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「なんだーーーーーーーーーーーーーーここはーーーーーーー!!!!!」
さっきまでいた所とは全く違う。
四方をビル群に囲まれている。所狭しと建物が建っている姿は計画的に建てられたとは言い難い。道と道の間のいたるところに車が置いてある。メルセデスベンツSSK、ミニクローバー、スバル360、シボレー・コルベット等など所々にパトカーが止まっている光景は異様と言える。
空は真っ赤に燃えるような赤と吸い込まれそうな緑色でちょうど空の半分ずつを染め上げている。
歩無は目の前の光景を頬をつねるというベタな方法で現実なのかを試してみる。
「いひゃい」
思考が停止し、暫く呆然としている歩無の目の前に何かが何度か横切った。
「帰ってきてー、皆待ってるよー」
我にかえり目の前を横切っていたものが明姫の手だっとことに気がついた。
「いや、あのこれは?」
「ここは『グリモアールの異世界』よ。私たちの世界とは少し違う何処かの世界。もちろん、ちゃんと帰れるから安心して」
――安心て……なんだよ異世界って……俺は吹奏楽部に来たんだぞ!!
「ちょ、ちょっと待ってください小鳥遊先輩。俺は吹奏楽部に来たんですよ!! なんでこんな訳わかんないことになってるんですか!!」
「なんでって……私「すいそうがくぶ」って言ったよ?」
「だから『吹奏楽部』ですよね!? 皆さんだって楽器持ってたじゃないですか!!」
「だから「すいそうがくぶ」だってば」
会話が噛み合わない2人を見て、仁が何かに気がついたように明姫に質問する。
「もしかして部長、ちゃんと説明してなかったんですか?」
「え? だって知ってるでしょ? 歩無君、学校案内見たでしょ?」
――見てませんけど何か? いや、だって普通科高校の案内なんて見ないでしょ。俺は家電だって説明書見ないで取り敢えずいじってみる派なんだ!!
「えーと、すみません。見てないです」
指摘されたことに逆ギレしながらも、案内を見ていなかった自分自身に思うことがあるのか素直に謝ると、はぁーというため息が聞こえる。歩無の目の前にいる明姫が手のひらを顔にあて、やれやれと言いたげに首を左右に振っている。
「あーそう、じゃあ説明するね。私たちは|『特別国家守護異獣闘争囮駆逐部隊』《とくべつこっかしゅごいじゅうとうそうおとりくちくぶたい》略して『守異争囮駆部』よ。役割はそのまんま、国を守る為にこの異世界に存在している異獣を現世に来ないよう囮となって駆除するの。おわかり?」
「……ちょっと何言ってるかわからないです」
歩無と明姫の会話が長くなりそうだと察し、ファゴットを入れたケースを持っている男が話に割り込む。
「部長、そろそろ行かないと気づかれる」
歩無に理解させるには言葉だけでは難しいと判断した明姫はファゴットの男の話に賛同し、指示を出す。
「そうね……陣形はいつも通り行きます。敵はppですが油断しないように。散っ!!」
それと同時に明姫の周りにいた6人の部員は姿を消した。
――なにこの人たち? 忍者なの?
「そんじゃ、歩無君は私に付いて来て。これから楽器見学行くよー」
――さっき『吹奏楽部』じゃないって言ってたのに楽器見学とか何言ってるんだ? 楽器演奏するならここでやればいいだろう。何よりまずこの状況を詳しく説明して欲しい。ほんとに何がしたいんだこの部活は。
未だに『守異争囮駆部』というものを頭で理解できずにいる歩無には文句しか思い浮かばず、事前にこの部活について詳しく説明を求めなかったことを後悔していた。そしてその気持ちをこの部活には絶対に入らないという意志へ変換した。
「わかりました、でも俺この部活入りたくないんで見学とかいいです。ここで待ってます」
――こんな正体不明のサバト集団にいられるか。悪いが俺は帰らせてもらう。
盛大な死亡フラグを立て、明らかに不満があることを主張している。
それに対し、まるで子供が駄々をこねる姿を見るかのように慈愛と哀れみの表情を浮かべた明姫が答える。
「ふふ、いいの? 1人で? 死んじゃうよ? ほら、上見てごらん?」
――う……え?
歩無が上空を見上げると黒い何かが物凄い勢いで迫っている。うねうねと細長い体を揺らしながら移動していることが分かる。みるみると迫り、大きくなるその黒い何かには光る目が左右に3つずつ付いている。大きく口を開き、遠くからでも分かる程の不気味さを纏っている。歩無の知っている生物の中ではムカデが一番それに近い、ただその記憶の中では遠くからでも分かるほど大きく無いし、少なくとも空を飛ばない。
確実に歩無と明姫の方へと向かってきている。
「どうする? 見学する? それとも待ってる?」
歩無は迫る恐怖からその言葉で自由を得た。明姫はニヤリと笑い目を細くし、その隙間から歩無を見下ろしている。前門の虎後門の狼、いやこの状況には、上空の化物後方の悪魔という方がピッタリだ。
少女の邪悪な笑みには確かに語っている。――私に任せればどうにかしてあげる、と。
「お願いします。見学させてください!!」
死ぬか見学するか、その2択に間違えを出す人間はいないだろう。こと歩無も当然間違えるはずが無かった。さっきまでの絶対に入部なんかしないし、もう関わらないという意志は見る影もなかった。
「……よろしい、じゃあまずはクラリネットからね」
そう言うと明姫は左肩に掛けていた鮮やかなピンク色の箱を上空へと放り投げた。
「我が命に従い真の姿を現せcon tutta la forza」
空を舞うピンクの箱が開き中から4つの黒い棒が出てきた。自然とそのパーツは近づき、ベルと下管が接合、バレルと上管が合わさり、最後に一つの楽器へと姿を変えた。空中で1つとなったその楽器は明姫の手元へと落ちてくる。
それを右手ではしと掴むとさっきまでと全く違う形へと変化した。
「癒したあとに殺してあげるわ『アレクスピオス=B=クランポン』」
右手に持つそれは、黒く艶やかな木の杖に銀色の蛇が1匹巻きついている。
「魔力充填!!」
楽器ケースに入っていたタバコのような箱が空から落ちてくる。左手でRICOと書かれたその中から一瞬で薄い木の板を取り出す、それを覆っていたプラスチックを指で弾き、親指で木の板をそれより高く弾く。クルクルと回る木の板を持っていた杖に巻き付く銀の蛇が一呑みにした。
「今日の魔力はどうかしら、アレクスピオス?」
それに応えるように、ほのかに銀色が輝きを増す。
「まあまあってところね……じゃあ行くわよ? 歩無君!」
歩無はその光景に見とれていた。上空から迫る化物に視線を戻すと、すぐそこにまで大きく口を開けた化物が迫っていた。恐怖で歩無は思わずその場へとへたりこむ。
明姫は黄金に輝くリガチャーを取り出し、漆黒の杖の上部へと装着する。するとその輪についている2個のネジ巻きのようなものがクルクルと回りだした。
「千の牙、砕くは汝、地の棺、汚れを滅す、救いの大地 『Erdboden largo』」
歩無の目の前の地面が微かに割れる。歩無の寸前までに迫っていた化物を一瞬にして2つの岩盤が挟み砕く。まるで食虫植物のように縄張りに入った対象を一瞬にして喰らった。大地に住む獣が現れた。それがこの現象を説明するに相応しい言葉かもしれない。
魔物の液体が周囲へ弾け飛び、コンクリートで固められた灰色が気味の悪い緑色へと変化する。
歩無が目の前の現象を引き起こしたであろう人物へと目を向けると、明姫は無邪気な笑顔でそれに応える。
「どう? クラリネットで壊しちゃった」
歩無は聞いていた。その言葉が終わるのと同時に化物の体であっただろう物体がちぎれ落ちる音を……
そして音楽に詳しくない彼ですら思った。
――それはクラリネットではない。
「次はなんの楽器見たい?」
明姫は手を差し伸べ、その手をへたりこんでいる歩無は掴む。
遠くでは大きな音が聞こえ、至るところで光り輝いている。見ずしても、先ほど目の前で起きたことがそこら中で繰り広げられていることを想像するのは容易い。
「あの、小鳥遊先輩……に任せます」
――正直行きたくない、だけどそれを言えば間違いなく死ぬ。少なくとも小鳥遊先輩について言ったほうが安全だ。なんでもいいからここは言う通りにして後で適当に部活入りませんって言おう。うん、それがベストだ。
明姫は手のひらサイズのチューナーを見つめている。そこには自分を中心に赤い点が6つ表示されている。1番距離が近い点に手を触れると名前が表示された。
「じゃあ、次はトロンボーン近いみたいだからそこに行きましょう。体力作りってことで頑張ってついて来てね?」
歩無は運動が得意というわけではない。一般的な男子高校生の平均と同程度の運動能力があるが、明姫の走りに付いていくのに精一杯だった。明姫は時々振り返り少し走る速度を緩めたり、かなり余裕を持っている。歩無が息を切らしてもうこれ以上は無理だというところで、ビルの隙間を抜けた新しい通りへと出る。