第三話 童貞の理性と連想能力に挑戦する、迎えて最初の試練
ガションガションと、けたたましい音を立てて歩く装甲兵のあとをつけるのは、実に簡単だ。
この騒音では、歌を歌いながらついていっても気づかれないかも知れない。どうせあの装甲では視界もろくにない。ただただ壁として立っているだけの存在である。
そもそも自走しているかも怪しかったりする。
もっとも、華やかで美しく可憐とさえ言えるこの俺のような美形に、ああいった装備はまるで似合わないので、着てみたことすらないのだが。
「剣道の防具かて向こうがいやがるくらいやもんなあ、あんたのこと」
あんな凄まじく臭いもん、前世時代から願い下げじゃ。
高志時代は運動音痴だったし、どうせ関係ねえがな。
てか一々昔のことを思い出させるの、やめてくれよ……。
マリミの奴がどこまで行くのか、そう遠く追いかける必要はなかった。
彼女が向かっていたのは、俺たちが宿営していた場所から、小高くなった丘に仕切られた水場の方向だ。
砂漠のような荒野とはいえ、水の湧き出る場所はある。
そういった場所を見つけるのも魔法士の仕事だ。
砂漠の水源は刻々と代わるので、探知の魔法が使えないと大変なことになる。
俺も初歩的な訓練は受けているが、この仕事は主に先輩(精一杯刺々しく読んでもらいたい)であるユナの仕事である。
いけ好かない奴ではあるが、腕前だけは確かに一流だ。
もっとも、この俺のさらに進んだ才能に並べるとは思えないが……ふっ。
冷めきった目で見ているフラッペのことは無視して、俺は身を隠せる場所から、こっそりとマリミのことを見守った。
ぷしゅーとまるでロボみたいな音を立てて、開かれる装甲から、のそのそと這いだしてくる薄着の女。
あれがマリミの本体か……初めて見たな。
栗色の長い濡れ髪が蛇のようにのたくっている。水を浴びる前から全身がじっとりと濡れているのが、遠目にもよくわかる。
無防備な背中が大きく伸びをすると、鎧に包まれるにはあまりに窮屈そうな爆弾ボディが、ふるんと揺れて水滴が散った。
まるでスポーツドリンクのCMのような光り輝く汗だ。
やっぱりあの中は、真夏のサウナより酷いんだろうな。
俺が凝視していることも知らずに、マリミは肌着を乱暴に引き上げると、白い背中を露わにした。
またプリンのCMのようにぶるぶる震えるたわわな膨らみ。そして片足ずつ上がる足から脱ぎ捨てられる、残りの布地。
ピカピカに光る君とかいうフレーズを思い出さずにはいられない。
もう少し距離が近ければ、細部までしっかり拝めるというのに、俺の視界には深夜アニメばりの邪魔が入って、彼女の健康的な裸体はほぼ見えない。
素足が砂地を蹴って走ったかと思うと、その体が水の中にダイブした。
じんわりと水面に広がる長い長い髪……そこから浮き上がり跳ねる上半身が姿を現すと、また爽やかな雰囲気の中で、たわわに実りきって落ちそうなくらい柔らかい胸が揺れた。
俺はそんな光景に見惚れながら、固まって動けなくなっていた。
いや別にそういう事情ではない、ただ単に見とれているだけだ。
「童貞にはちょっときつい光景やったかも知れんなー」
にやにやした顔つきで、耳元の妖精が囁く。
こいつは妖精は妖精でも、ピクシーじゃなくてコボルトだな。
「せやけど裸の水浴びただ見してる場合とちゃうで。どやって字書くつもりや?」
そうだった……今マリミは一人だ。
なら二人きりでなんとか近づいて、背中に字を書くチャンスを作らなければいけない。
駄目だ、なにも思い浮かばん。
「えータカシさん、なんでこんなところに」
「背中流してくれるんですか? でも私……恥ずかしいっ」
こんなうまくいくかよ俺……何故かわざとらしい演技で妄想したマリミの声は、前世のだみ声な俺のヴォイスで再生されていた。
「普通に「一緒に水浴びしよや、背中流したるわ」言うたらええんちゃうか」
「顔も見たことがない相手にそれで通じるかよ」
いやどうだろう……俺の今のイケメン顔なら、案外すんなりそれもいけてしまうんじゃないだろうか。
もっと自信を持ってもいいところなのか? これは。
駄目だ、そう考えようと思っても、どうしても俺の中の前世の記憶が邪魔をする。
「気安く触るな○×□が!」
「えーありえなーい。臨海さいてー」
ああ、クソ生意気な女どもに罵られた、辛い暗い悲しい過去が俺を責める。悪意の炎が俺の繊細なハートを焼き焦がす。
他人を最低と罵りながら自分こそが最低のクソ女どもが、その後適当にくだらない男にぶち抜かれて、さらに他の男つかまえて子供産んで暮らしながら、三十過ぎた頃にばったり会って、また俺のことを毛虫でも見るような目で見たことを思い出して、俺は凄まじくへこんでいた。
そんな記憶はもう過去の話じゃなかったのか、俺。
苦悩する俺のそばで、一通り水浴びを終えたマリミが、濡れた体をタオルで拭いて、新しい肌着を身に着けていた。
しまった、肝心の場面を見逃して、もとい逃してしまったか。
しかも慌てた俺は、がさっと地面を揺する音を立ててしまい、マリミと思い切り視線がかちあった。
「あ……あれ。タカシーさんじゃないですか。なんでここに?」
彼女の声は素直で快活だ。
俺が覗きに来たなんて考えてもいない。
ほっとした俺は、しかしどう説明していいかわからずに、あわあわと慌ててしまう。
「え、あ、いやー俺も水浴びしようかなって思って。よ、よかったよ、ちょうど終わったところで。いてっ……!」
ぽかっといきなり横から殴られて、俺は頬を押さえる。
いかん、これではまるで三枚目ではないか。
俺は視線を横に移さないようにしながら、痛む頬をさすってマリミに愛想笑いを浮かべた。
それでも彼女の顔は疑念から怪訝になることもなく、まっすぐ素直に俺を見つめてくれた。
「あほー、チャンスやないか。背中汚れてるから拭いたるとかなんとか言えや、この役立たず」
俺はこめかみに力をこめながら、フラッペの奴の言うことを脳内で反芻していた。
悔しいがそれしかないか。
「あー、ところでマリミ。背中ちょっと汚れてるから、俺が拭いてあげるよ」
実にぎこちない動作で、背中を指差しながら近づく俺に、え? という顔をして自分で背中を見ようとするマリミの仕草が可愛い。
というか初めて、こんなに間近でマリミの顔を見たな。声もいつもと違うような気がする。
またぷるぷるしている肉感的な肌が、妙に艶めかしい。
「それじゃお願いします。タカシーさん、なんかちょっとエッチだけど」
「そ、そんなわけないよ。うん、それとタカシーじゃなくてティクシーだよ俺は」
崩れきった顔をしていたことに気づいて、俺は顔を押さえてそれをシリアスで美しい自分に戻そうとするが、マリミはそれを見てさらに笑い出した。
なんてことだ……俺のかっこよさを前面に押し出したキャラが、たった一日で崩壊する。
「みんながそう呼ぶから、ずっとそうだと思ってました」
マリミは素直に後ろを向いて、少しだけタンクトップ風の肌着を上げると、真っ白で傷一つない背中を見せた。
俺はその背中にそーっと指を伸ばす。
あ、うお、なにを書けばいいんだ。俺の指は空中で止まってしまった。
「なんでもええからはよ書けや」
と横からまた茶々が入るが、もう俺はほとんどそれを聞いていない。心臓の音のほうがでかすぎるんだ。
ハーレムどころか、こんなところで経験のなさが邪魔をするとは……!
ええい、ままよ! 俺は指先を白い肌に押しつけると、する、となにもなくても滑るような乙女の柔肌の上に指を這わせて、適当に花丸の内側のようなマークを描いていた。
というかただのなるとだな、これは。
「あ……」
彼女にしてはか細い声が聞こえて、その背中が揺れた。くるりと振り返る顔は怒っているわけでもない、けなそうとしているわけでもない。
潤みを帯びた視線が俺をじっと見つめてくる。恨みがましい視線……でもないよな。
これまで見たこともない視線だ。俺の四十四年と十八年の人生で、こんな経験一度もない。
「えっちですね、タカシーさんは。やっぱりほんとは、私のこと覗いてたんでしょう?」
え、はい……実は覗いてました。と口にしようとしても、カラカラになった唇が動かない。
それどころか肌着が胸のすぐ下までめくれ上がっておへそを出したままのマリミの体が、俺のすぐそばまですり寄ってくる。
最初に肌が触れあったのは、マリミの大きすぎる胸元だった。弾力のありすぎるそれが、俺の胸板でゆっくり潰れていく。
「え、あいや、これはだな……」
「タオルじゃなくて指で触るなんて、普通はしませんよ。期待しても、いいんですよね」
予想外のマリミからのモーションに、俺はすっかりのぼせ上がって真っ赤になっていた。
どどど、童貞やもん。緊張してなんもできんかってもしょうがないんや、かんにんして、かんにんしてや。いっそ殺してくれ……。
「あかんな、文字出とらへん。ちゅうことはこの娘はセーフや」
そんな関西弁も、俺にはまるで聞こえていない。
頼むフラッペ、この状況なんとかしてくれ!
「ええやないか、その娘もその気やったら、嫁にもうたれば?」
そ、そそそ……そうしてもいいのかな、この場合。
このままフェードアウトして夜まで飛んでしまうのか、俺。
「なにしてる……」
そんな俺のテンパりきった心を打ち砕く、砕氷船のような声が背後から聞こえた。
ああ、普段から毛嫌いするその声が、まさかこのラウンドをしのげば逃げ切れる防衛戦のチャンピオンが心待ちにする、試合終了の福音となって聞こえようとは。
「あ、ユナ殿」
「休憩はもう終わってる。早く持ち場に戻って」
「あいさー!」
俺の体から離れたマリミは、素早く敬礼するとそのまま装甲の中に戻り、また厚く黒光りする巨体の中に収まり、そしてずるずると動き出した。
俺はピンチからの解放の喚起と、なんだかとっても惜しいものを逃したようながっかり感と、対処能力を遙かに越えた事態になに一つ対応できなかった不甲斐なさで、しばらくその場で固まっていた。
「……私も水浴びするんだけど、邪魔」
氷の女王のその声で、俺は慌ててその場を駆け出していた。
お前のことなんか誰が覗いてやるもんか、ちくしょー。
慌てて駆け出した俺は、またマリミと再遭遇していた。
さすが装甲兵の動きの悪さは筋金入りである。シミュレーションRPGだと移動力ひっくくて絶対置いてけぼり食らうタイプだろうな。
「さっきは残念でしたね……タカシーさん。でも私、焦りませんから。タカシーさんの夫人の一人でいいから、私を華やかな世界に連れていってください。待ってます」
バイザーを上げて中から顔を覗かせるマリミが、いつもの快活な声で俺に語りかける。
すぐ他の人影に気づいて、ずーりずーりと動いて去っていくその背中を、俺はしばらく呆然と見送っていた。
「タカシー。マリミちゃんとなにを話していたの?」
近づいてきたのはリオンだったらしい。
俺はとりあえず平静を装いながら、くるりとリオンのほうを振り向いた。
「あー、あのさ、マリミって割と上昇志向なんだな」
「そうだよ。だから装甲兵になっていっぱいお金稼いで、最後は玉の輿を狙うのがマリミちゃんの夢なんだって。魔法師団でいい男つかまえるって、いつも言ってるよ」
ああ……そうか。それでか。
もしかして俺、危うく毒牙にかかるところだったんだ。
女は怖い……。
「そらそうや、あんたの魅力でいきなりメロメロになって押し倒されたがるとか、ないで」
俺のショックに、さらに杭を打って繊細なハートを木っ端微塵にしてくれたのはフラッペの奴だった。
がっくし。




