飛ぶ父
清十郎は魔法のマントを羽織り、空へ舞う。飛び方は思考と連動していて、ゴーストに任せるよりも、遥かに効率的に空が飛べる。
ダンジョン内では最大スピードがどの程度出せるのか分からなかったので、加速していく。どこまでも加速する。
どこまでもどこまでも加速する。スピード限界がないのだろうか、海を超え、山を越え、砂漠の砂を巻き上げ、惑星を一周するまで10分も掛からない。惑星が小さいならまだしも、そのような感じはしなくて。体は重力の影響や大気の影響を受け付けない。風を切り裂くスピードでもドライアイにならないし、雨に濡れようが滝に打たれようが痒くも苦しくもない。あらゆる防御的抵抗力があるから、スピードに乗せて岩などを殴ろうものなら、豆腐を殴るようにバラバラにできる。山を殴ろうものなら粉砕して大爆発を起こす。海の中に飛び込んでも息をしながらスーパースピードで動ける。溶岩の中も平気で入れる。モンスターにタックルしようものなら突き抜けるか、遥かに彼方にふっとばせる。清十郎は開放的な気分に酔いしれる。
このマントの性能は早く飛ぶことに対応して、あらゆる支えの機能がある。たとえば速度に比例して動体視力の機能も向上していて超スピードで誤って鳥や山にぶつかることもない。スピードに合わせて反射神経、思考速度も向上していて、音速を越えたスピードに変幻自在に旋回しトリッキーに動き回ることができる。
清十郎はこの飛ぶ快感に完全に惚れてしまった。ゲームの世界に飲み込まれてしまったといっていい。 一生このゲームの中で暮らしてもいい。清十郎は当初の目的を完全に見失っている。余りの興奮に我を忘れた清十郎だが、だからこそ気付けたことがあった。
これだけの幸福を味わえるのなら、なぜ息子は人生をありがたがって、前向きに生きようとしないのか?
清十郎の稼ぎは多いとは言えない。今の生活を続けたら、貯金なんて増えやしない。私が死ねば息子の生活は破綻しかねない。残せる財産は家くらいだが、少子化で人口の少ない今の時代、家を売っても買い手はつかず、お金にはならない。
息子には
早く自立してもらわないと、ますます社会で奴隷のように扱われるだろう。息子が私よりも奴隷人生を歩むなんて考えたくない。
清十郎はスピードを手にいれてから、ますます息子の生き方に納得いかなくなってしまった。
しかしその納得できない感情は、今までとは違った。息子を思い通りにできないことへの不満や、息子が私をあざ笑い見下していることに、イライラを募らせストレスを溜め込む感情とは違う。
息子を理解できないことへの疑問
純粋に疑問のみが沸き上がる。今の清十郎は疑問を感じるだけであり、引きこもる息子に対する怒りは全くない。
誰か偉い人が言っていた。「幸福は分け与えるもの」だと。
幸福な人は不幸な人に対して手を差し伸べる。単なる説教じみた思想だと思っていたが、実際の意味は違うものなのだと清十郎は思った。
「人は幸福でないと、心に余裕が生まれず、手を差し延べることができない」
知らなかったわけじゃない。同じようなことを語った人間は、これまでにも沢山いたはずだ。
清十郎は確信する。
頭で理解するのと、心が悟るのは違う
その言葉も当たり前に聞いたことがあるが、今の清十郎にはどうでも良ことだった。
幸福を得た。幸福を人に与える余裕ができた。それが清十郎にとっての真実であり、今までの清十郎に足りなくて必要だった確かなもの。それを清十郎は手に入れたのだ。
清十郎は今までに感じたことのない優しい気持ちのままログアウトボタンを押した




