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「この子は栗花落蜜2年生のフルートよ」
「……ん」
さらりとした黒髪で、目が見えないほどに前髪は伸びている。後ろ髪も腰にかかるほどで見た目にあまり気を使ってないように見える。
――今のは返事だろうか? 美人とか言ってたけど顔がわからないな。
「どうもよろしくお願いします」
「この子あんまり喋んないのよ。栗花落ちゃん楽器見せてあげて」
「……ん」
銀色の細長いものを歩無に見せた。周りの景色が反射しそうなほど美しい光を放っている。
「この子の代わりに少し説明すると、フルートは他の木管、私のクラとかサックスとかと違ってリードを使わない楽器なの。ちょっと吹かせてもらえば? あまり関係ないかもしれないけど栗花落ちゃんのフルート銀製のオーダーメイドだから」
蜜の持つフルートのキイには細かな花の装飾が施されている。楽器に詳しくない人間が見ても一目で高級品であることがわかる。
「……いや」
明姫の提案を即答で蜜が断る。
――なんだろう、何もしてないのに一方的に傷ついたこの感じ
「そう気を落とさないで歩無君。あなたが穢らわしい低俗な人間だからじゃないのよ? この間は私にも吹かせてくれたんだけどね……何が違うのかしらね?」
明姫が不思議そうにしているが、その表情には悪意が満ちている。
「……来たからどいて」
結局、歩無は触ることさえ許されず肩を落としたまま蜜の傍から離れた。
蜜はフルートを右手に持ち横向きに突き出した。
「ほら、危ないからもっと離れなさい」
明姫に言われ、さらに距離をとる。蜜の見つめる方向から6本足の狼のような化物が5匹近づいてきている。
「我が命に従い真の姿を現せcon tutta la forza」
左手を輪の形に軽く握り、目の前へと突き出す。その輪に右手で持っていたフルートをゆっくりと入れる。手品のように左手の反対側からはフルートが出てこない。
フルートの全体が左手の中に消えたかと思うと、黒い靄のようなものが両手の拳からゆらゆらと立ち上がる。
軽く握った手をゆっくりと左右に離すと、そこにはフルートではなく、むき出しの刃が握られていた。
「命は刹那の中に『布都御魂-Muramatsu-』」
その日本刀は美しい波紋を描いている。しかし日本刀のようでありながら、刀身には大小の穴が幾つか空いている。
迫る6足の獣に向かって蜜がゆっくりと歩き出した。
「あんなにゆっくりしてて大丈夫なんですか? 助けないと!」
「今助けに行くと私たちも危ないわよ? さっきも言ったけど近づく方がむしろ危険よ。あの刀は持ち主以外を全て切り捨てる呪刀なの」
ものすごい速さで襲ってきた五匹の獣と蜜がすれ違った。その瞬間鳥の鳴くような音がする。襲いかかることもなく何故か化物は五匹ともそのまま通り過ぎる。
蜜が刀をヒュンと払うと刀から魔物の血が払われる。腰に置いた左手に刀を静かに納めると、左手の中へと消えてゆく。
みるみると黒く変色し、グシャリと音を立てて化物が崩れ落ちた。ぶくぶくと泡を立て肉であったものは気味の悪い液体となり、白い骨だけが元は生物であったことを主張している。
「…………」
蜜が言葉を発せずに前髪で隠れている顔を歩無に向ける。
――フルートって怖いな
歩無の感想はそれだけであった。
「次も2年生の女の子よ。男の子っぽい感じで話しやすいと思うわ。何故だか分からないけどどちらかというと金管の方が後輩の面倒見良さそうな部員が多いのよね……まだ迷ってるなら先輩でやりたい楽器を選んでもいいんじゃない?」
――そもそも入る気がありません……なんて言えないよな
「そ、そうですね。どれもカッコよくて迷っちゃいますよ。ハハ……」
次の楽器見学地に行く途中、心の余裕が出来た歩無は軽く走りながら質問する。
「この部活って結局なんなんですか?」
「この世界は私たちと違う世界なのはもう分かったでしょ? ここにいる異獣は放っておくとグリモワールを通して私たちの世界に来ちゃうの。グリモワールって言うのは部室にあるフルスコアのことね。要は出入り口を通って来る前にこっちから殺るっていうのがこの部活よ。殲滅したら最後にその魂を癒すことで、その異世界の異獣を封印するの」
「封印って?」
「封印っていうのは演奏をしてその異世界を音楽で満たすことよ」
歩無はようやくここで音楽っぽいことが出てきて少しだけホッとしていた。
「さっきからその手に持っている四角いのも武器の類ですか? 俺にも使えたりします?」
「ああ、これはチューナーって言って音程を確認するための道具で武器じゃないわ。こっちの世界だと自分たちの位置と相手の位置が表示されるの」
歩無は自分の知らないファンタジーな世界にただただ感心するしかなかった。
「来たッスね。待ってたッス。自分は百目鬼音萌トランペットの2年ッス」
「トランペットは俺もわかります。まあ、見た目だけ知ってるだけですけど」
「おお、それでも充分ッスよ。そういうのも楽器選びの理由になるッス。吹いてみるッスか?」
そのまま持っていたトランペットについている漏斗のような形をしたマウスピースを歩無へ渡す。
――いいんですか? これって吹く部分ですよね? 関節キッスってやつでは……? 百目鬼先輩は見た目ボーイッシュでこれはこれでなんかいいかもしれない。こういう最初は友達だと思ってたけどいつの間にか女として意識しちゃってみたいな? そこから恋始まっちゃう的な?
「もしかして……関節キスかも? とか思ってるの? ……キモ」
――俺の妄想を覗き見ないでください小鳥遊先輩
幸いにも歩無には最後に小声で呟いた言葉は聞こえていなかった。
「自分そういうの気にしないッスから大丈夫ッスよ。そのマッピに口閉じてブーって感じで息出してみてくださいッス」
合法的な関節キスの許可がおりたことに歩無はこれまでにないほどの昂ぶりを味わっていた。元より彼女が欲しいという理由で部活動を探していた歩無にとっては少しでも女性と接点があることが何よりも嬉しかったのだ。
――良し!! いきます!!
マウスピースに口につけようとしたとき明姫が口を開いた。
「あっ、音萌ちゃん。来てるわね」
ビル群に囲まれた地の後ろから道を塞ぐように黒い影がいくつも押し寄せてくる。
「マジっすね。ごめんね後輩君。後でやらせてあげるッス」
はぁ、とため息をつき、しぶしぶ渡されたマウスピースを音萌へと返す。
トランペットに返してもらったマウスピースをはめる。背中に背負っていたソフトケースの中からもう1つのトランペットを取り出し、その両方に指を引っ掛けてクルクルと回し始めた。
「我が命に従い真の姿を現せcon tutta la forza」
段々と加速していき目では追いつけないほどの速さでトランペットを回す。それを上空へと投げる。勢いが衰えることなく落ちてくるそれを音萌がクロスさせた両手で掴む。
「蜂の巣にしてやるッス『Bach-LT190白兎』『XO-二十六式八咫烏』」
無数の銃声が空を割く。乱れ飛ぶ金属塊が魔物の眉間に穴を開け、みるみる数を減らす。
何十発と撃ったところで銃のシリンダーを降り出し、中に弾丸を詰めることなく再びシリンダーを元の位置へと戻し殲滅を続ける。
銃声が止み、微かに鉄の酸化した匂いが漂う。
「っふ~終わったッス」
「あの、それ弾とか入れないんですか?」
歩無は時々無意味に音が止まり何をすることもなくシリンダーを出し入れすることが疑問だった。
「ああ、これは銃使ってる時息できないんスよ。シリンダー出してる時にブレスして魔力の弾薬補充してるんス。そうだそうだ、ペット吹くッスか?」
「いや、いいわ。次行きましょうか歩無君」
――俺は吹きたいんだけどなぁ
歩無はその邪な気持ちを明姫に感づかれ、楽器を吹く機会を失った。
「うーんと、次近いのはあのビルの屋上よ。階段登ってくから頑張って」
次で最後になります