはみたものの、相手の反応は微妙で、しかしすぐ気を取り直していい友達でいたいとか、そんなふうに貴方のことを考えたことはないのなんて、純情な女の子を装って断る時の反応だ。
何度も何度も、何度も! 経験している俺が言うのだから間違いない。
しかし隣のクラスのイケメン吉田くんの場合は、そんな反応は返さない。
目をハートマークにして即オッケーを出すのだ、女という生き物は……。
畜生、こいつを見ていると何故こんなに血の涙を流すんだ、俺の心の奥の熱いハートの野郎は。
「そもそも敵ってなんなんだ。ありゃただのでっかいイノシシだろう」
俺が首を巡らせると、少々残虐ながら、巨大なイノシシの死体が解体され、切り分けられていくのが見えた。
リオンは血飛沫に真っ赤になりながら、喜々として大きな体躯を小さめのナイフを使って切り裂いていた。
こんなところであんな大物に出会うとは誰も思ってもいなかったから、恐らく道具がないのだろう。
しかしそれがさらに紅蓮に染まるリオンの狂気を鮮やかに表現している。
今夜は間違いなくしし鍋であろう。
普段肉を食べる機会があまりないキャラバンのメンバーにとって、こんなご馳走の機会なぞ滅多にあるまい。俺は違うがな。
「あ、あはは……細かいこと気にするとはげんで、タカちゃん」
ほら、やっぱりごまかしにはいったな。
この女のこれまでの言葉の全ての説得力がはげ落ちていく。
まるで俺の髪が段々円形状に薄くなっていった時のように、もはやぼろぼろ穴だらけだ。
じと目で見つめる俺に叶わないと見たフラッペは、両手を挙げて降参のポーズを取った。
「すまん……一部は適当言うたかも知れん。でもあの中に一人転生体がおるんはほんまや。これは嘘やないで。そしてそいつは黒い野望で、この世界に悪の芽を蒔こうとしとるんや。そやなかったら、うちはここにはおらへんはずや。それだけは信じて欲しいねん」
それでもじとーっと見つめる俺に、初めてフラッペは悪いことをしたと言いたげな顔をした。
その敗北に打ちのめされた顔、そそるぜ。
今なら人間サイズに変身させて、押し倒すくらいできるんじゃないのか、もしかして。
「考えとることが全部顔に出とるで。そんなわけないやろドアホ。それより、真面目にやらんとあんたも今度こそ強制送還されてまうで」
ふんっ、と俺は大きく鼻を鳴らしてやったが、どのみちこいつに協力せざるを得ないことはわかっている。
しょうがない、所期の目的に戻るとするか。俺がただ一人、この世界でハーレムを築くという最初の目的に。
だがどうすればいいんだ、もうあんな際どい思いをするのは俺もごめんだぞ。
今度は背中ではなく尻に触れとか胸に顔を埋めろとか言われでもしたら、俺は即座に逃げる。
六十二年ものの童貞を舐めるなよ。まずは優しく手ほどきをしてくれる、処女だけど床上手な女がいなければ、なにもできないのだ俺は。
「威張ることとちゃうねんけどな……言うてること無茶苦茶やしそんなんおるわけないし。せやけどあんたにとって、相手が女やいうのは紛れもなくハンデやな。これはなんとかせんとな」
「どうすればよかとですか? 女の子と過剰な接触をせずに秘密を暴くとか、おらにはとてもできんとです……」
俺はすっかり弱気になっていた。おかげで背後の気配にも気づかなかった。
「引っかけを使えばいい」
「!!??」
俺は心理的に数メートル跳び上がって驚いた。
いつの間にか背後に立っていたのはユナだった。
いつも通りのジト目、いつも通りの無感情な声で、俺の嘆きを聞いていたらしいユナは、慌てて上方に待避するフラッペを、目線だけで追っていた。
やっぱりこいつも転生体じゃないのか?
「いやあこれはユナ先輩。あっしのひとりごとをお聞きになられていらっしゃったんで?」
「そろそろ鍋の用意ができるから、殊勲者は挨拶をしなさい」
小さくて暖かい手が俺の手を握る。
女の子と手を繋いだのは何年ぶりだろう。
って、子供の頃にリオンやほかの女の子と手を繋ぐくらいなら、普通にしているよな。なっ、俺。
前世の手を繋ごうとしては気持ち悪がられ、終末期は女の子に触れるどころかそばに寄ることすら自分から避けていた、悲しい記憶ばかり思い出している場合じゃない。
それでも緊張してドキドキが止まらない俺は、魔法陣でも描くようによろよろとへこたれそうな足で、ユナの小さな歩幅についていく。
キャラバンの連中は、巨大なイノシシの死体の前に戻ってきて鍋を囲むと、早速解体したしし肉に合掌したあと、それを焼いたり、鍋に放り込んで煮込んだりしながら、その周囲で感謝の踊りを踊っていた。
これは別にこの世界の儀式ではなく、単に久しぶりに大量の肉にありつけた喜びを表して、庶民が好き勝手に踊っているだけである。
俺はその中に連れていかれ、獲物を仕留めた英雄として紹介された。
悪い気はしない。俺の荒んでいた自尊心も、そこで少しだけ回復した。
「ふう、なんとかごまかしきれたな、タカシがアホな子でよかったわ。しかしついにオークの眷属が出てきたってことは、いよいよエルフも姿を現す頃やな……」
ふわりふわりと浮かびながら、遠目にお祭り騒ぎを見ていたフラッペは、一人呟く。
この妖精は一体その心の内にいくつの嘘を抱えているのか。
光り輝く軌道を見ているもう一人の存在がいることに、その時彼女は気づいていなかった。




